ブログのアクセス数を増やす:地味ログのススメ
「中原さん、ブログでアクセス数を伸ばすにはどーすりゃいいんですか」
ある学生さんに聞かれました。
うーん、これは難しい問いだね。オラ、悩んじゃう。つーか、これがわかんだったら、専門のコンサルとしてメシ食えんじゃねーの。
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僕はWebで日記をつけて8年になります。
「オマエ、暇だなー」
と言われそうだけど、そうだね、暇なのかもね(笑)。でも、その経験からいうと、唯一正しいだろうな、と思う答えは、「自分の言葉で、地道に、地味に、書き続けること」かな、と思います。
「なんじゃ、その月並みな答えは。さんざんジラシて、それが答えかい」
と怒られそうだけど、しゃーねーだろ、それしかないと思うんだよね。地味にさ、地道にさ。
「自分が最も快いと思う言葉」で、時には難しく、今日は疲れたなーと思う日は、しょーもないことを書き殴る。少なくとも商用ベースのブログじゃないんだったら、唯一正しい答えは、それしかないんじゃない、と思います。
「まー、アクセス数ねらって書いてるわけじゃねーしな、見たい人はみてちょ」くらいの「適当さ」「いい加減さ」が必要ではないでしょうか。
カッコつけてると、疲れちまうぜ。世にいいますね、「90%のブログは3ヶ月以内で終わる」と。絶対無理すると、そーなんのよ。
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そりゃ、いくつかテクニックはあります。
たとえばね、今、僕のブログは最高で1日1万人、平均6000人の人が毎日見てくれています。でも、タイトルの付け方によって、同じ事を書いていても、全然アクセス数が違います。プラスマイナス20%は違うのではないでしょうか、感覚的には。
コツは、文学理論でいうと、ロシアフォルマリズムの「異化」でしょうか。異化とは、「あたりまえのものを見慣れないものにすること」。それが文学の本質なのですね。
例えば、下記のような感じ。アクセス数があがるタイトルと、ダメなものをあげてみましょう。
手術を受けにバケーションでタイに行って来ます? (○)
メディカルツーリズム (×)
肉が焼けるのも待てない日本人 (○)
日本人のマナー違反(×)
この差、わかりますでしょうか。どちらのタイトルでも、同じ内容をかけるけどさ。なんか、ちょっと上の方が「なんじゃこりゃ度」が高くって、「読みたい度」がそれに連動してあがりませんか?
このタイトルの工夫だけで、20%はアクセス数が違います。いや、ホントだって。
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次はね、タイミングってのが重要です。
たとえば、今日、「功名が辻」をやりますね。あなたが番組を見て、感想をblogに核のなら、その番組が終わってすぐがいいでしょう。それから数時間のうちに、功名が辻をネットで検索する人が増えます。
まぁ、あとは、SEO(Site Engine Optimization)とか、いろいろテクニックがあるのですが、僕はあまり意識していません。
あのね、「テクニックは所詮ドーピングみたいなものです」。ドーピングよ、ドーピング。
たとえば、何度も何度も、タイトルに奇をてらっていると、だんだん、飽きてくるのね。
「またコイツ、こんなすかしたタイトルつけやがって・・・ちっ、またおもしろくねーじゃねーか」
って感じでさ、それに慣れちゃうんです(オレのブログのことか)。だから、一時的にはアクセス数があがるのだけれども、長続きはしないのではないでしょうか。
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つーことで、ブログは地味に、だけど毎日更新。「地味ログ」がいいんじゃないかな、と思います。まぁ、他にもいろいろテクあんのかもしれないけれど。もしどなたかコツがあったら、教えて下さい。
投稿者 jun : 2006年10月31日 22:32
手術を受けにバケーションでタイに行って来ます?
10月28日の東洋経済では、「ニッポンの医者と病院」という特集を組んでいた。この国の医療の問題点を非常にわかりやすいかたちで教えてくれたので、興味深く読むことができた。
特に、その中で印象的だった「メディカルツーリズム」の話。要するに、「医療費の安いタイやインドに行って、最先端の医療をリーゾナブルな価格で受けてしまおうこと」である。
特にタイは「アジアの医療ハブ」をめざしており、「アメリカや日本はドクター・ファーストだが、タイはペイシェント・ファーストである」と嘯いている人もいるとのことであった。
今日、いつものようにblogをチェックしていたら、下記の記事を興味深くよんだ。こちらでは「メディカルバケーション」とよんでいるらしい。
手術と観光の合体:メディカルバケーション
http://www.chikawatanabe.com/blog/2006/10/post_9.html
かくして「医療のボーダーレス化」「医療のオフショアリング」は、止めどもないスピードで進んでいく。僕なんかは、そこで受けられる医療の質が、かなり気になるけど・・・。安かろう、悪かろう、じゃ困るよなぁ。
ちなみに、Newsweek(ニュースウィーク)の最新刊は、「世界の最先端医療」だった(僕は一週間に十数冊の雑誌は目を通す)。「日本では複雑で長期間にわたる治見があるため、使えない薬、医療器具がこんなにもあるよ」という記事。
ニュースウィーク
http://www.newsweekjapan.hankyu-com.co.jp/
米国の医療は、やはり世界で最先端を走っている。富裕層は海外なんかにでなくても、米国で最先端の医療を受ければよい。ここでも格差が生まれているのだろうか。
以上の医療の問題、僕は専門ではないので、詳しいことはわからない。このblogは、専門の先生方も見ていらっしゃるかと思います。よろしければ、教えて下さい。
でも、少なからず言えることは、医療の世界は、教育の世界よりもずっと早くに、「市場化」「ボーダーレス化」「二極化」「グローバル化」に突入している。それによって、僕たちはどの程度、今よりも「幸福」になれるんだろうか
・・・本当に幸せになれるんでしょうか・・・。
重い問いだよなぁ。
投稿者 jun : 2006年10月31日 06:00
Mixiの研究:若人に愛の手を
僕の研究室で、UT OCWの仕事をしている学生スタッフの富田君が、アンケートにお答えいただける方を募集しております。Mixi、ソーシャルネットワーキングサービスに関する研究です。
はじめはみんな初学者だった。被験者集めに苦労したこともあるでしょう。
若人に愛の手を!
ちなみに、下記は転送自由です。なにとぞよろしくお願いいたします。
LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL
【mixiをご利用の方にお願いがあります】
東京大学社会心理学研究室の
富田と申します。
私はインターネット上における人々の行動に
ついて研究いたしております。
SNSをテーマにして、
卒業論文を執筆する予定です。
MixiなどのSNSをどのように利用しているか、
またSNSを通じて他の人とどのように
コミュニケーションをしているか
について調べたいと考えております。
論文を書くにあたり、
実際にmixiを利用している方の
お考えをお伺いいたしまして、
それを論文の骨子としたいと
考えております。
お忙しいとは存じますが、
mixiユーザーの方で
アンケートに参加してもよいと
お考えの方がいらっしゃれば、
東京大学文学部
行動文化学科社会心理学専修課程 4年
富田克人
l54216@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
にその旨のメールを
お寄せくださいませんでしょうか?
メールをいただき次第、そのアドレスに
wordでアンケートを添付して、
e-mailを送信いたします。
(皆様のe-mailアドレスは調査の全計画が
終了次第、研究者の手元から破棄されます)
形式は選択式で、かかる時間は
15分くらいです。
締め切りは11月5日となっております。
(皆さまのご回答は、集計の上、
統計的に処理されますので、
お一人お一人のお答えやプライバシーに
関する情報が外部にもれるといったことは
一切ございません。
アンケートの結果が学術目的以外で
用いられることも一切ございません。
調査結果は調査協力者の方でご希望の方に
対してメールでご報告させていただく
予定です。)
お手数をおかけいたしますが、
ご協力よろしくお願い致します。
*尚、このアンケートは
ソーシャル・ネットワーキングサイトmixi
とは一切関係がございません。
東京大学文学部
行動文化学科社会心理学専修課程 4年
富田克人
担当教官:池田謙一
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投稿者 jun : 2006年10月30日 22:51
飛行機は通路側に限る
飛行機の座席は通路側にかぎる。
東京への飛行機、3席並びの真ん中の席になった。いつもは通路側をお願いしているのだけれど、席とれず。嫌な予感。
予感的中。僕の右隣のおねえさんが、いきなり、ゲ○を吐いた。のる前から、なんか、気分悪かったらしい。
「すみません、すみません」と申し訳なさそうに言っている。確かに揺れたからなぁ。同情する。が、謝るのはもういいから、袋をちゃんと持っていてくれ。
飛行機は無情にもなおも上昇中。かなり揺れている。シートベルト着用のサインが点灯中なので、どうすることもできない。
追い打ちをかけて、僕の左隣の高校生の男の子が「もらいゲ○」。
オマエ、小学生じゃないんだから、耐えろよ、バカヤロー。ただでさえ、キツイのに、男のオマエが「もらいゲ○」してどーする。女性には同情するが、わたくし、野郎には容赦ない。
リャンメン・ゲ○攻撃の中、真ん中の席で僕はひとり耐える。オイニー、キツい。この体、朽ち果てそうになる。
これだから、真ん中はイヤだ。
飛行機は通路側に限るぜ。
投稿者 jun : 2006年10月30日 08:47
右肩下がりの日本の教育予算?
林さん@東京大学大学院M0(エムゼロ・来年、修士課程に進学する方のこと)が、日本の教育予算をグラフ化なさっている。
減っていく日本の教育予算
http://rin.typepad.jp/edu/2006/10/post_513c.html
ここ数年のあいだに、日本の教育予算が減少していることが一目瞭然である。
もちろん林さんも述べているように、「教育問題の噴出」と「予算削減」を安易に因果関係で結ぶことには禁欲的にならなければならないことは当然のことである。
が、このように減少している理由はどのようなところにあるのか、は興味深い。専門でないので、僕は知らない。少子化のせい? 義務教育費国庫負担金の削減のせい? 教育行政学、教育経済が専門の方にぜひ、お聞きしたいところではある。
ちなみに、同僚の両角先生にお聞きした情報によると、フィンランドは、初等教育、中等教育、高等教育の3つの教育段階のうちで、とくに中等教育段階にかなりお金をかけているのだそうだ。「フィンランドの教育予算は、右肩あがり」という情報にプラスして考えると、モシロイ結果がえられるかも?
いやー、教育にはお金がかかる。
投稿者 jun : 2006年10月29日 18:53
ピアノの思い出
北海道の実家にいる。
実家にはいろいろと懐かしいものがあり、ここだけ時間が止まっているような感覚に、時に襲われる。
実際はもちろん錯覚だ。両親の頭髪は、久方ぶりに逢うたびに、白い模様を変えている。時間が止まっていることは、断じてない。
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リビングにあるピアノに触れてみる。今から25年前に両親が僕のために買ってくれたピアノだ。蓋をあけたら、少し埃の匂いがした。
ポンと鍵盤をはじく。ピアノから音がもれた。「ドの鍵盤」から、「ドの音」がでてればいいのだけれども、もう使う人間のいなくなったピアノからは、少しだけ低い音がでた。
きっと、僕が家をでて、おそらく十数年、調律をしていないんだろうと思う。もうこの家に、ピアノを弾く人は誰もいない。たまに帰ってくる子どもが、懐かしがって鍵盤をはじくくらいだ。
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ちょっと弾いてみるか、と腰をあげた。こんなに鍵盤って重かったんだなぁとあらためて思った。重い鍵盤に運指はぎこちなく。両手は強張って、もうどうにもならない。
まぁ、僕はピアニストではない。メロディだけでもいいだろう。好きな曲を、いい加減に弾いてみた。
シューベルト・セレナーデ
http://www.piano.or.jp/enc/audio/izumi/sbrt_srnd.m3u
ベートーベン・月光
http://homepage2.nifty.com/sakura-classic/midi-data/beethove/op27-2-1.mid
ショパン・ノクターン1番 OP.9-1
http://aqua.oheya.jp/mu/html/1.html
どれも思い出深い曲だ。その曲を弾いたときのこと、自分がそのとき何をしていたか、それにまつわる思い出が、走馬燈のように脳裏をかけめぐる。「音」は強力な記憶のクエリーであるようだ。
かつて、晴れた日に窓をあけて、ピアノをひくことが好きだった。僕は「譜面を読んでそのとおり弾くこと」、つまりは練習が嫌いだったので、あんまりうまくはなれなかったけれども、まぁ、思いついたときに、好きな調子で、自由気ままに弾いていた。
ここが田舎だからだろうか、ピアノを弾く男の子が珍しく、「ピアノをひくなんて、オマエは女みてーだ」と囃し立てられたこともあった。うるせー、ボケナス。
練習があまり好きではなかったので、何度かやめようと思ったこともあった。「僕、ピアノをやめたい」・・・そう言ったときの両親の悲しい顔が、まだ忘れられない・・・・今になって考えたら、ローンが残っていたからかな(笑)
ともかく、今となっては、ピアノをやっていて、本当によかったと思っている。
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先日、ある人から「もう一度、ピアノをはじめた」と話をうかがった。仕事の忙しい合間をぬって、何とかかんとか練習をしているんだという。そういえば、僕の学部時代の指導教官は、定年間近でフルートをはじめた。早朝、彼の研究室からは、フルートの音が響いていた。そういう人は少なくないんだろう。
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僕も、もう一度、やってみようかな・・・と少しだけ考えた。
できるかな。
いや、辛いかな・・・。
どうかな・・・
答えはペンディング。
とりあえず、明日、東京に戻る。
投稿者 jun : 2006年10月28日 23:50
フィンランドの教育の秘密
関さんの「そよ風」というブログに、「世界一の高い学力と学習意欲を誇るフィンランドの教育」という講演の抄録がのっていた。勉強になったので、下記引用させていただきます。
そよ風
http://seki-kouichi.cocolog-nifty.com/
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◆学校での日常生活が子どもたちの学習と快適さをサポート
・インタラクティブで協力的な作業方法:パートナーシップという考え方
◆地域格差のない教育
・学校ごとの成績格差はわずか5%
・数学的リテラシーは全国で同一レベル
・フィンランドの好成績は、出来のよくない生徒が高い成績であることによる
(上記、blogより一部を引用)
---
標準テストの好成績から一躍注目されるようになったフィンランド。教育規模も制度も違うフィンランドの教育現場の手法を、そのまま日本に適用することはできぬものの、上記の指摘はなるほど、と思った。
個人的には、特に「出来のよくない生徒が高い成績を維持できるのは」なぜか、ということに興味がある。もし、それに教育の技術・手法が少なからず役にたっているとするならば、それは「・インタラクティブで協力的な作業方法:パートナーシップという考え方」にあるのではないだろうか、と考えてみた。もちろん、これはジャスト・仮説。日本の授業だって、小学校段階では、相当インタラクティブでコアポレィティヴである(米国授業との比較研究がある)。本当のところは検証する必要がある。
それにしても、関さんがフィンランドの成功の秘訣としてかかげているポイントに、「職業としても尊敬される教師という立場」がある、のは全くの同感だ。いわれのない批判、肥大化する保護者の欲望に迫られては、ディグニティをともなった指導は難しくなると思う。
投稿者 jun : 2006年10月28日 08:12
新庄と落合:なぜ僕は彼らが好きなのか?
