土手を走る、Dragon Ashのこと

 家の近くにある土手沿いを1時間ほど走った。梅雨明けの東京の陽の光は強烈で、ジリジリと肌をこがす。

 河川敷のグランドには、たくさんのサッカー少年、野球少年が、今日もせわしなくグラウンドを駆けている。
 その光景は、20年前、北海道の石狩川や美瑛川で見た光景とほとんど変わらない。時を超えて変わらぬものがあるのだとすれば、この光景こそ、そのひとつだろうと思われる。

 ジョギングするときには、ipodと決めている。僕のipodには、モーツァルトからジャズ、ヒッポホップ、演歌、唱歌、聖歌に至るまで、ありとあらゆるジャンルが収められている。

 走るときにはビートのきいたのがいい。さすがにジョギング時に演歌とか唱歌ではあわない。クルクルとホイールをまわし、今日は、Dragon Ashにチューニングする。

 Dragon Ashの全盛期は、1999年代頃と記憶する。
「単に韻を踏んでがなる」だけのラップとは違って、当時のDragon Ashには、強烈なメッセージがあったように思う。

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陽はまたのぼりそして繰り返す
寝ぼけてるひまなどない 今だDive
Friends clap your hands put your hands in Air!
さぁ窓をあけ僕は手をふるよ
さぁ 外へでて もう少し歩けばいい

(陽はまたのぼり繰り返す)

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今想う闘いの日々 感謝するごとにあふれだす慈悲
しのぎを削ったあの攻防戦 今なお続くここは最前線
父から得たゆるぎない誇り 母がくれた大きないたわり
君にもらう暖かいぬくもり 明日への糧に生き抜くために

(Grateful days)

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駆け抜けろ時代を 未来へと進め 空気を吸って
振りほどけ恐れを 大地を踏みしめ歩き出そう

(Let yourself go, Let myself go)

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 当時の彼らの歌詞には「感謝」「責任」「歩く」などの言葉が多用され、聞いていて、どこか前向きな気分になる(今は知らない)。嘘か真か、もともと、Dragon Ashというグループ名は、「drag on ash(だらだらすると灰になる)」というところからきているのだとかいううわさもある。

 1999年当時は失われた10年の真っ最中。日本には沈滞した雰囲気が漂っていた。「どこまでいけば、先が見えるのだろう」「僕らに未来はあるのだろうか」・・・当時、20代前半だった僕は、そんなことをよく考えていた。

 そんな中、彼らは非常にpositiveでenergeticだった。当時の僕は、大学院で修行をする身。曙光すら見えぬ中、ひたすら論文を書き、プログラミングをし、本を乱読する毎日だった。彼らの歌には、随分と勇気付けられたことを思い出す。

駆け抜けろ時代を 未来へと進め 空気を吸って
振りほどけ恐れを 大地を踏みしめ歩き出そう