寄附研究部門の立ち上げ
4月1日、東京大学に新しい寄附研究部門が誕生する。マイクロソフト先進教育環境寄附研究部門だ。僕の所属する大学総合教育研究センターに4月1日から立ち上がる。その準備に最近追われて、本当にネコの手も借りたいほど忙しい。
4月1日着任予定の2名の助教授たちとの打ち合わせも、日々行っている。が、とにかく時間はない。が、やることは無限にある。すべてが「From scratch」だ。だけど、このまま突っ走って、何とかカタチにするしかない。
新年度から、東京大学における「教育工学研究/学習環境研究」は、またひとつ違った、新しい展開に進む・・・今は、そのことだけを夢見て、毎日を過ごしている。
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投稿者 jun : 2006年2月27日 17:00
ベルサイユのバラ、チケットがとれない!
最近ちょっとアタマにきていることがあります。
ズバリ、
ベルバラのチケットがとれん!
関西の宝塚では結構とれるらしいのですが、東京では本当に難しいです。何度申し込んでも、ハズれにハズれる。
クソムカツク・・・というか悔しい。
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投稿者 jun : 2006年2月26日 19:01
THE 有頂天ホテル
僕のまわりで最近評判になっていた映画「THE 有頂天ホテル」を、先日、見にいくことができました。いやー面白かった。
あっという間の2時間15分。笑いがとまることはありません。ここ数年で見た映画の中では、抜群に面白かった。いやー、日本の映画館で、ここまで観客が笑っている映画を僕ははじめて見たよ。「舞台」じゃないんだけど、もう少しで最後に拍手をしてしまいそうになった。
THE有頂天ホテルのストーリー構成というのは、いわゆるグランドホテル形式というやつですね。
ひとつの閉鎖空間に、様々な登場人物が集う。様々な伏線が、いろいろなところにちりばめられ、時には並行して、時には複雑にストーリーが絡みあいながら、いっきにひとつの結論に至る。映画「グランドホテル」で使われた手法であったため、のちにそう言われるようになりました。
それにしても、こういう複線型のストーリーをつくるのって、大変だろうねー。シロウト丸出しの質問で恐縮ですが、ごっちゃになったりはしないのだろうか。脚本・監督は三谷幸喜さんですが、どうやってこんな複雑なストーリーをつくるのか、そのあたりを聞いてみたいですね。
疲れた日にはぜひどうぞ。
映画館をでる頃には、絶対に元気になれると思います。
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投稿者 jun : 2006年2月26日 18:44
国立情報学研究所が
国立情報学研究所とNTTは、「書籍とWebを利用した小学生向けの情報教育」に関する共同研究を開始したと発表したそうです。
Internet Watch
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/02/24/11018.html
全体像がよくわからないのですが、「NetCommons」の普及などを行っていくようですね。国立情報学研究所といえば、「学術情報の流通」に関するセンターという感じがしていたのですが、最近は教育にも研究の幅を広げているのですね。
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投稿者 jun : 2006年2月26日 18:27
世界の人口は何人と教わりましたか?
朝日新聞を見ていたら、今日、「世界の人口が65億人を突破する」そうです。もちろん推計ですが、さっき見てみたら、もう記録が更新されていました。
米国センサス局・人口推計時計
http://www.census.gov/main/www/popclock.html
僕が小学生の頃は、たしか「世界の人口は48億人」とならいました。だからいまだに、世界の人口をとわれると、そう答えてしまうのですね。この15年で17億人も増えたことになります。びっくり!
あなたが小学生の頃、世界の人口は何人と教わりましたか?
これに対する答えは、年齢を推計する手がかりになるかも。
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投稿者 jun : 2006年2月26日 09:51
イナバウアー、荒川静香さんおめでとう
荒川静香さんがオリンピックで金メダルをとった。よかったですね。
たぶん今頃、日本中の家庭で、「イナバウアー」が流行していてるんだろうね、きっと。急にエビぞりになって「イナバウアー」と叫ぶだけだと思うけど。子どもとかが喜んでやりそう。
ちなみに僕もやってるけど。マイブームですね、むしろ。
カラダが堅いので、あんまり後ろにそれないんだけどね。
本当におめでとうございました。
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投稿者 jun : 2006年2月25日 18:26
読むクスリ:他者のまなざしの力
先日、カミサンが勧めてくれた本「読むクスリ」を読んでいて、ムムムと思ったエピソードがあった。「読むクスリ」は、ビジネスでのエピソード、新商品の開発の苦労、粋な小話などを集めた「企業版ちょっといい話」。
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東京五輪のあと、それまで全く注目されていなかった男子バレーボールの監督に就任した松平さんは、酸素ボンベが必要なほどの「死のハードトレーニング」を男子選手たちに課す一方で、彼らがマスコミに注目されるよう、あらゆる手をつくした。
テレビ局への売り込みからはじまって、自ら解説者を買って出て、選手たちをホメにほめまくる。選手たちが失敗をしても、彼らがいかに才能がある選手なのかを徹底的に売り込んだ。松平さんは、そうやって、男子選手たちに日があたるよう、努力し続けた。
「ジャイアンツの試合は、ほとんどがテレビ中継されます。全国のファンが見ている、期待している、と思うから、王、長島はじめすべての選手が、ひとつひとつのプレーを真剣に、必死にやる。その積み重ねが好成績をもたらし、好成績が選手の名声となって跳ね返ってくるという循環を生むのですね。これだ、うちの選手もブラウン管のヒーローに仕立て上げようと思ったのです」
(中略)
しだいに、若者たちは、ほんとにテレビのヒーローになっていった。彼らが試合にでるときには、球技場にファンの黄色い声援がこだまする。そうすると、それまで辛い練習をサボリがちだった選手たちは次第に態度を変えていった。
(上前淳一郎 「読むクスリ」より一部引用)
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何者かが学び、そして変わるためには、厳しいトレーニングに加えて、他者からのまなざしが必要である。そして、プロジェクトマネジメントを行うものは、他者のまなざしをコントロールするという発想を、その中に活かす必要がある。
レベルが違うので怒られるかもしれないが、僕はずっとこれまでそういう信念をもって、様々なプロジェクトをマネジメントしたり、共同研究を行ってきた。
このクスリは、僕のそういう考えを確信に近いものにしてくれた。
たかがまなざし、されどまなざしなのだと思う。
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追伸.
読むクスリの文章は、本当に素晴らしいですね。流れるような文章で、何一つひっかかりがない。それでいて、強烈な印象をもたせることに成功する。こんな風に文章が書けたら、とため息混じりで読んでおります。
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投稿者 jun : 2006年2月25日 18:16
東大で「メディアリテラシー」のシンポジウムが開催されます!
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メルプロジェクト・シンポジウム2006
メディア表現、学びとリテラシー:
メルプロジェクトの播種(はしゅ)
===================================================
メルプロジェクトの5年間の活動を総決算!
海外からのゲストもお招きし、報告・発表・
ディスカッションなど、今年も2日間ぎっ
しりの内容で開催します!
2000年のはじめに発足したメルプロジェクトは、
当初から活動期間を5年と定めた時限つきプロ
ジェクトでした。
この2005年度が活動最終年度となります。
活動を始めてから、年1回、毎春に開催してき
たメルプロジェクト・シンポジウムはこれまで
に5回を数えます。第6回目、そして最後のシ
ンポジウムは2006年3月4・5日(土・日)に
開催いたします。
みなさまのご参加を、心からお待ちしています
■日 時
2006年3月4・5日(土・日)
■場 所
東京大学・本郷キャンパス
法文2号館(安田講堂の向かい)
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html
■参加申し込み受付中!
参加ご希望の方は、下記アドレスまで電子
メールをお送りください。標題には「シンポ
ジウム2006参加」と、本文には下記の「ご記
入項目」をコピーしてそれぞれご記入をお願
いいたします。
★★送り先: sympo06@mell.jp
★★メール標題: シンポジウム2006参加
★★ご記入項目
(1)ご氏名:
(2)ご所属:
(3)連絡先(メールアドレスなど):
(4)参加する日:3月4日/5日/両日とも
(5)パーティの出欠:
*参加申し込みにあたりご連絡いただいた個人情報
は、本シンポジウムの運営のために利用いたします。
当該目的外での使用や第三者への提供はいたしません。
■資料代
2,000円
※一日参加、両日参加とも参加費は同額です。
なお、高校生以下の方は無料です
※パーティ参加費は別途いただきます(2,500円)
■プログラム
○3月4日(土)・1日め
総合司会:河西由美子(玉川大学)
□13:00~13:30 開会のごあいさつ
・川瀬達也、北村順生(新潟大学)
□13:45~15:45 パネル・ディスカッション
「コミュニケーション&デザインの時代」
・登壇者:小林傳司(大阪大学)
高宮由美子(NPO子ども文化コミュニティ)
本橋春紀(日本民間放送連盟番組部)
吉見俊哉(東京大学大学院情報学環)
・司 会:境真理子(江戸川大学マスコミ学科)
村田麻里子(京都精華大学人文学部)
□16:00~17:30 ワークショップ!
「コミュニケーション&デザイン」の銀河系
・カンブリアンジョッキー:水島久光(東海大学文学部)
・林田真心子(東京大学大学院学際情報学府)
・英語実況:河西由美子
・差配:MoDeプロジェクト[安斎利洋&中村理恵子(システム・
アーティスト)、飯田豊・伊藤昌亮・鳥海希世子
・林田真心子・古川柳子(東京大学大学院)
□18:00~19:30:パーティ!パーティ!
(東京大学内・山上会館1階ラウンジ)
・司会:山内千代子(青森放送)
・差配:鳥海希世子&武田安恵(東京大学大学)
■3月5日(日)・2日め
総合司会:河西由美子(玉川大学)
□10:00~12:00 メル・リフレクション
:5年間の軌跡をたどる
・司 会:上田信行(同志社女子大学)
・林直哉(長野県梓川高等学校)
・登壇者:山内祐平、水越伸、竹内希衣子・市川克美
内川奈津子、中森謹重、黄朝煕、宮尾久枝
今村正大、清水宣隆、春田亮介、中村純子
村田麻里子、坂田邦子、ペク・ソンス、酒井俊典
藍川利一、井上史子、佐藤翔子、崔銀姫
小川明子、長谷川一、呉翠珍/Sophia WU、
劉雪雁(予定の登壇順)
昼食・休憩(お昼は各自でおとりください)
□13:00~15:50 メルプロジェクト東京宣言!
・登壇者:呉翠珍/Sophia WU(台湾政治大学)
水越伸(東京大学大学院情報学環)
佐倉統(東京大学大学院情報学環)
陳世敏(台湾政治大学)
・コーディネーター:山内祐平(東京大学大学院情報学環)
・通訳:劉雪雁
□15:50~16:00 しめくくりのごあいさつ
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投稿者 jun : 2006年2月25日 11:40
ウーマンズアイランドとマキアージュ
女のピークはいつですか?
