"教えること"を学ぼう! : 東京大学フューチャーファカルティプログラムを3分間でわかる紹介ビデオができました!
(RT・シェアなど拡散大歓迎いたします:御協力をどうかお願いいたします)
「近い将来、大学の教壇に立ちたいと願う大学院生に、"教えることを教える"全学教育プログラム」ー東京大学フューチャーファカルティプログラムの第二期募集がはじまっています。
参加のためには、10月3日からのプレワークショップにご参加頂くことが必要になるのですが、ぞくぞくとエントリーがはじまっているようです。残席がなくなり次第、募集停止となります。
▼▼▼東京大学フューチャーファカルティプログラム プレワークショップ参加申し込み▼▼▼
http://www.todaifd.com/event/
東京大学フューチャーファカルティプログラムの全体像に関しては、栗田さん、藤本さん、磯さんらが中心になって、下記の説明ビデオを作成していただきましたので、ぜひご高覧ください。3分間で、本プログラムの特徴がご理解いただけるものと思っています(笑)。このビデオの最後の方には、大学院生の行った模擬授業の様子が、ざざざと50人分並びます。この場面、個人的に好きです。
なお、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、地下鉄丸の内線「本郷三丁目駅」には、東京大学フューチャーファカルティプログラムのポスターも掲示してあります(笑)。
ご興味のある方がいらっしゃいましたら、エントリーをよろしくご検討ください。
▼▼▼東京大学フューチャーファカルティプログラム プレワークショップ参加申し込み▼▼▼
http://www.todaifd.com/event/
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追伸.
プレジデントの連載「しごとの未来地図」で、中原も一部連載をもたせてもらっています。今回は社会学者・カレンバーグさんの著作「Good Work, Bad Work」(米国・経営学会賞をとられましたね)を紹介しながら「仕事の二極化」についてお話をさせていただきました。同誌編集部の九法崇雄さん、ライターの井上佐保子さんには、いつもお世話になっております。どうもありがとうございます。
仕事の未来地図
http://president.jp/articles/-/10715
投稿者 jun : 2013年9月30日 16:43
隣町へのサイクリング
この数週間、ほとんど休日がなかったので、日曜日くらいは寝ていたかったのですが、愚息TAKUZOがそれを許すわけもなく。
昼下がり、うつらうつらと、小生、居眠りをしていましたら、TAKUZOが忍び足で近寄ってきます。
小生の身体をゆすってきたり、鼻の穴をムズムズさせたり、棒で突ついてきたり。
「ねぇ、遊びにいくよ」
「ねぇ、パパ、起きてる?」
小生、当初は「朝起きられない小学生」のように、しばらくウダウダと抵抗を試みていたのですが、TAKUZOの攻撃があまりにしつこいので、諦めました。
「じゃあ、どうする」
あーでもない、こーでもないとやりとりをした結果、最近、TAKUZOは自転車に凝っているので、それじゃあ、一緒に自転車に乗ろう、ということになりました。重い腰を何とかあげる、とはこのことです。
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TAKUZOは、自転車に凝っている、といっても、まだまだ憶えたてで、「ふらふら、酔っぱらいのような運転」です。
自転車の練習をようやく終えたくらいの段階ですので、連続して1時間以上乗ったことなどは、1度もありません。
そんな状態で、自転車で「街乗り」するのは、さすがに怖いので、「堤防」を走ることにしました。
でも、単に自転車に乗るというのじゃ、面白くも何ともありません。「挑戦できる目標」が必要です。
結局、すったもんだ議論したあげく、「どうせなら、隣町にいる叔母のところまで出かけよう」ということになりました。叔母の家までは約10キロ。今からでかければ、ギリギリ、暗くなる前には帰ってこられるでしょう。「単なる自転車練習」が「冒険」に変わった一瞬でした。
堤防をすいすいと自転車で走らせます。
最初は快調。
僕はTAKUZOの自転車の後で、ママチャリを走らせます。
「ほら、右行きすぎ、左に寄れ、左、左、左!」
「前から歩行者来たぞ、スピード下げろ!」
「ブレーキ!ブレーキ!」
後から、檄を飛ばします。
最初は快調だったのもつかの間、だんだんと足が疲れてきて、休憩をとりたいとTAKUZOは何度か言ってくるようになりました。何度か転倒、派手ゴケもしました。ガシャーン!
そんなとき、僕はTAKUZOに聞きます。
「今すぐ、引き返して、帰ってもいいんだよ。どうする? 自分で決めな。パパはどっちでもいい」
すると
「絶対にゴールまで行く」
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結局、大人の自転車ならば30分かけて到着できる距離を、1時間半かけて、叔母の家まで到着しました。
叔母の家では、ちょっとだけ休憩。
ZZZ
しかし、のんびりしているわけにはいきません。日の入りまで残り1時間しかないからです。日が暮れてしまったら、えらいことになります。
そうですね、大変なのは、これからなのです。
今きた道を、また自転車で引き返さなくてはなりません。
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結局、家についたのは、真っ暗になった後でした。
1時間ちょっとかかりましたが、何とか、家につきました。途中何度か自転車でコケて、ひやひやしましたが、無事、何とか自宅までたどり着きました。
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道すがら、自転車にのっているTAKUZOをみながら、僕は、いろいろなことを考えていました。
今から、30年前くらい。
隣町に自転車ではじめて出かけて、
途中で転んで、ひざをすりむいたこと。
砂利道をデコボコデコボコはしったこと。
はじめて乗った自転車で、
自分の世界が広がっていく感覚。
見たこともない通り、交差点に迷った経験。
真っ暗になる頃、自宅にたどり着いた思い出。
自宅に到着したとき、僕はTAKUZOに言いました。
「自分の乗り物をもつということは、
"自分の世界を広げる"ということなんだよ。
"自分の世界を広げる"ということは、
自分でやり遂げて、無事に帰ってくるってことだ。
自分のことを自分で守るってことだ」
TAKUZOはキョトンとしてました。
わかったんだか、わかんないんだか、よくわからない顔をしましたが、でも、笑顔でした。
冒険すれば、道中、転びもするだろう。
転んでも自分で起き上がること、できるかい?
道中、疲れもするだろう。
自分のペースで、自分で休憩すること、できるかい?
帰り道、暗くて不安にもなるだろう。
でも、ライトで夜道を照らして、無事に帰ってこられるかい?
