さよなら、僕のステレオセット
とうとう、波のようにお別れがきました。
これまで、騙しだまし使っていた、15年ものの「単品コンポ」でしたが、ついに手放すことにしました。すでにカセットデッキやチューナーに関しては数年前に故障してしまいましたが、CDやアンプに関しても、限界を迎えました。
このコンポは、僕が高校入試に合格したときに親にお祝いとして買ってもらったものです。CDプレーヤーにはこれ、アンプにはこれ、チューナーはこれ、カセットはこれ、とその当時、コンシューマー向けに売られていたものの中で、よいものをひとつずつ選びました。当時のお金で40万近くしたはずです。
数年かけてカタログを検討し、専門の雑誌を定期購読して、選びました。当時売り出されていたコンポの中で、僕が手に届くものとしては限界の性能のものを選びました。これが、自分の部屋に運ばれた日のこと、15年たった今でも、つい数日前の日であったかのように覚えています。いやぁ、嬉しかったなぁ。
それから15年・・・こいつは、いつも僕といました。
タ○コに火をつけてむせ返ったあの日も。はじめてつきあった女の子とでかけた夏祭りの日も。一日15時間以上机に向かっていた大学入試直前の日々も。4畳半のクーラーのない部屋で暮らした大学時代の日々も。曙光すら見えぬ中、ひたすら日々研究に打ち込んだ大学院生の日々も。駆け出しの研究者としてスタートをきった日々も。現在のパートナーと新たな生活を開始した日も・・・。
苦労した日々も、嬉しかったことも、こいつ以上に、僕の15年間を、すべて知っている存在はきっといないことと思います。
そりゃ、何度も手放そうと思いました。広い部屋のある北海道の実家ならいざしらず、内地の4畳半の部屋で、バカデカイ単品コンポをおくのは、愚弄以外の何者でもありません。布団を引いてしまえば、もうそれ以上に、何かをおくスペースすらないのです。
しかし、僕は、今までこいつを手放すことはできなかった。どんなに図体が大きく、どんなに古いものでも、僕にとっては、かけがえのないものだったのです。
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しかし、そろそろ波がひくように、別れの時がきました。
かたちあるものは、いつか壊れます
そして、はじまりがあるものには、必ず終わりがあります。
近々、引越しをすることから、どうしても、もう置いておけない事情が生まれました。
きっと、誰かの手によって、こいつは再び命をふきかえし、僕の知らない誰かの部屋で、僕の知らない素敵な音楽を奏でることでしょう。それはまた愉しいことではないですか。
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最期に一緒に写真を撮りました・・・。
これほど、思い入れのある買い物を、生涯で僕は二度とすることはないと思います。どんなにお金に余裕ができたとしても、こんな風に買い物はできない。
さようなら・・・ありがとう。
数日後、僕とこいつは、違った道を歩き始めます。