ふだんは野球を見る機会が少ないのですけれども、なぜか、日本ハムの優勝はとても嬉しいです。それは、僕が、たまに「新庄」に似ていると言われるせいでしょうか(ファンの方は怒るかもしれないのですが、3日に1回はそう言われます・・・似てるか?・・・ごめんなさい)、それとも、僕が北海道で生まれたせいでしょうか。とにかく、なんだか「理由のない親近感」を感じるのです。
思うに、新庄選手は、「見せ方」を意識した最初の野球選手であるように思います。一般に、野球選手のイメージといえば、誠実、実直という感じで、「見せ方」「演出」という言葉、イメージからはほど遠い。しかし、彼は違った。徹底的に「見せ方」にこだわりました。そこが、僕にとっては魅力的です。いいねー。
考えてみると、僕が好きな野球選手っていうのは「変な人」です。僕が好きなのは決して、「王」「長島」ではありません。「変な人」というと語弊がありますね。「オリジナリティのある人」です。
「新庄」をのぞいて、僕が、今まで一番好きだった選手は「落合」です。新庄選手が「見せ方」にこだわった選手であったのなら、落合がこだわったのは「報酬」だったように思います。落合は、野球選手ではじめて「要は金だよ」と言い切った選手と思います。それもわざと偽悪的な態度をとって。そこが魅力を感じます。ブラボー。
落合選手に関しては、悪くいう人もいらっしゃいますが、そういう落合選手のパフォーマンスのおかげで、野球選手の年俸、待遇が飛躍的にあがったことは、誰しも認めることだと思います。彼は、野球選手の市場価値を高めた。そして、オリジナリティのある人だった。そこが、スゲーなと思います。
考えてみると、今回の試合は、落合 vs 新庄だったんですね。僕の中での「好きな野球選手」二人がたたかった試合とも言えるのですね。そう考えると、ドラマティックだな。
まぁ、勝負はつきました。
今後、新庄選手は、どこに向かうのでしょうか。カミサンによると「彼は、第二のみのもんたをめざす」らしいですが、ホンマかいな。
まぁ、いいです。とにかく優勝おめでとうございました。今後も、日本中に明るい話題を振りまいてほしいものですね。お疲れさま。
投稿者 jun : 2006年10月27日 19:30
オープンリサーチフォーラム「現代リアル学」
慶應SFCの年に一度のイベント「オープンリサーチフォーラム」が今年も開催される。
オープンリサーチフォーラム
http://orf.sfc.keio.ac.jp/
フォーラムの内容はまだ詳しいところは見ていないのだけれども、竹中平蔵氏などもでる予定らしい。今年もドカーンと派手にやるのだろう。
Webのデザインが可愛い。使いやすいかどうかは別にして、ノートをめくるところがリアルで気に入った。「現代リアル学」っていうコピーもいいなぁ。演出、うまいなぁ。
投稿者 jun : 2006年10月27日 05:55
専修免許と給与
昨日、僕はブログに下記のようなヘルプメッセージを書きました。
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日本の場合、教員の方が大学院を修了して、専修免許を取得して現場に戻った場合、収入は年間でいくらほど増えるのでしょうか。今、原稿を書いているのですが・・・・なかなか資料が見つからず困っています。アメリカの場合は、僕の知り合いが、60万ほど増えるといっていました。
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この質問に対して、Gorotsukyさんからのコメントに加え、何件かの現場の先生方の経験をいただきました。お忙しいところ、本当にありがとうございました。
Gorotsukyさんのコメント
http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/10/post_448.html#comments
また、行政を担っている方からも情報をいただきました。ありがとうございました。余談ですが、現場の先生方の多忙化も問題になっていますが、彼らも、毎夜深夜3時4時まで仕事をしています・・・。その仕事ぶりは本当に頭が下がります。
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この問題、結論はどうかと申しますと、下記にまとめられます。
1.そもそも免許状の種類と給料は連動する仕組みになっていない。給料が連動するのは、「採用時の学歴」である。
2.採用時、学部卒か院卒かで、初任時の号俸が異なる。一方、一回採用されてしまった後で、修士や博士をとっても号俸は変わらない。
3.これは現在、各都道府県の給与規則で決まっている。ということは、要するに都道府県の判断によって、優遇措置を実施できることもできる。
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ただ、Gorotsukyさんのいうように、管理職登用の際には優遇される可能性があったり、大学院がそのキャリアパスとして機能している県もあるようですので、あまり一概には言えません。
まぁ「学歴と給与があまり連動しないこと」は、教育に限らず、日本社会では、どの領域でも多かれ少なかれ、そういうものです。アメリカでは、MBAを取得すると、大学院によっては給与が260%あがります(これも格差があります・・・有名大学のMBAでは、それだけあがりますが、地方大学のMBAでは、あまりあがりません)。対して、日本ではあまりそういう事例は聞きません。それと同じことです。
もちろん、こうしたあり方が、よいことなのか、ということに関しては議論が分かれるところでしょうけど。皆さんは、どう思われますか。
投稿者 jun : 2006年10月26日 08:30
工学部離れが止まらない・・・
工学部離れが深刻なようですね。
工学部離れ
http://www.excite.co.jp/News/society/20061025150100/20061025E40.056.html
先日、ある大学の工学部の先生に聞いた話では、特にエレクトロニクス、IT関係が危ないとのことでした。今、工学部の中で何とか持ちこたえているのは、ロボットと生命工学関連だとか。とても深刻だそうです。
ある先生は、
「学問には流行り廃りがある。だから、長期的な視野にたつこと、自分のやりたいことを見いだして打ち込むことが重要だ。安易に、近年の流行り廃りにのせられると、自分が一番油の乗るころには、さっぱり、その領域はふるわない、ということがありえる。それに流行っているところには、たくさん人がいる。ということは、非常に競争だって激しくなるし、多くの場合、教員の目が行き届かなくなる。何が得になるかは、よく考える必要がある」
とおっしゃっていました。僕も全く同感です。
この工学部離れの動き、どこまで進行するか。しばらく注意深くウォッチしていく必要がありそうです。
投稿者 jun : 2006年10月25日 20:42
恋の策士
先日、機内の映画サービスで、久しぶりに「寅さん」を見たんですよね。シリーズ第29作「寅次郎 あじさいの恋」という作品です。
あらすじを簡潔に言いますと、ひょんなことがきっかけで出会った「陶芸の大先生」のところにいるお手伝いの女性に、寅さんが惚れるという筋書きです。
寅次郎 あじさいの恋
http://kazekobo.cool.ne.jp/torasan/29.htm
でも、この作品、寅さんシリーズには珍しく、かがり(いしだあゆみ)という名前のマドンナの方から、積極的にリードする作品なのですね。で、この「かがり」がなかなかの「くせ者」でした。
押しては引き、ひいては押す。笑い顔の奥に、寂しさがすける。そうね、「たゆたう波」のような攻めをしかけてきます。恋の策士だな。
でも、決して嫌みなわけではないのです。断じて違う。清楚でいて、非常に思慮深い。だから、そうであるからこそ、余計に難しい。うーん、やっぱり、「くせ者」です(笑)。セクシーなんだけど、この上なくデンジャラスな香りがします。
そういえば、昔はやった歌に、古内東子の「誰より好きなのに」という歌がありましたね。
---
やさしくされると切なくなる
冷たくされると泣きたくなる
(中略)
追いかけられると逃げたくなる
背を向けられると不安になる
誰より好きなのに
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男の方からすれば、「えーい、どないせーっちゅうねん?」とアタマをかきむしりたくなる状況ですね。なんか、これに似てるよなと思いました。寅さんも、結構、困っていた。
「あじさいの恋」も、最後はいつものおきまりのパターンなのですが、まぁ、結構、見ていて切ない。「あーすっきり」というのじゃなくて、「おー、寅さん、悩ましいねぇ」と思ってしまった。まぁ、そんな寅さんシリーズもよいのいかもしれませんけど。
これを機会に、他の寅さん作品も見てみようかな、と思いました。恥ずかしながら、数本しか今まで見たことはありません。休日にでも、レンタルビデオで借りてね。ただ、作品たくさんあるからな。どの作品から見ればいいのかな、と迷っちゃうけどねぇ。
今まで、「24」と「寅さん」だけは手をつけなかったのですよね。絶対に、エンドレス地獄にハマるから。途中でやめられない気がしているのです。でも、最初から全部は見る時間がないしなぁ・・・。
悩ましいねぇ。なんかいいアイデアがあるとよいのだけれども。
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追伸.
しかめっ面をした人間国宝の先生に向かって、寅さんがタンカをきるシーンがあります。そのときの寅さんの台詞が気に入った。大学で流行させよう。
だめだよ、そんなウ●コ食べたような顔しちゃ!
31にもなって、相変わらず、僕は、品がありません。
---
追伸.
どなたか、ひとつ教えていただけませんでしょうか。日本の場合、教員の方が大学院を修了して、専修免許を取得して現場に戻った場合、収入は年間でいくらほど増えるのでしょうか。今、原稿を書いているのですが・・・・なかなか資料が見つからず困っています。アメリカの場合は、僕の知り合いが、60万ほど増えるといっていました。アメリカの公式資料も探しているのですが・・・。
投稿者 jun : 2006年10月25日 07:47
脳ブームの危うさ
非常に勉強になった。理研の津本先生が、最近の「脳ブーム」に警鐘を鳴らす。
「脳」ブームの危うさ
http://www.brain.riken.jp/bsi-news/bsinews33/no33/network.html
こういうのは過去にもあったのだ、とまず驚いた。
かつては、「大脳に対する興奮性作用の発見という科学的な観察結果」が「脳の働きを良くする」という風に論理をすりかえられた、のだという。これにならっていうと、現代の論理飛躍は、なんと表現できるだろうか。
歴史は繰り返す?
投稿者 jun : 2006年10月24日 20:29
ノートンが「致命的なエラー」をだすまえに
朝から会議。ここ1ヶ月ほどペンディングになっていた計画をGOせよとのお達しがでた。いよいよ、新組織作りに着手である。ドラスティックに身辺が変わる予感。何とかかんとか、頑張ろう。
学外にでて会議。大変面白かったのだが、守秘義務があるので、何が面白かったかは書けない。残念。
朝から体調不良(風邪?ハラ痛い)のため、午後7時からの学内会議をドタキャンさせていただき、帰宅、お薬服用。本当に申し訳ないことをしたと思う。
今日、骨の髄まで疲れました。もう一ミリも体力、脳力は残っていません。明日は一日研究会、大学。早く寝ます。ここで休まないと、ノートン、「致命的なエラー」をだしてくるぞ。
おやすみなさい。
投稿者 jun : 2006年10月24日 20:09
私は今日まで生きてみました・・・・吉田拓郎つま恋コンサート
昨日夜10時のNHK番組「吉田拓郎&かぐや姫 コンサート イン つま恋2006」を見た。当時、29歳だった吉田拓郎が、静岡県掛川市つま恋の山間部で開催したコンサートのリバイバル。
瞬目すぎて、それから31年・・・。当時若かった彼も、いまや齢六十に達した。否、年を重ねたのは、吉田拓郎だけではない。当時は10代、20代であった観客の多くも、40代、50代になった。観客の平均年齢は49歳であったという。
---
僕は、ベスト盤でしか吉田拓郎を知らない。高校時代、長渕剛をコピーした時代があって、その頃に吉田拓郎を知った。なにせ、今から31年前・・・1975年は、僕の生まれた年だ。僕の趣味がいくら渋くても、「生まれたときから吉田拓郎ファン」というのは、あんまりだと思う。
僕の生まれた1975年は、イデオロギーが色あせてきた時代だったという。かつてフォークの象徴とされた安保、ベ平連運動が下火になり、人々の関心が「自由」「個人」にうつってきた時代であった。
世の中の流れに敏感なシンガーは「イデオロギー」ではなく、「自由」「恋愛」の歌を始めた。そんなとき彗星のようにあらわれてきたのが、吉田拓郎であったという。
吉田拓郎は歌う。
---
これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか
信じるものがあったとしても信じない素振り
悲しい涙を流している人はきれいなものでしょうね
涙をこらえて笑っている人はきれいなものでしょうね
(イメージの詩)
土産にもらったサイコロふたつ。
手のなかで振れば、また振り出しに…
もどるたびに、日が沈んでゆく
(落陽)
僕の髪が 肩までのびて
君と同じになったら
約束どおり 町の教会で
結婚しようよ
(結婚しようよ)
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ラスト。50代を目前に控えた大観衆に向かって、吉田拓郎はこの選曲で、長い長いコンサートの幕を閉じた。
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
(今日までそして明日から)
---
かくして、31年前は夜通し行われたコンサートも、午後9時30分をもって終了した。みんな年をとっているのだ。
ラストの感動的な映像、ステージの吉田拓郎や観客のおじさんたちを見ていて、
「この人たちの30年って、本当にあっという間だったんだろうな」
と思った。
老いは誰しも平等に迎える。
そして人生は続く。
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あなたの会社に、人を育てる科学はありますか?
中原・荒木・北村・長岡・橋本著「企業内人材育成入門」、ダイアモンド社より、好評発売中です!ぜひ、ご一読いただければ幸いです。
投稿者 jun : 2006年10月24日 09:15
大学教員のFD義務化
いろいろなブログで話題になっている、大学教員FD(ファカルティ・ディヴェロップメント)の義務化。
FDが「それってフロッピーディスク?」と呼ばれていた日は過去のものになるかも。
少なくとも、各大学がFD整備に走るのは必至。本学はどうなるのだろうか。
大学教員の研修義務化
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2607675/detail?rd
---
あなたの会社に、人を育てる科学はありますか?
中原・荒木・北村・長岡・橋本著「企業内人材育成入門」、ダイアモンド社より、好評発売中です!ぜひ、ご一読いただければ幸いです。
投稿者 jun : 2006年10月23日 20:22
肉が焼けるのも待てない日本人
アメリカのレストランで「おひとりさま」で食事を楽しんでいたときのこと。まだ時間が早かったせいもあり、僕以外には客はおらず、ウェイターと少し話し込んだ。そのときに、彼が言っていたことが、印象深かった。
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日本人は、「せっかち」だと思うよ。レストランに入るなり、すぐに僕たちをつかまえて、注文を急ぐ。少し料理がくるのが遅くなったら、すぐに”大丈夫?オーダー通ってる?”と確認してくる。会計も、食べたらすぐに手をあげて、すませようとする。本当に「忙しい」んだ。
だから、僕はそういうのがわかっているから、日本人のお客さんのときには、アメリカ人のお客のときの2分の1くらいの時間で、テーブルに注文をとりにいくことにしている。
注文を決めたり、食べたり、会計を待ったりすることに、アメリカ人は、日本人の2倍くらい時間をかけるんじゃないだろうか。
そういう意味では、アメリカ人は、ほっときゃいいんだ。彼らは「待つ」から。でも、日本人は「待てない」。
厨房の奴らは、口が悪いからね。「肉が焼けるのも待てない日本人」って言ってるけど。
▼
あとね、日本人のお客さんで、困るのは声の大きさなんだ。レストランでの会話って、少しトーンを落として、ゆっくり話すものでしょう。すこし照明もおちているし。
でも、日本人のお客さんは、本当に声がでかい。店の全員に聞こえるような声の大きさでしゃべるんだ。それは困る。
---
彼は僕を韓国人だと思っている(笑)。
だから、正直に日本人について感想に述べているのだけど、こういうのを聞くと、ちょっとドキッとしますよね。「早弁早グ●」をモットーとするヒトも多い国だからね、そりゃ、ある意味、仕方ないような気もするけれど。
まぁ、食べるときくらい、時間をかけて、余韻を楽しめってことなんだろうね。
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あなたの会社に、人を育てる科学はありますか?
