教員と心臓外科医:熟達化のこと

 「ある領域での長期の経験に基づいて、まとまりのある知識・技能を習得し、有能さを獲得していくプロセス」・・・そうした現象を、学習科学(Learning Science)では、「熟達化」といいます。

 簡単にいうと、「ある事柄について精通すること」ということになるでしょうか。そういう状態を「熟達した」と言うのですね。

 一般に、熟達化のためには、「注意を必要とする練習(deliberate practice)」が必要になると言われています。(熟達の外的支援、他者支援のことは難しいので、敢えてここでは触れません)

 単に、意味のわからないことを繰り返し暗記するというのではないですよ。注意を傾け、熱心に、意味を吟味しつつチャレンジを繰り返すこと。そうした反復トレーニングが、熟達には欠かせません。

 こう言うとさ、「反復学習なんてナンセンス!」とかって怒っちゃう教育関係者がいそうですけどね。でも、教育関係者が「どんなに反復学習に教育理論的な価値を認めなかった」としても、どんなに理念で教育を語ろうとも、人が学ぶためには、そういう機会は必要なわけです。これは科学的事実。エビデンス=ベースで議論をしましょう。

 もちろん、そうはいっても、専門家によって意見は異なります。ただ、一般に、人がある領域に熟達するためには4000時間~5000時間ほどの時間がかかるといわれています。

 5000時間って、アンタ、簡単にいうけど、スゴイことよ。一日8時間勉強に励んだって、一日も休まずに2年くらいかかるってことですから・・・。モノゴトに熟達するには、それだけ長い時間がかかるってことですね。そりゃ、甘くないわな。

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 今日、実は、僕は京都に出張しているのですが、お昼は、共同研究者の方々とパワーランチをしたり、カフェで研究計画をねったり、昨今の教育問題について議論をしていました。そこで、ふいに「教員実習には、本来、どのくらい時間が必要か」って話になったんですよね。

 周知のとおり、教員になるためには、教育実習ってあります。教員になりたい人は、絶対にこれを受けなくてはならないのですね。

 ただね、教育実習・・・つまり「教生先生として学校で短期間働くこと」ですけど、平均的には、学生は、何時間くらい教育実習にいくかご存じですか。

 これ、僕は、全国一律で決まっていると思っていたんだけど、これが違うんだって。詳しいことはよくわからないのですが、大学によってバラバラらしいんですよね。

 たとえば、今日話していた共同研究者のAさんの大学の場合、学生には4週間の教育実習が義務づけられている。1日を8時間と換算したら、約160時間くらいだよね。

 それに対して、別の共同研究者のBさんの大学の場合 - この大学は実習がウリの大学なんですが - 300時間なんだって。ほぼ2倍ですよね。

 もちろん、長く実習を行えば、よい教師になれるかっていうと、そうでない可能性もあるから何とも言えません。ただね、2倍の開きがあると、やっぱり「できること」には差があると思いますよね。

 もちろん、300時間あったからといって、足りているとは言えません。本当に教員として有能に振る舞うためには、それこそ5000時間以上の時間が必要なのでしょう。

 ただ、ひとつだけ確かなことは、やっぱり教員になるためにも、「注意を必要とする練習(deliberate practice)」が必要なのですよね。その機会が2倍開いているってのさ・・・なんだかなぁと思ってしまいました。

 で、ムクムクとわいてきた疑問。

 平均的には日本の大学では、どれだけの教育実習を学生に課しているんでしょうね。これを調べた研究ってあるのでしょうか。で、そのことが教授力にどのくらい影響を及ぼしているんだろう。
 このリサーチクエスチョン、検証はとっても難しいけど、オモシロイよね、こういうことさぐるのも。

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 これに関係して、ちょっと前に、医学系のある雑誌を読んでいたんですけどね、ここに下記のようなことが書いてあった。

 日本では医師免許を取得すれば、いちおう、建前としては、どんなに難しい手術(オペ)もすることができる。ただ、心臓手術をするには、20症例程度の手術をこなせばよいと言われている。そうすると、日本の場合、専門医として一応はみとめられる。

 ただ、アメリカの場合、この数字はいっきに10倍になる。アメリカの場合、胸部外科の専門家として認められるためには200症例のオペをこなさなければならない。

 上記の話、僕は医学の専門家ではないので、本当のところはよくわかりません。まぁ日本人が手先が器用、芸が細かいっていう反論もあるかもしれない(笑)。でも10倍は開かないですよね、普通。

 でも、ひとつだけ言えることはさ、「僕が心臓を病んでいたとして、20症例の医者よりも200症例の医者に切ってもらいたい」と思うってことです。そりゃ、どちらが成功するかはわからない。でも、確率的に僕なら200症例を選ぶ。ちゃんと「practice」をした人間を選ぶよ、悪いけど。

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 まぁ、いろいろ話が飛んじゃいましたけど、僕は、今日、言いたかったことはね、「ある領域に精通させるには、時間や努力も必要なんだ」ってことです。

 こう書くと非常にアタリマエのコンコンチキなんだけど、なんだか、そういうところをすっ飛ばして、やれ応用力だ、やれ即戦力だという話になりますからね。
 中には「自分の経験論」「わたしの教育論」をふりかざし、「わたしは反復学習なしでも、勉強ができるようになった・・・だから、みんな反復学習なんてする必要がない」という人もでてくる。

 人間は学ぶ生き物です。この特性によって、人は深化し続けてきた。でも、そこで見える可塑性とは裏腹に、「人間はそう簡単には学べない生き物」でもあるのですね。

 あぁ不思議だねー。

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