ダヴィンチ・コード、建築現場見学会

 今日はマンションの建築現場見学会だった。
 朝っぱらから、カミサンにたたき起こされ、フトンから引きずりおろされ、「市中引き回し」の上、1時間かけて会場へ。

 正直行くまでは、「うわっ、日曜日の朝かよ、面倒くせーな」と思っていたけど、何のことはない、行ってみると、とても楽しかった。

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 まだ鉄筋のむき出しの現場で、いろいろと空想をめぐらしてみる。

 ここにはエレベータができる。ここにはカウンターができる。ここにはソファーをおこうか。ここは風呂になるんだろうな・・・。

 おそらく、僕は、ここで長い時間を過ごす。悲しみを感じるときもあれば、喜びをかみしめることもあるだろう。そう考えると、なんだか、目の前の打ちっ放しのコンクリートさえ、無味乾燥なものには見えなくて、どこか感慨深いものがある。

 見学会終了後、電車の中で爆睡1時間、いったん自宅へ。
 話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見てみたいとのことで、近くのシネプレへ。

ダ・ヴィンチ・コード
http://www.sonypictures.jp/movies/thedavincicode/

    

 個人的には面白かった。ストーリーは、最後の最後まで、どんでんがえしが待ち受けている。あと、かつてパリを訪れたときに行ったことのある場所が、結構、でてくるので懐かしく見ることができた。

 ただ、この映画は、キリスト教の知識の少ない日本人にははっきり言って難しいとも思う。

 たとえば「教会がなぜ女性をおそれたのか」「もしその秘密があばかれれば、どのようなインパクトを世界がおそうのか」について、映画が提起している問題をビビッドに感じるためには、よほどヨーロッパの知識とキリスト教の世界観、そして政治の中で宗教が果たしてきた役割を理解する必要があるだろう。

 きっと、この映画を機会に勉強して見に行くと、きっと3倍は楽しめるのではないかと思った。僕は勉強して行けなかったけれど、これから少し、昔読んだ歴史の本などを読んでみようかな、と思う。
 ちなみに、手っ取り早く読みたい方は、下記のヤ○ザ本がおすすめです。楽しめるよ。

  

 それにしても、かえすがえす思うのは、人間とは「物語」に生きる生き物だ、と思う。
 「物語」のために闘い、傷つき、そして命を落とす。それは、人類のもつ性質の中で、紀元前からの昔から、何一つ変わっていないことのひとつではないかと思う。

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追伸.
 来週も超ハードだなぁ・・・もう寝よ。