中原・荒木・北村・長岡・橋本著「企業内人材育成入門」、ダイアモンド社より、好評発売中です!ぜひ、ご一読いただければ幸いです。
投稿者 jun : 2006年10月23日 07:58
意味こそ戦争!:功名が辻に思う。
NHK大河ドラマ「功名が辻」を毎週楽しく見ている。忠実に歴史の流れをドラマ上で再現するのではなく、取捨選択をする。あくまで「山内一豊」「千代」の目線から - それが功名とは何か、ということなのだろう - 信長、秀吉、家康の乱世を描く。絶妙な演出にいつも舌をまく。
ドラマの中での山内一豊の葛藤、そして信長、秀吉、家康の人物イメージは、そのまま現世を生きるわたしたちの煩悩、そして日常の風景に直結している。
日本中で何十万人の人々が、ドラマの登場人物の「誰か」に自分を重ねて見ているのだろう。
「オレにはカズトヨの気持ちがわかるよ、彼はオレみたいだ」
「僕の上司は、秀吉みたいに調子のいいやつだなぁ」
日曜日の8時は、そんな風にして終わる。月曜日、また新しい週がはじまる。
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いよいよ物語はクライマックスに入ってきている。関ヶ原の合戦前夜。秀吉死して、家康がまさに実権を握ろうとしているちょうどそのときである。
実力ではすでに家康は日本を治めている。しかし、彼が名実ともに政権を掌握するには、建前がいる。そして諸国に散在する反家康派の大名たちを叩く必要がある。戦がどうしても必要なのだ。
家康は、戦の大義名分をさがす。実直な石田三成、それに続く大名をうまく挙兵させ、秀頼をあくまでたてた上で、彼らをたたけば、もう家康に抗する人間はいない。あの手この手を使って、家康は諸大名達を揺する。この老獪さが、面白くてたまらない。
孫子の兵法にいう。
兵とは詭道なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれを驕らせ・・・
家康の戦略は、まさに、この「詭道」そのものであった。実直な石田三成は、これに翻弄される。
けだし、戦いは、兵の数ではない。大義名分、すなわち「戦う意味」である。「戦う意味」を賢明に練り上げることのできる人間が、最後は勝つ。これは現代戦争にも通じることである。
意味の戦い・・・必要なのは老獪さである。
今日の午後8時が待ち遠しい。
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投稿者 jun : 2006年10月22日 08:05
働いても働いても、生活楽にならず:野菜の値段
新しい街に引っ越して、もう数週間がたとうとしてます。まだ慣れないね、全然。どこに何があるんだか、どの道がどこに続いているのか、本当にわかりません。「水曜スペシャル、川口浩探検隊」のように、街を探検する週末が続いています(笑・・・古い)。
さて、散歩をしていて、ひとつ気がついたことがあります。しょーもないことなのですが。
何かっていうとね、野菜の値段なんです。生活感ある話題だねー。でも、野菜の値段がね、駅から同心円を描くように、外部にいけばいくほど、安くなっているってことに気づきました。みんな知っていること?常識ですか?
一番高いのは、駅の中にあるスーパー。ここは、本当に便利です。だって改札をでたら、すぐに入り口ですから。そして、一番ここが高い。
お次は、某大手スーパー、ヨーカードーです。ここはだいたい駅中スーパーの8がけでしょうか。ここは僕の家から5分程度でしょうか。まぁ、悪くない距離ですが、決して近すぎるってわけでもない。
そして一番安いのは住宅地にある八百屋さん。自宅からは歩いて10分はあります。ここまで行くのは容易ではありません。特に今は、ほら、道知らないから。ここにいくまで、途中で、行き倒れる可能性がある。言うたら、西遊記でいうところの「天竺」みたいなところです。
ここは、駅中スーパーのだいたい6ガケくらいのお値段だと思います。一山に盛りつけられてる野菜の量も半端じゃなく多い。
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いやぁ、同じ野菜なのに、こんなに違うんだって、改めてびっくりしました。今まですんでいたところでは、ひとつのスーパーにしか行かなかったから、それに気づかなかった。つーか、野菜の原価はいくらなのかね。値段の何分の一なんだろう。
でも、我が家は二人とも働いている。だから、時間がないので、やっぱり高いところで買わざるをえないんだよねぇ。疲労困憊して帰ってきて、やっぱり遠方まで野菜買いに行く元気はないもんね。行き倒れるで。
要するに「働いても働いても、生活楽にならず」ということですね。うまくできてるなぁ、と思いました。なんだ、そういうことかよ。どーりで、いっつも財布にレシートしか入ってねーぞ、と思った。
今日は天気いいからね、ちょっと散歩がてら、遠くの野菜でも買いにいくかね。それが一番かしこいね、こんな日は。冒険だ。
ではっ(M君風)
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投稿者 jun : 2006年10月21日 12:38
企業内人材育成入門、AMAZONで予約受付開始!
とうとうAMAZONで予約受付がはじまりました。
中原淳(編著)・荒木淳子・北村士朗・長岡健・橋本諭(著)(2006). 企業内人材育成入門. ダイアモンド社, 東京 (ISBN : 4478440557)
内容は下記のとおりです。
企業の人材育成担当の方から、急に新人を指導しなければならなくなった方まで、企業で教育に「関係」するすべての方におすすめできる一冊に仕上がったのではないかと自負しております。この一冊で、「人を育てる科学」の基礎理論の全体像を把握いただけるのではないでしょうか。
ぜひ、ご一読いただければ幸いです。
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序章 「企業は人なり」とは言うけれど
コラム コーポレートユニバーシティ
コラム eラーニング
1章 学習のメカニズム
1.1.人生いろいろ、学びもいろいろ
(行動主義、認知主義、状況主義)
1.2.講義は忘れ去られる運命にある!?
(長期記憶、短期記憶、二重貯蔵モデル)
1.3.協調学習は仲良しゲームじゃない!?
(協調学習理論)
1.4.オトナのマナビかた
(成人学習理論)
1.5.物語を通して学ぶ
(ナラティヴモード、パラディグマティックモード
ゴールベースドシナリオ)
1.6.誰でもはじめは初学者だった
(熟達化とは何か?)
コラム コーチング
2章 学習モデル
2.1.教育と学習は違うのか
(Laveの正統的周辺参加論)
2.2.学習転移モデル:基礎から応用へ
(正の転移、負の転移)
2.3.経験学習モデル:マイセオリーづくりを支援する
(kolbの学習理論)
2.4.批判的学習モデル:教育の中身を決めるのは誰か
2.5.正統的周辺参加モデル:学習と仕事の境界線
コラム アクションラーニング
3章 動機論
3.1.人はそもそもやる気に満ちている!?
(動機心理学の歴史)
3.2.外側からのやる気、内側からのやる気
(内発的動機、外発的動機)
3.3.「やる気のなさ」は学習される!?
(学習性無気力)
3.4.やる気を高める方法
(ARCSモデル)
3.5.我を忘れて没頭する
(チクセントミハイのフロー理論)
コラム ニートとフリーター
4章 インストラクショナルデザイン
4.1.効果的な研修をつくるには?:
インストラクショナルデザインの利用
4.2.しょっぱなダメなら皆コケる:教育目標の分析
4.3.教材づくりには順番がある:ADDIEモデルを意識せよ
4.4.何を指針にどのような教材をつくるのか?:
学習支援理論を知る
4.5.明日のために評価せよ!
コラム 成果主義
5章 学習環境デザイン論
5.1.環境に目を向けろ!:
インストラクショナルデザインとの違い
5.2.学習環境デザインの理論家たち
(Lave、エンゲストロームなど)
5.3.学習者のコミュニティ
(ウェンガーの実践共同体)
5.4.知識創造という考え方
(野中郁次郎の知識創造理論)
5.5.2つのデザインを行き来して
(IDと学習環境デザインの違いと併用)
コラム ナレッジ・マネジメント
6章 評価論
6.1.なぜ評価は必要か?
6.2.かたちづくるための評価!?
(Formative Evaluation)
6.3.何を評価するのか?
コラム リーダーシップ教育
7章 キャリア開発論
7.1.なぜ今キャリア開発なのか?
7.2.自分らしさとサバイバル
7.3.節目で一皮むける
7.4.計画された偶然性
7.5.コミュニティを見つける
コラム キャリアデザイン事例
8章 企業教育の政治力学
8.1.教育は神聖な活動か?
8.2.企業教育で売り上げは上がるのか?
8.3.外部講師のサバイバル戦略を見極める
8.4.研修を受けるのもシゴトのうち
8.5.人材育成担当者はどう評価されるのか
コラム 企業DNA
コラム 早期退職防止
終章 人材育成の明日
コラム 企業を超えて広がる人と人との新たな結びつき:
コミュニティ・オブ・プラクティス
コラム さらに深く学びたい人のために
次の一歩を踏み出す<あなた>
に贈るブックガイド
あとがき
著者紹介
投稿者 jun : 2006年10月19日 18:57
真犯人を捜せ!:タワーレコードを殺したのは誰か
プレジデント10月16日号の「米国タワーレコードを殺したのは誰か」という記事はオモシロかった(同誌p31より適宜引用)。
要約すると下記のとおり。
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米国タワーレコードは、8月20日事実上倒産した。日本では、同社の倒産は「iTunesなどの音楽ネット配信急増」がその理由としてかかげられていたそうだが、実は、それは真相とは全く異なるのだという。iTunesはえん罪。タワーレコード殺人(殺会社?)の真犯人は、別の人物だった。
同誌によると、米国の消費者が音楽を購入するのは、39.4%がタワーレコードなどのCDショップ。それに続くのは、ウォルマートなどの大規模小売店が32%、アマゾンなどの通販が8.2%だという。タワレコ倒産のひきがねとなったiTunesは6%でしかないのだという。
記事によると、タワーレコードを苦しめたのは、第二位の販売チャネルであるウォルマートだという。大規模小売店は、CDの値引きを行う。かつてタワーレコードなどの専門ショップでCDを購入していた層が、大量に大規模小売店に流れたのだという。
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ネットの世界がどんなに覇権をにぎろうとも、それを購入する層は、いまだ限られている。故に、ネットの世界が、フィジカルなマーケティングを駆逐するというのは、よほどのことがないかぎり、なかなか起こらない。
しかし、ネットをよく利用する層、ネットの世界に詳しい人ほど、この手の原因帰属の錯誤を引き超しやすいから気をつけなければならない。ネットがすべてだ、すべてはネットに駆逐される、とつい思いこんでしまう。
ネットをフルに利用しているのは、「自分のまわり」であることが多い。年を離れ、自分の年齢層から少し距離をおいてみれば、そのことはすぐにわかる。
今回はもしかすると、、メディアの方が「ウォルマートがタワレコを殺した」よりも「iTunesがタワレコを」の方が、ニュースバリューがあると考え、そう書いたのかもしれない。もちろん、これは邪推。事実は知らない。
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最近は、僕も、音楽はアマゾンで買うか、ほとんどiTunesで仕入れるかになった。
でも、子どもの頃死ぬほど通ったCDショップ(当時はまだレコードショップという名前だった)が消えていくのは、どこか寂しい気がする。
投稿者 jun : 2006年10月19日 17:50
ピクサー映画 「Cars(カーズ)」を見た!
機内でピクサー映画の「カーズ(Cars)」を見た。車がまるで「人間」のように生活をするファンタジーの世界のお話。
ピクサー映画「Cars(カーズ)」
http://www.pixar.com/jp/feature/cars/
カーレース界に新星のようにあらわれ、その実力から、あっという間にトップレースに躍り出たライトニングマックイーン。
しかし、彼には致命的な泣き所がある。カーレースはピットとのチームワークが重要であるのにもかかわらず、自己中心的な性格ゆえに、チームワークを維持できない(研究だってそうだ)。
マックイーンは、カリフォルニアで開催される最終レースに参加することになる。カーレース場めざし、一路、ハイウェイを西へ進路をとる。
しかし、ひょんなトラブルから、ルート66沿いのさびれた街、ラジエタースプリングスに迷い込むことになる。
カリフォルニアドリームを支えた栄光のルート66。かつて、多くのアメリカ人が、ここを通り、新天地をめざした。
しかし、そのルート66も、よりダイレクトに目的地につくことのできるハイウェイ43が完成したことにより、誰も見向きにしない道路になってしまう。マックイーンの迷い込んだ、ラジエタースプリングスの凋落は、ここからはじまった。
やがてマックイーンは、ラジエタースプリングスの住人たちとの交流を深め、次第に彼らからチームワーク、人とかかわることの重要性を学んでいく・・・。
ラジエタースプリングスを後にして、カリフォルニアに向かうマックイーン。そして、最後のレースがはじまった。
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あらすじは、だいたいこんなところだと思う。話はちょっとややこしいけれど、ピクサースタジオのアニメーションであるので、子どもでも楽しめると思う。
映画の中で、ひとつ印象的なシーンがあった。
ラジエタースプリングスの住人が、マックイーンに語りかけるシーン。
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ハイウェイ43とルート66。曲がりくねるルート66の10分を節約するために、ハイウェイができた。
昔は違った。今のように地形を切り裂くように道をつくろうとしたのではない。地形に沿うように道をつくった。
そして、昔の自動車は、後の楽しみのためにひたすら早く走るのではなく、楽しみながら走っていた。
昔は違った。
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「早い、安い、美味い」
これは某ファーストフードチェーンのキャッチコピー。「安いこと」よりも、「美味いこと」よりも、「早いこと」が何よりも優先される社会にわたしたちは生きている。
そして、一度、ハイウェイに慣れた人間は、下道のスピード感覚には戻れない。いや、戻ろうとしても、それに慣れること自体が、さらなるフラストレーションを生む。やっぱり戻れない。
このアニメーションは、子ども向けなんだろうけど、この言葉だけは、子どもに対して語りかけられたものではない気がした。
投稿者 jun : 2006年10月19日 15:15
今日は刺激を受けました!
「いやぁ、今日の○○先生のご講演、非常に刺激を受けました」
「先生の今日のワークショップは大変刺激的な内容でした」
よくこんな言葉を聞きます。
でも、教育や学習に携わる人であるならば、学習者の、こういう物言いを手放しで信用するのはいかがかな、と僕は思っています。
こういうのを、僕の言葉では、「お茶濁しランゲージ」といいます。糸井重里風にいうならば、「オトナ語」といってもかまわないかもしれません。どんなときにも使える言葉であるわけですね。
「既存の何にとって、どこが、どう刺激的だったのか」
「その刺激が、これからの何にとって、どういう意味があるのか」
「刺激を受けました」という言葉を聞いたら、いったん、それを思い切って棄却する。
その上で、もし時間があり、高い教育効果を狙おうとするのならば、「刺激を意味づける時間」を十分確保し、本人にそれに従事させる必要があると思うのです。
そうでなければ、「刺激」は新たな意味構成には至らないことが多いように思います。比喩的な言い方をすれば、「刺激」は「刺激」のままで終わる。
僕の経験でいえば、リフレクションが足りない場合に、「刺激を受けました」は頻発します。あるいは、スゴイカリスマが講演を行ったとき。
そういう場合、多くの発話者は、ほとんど何も考えていないか、あるいは受けた衝撃を消化できずにとまどっている。しかし、消化されない衝撃は、そこでストンとおちるのです。
全く学問的ではないですが、そう思います。
で、そういうときこそ、リフレクションの出番ではないでしょうか。記憶の定着にも結びつきますし、既存の知識と融合して、新たな意味が生まれる可能性がある。
刺激を受けました!
僕はこの言葉をきくたびに、ドキリとします。
投稿者 jun : 2006年10月18日 04:20
エビデンスを欲する&そうだ、世界は広いのだ!
