僕はblogを演出する!?
日記をWebでつけはじめて、今年で7年。最近、よく人に言われることのひとつに、
「中原さんは、よく、あけっぴろげに、自分の生活や気持ちを公開できますね。僕にはできないなぁ」
というものがある。
日記とはそもそも秘めるもの。自分のプライベート、内面を匿名の人に向かってしゃべる、という行為自体が、多くの人には、信じられないのかな、と思う。
しかし、そういう見方 - つまりは個人の日記blogが、一方向的な個人の内面感情の吐露の場であるとみなす見方 - は、申し訳ないけれど、ちょっと僕の認識からは、相当ズレている。そういう風に個人blogを見なすと、ちょっと現実を見間違うことが多いのではないかな、と懸念する。
まず第一に指摘できることは、僕がblog上で書いているのは、自分の内面や生活ではない。比喩的に言うならば、まさに僕は「NAKAHARA-LAB.NETの中原」を演じているにすぎず、そこで公開されているのは、blogの書き手としての内面や生活である。
僕のblogには、ある意図をもって、演出や編集が相当施されている(他の人のblogは知らん)。「オモシロ、オカシク、ワカリヤスク、たまーにマジメ」をモットーに、僕はblogを演出、編集している。どちらかというと、日記というよりは、物語に近い。
「なんだ、ウソ書いているのか」
と怒られそうな気もするが、「すみません、ウソじゃないんですけど、まるままホントウではありません」と答える他はない。もちろん、この「すみません」には、あまり反省が感じられないんだけどね・・・す、すみません。
でも、物語だって言っているんだから。誰も、エッセイストや小説家に向かって、「ウソ書くな」とは言わないでしょ。
第二に、blogは、ある個人が内面を洗いざらい吐露し、描写するような、いわゆる私小説風の、「カタルシスの場」ではない。
むしろ、blogは、読者と作者のつくるテクストである。ネタを一番最初に提供するのが、「作者」と言われる人。それに答える人が「読者」という人。blogを面白くするのは、その二者のインタラクションであり、そこで生まれるテクストは、共同産出の成果である。
「そんなことを考えて、書いているのは、オマエのblogだけだ」
と言われそうな気もする。
「チッチッチッ、甘いね」。
はじめたばかりのblogでも、一日に1万件のアクセスがあるblogでも、上記2つの指摘は「程度の問題」。
blogでは、誰もが、どこかで何かを演じている。また、たとえインタラクション(コメント)が誰からもつけられていなかったとしても、読者の声、まなざしを想定せずに書くblogは少ない、とも思える。そこには、目に見えないインタラクションが交わされている。
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個人の日記blogとは、そんなにシンプルなものじゃない。そんなに、みんなナイーヴぢゃないぜ。blogを書いたことのある人ならば、この見方には同意してもらえると思うんだけどなぁ。
追伸.
「blogを演出している」ということを、正直に書いてしまった・・・。この事実に演出はない。
投稿者 jun : 2006年9月20日 09:41
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