瞬きもしないうちに、TAKUZOのサイクリングには、後からコーチする人は不要になるでしょう。そして、自転車ではなく、より早い乗り物に自分一人で乗るようになるのでしょう。そんな日は、遠い将来ではないような気もしました。ま、小生、生き急ぎすぎなのかもしれませんが(笑)
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年9月30日 08:28
仕事と身体:得意な仕事はやってこない!? 今日は肩こり、明日は目コリ!?
最近、とみに気づいたことがあります。
僕は、万年肩こり、万年腰痛ですが、その日の仕事の活動によって、こる部分が違ってくることに気づきました。
40手前になって、だんだんと自分の体の変化を意識するようになっています。これまでは全く気づきませんでした。
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たとえば、こういうことです。
交渉や調整などの、いわゆるマネジメント業務が多い日は、首がこります。なぜかはよくわかりません。でも、首が痛くて、頭痛がします。
論文を書いたり、分析をしたりした日には、目の奥がこります。僕は医学については全くのドシロウトなので、目の奥に神経があるのかどうかは知りませんが、
「誰が何と言っても、目の奥なんじゃい!」
という感じです。
目の奥は、自説をまげません。
週に2度くらいは英語を話さなければならない日があります。そんな日には、背中のあたりに、いやな痛みがあります。
人前で話したり、プレゼンテーションをしたときには、肩胛骨がこわばります。
「腕を上にあげられようにしたるわ、コラ」
という感じで、肩胛骨さんは、どうにも言うことをきいてくれません。
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悲しいことに、肩こりや、目こり!?やら、肩胛骨こりやらが押し寄せる「ミドルな日常」です。
体がこわばらないような「得意な仕事」ばかり、やってくればいいのですが、どうもそういうわけにはいきません。
交渉、調整、執筆、英語、プレゼン。
どれも、自分にとっては、苦手意識のあることばかりです。別の言葉で申し上げるならば、「能力よりちょい高めの仕事」しか、やってこない、と言えるのでしょうか。
嗚呼、体を伸ばします。
ストレッチポールにのっかって、体をバリバリ伸ばしながら、今日も生きています。
そして人生は続く
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追伸.
日本労働研究雑誌に論文が掲載されました。ご興味あらば、ご高覧ください。
中原淳(2013)経験学習の理論的系譜と研究動向. 日本労働研究雑誌. Oct 2013 No.639 p4-14
関連論文に下記もあります。
中原淳(2012)学習環境としての「職場」:経営研究と学習研究の交差する場所. 日本労働研究雑誌 Jan. 2012 No.618 pp35-45
投稿者 jun : 2013年9月28日 09:46
「明確なビジョン」だろうが、「曖昧なビジョン」だろうが、ツッコミどころ満載!?
ちょっと前のことになりますが、経営層の方々を対象にしたある集まりにおいて、ある経営者の方が、「非常に興味深い質問」をしてくださいました。
「先生、質問があります。ものの本には、経営者はビジョンを伝えよという。でも、ビジョンは、どの程度まで明確にして、組織に伝えればいいのか。わたしには、そのさじ加減がわからない」
ICレコーダを持っていたわけではないので、一字一句同じというわけにはいきませんが、おおよそ、こういうことでした。ご質問は、非常に短いものでしたが、興味深い問い」だと思いました。それは「経営者ならではの質問」であり、また、そこに潜む「ディレンマ」を表現した言葉だと思いました。
▼
この方のおっしゃることは、おそらくこういうことです。
その前にまず、経営者であるならば、「この組織をどのように動かしたいのか / 動かさなければならないのか」という「青写真」は持っていることを前提とします。それがない場合もありえるのかもしれませんが、この記事では、想定しません。
これを踏まえた上で、この方の提示したかった問題はこういうことでしょう。
もし仮に経営者が「ビジョン」を、かなり「明確」かつ「鮮明」に示すとすると、組織のメンバー内から、どのような反応が生まれるでしょうか。
おそらく、
「上から押しつけられても、物事は動かない」
「全部決まっているのは、押しつけがましい」
という反応が一定数返ってくることに間違いはないでしょう。
一方、経営者が、意図的にビジョンを、曖昧に、かつ、漠っと伝えようとすると、どうなるでしょうか。そうすれば、「明確」でない分だけ、多用な意見が生まれ得ることになります。
しかし、敢えてビジョンを曖昧に伝え、組織の中に議論が起こる事をよしとするならば、こんな声も聞こえてきそうです。
「うちのトップは明確なビジョンをもってない」
「何をしていいのか、わからない」
つまり、「経営者がビジョンをもつ」とは、「魔女裁判のディレンマ」の論理構造に似ているのです。つまり、どっちにしても、文句を言われ、ネガティブな反応を生まれ得ざるをえない。
いわゆる、「魔女裁判のディレンマ」とは、裁判にかけられた魔女に拷問を加えていき、そのプロセスで「自分が有罪だと自白すれば」、明確に魔女であることが認定されます。
一方、どんな拷問にも耐え、自白を行わないのだとすると、「こんな拷問に耐え得るのは普通の人間ではない=魔女だ」ということになってしまう、というディレンマです。ひと言でいうと、「魔女」というラヴェリングが行われ、囚われの身となった時点で、その先の未来は決まっている、ということですね。
これと似ている論理構造が、ビジョンにおいても張り巡らされています。「明確にビジョンを伝えれば、押しつけがましいので(Pushy)経営者として、いかがなものか」と言われる。一方、「曖昧にしかビジョンを伝えなければ、何をしていいかわからないから、経営者としていかがなものか」と言われるのです。
すなわち、どちらにせよ、どのみち「組織の中でトップが何かを変えること、メッセージを伝えること」自体に、どのみち「否定的感情」が伴っているということですね。
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その解では、この方のご質問に、皆さんで議論しました。様々な意見が出ましたが、おそらく、僕はこのようにまとめました。
「この問いに、誰もが満足する解は、おそらくありません。明確に伝えるのであれば、押しつけがましい、という反論がうまれます。敢えて曖昧にして議論を導くのであれば、議論のプロセスに耐えなくてはなりません。どちらにしても、まず一定程度のネガティブな反応がでてくることはやむをえません。
まず、チェックしなければならないのは、「誰」がネガティブに反応しているかを見ることではないでしょうか?どの道、否定的な感情はやむをえません。しかし、ネガティブに反応しているのが、組織にとって重要な人材ならば、それをうち捨てておくことはできません。
もちろん、組織にとって重要な人材以外が、ネガティブに反応していても、それが一定程度生まれたとしたら、ほおっておくことはできません。ネガティブな反応に対して、腹を割って話し合うプロセスを丁寧にもつことしかないのではないでしょうか。
しかし、そうであったとしても、どこかのどこかでは、決断をしなければなりません。たとえ半数が否定的な反応をかえしてくることがわかっていたとしても、それよりもベネフィットが少しでも上回るのなら、決断しなくてはならないときに決断しなければならないのが経営者ではないかと思います。
最後の最後には、経営者が決めること、しかないのでしゃないでしょうか。話し合いのプロセスにおいても、いずれにしても、ブレないことが大切かもしれませんね。」
答えになっているかどうかはわかりませんが、僕はそのように思います。
ビジョンとは「明確」であっても、「曖昧」であっても、いつもツッコミどころ満載です。「組織を動かす」とは、大変なことであるな、と今さらながらに思います。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年9月27日 07:53
「未来の大学教員」に「教える技術」を教えるプログラム、初の履修証交付式:第二期募集開始中!
