ネットカフェ難民
アパートを追い出され、日雇い仕事をこなしながら「マンガ喫茶」に暮らす若者 - そういう人々を「ネットカフェ難民」というらしい。先日1月28日深夜に放映されたNNNドキュメンタリー『ネットカフェ難民 - 漂流する貧困者たち』を見た。
早朝、ケータイで派遣会社と連絡をとり、集合場所まで急ぐ。彼彼女に「名前」はない。あるのは、派遣会社が決めた「登録番号」だけである。
昼は働きづめに働く。夜は寝る寸前まで街をフラフラしながら、1時間100円の、なるべく低価格なネットカフェを探し、そこで一晩を過ごす。
大きな荷物は、駅のロッカーに預けている。シャワーを浴びたいときには、1時間300円程度のリッチなネットカフェを利用する。
しかし、そこがネットカフェである限り、ベッドや布団はない。
「足を伸ばして眠りたい」
ある10代の女性が口にした言葉が、脳裏から離れない。もう1年も、ベットで眠っていないのだという。アームレストにアタマをもたげて、眠る姿は切ない。正直、辛くなってきた。
確か社会学者の大澤真幸さんだと思うが、ある雑誌で、こんなことを言っていたように思う。
まんが喫茶は、貧困若年層をそのままの地位に留まらせる機能をもつ
ここにいる限り、明るい未来を描くことはなかなか難しそうだ。
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場末のネットカフェを転々とし難民化する若者がいる一方で、社会には、それとは全く異なる境遇の人々がいる。
今年の新卒採用市場は「接待攻勢」だそうだ。かつてのバブル時代のようなお祭り騒ぎが、他方では進行している。
「失われた10年」の間に企業が新卒を採用しなかったこと、団塊の世代が大量退職すること、そしてリストラが一段落したこと。これらの理由を背景に、企業が新卒の一斉採用に踏み切っている。ちなみに氷河期世代は「かやの外」だそうだ。新卒でなければダメである。
(この問題に関してはここでは詳細は語らない。だが、昨今の企業若手人材採用の身勝手さ、先見のなさ、そこで展開されている「へりくつ」には、辟易とする)
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「若者」というカテゴリーは死んだ。
もはや、「若者」というカテゴリでくくることのできる人は、この国にはいない。「若者」は分裂し、多様化している。ある者は棄民化し、ある者は富裕化する。
ただ忘れてはいけないことが2つある。
今、幸いにも、生まれるタイミングがよかったことで、特権的な接遇を受けている人々。決して、そのポジション、特権的な待遇が長続きするとは思わない方がいい。もはや安定したポジションなど、どこにもない。これが1点目。
2点目。ネットカフェ難民化している人々が、自分の生活とは全く切り離されたものだとは思わない方がいい。
社会はつながっている。
不幸な身の上にある人々の生活も、その生活を支えるコストも、結局は、社会全体、国民全員で、ある程度はカバーしあわなければならないのだ。
ネットカフェ難民の生活は、近くにある。