追悼
わたしが一番きれいだったとき
茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っでいった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
ーーー
「倚りかからず」茨木のり子
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
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汲む―Y・Yに― 茨木のり子
大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと......
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
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六月 茨木 のり子
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
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「怒るときと許すとき」 茨木 のり子
女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらせている
庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も
今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ
噴火して 裁いたあとというものは
山姥のようにそくそくと寂しいので
今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう
じぶんの傷あとにはまやかしの薬を
ふんだんに塗って
これは断じて 経済の問題なんかじゃない
女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう?
女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
ちっぽけな自分の巣と
蜂の巣をつついたような世界の間を
行ったり来たりしながら
怒るときと許すときのタイミングが
うまく計れないことについて
まったく途方にくれていた
それを教えてくれるのは
物わかりのいい伯母様でも
深遠な本でも
黴の生えた歴史でもない
たったひとつわかっているのは
自分でそれを発見しなければならない
ということだった
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知命 茨木のり子
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらかった糸の束
なんとかしてよ と言う
鋏で切れいと進言するが
肯(がえん)じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか
それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどの
さりげなさで
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橇(そり) 茨木のり子
駅に
降りたったとき
あまりにも深い雪で
バスも車も見当らなかった
一台の橇をみつけて頼み
あなたはわたしひとりを乗せて
家までの道のりを走らせた
この雪国が
あなたのふるさと
老いた父母のいます家
そこに至る道のりは遠かった
家々は硬く戸を閉し
静まりかえっている
雪はすでにやみ
蒼い月明のなかを
ひたばしる橇
かたわらを走るあなたの荒い息づかいと
二匹の犬の息づかい
馭者の黒いうしろ姿
あれから二十年も経って
今度はあなたが病室という箱橇におさまり
わたしはひたすら走った
あなたに付き添って 息せききって
あの時もし
わたしが倒れていたなら
いっしょに行けたのかもしれない
あとさきも考えず
なにもかもほったらかして
二人で突っ走れたのかもしれない
なぜ そうならなかったのだろう
この世から あの世へ
越境の意識もなしに
白皚皚の世界を
蒼い月明のなかを
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「ぎらりと光るダイヤのような日」
茨木のり子
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる
それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後仕末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生れたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや費沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない
その日々 の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう
〈本当に生きた日〉 は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
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「椅子」 茨木のり子
あれが ほしい
子供のようにせがまれて
ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子
ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子
よろこんだのも束の間
たった三月坐ったきりで
あなたは旅立ってしまった
あわただしく
別の世界へ
あの椅子にもあんまり座らないでしまったな
病室にそんな切ない言葉を残して
わたくしの嘆きを坐らせるために
こんな上等の椅子はいらなかったのに
ひとり
ひぐらしを聴いたり
しんしんとふりつむ雪の音に
耳をかたむけたりしながら
月日は流れ
今のわずかな慰めは
あなたが欲しいというものは
一度も否と言わずにきたこと
そして どこかで
これよりも更にしっくりしたいい椅子を
見つけられたらしい
ということ