昨日は、東京大学フューチャーファカルティプログラムの履修証交付式が行われました。
東京大学フューチャーファカルティプログラムは、「近い将来、大学の教壇にたつ大学院生に"教えることを教える"全学教育プログラムです。
履修式には、今期修了者51名のうち、調査などで出席できない10名をのぞいた41名の参加者、佐藤理事副学長(教育担当)、吉見副学長、鈴木副理事なども参加し、それぞれ吉見副学長から履修証を手渡されました。
履修証交付の後には、茶話会(懇談会)を実施しました。
門出を御祝いするコンセプチュアルなスイーツとお茶を皆さんでいただきながら、全員で様々な話題に花を咲かせました。
全研究科からお越しになった博士学生(修了生)が、領域の垣根なく、フランクに歓談する様子を見ていますと、何か感慨深いものがありました。また、中心になってここまで引っ張ってこられた同僚の栗田さん、藤本さんに、心からお疲れさまでした、と思いました。
このプログラムでは、アラムナイネットワーク(卒業生ネットワーク)も準備されており、卒業後も、様々なやりとりがなされています。中には、高校や大学への出前講義などの、スピンアウトプロジェクトも生まれている状況です。
修了生が近い将来、大学の教壇にたつ日を、心より願っています。
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さて、修了生をお送りするのと同時に、第二期の募集開始時期を、我々は迎えています。
東京大学フューチャーファカルティプログラム第二期は、第一期同様、
1.プレワークショップ(3時間)
2.授業「大学教育開発論」(学環開講・大学院共通科目)
3.ポストワークショップ(履修式)
で構成されており、履修証を受け取るためには、1から3までを受講する必要があります。こちらの履修証は公式のものですので、履歴書等にも記載することができます。
まずは1のプレワークショップからです。1のプレワークショップは、前期にも開催されていますが、そちらを受講なさった方は再度受講する必要がございません。もしまだという方がいらっしゃいましたら、10月3日(木)に開講されます。どうぞお早めにご登録のほど、お願いいたします。まだ残席がございます。
プレワークショップ受講後、別途、授業「大学教育開発論」(学環開講・大学院共通科目)に履修登録をする必要がございます。詳細はプレワークショップでお話いたします。
教えることを教えるプログラム、プレワークショップなどでお会いできますこと、愉しみにしております。
FFPプレワークショップ2013冬学期
日時:2013年10月3日(木)13:00-16:00
会場:本郷キャンパス工学部2号館92B(地図)
▼▼▼10月3日:プレワークショップ申し込みページ▼▼▼
http://www.todaifd.com/event/
東大 × 学び × 革新
これから、大学の教壇にたつ、大学院生へ
東京大学フューチャーファカルティプログラム
(いいね・シェア・RT・拡散にどうか御協力を御願いします!)
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■参考情報
東京大学フューチャーファカルティプログラム 解説ビデオ
東京大学フューチャーファカルティプログラム Facebookページ
https://www.facebook.com/TodaiFFP
朝日新聞「東大教える力底上げ」2013年1月23日(朝刊38面)
http://todaifd.com/ffp_/pdf/asahi.pdf
その他、本プログラムへの評価情報は、以下をご覧下さい。アンケート結果、外部有識者の方々による参与観察結果、受講生のコメントなどをご覧頂けます。
東京大学フューチャーファカルティプログラム2013夏の評価
http://todaifd.com/ffp_/outcomes.html
投稿者 jun : 2013年9月26日 04:46
メールベースでの議論!? : 「言外の意味」を読み解く
「あとは、メールベースでの議論をするということで・・・」
先日、ある駅で電車を待っていましたら、隣にたっておられた中年男性が、携帯電話で、こんなやりとりをなさっていました。
男性は電話を切ると、横にいた部下と思われる女性に、ひと言、いいました。
「ふぅ。ま、誰も何にも言ってこないよ」
女性はクスっと笑いました。
これは、一瞬の光景でしたが、この光景を僕は非常に興味深く感じました。そして、「メールベースでの議論」って面白い表現だな、と思いました。
この言葉は、ビジネスシーンでよく聞く言葉のひとつですが、「そのとおりのこと」が実行されることはあまりないように思います。
少なくとも僕の場合、この言葉が指し示すとおり「メールベースで議論したこと」は、過去5年において1度もありません。
といいましょうか、メールでスケジュール等のやりとりはすることはあっても、さすがに「議論」なんかはできない。ま、僕の場合だけかもしれませんが。
もし仮にそれが正しいのだとすると、「メールベースでの議論」という表現で指し示されている内容は、
「一応、双方向でやりとりする可能性はゼロじゃないけど、めんどくさいから、よほどのことない限り、文句言わないでね。よほど異論があったら、言ってきて。空気読んでね。メールベースなんだから、そこんとこ、よろしく。」
というニュアンスなのかな、と感じました。ま、以上は、僕が適当3秒でつくった解釈ですが、そうも解釈できるのかな、と。
もし、仮にそのことが正しいとするならば、この「言外の意味」、すなわち「空気」を読まない人がでてくると、言葉を発した方としては「想定外」なんだろうと思います。
言外の意味を読まない人は、本当に「メールベースで議論」をしちゃうだろうから。そのことで、コミュニケーションによる取引コストが上がるだろうから。
▼
今日の話は、特にオチがあるわけではありません。
私たちの日常には、「メールベースでの議論」のような、「言外の意味」を密かに保持している言葉があふれているような気がします。皆さんのお近くには、他には、どんな言葉がありますか? 「そのとおり実行されることはまずないけれど、とりあえず、その場はやりすごすことができる言葉」というのかな。
そういうものを集めて、辞書なんかをつくったら、日本のビジネスの現場にはじめて入ってくる新規参入者や、外国人の方々には、役にたつんじゃないかなぁ・・・。それくらい、いろいろありそうだよな。でも、ビジネスシーンが、グローバル化していくと、そういう言葉の利用を「是」とすることすらも、問い直さなければならないのかもしれないな。ふむふむ。
そんなことを考えていたら、電車が、3分遅れで、プラットフォームに入ってきました。都内某駅、一瞬の「白昼妄想」タイムでした。
電車が駅を出ます。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年9月25日 06:50
Please Touch The Media Art!? : 「光のイリュージョン 魔法の美術館」に行ってきた!
