たかが報酬、されど報酬・・・村上春樹著「村上朝日堂」のエッセイから考える
村上春樹著「村上朝日堂」に、村上氏が「プロフェッショナルの報酬」について書いてある短いエッセイがある。氏の書いていることに全く共感してしまった。長くなるが、ここで引用する。
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(村上氏は若い頃、ジャズ喫茶を経営していた・・・その彼がバイトを雇用するときの話である)
経験的にみて絶対に雇ってはいけないタイプというのがいくつかある。「ただでもいいから働かせてください」というタイプもそのひとつである。(中略)たとえば「将来お店をやりたいんで給料いらないから働かせて」とか「どうしてもここでバイトしたいので」とかいう人が毎年1人くらいはいる。
さて、こういう人がきちんとしたよい仕事をするかというと、だいたい逆である。仕事は手を抜く、不平を言う、休む、遅刻する、あげくの果てには「給料が安い」なんていいだす。
(中略)
同じようなことだけれど、僕は原稿料の入ってこない原稿は絶対に書かない。すごく生意気に聞こえるかもしれないけれど、プロとしては当然である。たとえどんなに安くても、ギャラだけは現金できちんともらう。宴会やってチャラなんていうのはイヤだ。こちらも〆切を厳守するのだから、そちらもきちんとやってほしいと思う。
しかし、そういう風にやっていると「あいつは、うるさい」と言われたりすることがある。しかし、そういう同人誌、ドンブリ勘定的な体質が日本の文壇をどれだけスポイルしてきたのか、よく考えて欲しい。
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要するに村上氏が述べているのは、「ある条件のもとで働く、働いたなら、きちんと、それにみあった対価をもらうこと」が重要なのだ、ということではないでしょうか。この、最も「基本的な原則」を忘れると、長期的にみると、たいがいは、よくない事態が生まれることが多い、と書いておられますね。
嗚呼、アタリマエすぎる。アタリマエのコンコンチキだと思います。
こう書いちゃうと、単純すぎて改めていうまでもないことのように聞こえます。でもね、実世界では全くそうではない。全くそうじゃないのです。
全くをもって「アタリマエダのクラッカー」(死語)なのに、このルールは、私たちの習慣の中で、いとも簡単に犯されているルールなのです。それも「力をもっている業界」であればあるほど、その「アタリマエのルール」を忘れがちです(泣)。
「払わない」いうのは「論外中の論外」としても、「条件を提示しない」というのは、めちゃくちゃ頻繁、よくあることです。「なぁなぁ」にしちゃう。これまで、僕も何度もこの被害にあってきました。何度も、何度も、何度も、何度も。
若い頃は、知らない振りをされ、丸め込まれ、言いたくても、言い出せなくて、沈黙を守ってきました。僕に勇気がなかったんだろうな。言い出す勇気がなかった。でも、悔しかった(泣)。
一言でいいます。
僕は、そういうルール違反が「好きではありません」。
それはすべてのためです。
自分自身のため、さらには、僕と同じ領域で仕事をする若手のため、また領域全体のために、「なぁなぁの仕事」はしないことを誓っています。それで、どんなに「中原さんは、うるさい」とも言われようとも。
理由は、さっきも述べましたけど、そのことが長期的に見て、いろんなものをスポイルするからです。自分自身をスポイルし、若手をスポイルする。さらには、業界全体をスポイルする可能性が高いからです。
まずそういうことが長く続くと、「ある条件や制約のもとで、ベストをつくし、最大の効果をあげる」・・・そういう「個人のプロフェッショナリズム」を少しずつ蝕んでいく可能性が高いのです。
まぁどうでもいいや、何とかなるや、どうせ、対価も提示されないし、責任をとるのはオレじゃないし、オレは何ももらっていないのだから、適当でいいし、という甘え体質が、一人のプロフェッショナルを侵し始めます。
また、さっきの文壇のたとえの関連で言いますと、業界自体に、なぁなぁの「なれ合いの体質」を生み出してしまう。