というキャッチコピーに心ひかれてしまい、テレビドラマ「ウーマンズアイランド」を見た・・・ていうか見てしまった・・・まだ原稿書き終わってないけど。
オシャレタウン汐留で仕事に恋に生きるかっこよい女性たち。彼女たちの生活は一見、華やかに見えるけど、実は、悩み、苦しみ、とまどっている。そう、女は悩めば悩むほど、キレイになれる・・・みたいな内容です。主演は篠原涼子。原作林真理子。ANEGOの変形バージョンみたいなドラマでした。
ドラマの内容は、先が読めるけどオモシロかったです・・・篠原涼子好きだし。
でも、それよりも僕の興味関心が集中してしまったのは、このドラマが、CM「マキアージュ」と連動して、マーケティングを行おうとしていることです。
たとえば、繰り返し繰り返し、ドラマの中では、マキアージュのCM曲である「your own eden」が流されます。本当に耳障りのよい曲で、何度か聞いていると覚えちゃう。
マキアージュ(your own eden)
http://www.shiseido.co.jp/mq/index.htm
で、15分に一回くらいの割合でCMに入りますよね。そしたら、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!って感じで、またyour own edenがかかる。
「徹底的にマキアージュのCM曲を覚えさせよう」「ドラマで描かれている生活とマキアージュのイメージを結びつけよう」というマーケターの執拗な意図が感じられて、非常に面白かった。
この曲は薬局でも、ヘビーローテで流されているので、きっと、つられて買ってしまう人もおおいのでしょうね。
なるほどねぇ・・・オモシロイ手法だなと思いました。
それにしても、この曲、your own eden・・・どこかで入手できないのですかね・・・たぶんCMソングだから、売ってないと思うんだけど。耳から離れん。
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投稿者 jun : 2006年2月24日 23:17
学部生と飲んだ
東大の学部生たちと飲んだ。山内さんの教育学部授業「学習環境デザイン論」をとっていた学生たち。この授業では、僕も「企業と教育」の話で、講義をさせてもらった。
学部生には、最初のうち、よい意味で、その若さに圧倒された。しかし、彼らとのおしゃべりは、新鮮で楽しい時間を過ごすことができた。
ふだん、僕は院生たちと話すことは多いのだが、やはり院生は「研究」という軸を誰もがもっていて、その意味で、どんなに異分野であっても、プロトコルを確保しやすい。
だけれども、学部生はよい意味で、まだそうした軸を定める前の存在である。どのような方向にでも変わることのできるチャンスがある。そして軸がまだ未確定である故に、プロトコルを確保するのが、最初のうち、ちょっと難しい。
彼らは、まだ固定されていない。そしてそうであるが故に、彼らには可能性がある。もちろん、その可能性はよい方向にも、好ましくない方向にも開かれている。
しかし、それが「開かれている」ということが、なにより羨ましい。
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投稿者 jun : 2006年2月24日 10:03
追悼
わたしが一番きれいだったとき
茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っでいった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
ーーー
「倚りかからず」茨木のり子
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
▼
汲む―Y・Yに― 茨木のり子
大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと......
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
▼
六月 茨木 のり子
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
▼
「怒るときと許すとき」 茨木 のり子
女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらせている
庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も
今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ
噴火して 裁いたあとというものは
山姥のようにそくそくと寂しいので
今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう
じぶんの傷あとにはまやかしの薬を
ふんだんに塗って
これは断じて 経済の問題なんかじゃない
女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう?
女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
ちっぽけな自分の巣と
蜂の巣をつついたような世界の間を
行ったり来たりしながら
怒るときと許すときのタイミングが
うまく計れないことについて
まったく途方にくれていた
それを教えてくれるのは
物わかりのいい伯母様でも
深遠な本でも
黴の生えた歴史でもない
たったひとつわかっているのは
自分でそれを発見しなければならない
ということだった
▼
知命 茨木のり子
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらかった糸の束
なんとかしてよ と言う
鋏で切れいと進言するが
肯(がえん)じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか
それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどの
さりげなさで
▼
橇(そり) 茨木のり子
駅に
降りたったとき
あまりにも深い雪で
バスも車も見当らなかった
一台の橇をみつけて頼み
あなたはわたしひとりを乗せて
家までの道のりを走らせた
この雪国が
あなたのふるさと
老いた父母のいます家
そこに至る道のりは遠かった
家々は硬く戸を閉し
静まりかえっている
雪はすでにやみ
蒼い月明のなかを
ひたばしる橇
かたわらを走るあなたの荒い息づかいと
二匹の犬の息づかい
馭者の黒いうしろ姿
あれから二十年も経って
今度はあなたが病室という箱橇におさまり
わたしはひたすら走った
あなたに付き添って 息せききって
あの時もし
わたしが倒れていたなら
いっしょに行けたのかもしれない
あとさきも考えず
なにもかもほったらかして
二人で突っ走れたのかもしれない
なぜ そうならなかったのだろう
この世から あの世へ
越境の意識もなしに
白皚皚の世界を
蒼い月明のなかを
▼
「ぎらりと光るダイヤのような日」
茨木のり子
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる
それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後仕末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生れたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや費沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない
その日々 の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう
〈本当に生きた日〉 は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
▼
「椅子」 茨木のり子
あれが ほしい
子供のようにせがまれて
ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子
ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子
よろこんだのも束の間
たった三月坐ったきりで
あなたは旅立ってしまった
あわただしく
別の世界へ
あの椅子にもあんまり座らないでしまったな
病室にそんな切ない言葉を残して
わたくしの嘆きを坐らせるために
こんな上等の椅子はいらなかったのに
ひとり
ひぐらしを聴いたり
しんしんとふりつむ雪の音に
耳をかたむけたりしながら
月日は流れ
今のわずかな慰めは
あなたが欲しいというものは
一度も否と言わずにきたこと
そして どこかで
これよりも更にしっくりしたいい椅子を
見つけられたらしい
ということ
投稿者 jun : 2006年2月23日 17:55
人間力って言うな!
去年あたりから企業人材育成の業界では、「人間力」という言葉が大流行なのだが、この言葉を聞くたびに、僕は、背中に寒気が走るのを感じる。
「一言でいうならば、人間力のある人とは仕事ができる人、そして魅力的な人」
「人間力とは知識ではない、ベーシックな人間的要素」
「人間力とは包容力である」
「包容力」にいたっては、何がなんだかわからないけど、まぁ、みんなでよってたかって、いろんなことを言っていることは間違いない。だけど、「結局、人間力って何なのよ?」というと誰もわからない。
でも、不思議なことに、それが何かを言い当てられないのに、「人間力を育成せよ」とか、「人間力のある上司研修」とかが、なぜか行われている。そういう育成にからむ専門家やコンサルタントがわんさかいる。
そもそも、人間力とは何で、それは、そもそも教育の領域でカバーすべきコトなのか。あるいは、仮にそうだとして、その育成は教育という活動で可能なものなのか?
教育学研究者のハシクレとしては、「教育にできること」「教育にできないこと」に無自覚な論、クソミソ一緒にする論は、どうしても好きになれない。
それを誰かが口にするたびに、本田由紀先生にならって、こう叫びたい衝動に駆られる。
「人間力って言うな!」
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投稿者 jun : 2006年2月23日 17:46
知識人の条件
東京大学には、「淡青(TANSEI)」という広報誌があります。「淡青=ライトブルー」は、東京大学のスクールカラーですね。1年に2回くらいをめどに出版されているようです。
淡青(TANSEI)
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/tansei_j.html
毎号、東京大学にまつわるいろんな特集が組まれていますよ。ノーベル賞受賞の話題から、安藤忠雄先生の対談まで。
最新号の淡青には、古田元夫副学長・理事と大江健三郎さんの対談が特集されていました。
仕事の合間にザーッと読んでいたら、この対談の中で、エドワード・サイードの「知識人の条件(Representation of the intellectual)」が紹介されていて、ふと目にとまった。
「知識人は世界に対してはっきりと表現し、主張しなければならない。それが知識人の条件だ・・・自分がどういう人をRepresent(代表・代弁)しているかを意識せよ」
確か、僕がこの本を読んだのは学部時代だったけれど、そのときには、上記のようなサイードの言葉はあんまりピンとこなかったんです。
だけれども、大学院をへて、職業研究者として働くようになり、そういう眼差しで「教育」の世界、あるいは「教育研究」の世界を眺めるようになり、だんだんとこの意味がわかるようになってきているような気がしています。
あなたが意識するにせよ、意識しないにせよ、否、知りたいと思うにせよ、そうでないにせよ、「教育を語るあなた」は誰かを代弁し、誰かの利害を代表している。
何を改めてと思うかも知れませんが、教育は、否、教育研究の世界も、そういう政治空間なのです。
あなたは、何をRepresentationをしていますか?
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投稿者 jun : 2006年2月23日 17:14
海外の方が慣れてるのか?
今日の朝、著作権処理の記事を書いたら、皆さんからワンサカとメールをいただいて。ありがとうございます。ちょっと異常なほど立て込んでいますので、あとでゆっくりと拝見します。
著作権処理に関して、今日、研究室の岩下さんからこんなことを聞きました。
「著作権の同意は、海外の方がレスがはやい」
というのです。これは僕も予想外だった。
僕らは、フツー海外なんかに権利同意なんてしたら、「ケツの毛まで抜かれる」と思っている。また、処理も時間がかかると思いがちなんですが、それは全く逆でした。きっと、慣れているのかもね。逆に国内の方は、結構時間がかかるようです。
うーむ。
おー、そろそろ会議にいかなくては。この続きはいつか。
再見!
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投稿者 jun : 2006年2月22日 10:19
著作権処理 : 教材をネットで公開するには?
「通信と放送の融合」のことで、世間が盛り上がっているようです。IP放送における著作権処理を簡略化することが論議されているようですね。
ところで、著作権といえば、僕の研究室では日々、それと格闘している学生たちがいます。言うまでもなく、UT OCWやTODAI TVなどの著作権処理をしている学生スタッフたちです。
UT Open Course Ware
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/
彼らの活動をなくして、UT OCWもTODAI TVもありません。東京大学における教育の情報化のムーヴメントは、彼らの地道な活動にかかっているところもあります。その面倒な作業には日々アタマが下がる思いです。本当にありがとう。
彼らは東京大学教育企画室のスタッフとして、全世界の著作権ホルダーたちに、日々、同意をとるという作業をしています。また名刺をもって、先生方にUT OCWの意義を説明し、同意書をとってくるのも彼らの役割です。
そうした作業に円滑に従事出来るよう、弁護士の先生、知財部の方々と相談し、活動のフローをきめ、テンプレート(契約インタフェース)をつくる。そして、研修を行い(サバイバル著作権・めざせ脊髄反射という研修です)、進捗管理をするのが僕や山本さんの役目です。
僕の研究室には、TREEプロジェクトオフィスが置かれています。よって、僕の研究室は、まさに権利処理がおこなわれる「現場」なのです。
仕事柄、僕は、「教育と著作権」の講演などを聞くことがあります。 「知識としての著作権」、あるいは「行政の動向としての著作権」の話が多いのですが、あまりピンとこないことが多いです。そうしたことは大変勉強になるのですが、ふだん、学生たちが格闘している世界は、具体的で生々しいのですね。そことのギャップを埋めるのに、すこし時間がかかります。
たとえば下記のような問題が現場では毎日のように起こっています。ちょっと皆さんチャレンジしてみてください。
僕は、学生スタッフたちに、こうした状況を聞いたら、「脊髄反射」のレベルで、誰に対して、どういう処理を行わなければならないかを判断して欲しい、と言っています。
処理なんておおげさにいいますが、要するにいくつかのプロダクションルールの集積です。そして、モノにもよりますが、手続きをふんでいけば8割から9割の確率で同意はとれます(断られることはまずありません)。
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ある先生からUT OCW公開用にお預かりしたDVD。その中には、シンポジスト6名による講演が入っている。このシンポの企画者はB学部である。ビデオは外部の業者Dを使って撮影された。
シンポジストのうち、1名はパワーポイントでプレゼンテーションしている。そのパワポの中には、A出版社とB出版社から出版されたH先生(他人)の著書からの図版がたくさんはいっていた。図版の引用の際には、引用情報がつけられていた。残りの5名は口頭のみにて発表を行っている。
シンポジウムには600名のオーディエンスがいた。オーディエンスは後ろからルーズショットで撮影されており、個人が特定出来る状態ではなかった。
このDVDをUT OCWで公開するには、誰に対してどのような著作権同意処理をを踏めばよいか???
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最初に断言しておきますが、唯一の解はありません。解は大学のポリシーによって異なります。東京大学には東京大学の考え方があります。それを開示することはできません。
ですが、細かいところはさておき、上記の文章を読んだだけで、最低限、この同意だけは絶対にとらなきゃならないな、というところがあります。それはどこでしょうか?
学生たちは日々こうした作業に従事しています。
僕は、彼らはとても貴重な経験をしていると思っています。なぜなら、「通信と放送の融合」が加速すれば、著作権に関する知識や経験のニーズが高まることはあっても、低まることはないからです。面倒でいて、地道な作業ですが、それが、自分の「経験ノート」の数行くらいの記述になってくれたら、と願っているのですが・・・「ええい、めんどくせー」とスタッフさんたちはお怒りになるかも知れませんけれども。
事件は現場で起こっているんだ!
