紙も、加えて、ケータイも

 先日、ある会議で「最近、人々のPC離れが進んでいるのではないか」ということが話題になった。「PCよりも携帯で勉強したい」という層が1年前に比べ、かなり増えている、ということだった。

 教育のサプライサイドとしては、「紙か、PCか、携帯」という3つの選択肢を用意するのではなく、「紙も、携帯も」という組み合わせが重要になるのではないか、ということだろうか。
 「紙にできないことは何か」、そして「携帯にできることは何か」・・・この切り分けをしっかりと行い、そこにビジネスモデルを構築できたサプライヤーが伸びていくという空想を頭に描き、愉しんでいた。

 予想はあくまで予想である。僕は占い師ではないから、未来のことはわからない。もちろん、携帯にはPCとは違ったデメリットがたくさんあることも素直に認めなければならない。教材開発のコストもかさむ。

 また技術的課題も大きい。今、僕らは、あるケータイ教材を開発しているが、その開発は、本当に手探りである。開発環境、手法等がまだまだ定型化されているわけではないので、システムチームは本当に骨を折っている。

 ただ、携帯のこの「ぎこちなさ」「融通のきかなさ」は、どこか「いつか来た道」を思い出させる。「インターネットに接続されたPCを活用して学習する」ということが、遠い未来のように思われた頃のことを、つい回顧してしまう。

 携帯電話の保有率は、若年層に限って言えば、ほぼ100%に近い。日本全人口であれば、だいたい60%をこえている。これほど普及した情報インフラを有している国は、世界でもそうあるものではない。

 何かが動き出そうとしているのではないか、そう邪推する。

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追伸.
 青山学院大学の鈴木先生の「学習資本主義」のエントリーには、とても考えさせられた。 この種の議論に付随する、領域固有をかえりみない「学習能力概念」の素朴さには、やはり問題を感じざるを得ない。また、学習の資本主義化は、教育の問題として解決しうる問題なのか、という指摘も我が意を得たりと思った。

学習資本主義
http://edhs.ri.aoyama.ac.jp/~susan/archives/2006/09/post_213.html#more