論文を投稿するということ
この数ヶ月、荒木さん@東京大学大学院・日本総研と執筆していた論文を投稿した。「ワークプレイスラーニング研究序説」という論文で、某学会からの依頼原稿である。
この論文は、僕が今まで書いてきたものとは本質的に異なっている領域のものだ。協調学習でもなければ、モバイルでもない。教育の情報化でもなければ、eラーニングでもない。学習科学でもない、いいや、今はまだ教育工学ですらないし、教育学でもない。
よって、かなりの苦戦を強いられることになった。この苦戦、今から考えると、一人で乗り切るのは難しかったと思う。共著者・・・戦友に感謝する。
ところで、先ほど「論文を投稿」と書いたけど、最近の「投稿」は、Webとか電子メールとかで電子ファイルを学会事務局に送付することをさす。
ちょっと前までは、原本を4部印刷、回答文を4部印刷して、郵送していたのに、いまや、僕の関連学会では、そんなアナログな学会はない。
Webや電子メールを使った投稿は、便利ではあるけれど、なんだか味気ない気もする。
郵便局に、数ヶ月格闘した論文を持って行くとき
書留でお願いします、と窓口で依頼するとき
原稿を手渡したあと、放心状態のまま、家路につくとき
僕が大学院で修行していた頃、このような何ともいえない「一瞬」を何度も何度も経験した。
そして、そんな時間をすごすたび、僕は、自分の書いたものが、研究として「認められること」を心から願い、同時にまだ曙光すら見えぬ自分の未来を、何とかかんとか、明るい絵の具で描こうと努力してみた。
それがいまや「ファイルを添付」で「クリック一つ」である。しみじみと我にかえる時間すらない。「何ともいえない一瞬」は、文字通り、「一瞬」で終わってしまう。そのことが、何となく味気ない気がするのは、僕だけなんだろうか。こんなことを言っていると、年寄り扱いされるかもしれないけれど。
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なお、今回の論文の試読は、酒井君@東京大学大学院が引き受けてくれた。鋭い目をもつ彼は、論文の問題点を厳しく指摘し、僕がとまどっていた部分をバッサリ切ってくれた。
石川ゴエモンならぬ、酒井ゴエモン。一刀両断、ザンテツケン。たまにブツブツ言っているが、その切れ味は鋭い。
感謝しています、ありがとう。