Always 三丁目の夕日

「Always 三丁目の夕日」をレンタルビデオで見た。

 僕が生まれる17年前・・・昭和33年、1958年の東京。

 短気オヤジの則文が家族経営している自動車修理工場で、青森から集団就職してきた六子が働き始める。

 工場の向かいでは、茶川という作家くずれの文学青年が少年誌に冒険小説を投稿しながら駄菓子屋を営んでいる。ひょんなコトから、近所の一杯飲み屋のヒロミから、身よりのない子どもを預かることに・・・。

 「Always 三丁目の夕日」は、この修理工場と駄菓子屋での「日常の出来事」を中心にしたレトロ感覚あふれる物語。

 ストーリーに明確な「山」があるわけでも、「谷」があるわけでもない。平凡な下町の日々がつづられており、それがかえって、琴線にふれる。

 昭和33年・・・携帯もDSもインターネットも、もちろんなかった。しかし、それは日本人が、日々、「自分たちが豊かになっていく感覚」を感じることのできた時代であった。三種の神器が、庶民の手にようやく届くようになっていた。

 昨日よりは、今日。
 今日よりは明日。
 明日よりはあさって。
 
 たとえ今日が貧しくとも、明日にはもっと豊かになれるはずだ。この時代に生きていた人たちは、そう、心の底から信じることができたのではないかと邪推する。少なくとも、Alwaysを見ていると、そのように感じる。

 もちろん、だからといって、この時代に生まれてみたかった、とはあまり思わない。僕は昭和50年でいい。でも、心のどこかで、その時代の雰囲気を、なぜだか羨ましくも思う自分に気づく。

 Alwaysはノスタルジーを誘う。
 「いつか見たような風景」が、そこにある。