朽ちていった命:NHK東海村臨海事故取材班
「ここにいる人は何なんだろう。誰なんだろうではなく、何なんだろう。体がある、それもきれいな体ではなく、ボロボロになった体がある。そのまわりに機械がついているだけ。
自分たち看護婦は、その体を相手に、次から次に、その体を維持するために、乾きそうな角膜を維持するために、はげてきそうな皮膚を覆うために、そういう処置ばかりをどんどん続けなければならなかったんです。
自分は一体何のためにやっているんだろう。自分は別に角膜を守りたいわけではない。大内さんを守るためにやっているんだ。そう思わないと耐えられないケアばかりでした。大内さんを思い出しながらでないと、自分のやっていることの意味が見いだせないような、そんな毎日でした」
(p127より引用)
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NHKが、1999年に茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO」でおきた臨界事故の被爆治療を取材したときの83日の記録である。本書の中には、上記のような看護婦(現在は看護士)の述懐がある。
核燃料の加工作業中に、大量の中性子をあびた大内さんと篠原さん。被爆直後は、見た目に皮膚が赤くなる症状しかなかった彼らではあるが、次第に、体が内部から崩壊がはじまっていく。
生命の設計図であるDNAが失われ、すべての細胞が「再生」をとめてしまうのだ。
我々の体は常に「細胞」の再生を繰り返して、古くなった細胞が新しい細胞にとってかわり、成立している。古くなった細胞は落ちる。しかし、万が一、新しい細胞が生まれなくなったとしたらどうなるか。おぞましい光景が脳裏をかすめる。
人知が及ばぬ放射線治療がすすむなか、医療スタッフの苦悩がはじまる。洪水のように溢れでてくる体液を前に、自分たちには何ができるのか、を問い続けるようになる「もうこれ以上手のつくしようもない」状況で、自分は、何をすべきなのか。
「ここにいる人は何なんだろう。誰なんだろうではなく、何なんだろう」
「研究とは何か?」
「治療とは何か?」
「生きるとは何か?」
壮絶な問いがスタッフをおそう。治療チームに動揺が走る。
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現在、日本には全国で55基の原子力発電所が稼働している。我々の使用する全電力量のおよそ40%は原子力由来のものである。
クーラーをつける
テレビをひねる
冷蔵庫をあける
シャワートイレで洗う
その瞬間瞬間に、我々は原子力と向き合っている。何人たりとも、それと無縁ではない。善悪で判断のつく問題では、もはやない。
人間のやることには必ずリスクがつきまとう。リスクマネジメントの基本は、「リスクが生じないようにすること」だけではない。「リスクは生じるもの」として、生じたリスクを最小限に食い止める方策が追求されるべきである。現在の日本には、放射能事故に関して、万が一のリスクを迎えたときの基盤は、驚くほど進んでいないのが現状だという。
83日の壮絶な治療現場は、決して我々から離れた場所にあるものではない。常に、「我々の側の問題」であることに気づかされる。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
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投稿者 jun : 2006年10月10日 06:00
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