今、教師が熱い!
200X年問題...
何だか、毎年のように「X」が生まれて、ヨノナカ、問題だらけに感じる今日この頃ではあるけれど、昨今、教育業界でよく言われているのは、いわゆる「2007年問題」への対処である。
要するに、2007年から数年にわたって、いわゆる「団塊の世代」の教師たちが、定年を迎え大量に退職となる。そして、その「穴」を埋めるべく、都市部では新卒教師の大量採用がはじまっている。
おそらく数年後には、「望みさえすれば誰でも教師になれる状態」が生まれる。わずか10年前には、「倍率100倍」「採用1名」とか言われていたのが、ウソのような状況、いわゆる「教師全入時代」が到来するのである。
そしてそれをあてこみ、現在、大学では「教員養成系」の学部の新設や、定員拡充があいついでいる。まさに「教員養成バブル」である。この比喩が秀逸なのは、「バブル」であるから、いつかは破綻する、ということ。今後、何年かは超売り手市場がはじまるけれど、それが永年続くわけではない、ということです。
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しかし、この問題を聞くにつけ、かえすがえす、疑問に思うのは、「どうしてもっと計画的に教員養成ができないのかな」とい素朴な疑問である。
7月12日の日本経済新聞によると、「今後5年間で団塊の世代の教員が辞め続け、教師3人に1人が退職する」のだという。
でも、これって、スゴイ数字じゃない? たとえば、これが「医者」だったら大問題になると思うんだよね、だってベテランがいなくなって、数年後には、インターン出たての医者しかいませんよ、っていわれたら、ビビルわな。
教育だって医療だって、同じです。
当然、教育現場は、大いに混乱する可能性がある。ベテラン教師の大量退職によって、現場のコミュニケーションサーキットも崩壊するだろうし、新卒教員の指導力不足も懸念される。偏りのあるピラミッドは百害あって一利無し、のように思えてしかたがない。そして、ピラミッドの動態は十分予測可能なはずなのに、どうして、もっと前から採用を行わなかったのだろう、と、つい思ってしまうのです。
いや、僕は教育行政の専門家ではないから、わかりませんよ。いろいろと事情はあるんだろう、とは思う。だけど、ある時期に大量に採用して、ある時期はゼロになる。これを繰り返していくと、均衡のとれたピラミッドはいつまでたってもできない。近い将来、こういう偏りがおき、現場は混乱することは、確実に予見出来るのに、有効な手だてを打たない・・・。
さらには、ある時期に生まれた大学生は、優れた人であっても、なかなか教員になれない。だけど、ある時期に生まれた人は、誰でも望めばなれる。こういうのは、「運」もあるんだろうけど、ちょっと納得出来ないなとは思う。
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こうした現状をよそに、塾産業は、新たなマーケットを求めて、新規サービスを展開しようとしている。教員の「授業スキルの向上」「指導力育成」ということです。
先日、某塾が教員大学院を設立しようとしている、という動きを紹介しましたが、大手の予備校も、こうした「遅れてはならぬ」と様々なサービスを提供している。
代々木ゼミナール 教員研修セミナー
http://202.3.141.248/eri/tre/tre-index.html
こうしたセミナーが成立する背景には、
「予備校講師=授業・指導がうまい」
「教員の授業スキル・指導力低下が深刻」
だから
「教員は、予備校の講師学ぶべき」
3段論法が見え隠れしている。
もちろん、予備校の講師の中には、高い授業スキルを有している人もいるし、その有用性は高く評価するけれども、この問題は実はもっと根深い問題をはらんでいる。
実は、先日の日記を読んだ、ある大学院生S君がメールをくれて、その中で、いみじくも指摘していたことなんだけどね。
塾産業・予備校による教員養成・教員研修の問題を考えると、おのずと、「教員の専門性とは何か?」「学校とは何か?」という問題にぶち当たるのですね・・・ものすごくデカイ問いに。
だって、教員研修を行うためには、「何が教えられれば教員を研修できたことになるのか」を明確にしなくてはならないからね。
今までこうしたものは、ほとんど、「公」で行われてきたために、こうした問いは不問に付されてた。だけど、ここに「民」のパワーが入ってくると、おのずと、「教員とは何ができる存在か」「教員につけさせるチカラとは何か」を明らかにせざるを得なくなるわけです。
個人的には、これは、いろいろなことを考えるためのよい機会だと思っています。重要な問題ををすっとばして、もし何でもかんでも民間でということに、もしなるのだとしたら、それだけは避けなければならない、と思っていますが。
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この問題、皆さんはどう思われますか?
いずれにしても、今、教員が熱い。