査読者になってみる

 先日、このblogで「ヘボイ論文を査読者になったつもりで読むと力がつくだろうな」という話をしていたのですけれども、大学院のゼミで、ワタクシメが、数年前に書いた論文を厳しく批判していただきました。非常に的確で、completely correctな批判でした。

 まぁ、論文を書くときには、様々な制約、社会的事情、研究者としての僕のねらいとか、様々な背景があるのだけれども、それをもって、こういう批判に答えるのはフェアじゃないね。研究は、あくまで「結果」だけで判断されるべきだと思います。僕も大変勉強になりました。今日の発表、よかった、ありがとう。

 ちなみに、僕個人の感情をいえば、今回俎上にのぼった研究に関しては、今になって考えれば、もうすこし厳密に実験計画を練れただろうな、と思う。だけれども、その成果には満足しています。そのあとで、この研究を引用する論文がかなり生まれたから。また、再実験をせずに、あのタイミングで発表することを優先したことは、正しかったと思っています。

 まぁ、そんな「ヘボさ」はさておき、まぁ、僕の仮説通り、「査読者になったつもりで読む」というのは、教育のひとつの手法としてよかったのではないかな、と思います。
 査読のプロセス、等分散性とか、ランダムサンプリング、統制変数とか、陥りやすい罠について、少し実感をもってわかっていただけたのではないかと思います。

 僕の屍を踏み台にして、皆さん、よい論文を書いて下さい。
 次は誰の論文だ?