OJTにまつわる「スレ違い」!? : 指導か、仕事か!? やりながら学ぶか、学んでからやるか!?
昨日はサンデーワーク!?です。朝から本の編集作業。午後は、指導学生の島田徳子さん(D3)の学会発表におともし、代官山で開催されていた「人材育成学会」に参加させていただきました。
島田さんは「元留学生外国人社員の組織社会化を促進する 日本人上司による支援と本人の経験学習行動との関係」というタイトルで発表をなさいました。「日本の大学を卒業して、日本の企業に就職した元留学生社員が、日本の組織にどのように適応していったのかを実証的に分析した研究」です。
分析の結果、元留学生社員をマネジメントする上司のかかわり、それも、「文化的なかかわり」が大切であり、しかも、上司のかかわりを引き出すのは、元留学生自身の「ソーシャルなプロアクティブ(能動的な)行動であること」を明らかにしたのだと思います。
島田さん、まことにお疲れさまでした。今後の島田さんの研究も愉しみにしています。
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残念ながら所用があり、人材育成学会は中座させていただきましたが、帰りがけに興味深い発表をお聞きしました。
九州大学大学院の原山有希さんのご発表で「大卒外国人留学生を採用する企業の社会学的一考察」というタイトルでした。
(以下、中原の主観で勝手に要約しています。もし間違っていたら、ごめんなさい。ご指摘ください。また詳細は予稿集をあたってください)
原山さんは、大卒外国人留学生を採用している一企業を対象にして、質的分析手法を用い、外国人社員と日本人社員、日本人上司と外国人社員の組織適応の様子(すれ違いの様子)を明らかにしておられました。
その内容の詳細に、ご興味があられる方は、ぜひ人材育成学会の予稿集などを入手して、直接原稿をご覧頂きたいのですが、興味深かったのは、「日本人社員と外国人社員のOJTのとらえ方の違い(OJT観の違い)」と「日本人上司と外国人社員の育成観の違い」です。
これらOJT観や育成観の違いによって、元留学生社員が日本人、日本の組織と「すれ違っている」というご指摘が、非常に面白く感じました。
具体的にいいますと、前者「OJT観」に関して、日本人社員は職場で行われる「OJTを指導だ」と思っているのですが、外国人社員は「OJTを仕事だ」と意味づけている。
後者「育成観」に関しては、日本人上司は「やりながら憶える」という育成観をもっているのに対して、外国人社員は「いったん学んでから、やる」という育成観をもっている。
かくして、このような「観(Perspective)」の違いによって、外国人社員の方々と日本人とのすれ違いがおこります。興味深いことですね。今後のご研究がまことに楽しみです。
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妄想力を働かせ考えて、このファインディングスに関する実践的インプリケーションは何になるでしょうか?
ひとつは、グローバル化していく職場では、組織が有する人材育成施策やその方針について、これまで以上に、丁寧に組織が個人に「説明」をしていていかなければならないというアタリマエの事実です。
文化を共有していない方々に対して「ただ何となくOJT」「ただ何となく配属」ということでは、「すれ違い」が生まれてしまいます。もはや「あうん」は通じません。ひとつひとつ説明し、意味づけていく努力が必要であると観じました。
もうひとつは、今回のリサーチは外国人の組織適応を対象になされていますが、そこで得られた知見の一部は、必ずしも、外国人だけに当てではなくなるだろう、という予感です。
長期雇用を前提にしにくくなっている、現在の就労環境においては、日本人の新人・若手においても、人材施策の「説明」や「意味づけ」はさらに重要になるのではないでしょうか?
管見ながら、様々な職場でヒアリングをさせていただいておりますが、現在、教育機関を卒業し、組織に参入していく若い人にとっても、「いったん、学んでからやる」という育成観を持っている方々は少なくないと想像します。先だって、経営学習研究所で開催されたイベントでも、OJTを取り上げましたが、博報堂大学の白井さんも、そんな若者の変化を、述べられておりました。
であるならば、「ただ何となくOJT」「ただ何となく配属」ではなく、そこには一定の説明や意味づけが必要になるのだと思いました。
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以上、今日のブログは、昨日の人材育成学会の参加の感想でした。嗚呼、今週も、非常に多忙です。
そして人生は続く
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追伸.
過去にこんな記事も書いています。ご興味あられるようでしたら、ぜひご笑覧ください。
「OJT信仰・手放しのOJT礼賛」を超えて : OJTの脆弱性・成立条件を考える
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20131216-00030679/
投稿者 jun : 2013年12月16日 07:40