上野の森美術館で開催されている「光のイリュージョン 魔法の美術館」にTAKUZOを連れてでかけてきました。
光のイリュージョン 魔法の美術館
http://www.mahou-museum.com/
「魔法の美術館」は、ひと言で述べるのであれば「光や影を利用した参加・体験型のメディアアート」といえるでしょうか。国内外のメディアアーティスト11組が集結し、光をモティーフに、子どもでも愉しめる参加型アートをつくっています。
美術館といいますと、一般的には
「Don't touch!(作品には触れないで下さい)」
ですね。TAKUZOを連れて行くときには、いつもヒヤヒヤしながら、展示場を回っていますが、そういう心配は、「Please touch!」の、この展覧会には全くありません。
そんなこともあってか、会場には、たくさんの子ども、親子連れがメディアアートを愉しんでいました。
秋。おすすめの展覧会のひとつです。
そして人生は続く!
投稿者 jun : 2013年9月24日 16:43
(速報)12/2ラーニングイベント開催:ネオOJT宣言:僕らは、これからのOJTをつくることにした!?
もしご興味あらば、ぜひ、スケジュール帳への書き込みを御願いします。中原が企画する、今年最期の、新たなラーニングイベントのご案内、その速報です。
来たる、12月2日(月)午後6時ー午後9時(予定)
東京駅近くの素敵なスペース、株式会社内田洋行 東京ユビキタス協創広場 CANVASにて、「ラーニングイベント兼忘年会パーティ」を開催します。
一般社団法人 経営学習研究所が、株式会社内田洋行様と連携しながら、組織をあげて取り組むラーニングイベント企画です。
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今年最期のラーニングイベント、そのテーマに取り上げるのは「新人教育」です。きっと、2014年春からの新人育成の参考にしていただけるのではないでしょうか。
テーマは、ずばり
「ネオOJT宣言:僕らは、これからのOJTをつくることにした」
です(仮題)。
このタイトル!?で、株式会社 博報堂さまで取り組まれている全く新しい新人教育についてご紹介させていただき、みなさまと議論する場所を設けることができたらといいな、と思っております。講師には、博報堂大学の白井さんをお招きさせていただきます。
今から数年前、同社のOJT人事施策の企画立案に、中原も、外部アドバイザーとして参画させていただきました。
白井さんを中心とする同社のチームメンバーの方々は、その後、着実に取り組みを実施・深化させ、全く新しいOJTの取り組みを開始。12月初旬には、この取り組みの全貌を日本経済新聞社さんより、出版される予定です。
このたびのラーニングイベントでは、同書では扱いきれなかった内容もご発表いただけるものと思っています。
また、ラーニングイベント終了後には、経営学習研究所が贈る強烈な忘年会パーティも準備しております。ぜひ、年末、お忙しいとは思いますが、ぜひ、お越し下さい。
本ラーニングイベントの募集は、NAKAHARA-LABメルマガ(中原淳研究室メルマガ)より先行募集いたします。ブログにも掲載しますが、その折にはお席はかなり少なくなっているものと思われます。メルマガ配信後、おそらく、比較的短時間で、残席はなくなるものと思います。
もしNAKAHARA-LABメルマガにご登録いただいてない方がいらっしゃいましたら、ぜひ、この機会にご登録をお願いいたします。大丈夫、楽しく怪しいイベントのご案内はさせていただきますが、「怪しいツボ」をおすすめすることはございません、笑。
近日中に、参加応募はじまります!
NAKAHARA-LAB.NETメルマガ(中原研究室メルマガ)
http://www.nakahara-lab.net/mailmagazine.htm
投稿者 jun : 2013年9月20日 23:00
いつか、下に、バレるんじゃないか!? : 業務能力をめぐる世代間競争!?
仕事柄、多くのビジネスパーソンの方々にお会いしますが、最近お会いした方で、僕よりちょっと上の世代の方が、こんなひと言をもらしていたことが、非常に印象的でした。
「僕は、最近、"下の世代"が出来すぎて、怖いですね。最近、うちの会社に入社してくる学生は、キャリアのことをちゃんと考えていて、英語の点数も信じられないほど高い。学生時代にも、いろんな経験をしている。口には出しませんが、僕よりも、確実にできる学生なんです。(中略)僕らの頃は、大学時代は、本当にノホホンとしていたんです。何となくサークルに入り、何にも勉強せず、何となく就職した。キャリアとかいう言葉すらなかったですからね。どの会社に入って、何をするか、なんて、何にも考えなかったんです。
僕には、まだ業務経験がある分、今は、下にダメ出しできますが、彼らが、これから経験つけるとねぇ・・・。僕は、ダメ出ししながら、思うときがあるんですよ。いつか、下に、バレるんじゃないかって。こいつに負けてるのは業務経験の長さだけなんじゃないかって、薄々わかってくるんじゃないかって。会社に長くいることだけで、負けてるんじゃないかって。でも、今から英会話って言われてもね・・・。でも、逃げ切れないですよねぇ・・・。あと25年くらいありますしね。やっぱり、今からでも、腰をあげないとねぇ」
一字一句同じではないとは思いますが、非常に印象的だったのはミドルの方のひと言「出来すぎて怖い」というひと言と「こいつに負けてるのは業務経験の長さだけなんじゃないか」という述懐でした。
会社といっても、いろいろありますし、下の世代にも、上の世代にも、いろいろありますので、一般性云々は、当然のことながら、求めませんし、主張しません。もちろん、下の世代に、足りないところは多々あるんでしょう。その方が多いことは容易に想像できます。
しかし、一方で、この方の気持ちは、同じミドルキャリアにさしかかっている僕としては、よくわかる気がいたしました。
ミドルキャリアにさしかかり、ふと、「下の世代」を眺めたときに、今は「業務経験」という点では優越しているけれど、様々な能力や経験という点では、脅威を感じる、というのは、あながち、ありえることだよな、と思って、お話を伺っておりました。少なくとも僕はそうです。あたりまえですが、「できる人はできる」!