朝5時。ジイさんのような目覚めのよさ。地獄ような思いをした昨日がウソのよう。
早速熱いシャワーにはいり、いつものスタバへ。ベーグルを食べようと思ったが、フードはまだ入ってきていないようだ。ABCストアに行っても、食べ物という食べ物はない。昨日の余波がまだ続いている。
朝っぱらキーノート。
Authentific Learningを大学教育で実現するには、何が重要か、という話であった。オーストラリアのジャンさんの発表。
Authentific learningっていうのは、オーセンティフィック・ラーニングと読みます。これは学会内でも大変議論の分かれる概念なのですが、ここではさしずめ、「社会にとって意義の深い内容を学習すること」という風に押さえてください。
ジャンさんは、オーセンティフィックラーニングを実現するための9つのデザインプリンシプル(設計原則)をまとめていました。
下記に記します。
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1.Authentific Context
「実際の生活で用いるような知識を求める文脈」で、学習者をまず動機づけることが重要だそうです。
2.Authentific Task
「学習者にクリアなゴールを設定すること」「現実の世界の複雑で、オープンエンドな(ill-defined)問いを設定すること」、そして「長い時間をかけてそれに取り組ませること」が重要だそうです。
3.Expert Performance
「専門家の知恵や意見にアクセスさせること」「様々な領域の、様々なレベルのExpertiseをもつ人にあわせること」「専門家から、ストーリーや語りを引き出し、それをシェアすること」が重要だそうです。
4.Multiple Perspective
「異なった視点からの仮説の検討」が重要だそうです。
5.Collaboration
「ある課題をグループに割り当てて、相互に貢献させ、グループとしての回答をださせること」が重要だそうです。たとえば、「共同で出版物をつくる(joint publication)」などのクリアな目標が必要です。
6.Articulation
「意見を表明する場」をつくることが重要です。Public presentationや、ディベートなどの機会でしょうか。
7.Reflection
「自分たちがくだした結論、選択に対してして、よく考えること」が重要です。reflectionは、通常、内省と訳されますが、それは「静かなプロセス」ではありません。あくまで複数の学習者たちが共同で取り組むことが重要です。
8.Scaffolding
「教師や他の学習者が、一人でできない部分を助けてあげること」が重要です。
9.Authentific Assesment
「課題に組み合わされた評価」・・・つまりは、学習者に別途課題を与え、そのパフォーマンスにしたがって、評価を行うことが重要です。普通評価というと、Separate Test(形式テスト)をすぐに思い起こしてしまいますが、それではダメだと言います。
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ジャンさんは言います。
「この9つの中でもっとも重要なことは、タスクの設定です。これにつきます。現実の問題に即して、複雑で、長期間時間をかけるにふさわしく、人によって多様な回答がでるようなタスクをいかに設定するか、が重要です」
これは、全く同感です。言葉を換えるのならば、Driving Questionの設定ということになるのでしょうが、このタスクの設定に、教育学者は最も注力します。
たとえば、僕が関与した共同研究に、「おやこdeサイエンス」というのがありますが、一番時間をかけたのは、このタスクの設定です。
カリキュラムに従って、学習者にどのタイミングで、どの課題をあたえ、何をoutcomeとして期待するか、僕らはそれだけを決めるのに、半年以上の時間をかけました。
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キーノートを聞いて思ったこと。
ジャンさんの上記9つの指摘は、これまでの学習科学の知見、あるいは、状況的認知アプローチの中ででてきた概念をまとめたものでしょう。よくまとまっていますし、その個別に異論はありません。
だけれども、少し欲を言えば、ここで指摘した9つのデザインプリンシプルは、「教育学者の中で自己完結して流通する知見」としてなら、こういう提示の仕方でいいのですけれども、お畑違い人も説得するのなら、エビデンスがやはり欲しいなぁと思ってしまいました。
これはすぐに自分に跳ね返ってくる問いなので、言うのははばかれるのですが、設計原則というからには、背後にエビデンスが欲しい。自戒をこめて言っています。深い反省のもとに。
たとえば、この9つをいきなり、全然お畑違いの天文学者、文学者、化学者、コンピュータサイエンティスト、医学者に提示したとして、彼らは納得するでしょうか。
「何いってやがる、黙って暗記すりゃいいんだよ」
と言われたら、なんと答えますか。
高等教育で役立つデザイン原則というからには、彼らを説得するデータがなければダメなのではないかと思っています。
大学は教育学者だけで構成されているのではありません。様々なディシプリンをもった人々がいます。彼らは強固な「わたしの教育論」をもっています。彼らに教育学者の中だけで通じる専門用語、その独特の理屈は通じません。
たとえば、Authentific Contextの違いによって、Taskの違いによって、学習にかける時間によって、どの程度パフォーマンスが違ってくるのでしょうか。
異なった視点を入れるのと、そうでないのでは、どうなのでしょう。教師の支援はどの程度までならOKなのでしょうか。
もちろん実験室研究のようにはいきませんし、それをする必要もありません。僕の言葉でいうならば、「中庸なリゴラスさ」です。
これらの変数によって、どのようにパフォーマンスが変わるのか、を説明できなければなりません。少なくとも、その研究のディレクトリをアタマの中にもっていなければならないと思うのです。
もちろん、ダイレクトに答えうる知見を見つけることは難しいのですけれども、これまでの学習科学、認知心理学の知見を集めれば、結構なことはいえるのでないかと個人的に思います。
これは僕の課題でもありますし、今後、さらに手持ちのエビデンスを増やしていきたいと思っています。仕事上、必要なのですよね。
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次にガラッと話題が変わります。
アフリカのインターネット事情に関する発表エントリーがありました。一言で要約すると、アフリカのインターネット事情は、ADSLや光が普及した先進国と比べると、まだまだ劣悪な状況にあるといえそうです。ちなみに、この調査はAccra, Ghanaで実施されたものです。
まず、サイバーカフェの接続テストでは、通常4分で閲覧可能な24個のWebサイトに接続するのに7分少々の時間がかかるそうです。先進国の2分の1くらいのスピードですね。
次に、男性専門職(もっともコンピュータリテラシーが高いと予想される)に対して行われた調査結果では、オフィスのコンピュータ接続スピードがFastである人は、17%、普通が37%、遅いが29%となっていました。ちなみに、63%の人が自宅でコンピュータを所有しているとのことです。
少ないデータではあるけれど、このことから何がimplyされるでしょうか。
月並みではありますが、少なくとも、アフリカを対象にした共同学習プログラム、あるいは、現地で使用する教育プログラムを開発する際には、かなり作り込みに注意しなければならない、ということはいえるでしょう。
アプリケーション、コンテンツの軽量化につぐ軽量化が必要になることは言うまでもありません。少なくとも上記のデータは、都市部で、かつ被験者が男性専門職である。もしかすると、そもそもネットワークを使うことがコレクトなのかどうかから考えなければならないと思いました。
世界は広いです。
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最後は「インドのe-learning、遠隔教育事情」。
インドといえば、近年、英語を武器にして、アメリカや日本からのオフショアリングによるIT産業の勃興が注目されているから、さぞ、スゴイんだろうな、と思っていました。
が、筆者らは僕の予想を裏切る事実を指摘していました。一言でいうと、
「インドってのは広いんだよ、メディアで注目されているインドはほんの一部よ。そんなんでインドを語ってもらっちゃ困るんだよ、ベイビー」
ということになります。
筆者は言います。
「インドではインターネットなんて全然普及していない。万が一接続できていたとしても、データの転送速度には問題があるし、電話なんてブツブツ切れてしまう。
e-learningなんてどころじゃない。そもそも、e-learningとはいうけれど、ハードウェアもソフトウェアの知識もないインドの人に、それを操作することはかなり難しいだろう。
ちなみに、インドのインターネット利用者数は0.5%。これはタイの26%、中国の27%から比べても低すぎる。
そもそも電話を契約するのに8ヶ月待たされる。テレビの保有率は1000人中80名しかない。インドっていっても広いんだ」
メディアで伝えられるインドの姿とのあまりのギャップに少し驚きました。が、実際はきっとそのようなものなのでしょう。
うーん、世界は広い。
投稿者 jun : 2006年10月17日 15:00
大停電で考えた:ハワイの地震
ハワイ島のM6.6の地震、そして、それによって引き起こされた「ホノルル大停電」。僕は、何の因果かそこに居合わせました。
今から考えれば、わずか十数時間の出来事でしたが、本当にスゴイ経験をしたように思います。
下記、長くはなりますが、今日の「出来事」をゆっくりリフレクションしながら書きたいと思います。
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■午前5:50
いつものように早い朝食をとりに、スターバックスにいきます。お決まりの食事。ベーグル+アールグレイ。これさえあれば、僕は生きていける。ベーグルは本当にアメリカのものは美味しいですね。日本はベーグルではアメリカに完敗です。モチモチ感が違う。
店内は早朝なのにたくさんの人がいます。みんなリラックスしている。新聞を読みます。続けて学会のプロシーディングス。・・・今日もいろいろとあるねぇ・・・とりとめて変わったことのない普通の日々になるはずでした。
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■午前7時未明
スターバックスから帰ってきます。東京とメールのやりとり、電話など。海外出張中とはいえ、処理しなければならない原稿、案件がヤマのようにあります。仕事を粛々とこなします。
ところが・・・・
ガーンという横揺れ。
突然、震度3から4程度でしょうか。
とはいえ、東京ではこんな地震はなれっこになっているので、「またいつものがきたか」とくらいしか思いません。
しかし、そのうち電気がダウン。電気が消えると部屋は暗闇につつまれます。パソコンのLCDモニタだけが、ボーッと青白い不気味な光をだしている。何だか少し怖くなります。僕は、自慢じゃないけど、恐がりなのです。
突然、ホテル全体にサイレンがなりひびきます。廊下にでると、何人かのお客さんが顔を見合わしている。「どーする、いかなくてもいいんじゃない」・・・という風に、何人かの人たちが話しています。
警告音が大きくなってきました。
ウィーンウィーン。日本のサイレントはちょっと違うのですね。
そのうち避難を開始する人がでてきます。非常階段を下りてドタドタ、なんだどうなってるんだ、としゃべりながら1階へ。
ところが、外はものすごい豪雨です。今日はもともと雷雨の予報でした。でも、ここは仕方がありません。どしゃぶりの中、外へ。お客さんは、皆、かなりぬれています。
投稿者 jun : 2006年10月16日 19:38
ハワイ大停電・・・そして復活
ハワイ、午前8時?頃、M6.6の地震。全島停電。信号機停止、すべて停止です。コンビニエンスストアには長蛇の列。水や食料を買い求めている。ホテルは水の供給がストップ。「大」にいきたくなったら、どうなるんでしょうか・・・阿鼻叫喚必至。午前4時、小さな非常用蛍光ランプが配布されました。真っ暗になります。まさにブラックアウト。暗いの怖いよー、お化けでるよ(笑)。それにしても、チクショー。海外出張中とはいえ、僕には、今やらなければならぬことがたくさんあるのです・・・このクソ忙しいときに、なんで停電やねん。
(13時間後)
・・・13時間ぶりに、電気復活。ストリートからわき起こる人々の歓声と拍手!これほど、僕は不安だったことありません。そして嬉しかったことありません。
明るいっていいね。電気があるってことは素晴らしいことなんだね。僕はいろいろ悟りました。疲れた果てたけど、体調は悪くはありません。間に合ってよかった。この顛末は、今度、ゆっくり時間があるときにでも書きます。いろいろ考えさせられたよ・・・全く。
こんなこともある。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2006年10月16日 15:58
オンラインコースは、高校生のドロップアウトを救うか?
先日のEDUCAUSEに続いて、e-learnという国際会議に参加しています。行政、健康福祉領域、高等教育、企業・・・様々な領域のe-learningをテーマにした国際会議で、毎年全米各地で開催されています。荒削りではありますが、そのときどきの最新の動向が把握できるよい機会だと思います。
朝っぱらからキーノート(でも時差ぼけで、いつも僕が起きるのは4時・・・だから朝っぱらでもない)。今日は、北米オンラインラーニング協議会(North America Council for Online Learning)のCEO、Susan Patrickさんの発表でした。
NACOLは、オンラインラーニングに関して、リサーチやトレーニングなどの推進活動を行うNPO(Non Profit Organization)です。
NACOL
http://www.nacol.org/
ミッションは、
どんな生徒にも、地理的条件や、社会的背景、経済的状況にかかわらず、「最高の教育」を提供すること
だそうです。
このミッションを実現するために、Online learningという手段を活用したい、ITを用いたい、ということでしょう。
ところで、行政と現場を「つなぐ」役割として、アメリカの教育業界では、NPOがそれを担っていることが多いです。そうしたNPOは、多くの場合、Ed.MやPh.D.をもって専門的な助言が行えるようなスタッフを抱えています。NACOLもそうした団体のひとつということになります。
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今日のSusanさんのお話で、もっとも面白かったのは、
「アメリカのe-learningは、これまで高等教育での利用を中心に注目されてきた。そちらの方はもう安定期にはいっている。しかし、急速に拡大しているのは、実は、k-12の領域だ。それは、年30%以上の割合で、まさにExplosionしている」
という話でした。
まず高等教育の現状からいいますと、
・短大・大学のうち56%はオンラインコースを提供している
・現在、アメリカには127000のオンラインコースが存在している
・現在、307万人がオンラインコースを受講している
・90%のコースは、非同期型のWebコースとなっている
・51%のコースは、インタラクティヴなビデオカンファレンスを活用している
だそうです。
そして、これに対して、まだ数は少ないながらも、k-12が注目をあびている。それではなぜk-12でオンラインラーニングが注目されているのか。それは、
1)自前で教材をつくったり、教員を手配することができないから
2)特定の生徒のニーズに応えるため
3)大学入試に備えるため
だそうです。
もちろん、k-12といっても、小学校などは1%しかオンラインコースの受講はありません。最大の利用は、高校でなされている。そして、高校こそが、今、アメリカの教育界において、非常に問題になっているのだそうです。一言でいうと、「大量のドロップアウト(中退)」の問題です。
Susanさんはいいます。
「アメリカの高校生に、質問するとします。「高校」を1語であらわすとしたら、彼らはなんと答えるでしょうか。さぁ、皆さん、いっせーので!
