F幼稚園の実践から何を学ぶか?

 今日、ある先生のお誘いで、横浜にあるF幼稚園の実践を観察させていただく機会に恵まれました。

tsunashima.jpg

 F幼稚園は、

1) 週3日、縦割り活動の時間割が組まれていて、異年齢の子どもたちが一緒に遊んだり学んだりしていること

2) ベテランの先生が新人の先生に教える機会が、日常的な授業の中に埋め込まれている

 といった特徴をもつ幼稚園です。とても有名な幼稚園なので、ピンときた方もいらっしゃるかもしれません。

 ---

 まず1)ですが、この幼稚園では、3歳から5歳までの子どもたちが、ひとつのクラスで活動をします。こういう幼稚園は、最近は多くなっているようですが、いまだマジョリティではありません。

 一般の方大人の目からみると、3歳から5歳の子どもたちというのは、いわゆる「子ども」で、大差ないように思われるかもしれません。

 が、知能発達のレベル、感情の揺れ動きから考えると、そこにはものすごい大きな差があります。そうした異なった子どもたちを、どのように教えるか、教師の力量が試されます。

 異年齢活動は、4月からはじまります。学期の最初のうちは、特に3歳の子どもたちがなじむことができず、中には「ずっと泣いている子ども」もいるそうです。

 しかし、段々と子どもたちは「変わっていく」。

 下の子どもは、だんだんと上の学年のやっている様子を見ながら、「なんだ、こうやればいいのか」と思うようになる。上の学年の子どもたちのやっていることを、マネするようになるのですね。いわゆる、観察学習というやつです。

 もちろん、上の子どもたちも変わる。上の子どもたちにとっては、「下の子どもたち」に注目されたり、頼りにされたり、リスペクトされることによって、「誰にも見られていない時にはできなかったこと」が、なぜか、できるようになってしまうことが往々にしてあるそうです。

 たとえば「跳び箱」など。ホントウはあまり飛べない子どもが、チャレンジする。で、なぜかうまくいく。そういう出来事が多々起こるそうです。

 もちろん、上の子どもたちには、「下の子どもたち」を教えたり、諭したり、ケンカを仲裁したりすることもあります。そうやって、「上の子ども」としての役割をだんだんと担えるようになってくる。

 しかし、異年齢活動が「しっくりくる」のは、2学期の後半から3学期にかけてだそうです。それには長い時間がっかる。最初のうちは、コンフリクトがどうしても生じる。が、そのコンフリクトがあるからこそ、「しっくりきた」ときには、確かな力がつくのだそうです。

 僕らが観察にでかけたときには、2つの授業を観察しましたが、お互いに譲り合いながら話し合ったりしている様子が、大変印象的でした。

 ---

 2)の教師に関してですが、ここでもF幼稚園の独自性が認められます。ベテラン教師の助けをかりながら、新人の先生が「一人前」になっていく仕掛けが、随所に盛り込まれているのですね。

 そもそも、この幼稚園では、縦割りでの活動があるため、ひとつのクラスを2名から3名の先生が教えます。

 たまたま僕らが観察していたときには、新人の先生が前の方で、子どもたちに指示をしている場面でした。その際、ベテランの先生が後ろで見ていました。

 ベテランの先生は、新人の先生がうまく子どもたちに指示を伝えられなかったときに、あくまで自然に「問いかけるかたち」で、「曖昧な指示」を明瞭に言い直したりしていました。

 先生方はお忙しそうでしたので、あまりお話を聞く機会はなかったのですが、そんなベテランの先生の話を聞きながら、きっと新人の先生は「はー、なるほど・・・こう言えばよかったのか」と思うと思うのです。

 つまり、縦割りであるがゆえに、新人教師がベテラン教師に学ぶ機会が、日常の授業の中に埋め込まれているのです。

 Team Teachingを採用しているため、授業の「後」、研究会の「後」ではなく、授業の「中」で、即興的に自分の授業を「カイゼン」する機会があるのです。ここが大変オモシロイと思いました。

 先生方に関して、園長先生は、こんなお話をしていました。

「うちの幼稚園では、年長さんの組と年少さんの組がセットで授業をしますので、先生方は、必然的にやりとりするようになります。

また、担任を半年ごとに入れ替えます。いろんな子どもに出会ってこそ、教師は成長するのです。

他の先生の書いた授業記録や日誌を見て、勉強になりますし、自分のクセみたいなものもわかります。

一年間のまとめである指導要録は、学期の最後に担当した先生が書くことになります。指導要録は、一人じゃ書けません。だから、自然に「あの子は一学期どうだった?」という風に、しゃべる雰囲気が生まれます。否が応でも、教師同士が話し合う機会が生まれます」