実際、自分も、大学や大学院で、若い世代と接していますと、まだまだな部分も多々ありますが、「昔のオレだったら、できないことを、この学生たちはこなしてるよな」と思うことが、少なくないのです。
ま、僕が、ペンペン草もはえないような、どうしょうもない学生時代をおくってしまったせいかもしれませんが、号泣。
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今日のお話は、特に結論があるわけではありません。
しかし、今日お話した「業務能力をめぐる世代間競争」は、敢えて言挙げする人はなかなかいないけれど、下の世代も上の世代も、薄々感じていることなのかもしれません。
一般に、上の世代は、多くの場合、下の世代を「指導」しますし、「ダメだし」するでしょう。そして、年齢がものを言いやすい、この国では、上の世代は、下の世代の前で、なかなか本音を言いにくいものです。そんなもの安易に出してしまったら、大変なことになるでしょう。
しかし、どの程度一般性があるかは知りませんが、「下の世代」のことをきちんと見ている人もいますし、脅威を感じている人も、あながち少なくないのではないか、という妄想でした。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年9月19日 06:41
「トッピング全部入り的ラーメン」のような人材スペックの謎!? : 企業って、そんなに"すごい人"が集まっているところなんですか?
最近、ちょっと前に就職活動を終えた、ある学生さんが、研究室にきて、こんなひと言を残していきました。
「就職活動をしていたとき、頭がクラクラしたときが何度もありました。企業は、学生に、いったい、どこまでを求めているんでしょうか? そして、企業が今求めている人材は、現在の従業員の中に、どれほどいるんでしょうか? 企業って、そんなに"すごい人"が集まっているところなんですか?」
興味深いので話を聞いてみると、こういうことだそうです。
最近、この学生さんは、いくつかの企業の説明会に出かけたのですが、そこで語られる「企業の求める人材」が「スゴイ=恐ろしいほどハイスペック」だそうです。
学生さん曰く、求められているスペックは・・・
「情報メディアを操れて、英語も堪能、世界中のあらゆる人と、仲良くなれるスキルをもつ。世の中の流行には非常に敏感でアンテナは高いが、それでいて、流されず、自分の芯をしっかりもっている。他の人が恐れるどんな困難にでも果敢にチャレンジできて、物怖じせず、メンタル強く、ガシガシと生き残っていける。しかし、それでいて、察する力はもっていて、引くときにはひける。受験はもちろん成功していて高い基礎学力や文章能力はもっているが、しかし、それでいて、受験の成功には固執していない」
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「企業の採用担当者の方曰く、ウチが欲しいのは、そういうものをかねそろえている人材ですというのですが、そんな人、本当にいるんですかね? そして、入社後、そういう従業員の方ばかりと、わたしは仕事をするんでしょうか? なんか自信がないなぁ・・・」
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学生さんの話を、なかば同情しつつ、聴きながら、僕はいくつかのことを考えていました。
第一に、経営学の教科書的にいえば、採用活動とは、人材マネジメントの一貫であり、「自社の競争戦略」と同期する必要があるといわれています。
ならば、こういう「トッピング全部入り的ラーメン」のような人材スペックとは、何を意味しているのでしょうか?
「すべてが盛り込まれている」ということは「何も決め切れていないこと」のようにも一見感じますが、実際のところ、こういう人材像はどのようにつくられるのでしょうか?
第二に、僕は、職場研究・マネジャー研究をしておりますので、一番、ここが気になった点ですが、仮に、こうした人材が入社した際、こうした人材をどのように「組織社会化」するのか、非常に興味深く思います。
学生さんは「こういう人材は、現在の従業員の中に、どれほどいるんでしょうか?」と問うていますが、この問いは、組織社会化の問題にリンクしているような気がします。
「ハイスペックな人材を採用する」ということは、それをマネジメントする方、受け入れる職場、人事制度にも、「ハイスペックな水準」が求められるということです。
時と場合にもよりますが、多くの場合、「ハイスペック」であることは「ハイメンテナンス」を必要とします。つまり、そういう人材が満足できる仕事やキャリアを構築する期待が、組織側には高まる、ということですが、それに対する備えは十分なのでしょうか。
第三は、いわゆる「アイロニー」です。この「トッピング全部入り的ラーメン」のような人材スペックで、本当に求められているものは、「この人材スペックに真に受けないこと」であったとしたら、最高に皮肉(アイロニカル)だな、と感じました。
そして、これは「新しいタイプの採用手法」として有効かもしれない、と少しマジに考えてしまいました。まさか、そんなアイロニーはないとは思いますが、不謹慎にも、ちょっとだけ想像してしまいました、笑。
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帰り際、学生さんには、ひと言だけ声をかけました。
「君は、これから社会で何度もクラクラするよ。でも、根拠ないけど、大丈夫だよ、そんなものだから。まずは、クラクラすることを、自覚できるようにしよう。どうしても、しんどかったら、クラクラを誰かにお裾分けしなさい。みんなクラクラしてるから、意外に盛り上がれるかもよ」
来春、社会にまたひとり学生が旅立ちます。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年9月18日 09:27
【拡散御願い:参加者募集中】 これから大学の教壇に立ちたい大学院生に"教えることを教える"プログラム:東京大学フューチャーファカルティプログラム第二期参加者募集中!
東大 × 学び × 革新
これから、大学の教壇にたつ、大学院生へ
東京大学 フューチャーファカルティプログラム、始動!
(いいね・シェア・RT・拡散にどうか御協力を御願いします!)