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投稿者 jun : 2006年2月22日 07:16
結婚相談所
某民間企業でバリバリと働く、大学時代の同期の女の子から教えてもらった話。
彼女はあまりに出会いがなく、最近、結婚相談所の資料を取り寄せ始めたそうです。で、結婚相談所では、どのように男女をマッチングさせているのか、を勉強した。
そうしたら、「女性は1歳年を取るたびに、紹介される男性の年収が単純に50万ずつ減っていく」ことがわかった。そういう紹介の仕方が業界の慣例だそうです。で、怒りがフツフツとわいてきた。「こんな紹介はヒドイ!」
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うーむ、あまりに露骨な、確かにヒドイ!
この常識がウソかホントか僕は知りませんし、結婚相談所のこともわかりません。ですが、そういう業界があって、そういう紹介の目安が内部ではマコトシヤカに語られているそうです。
ちなみに、国の統計によりますと現在、20代後半の男性未婚率は69.3%、女性は54%。30歳前半の場合は、男性42.9%、女性は26.6%となっています。
日本は高齢社会、人口減少社会に突入しようとしていますが、同時に空前絶後の「未婚社会」も経験しています。
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投稿者 jun : 2006年2月21日 06:06
大学教員、法律、権利
大学教員は、研究活動を行うため、時に必要に応じて、「法律」や「権利」を勉強しなくてはなりません。
僕が、学生時代に全く想定していなかったことで、ここ数年、必要にかられていることは、このことです。個人的には、どうしても、「法律の議論」は親しみを感じることができません。
だけれども、僕の「好き嫌い」にかかわらずして、研究活動を行っていくためには、勉強せざるを得ないのです。
自らも知財を生み出す存在としては、著作権法、特許の仕組み。また、共同研究を行うときには会社法、民法。
そして、最近は、被験者を集める実験をするときには、個人情報保護法や肖像権に配慮する必要がでてきています。すべて同意をとる書面が必要になってきてしまいます。先日僕が行った研究でも、被験者からの同意をとる作業に、膨大なリソースをさきました。
民間に勤められている方からすると、アタリマエダのクラッカー(死語)なのかもしれませんが、大学はこれまでそうした「取り決め」とは無縁の世界であったように思います。
現状では、研究者個人が自学自習や経験に即して学ぶしかないのですが、その努力も限界があると思っています。大学研究者向けの「短期間法律研修」があったらいいのになぁ・・・と切に思います。それはビジネスとしても成立するんじゃないでしょうか?
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投稿者 jun : 2006年2月21日 05:42
少年探偵団
20年前、僕は「少年探偵団」の一員だった。
「少年探偵団」とは江戸川乱歩の小説にでてくる、明智小五郎の弟子小林少年の率いる探偵グループである。
彼らは「7つ道具」とよばれる道具を常にポケットにしのばせ、怪人二十面相と戦う。明智小五郎の手足となり、彼の探偵活動を支援することが探偵団の目的であった。
もちろんのことながら、僕の所属していたグループは、小説の世界のそれではない。
当時、乱歩のグロテスクな世界観に惹かれ、それを図書館で乱読していた何人かの男の子たちで、結成した旭川の「少年探偵団」である。僕は作戦参謀として、この探偵団の活動に参加していた。
僕らの少年探偵団のミッションはひとつ。我が小学校の平和を維持することである。
僕らはミニ望遠鏡、懐中電灯、ナイフなどの7つ道具を自分たちでこさえて、常に所持していた。いつくるかわからない事件を待って、日々、鍛錬に励んでいた。
少年探偵団の活動は1年以上は続いたと思う。まぁ、いろいろやっていたが、一番役にたったのは、野口さんという女の子が、靴を隠されて困っていたのを救ったことだ(野口は仮名です)。「野口、我々が調べるからには、君も大船にのったつもりでいたまえ」という感じで、鼻息をふんふん言わせながら調査を開始したことを思い出す。
なぜかは知らないけれど、野口さんの靴は、ふだんはあまり使われない体育館横の女子便所にあった。「まさか、ここにはあるまい」と疑いつつも、女子の目を盗んで、何tか女子便所に侵入した探偵団員が靴を掃除ロッカーの中から見つけた。
この犯人をおって数ヶ月のあいだ、いろんな人を尾行した。
「ガサ入れ」と称して、人の机の中を勝手に探したりもした。また、「追い込み」と称して「人をつかまえて、わき腹をくすぐって、自白を迫ったりもした。
だが、なかなか犯人がわからず、最後にはどうでもよくなってやめた。メンバーで話し合い、「野口、女々しいぞ、昔のことは忘れろ!」ということになった。今から考えれば、なんともはた迷惑な集団である。
許されるならもう一度、こういう遊びをしてみたいなぁ。週末、探偵のテレビを見ていて、そう思った。
僕らは少年探偵団!
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投稿者 jun : 2006年2月20日 09:01
モーツアルト:映画「アマデウス」のこと
「素晴らしい音楽は、映画にあります。だから、僕の授業は映画が教材です」
高校時代、そう語る音楽の先生がいました。ここでは仮にS先生とよびましょう。S先生は、僕たちにいろんな映画を毎時間のように見せてくれました。
「サウンド・オブ・ミュージック」「ウェストサイドストーリー」[ベンハー」・・・
ナチスに追われる一家と、その一家を支えた家庭教師の物語「サウンドオブミュージック」・・・父親の歌うエーデルワイスは、きっと涙を誘うでしょう。
ストリート版ロミオ&ジュリエットであるウェストサイドストーリー。シャーク団とジェット団の戦いの中で、恋におちる二人と、その悲劇ですね。
奴隷から司令官までのぼりつめる一大叙事詩であるベンハー。有名な大戦車の競争シーンは、CGのない時代に撮影されたとはとても思えないでしょう。
授業では、映画を見おわったあとで、先生のコメントが入ります。「実はこの音楽は、こういう風につくられていて・・・」「この歌い手は実は・・・」という語りが続きます。その後、今まで聞いていた歌を歌うのです。たしか「Tonight」も歌いましたし、「ドレミの歌」も歌いました。
S先生の授業 - 生徒の中には「映画を見せることで楽してる」と揶揄する人もいましたが、僕は好きでした。残念ながら、S先生は1年間だけ僕らを担当し、定年退職なさいましたけれども。
今年はモーツアルトイヤーだそうですね。生誕250年だそうです。10年前、授業でみた映画「アマデウス」を思い出しました。
華やかな宮廷で、ピアノの前にすわっている神童。才能に恵まれた彼は、次第に嫉妬の渦に巻き込まれていきます。そして、モーツアルトは殺された!?
アマデウスはよい映画です。
モーツアルトイヤーということもありますし、是非。
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投稿者 jun : 2006年2月19日 10:11
六義園、とげぬき地蔵の散歩
先週もいろいろありました。疲れ果てた心を鎮めに、そして来週のため、また鋭気を養おうと、六義園に散歩にいきました。
六義園は、駒込から歩いて10分くらい。ここは日本三大名園のひとつに数えられるほどの名園でありながら、都会のど真ん中にあるのですね。柳沢吉保という人が建造しました。吉保といえば、犬公方綱吉の時代の老中ですね。将軍の寵愛を受けて、異例の出世をとげたことで有名です。
ここの散歩は本当によかった。池をひとまわりしているとね、いろいろ日常の雑念が消えてくるんです。滝見の茶屋で腰をかけて、ボーッと鯉を見る。それはゆったりとした時間です。もう少し暖かくなったら気持ちいいと思いますよ、是非、おすすめしますけど。
六義園の散歩のあとは、一度行ってみたいと思っていた「おばあちゃんの原宿=とげぬき地蔵の商店街」にいってみました。六義園からは歩いて20分くらい。
ここはスゴイねー、高齢者が本当に多い。おじいちゃん、おばあちゃんがやっているように、塩大福をたべて、とげぬき地蔵をあらってきましたけど。
あと、AERAの「高齢者の恋愛特集」でやっていたところも見てきましたよ。ベンチにこしかけて、おじいちゃん、おばあちゃんたちが語らっておったわ。人はいくつになっても恋をするのかねぇ。
そういえば、六義園では梅のつぼみも見つけました。
春よ、来い。
ちなみに今日の歩数は14600歩。消費カロリー500kcal。よーあるいたわ。
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投稿者 jun : 2006年2月18日 19:33
大学院生の頃
ペンシルバニア州立大学大学院でPh.d取得をめざしている藤本さんが、僕の記事「人は見かけで」ににトラックバックしてくれました。
藤本さんの記事「大学院生という肩書き」
http://www.anotherway.jp/archives/000629.html
僕の記事「人は見かけで」
http://www.nakahara-lab.net/blog/2006/02/post_72.html
藤本さんのおっしゃることは、まさに我が意を得たりという感じでした。
日本の大学院生のカテゴリーってのは、「学生」カテゴリーの中にあります。決して、「専門家コミュニティに周辺参加する一員」としては把握されていないですね。
それは、それだけ日本の大学院が社会に位置づく、そして、日本の社会そのものが学習社会に移行する発展の途上にあるという、ひとつの証左なのかもしれませんね。
もちろん、そうはいうものの、学生も勉強しないヤツってのはいますからね。たとえば、就職氷河期の時代、「就職できないから、大学院でもいくか」「大学院しかいくとこがない」という、いわゆる「でも」「しか」もいないわけではなかったと思います。
ほとんどの大学院生はまじめに研究に勤しんでいることと思いますが、そういう一部の大学院生のことがマスコミなどでクローズアップされ、増幅され、ある種のステレオタイプをつくりだす可能性があることは捨て切れぬ事でしょう。
あと、ものすごく共感したのが、下記の指摘です。
>「大学院生には、ちょっと厳しい突込みを」なんていう態度で無礼なことを言ってくる人もいる。
これ、いるんだよねぇ・・・・サドオヤヂっていうのかね。学生いじめて喜ぶっていうオヤヂが。
僕も大学院生の頃、学会や研究会で発表したとき、何度もエジキになりました。いじわるな質問をされたりね、けなされたりね。僕はマゾではないので、そういうオヤジには何度か殺意をもちました(笑)。
「それは、オレの研究の課題ではなくて、どちらかというと人類の課題だろう」という課題を押しつけられたりね、「大阪弁でわざと、おちょくった質問をされて、ウケをとるのに利用されたり」ですね。そういうことは何度となくあります。
スゴイのになると、「オマエのやっている研究は、オレの研究に似ている。パクッタな?、それを泥棒っていうんだ?どうして先行研究として引用しない?」というのもあります。で、帰って調べてみたら、「えっ、これ、似てるかぁ?」という研究だったりするわけです。「そんなヘボイ研究からパクりません」と思わず不遜にも言いたくなる。
ところが、これがオモシロイんだけど、そういう無礼な質問というか嫌がらせは、不思議なもので就職したら、「いっさい」なくなりました。これは、ある人に言われていたんです。「中原君、そういうのは院生の頃だけだから」と。本当にその通りになった。
学生の頃と就職してから・・・僕は言っていることはあまり変わりません。
それなのに、一度もないのです・・・おかしいじゃないか、コラ。
今、いろいろなところで学生さんが発表した際、投げかけられる質問を見ていても、品がない質問ありますね。可哀想に思うけどね・・・。でも、僕は、学生にそういう嫌がらせをした人の顔は全部覚えてるからね、悪いけど。絶対に忘れないから。
もちろん、ひどいときには発言します。でも、そういう「酔っぱらい」をどうmagageするかも力量という側面がありますね。だから、学生さんには、サバイバルストラテジーのひとつとして、そういう力量をつけてほしいと思うのです。世界はこんなに広い、いろんな人がいますから。就職して自分が講演するときになっても、いろいろありますから。学生の頃は特に多いけど、就職してからもいろいろあります。
大学院生当時、僕自身は、そういう質問をなげかけられたら、こう聞くことにしていました。
「は?・・・・・・・・すみません、今、なんておっしゃいましたか? すみません、ご主旨が理解できなかったのですが、すみませんが、もう一度、お聞かせ願えますでしょうか?」
と笑って言います。どうせ支離滅裂なのですから、こう言われたら、さすがに気づきます。それで気づかなければ逝ってよし。それに、もう一回言わせることで、そこに居合わせる全員に「この人はヤヴァイとわからせる」ことができます。
気分悪いけど、そういうことは、大学院生の頃は、悲しいかなあります。
でも、見ている人はちゃんと見ている。これも事実です。
だからね、あまり気にしない事かな、と思いますけれども。
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投稿者 jun : 2006年2月18日 10:25
人は見かけで
ここ1年で格好が変わりましたね・・・とよく言われる。
たしかに前研究所で助手をやっていた頃は、基本がジーンズ+Tシャツ、冬だったら、ジーンズ+パーカーという格好が多かったんだけれども、最近はめっきり変わった。
東京大学に着任してからというもの、ジャケットにパンツというのが基本になりった。全学の会議、外の人たちが参加する会議が多く、さすがにパーカーでは、自意識過剰なのかもしれないが、「なんか、オレ、ういてるなー」と思うようになったのである。もちろん、会議とか、外の企業の方々とあうことがない日は、相変わらずラフな格好で登校している。
僕のように、その日によって毎日のようにファッションを変えていると、その違いによって、周囲の人たちの対応も違うことに気がつく。そういうのに僕はとても敏感だ。
たとえばパーカールックで、ある企業の中間管理職の人にあったとする。「誰だこの若いやつは」という感じで、自己紹介しても、あまり反応はない。「若い人は手を動かしてくださいよー、なんかフレッシュな考えはないんですか?」くらいに振る舞われちゃったりする。
ところが、数ヶ月後、同じ人にスーツをきてあう・・・学会会場などで。そうすると、全く対応が違うから笑える。ほとんど同じコトをしゃべっていても、全然反応が違う。
人は、「まず」は見かけで判断される。
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投稿者 jun : 2006年2月17日 13:06
ゴミは黙って働け
年末、テレビで株価高騰しています、と何度もニュースなどで流れたよねぇ。で、「よし、それならば」ということで、自分のおこづかいの範囲で株を買ったんです。
しめしめ、少ないおこづかい、あわよくば1.2倍くらいにはしてやりたいと思ってね。これまで一度も買ったことなかったのですが、もしかするとイケるんじゃないかとなぜか思った。完全に欲望のかたまりです。「欲望」という粘土をこねたら、僕になっただろうと思う。
投資といっても、所詮、自分のおこづかいの範囲ですから、少額です。友人によると、こういう人を、「ゴミ投資家(少額の投資しか行わない個人投資家のこと)」というそうですね。僕もゴミ投資家の仲間入りをした。
最初のうちは、かなりあがったんです。数日にして10万くらい儲けました。毎日毎日グラフを見るのが楽しみで、たまらない気持ちになりました。でもさ、そこで売っておけばよかったんだけど、その次の1週間で、10万損しました。数週間もしないうちに。「あぁ、あのとき売っておけば・・・まさに「教科書どおりの展開」が笑えました。
損をしているときは、本当にいてもたってもイラレなかった。なんだか胃が痛くなるのですね・・・途中で、こりゃたまらんわい、と思って、結局、株はすぐに売ってしまいました。10万得して、10万下がったのですから、差し引きゼロですね、被害はなかった。これが不幸中の幸い。結局、僕のゴミ投資家歴は、こうして2週間で終わったんですね・・・。
先日、この話を友人にしました。彼も年末からゴミ投資家になったそうですが、成績はよくはないそうです。帰り際、彼がいった、その一言が忘れられません。
結局、ゴミは働けってことやで!
