良識的に行動するとは?

 塩野七生著「海の都の物語」に、ヴェネツィア人の手によるものとされる書簡が引用されている。

「良識とは受け身に立たされた側が云々することなのだ。行動の主導権を握った側は、常に非良識的に行動するものである」

 至極名言だと思う。

 良識、良心・・・の解釈は、常に状況に埋め込まれており(situated)、競争的である。

 ちなみに、ここで重要なことは、「行動の主導権を握ったもの」も、実は<良識的>に振る舞っている、ということである。しかし、それは「行動の主導権」を握ったものの内的基準に照らした場合の良識、つまりは一般人の外的基準から照らせば「反良識」である、にすぎない。

 あなたの考える「良識」は「行動の主導権を握っているもの」を説得するリソースには、決してなりえないことを、「行動の主導権を握られているあなた」は、心にとどめなければならない。

 「行動の主導権を握るもの」を説得するための理屈は、いつの時代の、良識とは全く異なる次元で展開する。それが外的基準にてらして反良識であろうと、非良識であろうと、そうなんだから仕方がない。

 世の中そんなものだ。