段ボーラーなわたし

 先日、会議で弥生キャンパスに行った際、学部時代の僕がよく利用していた共同研究室に立ち寄ってみた。当時、そこには教育学部の最新鋭のコンピュータ(PowerMac7500かな?)が据え付けられており、そこに、僕は入り浸っていたのである。その日は、残念ながら室内に入ることはできなかったけれど、なんだか懐かしくなった。

 学部時代3年生、そして4年生の途中まで、僕は、「大学」に住んでいた。家にあまり帰らず、夜になれば、研究室に「段ボール」を引いて、その上で寝袋にくるまって、寝ていたのである。比喩的な言い方をすれば、「研究室」が僕のおうちだったことになる。
 風呂は根津の方に歩いていけば銭湯があったし、食べるものは大学生協にいけばよいので、何にも困らなかった。

 なぜ、当時の僕が、家に帰りたくなかったか。それは2つの理由がある。

 一つめの理由は、「インターネットへの常時接続」を求めたからである。当時、まだ自宅で常時接続というのは、ほとんど普及しておらず、大学は唯一、いつでもインターネットに接続出来る場所であった。当時の僕は、インターネットに「どっぷり」はまっていたので、片時もネットから離れるのがイヤだった。

 考えてみれば、僕が入学したのは94年。まだWebブラウザがモザイクだった時代である。その頃から、僕にとって大学にいく意味というのは、「インターネットに触れることができる」というものであった。

 第二の理由。それは、この時期に、研究の基礎基本となるような文献をひーこらひーこらと勉強をしていたからである。当時の学部の助手さんや、先生なんかに英語の文献、日本語の文献を薦めてもらっては、ひたすら読み込み、ノートに整理していた(このノートはまだ研究室に大事にもっている!)。

 人によっては「大学で勉強なんてナンセンス」「研究は基礎基本を勉強するということではなく、未知の課題に自分で取り組むことだ!」なんていう人もいるかもしれない。

 でも、申し訳ないけど、僕の感覚でいうと、そういう指摘こそがナンセンスだ。クドイかもしれないけど、何事をするにも「最低限の型」というものが必要だ。研究者コミュニティに参加し、「自分なりの未知の課題」に取りくみたいからこそ、「型」を習得しなければならないのである。

 それは、もしかすると研究者コミュニティが代々受け継いできたカルチャー、ジャーゴン、テクニックとも言えるかも知れない。しかし、それなしでは研究者的にモノゴトを論理的に考えられないばかりか、研究者同士で会話することすら困難なのである。

 今から考えれば、時間のありあまっている学部時代に、教育学、教育心理学や認知科学の教科書にでてくる論文を読み込めたのは、僕にとって最大の幸せだったように思う。

 そしてさらなる幸せは、その共同研究室にはたまーに、僕のような学生や院生がきて、彼らといろいろ話をできたことだろうか。中には、プレイステーションを持ち込んできて、研究にあきると、「ファイナルファンタジーを一緒にクリアしない?」と誘惑してくる人も、いたけれど(笑)・・・結局クリアしたけど。

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 研究室に僕が「住んでいた」のは、今から10年前くらいのことである。ネットワークの時代は変わり、学問の最先端も変わり、そしてまた僕も変わった。

それにしても、「段ボールをマットレスにして寝袋で寝ていた」というのは、今の僕にはできない気がする。あの頃はなぜできたんだろう・・・不思議で仕方がない。