(会場声をそろえて)Boring!。
「高校はBoring、Boring、Boring、それにつきます。そして、大量の高校生が今年も学校を去ります」
現在、アメリカの高校に入学した生徒の68%しか卒業できないそうです。ということは・・・32%は中途退学するのですね・・・日本、各国のデータが僕の手元にないので、何ともいえないのですが、確かにこれは高そうな気がします。
高校生の大量ドロップアウト・・・これに関しては、ゲイツ財団も2006年に調査を行っているようです。結果は、下記のようなものでした。
・43%の高校生は出席が足りず、学校の勉強についていけない
・81%の高校生は、高校卒業は人生の成功にとって重要だと思っている
・49%の高校生は、高校卒業資格がないと、よい仕事を見つけるのが難しいと思っている
・75%の高校生は、個別指導可能な小規模クラスを望んでいる。
ゲイツ財団資料
http://www.gatesfoundation.org/nr/downloads/ed/TheSilentEpidemic3-06FINAL.pdf
またこんな調査もあります。1983年から2000年までの継続的な調査結果によると、アメリカの高校生の「学校に対する意識」は、ネガティヴな方向に下降する一途だそうです。
・学校での勉強は意味がある 40%から28%への低下
・勉強はオモシロイ 35%から21%への低下
・学校は人生にとって重要だ 50%から39%への低下
うーん、日本の現状はどうなんでしょう。データがないので、わかりませんけれども。
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Susanさんは言います。
「悲劇的なのはここからです。多くの中退者は、低所得者層、そして僻地からでています。しかし、現代のアメリカは、彼らにはチャンスを与えません。アメリカのおおよそ80%の仕事は、高等教育を必要とする仕事なのですから」
こうした背景のもとで、オンラインラーニング、あるいは、e-learningによるバーチャル高校が注目されるのかもしれません。
それでは、こうしたオンラインコース、どの程度、高校生たちはドロップアウトするのか、というと、実は、これが驚くほど低いのです。
・Apex learning Inc.提供コース 16%
・Florida Virtual School 提供コース 5%
・Virtual High School 提供コース 10%
だそうです。
そして、こうした提供コースの受講者が、大学にどの程度合格できるのか、といいますと、
・Apex learning Inc.提供コース 66%
・Florida Virtual School 提供コース 70%
・Virtual High School 提供コース 70%
という感じになるのだそうです。
Susanさんによると、一般的に、オンラインラーニングコースでは、通常の授業と比べて同等かそれ以上のパフォーマンスが確保できる、とのことです。教材を見ていないので、何ともいえないのですが、よほどこれらのコースが「よくできている(Well-designed)」なのでしょうかね。
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Susanさんのスライドには、ある高校生の言葉として下記のようなものが引用されていました。
We have technology in our blood
(オレらの血には、テクノロジーがはいってんだよ、わりーか)
現在、アメリカでは、94%の子どもたちが学校の授業の中で、インターネットにふれていると言われています。10代の子どもたちに限って言えば、テレビを見る時間よりもインターネットを使う時間の方が長い、という調査結果があります。
そんな彼らにとって、オンラインで学ぶことは何の障害もないことなのでしょう。
---
今日のキーノートでは、アメリカのオンラインラーニングのひとつの側面を見た気がしました。
もちろん、これらの議論を日本にあてはめることは全くナンセンスです。各国の状況にしたがって、Online learningが用いられればそれでよいのです。
ドロップアウトする高校生を「救う」手段として提供されはじめたオンラインラーニング。今後の展開が興味深いところです。
それにしても、”Boring”という一語で形容されるアメリカの高校は、今後、どのようにカタチを変えていくのでしょうか。それとも、変わらないのでしょうか。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2006年10月15日 05:55
アメリカのホスピタリティ
エコノミーにしか乗っていないので、あまり文句を言えたことではないのかもしれませんが、今回乗った航空会社のサービスは、ホントウにヒドイものでした。ヒドイというよりも、もはや、むごい。
まぁ、基本的にホスピタリティはゼロです。
水を頼みます。
「ちょっと待ってよ、今、やらなければならないことが2つあるので、それが終わったらね」
と言って・・・・後から来てくれるといいのですが・・・・
結局、なしのつぶて(笑)。来るわけありません。経験上、こういう場合は絶対にこない。絶対来ないだろうなぁ・・・あれ、来るかな、えっ、まさか・・・あっ違った。また裏切られた(笑)。つーか、来るわけないんだよ。
待てども待てども、誰もきません。そのうち、機内販売なんかをはじめて、「どう?」なんて言ってきます。水のことなんか、「トータリー(totally)、忘れてる」
結局、水がゲットできるのは、機内販売が終わった1時間後です。
で、さらなるポイントは、忘れていたのに「謝らない」ということです。全くその気がありません。「ほれ、水をもってきてやったよ」という感じです。
ありえん。
まぁ、僕もアメリカに暮らしたことがあるので、こういうのは慣れています。ここまではまだいい。
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次に乗った便には、どうやら、スッチーのお友達がお客さんとして登場していたようです。
「久しぶりー、元気だった?、あらこちらは旦那さん、お二人で旅行なのー、いいわねー」
とか言ってハグしています。でも、ここからがスゴイ。
まず、飲食のサービスのとき。僕の乗った便は国内線なので、食べ物やお酒のサービスはありません。みんなしょーもないスナックとダイエットコークを飲んでいる。
だけど、その友人だけ、特別扱いがはじまります。「何にする?」とか言って、友達にはマイタイ、旦那さんには生ビールが運ばれてきました。さらに、食事もです。まわりは誰も食事をしていないのに、彼女のところにだけ、ビジネスの方にでている食事が運ばれてきます。
スッチーは、
「内緒よ」
とか言っています。
つーか、アホか。みんな聞こえてるっちゅうーねん。まわりの客は、みんなドン引きです。苦笑しています。
食事の時間が終わると、今度は、おしゃべりタイムです。トイレ前の通路あたりに、バカデカイ声でおしゃべりをしはじめました。
「こないだ、バーゲンにいったのね・・・」
ホントウにしょーもない話です。
だけど、問題は、体格のよい彼女たちが二人で通路をふさいでいて、他のお客さんが、「なかなかトイレにいけない」ってことです。
みんな「エクスキューズミー、ちょっと通しておくんなせー」とか言って申し訳なさそうにトイレに行っている。当の二人は、全く「じゃま」ということには気づきません。場所を変える気は、限りなくゼロベース。
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アメリカの航空会社は、チャーター・イレブン(連邦破産法11条)によって、2000年以降、破産を申し立てました。この会社も、そのひとつです。
破産は、9.11の影響が非常に大きいと思いますが、これを機会に、サービスのあり方を見直す、みたいな機運が社内でおこらないのでしょうか。
現状では、ホスピタリティは「ゼロ」どころか、「マイナス3万点、さらに倍」という感じです(笑)。篠沢教授状態?
せめて、ゼロになれ。
投稿者 jun : 2006年10月14日 12:18
ビーフサラダか、ビーフステーキか?
僕はアメリカ人ウォッチャーです。彼らを観察していると、ホントウに飽きません。オモシロイことが多いのです。今日は「食と肥満」について。
レストランでのことです。
僕の近くのテーブルに座っていた「小錦」のようなおじさんが、「オレは健康に気をつかっているんだ」と連れのおばさんに言いながら、「ビーフサラダ」をオーダーしてました。
・・・「サラダ」ね。
ほほー、アメリカ人にしては小食だな、と思ったのもつかの間です。
しばらくして運ばれてきた「ビーフサラダ」は、「牛ステーキが500グラム、野菜は100グラム、ドレッシング200グラム」のようなものでした。カロリーは余裕で1000カロリーはあると思います。まさに「爆弾サラダ」。
「あのー、あなたの食べているのはビーフステーキでは?」
というツッコミは彼らには無用です。
「野菜を食べているという事実」が重要なのです。それで「罪」の意識を免れることができる。彼らには、きっと、こう返されるにきまっています
「シャラップ、ジャパニーズ。よく見ろ、野菜が肉の下に敷かれるだろう。野菜があるんだから、サラダだろう」
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アメリカ人の約半数は肥満と言われています。先日、どこかで聞いた話では、ある州では肥満の患者を搬送するための、「Double wide amburance(幅が広い救急車)」が登場したとのことです。
たぶん、この傾向はこれからも変わらないでしょう。
ちなみに、小錦おじさんは、その後、特大のチョコレートパフェを美味しそうに食べていました。
投稿者 jun : 2006年10月13日 13:31
Connexions : 大学教科書が変わる?
昨夜、飯吉先生@カーネギー財団と会場でお会いして、Open Education(教材のオープン化)に関する最近の動向を聞いた。
周知の通り、アメリカには、Open Course WareやOpen Learning Initiativesのように、大学が教材をオープンにしていく運動がいくつも存在している。
ネットで教材をオープンにする運動
http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/04/post_159.html
が、その中でも、ライス大学のConnexionsというサイトが、非常に注目されるようになってきているらしい。
コネクションズ(Connexions)
http://cnx.org/
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コネクションズを一言でいうと、「教材・資料等をクリエィティブコモンズで公開するWebサイト+オーサリングツールのセット」ということになるだろう。学習科学をご存じの方は、WISEの発展版を思い浮かべればよいのではないかと思う。
他のOpen Educationの動向と比べて、その特徴は下記のとおりである。
1.教材の公開を行うWebサイトだけでなく、オーサリングツールをそなえていること
2.コンテンツは「モジュール」「コース」という単位から構成されている。モジュールを複数組み合わせリンクをはることで、ひとまとまりの「コース」をつくることができる。
3.モジュールはXMLで書く。音声データ、マルチメディアデータ、などを扱うことができるので、インタラクティヴなコースをつくることができる。
4.複数の著者が力をあわせてコースをつくり、公開できるような仕組みになっている
※詳細は下記のツアーをご覧ください。
コネクションズツアー
http://cnx.org/aboutus/tour/
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現在、コネクションズには184のコース、3556個のモジュールが登録されており、全世界157カ国から16000000件のアクセスを記録しているという。
ちなみに、米国には、この手の試みに対して、様々な助成団体が寄付を行っているが、もっとも注目されているらしい。
・・・とまぁ、ここまでなら、これまでにも例はあったのだけれども、コネクションズのユニークさは、オープンな教材を「紙モノの出版」と結びつけようとしているところにある。
聞くところによると、アメリカの有力コミュニティカレッジが、ライス大学と共同で、コネクションズで教材を開発し、それを実際に紙モノの教材として出版する計画をたてているのだとか。
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飯吉先生によると、一般的にコミュニティカレッジは、入学金や授業料は低く抑えられているが、教科書代は非常に高いのだという。コミュニティカレッジに通う人は、いわゆる低所得者層やマイノリティも多く、そのことが彼らの就学機会を奪っていた。大手出版社に教科書の価格を牛耳られているので、それを低くするのはなかなか難しかったのだという。
今後の展開によっては、コネクションズで教材をつくると、オンライン教材と同時に、紙モノもできる、といったことが、可能になるかもしれない。
それは、大学教科書のビジネスモデルを揺るがす可能性もあるかもしれないし、Open Educationのあり方そのものをかえる起爆剤になるかもしれない。
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高等教育大国、アメリカ。
そこで生まれるアイデアは、いつも破壊的で、挑戦的で・・・魅惑的である。
投稿者 jun : 2006年10月12日 16:00
EDUCAUSE2006にいってきた!
えーと、しぶとく、生き残っています(笑)・・・中原です。
(わからない人はこちらをご覧ください)
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ところで今回、僕は、EDUCAUSE(エデュコーズ)という国際会議に出席するためにダラスにきています。
Educause
http://www.educause.edu/
EDUCAUSE(エデュコーズ)は、「大学の情報システム」に関する世界で一番大きな国際会議です。アドミニストレーションスタッフから、いわゆる大学教員まで、1万人ほどの出席があります。一万人だぜ、どっからわいてでてくる?(僕もわいて出てきた一人)
それにしても、Educauseが対象にしている「大学の情報システム」ってほんとうに広いテーマです。
いわゆる、e-learnigから、学務情報データベース、災害におけるITの復旧、セキュリティ、個人情報保護まで、ホントウに様々な話題が話し合われています。
これだけ広いテーマで、かつ、人が1万人もくるのですから、当然、会場もアホほどデカイですね。ダラスのダウンタウンにコンベンションセンターというところがあるのですが、ここを借り切って実施しています。
コンベンションセンターは、きっと東京ドームで10個くらいの広さがあるんじゃないでしょうか。ないかな・・・知らんけど(笑)。
空間はAからDまでブロックにわかれていますが、AブロックからDブロックのセッションまで移動するとなると、ゆうに20分はかかるでしょうね。ウォーキングのよいきっかけになって、まことにヘルシーです。
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さて、僕はウォーキングをしにダラスにきたわけではありません(そこまで暇人じゃない)。一応、東京大学の教育の情報化のプランニングをしているので、「なんできた?」と聞かれると、「仕事できたんだよ」ということになります。
飽きもせず、だいたい朝から晩までセッションにでていますが、かなりオモシロイセッションもありました。
今日は、ちょっと難しくなるかもしれませんが、僕がオモシロイなぁと思ったものを紹介します。
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まず、しょっぱなにでたセッションは、ミネソタ大学の「講義自動アーカイビングシステム」についてでした。
なんでこれを見に行ったか?・・・それはね・・・いろいろと事情があるのです。下記をよく読んでみてください。I-3のところにそれらしきものがあります。ぎゃぼ。
東京大学アクションプラン
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/pdf/actionplan0811.pdf
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ミネソタ大学では、「No operator Low end class capture」というコンセプトで、教室のいくつかを改造しているそうです。
ミネソタ大学 office of classroom management
http://www.classroom.umn.edu/
要するに、「カメラ操作する人をつけないでも、教員が自分でチョコチョコと操作をして、自分の講義を撮影し、公開できるシステム」を、なるべく多くの教室に実装していくことにしているそうです。
費用はひとつの教室あたり250万から300万程度と言っておりました・・・。まぁ、1講義撮影・編集してプロに頼めば、どんなにやすくても8万円程度はかかります。それを考えれば、長期的な視野にたてば、まぁ、リーゾナブル値段ということになるのかもしれません。
もちろん費用がリーゾナブルなだけに、「それなりのクオリティの映像」しかつくることはできません。
映像ソースは2つ。いわゆる「パワーポイントの画面」と「講師の顔」だけです。具体的には、パワーポイントの画像を背景として、講師の顔が右下にちょこんと合成された映像がストリーミングビデオとして蓄積されます。これをオペレータなしでやっちゃう。
じゃあ、なんで、こんなシステムをつくるのか?生徒は、このシステムを使って収録された映像を使って、「class recall」をするのだそうです。要するに、テスト勉強や復習をするときに、使っているということでしょう。
セッションでは、このシステムを構築するTipsと、生徒から寄せられたフィードバックが紹介されていました。実務的で参考にはなりました。
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このシステム、確かにシンプルすぎる嫌いがあるのですが、僕は、かえって、「バランスはいいなぁ」と思いました。
これは発表していた人も言っていたんですが、必ずこういう話になると、ハイテクを使いたがる人が、でてきます。いわゆる「AVオタク」が口角泡を飛ばしはじめる。
「今からいれるのなら、ハイビジョンがいいよ。自動追尾カメラもぜひつけよう。アーカイブされた講義は、同期でも、非同期でも使えるといいよねー・・・」
概してテクノロジーの世界では、「カッティングエッジなテクノロジーというのは使いにくいもの」です。これはマーフィーの法則でしょう。まだ「こなれてない」からね、、、だからカッティングエッジなのです。で、そういう最先端テクノロジを山盛りにした仕様をつくりがちなのです。だから当然使いにくい。
で、そういうテンコモリ仕様で「えいや」で発注しちゃって、目がとびでるような費用をかけた教室が1つできる。豪華一点主義というやつです。こういう事例はホントウに多い。
でも、ミネソタ大学の発表者は、これに異を唱えていました。
「たとえローエンドなテクノロジであっても、どの教室にも実装されてて、誰もが使えるかたちで操作できる方が、結果としては長続きする」
まさにそのとおりです。アンタ、わかってるよ。
そもそも利用用途が、生徒の復習素材ですしね。テレビ番組になるわけじゃない。あくまで、通常授業の補完(サプリメント)としての位置づけです。
