出口のない論法で叩きのめす
先日、愛読書「読むクスリ」を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
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たとえどんなに理屈として正しくても、出口のない論法で相手を追いつめてはいけません。
中略
逃げようのない叱り方をしてはいけません。その人を本当にだめにしてしまいます。どこかに逃げ道をのこしておいてやってはじめて、叱った効果がでるのです。
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なるほど、これは深い。
論理にまかせ、相手を「ぐー」の音も出ないほど叩きのめし、完璧に追いつめてしまうことは危険である。
「出口のない論法」は、追いつめる側の人間のカタルシスには寄与するだろうが、「追いつめられる方」にとって、あとに残るのは嫌悪感情、そして復讐の念だけである。
「追いつめられた憎悪の炎」は、忘れ去られることなく、めらめらと揺らめき続ける。確かに胸に手をあててみれば、僕自身も完璧に叩きのめされ、幼気なそのココロに、憎悪の炎がともった経験がないわけではない。鳥頭なので、すぐ消えるけど・・・。
しかし、これでは「追いつめる方」にとっても、「追いつめられる側」にとっても、前向きなことは何一つない。
「アタマがよい」とは「論理的である」ってことだけを意味しない。「アタマがよい人」とは、「適切な避難場所をつくってあげつつ、論理的に話せる人」のことをいう。
それは本当に難しいことである。
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