「評価が難しい」本当の理由

「教材や研修の評価法が問題だって、何十年にもわたって、言われているんですよね。でも、問題であることがクリアになってるのなら、誰かが智恵をしぼって、方法を考えて、解決できそうなものじゃないですか・・・なんで、いつまでも解決できないんだろう?」

 先日、僕の研究室を訪れたある人が、こんなことをつぶやいた。

 この問いに対する答えは、いくつもいくつも考えつく。でも、最大の理由は、比較的身近でポリティカルな要因だったりする。
 本当に問題になっているのは「教材や研修の評価法がわかんないよー」ってことではない、ということではないだろうか。

 問題なのは「教材や研修の評価法」ではない。「実務家が評価を行うときには、自分のポジションを脅かしかねない悪い結果をだすことができない」ということなのではないだろうか。

 少し考えてみればわかるとおり、実務家にとって、自分の開発した教材や研修を評価するという行為自体が、実は、リスクを含んでいる。

 教材や研修が「実務に使われるもの」ではなく研究開発であるならば、

 「評価結果、イマイチでしたね、デヘ」

 ですむかもしれない(うまくいくことがわかっているなら、研究なんてしなくてもよい!)。でも、組織が莫大な費用を投下して行われる、いわゆる「業務」であるならばそうはいかない。

 結果が悪かった場合、「オマエ、何やっていたの?」と言われかねない。そうした事態が長く続けば、責任をとらせられ、その後のキャリアにも響くかもしれない。

 まして、昨今は「上」の目も厳しい。「いろいろお金かけたけど、で、それって、どういう効果があったの?」と聞かれる機会は、従来より格段にあがっている。

 「評価すか? やっぱ、やらなきゃダメすか、デヘ」
 「モトなんて全然とれませんでした、ぎゃぼ」

 なんてとても言えない。

 でも、評価を一度やったことのある人なら同意してくれると思うけど、「確実によい結果がでますー」なんてことは絶対に保証はできない。
 評価の結果なんて、よくて、「うまくいったところ」が半分、「芳しくない結果」が半分くらいが妥当なものではないだろうか。

 つまり、「評価をやること」も「芳しくない結果がでること」も避けられない。とすれば、そこには、ある種の「戦略」が必要になる。

 もちろん「ウソ」をつくことはできない。ウソはいかん、ウソは。
 戦略的に評価項目を設定し、ある部分は「うまくいきました」、ある部分は「課題が残りました」というような「説得のロジック=本人にとっては生存戦略」をつくらなくてはならない。これが、実は、言うのは簡単だけど、とても難しいのではないかと推察する

 前にも言ったかもしれないけれど、「評価」には王道はない。もちろん、ここでいう「戦略」にも「ロジック」にも王道はない。
 どの組織も異なった政治力学の上で成立している以上、「評価ロジック構築の政治学」も異なるのがアタリマエである。結局は、その組織ごとに、そうした戦略やロジックを見いだす必要がある。

 評価・・・。それは、簡単なようでいて、難しい。ひとたびマジメに考え出すと、次々と問題が噴出してくる。それは「パンドラの箱」のようでもある。