「権利」「法律」の研究者向け研修

 ある授業のデジタルコンテンツ化のことで、権利交渉が続いている。

 言うまでもないことだが、「コンテンツとは権利のビジネス」である。
 それを失えば、たとえデジタルファイルを物理的にもっていたとしても、利用できないといったことがおこる。それを得ることができ、適切に隣接する権利に関しても処理することができれば、二次展開、三次展開といったことが可能になる。

 だから、皆、権利が欲しい。しかも、重畳的に発生している権利を、すべて獲得しようとする。そうでなければ、利用場所を変えるたびに、承諾をとる必要が生じてくるから。かくして、「あっちをたてれば、こっちがたたない」といった状況が生まれる。

 しかし、お互いに要求だけ行っていては、結局、それ以上、話が先に進まず、どちらにとってもメリットはない。負担するリソース、今後の利活用の用途に応じて、「落としどころ」をさぐる必要がある。それは囚人のジレンマ的状況に少しだけ似ている。

 東大に着任するまで、僕はこの手の話を何一つ知らなかった。しかし、東大での「教育の情報化」の業務をすすめるにつれて、この手の経験をひとつひとつ積んでいった。

 いいや、「教育の情報化」だけじゃない。

 いまや、研究を行うためには、権利、法律からは無縁ではいられない。
 研究の成果は、誰がどのように持っていくのか。どこまで公開する権限を誰が持ち得ているのか。MOU(Memorandum of Understanding)やNDA(Non-Disclosure Agreement)を結ぶことなしで研究が進むことは、いまやなくなってきているのが現状である。

 さらに、実験を行う上では、被験者に対する個人情報保護対応、合意文章の取り交わしを行う必要がでてくる。これを行っておかないと、あとで様々なデータを利用しようと思っても不都合が生じる可能性がでてくる。

 これらのたぐいの知識は、僕は、今も独学で、あるいは、経験を通じて学んでいる。が、それは体系的に学んだとは言えず、片手落ちであることは否めない。

 研究者にも、この手の権利、法律の研修を義務づけるべきだと、僕は思う。

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 先の権利交渉は、ねばり強く行っていこうと思う。まずは論点を整理することか。はやく、落としどころを見つかるとよいな、と思っている。

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追伸.
 カミサンのつくったショートコーナーが、海外のテレビ局に購入されたらしい。おめでとう。権利をきちんと処理して、かつ、それを海外で営業する専門職がいて、はじめてこうしたことが可能になる。