「その程度の目的であれば、このくらいのクオリティの教材、であるならば、このくらいのシステム」・・・何もかも「テンコモリ」にするのではなく、ある特定の目的に従って、仕様の割り切ることができる・・・これが重要かと思いました。
ちなみに、学生からは携帯情報端末(ipodのような)で見られる、ダウンロード型のコンテンツを自動で生成して欲しい、という意見が、多数寄せられているようです。やはりそうくるか、という感じですね。
---
さて、次に印象深かったのは、ノースカロライナ大学の発表です。
この発表は、未来予想図みたいなものだった。「21世紀の大学生の学習経験は、どのようなものになるか」みたいな、新春大放談大喜利状態です(笑)。
彼らによると、今後のびてくる大学情報テクノロジーとしては
1.ユビキタステクノロジーの利用が増える
2.コンテクストアウェアな情報提供が行われる
3.ソーシャルネットワークを用いた電子学習共同体が構築される
4.ロケーションベースのシステムが実装される
だそうです。
まず、「1.ユビキタス」に関してですが、これは、もう説明を待たないでしょうか。ユビキタスの提唱者であるマーク=ワイザーによれば、ユビキタスとは、
「Making many computers available throughtout the physical space」
(どのような空間でも、コンピュータを使えるようにすること)
という意味ではありません。一般にはこう思われているかもしれないけど。
そうではなくて、
「Making many computers effectively invisible to user」
(コンピュータをユーザに見えないようにする)
という意味だそうです。
ちょうど数年前、ドナルド=ノーマンが予見したように、ユビキタス社会のコンピュータとは、「Invisible computer」なのですね。
---
次の「2.Context aware」ですが、これは「Smart space(賢い空間)」といわれる概念に近似しています。
要するに、センシング技術・WIFI技術を用いて、ユーザの動作を検知する。で、そのユーザにあった情報を、適切なタイミングで、空間からプッシュする、という考え方です。
英語でいうと、
「Contextually adaptive inflastructure , right service, right time and right place」
ということになります。「Come to me service」とも言われますね。
ノースカロライナの人たちは、これが大学の様々なところに実装されていくだろうと予想しているようです。これは確かにありえるかな、と思います。
が、この手の議論 - ユビキタス環境研究といってもいいかもしれない - で一番見えないのは、「そこまでコストをかけて、どのような内容の情報をプッシュするのか」ということです。
「できること」はわかるのですが、「コストをかけてまで、できる状態にする必然的な理由」がどうも理屈がつきません。そこを見いだすことが重要でしょうか。
---
「3.Social network」ですが、これは説明をまたないでしょう。今もずいぶん利用されていますが、SNSやLMSにおけるコミュニティ機能の利用ということになりますでしょうか。
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「4.location-based」は、要するにgoogle mapとマッシュアップサイトを思い浮かべていただければと思います。一言でいえば、子ども向けケータイ電話の「今どこ」サービス。
「2.Context aware」な環境ができれば、「誰がどこにいるか」という情報が、すべてトレースすることができます。
今回の発表では、「今、共同学習をやっている○○ちゃんはどこかな」とか「先生はどこかな」みたいのをWebで表示していました。
つーか、そんなもん、いるか。
---
ノースカロライナの発表者たちは、こうしたものが大学の情報環境として今後追求されるようになるだろう、と言います。で、究極的には、生徒の学習経験をすべてトラッキングして、e-portfolioとよばれるような巨大な情報貯蔵空間に蓄積して行かれるようになるだろう、と予想します。
昔、ヴァネバー=ブッシュという人が提唱した、まさにMemexを一人一人の学習者がもつようになるだろう、と。
Memexっていうのは、書籍、書類、レコードなど、個人のもつすべての情報を蓄積し、必要なときに発信する仮想の機械のことです。大学がひとりひとりの学生のMemexをもつようになる。
---
・・・とまぁ、いろいろ夢物語なところもありますし、ツッコミどころ満載、「オレはいやだな」と思わないこともないですが、まぁ、「想像力を働かせること」は重要です。
隣の白人さんは、こんなことを言って、彼らの発表を非難していたけど、アンタは甘い。
「彼らの発表は、全然学問的じゃないわね。」
いいんです、「学問としてコレクトじゃなくても」。研究論文を通すわけではないのだから。
Any useful statement about the future should at first seem rediculous
(未来予想ってのは、どんなものでも最初はバカゲタものに見えるものさ)
というじゃないですか。
ただ、Memexには、少し恐ろしいモノを感じました。これは詳しくのべ始めると100年かかりそうですので、また違うときにでも。
ちなみに、僕個人としては、この想像力の果てには、大学の未来はないんじゃないかな、と思っています。
---
次にオモシロイなぁと思ったのは、スタンフォード大学の発表です。ここは堅実でした。
スタンフォード大学のstudent computing部門では、大学の各所にCollboaration用のスペースを実装しているのですね。Groupspaceというものを開発している。
Groupspace
http://academiccomputing.stanford.edu/groupspace/
もともとは、テリー=ウィノグラードのところで開発していたiworkというプロジェクト、ウォーレンバーグホールで行われていたTeam Space projectが発展してできたようです。
iwork project
http://iwork.stanford.edu/
彼らは言います。
「僕らの大学には、ぞくぞくとNetGenがはいってきている(Net generationのこと)。Mobileを生まれたときからもち、24/7時間つねに情報をやりとりしている、この世でもっともテクノロジーにたけて、ソーシャルな人種をね。
彼らは変わる。それならば、彼らにフィットするよう、学習モデルだって変わらなければならない」
Groupspaceをキャンパス各地に配置し始めている彼らですが、課題も素直に指摘していました。ズバリ、マーケティングだそうです。
彼らは言います。
If we build it, Will they come?
If they don't come, What will we do?
(そういうスペースをつくっても、誰が使いにくる
使いにこなかったら、何をすればいいんだろう?)
そのくらい考えておけよ、と言いたいところですが、素直で痛烈な叫びだよね(笑)。さっきいったような一点豪華主義ファシリティは、どこの大学でもありますが、その利用率があがらないのは、共通の悩みなのでは?
もちろん、彼らは手はうっています。これが面白かった。
LDTプログラムの学生を3週間のpaid internとして受け入れ、彼らを通して、まずリエゾン役を養成します。で、様々な学部の教育プログラムに働きかけている、とのことでした。
---
Educauseには、エキシビジョンも併設されているので、見に行きました。ホントウにスゴイ盛り上がりです。「祭り」だね、「祭り」。
興味をもったのは、iTunes Uでしょうか。東大もipodにコンテンツ配信を行っていますが、ここは盛り上がっていましたね。
iTunes Uって何?
http://journal.mycom.co.jp/news/2006/01/26/006.html
東大テレビポッドキャスティング
http://todaitv.ep.u-tokyo.ac.jp/podcasts/index.html
UT OCWポッドキャスティング
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/podcasts/index.html
---
あと、今、アメリカの大学でもっとも流行しているのは、「clicker」「personal response system : PRS」なのだそうです。2003年からブームがはじまったとのこと。ほんとかよ。
---
さて、最後になりますが、ひとつ重要なことを書こうと思います。
僕は、「Educasuseでもっとも重要なことは、ここで発表している人たちの多くは、ファカルティ(教授・助教授)じゃない」ってことだと、思っています。
いや、ファカルティも中にはいますよ。でも、マジョリティではないことは確かです。
彼らは、日本でいうと、学生部や教務部のスタッフたちです。でも、彼らは日夜スペシャリストとして、この場合ですと、「IT & educationの専門家」として、学部や研究科に対してコンサルティングをおこない、プロジェクトをたて、問題解決し、そして、その成果をEducauseで発表しています。
彼らにとっては、こうした場で発表することが、のちのキャリアアップにつながります。ここで、jobハンティングが起こることも多いと聞きます。
アメリカの大学は強い。
それには、いろいろな理由がありますが、このスタッフィングの層の厚さと、専門性の高さ。これこそが、強さの源泉のひとつであることは間違いありません。
じゃあ、ひるがえって、日本はどうでしょうか。
いろいろな課題が見えてきます。
そして人生は続く。
---
追伸.
ダラスの街はホントウに空気が乾いています。あと寒暖の差がホントウに激しい。唇はボロボロになるし、のどは渇くし。もう二度と来ることはないかもしれません。ちょっと僕の体には、この環境は過酷すぎるかも。
投稿者 jun : 2006年10月12日 05:00
もう年なんだから・・・の錯誤
ここ数年、「英語論文を読んでレジュメをつくるのが遅くなったなぁ」と鬱になっていた。学生の頃なら、20~30ページの論文でもササッと読んで、シコシコッと要約することができた。
些細なことなんだけど、英語論文の読書会の準備をするたび、気が滅入っていた。僕の脳はどうなっちゃったんだろう、と真剣に悩んだり、(小生、ウソつきました・・・たいした悩んでない)、ちょっぴり気にかけたりもした。
でも、今回の海外出張でたくさんの英語論文を持ち込んで、仕事をしていて、少し理由がわかった気がした。
要するに、最近の僕は、「学生の頃、論文を読解するのにかけていた時間」を、実は、ちゃんと確保できていないのである。
東京での僕の時間は、細切れに分断されている。
研究会議、論文指導、講演、発表、プレゼン・・・その合間に電話、電話。少なくとも、大学にいる間は、ゆっくりと時間をかけ、集中して何かに取り組むことができない。
そんな中、スキマ時間を何とか見つけて、何度も何度も英語に取り組む。何度も何度も取り組むので、あたかも長時間かけたような錯覚を起こす。しかし、なんてことはない、全部合計しても1時間にも満たない時間しか、かけられていない。
典型的な錯誤である。加齢に基づく脳機能の低下云々よりも、僕が課題をこなさなければならない状況が変化している、ということなんだろう。
なんだ、そんなことかと思ってちょっと喜んでいたら、先日、ある本を読んでとき、こんな話がでてきた。「最近物忘れがひどいんです」というのは、ウソだ、という話である。
---
僕(筆者・脳科学者の池谷裕二先生)はまわりの人があきれてしまうぐらいに、物忘れをしてしまいます。
たとえば、僕が学生に「こういう実験をしてみたらどう」といったはずなのに、一週間後にその実験をしている姿を見て、「なんでそういう実験をやっているの?」と聞いたりする。
あげくの果てには、「その実験にはあまり意味がない」みたいなことさえも言ってしまう。
(中略)
(でも)痴呆のような病気をのぞけば、「年をとったから物忘れをする」というのは、科学的には間違いなんです。
物忘れやド忘れが増えると思えてしまう理由は、いくつかあります。子どもの頃に比べて、オトナはたくさんの知識をアタマの中に詰めているから、そのたくさんの中から知識を選び出すのに時間がかかる。
(中略)
実は、子どももたくさんド忘れをするんです。(中略)ただ、重要なことは、子どもはそのド忘れを気にしていない。
---
なるほどね・・・。
僕も「最近忘れっぽい」と思っていたけど、必ずしも加齢とは関係ないかもしれないのね。
そうか・・・知識の増加で検索に時間がかかっていたのか・・・。あと、子どもは「気にしてない」だけだったのね。
あとは、オトナになると「課題と時間が細切れに分断される」。よって、「突然検索を行わなければならない状況では、常に自分は違った領域知識の処理をしているため、なかなか該当する知識を想起できない」ってのもあるかもしれないですね。
---
というわけで、やや短絡的ではあるけれど、僕の脳はまだ健在みたいです。31なんだから、アタリマエか。
ダハハハハ、急に元気になってきたぞ。
投稿者 jun : 2006年10月11日 16:00
k-tai campus:NIMEのシステム
NIMEの葉田先生、篠原先生らが「K-tai campus」というシステムをリリースしたらしい。大学が携帯電話のポータルサイトをつくることのできるASPシステムといったところだろうか。
K-tai Campus
http://k-tai.nime.ac.jp/pc/
簡易マニュアルによると、「学内情報」「講義情報」などを、登録した学生に配信できるそうだ。
K-tai Campusマニュアル
http://k-tai.nime.ac.jp/pc/manual-1.html
いまや、大学生にとってもっともなじみの深いメディアは、ケータイであることは間違いない。レポートなども、800字程度のものなら、ケータイメールでおくってくる「剛の者」も少なくないと聞く。
今後は「アンケートシステム」の強化などを行っていくという。
非常に楽しみだ。
投稿者 jun : 2006年10月11日 06:00
ワセダ三畳青春記:めぞん一刻+ビンボーバトル?
野々村荘、早稲田大学正門前5分、三畳一間、家賃1万2000円、風呂便所共同。
住人は、皆、剛の者。「寝過ぎて疲れてまた眠る」という「永久睡眠法」を実践している人、「臭豆腐」より臭う夕食を毎日食する人、怪しい幻覚植物で人体実験をする人、数名・・・あり。
本書は、そんな野々村荘で22歳から33歳までを過ごした探検家?高野秀行氏の青春記である。
野々村荘での生活は、ハチャメチャそのもの。しかし、それでいて、最後まで読み進めると、どこか切ない。最後は高野氏が熱烈な恋をして、野々村荘を「卒業」する。涙もろい僕は、意外に感動した。そのアンバランスさが、本書の魅力だろうか。
一読して想起したのは、「めぞん一刻」。
めぞん一刻は、未亡人のアパート管理人、音無響子が一刻館という奇人変人館にやってきたところから話がはじまります。基本的には、管理人さんと五代君のラブコメディ。連載していたのは、僕が小学生の頃かな。かなり好きでしたけれど、今の中学生とかは、もう知らない?
あちらの方も、一ノ瀬さん、四谷さん、六本木朱美など、個性的キャラが満載でしたが。野々村荘も負けてはいないかも。
めぞん一刻+ビンボーバトル風のネタが好きな人には、おすすめかも。
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投稿者 jun : 2006年10月10日 15:00
朽ちていった命:NHK東海村臨海事故取材班
「ここにいる人は何なんだろう。誰なんだろうではなく、何なんだろう。体がある、それもきれいな体ではなく、ボロボロになった体がある。そのまわりに機械がついているだけ。
自分たち看護婦は、その体を相手に、次から次に、その体を維持するために、乾きそうな角膜を維持するために、はげてきそうな皮膚を覆うために、そういう処置ばかりをどんどん続けなければならなかったんです。
自分は一体何のためにやっているんだろう。自分は別に角膜を守りたいわけではない。大内さんを守るためにやっているんだ。そう思わないと耐えられないケアばかりでした。大内さんを思い出しながらでないと、自分のやっていることの意味が見いだせないような、そんな毎日でした」
(p127より引用)
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NHKが、1999年に茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO」でおきた臨界事故の被爆治療を取材したときの83日の記録である。本書の中には、上記のような看護婦(現在は看護士)の述懐がある。
核燃料の加工作業中に、大量の中性子をあびた大内さんと篠原さん。被爆直後は、見た目に皮膚が赤くなる症状しかなかった彼らではあるが、次第に、体が内部から崩壊がはじまっていく。
生命の設計図であるDNAが失われ、すべての細胞が「再生」をとめてしまうのだ。
我々の体は常に「細胞」の再生を繰り返して、古くなった細胞が新しい細胞にとってかわり、成立している。古くなった細胞は落ちる。しかし、万が一、新しい細胞が生まれなくなったとしたらどうなるか。おぞましい光景が脳裏をかすめる。
人知が及ばぬ放射線治療がすすむなか、医療スタッフの苦悩がはじまる。洪水のように溢れでてくる体液を前に、自分たちには何ができるのか、を問い続けるようになる「もうこれ以上手のつくしようもない」状況で、自分は、何をすべきなのか。
「ここにいる人は何なんだろう。誰なんだろうではなく、何なんだろう」
「研究とは何か?」
「治療とは何か?」
「生きるとは何か?」
壮絶な問いがスタッフをおそう。治療チームに動揺が走る。
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現在、日本には全国で55基の原子力発電所が稼働している。我々の使用する全電力量のおよそ40%は原子力由来のものである。
クーラーをつける
テレビをひねる
冷蔵庫をあける
シャワートイレで洗う
その瞬間瞬間に、我々は原子力と向き合っている。何人たりとも、それと無縁ではない。善悪で判断のつく問題では、もはやない。
人間のやることには必ずリスクがつきまとう。リスクマネジメントの基本は、「リスクが生じないようにすること」だけではない。「リスクは生じるもの」として、生じたリスクを最小限に食い止める方策が追求されるべきである。現在の日本には、放射能事故に関して、万が一のリスクを迎えたときの基盤は、驚くほど進んでいないのが現状だという。
83日の壮絶な治療現場は、決して我々から離れた場所にあるものではない。常に、「我々の側の問題」であることに気づかされる。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
---
投稿者 jun : 2006年10月10日 06:00
サバイバル in アメリカ
今、国際会議出席のため米国にきています。今回は僕のスケジュール管理能力の欠如によって、予約が遅れ、ちょっと会場から距離のあるホテルに泊まっています。
滞在2日目、2つ気になることがあります。
1つめ。
広い広いホテル。ただ・・・宿泊客が僕だけのような気がします。
週末だというのに、ひとっこひとりいません・・・。
2つめ。
フロントを通るたびに、黒人のフロントマンから熱いウィンクを送られているような気がするのは、気のせいでしょうか・・・(笑)。
・・・米国滞在の目標が変わりました。
「生きて帰る」
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追伸.