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近い将来、大学の教壇にたつ大学院生に「教えることを教える」プログラム、東京大学フューチャーファカルティプログラムの第二期募集がはじまります。
おかげさまで、この第一期(2013年夏学期)のプログラムには、プレワークショップに約170名、授業には募集定員を大幅にこえる応募をいただきました。
第一期は満員御礼の人数で講座がはじまり、9月23日に予定されている履修証交付式には、51名の大学院生が履修証を受け取る予定です。
このプログラムでは、アラムナイネットワーク(卒業生ネットワーク)も準備されており、卒業後も、様々なやりとりがなされています。異なる研究分野で、これから活躍する、全学の大学院生と交流することもできます。
中には、高校や大学への出前講義などの、スピンアウトプロジェクトも生まれている状況です。
本プログラムは
1.プレワークショップ(3時間)
2.授業「大学教育開発論」(学環開講・大学院共通科目)
3.ポストワークショップ(履修式)
で構成されており、履修証を受け取るためには、1から受講する必要があります。
前期に受講なさった方は再度受講する必要がございませんが、もしまだという方がいらっしゃいましたら、10月3日(木)に開講されます。どうぞお早めにご登録のほど、お願いいたします。
本プログラムは、栗田佳代子さん、藤本夕衣さんらが中心になって授業運営し、一部、中原も登壇しています。
教えることを教えるプログラム、プレワークショップなどでお会いできますこと、愉しみにしております。
FFPプレワークショップ2013冬学期
日時:2013年10月3日(木)13:00-16:00
会場:本郷キャンパス工学部2号館92B(地図)
▼▼▼プレワークショップ申し込みページ▼▼▼
http://www.todaifd.com/event/
※プレワークショップ受講後、別途、授業「大学教育開発論」(学環開講・大学院共通科目)に履修登録をする必要がございます。詳細はプレワークショップでお話いたします。
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■参考情報
東京大学フューチャーファカルティプログラム 解説ビデオ
東京大学フューチャーファカルティプログラム Facebookページ
https://www.facebook.com/TodaiFFP
朝日新聞「東大教える力底上げ」2013年1月23日(朝刊38面)
http://todaifd.com/ffp_/pdf/asahi.pdf
その他、本プログラムへの評価情報は、以下をご覧下さい。アンケート結果、外部有識者の方々による参与観察結果、受講生のコメントなどをご覧頂けます。
東京大学フューチャーファカルティプログラム2013夏の評価
http://todaifd.com/ffp_/outcomes.html
投稿者 jun : 2013年9月18日 06:53
静かな週末:脚本を書くために、朝ご飯の献立をつくる!?(向田邦子さんの創作術)
週末は久しぶりに「ゆっくり」とした時間を過ごすことができました。森の中を歩いたり、本を読んだり。
日々の雑事に追われ、カチンコチンに強張っていた身体を、おかげさまで、少し、ほぐすことができました。こうした時間は、まことにありがたいことです。
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森の散策。
今週末の森には、時折、雨が降りました。
もちろん、「どしゃぶり」というのは困るのですけれども、雨露にぬれた木の葉というのは、まことに美しいものです。
表面が水に濡れて、いつもの数倍発色が鮮やかになるのです。
僕は、北海道に生まれたせいか、自分は「自然のやることには、なすがままにまかせる」という意識を持っているように感じます。「雨」といえば、一寸残念な思いもするのだけれども、「それはそれで、なすがまま」。
かくして、雨に時折降られたのは、一見、不幸なこととも言えますが、そのせいで、こういう「鮮やかな一瞬」を垣間見ることができたのですから、それは「幸運」なのです。
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読書。
仕事柄、日々、読んでいるのは専門書か論文です。しかし、そういう文章を毎日毎日読んでおりますと、いささか「ロジック」に食傷気味になってしまいます。
とはいえ、小生「活字中毒」。読まないで日々を過ごすことはできません。「活字のない時間」の方が、ストレスフルです。
かくして、今週末は、敢えて「ストーリー」にふりました。
宿泊施設のライブラリーにある「エッセイもの」を読んでみました。ふと手に取ったのは、向田邦子さんのものでした。
向田さんといえば、寺内貫太郎シリーズをはじめとして、高度経済成長時期に、もっとも活躍した脚本家のお一人です。「家族」を、時にハートフルに、時に葛藤を内包するものとして描き出すことに、非常に長けた方であったと思っています。事故による、早すぎる死は、とても残念なことでした。
向田さんは、「珠玉」とも形容できる様々な言葉を後世に残された方ですが、個人的に印象的なのは、この言葉です。
(家族をテーマにしたテレビドラマの脚本を書くとき)
「この家が、どういう朝ご飯を食べるのか、献立ができれば、もう話が出来たも同然です」
まことに印象深い言葉です。
「献立をつくる」ということは、家族のメンバーが、それぞれ、どういう人で、何を好んでいるか。どういう価値観をもっていて、どういう関係にあるか、を想像すること、つくりこむことでもあるのでしょうか。
「作品」を創る際に、「献立」までつくりこむ。
家族のメンバーの揺れ動く心理を描くことに長け、かつ、料理がとてもお上手だった向田さんらしいエピソードですね。そして、向田さんが何を重視していたか、感じることができます。
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かくして「非日常の週末」は終わりです。
先ほど、東京に戻ってきました。
執筆、企画、授業、学会・・・。
また多忙な日々が続きます。
それでも人生は続く。
投稿者 jun : 2013年9月17日 12:25
社会問題をテーマに「デジタルゲーム」を開発する!? : 「メディア創造ワークショップ」東京大学・教養学部 10月開講
9月も進み、そろそろ次の学期が見えてきます。次学期は、これまでなかった「新しい授業」として藤本徹先生が中心になって「メディア創造ワークショップ」が開講されることになりました。東京大学教養学部・駒場キャンパスでの開講です。
藤本徹先生のWeb : Another Way
http://www.anotherway.jp/archives/001320.html
これまで「メディア創造ワークショップ」は、3年間にわたって「働く」をテーマにした「電子書籍」をつくっていました。重田先生(元東京大学・助教、現・北海道大学准教授)が中心になって、映像作家の大房さん、ダイヤモンド社・記者の間杉さんに御協力いただき、その成果は「東大発2011」「東大発2011」「東大発2013」という電子書籍にまとめられました。その節は、本当にありがとうございました。
東大発2011
https://itunes.apple.com/us/app/dong-da-fa2011/id450443969?mt=8
東大発2012
https://itunes.apple.com/jp/course/dong-da-fa2012/id518239744
東大発2013
http://www.he.u-tokyo.ac.jp/2013/05/13/1773/
今年は、研究部門のスタッフも変わり、藤本先生に加わって頂いたことで、授業も大幅リニューアルです。
なんと! 今年は「社会問題をテーマとしたデジタルゲーム開発」を行います。
ゲーム開発環境である「Unity」を開発ツールとして、ゲーム開発未経験の東大1,2年生がチームを組んで、デジタルゲームをつくって、一般公開するという授業です。単なるデジタルゲームではありません。社会問題というかなり重たいテーマを、プレイしながら考える、学ぶきっかけになるようなデジタルゲームを開発します。
「ゲームを消費するのではなく、ゲームを創造する」・・・すなわち、「情報の受け手」ではなく「情報の生産者」になる、数年前から続けている「メディア創造ワークショップ」に通底する思いです。
昔から「ゲームと学習」は密接な関係のもと、発展をとげてきました。古くはエデュテイメント、昨今でいえば、「シリアスゲーム」とか「ゲーミフィケーション」でしょうか。この授業でも、「Playful」と「Learning」の間を考えるきっかけになればいいな、と願っています。
ーーー
追伸.
