プロフェッショナルになるためには
引き続き「全米教育学会」ネタです。「変則三面待ち」的な「時差ぼけ」によって(麻雀やっていた人にはわかるはず)、日中眠くて桃色吐息、虫の息なのですが(意味不明)、やはりここは「最大の勉強の機会」なのだと思い直し、頑張ってセッションに参加しています。ヒアリングしてたら、意識失いそうだけど。
今日、一番面白かったのは、Professional Education(専門家教育)のセッションです。教育学研究者で知らない人はモグリというリー・ショーマン(Lee shulman)が座長を務めていました。
ショーマンは、もともとスタンフォード大学に在籍し、教師研究を長い間行っていました。特に教師にとって必要な知識を「Pedagogical content knowledge:PCK」として定式化し、のちの教師研究に多大なる影響を与えたことで知られています。いや、ホント。PCKは、仮に「教師に関する研究をやっていまんねん」とおっしゃる人がいるならば、「知らずに生きていること」が許されない概念です。
ショーマンさん、現在は、カーネギー財団先進教授学習センターの所長として活躍なさっていますね。
リー・ショーマン
http://www.carnegiefoundation.org/about/sub.asp?key=10&subkey=289
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今回のセッションでは、「Professionality(専門性)」をどのように獲得するか、ということが中心的な話題でした。これを明らかにするために、工学、医学、看護、法律などの専門領域を選んで、彼らが専門性を獲得するプロセスをフィールドワークするのです。
フィールドワークはチームで行われます。最初に、ある研究者が看護をフィールドワークする。で、今度は違った人がみる。要するに、交代しながらチームでフィールドワークするのね。そうやって、Cross validationをしつつ、「専門家になっていくプロセス」を観察するわけです。
特に、このセッションで発表した研究者たちは、大学院やその他の専門教育機関で学習する方法、いわゆる「学校的学習法」と、状況に応じて生まれる「現場での学習法」がどのように接合するか、という点です。
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一人目の発表は、カリフォルニア州立大学バークリ校の博士課程に通う女性でした。
彼女は、「患者との出会い/診察(解釈)」「事例のディスカッション(コミュニケーション)」という新人研修医の活動が、「観察」「他者に支援されての診療」「自分ひとりでの診療」のどのレベルで実践されているかを観察しました。
その結果、教育学的なインプリケーションとしては、研修医に対しては、1)なるべくAuthenticな学習の場を与える、2)期待をはっきり述べる、3)ガイドを行う/適切なフィードバックを行う、4)十分な時間を与える、5)学習した内容に責任をもたせる、などの点を指摘していました。
彼女の研究は、「徒弟制的学習」の方にフィーチャーしたものですね。データはやや抽象的で、より具体的なものが必要だとは思いましたが、彼女はこれを実行するために、全米9つのメディカルスクールの3年生、4年生を対象にして、11のフォーカスグループを組んでもらってインタビューを行っているそうです。
その苦労には、ホホーと感心してしまいました。今、彼女はドクター論文を執筆中のようです・・・ショーマンさんが言っていましたから。きっとそれで、ババーンと結果がでるのでしょうね。
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2人目の発表は、現役バリバリの看護士さんによるものでした。彼女は、「実践を教えることはなぜ難しいか」を下記のようにまとめていました。
1.実践の中に埋め込まれた知識は、explicitにすることは不可能である2.出来事(症例の変化)が起こったときに教えるしかない。そういうときにしか、学習の機会がもてない。
3.実践的推論は状況に基づいて実施される。重要なことは患者の状況は常に変わり続けるため、そこでの推論も変化することを前提に行わなければならない。
その上で、現在の看護教育において行われている教育方法を2つに分類して話していました。
ひとつめが「Cataroging and taxinomical teahing(カタログ・分類的教授)」というヤツで、もうひとつが、先ほども登場した「Apprenticeship」というヤツですね。
前者の「カタログ化・分類的教授」というのは、症例のカテゴリー体系の獲得を優先した方法です。ひとつの症例を教えるのに、他との違いによって教えていく方法。それはとても静的に症例をとらえ、体系的、かつ構造的に教えていくのですね。
2つの方法は、いわゆる徒弟制です。先輩看護士と一緒に、何か出来事があるたびに学んでいく方法。
で、看護師の彼女が言いたかった結論としては、それらが統合された方法じゃないとダメだってことでしょうか。
1.生徒には「教示をともなう共同看護(collaborative nursing with instruction)環境」を提供する。協働するだけでなく、明確に教える必要がある。2.患者は何を訴え、看護師はそれにどう答えるか、という関係を教えられるようにすること
3.患者の症例を一時的に切り取って教えるのではなく、その病状変化をケースに含むこと
などのインプリケーションを述べていました。
このことは数日前に大島先生と話していたのですが、やはり「教えなければならない基礎的な知識」は教える必要があるし、獲得してもらわなければならないのです。反復も必要なのですよ。
なぜならば・・・敢えて理由をつけるのだとすれば、そういう知識は文化を超えて伝承されてきたものであり、それを獲得することが、社会に参加していくことであり、文化を継承していくことだからです。わたしたちは、文化や社会を構成する一員になる必要があるということです。
このセッションが、「学校的学習法」と「現場での学習法(徒弟制)」の統合に焦点があたっていると言いましたが、ともすれば、教育学の議論は、徒弟制を過度に強調した議論になる場合って、そう少なくないのですね。そうするのが教育学的にコレクトな態度だと思っている人もいる。この問題には、そういう態度をとっぱらって、ゼロから考える必要がありそうですね。
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今回のセッションでは、看護に関する話題が語られていましたが、明日の日記で話しますけど、「Professional education」は、流行みたいなところがあって、AERA内での様々なセッションが組まれていました。
プロフェッショナルについては、前に日記で「流行やでー」と書いたことがありましたが、今後も様々な研究が生まれていくんでしょうね。
流行としてのプロフェッショナル
http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/02/post_58.html
特に、今回採用されていた方法 - ある専門領域の人々がどのように熟達化していくのかを質的に明らかにする方法 - というのは、日本でももっと取り組まれてもいいのにな、と思いました。なぜか、教育工学では、こうしたアプローチは、なかなかないですよね。
明日は、AERA最終日ですので、今大会をまとめるエントリーをひとつと思っていますけど。まとまるんかいな!?
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