研究を愉しむ
研究をやっていれば、1つや2つの - いえいえ、それで済むなら、まだマシですね - ニサンシゴロクシチハチ個の壁にぶつかるモノのように思います。
先行研究が見つからず、どこから手をつけていいのかわからなかったり、はたまた、指導教官に「リサーチクエスチョンがイマイチ、ていうか、そんな君がイマイチ!」と罵倒されたり(なんてヤツ!)、せっかくオモシロいアイデアを見つけても、技術的なフィージビリティがたたなかったり、統計検定の方法がわからなかったり。
そういうときは本当にツライですね。本当に目の前が真っ暗になる。
でもね、そのたびに一喜一憂していたら、「胃」が持ちません。わたしのような元・ピロリ小僧だったら、なおさらです。だって壁だらけですので。
「真摯に研究すること」は言うにおよばず非常に重要なのですが、同時に、どっかで、ふっと気を抜かないとね、と思います。
僕の場合、いつもこう考えることにしてます。
「これでヘタうっても、明日、地球が危機に瀕するわけじゃない」
「万が一シクっても、北海道の自然がある日突然変わるわけじゃない」
こんなことを言うと、「不謹慎だ」とか「ずいぶん呑気ですねぇ、まだ仕事できるんじゃないですか」と、イヤミ言われそうですが、そんなことはありません、もう手一杯ですから(笑)。
でも、そう考えると、ふっと力が抜けるんですよね。「そうだよなチッポケな迷い」だったな、と思うんです。「あの大地を見よ!」みたいな感じになって、松山チハルの物まねをしながら、歌いたくなってくるのです。
で、なんだか、だんだんと楽しくなってくるんです・・・。「オレって、アホやなぁ、どーしょもねーな、でもいいや、ガタガタ言ってもしゃーねーな。でへ」と思って、楽しくなってくる。
こう言ったからといって、力を抜きすぎて、いつ見ても「先行研究は調べないわ」「リサーチクエスチョンも前と同じで全くシンポしないわ」じゃ困ります。そういうのは論外。
でもさ、「いくら頑張ってもダメなときはある」のです。そういうときは、ボケたり、自然を高らかに称揚したりして、ボケる、ボケまくる。あんまり思い悩んでもツライだけですからね。そんなに自分をイジメなくてもいいのよ、と思います。
研究は<愉しむもの>ですので。