知的遊び
おそらく現代の教育学にとって、最大の課題のひとつに、「教育の私事化」「教育の市場化」という問題がある。
思想屋さんに、「便所スリッパ」でぶったたれることを覚悟して、会話風にこの問題の対立点を明らかにすると、下記のようになるだろうか。
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「学校、どこにいこうが、どこを選ぼうが個人の勝手じゃん。財力に応じて、好きなところにいけばいいんだよ。財力に応じて、好きな学校を選んでさ。
だって、そうだろ。モノをデパートで買うのと同じだよ。お金のある人は、いい商品を買うし、そうでない人は、それなりのモノを買うでしょ。
だって、世の中、そういうもんでしょう。学校だって、同じじゃないの?なんで、教育だけ、好きなもの、買えないんだよ? オレの好きなところに行かせろよ。
もし学校が悪ければどうするかだって? そんなの競争ですよ、競争。ダメな学校には、生徒がよりつかなくなる。親も見限る。それでいいじゃないの?
ダメな学校はつぶせばいいの、で、自然淘汰すればいいのよ。アダムスミスの神の見えざる手ってあるでしょ、あれあれ」
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「学校、それは社会の基盤なんです。なんで基盤って言えるかって? だって、社会っていうのは、いろんな人がいて成り立っていて、それをつくるのが教育だからですよ。
一人が学んだ知識は、結果として社会につながっている。一人が学べなかったことは、結局、社会としてみんなが不利益を負担するしかなくなるんです。
もし一部が学力低下して、仕事につけなくなる。でも、それは結果的には、いつかは、彼らが抱える不利益をみんなで負担しなくてはならなくなるんですよ。
お願いですから、短絡的に教育を商品にたとえないでください。それは商品とは全く違うものなんですから。商品は、あなたが買って終わりです。あなたが満足して、あなたがメリットを享受できればよい。でも、教育は、あなたのモノでもあり、同時に、未来の社会をつくるものでもあるんです。
そもそも教育っていうのは、公共のものなんです。だから、もしそれが悪い物であれば、みんなの力で、みんなの参加で学校を変えていかなければならないんです
あなたは、市場は万能だと思ってるでしょ。そうやって市場にまかせることが格好良いことだって思ってるでしょ。でも、素直に市場の原理が全くきかないものもあるってことを、素直に認めてください。
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以上の会話は、細かい議論をすっとばした「知的遊び」です。でも、対立点はだいたい表していると思う。
皆さんはどちらの考えに共感しますか?
それとも、どちらにも共感できないかな?