「ゴミは黙って働くべし」このことがわかっただけでも、よい勉強になりました。トホホ。
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投稿者 jun : 2006年2月16日 15:14
神戸の夜 : 酒亭 うえ山
神戸の夜。
全日空の機内誌「翼の王国」で紹介されていた「酒亭 うえ山」にみんなでいきました。記事の写真の「みそ玉子」が、あまりにも美味しそうだったので、つい予約をしてしまったのです。
「うえ山」は木のぬくもりが優しいお店です。あまり店自体は大きくないですので、きっと予約をしていったほうがいいでしょう。この日も満員でした。特に「翼の王国」で紹介されてからは、お客さんがずいぶんつめかけているようです。
カウンターには、その日の「アテ」がズラリと並んでいる。
この日、僕が食べたもので、特に気に入ったのは、「やきそば」と「豚ときゅうりの山椒炒め」・・・やきそばは、こだわりの麺。これがシコシコしていて美味しかった。山椒炒めは、きゅうりがシャッキリしていてよかった。
お目当ての「みそ玉子」ですが、「翼の王国」を見たお客さんが最近そればかり頼むので、すぐに無くなってしまうとのこと。「みそ玉子」をつくるためには3日間、玉子の黄身をみそにつける必要があるとのことですが、残念なことにこの日は1日だけつかっているものしかありませんでした・・・OK next time。
ですが、アテがおいしかったので、かなり飲んだ。山口さんは、また途中で寝ちゃうし、望月君も電車にのるあたりで、あまり記憶がないそうです。僕はそこまでいっていないけれど。西森さんの社会哲学を比喩にした、「行動主義・構成主義・状況主義」の話はオモシロかった。さすがは先輩、思慮深い。
お店の場所は、あまりわかりやすいところではありません。ちょっと小道をはいったところにある。ですので、住所をメモしていって下さい。
酒亭 うえ山
神戸市中央区中山手通り2-12-10
TEL : 078-241-8255
定休日は日曜日・祝日、営業時間5:00-12:00
それでは、僕ももう寝るよ。
おやすみ
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投稿者 jun : 2006年2月16日 01:26
神戸大学
神戸大学にきています。今日から2日間、「おやこdeサイエンス」の分析をやっているのですね。神戸大学ははじめて。
メンバーはいつものメンバー。西森さん@メディア教育開発センター、望月君@神戸大学、そして宮崎さん@山口大学、じゃなかった、宮崎大学の山口さんです・・・えぇぃ、ややこしい。
ひたすら、ひたすら、因子分析をして、回帰分析をして・・・が続きます。前回の分析大会では、あまりよろしいデータが得られなかったのですが、何とか光明が見えてきました。まぁ、今日得られた分析結果で、あんまり綺麗な説明ではないけれど、何とかなるんじゃないかな、と思います。
結構ハードなことをやっているのですが、今日は、胃が痛くないね。
研究しているときは、胃が痛くない。
僕は何におびえている!?
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投稿者 jun : 2006年2月15日 11:11
小5が抱えるクライシス
AERAの記事で「小5が抱えるクライシス」という記事がありました。
要するに、
1.中学受験がかなり浸透している
2.塾で学ぶことが今の小5にとってはアタリマエになっている
3.塾では詰め込み型の厳しい受験指導が行われている
4.塾にいかない子どもたちは、不安を感じたり、「オチこぼれ感」を感じる
5.一方塾にいく子どもたちは、受験が失敗した場合、激しい挫折を感じる
6.子どもたちは、自分たちのまわりにある「格差」に気づき始めている
こうした指摘自体が、どの程度あたっているものなのか、僕はデータがないのでわかりません。おそらく、これがもっとも当てはまるのは、都内近郊の小学生だと思うのですが、どうなんでしょうか? 地方でも最近はそうなのでしょうか? 根拠レスな僕の推測によれば、そう一般性があるものではないと思いますが。
まぁ、こうした受験の弊害の指摘自体は、何も今になってでてきたものではありませんね。戦後、受験戦争が加速したときから、ずっと、子どもたちはそれに巻き込まれてきました。受験とは、ずっと昔から過酷なものなのです。
ですが、気になることがひとつありました。記事自体は、公教育へへの信頼感の欠如が、全体のトーンになっているのですが、下記のような指摘がありました。
塾でintensiveな教育が行われている一方で、学校では「60÷3を1時間かけて延々と教える「考えさせる授業」が行われている。テクニックだけでよいとは思わないが、子ども自身に「考えさせるにも限度がある」という指摘です。そんなとき、先生は「わかっていない子どもがいるんだから」という。
記事はこうむすびます。
「授業を簡単にして、宿題を減らせば減らすほど、やらない子どもがますますやらなくなるだけ」
そうした事態が本当なら、「わかっていない子どもがいるんだから」という先生の抗弁は、あまり意味がないですね。
むしろ、わかっていない子どもとわかっている子どもが生まれていることを、所与の事実にして、つまりは、それを前提にして、新たな教育方法を模索する必要があるように思うのです。
つまり、「わかっている子ども」と「わからない子ども」がひとつの教室で、同じ進度で教えられるべきであるという前提自体を、いったん疑ってみる必要があるのではないでしょうか。
こうした事態がもし不可避であるならば、教育方法の改善など、本格的に考える時期にきているのかもしれません。教育方法の研究者としては、そう思ってしまいます。記事の中では、習熟度別クラスが取り上げれていましたが。
いずれにせよ、具体的にどういう手法が最適なのかは、いちように処方箋をここでだすことはできません。データ、制約の中から、「リサーチに基づく、現場のフィージビリティが高い手法」を、その現場ごとに生み出す必要があると思います。こんなときこそ、日本が世界に誇る校内研究、授業研究の伝統(世界の教育研究者から注目されているのですよ!)が活かされるべきかもしれませんね。
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投稿者 jun : 2006年2月15日 08:09
マクロビオティック
先日、マクロビオティックのレストランにいってきました。
マクロビオティックとは、一言でいうと「大自然と共に生きる食事法」。「旬のものを、その季節に、カラダに優しい料理法」で食べるというムーヴメントでしょうか。最近、女性雑誌とかでモデルとかが紹介することが多くなっていますね。
チャヤマクロビオティック
http://www.chayam.jp/restaurant/hibiya.html
店内のディスプレイには、「No milk, No sugar, No meat」と書いてありました。お味は、素材の味をいかした薄味で、なんだかカラダによさそうだなーと感じることができました。余計なものは、いっさい、はいってないんでしょうね、きっと。
僕は、この手のレストランが好きなのです。
なぜかっていうと、やっぱり、日々の生活では、カラダに悪いモノを食べまくっているし、人とオチャケを飲むことも多い。
そんな自分が背負った「重い十字架」「重い原罪」みたいなものを、贖ってくれそうな気がして、つい、そういうレストランを選んでしまうのですね。
悪人正機といいましょうか、「そういうレストランにいけば救われると思っている」ところが、我ながら、浅ましい。
さらに喩えて言うなら、「もはや太っているというレベルを超えたアメリカ人」が、ドレッシング1瓶をぶっかけたサラダを、「カラダにいいもんね、だってサラダだもんね」と食べるのに似ている!?