その他、後期、駒場キャンパスで、中原は「情報人文社会科学Ⅳ」という授業(教養学部学際科学科の授業)を山内祐平先生と担当させていただきます。2014年2月3日の週に集中講義として開講される予定です。
詳細は詰めていませんが、こちらの中原担当パートでは「組織×学習×キャリア」といった内容を扱おうと思っています。
「組織における人材マネジメント」という学部生は経験すらしたことのない課題を、しかし、リアリティをもってお楽しみ頂けるよう教える、というのは、なかなかチャレンジングです。
こちらもどうぞお楽しみに!
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東京大学教養学部 駒場キャンパス 2013年度後期
全学自由ゼミナール科目「メディア創造ワークショップ」授業概要
火曜4限(14:40-16:10) 駒場キャンパス
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*科目名:
全学自由ゼミナール 2013年後期
「メディア創造ワークショップ」
社会問題をテーマとしたデジタルゲーム開発
*開講日時:
火曜4限(14:40-16:10)
*教室:
東京大学 駒場キャンパス駒場ラーニングアクティブスタジオ
(KALS : 17号館 2F)
*担当教員:
藤本徹、中原淳
*主催:
東京大学 大学総合教育研究センター
教育課程・方法開発部門
*支援:
東京大学 教養学部 教養教育高度化機構
*協力:
ユニティ・テクノロジーズ・ジャパン
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★授業の趣旨・目的:
社会問題の啓発や問題意識の喚起は、古くから活字、
映像メディアを駆使した手法で取り組まれてきた。
近年のデジタルゲーム技術の発達とともに、ゲームが
従来のエンターテインメントを超えて、教育や社会問題
解決のツールとしてのメディアとして捉えられるようになった。
そのような取り組みは90年代のエデュテインメント、
2000年代のシリアスゲーム、2010年代にはゲーミフィ
ケーションと呼ばれる流れを作り、さまざまな分野で
ゲームを用いた社会活動に関心を呼んでいる。
この授業では、社会問題として(1)防災、(2)環境問題、
(3)国際問題をテーマとしたゲームの企画・開発を通して、
作り手として社会問題への理解を深めるとともに、
新たな社会問題とユーザーとの接点を生み出す
メディア創造スキルの学習機会を提供する。
ゲーム開発はグループプロジェクトで行い、経験豊富な
開発者がファシリテーターとしてプロジェクトに参加し、
ゲーム開発のアドバイス・指導を行う。
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★参加条件:
*定員:16名(希望者多数の場合はレポートで選抜)
*ネット接続可能なノートPCを持参できること(機種は問わない)
*プログラミング等の開発経験は問わない
(この授業で学べる範囲のスキルで開発することを前提)
・調査・企画・開発の活動はグループで行うため、協調的な
作業やコミュニケーション、開発に必要なスキルの習得を厭わないこと
・授業時間以外の時間にもグループワークやスキル学習の
時間を確保すること
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★参考図書
・藤本徹(2007) シリアスゲーム:教育・社会に役立つゲーム.
東京電機大学出版局
・ジェイン・マクゴニガル(2012) 幸せな未来は『ゲーム』が創る.
早川書房
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★授業スケジュール(予定):
※ゲストセッションなど一部日程変更の場合あり
第1回(10月8日): オリエンテーション
・授業概要の説明、昨年度までの活動紹介
・受講希望多数の場合、選抜レポート提示
第2回(10月22日):
シリアスゲーム:教育や社会のためのゲーム開発
・シリアスゲーム事例調査課題
第3回(10月29日):
シリアスゲーム事例調査結果報告
・企画検討会議
・グループプロジェクト開始
第4回(11月12日※夕方シンポジウム開催:こちらに参加):
・社会問題を題材にしたゲーム企画の考え方
(ゲスト講師: 山本貴光氏)
第5回(11月19日):
・企画検討セッション(ゲーム企画案グループ発表)
第6回(11月26日※夕方シンポジウム開催:こちらに参加):
・開発ツール導入(1)
(ゲスト講師:Unity 伊藤周氏)
第7回(12月3日):
・開発ツール導入(2)
(Unity 伊藤周氏によるハンズオンセッション)
第8回(12月10日):
・企画案中間報告・相互評価セッション
第9回(12月17日):
・ゲームメカニクスのデザイン
第10回(1月7日):
・プロトタイプ評価(プロトタイプ相互レビュー)
第11回-14回:
・開発演習
第15回(1月28日): 作品デモセッション・まとめ
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投稿者 jun : 2013年9月14日 05:47
パッションあふれるストーリーテリングで研究発表!?:「独り歩きする手法」のお話
「プレゼンテーションの手法」というものは、「聴衆」と「目的」、これら2つと整合性をもってはじめて意味を為します。「聴衆(どんな人々で何に問題関心をもっているか) - 手法(どんなやり方でプレゼンをするのか) - 目的(どんな成果が期待したいのか?)」の3つが一貫していてこそ、意味があるということです。
書いてしまえば、アタリマエのこと。そりゃそうだ、という感じです。おそらく、ここに疑問をお持ちの方は少ないのかな、と思います。
しかし、悲しいかな、いつの時代も、「プレゼンテーション手法」は「問題」や「目的」とのつながりを失い、「自走自爆」しがちです。「ブレーキのないジェットコースター?」というのか、「空中浮遊するスケートボード?」と申しますか、「全く地に足のつかない事態」が生まれがちです。
ひと言で申しますと「問題」や「目的」と切り離された「脱文脈化された手法」が、時代の雰囲気にあわせ「流行」し、「独り歩き」しはじめるのです。
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たとえば、卑近な例を出すならば、研究の現場で行われるプレゼンテーションについても、そのことは言えるのかもしれません。
一般に、研究の現場のプレゼンテーションとは、多くの場合、「その分野の専門家」を主とする聴衆に対して行われるものですので、「最低限、伝えなければならない情報」と「伝え方」が存在します。
前者、最低限伝えなければならない情報としてあげられるのは、問題の背景、リサーチクエスチョン、先行研究、オリジナリティの主張、作業仮説の構築、研究方法論、結論、展開、今後の課題などでしょうか。
学問分野によっても違いがあるので、何とも言えませんが、そうした物事を踏まえておくことが、研究の現場で研究者同士がコミュニケーションするときには、どうしても必要になります。
