「オレオレ講師」にご用心!?:オレって、スゲー、最高、マジ、イケてない!?
講師やプレゼンターが「自分のしゃべりたいこと」「自分にしゃべれること」をひたすら、学習者に「これでもか、これでもか、オラオラ。ふるえるぞハート! 燃え尽きるほどヒート! 刻むぞ血液のビート!山吹色のオーバードライブ!」と伝達する状況は(意味不明)、今なお、大人の学習場面に、よく見受けられます。
どうして、そんなに自信をもち、かつ、饒舌でいられるのか、僕にはさっぱりわかりませんが、そういう状況は、まま見受けられます。
「学習者の知りたいこと」を無視して、とにかく「自分のしゃべりたいこと」「自分にしゃべれること」をひたすら一方向的に、しゃべくりまくる。学習者や聴衆がどのように思っていようが、おかまいなし。そんな講師を何というかご存じですか?
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いや、別に学問的に、何かの名称があるわけではありません。
僕が、そういう講師を「オレオレ講師」と呼んでいるだけです(笑)。ま、「オレオレプレゼンター」でもいいですよ。もちろん、自らは、そういう「一方向的な伝え手」にならないように、自戒をこめて。
最悪の場合「オレオレ講師」は爆走しはじめます。明示的に、ないしは、暗示的に、「自己満足を果たすような内容」を、コンテンツにしがちです
オレ、すげー
オレって、最高!
オレ、マジ、イケてない?
「いろいろな情報」を、一見、客観的に提示していても、結局、言いたいことはこれだけです。
オレ、すげー
オレって、最高!
オレ、マジ、イケてない?
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皆さんも、もしかすると、これまでに「オレオレ講師」の被害にあったことがあるかもしれませんね(笑)。「オレオレ講師被害の会」というものをつくったら、あっという間に、日本中に、会員数が1万人を超えるかもしれません(泣)。
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それでは、どのように「オレオレ講師」になっちゃうことを防止するのか。
いくつか検討しうる課題はありますが、ごめんなさい、あと20分しか、時間がありませんので、(泣)最も基本的かつ根源的かつシンプルなことだけを。
それは
「学びの場の主人公は、オレである」
という信念を早々に棄却し、
「学びの場の主人公は、学習者である」
という信念をもつことです。
「学びの場の主人公」は「壇上で教える方」ではない。むしろ「壇の下で学ぶ方」である。
もっと具体的にいうと、
「講義・講演が成功したかどうかは、学習者が、自分の頭で考えたかどうかによって決まる」
「講義・講演が成功したかどうかは、学習者の変化があったかどうかによって決まる」
という信念をもつことです。
一般に、はじめて人前で教える人、講演をする人、すなわちノービスであればあるほど、
学びの場の主人公は、壇上にいる「自分」である
と強く認識しているものです。まぁ、経験も少ないし、そのくらいの気負いがなければ、「登壇の緊張」に立ち向かうことなど、できないところもあるのかもしれません。
しかし、一方で、「学びの場の主人公は、壇上にいる「自分」である」ということに関する過剰に強い信念は、あまりよい結果を生み出さないことの方があります。
もちろん、こういったからといって「情報伝達」を否定しているわけではありません。「学習者が、自分の頭で考えること」「学習者の変化があること」を促すために、「講師の保持する情報を伝達すること」は全く悪いことではありません。自信をもって「伝えなければならないこと」を「伝えればよい」。そこに逡巡する必要など1ミリもありません。
「学びに関する支援」というものが、「パターナリスティックな非対称の人間関係の中」で生じる可能性が高い以上、「情報伝達を完全に無化できる」と想定しうることは、論理的に無理がありますし、そんな夢想につきあう必要は1ミリもありません。
しかし、「伝えなければならないこと」が暴走し、「学習者の知りたいこと」とは「全く無関係」に行われるようになったとき、その内容は「有益」どころか「有害」になってしまいます。そういう暴走は、「学習者が、自分の頭で考えること」「学習者の変化があること」がにとってマイナスであることが多いからです。
最悪の場合、「オレオレ」の「お痛」がすぎますと、学習者は白け、学ぶことから逃走してしまうこともゼロではありません。
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「伝えられる側」であったものが「伝える側」にうつるとき。
これまで情報の「レセプター」であったものが「サプライヤー」になるとき。
「新人」であったものが「後輩をもつとき」
「実務担当者」であったものが「マネジャー」に就任するとき。
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これらのトランジションのプロセスは、枚挙に暇がありませんが、もっとも大切だと思われることは、「既存の信念の棄却と再構築」です。
そして、その「棄却ー再構築」のプロセスは、こうしたトランジションのごくごく初期に済ましてしまうことです。なぜなら、いったん、固まった信念を、あとから突き動かすには、それ相応の強い介入と、本人の痛みが必要になるから。
これに失敗してしまうと、「オレオレ講師」「オレオレプレゼンター」「オレオレ先輩」「オレオレマネジャー」を生み出してしまう可能性が高まりますから、注意が必要です。
「聞き手を念頭に置かずにプレゼンテーションすることは、"関係各位"に対してラブレターを書くことに等しい」
(ケン・ハーマー)
今日の話題は、自戒を込めた話題でした。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年9月 5日 05:33