 毎週金曜日には、先生たちが職員室で井戸端会議のような職員会議をします。

 井戸端会議というのは、「○○ちゃんは、~のときには○○だったけど・・・」という1人称の情報交換がなされるという意味です。すべての先生が、自分の受け持ち以外の子どもの名前、顔、親の名前、顔を知っているので、そういうことができるのです。

 教室には、先生の席はありません。なるべく上の職員室にもってきて、そこで仕事をするように言っています。誰が、今、何を教えているかを、すべての先生が知っています。

 職員室には個人の机はありません。大きな机があります。角が丸まっていて、教師同士が斜め45度の角度でお互いの様子を見ながら話すことができます。

 職員室の大きなテーブルには、ひとつだけルールがあります。同じ学年の先生は、対面の席に座ると決めています。

 と言いますのは、同じ学年の先生は、すぐに横に座りたがる。そうすると、お隣同士でコショコショと話すようになるでしょう。

 些細なことであっても、なるべくみんなにわかるように相談させる。そういう「仕掛け」をいろいろしています。

そうやってやっていく中で、はやい人では3年、おおかた5年ほどで一人前になります。」

 園長先生のおっしゃっていたことは、だいたいこういうことでした。

 あとでお会いした、主任の先生はこんなこともおっしゃっていました。

「この幼稚園にきたばかりの先生は、最初は、戸惑いの連続ではないでしょうか。他の幼稚園で教育経験があった先生ほど苦労します。」

 見学にご一緒させていただいたある先生は、こんなことを言っていました。

「どこの社会でもそうですが、今、学校も、経験のない先生と、定年間近の教員とのあいだに、すごい溝ができています。

上の世代は、定年までの年数を、日々指を折りながら数えている。下の世代は、教員免許をとったら、もう先生になった、と思っている。

誰ですか?、免許をとったら、教員になれる、なんて言って広めたのは?

この溝をどう埋めるかが、最大の課題です・・・」

 ---

 今回の観察を通した全般的な感想は、下記のとおりです。

 まず、上記で紹介した1)と2)、つまりは「異年齢集団による学び」「教員同士の学び」は、一見全く違ったことのように見えますが、本質的には同じことのように、僕には思えました。

 結局、

同僚、先輩などの他者の活動を観察して、模倣しながら、何かを遂行し、熟達していくこと

 が、すべての局面で重視されているのです。

 そして、何より重要なことは、そうした場面が、幼稚園のカリキュラム、物理的設計、ルールなどに「巧妙」に「仕掛け」られていることです。

 そこに参加している人にとって、それは気づかないことかもしれない。でも、そこには、学びを提供するものの、意志や意図がちゃんとなされている。

「何でもかんでも自由にしなさい」「好き勝手しなさい」では、学習活動は成立しません。ある意図のもとにデザインされた環境の中で、試行錯誤を行い、自分で動くことで、ようやく子どもはわかるのです。

 また教員同士もそうです。無理に時間をつくり、負担感を増やさずとも、日常の業務のやり方そのものの中に、経営者の意図があり、そこには教師の学びがある。

 僕は常日頃から、社会人の学びとは、「自分たちの力で、適度な負担感を感じつつも、日常的にやれることの中で、知らず知らずのうちに力量がつく環境整備」が重要であると言っています。が、まさに、この幼稚園の環境は、そうした環境のようにも思えました。

 園長先生は、こうした教育のあり方を「なんとなく教育」とおっしゃっていました。肩は凝らずに、かつ、説教臭くならずに、でも、何となくそうなってしまう、ということでしょうか・・・

 任せるが、委ねず
 委ねずに、任せる

 この絶妙な雰囲気が、この場を成立させているのだなぁ、と思いました。

 ・・・今日はF幼稚園の様子を紹介してきましたけど、僕の筆力は限界があります。ちょっとなかなかイメージすることが難しかったでしょうか・・・ごめんなさい。この幼稚園の実践からは、教師教育の人も、企業の人材育成担当者も、学ぶべき点がとっても多いなぁ、と思っているのですが、いかがでしょうか。

 ---

追伸.
 今回は述べませんでしたが、F幼稚園は、「父親、母親が幼稚園の活動に参加することが求められている」という点でも、大変興味深い幼稚園です。

 最初は「園内の掃除」に親御さんを参加させ、園内の様子を知ってもらう。そしてだんだんとイベントの企画や実施、さいごには創作まで参加してしまう。まさにそのプロセスは、正統的周辺参加そのもので、大変興味深いです。

 園長先生はこんなことをおっしゃっていました。

「子どもの網膜の隅っこに大人が一生懸命やっている姿をうつしてあげたいのです。

親は、授業参観なんて来ても、お互いに決して話しません。共通の目的のために、力をだしあったり、相談しあったりさせることが重要です。たとえば、創作のときには、敢えて道具の数を少なくしておきます。そうすると、貸し借りが生まれ、そこからコミュニケーションが生まれるでしょう」

 ホントウに学ぶべきところが多い幼稚園でした。