「なれ合いの体質」はだんだんと、「ウチ」と「ソト」をわけるような村社会に変質します。そういうところでは、なかなか「新しいことをすること」が難しくなってしまう。
「まぁ、しょうがないから、特にお役にたてるわけではないけれど、引き受けるようにしよう。ま、対価もないし、別に責任を果たすことは求められていないし」というマインドが生まれてくる。
相手の方も、「まー、あの人に頼んでおいても、たいした役に立つわけじゃないけれど、特にややこしいことも言わないし、振り付けができるから、この人に頼んでおこう。どうせタダだし、、、特にリソースが必要なわけじゃないし」という風になる。
「どうせ、タダだし!、あの人、文句いわないし!」
それより何より、誰かが「無料」で依頼を引き受け始めると、他もそれに追従せざるを得なくなります。特に若い世代の被害は甚大です。かくして、中長期でみれば、業界自体の経済価値が下がる。
例えば、ある領域で「権威ある年長者」が、ある仕事を、なぁなぁのぐずぐずで、対価のことをきちんと話し合わず、超破格の500円でひき受けるとします。あるいは、お昼代1000円でなぁなぁにしちゃう、「されちゃう」とします。
そしたら、それ以降に、同じ仕事をする若手の報酬はどうなりますか。それは、火をみるより明らかです。たぶん、その経済価値は50円にもならない。「あの年長者で500円-1000円ならば、てめーなんて50円だ」という価格のダンピングが必然的におこります。
年長者の「どんぶり勘定」「過剰なボランティアリズム」によって、若手は、たとえ同じクオリティの仕事をしたとしても、あるいは、それ以上の仕事をしたとしても、「10分の1の金額」で受けざるを得なくなる。よって、「食っていけない」。
いいえ、はっきり言います。若手はたいて「年長者」以上の仕事をするもんなんです。でも、食っていけない。なぜなら、「どんぶり勘定」で引き受けている「御大」がいるからです。
この場合、要するに「食って行けない」自体は、多くの場合、年長者の怠慢によって「構造」としてうまれている可能性が高いのです。
経済価値が下がり、「食って行けない業界」には、若手の新規参入はなくなってしまいます。あたりまえです、だって「食って行けない」んだもん。
誰も、そんな「メシの食えない業界」で働きたいとなんて思わない。そうすると、最後には、中長期の視点で見るとその業界自体の活動が沈滞化してまうのです。
繰り返します、「業界全体の沈滞」は、「構造」としてうまれているのです。
そういうとき、でも、年長者はつぶやきます。
「最近の若者はだめだ。挑戦マインドがない」
「最近、若手がいないねー」
「たとえ、食えなくても、パッションがあれば、優秀な若手が入ってくるはずだ。最近の若手にはパッションがなさ過ぎる」
また、そういうとき、「力のある業界人」はつぶやきます。
「最近、若手が育たないねー」
「最近の人はパッとしないじゃないですか」
本当に申し訳ないけど、それは全く違います。
「業界に元気がない」のは、「若手に挑戦マインドがない」せいでも、「若手が育たない」せいでもありません。それは「食えないから」です。もう一回いってもいい。「優秀な人が集まらないのは食えないから」です。「最近、若手が育たない」のは誰のせいだ? それはグズグズの慣習を引きずっている業界のせいです。
「食えない業界」には「優秀な人」は集まらない。
「人が集まらない業界」は、中長期で「沈滞」します。
それだけのことです。
それだけの、単純なことなんだ。
そんなの「若手のせい」でも、なんでもない。
きちんとお金がまわる仕事をすることは、自分自身のためだけではありません。同じ業界を支えて行く、志高い若者の未来を支えることでもある。そして、その業界の未来、研究の将来を決めうることでもあります。
僕個人は、どんなに「あいつはうるさい」と言われようとも、そこには一定の矜持を持つことを誓っています。もちろん、「ふっかけろ」と言っているわけではないので、あしからず。
されど報酬、たかが報酬。
先を走るものには、次世代の業界のあり方を、したたかに考える責務があるように思います。
投稿者 jun : 2006年12月27日 09:41
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