ちなみに後日談。朝、タクシーの運転手さんと会話していたら、「アンタの泊まっているところは、ゲイエリアだよ。特に、すぐ近くの橋より西は、夜はヤヴァイからな」と言われた。やっぱり!
投稿者 jun : 2006年10月 9日 22:03
「小さき者へ」 重松清著・・・
「家族」「父親と子ども」を問う作品を世に問い続けている作家、重松清の「小さき者へ」を読んだ。家族の物語を集めた短編集。
親と子ども、そして夫と妻でさえも、時に理解不能に陥る。言葉を紡げばつむぐほど、その言葉は空中を宛もなく彷徨う。相手のすべてが腹立たしく思えてくる。昨日までうまく回っていた家族は、ある日突然機能不全に陥る。そして、そうした事態は、どの家族にも起こりえる。
しかし、動揺し、音をたてて崩れていきそうな家族の果てにあるのは、単なる虚無や絶望ではない。
絶望の淵に片足をとられても、もう片足は、地にある。一歩前に足を進める。その一歩が実りあるものになるかどうかは何人たりともわからない。家族関係の編み直しは、今はじまったばかりである。
「あとがき」で、重松は言う。
---
坂道はしばしば人生や世間の厳しさを伝えるときのたとえ話に用いられる。下り坂はたいがい転げ落ちるものだし、人が生きることは、長い長い坂を上り続けるようなものだとも言われる。
(中略)
でも、建物の中はともかく、外の世界で完全に平らな場所なんてどこにある? 僕たちの立つすべての場所は、程度の差こそあれ、傾斜している。僕たちは皆坂道にたたずんでいる。だから、重心は前後左右に微妙に揺れ動く。それでも、そのバランスの悪さを飼い慣らして、平気なふりをして立っている。体もも、たぶん、心も。
(中略)
「問題が何も解決していないじゃないか」としかられることの多い、僕のお話の中でも、本書の六編はとりわけ「解決しなさかげん」が際だつものとなった。(中略)でも、それが僕の考える生きることのリアルだ。そして現実のキツい購買から逃れることのできない彼や彼女たちが、物語の最後で踏み出した一歩は、坂を下るのではなく登るための一歩であってほしい、と祈りながら書いた。
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今日も、日本全国の家庭では、大人と子どもの苛立ちが続く。
「オマエの気持ちはよくわかる。でも、オレがオマエくらいの頃は、こんな風じゃなかった・・・もっとしっかりしていた。今から、そんなことでどうする。この世の中をどうやって生きていける? オレが死んだ後、オマエはどうやって一人で生きていく」
「わかったふりをしてほしくないね。オレがムカツクのは、わかってくれない父さんじゃない。わかったふりをしている父さんなんだ」
いつまでたっても両者の苛立ち、そして「わかりあえなさ」は消えないのかもしれない。唯一できることがあるのだとしたら、その窮屈で、胸を押し殺されそうな、この状況から逃げずに向き合うことだけなのだろうか。
「わかりあえなさ」を抱きしめて、生きることなのだろうか。
その境地、今の僕は、そこにいない。
僕には正直にわからない。
投稿者 jun : 2006年10月 9日 16:00
満席必至!、学習科学のフロンティアが集まるシンポジウム
来月のBEATセミナーはスペシャル版です。スタンフォード大学 RoyD. Pea先生、中京大学 三宅なほみ先生、静岡大学 大島純先生をお招きして、「学習科学とICTは学びのあり方を変えるか」というシンポジウムを開催します。
満席必至!です。席数は200名用意していますが、増設はできません。
ご登録は今すぐおはやめに!
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【ご案内】公開研究会「BEAT 'Special' Seminar」
学習科学とICTは学びのあり方を変えるか
- 高等教育の変革を事例として -
2006/11/11(土)開催!
主催:東京大学情報学環
ベネッセ先端教育技術学講座 (BEAT)
共催:東京大学大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育寄附研究部門(MEET)
後援:NPO法人 Educe Technologies
参加登録はこちら!
http://www.beatiii.jp/seminar/
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11月のBEAT公開研究会は、学習科学の世界的研究者
であるスタンフォード大学 RoyD. Pea先生、中京大学
三宅なほみ先生、静岡大学 大島純先生という豪華ゲ
ストをお迎えして、「学習科学とICTは学びの あり方
を変えるか」というテーマで'BEATSpecial Seminar'
としてお送りします。
インターネットの急速な普及により、教室にコンピ
ュータや携帯電話などのテクノロジーがある姿はめず
らしいことではなくなりました。しかしながら、これ
らのテクノロジーが学習環境に統合され、人々の学び
を支えているかと いえば、全くそうなっていないのが
現状です。
その原因として、人はどのように学んでいて、どう
すれば支援できるのかという原理を意識せずにテクノ
ロジーを導入していることがあげられるでしょう。
このセミナーでは、学習科学の第一人者が「人はいか
に学ぶか」に関 する学習科学の知見を援用しながら、
ICTを導入して教育実践を改善しているケースをご報告
いただき、学びの場の構成において重要な原則を共有
したいと思います。
事例は高等教育ですが、学習の原理そのものは子ど
もから大人まで共通したものが多いですので、多様な
フィールドに示唆が得られる研究会になると思います。
ICTを用いた学習環境に興味がある方は「必見」の研
究会です。多くの方のご参加をお待ちしております。
企画責任者:
山内祐平(東京大学情報学環/BEATフェロー)
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■日時
2006年11月11日(土曜日)
午後2時より午後5時30分まで
■場所
東京大学 本郷キャンパス
工学部2号館北館 213大講義室
http://www.beatiii.jp/seminar/seminar-map26.pdf
(定例会場と同じ建物の1Fです)
■定員
200名
(最近、BEATの公開研究会は〆切前に募集停止に
なることが多くなっています。お早めにお申し込
みください。キャンセルの場合は、お手数でも
sato@beatiii.jpまでメールをいただければ幸いです。
一人でも多くの方に ご参加いただくため、ご協力
をよろしくお願いいたします。)
■参加方法
参加希望の方は、BEAT Webサイト
http://www.beatiii.jp/seminar/ にて、ご登録
をお願いいたします。
■参加費
無料
■内容
●企画趣旨
pm2:00-pm2:10
山内 祐平 (東京大学)
【第1部】
●プレゼンテーション1
pm2:10-pm3:00
Dr. Roy D. Pea (スタンフォード大学)
(同時通訳がつきます)
休憩10分
●プレゼンテーション2
pm3:10-pm3:40
大島 純 (静岡大学)
●プレゼンテーション3
pm3:40-pm4:10
三宅なほみ (中京大学)
休憩10分
【第2部】
●グループディスカッション
pm4:20-4:50
(参加者の方にグループで話し合って
質問を出していただきます)
●パネルディスカッション
pm4:50-5:30
メンバー
・Roy D.Pea
・大島純
・三宅なほみ
コーディネータ
東京大学 山内 祐平 (BEATフェロー)
※終了後、懇親会を開催します。カジュアルな
会で、発表者と参加者が交流できるものですので、
ぜひご参加ください。
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投稿者 jun : 2006年10月 9日 06:00
教育には金がかかる
教育学トリビア。
下記、家計に占める教育費の平均割合です。
韓国は家計の7.83%
日本は3.26%
アメリカは1.66%
フィンランドは0.18%
韓国はやはりスゴイ。平均なんだから、ハイエンドな家庭では、10%をゆうにこえる教育費が投入されているということでしょうか。
もちろん、大都市圏で、私立お受験に子どもをチャレンジさせようとしている家では、それと同じくらいの教育費がかかっているような気もするけれど。
嗚呼、教育には金がかかる。
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※上記は、なりきりEnglishプロジェクトのコンテンツの一部です。
投稿者 jun : 2006年10月 7日 21:57
何でも自動でやってくれる!?
殺人的なスケジュールが続いています。研究プロジェクトもゾクゾクと本格化してきて忙しい。そんな中、プライベートでは、「引越」をしましたので。
おまけに、全学の教育コンテンツを撮影、開発、著作権処理を一貫して行う「室」といいましょうか「部門」を、新規に立ち上げる案件もでてきて(ネーミングは変えます)、忙しい毎日がしばらくは続きそうです。
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ところで、最近、人にあうたびに「新居はどうですか」と聞かれるのですが、「そりゃ、いいです」(笑)。
これで「ダメポなマンション」なら、背中に背負ったもののシャキーンとの、認知的不協和が起きますので、どのみち、「いいです」と答えることは決まっているのですが(笑)(マンション購入者の感想はだからアテにならん)。
まぁ、正直にいうと、新居のよさを、味わう暇はあまりないのが現状。最近、朝が早く、自宅と大学の往復生活になっています。
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引っ越しして数日暮らしてみて、印象に残ったことがあります。最近のマンションは、「多くのものが自動化されている」のですね。
お風呂のお湯は勝手にわいて、勝手にとまる。食器は夜中に洗ってくれる。暗い中で廊下を歩くと、勝手に電気がつく。ヤカンに火をかけておけば、沸騰したら自動的にとまる。そう、なんでもやってくれるんです。
ただ、その中で、ひとつだけ活用できていないものがあります。防犯システムですね。うちのマンションはセキュリティがウリのマンションなのですが、このシステムがやたらめったら、難しい。
先日、僕だけが出勤の日がありました。カミサンは家にいた。そのときは、彼女はちょっと手が離せなくって、僕が自分で玄関の鍵をかけて出て行った。つまり、内側に人がいるのに、外側から「鍵」をかけたわけです。
防犯システムは、このような状況の場合、どうやら、「もう内側には人はいない」と判断するようなのです。そう判断すると、どうなるか・・・。
その後、宅急便がきました。玄関にでるカミサン。ドアを開けたとたんに、防犯ベルが鳴り響きます。「ピーポーピーポー、侵入者です」、みたいな。「おい、侵入者かよっ」。
・・・防犯システムは難しい。昨日、トリセツを読んでみたのですが、全くわかりません。丁寧にインストラクションは書いてあるのだけれども、肝心な操作はすべて、「管理会社にお問い合わせ」ください、になっている。おい。これ、使いこなせていないのは、ウチだけなんだろうか。
うーん、自動で警備してくれるのはよいのですが、まぁ、そこまでせんでも、と思ってしまいます。
どうせ、自動でやってくれるのなら、他のことを、やってほしいと思うのです。
自動で論文を書いてくれるとか、自動でプレゼンをつくってくれるとか、自動で実験をやってくれる、とかね(笑)。
そんなマンションあったら、すぐ買いぢゃないですか。
投稿者 jun : 2006年10月 6日 06:48
「ゲームで教える」・・・英国の報告書
藤本さん@ペンシルバニア州立大学によりますと、イギリスの学校教育現場において、市販ゲームをどのように利用しているかを調べた報告書「Teaching with Games」が公開されたとのことです。
Serious game in Japan
http://anotherway.jp/seriousgamesjapan/archives/000771.html
投稿者 jun : 2006年10月 5日 18:17
明日は形成的評価・・・決戦は金曜日!
明日は「なりきりEnglish!」のFormative Evaluation(形成的評価)の日である。Formative Evaluationとは、Form(かたちづくる)ためのEvaluation(評価)。要するに、自分たちの開発物が、こちらの設計意図通りに動くかを、被験者に操作してもらいながら、検証することをいう。
画面はわかりやすいか。
ボタンなどのユーザインタフェースは使いやすいか。
そして、学習者は満足して学んでいるか・・・
アチーブメントの向上などを検証する「本格的な評価=Summative Evaluation」とは異なって、Formative Evaluationの評価ポイントは、上記のような基礎的項目にある。
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しかし、さらっと簡潔に書いてきたけれど、Formative Evaluationとは、開発者・設計者の観点からすると、シンドイものでもある。
ユーザーとは常に予想外の反応をするもの。Formative Evaluationでは、その予想外のアクションが噴出することが常である。開発者は隣で見ていることが多いのだけれども、ハラハラドキドキの連続だ。
あー、あのボタンは、もう少しデカクすればよかった・・・
あのフローはこうするべきだった・・・
ユーザーには、このインストラクションはわからなかったか・・・
ユーザのアクションを目の前にして、つい猛省モードにはいってしまう。
中には、口もきけないほどの惨敗をしてしまうことも少なくない。だから、つい「Formative Evaluation」は後回しにされる。
授業では「Formative Evalutionは重要ですよー、必ずやりましょうね」と教えつつも、研究開発ではそれをやらない傾向があるように思う(最大の理由は、従来の研究室研究では、UIを向上させても、論文の価値があがらないということにつきる。だから、使えるものが研究室からはなかなか生まれない)。
まぁ、いろいろな理由はある。だけれども、開発者の立場からすれば、辛い現実を見たくないというのも、大きな理由のひとつだと思う。「時間がない」などの理由で、ユーザビリティの検証などは忌避される。
しかし、ここが正念場だ。
「モノをつくるのならば、ケツまくれ」
と僕は思う。
「淡い期待」なんか裏切られてアタリマエ。本当の開発に着手する前に、システムのウィークポイントを把握できただけで、「丸儲け」だと思ったほうがいい。
そして、「はひー、そうきましたか」「いやー、こりゃ、まいったなぁ、一本とられたなー」という具合に、Formative Evaluationをエンジョイしたほうがいいと思う。
そして、結果がでたら、それを真摯に、かつ前向きに、対応を議論したほうがよい。「誰の作業が悪かったか」を話すのではない。そんな会話はナンセンス。「何を変えるとよりよくなるのか」を十分話し合って、合意できれば、それでよい。
三人集まれば文殊の知恵。解決策は、必ず、見つかる。フィージビリティとリソースを勘案する必要はある。
明日のFormative Evaluationも、そういう機会になったらいいと思っている。
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昨日夜から、システム班、英語班、評価班の各グループは最後の追い込みに入っている。数十通のメールがとびかう。
最後までコンテンツを作り込んでくれている島田さん、ハリソンさん、栗原さん。実機のデバックをしている山田さん、秋山さん、西森さん、三宅君。そして、評価のプランニング等を行ってくれている北山君、館野君、中野さん。そしてW-ZERO3、Windows mobileでのFlashのシステム開発を進めているスパイスワークスの藤田さん、常松さん、草間さん、関根さん。
最初のマイルストーンに向かって、今日も作業が続いている。
本当にお疲れ様です。
明日は、エンジョイしましょう!
