日本人男性
毎年、台北ではおびただしい数の国際会議が開かれる。それには、日本人も大挙して押し寄せている。僕らの泊まっているホテルにも、日本人は多い。
今日、朝食をとりにレストランに向かったら、ある日本人男性のビジネスマンとおぼしき団体が店内で、いざこざをおこしていた。
「そりゃ、アンタのせいだ!」とか、「なんで、アンタにアンタよばわりせなアカンのだ!」とか、言い合っていて、そのうちに、ある若者がキレて、席をバーンと立ち上がり、今にも飛びかかっていそうになっていた。
まぁ、事情は知らん。ていうか、知りたくもない。
しかし、事情はともあれ、レストランは公共の場所である。その場で、静かな朝を迎えるのは、そこに泊まる人にとっての「ささやかな権利」である。
ていうか、おめーら、うるせーんだよ、このアンポンタン!
日本人は「公共の感覚」がないと言われる。よくあるステレオタイプかもしれないが、こういうアンポンタンを朝から見ていると、そんな気もしてくる。
あと、ひとつどうにもイヤな気分になってしまうのは、台北を歩いていたら、そこらじゅうで「可愛い子いるよ」と声をかけられることだ。
どこでも、声をかけられるということは、それほど、「可愛い子いるよ」という声に反応してしまって、アタマやナニが「サンバ」してしまう日本人男性が多いってコトの証左だろう。
僕の場合、「可愛い子いるよ」の声は無視する。だから、そこにはある種の「気まずさ」がうまれる。その気まずさが、嫌いだ。
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僕は過度に日本人を悪くいったり、一面的に非難すること好きではない。僕は日本人である。そして、日本人が僕は好きだ。
でも、日本人男性のおかげで、- こういう根拠のない過剰な一般化は研究者として最も忌避すべきことではあるが、敢えて - どうにも朝から、気分が悪い。
これに対して、日本人の女の子たちは平和である。2人から3人で仲良く、台湾旅行を楽しんでいる。彼女たちみたいな時間の過ごし方をすればよいのに。どうにも、そちらにシンパシーがわく。