専門は教育学です
「専門は教育学です」
僕は自分の専門を聞かれたら、最近、このように答えることにしています。「教育学」っていうのは、世間の人から見れば、相当マイナーな学問で、こういうと、皆さん「は?」という顔をするのですが、でも、敢えて、こう答えることにしています。
で、僕の専門が「教育学」であることを知ると、あからさまにこういう反応を投げかけてくる人がいます。特に、「先生」とふだん呼ばれている人たちに、非常に多い反応かもしれません。
「教育学やってんですか。それだったら、<よい授業>をするためにはどうすればいいんでしょうか。当然知っていますよね、教育学やってるんだから」
「してやったり」「どうだー」という感じで、こう聞かれます。
うーん、オモシロイものです。
<よい授業とはどういう授業のことを言っていますか?>と逆に聞くことは可能なのですが、だから、そういう野暮な問いは敢えてしません。
おそらく、教育学をご存じない方が、「教育学」にいだくイメージは、「どんなところでも、通用する普遍的な教育のやり方を提案する学問だ」ということなのでしょう。
そういわれると、僕はいつもこう答えることにしています。
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医者に「健康になるためにはどうすればよいですか?」って聞いたら、たぶん、医者は「よく寝ろ」とか「規則正しく好き嫌いなく食べろ」とかいうでしょう。
それと同じレベルの抽象度の高い答えでよいのなら、「よい授業」の秘訣は答えられますよ。「授業の前に準備をしろ」とか「生徒の動機をあげろ」ということでしょうか。
あるいは、ミノモンタさんは毎日、カラダにいい食べ物を思いっきりテレビで紹介していますよね。毎日やってますから、「おいおい、あれもこれもカラダにいいのかよ」ってことになるけど、そういうことは気にしない。
それと同じことでよければできますよ。細かく細かく、わたしに知っている「関連研究」「先行研究」の結果をあげるだけなら、あげられますよ。
話しを元に戻して、あなたに「健康になる方法」を聞かれた医者は、きっと、こう思うと思うんですよ。
「あなたはどういう仕事をしていて、どんな生活習慣をもっていて、どんな既往症があるのか...そういう情報を教えてください」と。「そういう情報がわかれば、もっとよりよいアドバイスができますけど」と。
教育学だって同じなのですよ。どんな場で教育するのか、子どもはどんな子か? 彼らにどの程度の既有知識があるのか、そういった個別の情報をもとに、先行知見を下敷きにして考えれば、なんとかベターな解決が得られるかもしれない。
「これをやれば絶対長生きできる」なんて医者は、信用できないですよね。同じように、「教育の現場で何をどうすればいい」って全部わかるという教育学者がいたとすれば、それは、イカサマですよ。
処方箋をすぐに求めたい気持ちはわかる。そうすると、思考停止できるし、楽だから。でも、それは嘘ですよ。「○○力(りょく)は、こうするとつくよ!」という感じで、一言で言い切ってほしい気持ちはわかる。やっぱり、それは嘘ですよ。
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なんか「人を煙に巻いてしまうような答え」ですが、心の底からそう思います。
教育学的な知は個別具体性の中にあるのです・・・ほかの学問と同じように。