投稿者 jun : 2006年10月 5日 13:15
アルク、大学リメディアルm-learningサービスを開始
コンテンツ配信料と広告収入を組み合わせたビジネスモデルが特異点でしょうか。
アルクと日本統計事務センターが共同で大学・専門学校向けに学生の基礎学力支援のための新しいモバイル学習サービスを開始
http://www.alc.co.jp/press/press/prs_060926.htm
スクリーンキャプチャとかないので、どんなものなのかわかりませんけれど。
投稿者 jun : 2006年10月 4日 12:27
ミネラルウォータ、コントレックス(contrex)にハマる
ここ数ヶ月ほど、僕は、ある「水」にハマッている。
「おフランス」生まれで、モデル御用達のミネラルウォーター「コントレックス(contrex)」だ。最近は、薬局やコンビニなどで手軽に入手できるから、見たことがある人も多いと思う。
実は、数ヶ月前、体調が悪い時期がかなり長く続いたので、我が家では「健康改革」を断行することを決意した。改革なくして成長なし(意味不明)。食生活に、聖域なき構造改革を!
まず、カミサンが大変苦労して、毎日の食事には、なるべく化学調味料や添加物を使わないようにしてくれた(とても感謝している)。そして、ふだん飲む水も、浄水器で濾過したものから、マグネシウム。カルシウムの多いミネラルウォーターに変えることにした。その際、選んだのが、コントレックスである。
そうしたら、あれま、どうしたことよ・・・
痛かった胃は、全快とはいえないものの、かなり快調になったのです。肩こり、首の痛みもマシにはなりました。お通じありまくり、つーか、でまくり(汚くてスマン)。そして、びっくりしたことに、体重も、最近少し微増傾向にあったのが、知らないうちに、3キロ減ったのだね・・・。で、全くリバウンドする気配なし・・・。
これはどういうこと?
オレも理由はわからん・・・でも、事実なのです。
・・・
・・・なんかこう書くとさ、「怪しい商売」みたいなんだけど、本当なんだから仕方ないわな。
もちろん、これがコントレックスによるものか、食事を変えたせいなのか、はたまた、何にもしなくても「快復に向かったのか」は、わからないよ。だって、そういう実験計画を組んでないから(笑)。つーか、オラ、被験者じゃない。
上記は、極めて非科学的な単なる感想、<わたしの健康論>です。他人に勧める気は全くないですので、あしからず。
でもね、少なくとも僕に関しては、ちょっとはよくなったんだよねぇ・・・。で、それ以来、僕は「コントレックス」を崇拝しているのです。暇さえあれば、飲んでるね、悪いけど。
コントレックスは、最初、甘く感じるんだよねぇ・・・。なんか最初は苦手だった。でも、毎日飲んでると、この「甘さ」がないと癖になる。常習性あるんじゃないだろうか、と思っちゃうほど。
「あんちゃん、コントレックス欲しーよ、オイラにも、わけてくれよぉ」とか、思わず言ってる(意味不明)。
まぁ、いつまで続くかわからないけど。
それで少しは健康になった(と思っている)のなら、いいんじゃないの、と思っていますけど。
病は気からね・・・そこんとこよろしく。
投稿者 jun : 2006年10月 3日 18:17
博士課程入試のお知らせ
先日以来読みすすめたミンツバーグの書には、何人かの知の巨人たちの言葉が引用されていた。
組織科学の研究者カール=ワイクによれば、
「アカデミックな機関とは、意味を生み出す場所である」
らしい。
哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、
「大学は冒険の拠点であるべきだ」
と語ったそうだ。
新しい意味を創り、既存の意味を編み直す「冒険」に出かけよう。
東京大学大学院 学際情報学府 博士課程入学試験
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/admission/doctoral.html
中原に研究指導をご希望の方へ
http://www.nakahara-lab.net/playlink.html
投稿者 jun : 2006年10月 3日 08:26
イタリアン料理のメタファでワークショップを語る!?
先日、佐藤優香さん@国立歴史民俗博物館、上田信行先生@同志社女子大学、元原麻理さん@同志社女子大学たちと、ディナーをご一緒しました。そのときに、聞いた話の中で、とても印象的だったことがあります。
佐藤さん、上田先生らが、ワークショップのデザインを「イタリアン・ミール・モデル」というモデルで説明してくれたのですね(手作りのカードで説明してくれました・・・ありがとうございます)。「料理」をメタファに、「ワークショップのつくりかた」を語ってくれました。それがとってもわかりやすかった!
このメタファを見いだすため、佐藤さんは、実際に青山のイタリア料理屋さんに足を運んで、シェフにインタビューをしたそうです。
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イタリアン・ミール・モデルとは、そのものズバリ、「イタリアンレストランで、お料理がでてくる順番」のことです。それはワークショップの構成を考える上で、参考になる。
佐藤さんによると、イタリアン・ミールは、下記のような順番でサーブされるそうです。
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1.ストッツキーノ:まず、口にするフィンガーフードのことです
2.アンティパスト:前菜です。
3.プリモピアット:パスタ、リゾットなど
4.セコンドピアット:メイン、魚か肉でしょうね・・・
5.フォルマッチョ:チーズのことです
6.フルッタ:フルーツですね
7.ドルチェ:いわゆるスイーツでしょうか
8.カフェ&プティフール:エスプレッソに小さな焼き菓子がついてきます
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上記8つは、フルのイタリア料理ということになるでしょうか。ただ、この行程は、ワークショップをとらえる上で、ちょっと細かすぎるかもしれない。8つを大別すると、下記のように4つに分類できます。「イタリアンミールモデル」では、ワークショップを下記の4行程で把握します。
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【1.アンティパスト】
1.1.ストッツキーノ
1.2.アンティパスト
【2.プリモ】
2.1.プリモピアット
【3.セコンド】
3.1.セコンドピアット
【4.ドルチェ】
4.1.フォルマッチョ
4.2.フルッタ
4.3.ドルチェ
4.4.カフェ&プティフール
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イタリアンミールモデルの詳細について、説明する前に、ひとつ確認しなければならないことがあります。
まず、ワークショップとは、体験を通じて省察を行う場ですね。一見、それは混沌とした場です。多くの人々がフランクに参加しており、一目見ただけでは、そこに「流れ」がよめないかもしれません。
しかし、非常に重要なことは、それは確実に「デザインされている」という事実です。比喩的に言うのならば、「Not noticed but designed」である。デザインをする側の人間は、ファシリテーターといっても、ラーニングデザイナーといってもよい。だが、そこには、「活動を組み立てる人」がいることは間違いない事実です。
そして、「ワークショップがデザインされている」ということは「Well-designed workshop」があれば、「ill-designed workshop」もあることを意味します。「well-structured....」「ill structuered」といってもよいかもしれませんね。
そして、Well designed workshopをつくりだすための目安が、「イタリアンミールモデル」、ということになります。この順番で、活動を組み立てる、と非常にわかりやすいし、成功しやすい。いわゆる「ワークショップデザインのヒューリスティックス」ということになるでしょうか。
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それでは、早速、イタリアンミールモデルについて説明しましょう。
まずは、【アンティパスト】です。
ここでは、最初に会場にきた人たちに、「ストッツキーノ」を振る舞う。これはフィンガーフードです。プチ期待、高揚感を与えるのでしょうか。そして、会場の雰囲気になれてもらうのがこの役割です。雰囲気になじんでもらうためには、ウェルカムドリンクも必要かもしれません。
次に提供されるのが「アンティパスト」です。佐藤さんによると、アンティパストは「席について整える」という意味があるそうです。まず、何らかの活動に従事してもらう。しかし、あくまで前菜ですね。
ここまでがいわゆる「儀式化のプロセス」でしょうか。本当に伝えたいものの前に、その「かまえ」をつくるプロセスです。
いよいよ【プリモ】【セコンド】です。
これがワークショップのメインの活動になりますね。その日、もっとも伝えたいこと、参加者に感じてほしいことをこの活動に埋め込む。【プリモ】は、パスタやリゾット。【セコンド】は肉や魚になるのでしょうか。
よくワークショップというと、参加者に自由に活動させるものと誤解している方がいます。しかし、ワークショップといえども、インストラクター、ファシリテータの「意図」から、自由になれるわけではありません。
【プリモ】【セコンド】では、手をかえ、品をかえて、ワークショップの中心的な活動に参加者をinvolveさせていきます。
そして最後の【ドルチェ】です。
【ドルチェ】とは、リフレクション(reflection : 内省)の時間でしょう。そして、ここには4つの要素が込められている。フォルマッチョ、フルッタ、ドルチェ、カフェ&プティフール・・・ゆっくりと時間をかけて、その日、活動した意味を語り直し、内省する時間です。
イタリアンミールモデルの構成要素8つのうち、4つがドルチェです。そして、実は、僕はここに感銘を受けました。
通常、ワークショップというと、「活動」が主体になるというイメージが強い。しかし、実際は・・・といいましょうか、「イタリアンミールモデル」では、「リフレクション」にこそ、もっとも時間をかけている。このことが重要だ、オモシロイと思ったのです。
これは僕の個人的な見解ですが、「活動すること」、それ以上に重要なのは「リフレクションすること」なのです。
人は、活動後のリフレクション時に最もよく学ぶ。
リフレクションするだけではダメです。それは頭だけでしか、物事を把握できない。活動があって、リフレクションする、このセットと順番が重要かもしれません。
しかし、このことは意外に誤解されたり、忘れ去られたりしている。
活動ありきになったり、体験重視になる。活動したけど、何が何だかわからない。どんな意味があったのかわからない、ということになりがちです。
いわゆる「反知性主義」や「はいまわる経験主義」といった批判は、ここから生まれるような気がします。イタリアンミールモデルは、「リフレクション」の重要性を、思い出させてくれました。
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イタリアンミールモデルを簡単に解説しました・・・。ちょっとはしょりすぎたかな。
あと、もう1つ佐藤さんからオモシロイ話を聞きました。
「調理」と「料理」は違うという話です。
佐藤さんによると、「調理」とは「サイエンス」のことである。要するに、どのような素材を準備し、どのような温度で、どのような行程で、ひとつのプレートをつくるか。これは「調理」というのだそうです。
それに対して「料理」とは、「プレート」間のあいだに「つながり」をつけること。その日サーブする「プレート」ひとつひとつの意味をつなぎ、一貫した「世界観」をつくることだそうです。それは「物語」といってもよい。さしずめ、シェフとは「ナラティヴ・メイカー」なのですね。
ひとつひとつのプレートは、全く違った食材、全く違ったソースでもいい。だけれども、素晴らしいコースには、そこに一連の流れ、物語がある。この物語こそが非常に重要なのです。
こう考えるとオモシロイことがわかってきます。
「調理」ができて「料理」ができないシェフはいるわけですね。サイエンスは実践できるけど、ナラティヴはできない。
逆に「料理」ができて「調理」ができないシェフはいない、ということになります。だって、プレートひとつすら満足につくれないのに、そこにひとつの意味をつくることは不可能ではないでしょうか。
そして、「調理」も「料理」もできる人が、「アイアンシェフ」なのでしょうね。ほら、昨日の話ともつながった。「サイエンス」だけではダメなのです。また「アート」「クラフト」だけでもダメなのではないでしょうか。「サイエンス」「アート」「クラフト」の3つのバランスが重要なのですね。
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とにかく、その日のディナーでは、いろんなことを話しました。また、ここに書いたことは、あくまで僕の解釈したことですので、必ずしも、佐藤さん、上田先生がおっしゃりたいこととは違うかもしれません。
しかし、「イタリアンミール」のメタファは、わたしたちに、重要なことをいくつも思い出させてくれるメタファのように思いました。ワークショップだけじゃない。これは授業開発のモデルといっても、D論執筆のモデルといっても、そう問題はないのです。大変パワフルな概念ツールのように思います。
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※佐藤さん、CSK松本さんによる解説が下記にあります。
http://learningart.net/blog/comments.php?y=06&m=09&entry=entry060926-122555
投稿者 jun : 2006年10月 2日 06:00
MBAが会社を滅ぼす!?:アート、クラフト、サイエンス
ミンツバーグ著「Managers not MBAs」を邦訳で読み直しました。やはり日本語の方が頭にスルスルはいるわな。横から見ても、下から見ても、アイ・アム・日本人。そりゃ、そうだ、アタリマエダのクラッカー。
本著の趣旨は、「既存のMBA教育がいかに"マネージャの育成に失敗してきたか"、その原因を探ること、と新しいマネージャ教育はいかにあるべきか考える」ことでしょう。
ここで展開されている議論は、別に、MBAだけじゃなくて、結構、いろんな専門職学位についていえるかもしれない。M.Edとかなんかは、ある意味、ほとんど当てはまるのではないかと思いました。
ところで、本書で印象的だったのは、下記の記述。
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マネジメントとは、本来、「クラフト(=経験)」「アート(=直感)」「サイエンス(=分析)」の3つを適度にブレンドしたものでなくてはならない。
サイエンスに偏りすぎたマネジメント教育は、官僚的な「計算型」のマネジメントスタイルを育みがちだ。一方、ビジネススクールで教育を受けた人間がアーティスト気取りでいると、「ヒーロー型」のマネジメントを行う傾向がある。
どちらも、もうたくさんだ。責任ある地位には、ヒーローもいらないし、官僚もいらない。
(同書p12より引用)
※ちなみに、アートに偏りすぎると「ナルシスト型」になる・・・。
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ミンツバーグは、現在のビジネススクールのカリキュラムは、ハードサイエンスを志向したカーネギーメロン大学のMBAプログラムに非常に強い影響を受けている、と言います。そして、そのあまり、教育がサイエンスに偏りすぎる結果になった、としています。
要するに高度な分析ツールを利用して現状把握、マーケティング調査したりすることが、「マネジメント」を意味してしまう、ということですね。一言でいえば「分析=マネジメント」になっちゃってる。
これは非常に興味深い指摘ですね。そういう教育は、構造的に生み出されているのです。
当初、カーネギーメロン大学は、ビジネススクールのアカデミズム性を向上させようとして、卓越した研究ができる教員を集めた。その結果、「研究=分析」を教える教員が増えて、いわゆる、カリキュラムがサイエンス志向、分析志向になってしまった。
こういう問題は、別にビジネススクールだけで起こっているわけじゃないよね。多かれ少なかれ、大学ならどこでも、こうした問題はある。研究者の評価基準が、「研究の卓越性」にある以上、ある意味、構造的にどこでもおこりうる問題です。
じゃあ、サイエンスなんかいらない、分析なんかいらない、というのは早計です。そういうのを、「反知性主義」といいますね。
ミンツバーグが述べているように「クラフト(=経験)」「アート(=直感)」「サイエンス(=分析)」が調和しなければならない。そういうバランスのある教育を提供できる人を、大学全体で集める必要があるということでしょうか。
こういう話をすると、必ず、「じゃあ、実務家が足りてないな。実務家から教員をどんどん採用しよう」という話になるのですが、それはちょっと短絡的かなとも思います。
「実務を長い間こなしていても、それを言葉で伝えられない実務家」は多い。もうバーンアウトしてしまっている人も少なくない。そもそも、よーく考えてみれば、「実務家を入れたぐらいで、教育が機能的に変容するわけはない」のです。
話はそんなに簡単ではない。「マネージャとは何か」をもう一度考え、カリキュラムや教育の手法、ビジネススクールそのものの学習環境を見直す必要があるのでしょう。
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えー、どっから何したらいいの?・・・とおっしゃるあなた・・・つーか、このまま放置されたら、「袋小路きみまろ」だよねぇ(意味不明)。
でも、ここから先は、本書をお読みいただければと思います。ミンツバーグが熱い語りを展開してくれる。一番盛り上がってくるところ、ネタバレはいけません。ついでに、ミンツバーグの古典を味わうのもいいですね。
うーん、それにしても、バランス感覚のある人を育てるのは本当に難しいよねぇ。キャラってのもあるしねぇ。教育には「できること」と「できないこと」がある。なんか、限りなく「不可能」に近いことのように感じてしまうのです・・・ため息でちゃうね。
投稿者 jun : 2006年10月 1日 08:26