いや、ちょっとズレましたね・・・忘れて。
いいのです、おいしいのだから。
信じるものは救われる。
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投稿者 jun : 2006年2月14日 21:43
言葉の力
次期学習指導要領の中心的概念は「言葉の力」だそうですね。いろいろなところで話題になっています。
朝日新聞
http://www.asahi.com/life/update/0209/003.html
上記の記事によりますと、
「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」
だそうです。
そりゃ「言葉」は必要ですし、重要ですね、すべての基盤になる・・・それはそうです。言語は思考であり、思考が世界です。
僕は新聞だけしか読んでないので、詳しい話は知りませんし、データももっていません。ですので、現段階でコメントは差し控えます。
ですが、パッとアタマに浮かんだのは、上記のような解釈ですと、「言葉の力」でめざすことは、すべてを含んでしまいますね。ということは、具体的には教育現場では、何をやればいいんでしょうか?全部やるの? 今までと何が違うのか、ちょっとわかりませんでした。それで現場は動く気になるのでしょうか。
「はて、今までだって言葉は大事にしてきたけど・・・何をやればいいんだろ?」と冷めた感じにならないかな?というか、アタリマエダのクラッカーのような感じがしませんか。いや、アタリマエのことをアタリマエにやることはとても重要なのです。ですが、現場に対する説明力、訴求力がどうもな、と、そんな懸念をもちました。たぶん、PISA、PISA、PISA、TIMSS、TIMSS、TIMSSの結果で、こうなったとは思うんですが。
僕の第一印象はこうでしたが、皆さんはいかがでしょうか。
まぁ、事態の推移を注意深く見つめていきましょう。
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投稿者 jun : 2006年2月14日 13:41
Early bird
今日は、早朝6時に研究室につきました。なぜか、起きてしまったんだよねぇ・・・4時に。で、「どうしようかなー、二番寝(もう一回寝ること)をしようかな」と思ったんだけど、仕事がたまっているので、エイッと起きました。で、おもむろに大学にいった。
大学には当然のことながら、人っ子ひとりいません。いるわけないよなぁ・・・6時じゃ。工学部あたりの学生だったら、おうちに帰る時間ですよね、むしろ。
山本さんは9時出勤ですので、それまでは誰もこない。で、シコシコ仕事をしていたんだけど、これが悪くないですね、集中できる。ゆっくりとプレゼンをつくり、ゆっくりと文献を調べる。自分の研究室にいながら、こんなゆっくり時間を過ごしたのは、あまりなかったことだなぁと思いました。
でも、残念ながら、その静寂は長く続かないんですねぇ・・・。
午後9時30分・・・また一日がはじまる。本当に息をつく暇がないんですね。事務の方相手に、学生さん相手に、共同研究者相手に、ひたすら、なんかくっちゃべっているような気がする。今日は特にひどかった・・・本当に「ブレーキなしのジェットコースター」でした。
それでも、朝の3時間を有意義に活用できたのはいいですよね。逆に、この時間がなかったら、どうなっていたのか、正直怖いわ。通勤も楽だしね。いつもは満員電車にのっているけど、さすがにそんだけ朝はやいと、全然人はいない。座席に座って、朝の英会話レッスンを聞いて、ゆったりとした気分で、通勤できる。これはいいですね。
また早朝出勤しようかな・・・。一応、僕は裁量労働制ですので、朝早くでて、夕方になる前に帰るのは可能なんですね。早朝出勤することを、英語ではEarly birdといいますが、ちょっと仕事のやり方を、その方向で考えてみようかな。
朝早く出勤して、夜遅くなるっていう最悪のシナリオは、何とか避けたいけれども。
そりゃ最悪だ、最悪だ。
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投稿者 jun : 2006年2月13日 19:39
授業デザインの最前線
ありそうでなかった本だと思います。「授業デザインの最前線」を読みました。
高垣マユミ(著)(2005) 授業デザインの最前線:理論と実践をつなぐ知のコラボレーション. 北大路書房, 東京
この本、それに数々の学習理論をとりあげつつ、悲しいかな溝が深い教科教育学と教育心理学(学習科学)のあいだをブリッジングしようとしているところが、何より新しいなと思いました。ATIといった理論がとりあげられるかと思えば、活動理論もふれられている。これが1冊の本にまとまった本は、今までなかなかなかったのではないでしょうか。
実際の授業場面に生かすことのできるような諸理論をとりあげ、「授業を理解する」「授業を計画する」「授業を実施する」「授業の効果を上げる」「授業を分析する」「授業を評価する」という実践的課題を論じているのですね・・・理論的であり、実践的である。
とても参考になりました。
いつか、授業で使わせて頂きたいと思っています。
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投稿者 jun : 2006年2月12日 23:09
屋根の上のバイオリン弾き
先日、仕事をおえたあとで、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」を見ました。
屋根の上のバイオリン弾き
http://www.toho.co.jp/stage/yane2005/welcome-j.html
「屋根の上のバイオリン弾き」は、ロシア革命直前のウクライナに暮らす貧しいユダヤ人の家族の生活をおった話。
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この土地に暮らす貧しいユダヤ人の父親テヴィエは、「しきたり」に厳格にしたがいつつも、5人の娘を育て、慈しんできた。しかし、娘たちは、「しきたり」よりも愛情を重んじ、次々と結婚して家を出ていく。「しきたり」を重んじようと必死に抵抗するテヴィエ。しかし、自分の好きな男性を見る娘のまなざしを見て、彼は思う。「そういうのもありだろう」。
ツライことがあると、敬虔なユダヤ教徒である彼は、いつもカミサマに話しかける。「カミサマ、あなたはこんなに辛いことばかり、わたしにさずけなさる」。それでも、彼はカミサマに祈る。
そうこうしているうちに、激動の時代に突入する。テヴィエの村にも、ユダヤ人強制退去の命令が・・・。
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いやー、主演の市村政親さんの演技は、本当にスバラシイモノでした。歌を歌っても、せりふを回してもすばらしい。魅了されっぱなしの3時間半でした。
これほど、声のとおる、そして間の取り方のうまい役者さんを僕は知りません。テヴィエといえば、古くは森重久哉さん、西田敏行さんが演じた役柄ですよね。僕は、昔は知らないけれど、彼のテヴィエは本当によかった。特に彼の歌う「金持ちなら(If I were rich man)」は、哀愁があって、ずっと数日たった今でも耳に残っています。
聞けば、市村さんは今年で57歳だそうです。全くそんな年には見えないほど、エネルギッシュですけど。
いやーよかった。
彼の次の作品「ダンス・ウィズ・ヴァンパイヤ」も見に行こうと思います。
あのね、学生さんたちは、このミュージカル、当日半額で見られるんですよ、3000円で。オトクだよねぇ・・・こういうのはどんどん増えて欲しいですね。
ぜひ、勉強・研究に疲れたときには行ってみて下さい、もの悲しくも、必ず笑える。そして元気になるから。
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投稿者 jun : 2006年2月12日 22:56
一足先にバレンタインデー
来週はあまりに忙しく一緒にいられないので、少し早いけれど、バレンタインのチョコレートをカミサンからもらいました。
バレンタインデーの例年の方針は、「1粒入魂」。
要するに「量よりも質でいこう」ということです。僕はチョコはあまり得意ではなく、この機会以外には、1年でほとんどチョコレートを食べないので、そうお願いしています。
今年も、彼女は、そんな僕の酔狂に今年もつきあってくれました。買ってきたのは、デルレイのチョコレート。
デルレイ・チョコレートリスト
http://www.delrey.co.jp/cart/order_top.html
デルレイは、北ベルギー・アントワープにある伝説のショコラ屋さんです。創業以来、ずっと他国への出店を見合わせてきましたが、いよいよ日本で店をかまえることになった、ということです。毎日、ショコラがベルギーから空輸されているのですね。
お味は・・・おいしゅうございました。
1粒500円のチョコは、口の中でトロける中のショコラがなんともいえん。先日買いに行ったベノアのダージリン・アールグレイによくあいました。
マロングラッセ・・・こちらは1粒1000円だったそうですが(何度も何度も繰り返して言われました)、なんだかよくわからないままに食べてしまった。うーむ、早い、もう少し愉しみたかった。
バレンタインデーは1粒入魂ですが、ホワイトデーはそうでもないんだよね。「しょーもないお品」をあげようと思います、悪いんだけど。
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投稿者 jun : 2006年2月12日 22:24
それはレ・ミゼラブル!?
やっぱり、英語はそんなに甘くないよなぁ・・・と実感した日。
朝、カミサンと話していて、ミュージカルの話になった。僕が、
「今度、日生劇場でやるレミゼラブル(ああ無情)に行きたいな」
というと、「わたしはアメリカで1年留学していたときに、ブロードウェイで見ちゃったからなぁ・・・」と勝ち誇った顔でいう。「へー、どんな話なの?」と聞くと、少し顔を曇らせて、自信がなさげにこう言った。
「貧乏で、酔っぱらった民(たみ)が、船に乗って、闘う話」
・・・おい、そんな話だったか? ジャンバルジャンとか、でてこなかったか? と聞くと、
「英語だったからあんまりわからなかったんだよね」
という。
本当はどんな話なんだろう、と思って、あとでインターネットで調べてみたら、卒倒しそうになった。
レミゼラブル
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31305/story.html
かろうじてあっているのは、「闘う」ってところだけかな。「船」とか「酔っぱらった民」はどっからでてきた?
ちなみに、彼女の名誉のためにいっておくと、彼女は英会話はできる方だと思う。大学院の授業なども受講していたし、それほど不自由はしていない。だけど、なかなかミュージカルってのは難しい。
1年間で獲得できるリスニング能力は、そういうものなのだ・・・。
ちなみに、かくいう僕も、ブロードウェイでレント(RENT)を見たとき(ボストンにいって2ヶ月後くらいかな)、「エイズになった人たちが同じマンションで、あーだこーだする話」くらいしかわからなかった・・・。ただでさえ、わかんないのに、歌っているんだもん、何がなんだかわかるかい。
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みんな格好悪いと思っているから言わないだけだと思うけど、海外に1年間くらい留学した人は、みんな帰国すると、「留学したんだから、英語は大丈夫だよね」というまなざしで、周囲から見られます。でもすごい語学的才能のある人は別だと思うけど、多くの人たちは、そういうまなざしで見られるたびに、ドキドキしちゃうと思うんだよね、きっと。
「英語が話せるっぽくハッタリをかますこと」や「あーいわれたら、こう言うという瞬発力」は確かにあがります。そういうハッタリなら確実にあがる。だからね、「オマエは英語が話せないか」と他人にきかれると、「うーん、話せないけど、まぁ、話せるように見られるのは間違いないので、なんて言おうかな」と思ってしまう。
でも、話している英語、聴いている英語がすべてわかっているか、っていうと、正直にいうと、わからないときもある。スピーキング、リスニングはなかなかあがらないですよ、そんな短期間いっただけじゃ。日本語で話すときを10としたら、英語で話すと、ゼロではないけど、2か3くらいにしかなりません。これは僕だけかもしれないけど。
相手によるんです。英語っていっても、しゃべる人によってわかりにくい人もいれば、わかる人もいる。わかりやすい人としゃべっていて、「なんか、オレ英語できるようになったな」と思っても、次の日、違う人と話して、打ちのめされる。そんなものなのです。
だってさ、よく考えてみてよ、リスニング以前の問題で、話の内容がグチャグチャなネイティブ・スピーカーとか、そもそも複雑なストーリーな映画だってあるわけでさ、そういうのは英語だからって、わかんねーよ。英語以前の問題で、わかんない奴、わかんない話ってのはあるのです。
同じ日本語しゃべる人でも、論理展開が無茶苦茶な人はいますよね。その一方、小気味よく話が盛り上がる人がいる。英語だって、そんなものなのです。でも、間違いなくいえることは、英語の場合は、日本語の10倍くらいツライです、話についていくのは。
難しいねぇ、英語は。
ああ無情!
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投稿者 jun : 2006年2月12日 00:07
洋風ねこまんま
今日、お昼に、「つっかけ」はいて、近くのイタリアンレストランでランチをしました。お一人様ランチ。
今日は、原稿執筆で、半分、死にかけていたんですね。そこで、「意識朦朧子ちゃん」のまま、カルボナーラを食べたんです。タマゴの黄身とチーズをからめたパスタですね。
カルボナーラ、これは僕の大好物なんですが、最近控えていたんです。なにせカロリーが高いから。しかも、タマゴの黄身ですので、コレステロールがあがりそう。でも、急に食べたくなって、我慢できず、ついに行ってしまいました。
パスタ自体はとっても美味しかったんだけど、食べながら、昔のことを思い出しました。
考えてみれば、昔は、こんなにフツーにイタリア料理なんて食べられなかったのですよね。イタリア料理は、「つっかけ」はいて、行くようなものではなかった。
イタリア料理・・・当時は「イタ飯」なんつって流行したのです。若人(わこうど)たちがデートにいったときに食べるようなものだった。今、「イタ飯」なんて死語ですね。「きょう、イタ飯にしよう」なんて会話、この5年間、1度たりとも聞いたことありません。
東京ですら、「イタ飯」が「流行の産物」であったわけで、僕の故郷になんか、当然、イタ飯屋はありませんでした。
そもそも、僕は、上京するまで「パスタ」という概念が、アタマの中にまったくなかったくらいですからね。12年前、僕はパスタがよくわからなかったんです。
上京当初、僕は「パスタはスパゲティのこと」だと思っていました。まさか、ラザニアやマカロニがパスタの中に入るとは知りませんでした。「まさか、おまえもかー」っていう感じ。まさに気分はブルータスです。
しかも、僕の中では、スパゲティといえば、「紅白」しかなかった。ていうか、我が家では、その2種類しかなかったのですね。トマトケチャップをからめた「紅いスパゲティ」か、マヨネーズでからめた「白いスパゲティ」です。
今でも、我が家でスパゲティといえば、その2色しかないのではないでしょうか。「カルボナーラ」とか「ペペロンチーノ」とか、ありえないんです、そんな凝ったものは。
しかもしかも、僕は正直に告白しますが(昨日、ある先生に「中原君は真っ直ぐ素直だからいいのです」と言われました・・・)、上京してからはじめて、ドリアを食べました。
正直、最初はびっくりした。たしか、コースだったと思うのです、僕がドリアを頼んだのではなく、コースの中に含まれて、勝手にでてきた。突然、いわゆる「ドリア様」が自分の目の前に運ばれてきたのですね。それを見た、ある人は、「あーおいしそう」と言いました。
それにひきかえ、僕は、
「なんじゃ、このゴハンにシチューをぶっかけたものは?」
と思ったことを、今でも覚えています。最初、「洋風ねこまんま」かと思いました・・・。で、おそるおそる一口食べてみた。そしたら、感激したんだよねー。「いやー、こんなウマイものがこの世にあったとは」と。
それはドリアだ!
