1%のミス
公共サービスを市場原理にまかせた場合、どのような問題が起こるのか。医療過誤、マネジドケアの問題を扱った「アメリカ医療の光と影」を読んだ。
医療技術の観点からも、そして「医療がまきおこす様々な社会問題」の観点からも、常に「世界の最先端」をひた走るアメリカ医学界の諸事例は大変スリリングであり、非常に興味深く読むことができた。
ひとつ印象深かったデータを紹介。
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(ハーバード大学公衆衛生学部)のリープたちの研究が、全米で知られるようになったのは、1991年にニューイングランドジャーナルオブメディシン誌に発表された論文からである。
ニューヨーク州の51病院を大将として、医療事故の発生頻度を調査した論文であるが、1984年度の入院患者のカルテをランダムに3万冊抜き取り、それぞれの症例で医療事故発生の有無を子細に検討したのである。
その結果、医療事故の発生は1133件(3.7%)、うち医療側の過誤による医療事故が280件(0.9%)にのぼることが判明した。
ちなみにカリフォルニア医師会が行った調査でも、医療事故の頻度は4.6%、うち医療過誤の頻度は0.8%と類似の結果がでている。
(中略)
リー婦らのニューヨーク州での調査結果を全米に当てはめると、毎年350万人の入院患者が医療過誤に遭遇し、このうち10万人が死亡していると推計されたのであった。
医療過誤での年間死亡者数が、交通事故死(4万5000人)の二倍以上にも達するという調査結果は、全米の医療界に大きな衝撃を与えた・・・・・・
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このデータの信憑性については、僕自身が専門ではないので判断はできない。
ただ、もし仮に正しいとした場合、すべての医療や診断のシステム、制度、ルールは、「専門家は誤りをおかすものだ」ということを前提に設計する必要がある。「専門家は常に合理的な判断を行える主体である」と考えることは、非常に危険なことである、といえるのではないかと思う。
先日読んだ本には、「プロフェッショナル」とは、まだよくわかっていない面倒な問題を何とかしてこなす職業」であるとあった。「未知の領域に格闘する」のが専門家である以上、過誤はつきものである。
専門家が専門家である以上、「1%」は歴然としてある。
問題は「1%がある」ことではない。
1%をいったん認め、それをいかに減らすかである。