親は永久ベータ版

 嗚呼、僕はわかったよ。

 あのね「子どもを生めば、すぐ親になった」って考えるのは大間違いです。先日のブログエントリーでは、「僕は父親になりました」って書いたけど、これ、ウソじゃないけど、ちょっと違うかも。

 親は、子どもの成長にともなって、次第に「親になっていく」のだね。つまり、「親」ってのは、後天的に学習する役割なのではないかと思うようになりました。で、今、僕らはそのプロセスの渦中にいる。

 つーか、わかんないんだもん、全然。
 ひとつひとつ学んでいくしかない状況に、今、僕らはたたされている。

 たとえば、看護婦さんには、「げっぷをさせてくださいね」って言われるけど、僕もカミサンも「何がゲップなのかわからない」んです。

カミサン「えっ、今、空気が出たのがゲップ?」
僕「いや、違うんじゃねー、おっ、なんか、白いもの吐いたぞ。これがゲップか?」
カミサン「それは吐いたんでしょ、ゲップは違うでしょ」

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僕「おっ、なんか指しゃぶって泣き始めたぞ。ムムム、これはメシ食いたいんじゃねーか。きっとそのサインだよ」
カミサン「そうだよね、おっぱいかな、ちょっとあげてみようか」
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僕「なんだ、ウ●コじゃん。なんで指しゃぶって泣くの?」

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 こんな感じ。わからないことだらけ。

 いきなりこの世に生を受けた子どもも「見るもの、触るものはじめて」でわからないことだらけだろうけど、親もわからないのよ、全然。

 でも、アタリマエなんだよな。だって、親歴3日だもん。わかんなくて当然なんだよな。学習しなきゃね。

 でも、まぁいいの。焦らなくても。ひとつひとつ粛々と学んでいけば。ドゥエックの「増大的知能観」の理論じゃないけど、僕らは変わることができるのです。だから、いいの。エンジョイ、楽しめ>自分たち

 でも、よーく考えたら、子どもの成長は不可逆的なわけだから、親の学習って、いつまでたっても完成しないんだな。

 1歳のときには、1歳のときの子どもへの対応を学ぶ。10歳になったら、10歳に対する対応を学ぶ。

 親の学習は終わらない。それって「Web2.0的」?

 親は永久ベータ版

 ってことですね。なんか、訳わかんないけど、こう言うと、格好いいね。何、そんなに甘くないって? いいの、いいの、それで。そのくらい「お気楽」なくらいで、ちょうどいいの。

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