12年前の自分に、僕は教えてあげたい。そして諭してあげたい。「大学受かっても、ドリアも知らないんだね・・・ドリアは試験にはでないししょうがないね、世界は広いねー、まだまだ頑張らなきゃならないね」と。
皆さんは苦笑なさるかもしれませんが、10年以上前の地方から上京した人は、だいたい、そういうカルチャーショックを経験していないでしょうか?ちなみに旭川は36万都市・・・全国でもまだ大きいほうです。
ドリアを「シチューぶっかけゴハン」だと思った人は、僕だけではないはずなんですが。
投稿者 jun : 2006年2月10日 21:07
化粧品
「化粧品だなんて、僕も最初はウソだと思っていたんですよ、でも使い始めると、これが全然違う。ハダなんか、ピチピチになりますよ。中原さんもいかがですか? 絶対に違いますから」
先日、ある学生さんが、教えてくれました。
彼は、もちろん、それまで一度もそうしたものを使ったことはなかったんだけど、ちょっと前から「洗顔石けん」と「化粧水」を使い始めたそうです。化粧品といっても、別に口紅とかアイシャドーじゃないよ、そりゃ、ホラーだ。で、彼は、これがよかったんですね、で、ハマった。
その彼が紹介してくれたのが、こちらです、ソワーニュ。
ソニーP&Cラボラトリーズの「ソワーニュ」
http://www.sonycplabo.co.jp/soigne/index.html
お値段は結構するそうで、洗顔せっけん、化粧水ともに1つ7000円くらいだそうです。うーむ、まともにかって14000円。安くなって10000円くらいだとか・・・。
僕はまだタメしていないのですが、なんだか、最近、疲れているし、目にクマはできているし、いいのかなぁと思っているのですが。
洗顔せっけんと化粧水くらいなら、使っている男の人とかいるんでしょうか? あと、14000円は高いのか、安いのか、それすらもわからん。
僕としては、なんだか、ここで一歩踏み出すと、二度と元いた世界に戻れなそうで、ためらってもいるのですけれども。
どうしたものかねぇ。
投稿者 jun : 2006年2月 9日 20:04
断片化する思考
東大は火曜日、木曜日に会議が集中する傾向があるようです。火曜日、木曜日は、研究室の自分の机に座っている暇がないのです
朝、本部にて来年度の学術俯瞰講義の打ち合わせ。
12時、ランチは、某メディアプロダクションの方と、パワーランチ。
2時から青山学院大学の合田さん、高橋君らが来研、中原の講義「モバイルラーニング」の開発について打ち合わせ。
3時、某出版社の方と、近くの喫茶店で出版打ち合わせ。
4時、マイクロソフトの方々と、研究計画について打ち合わせ。
5時、本部副学長室にて、来週の海外からのお客様のミーティングの打ち合わせ。
6時、広報課の方から、来年の公開講座についての打ち合わせ。
7時、某出版社の方との電話ミーティング
・・・で、現在、blogを書いています・・・ホッ。
さすがに毎日がこんなかたちではないですけど。この間にも、ひっきりなしに電話はかかってくるわ、研究室ではいろいろ意志決定をしなければならないことがおこります。すこしゆっくりモノゴトを考えたいのですが、思考がつねに断片化し、多様化する。まさに、ミンツバーグ的世界、これが結構ツライ。
明日は、先週の週末を働いたぶんの代休をとることにします。
一日、書籍の編集に集中したいと思います。
進むとよいのだけれども。
Life goes on...
投稿者 jun : 2006年2月 9日 19:46
流行としてのプロフェッショナル
「プロフェッショナル」という言葉が大流行ですね。
あの名番組「プロジェクトX」の後継番組の名前は「プロフェッショナル」ですね。
プロフェッショナル
http://www.nhk.or.jp/professional/
あと、出版業界でもプロフェッショナル論が流行しています。B-ingの「プロ論」とかね、大前研一さんの「プロフェッショナル」とか、ずいぶん話題になっているようですね。
世の中いろんなところにプロ意識がある人たちが増えていくことは、大いに歓迎することなのですが、ただ、何でもかんでも、「プロフェッショナル」という言葉で言い表してしまうことに関しては、どうも、僕には違和感があります。
よく知られているようにプロフェッショナルの定義には、いろいろなものがあります。これは事実です。数限りない。
医療には医療の世界の定義がありますし、法律には法律の定義があります。もちろん、generalにプロフェッショナルとは何かを論じた研究もあります。が、ここではそれを議論しません。おおざっぱに、いろんな定義を共通すると、下記のような項目が共通点としてあげられる、という認識からスタートしたいと思うのですね。
おおざっぱにいいますと、プロフェッショナルとは、
1.公につくす職業であること
2.業務遂行に必要な体系的な科学的知識・技能があること
3.高い倫理綱領があること
4.同業者団体に所属すること
5.知識をアップデートしていく必要があること
こういう人のことをいうのですね。これだけ見たら、なんだかスゲーと思ってしまいがちではあるけれど、どうも、こういう人みたいです。
で、上記の定義の中の、特に1が問題だと思うのです。
世の中で流布しているプロフェッショナルには、どうも1の側面が欠けている傾向があって、それに違和感を感じます。
1の「公に尽くす」という側面ですが、もともと、Professというのは、「公に誓いをたてる」という意味なのですね。英英辞典で調べてみて下さい。きっとそういう意味がのっていると思います。
で、その誓いの前に、人々からリスペクトされてあるパワーを付与される。
フツーの人にはできない、フツーの人にはマネできないチカラを行使できるパワー - たとえば弁護士であったら、法律のナレッジベースをつかって裁判にたつという特権、医者であったら、医学の膨大なナレッジベースを背景に、手術をするという特権が、与えられているわけです。
で、そういうパワーを付与された人が、「プロフェッショナル」なわけですね。で、そういうパワーは、人々から与えられたものなので、人々に返さなくてはならない。だから、よく知られているように、プロフェッショナルのシゴトには、公共性が必然的についてまわるというわけです。
ところが、世間で流布しているプロフェッショナルのイメージというのは、まさに中村モンド、「必殺仕事人」ですね。一般には、ワザさえあればプロフェッショナルということになる。ヒドイものになれば、シゴトがたくさんくれば、プロフェッショナルとよんでしまう議論もあります。あるいは仕事に哲学をもっている日とのこと、流儀のある人のことを、プロフェッショナルとよんでしまう。細かいことはどうでもいいのかもしれませんが、このあたりが、どうも僕の違和感につながっているところです。
とはいえ、牧師・弁護士・医者・教師だけをプロフェッショナルと呼べと言いたいわけではないのです。時代に応じて概念は変わっていくのが必然でしょうから、それが指し示す範囲も拡張していくのでしょう。
ただ、もしプロフェッショナルというからには、「公共性」を意識して欲しいと思うのです。人々を喜ばせたり、救ったり、支えたり・・・自分のシゴトの背後に、そうした側面を見る人を、プロフェッショナルと呼んでほしいな、と思ってしまいます。人々から託されたパワーを人々にかえすという意識のあるヒトです。自分だけ儲かる、というのはちょっと違う。
その意味では、プロフェッショナルと一般には言われる人でも、プロフェッショナルではない人もいる。一般にプロフェッショナルとは言われない職業でも、プロフェッショナル的側面をもっている人はいる。そういうことになりますね。
たとえば、耐震強度偽装問題・・・建築家はプロフェッショナルのひとつでしょうから、これはプロフェッショナルのおこした犯罪と考えていい。この問題の一番キツイところは、人々から与えられたパワーを、人々から寄せられたリスペクトを裏切ってしまった、ということにあるのだと思います。
前に書いたように、プロフェッションは、人々の期待に裏打ちされて成立しています。そうであるならば、人々を裏切ると、プロフェッショナルそのものへの信頼を裏切ってしまう。これは痛いと思うのですね。
プロフェッショナルの時代だそうです。
みなさんはどう思いますか?
投稿者 jun : 2006年2月 9日 00:45
大学と障害者支援
ここ数ヶ月かかって書いた論文は先日無事に脱稿した。と思ったら、お次は書籍の編集。がーん・・・既に締め切りは過ぎているのだという。少し前まで、僕は締め切りをやぶる人間ではなかったのに・・・。ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません。今、その作業に死にかけ人形になっている。
そんな中、もうさすがに煮詰まってきて、ふとテレビをつけると、放送大学にチャンネルがあった。特別講義「高等教育のユニバーサルデザイン」をじっくり見てしまう。独立行政法人メディア教育開発センターで同じ研究系であった広瀬洋子先生の授業である。
学生の多様化にあわせて、高等教育機関もハンディキャップをもつ人々を受け入れる体制を整えるべきである。施設、入試・・・様々な面で、健常者と障害者がともに生きる学びの場として、大学はあるべきだ。先生の、シンプルでいて、力強い主張になるほど、と思った。
広瀬先生に聞くところによると、東京大学にも「バリアフリー支援室」という組織ができたとのこと。自分の所属組織ながら、しかも教育のことをやっていながら、そんなことすらわかっていない。汗顔の至りである。
思うに、こうした内容は、やはり個々の大学や、大学附属の研究施設では、あまりにリソースが足りなく、追っていくことは難しい。専門性のある人が、継続的に調査をする必要があるからだ。
こうした内容は、メディア教育開発センターのような組織が、世界の動向をおっていってくれると非常に助かると思った。
広瀬先生らは、「高等教育のバリアフリーデザイン」に関し、情報をまとめたWebサイトを開設しているとのことである。ぜひ、ごらんいただきたい。米国大学の障害者支援の最新事例もビデオで公開されている。貴重なリソースだと思う。
大学における障害者支援
http://www.nime.ac.jp/~hirose/
投稿者 jun : 2006年2月 8日 21:57
論文を投稿するということ
この数ヶ月、荒木さん@東京大学大学院・日本総研と執筆していた論文を投稿した。「ワークプレイスラーニング研究序説」という論文で、某学会からの依頼原稿である。
この論文は、僕が今まで書いてきたものとは本質的に異なっている領域のものだ。協調学習でもなければ、モバイルでもない。教育の情報化でもなければ、eラーニングでもない。学習科学でもない、いいや、今はまだ教育工学ですらないし、教育学でもない。
よって、かなりの苦戦を強いられることになった。この苦戦、今から考えると、一人で乗り切るのは難しかったと思う。共著者・・・戦友に感謝する。
ところで、先ほど「論文を投稿」と書いたけど、最近の「投稿」は、Webとか電子メールとかで電子ファイルを学会事務局に送付することをさす。
ちょっと前までは、原本を4部印刷、回答文を4部印刷して、郵送していたのに、いまや、僕の関連学会では、そんなアナログな学会はない。
Webや電子メールを使った投稿は、便利ではあるけれど、なんだか味気ない気もする。
郵便局に、数ヶ月格闘した論文を持って行くとき
書留でお願いします、と窓口で依頼するとき
原稿を手渡したあと、放心状態のまま、家路につくとき
僕が大学院で修行していた頃、このような何ともいえない「一瞬」を何度も何度も経験した。
そして、そんな時間をすごすたび、僕は、自分の書いたものが、研究として「認められること」を心から願い、同時にまだ曙光すら見えぬ自分の未来を、何とかかんとか、明るい絵の具で描こうと努力してみた。
それがいまや「ファイルを添付」で「クリック一つ」である。しみじみと我にかえる時間すらない。「何ともいえない一瞬」は、文字通り、「一瞬」で終わってしまう。そのことが、何となく味気ない気がするのは、僕だけなんだろうか。こんなことを言っていると、年寄り扱いされるかもしれないけれど。
