新規提案

 近くのイタリアンレストランで、カミサンと食事した。10月から11月にかけて、お互いに本当に忙しく、ゆっくり食事をしながら二人で話したのは、本当に数ヶ月ぶりかもしれないなと思った。彼女は、自分の番組が明日オンエアされるというので、大変機嫌がよく、顔には、達成感が垣間見られる。

 しかし、ひとつの仕事の終わりは、はじまりでもある。

 晩秋は新規提案の季節だ。それは、テレビディレクターであれ、研究者であれ、変わらない。ディレクターであれば、A4一枚に番組の提案を書く(A4一枚で伝えられない番組は、コンセプトが甘い、絞り込めてないってことである)。研究者ならば、開発 - 実施 - 評価からなる、一そろいのリサーチプランをたてる。

 こういうとき、僕はひとりで考えない。

 否、正しく言うならば、「僕はひとりで考える」
 だけれども、「僕はひとりで決めない」

 僕の研究計画や、開発物に、実は、こうしたカミサンとの会話、そこから得た情報が反映されていることはまことに多い。少なくとも、僕の企画の「世間離れ」したところを指摘し、一般の人だったらこうする、というインスピレーションを与えてくれている。また、「こんなものが流行っていんねんでー」という感じで、関連するものを教えてくれたりする。

 逆もまた真なり、彼女の企画に僕のたわごとが役立っていると言いたいところだが、そのあたりは、かなり心許ないけれどね。

 もちろん、僕が話を聞くのは彼女だけではない。ある程度、話が固まったら、心を許している同僚研究者、関係する業界人などに、話をきいてもらう。そこで、よいアイデアをもらうことが本当に多い。気づかなかったことを指摘されたり、ステキなテクノロジーを紹介されたり。

 「重箱のスミをつつくような研究」は重要である。そうした研究の積み重ねの上に、誰かの肩の上に、次の時代がつくられる。しかし、どうせやるんだったら、オモシロイことがしたい。

 かくして僕の研究は、対話の中から生み出される。
 そういう意味では、「飲み屋」って重要かも。