---
なお、今回の論文の試読は、酒井君@東京大学大学院が引き受けてくれた。鋭い目をもつ彼は、論文の問題点を厳しく指摘し、僕がとまどっていた部分をバッサリ切ってくれた。
石川ゴエモンならぬ、酒井ゴエモン。一刀両断、ザンテツケン。たまにブツブツ言っているが、その切れ味は鋭い。
感謝しています、ありがとう。
投稿者 jun : 2006年2月 7日 13:44
まさひろ寿司
心の底から、アタマのてっぺん、手足の毛細血管の先まで、今日は疲れた。おかげで、なんとか光明が見えてきたか・・・。
夕食は、まさひろ寿司へ。まさひろ寿司は、山内さんのお得意の戦国のお寿司屋さん。
まさひろ寿司
文京区本駒込6-5-1
電話03-5395-9109
千石駅から徒歩3分(A-4出口)
巣鴨駅南口から徒歩7分
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA%E6%9C%AC%E9%A7%92%E8%BE%BC6-5-1
値段は、「まさひろ握り」が2800円、オチャケを飲んで4000円ちょっとくらいか。夜の寿司屋としては、かなりリーゾナブルな値段だと思う。
前回いったときも、素晴らしいと思ったけれども、ウニがうまかった。今度いったときには、光物もチャレンジしたいと思う。刺身とか鍋もいいかもしれないなぁ・・・。
残念ながら、まさひろ寿司、あまり店内は広くない。すぐに満員になってしまうとのこと。でかける前には必ずお電話を一本入れるとよいと思う。
明日もがんばろう。
明日も会議多いなぁ・・・。
投稿者 jun : 2006年2月 6日 22:07
BERRY CAFEにいってみた:ピーチティのこと
先日、ちょっと用事があって、青山にいった際、BERRY CAFEというカフェに立ち寄りました。青山学院大学のすぐ近くにあって、骨董通りの入り口にあるカフェですね。
BERRY CAFE
http://www.cafe-commeca.co.jp/shop/index.html
入り口のショーケースのところには、タルトのケーキが並べられていて、すごく綺麗なんだよね。かなり印象的なので、「あーあそこね」と見たことある人もおおいと思う。
中にはイートインがあるのですね。ここでケーキを食べられる。おいしゅうございました。
値段は、種類にもよりますが、だいたい1ピース800円くらいでしょうか。紅茶がやはり800円くらい。ちょっと高いかねぇ・・・ていうか、だいぶ高いわな。
えっ、こんなものですか? 平均はいくらなんですかねぇ?いつも茶店でケーキは食べないので、東京の標準価格が僕はわからないんですけど・・・。なんか高校時代、旭川にいた頃は、よく行ったのですが、500円くらいだったような・・・こりゃ、安すぎだな。青山だから、しょーがないのかな。
ちなみに、ケーキもよかったのですが、僕としては、ピーチティがヒットしました。ピーチのフレーバーティにプラスしてピュレもついてくるのです。これがいい。望月君的に言うならば、(・∀・)イイ!!ってことになるのでしょう
なるほど、フレーバーティというのも(・∀・)イイ!ですね(しつこい)。今日、近くのデパートに食材を買いにいったのですが、ここにありました、ピーチティ。今、この日記を書きながら飲んでいるのですが、おいしゅうございます。
ルピシエ
http://www.lupicia.com/
そういえば、研究室で、山本さん、岩下さんと「今度、お茶を買おう」と言っていたのですが、フレーバーティをいろいろそろえておく、というのもいいかもしれませんね。リラックできるし。うちの研究室は、血の気が多いから、といっても、僕だけかもしれないけど、メンタルヘルスにもよさそうだ。
ルピシエは、たまーに行ったことがあるのですが、種類が多く、値段も手頃なのでいいですね。
いずれにしても、今度、ホリダシモノを見つけに行ってみようと思っています。マスカットってのと、さくらんぼってのがあったんだよね。次はそれかな。
投稿者 jun : 2006年2月 5日 17:40
WOOD YOU LIKE COMPANY
カミサンとウォーキング。今日は、今年9月から住み始めるマンションを見てきました。
工事は順調に建設が進んでいるようで安心。だいたい3Fくらいまでたっていましたね。7Fだてのマンションなので、まだ半分も終わっていないけどね。
ア○ハ事件以降、僕たちのマンションは「追い風」になったようで、これまた一安心(ぼくらのマンションの場合、ア○ハ事件以降、対応は早かった。すぐに別の評価機関による第三者評価機関による鑑定結果がでました)。
その後、渋谷 - 表参道 - 青山と散歩。青山では、「WOOD YOU LIKE COMPANY」という手作りの家具屋さんに立ち寄りました。
WOOD YOU LIKE COMPANY
http://www.woodyoulike.co.jp/jhome.htm
WOOD YOU LIKE COMPANYの家具は、こだわりの一品です。分厚い天板、重厚な構造。板はにいっさい表面加工をしない。そのぶん、お手入れはしなければならないけれど、表面はオイル加工なので、何ともいえないしだいに光沢がでてくるのですね。
最近、「恋を何年休んでいますか」という連ドラが再放送になっていて、それをカミサンが見ていたのですね(欲求不満なのか?)。そのドラマに、この家具屋さんに勤めている家具職人の青年がでてくるのです。それがきっかけで足を運ぶことになりました。
お値段もそれなりにします。食卓テーブルは30万くらい。でも、ここのものを一度見てしまうと、他が見られなくなってしまう。構造の弱さも気になるし、材質も気になる。どんなに見た目を装っても、一度、ホンモノの家具を見ると、わかってしまうのです。そういうテーブルがありました。
ちょっと予算的にはキツイのですよね。ちょっとどころじゃねーよ、かなりツライ。借金大王どころか、借金火だるまです、ケツから火がボーボーでてる。オレはロケットか?
あぁ、でも、同時に、どうせ買うのだったらいいものを、とも思ってしまうのですね。だって何度も買うものじゃないじゃないですか。うちの実家も、カミサンの実家も食卓は20年選手です。何度も買う物じゃない。僕の人生にであう食卓は、たぶん、今回買う物になる。そう思うと、長年連れ添うものであるとしたなら、妥協はしなくない、そう思うのです。
悩ましい、誠に悩ましい週末です。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2006年2月 4日 20:49
「東京タワー」から学んだこと
リリーフランキーの「東京タワー」にこんな一節があった。彼のお父さんが語っている場面です。
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麻雀もやなぁ、六十過ぎてからやのぉ。負けんようになったんは。どうやったら勝てるかがやったわかったごとあるのぉ。(中略)
「もう役満テンパイしとっても、オリれるようになったねぇ。ふり込まんことよ・・・勝とうと思ったら」
オトンのこれまでの生き方は、あがれる千点よりも、あがれない役満の方に魅力を感じて駆け抜けてきたことだと思う。それが今では、振り込むかもしれないたった千点のために、役満を切り崩せるのだと言った。
リリーフランキー「東京タワー」 pp336-337より引用
---
なるほど・・・深いですね・・・この教えは。
麻雀は高校時代以来(我が家は当時、雀荘化していました)、あまりやっていません。でも、上の「勝つコツ」は、なんかわかるような気がする。結局、「一人で振りこむ」ことが一番痛いんです、麻雀では。だから、それさえ避ければ、たとえ勝てなくても、負けないのですね。
でも、どこかで今の僕は、上のような戦法に反感を覚えてしまいます。「たった1000点のクソ手のために、オレが役満崩してどうする!?」と思ってしまいます。まだ「オリレ」ないんだねぇ。
---
ところで、リリーフランキーの東京タワーには、もうひとつ興味深い一節もありました。彼のお父さんがリリーフランキーに諭している場面です。
---
まぁ、これからオマエが誰とつきあうにしてもやなぁ、女には言うてやらんといけんぞ。言葉にしてちゃんと言う手やらんと、女はわからんのやから。好いとるにしても、つまらんにしても。お父さんもずっと思いよったけど、おまえもそうやろう。1+1が2なんちゅうことを、なんで口にせんといかんのか、わかりきっとるやろうと思いよった。
そやけど、女はわからんのや。ちゃんと口で2になっとるぞっちゅうことを言う手やらんといけんのやな。お父さんは、お母さんに最後までそれができへんかった。取り返しがつかんことたい。やけど、まだオマエは若いんやから、これからは言うてやれよ。
リリーフランキー「東京タワー」 pp437より引用
---
なるほど。
「女は○○である」というステレオタイプを真に受ける必要はありません。そんなとこで青筋たてないように。
僕が、なるほどなと思うのは、「女」とか「男」とかはこの際、ペンディングして、「人間は言わないとわからない」ということです。「1+1=2」なんてアタリマエのことを、他者には言わなければ伝わらない、ということです。
仲のよい間柄であればあるからこそ、言わなくてはならない、伝える努力をしなければならない。「わかっているだろう/感じてくれているはずだろう」と思っても、なかなかそうはいかないのですね。
そりゃ、ビビビと伝わっちゃう関係もあるかもしれない。それなら取り越し苦労ですね。ただ、伝わっていると思っていて、伝わっていないリスクっていうのがある。で、そのリスクを人は忘れてしまうのです、すっかりと。
なるほどね・・・リリーフランキーのお父さん、深いですね。勉強になりました。
投稿者 jun : 2006年2月 4日 08:30
風の谷のナウシカ
「風の谷のナウシカ」を久しぶりに見た。このアニメは、「天空の城ラピュタ」とともに、僕がもっとも好きな作品であり、もうおそらく10回以上、折に触れて見ているような気がする。
なぜ好きなのか?
それは端的にいうと、世界観があるからです。
ナウシカの場合、世界大戦で汚染された「土」、それを臭気をはなちながら浄化する「腐海」。「腐海」を守るオーム。そんなことは知らずに、「腐海」と「オーム」を駆逐しようとする人間と守ろうとする人間、ということになるでしょうか。この非勧善懲悪的世界観がたまりませんね。
ところで、この映画が公開されたのは、1984年。今から20年前になります。また、20年前かい・・・(なんか最近いいなと思うのは、全部20年前くらいに出たもののように思うのですが、それはジコチューな考え方でしょうか。)
当時、僕は10歳ですね。その1年後、僕は、ずっとならっていたピアノをいったんやめてエレクトーンに転向しました。たしか、エレクトーンで最初に弾いたのが、風の谷のナウシカ、次にひいたのが天空の城ラピュタだったように記憶しています。
世界観もいいのですが、この2つの映画は音楽が本当にスバラシイ。久石譲さんの作品ですね。雄大で、これまた「世界」といいましょうか、「歴史の流れ」みたいな大きなモノを感じてしまいます。
この映画が出た頃、今から20年前、あなたは何をしていましたか?
そこにはどんな風景が広がっていましたか? ナウシカが好きな人は、その世界観とつながる思い出があるように思います。
投稿者 jun : 2006年2月 4日 08:06
ソフトバンクがつくるインターネット大学
もう数日前だったと思うのですが、「ソフトバンクがインターネットを使った通信教育の大学をつくる」というニュースが流れましたね。
ソフトバンク・プレスリリース
http://www.softbank.co.jp/news/release/2006/060130_0001.html
名前はちょっとベタだねー、「日本サイバー大学」。まだ仮称ですので、変わるのでしょうけど。この大学、特区の枠組みの中で設立申請するそうです。
学部は「コンピュータ&ビジネス学部」「世界遺産学部」だそうです。前者はソフトバンクだからなるほどな、と思いますね。後者はちょっとわかりませんけど・・・なんで遺産なんだ?
前者の「コンピュータ&ビジネス学部」で、孫さんの授業とか、孫さんのお友達のIT企業のCEOの方々の話が聞けるのなら、オモシロイなと思います。
このあたりは、もし実現すれば、ビジネスブレークスルー大学院大学のビジネスモデルと同じかな。実は、BBTには、僕の友人が通っていて、今度、その様子を聞くのを楽しみにしているんですが。
いやー、そういうのあったら、モグリで聞きたいねー。おっ、インターネット大学だから、モグリってのはないのかね。
どうでもいいんですけど、僕とカミサンは実はソフトバンクの小株主です(2人で買っている)。ソフトバンクは、IP電話のことでもずいぶんやりあっているようですが、ぜひ、いろいろとチャレンジングなことをしてほしいと思います。
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それにしても、もし、こういう風に4年生大学でインターネットで受講できるものが増えていくってことになると、一番、競合しそうなのは放送大学なのでしょうかね? 既存の大学は、この領域にはまだ入っていきそうにないので、競合は通信制大学ってことになるのでしょうか。うーん、でも学生の層とか違うし、競合にはならないのかな。
とにかく、まー、それはいいとして、久しぶりに放送大学のページを見てみたら、ラジオのインターネット放送実験というのもやっていたそうですね。
放送大学
http://www.u-air.ac.jp/hp/info/info170801_01.html
結果はどうなったのでしょうか。
音声だけでなく、ビデオの方はどうかっていうと、授業紹介だけはインターネットでの閲覧可能なみたいですけれども。
わたくし、旧幕張族としては、放送大学についてはいろいろ思い入れもあります。ともかく、学習者にとって学びやすい環境ができればいいなと思いますけど。
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そうそう、放送大学といえば、来年度からはじまる「総合情報学」で、僕も講師をさせていただきました。第何回かは知らないのですが、山内さんとご一緒に「大学教育の情報化」の話をしています。
撮影は紅葉が一番綺麗な本郷キャンパスでした。もしよろしければ、銀杏が本当にキレイですので、風景をぜひ愉しんでいただければと思います。
投稿者 jun : 2006年2月 3日 01:08
小早川伸木の恋
柴門ふみ原作の「小早川伸木の恋」を毎週楽しみにみています。リアルタイムではなかなか見られないのですが、HDレコーダにとって、ざっと寝る前に。
小早川伸木の恋
http://wwwz.fujitv.co.jp/kobayakawa/index2.html
「小早川伸木の恋」は一言でいうと、「不倫モノ」ですね・・・うーん、こう言い切ってしまうと、身もフタもないわな、2秒で今日のエントリーが終わってしまう。
あらすじをかいつまんで言うと、小早川伸木は、大学病院の外科につとめる医師です。ちょっと(どころじゃない・・・)嫉妬深く精神的に不安定な妻には時に翻弄されながらも、親子3人で仲良く暮らしていたのですね。
でも、誠実な彼は、大学病院の政治とか人間関係にもヤラれ、家庭ではちょっと(どころじゃなく・・・)嫉妬に狂ってイッてしまわれている妻にヤレれ、心身ともに疲れてく。孤独なのですね。
でも、そんなとき、カナという女性に盆栽教室で出会う。伸木はカナといっしょにいると、とっても心が安らぐ。カナは伸木の心を癒すのですが、彼女自身もとっても孤独な人生を歩んできた人なのですね。だから「共鳴」する。で、結ばれる!?・・・みたいな話。
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うーむ、伸木がカナに惹かれる、その気持ちがわかるかどうかは、ここではノーコメントとしておいて、このドラマ、なぜ僕が連続で見ることになったかというと、たぶん3つ理由があるんですね。
1つめ。このドラマは、不倫モノであるのと同時に、「大学もの」だから。僕は、大学モノのドラマが好きなのです。ちょっと前に医学部の権力抗争を描いた「白い巨塔」がありましたね。あれは3回は見ました。あと、1年くらい前だと、理学部の「不機嫌なジーン」とかね。とにかく、大学が舞台になったり、大学関係者がでちゃうようなドラマは結構見てしまう傾向があります。
2つめ、カナ役の紺野まひるがイイから。紺野まひるもイイし、演じているカナの役もイイ。
でも、いくつかインターネット上のBBSを見てみるとカナ派と妙子派にわかれるみたいですね。女性は妙子の気持ちがわかる、男性はカナがイイ、と男女で分かれるところもあるようです。ふーん、わからんな。
3つめ、このドラマで使われている曲「You are beautiful」は本当にいい曲だと思います。米国のiTunesでも一位でした。イギリスで2005年にもっとも売れたらしいですね、このアルバムは、知らなかったけれども。
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なんかこんなことばっかり書いていると、暇人みたいだけどね。まぁ、いいじゃないの。今日、論文あげたんだし・・・。これも勉強、勉強。研究に役立つのよ。
来週も楽しみですね。
投稿者 jun : 2006年2月 3日 00:30
RIZE : 踊ってるんじゃない、闘っているんだ!
映画「RIZE」をみた。
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全米でもっとも危険な街、LAのサウスセントラル。1992年のロス暴動の発端になったこの街に希望はない。
ギャングの抗争が毎日のように続き、毎日のように死人がでる。ストリートを歩いている何の罪もない市民が、それだけで撃ち殺される。そういう街であったという。
誰かが殺され、アタマをふっとばされるのを目にする子どもたち。両親がヤク漬けになってムショにいく子どもが、アタリマエのようにいる街。
そんな夢も希望もないストリートで、ひとりの男がピエロの姿でダンスを広める。名前は、トミー・ザ・クラウン。
ギャングになるか、ピエロになってダンスをするか?
ギャングになったものは、撃ち殺されるか、ムショにいくかだ?
彼が広めたクラウンダンスは、やがてクランプダンス、ストリップダンスという具合に、広まっていく。一人またひとりと、フェイスペイントをした<ピエロ>がストリートに増えて、ダンスを競うようになる。ダンスバトルが繰り広げられる。
踊っているんじゃない、闘っているんだ!
ある少女は、「ダンスは、わたしの人生そのもの」と語る。
クラウンダンスのグループにいた子どもたちの中には、マドンナのPVにでている子どももいるという。
上へのしあがれ(RIZE!!!)
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僕は踊りの才能がゼロというか、むしろマイナスです。だから、クラウンダンス、クランプダンスのダンスバトルの映像は、本当に圧巻だった。スゴイ早さ。僕だったら、関節から煙だして火をふいてるねー。
それにストリップダンスは、セクシーでもある。ふりすぎだろー、腰。もうさ、震えというか、痙攣に近いです。オレなら、腰はずれてるね、既に。
それにしても、このドキュメンタリー、そのまま教育学の教材に使えそうですね。来年度、僕は授業はないけど、これはね、いつか使おうと思います。
でもさー、一度生で見てみたいですね、ダンスバトル。でも、日本人がのこのこ見物してたら、即やられるね、間違いなく。「新車でその地区を通るのは死ににいくようなもの」らしいです。
興味を持った方は、渋谷シネマライズでどうぞ。
シネマライズ
http://www.cinemarise.com/
RIZE
http://www.rize-on.net/
投稿者 jun : 2006年2月 2日 23:23
Talkman
PSPのTalkmanを入手した。英語のプロジェクトをやる関係で、今年になって、いろいろなソフトウェアを試している。
今日は、発音モードにトライ。これは、声をだして課題文を読んで、それが採点されるというもの。課題文には下記のような文章がでる。皆さん、チャレンジしてみてください。
Are there any youth hostels around here?
Is there a pastry shop around here?
Where can I find a supermaket?
Where's a good place for breakfast around here?
問題には簡単なものもあるのですが、上記なんかはとっても難しいことがわかるでしょう、舌噛むでしかし。
その上、採点をしてくれる「鳥キャラ」に、「よくもなく、悪くもなく、実に微妙な発音だ」とか言われた日には、「ムキーッ」てくるね。もはや「のだめ」状態だね、オレは。
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そういえば、先日からいわゆるe-learning業界の人に「Talkmanはe-learningとかm-learningと認めていいのでしょうか?・・・ダメですよねぇ」って聞かれるのですけど、最初、よく質問の意味がわかりませんでした。
もちろん、認めるべきじゃないですか、というより、こっちの方が世間的にはよっぽどよく知られていますし、ある側面では、よっぽど先を行っていますね。いや、認知度とか先を行っているという問題でもないんですけど、区別するべき理由はない。
別にWeb使ってなくても、ID使ってなくても、たとえ売る側が「e-learning」っていう言葉を使ってなくても、つまりは、e-learning業界の常識から逸脱していたとしても、そんなことは関係ないと僕は思います。そのくらいの緩さしかないでしょう、e-learningという言葉には。
まずは、それを認めて、同じ土俵にあがった方がいいと思う。ユーザーからみたら、PSPであるか、Webであるかなんか問題じゃありません。シェークスピア風にいえば、学べるか、学べないか、それが問題。教育効果があるかないか、価値があるかないか、それが最大の問題なのです。学習を支援するテクノロジーであるならば、そこで勝負するべきだと思いますし、その際、重要になるのは評価であり、データだと思うのです。
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それにしてもオモシロイですね。このソフト。いや、これに限らず、最近のDSででたソフトなんかも。persuasive technology的な観点から見ると、とてもオモシロイし、本当によくできていると思いました。
しばらく、夜な夜な分析がつづきそうです。
投稿者 jun : 2006年2月 1日 23:40
APRU DLI 2006のWeb
今年11月に東京大学で開催されるAPRU DLI 2006(Asia Pacific Rim Universities Distance Learning and the Internet 2006:アジア環太平洋大学連合 遠隔教育国際会議) のWebが、ようやくできました。
教育企画室の学生スタッフの青嶋くんがディレクションをしたものです。
APRU DLI 2006
http://apru2006.dir.u-tokyo.ac.jp/
デザインは、「おやこdeサイエンス」以来、お仕事をいろいろお願いしている「スパイスワークス」さん。スパイスワークス社長の関根さんとは、カミサンも番組にでてもらったことがあり、それ以来、いろいろとおつきあいをさせてもらっています。
スパイスワークス
http://www.spiceworks.co.jp/
APRU DLIには、どなたでもご発表いただけます。
投稿者 jun : 2006年2月 1日 23:35
功名が辻
何年ぶりになるんでしょうか・・・ふと考えてみました。
でも、何年という単位ではないんですね。そう、NHK大河ドラマを見るのは20年ぶりのことなのです。
記憶に残っている中で、最後に見た大河ドラマは、「山河燃ゆ」です。たぶん知っている人はいないでしょう。僕が9歳の頃のドラマです。
まだ若かった松本幸四郎が、日中戦争、太平洋戦争の激動の昭和の時代に翻弄された日系人を演じていたのです。たしか最後は東京裁判の終わりで、彼が自殺して終わるはず。このドラマ、家族で見ていたのですが、あまりの話の暗さに、いつも見終わったあとは重苦しい雰囲気が流れていました。
それから21年・・・。
僕は、今「功名が辻」という大河ドラマを見ています。
「功名が辻」は、信長、秀吉、家康の3名の主君に仕えていくうちに、足軽から一国一城の主に出世していく山内一豊と、その一豊を支え続けた妻「千代」の話。
功名が辻
http://www3.nhk.or.jp/taiga/
この大河ドラマ、ほどほどに軽い演出がいいですね。歴史っていうと、最初から最後まで重いからね、フツウは。このドラマは違う。特に最初は、現代から話が入ります。その日の話を、「もし現代だったら」という感じでたとえるところから、物語がはじまるんですね。これはわかりやすい。
あとね、妻「千代」を演じる仲間由紀恵があまりに可愛くて、つい、毎週、リモコンのスイッチをいれてしまう。彼女が、映画リングで「貞子」を演じていたなんて、こないだ知りましたけど。彼女が貞子だったら、「来る・・・きっと来る」とか言われても、「いいよー」なんて答えちゃいそうだけどね。
あと、密かに、僕は、高校時代、日本史オタクだったのです。
人間暗記マシーンだったわけじゃないんです・・・心から日本史が好きだった。特にハマッていたのは、「仏像」と「戦国時代」です。
仏像は、どの寺社にどの仏像があるか、それが誰によってつくられたのか、工夫は何だったのか、かなり細かいところまでわかっていました。「半跏思惟」とかね・・・惚れました。
戦国時代は、武将や軍師の伝記をかなり読んでいたので、自分で言うのもなんですが、当時は、戦国時代100年の流れを諳んじることができました。「琵琶法師」なみに・・・ベンベンみたいな。
功名が辻は、信長、秀吉、家康という、戦国時代の王道中の王道なのですね。今はもうほとんど忘れてしまいましたが、そういう昔の自分が知っていた知識を、思い出しながら見られるのが、とても愉快なのです。
カミサン相手に、戦国時代のロマンといいましょうか、男のロマンを得意げに語れるのがいい。「あー、またいつもの酔っぱらいがはじまった」という感じで、もっとも彼女は全然聞いちゃいないけど。
来週も見なな。
投稿者 jun : 2006年2月 1日 23:17