また、「伝え方」に関しても、根本的には、冷静に、かつ、クールに物事を批判的にとらえ、探究する態度が求められます。必要なのは「ロジック」です。
「ロジックが見失われたプレゼン」は、どんなにマインドフルで、パッションがあっても、研究の現場では意味をなしません。研究者が自分の人生を語るようなプレゼンでは別でしょうが、少なくとも学会や研究会などのフォーマルな場で、専門的議論が行われる場では、それはナンセンスです。
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しかし、昨今、こうしたことが昨今、見失われがちであるような気もします。昨今流行している特定のプレゼンテーションの手法が、聴衆の特質や目的と「整合性」をもたないままに導入されて、語られる傾向があるような気がするのは、僕だけでしょうか。
これには、おそらくマスメディアの影響もあるのでしょう。マスメディアでは、「グローバルに活躍するセレブ」が、マインドフルで、ストーリーフルなプレゼンテーションをしておりますので、ついつい、自分も、研究の現場で、やってみようと思われたのかもしれません。
1年以上前のことになりますが、ある学生さんが「T●D風のストーリーテリング風プレゼンスタイル」で、学会の研究報告をなさっているのを見ました。熱いパッションでストーリーを語り、プレゼンの最後には「社会を変える」とか何とかと記されておりました。
まことに残念なことですが、僕には、どうして、その研究が達成されれば、「社会を変えること」になるのか、はたまた、そこで指し示されている「社会」とは何を指しているのか、わかりませんでした。
他の方もそうだったようで、パッションあふれるプレゼンであっただけに、会場は「ちょっぴり残念なムード」に包まれたことが印象的でした。まことに心苦しい思いがいたします。
「ストーリーテリング風のプレゼンテーション」とは、「ムーヴメントをつくるためのパブリックスピーキング」に近いものです。聴衆や目的がそれに合致しているのであるのならば、そういう手法もありえますので、それ自体に善悪があるわけではありません。
しかし、「研究報告の現場で必要なコミュニケーション」と、そのプレゼンスタイルは、少しズレているような気がします。
研究報告の現場で、多くの場合、専門家が知りたいのは「ストーリー」ではありません。
把握しなければならないものは、リサーチクエスチョンの妥当性であり、研究方法論の信頼性であり、結果の信憑性などです。少なくとも研究者が研究に関する議論を行う、フォーマルな場では、そのようなことが言えるようです。
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今日のお話の意図するところは明確です。既述しましたように、「問題や目的と切り離された"手法"は残念な結果を生み出しやすいよ」ということです。
そして、今日のお話は、実は、プレゼンテーションだけに言えることではありません。「手法」とはいつの時代も、「独り歩き」しやすいので、注意が必要です。
「手法」を売り出す側は、いつだって「どんな状況で、何が問題なのか?(課題)」「何をめざすのか?(目的)」といった「文脈」から切り離し、特定の手法の有効性を喧伝します。
なぜなら、文脈から切り離し、「一般を装った方」が、対象者は格段に広くなります。つまり、マーケットを意識すれば、「ある特定の文脈において発達してきた手法を脱文脈化する方」が都合がよいのです。より多くの信奉者、支持者を獲得できる可能性に開かれます。
一方、「手法」を安易に買う側は、「思考停止」に安住しがちです。自分の目で状況を見つめ「何が問題なのか?(課題)」「何をめざすのか?(目的)」を考えるのはたしかに骨が折れます。その上で、自分の手法を選択するのはなかなか面倒です。ですので、ついつい、「思考停止の誘惑」にかられるのです。「どんな問題でもキャッチオール(Catch all)」と位置づけられている「誰かの漂白した手法」を求めてしまいます。
この両者、つまり、ある一時点までは、両者は「Win-Win」で思惑は合致しているのです。もちろん、その「Win-Win」は、「仮初めのもの」に過ぎないのですが。。。
このような事例なら、皆さんの周りにも、枚挙に暇がないでしょう?
かくして「独り歩きする手法」には、注意と目配りが必要です。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年9月13日 06:01
【ワークショップ参加者追加募集】「オーケストラに"聴く"プロフェショナルの学び」
先日、応募開始より1日弱で応募を締めきらせていただいたワークショップ「オーケストラに"聴く"プロフェショナルの学び」ですが、その後もお問い合わせを多数頂いておりました。関係者で先日会合をもち、対応策を検討させていただきました結果、本日より、追加募集を行うことになりました。
日本フィルハーモニー交響楽団様の御協力のもと、15名様限定で、1階前方の席でコンサートチケットをご準備させていただけます。もし「行きたかったけれど、チャンスを逃してしまったよ」という方がいらっしゃいましたら、この機会をぜひお見逃しなく!
よろしくご検討いただけますよう、よろしく御願いいたします。
ワークショップ「オーケストラに"聴く"プロフェショナルの学び」参加者募集!
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/09/post_2085.html
投稿者 jun : 2013年9月12日 16:51
東大テレビ on Facebookできました!:東大の公開講座・イベント・講演が無料で視聴できます!
実は、わたしの研究部門で運営しているTODAI TV(東大テレビ)のFacebookページができました。 同部門で同僚として勤務している藤本徹先生が、ソーシャルメディア展開をすすめて下さいました。藤本さん、どうもお疲れさまでした。
東大テレビ on Facebook(是非是非!いいね、シェア・拡散御願いします)
https://www.facebook.com/todai.tv
東大テレビは、東京大学で実施されている公開講座、各種のイベントの講演などを視聴できるサイトです。こちらでは、東大で開催されている公開講座、イベント、講演などが無料で視聴できます!
Facebookページでは、TODAI TV配信コンテンツの紹介や最新情報をお知らせします。たとえば、こんな講義がこちらでは見ることができますよ。もしご興味があれば、どうぞご高覧ください。
東大テレビ on Facebook(是非是非!いいね、シェア・拡散御願いします)
https://www.facebook.com/todai.tv
なお、東大テレビのWebサイトはこちらです。東大テレビTwitterもありますよ。全部で数百種類のコンテンツがすでにアップロードされております。どうぞご高覧ください。
マイケル・サンデル「ハーバード白熱教室 in JAPAN」
http://bit.ly/todaitv001
山崎直子宇宙飛行士、「帰地球」報告会
http://bit.ly/todaitv005
ノーベル文学賞作家 マリオ・バルガス=リョサ氏講演会
http://bit.ly/todaitv004
オバマを大統領にした男:マーシャル・ガンツによる「市民の力で社会を変える」
http://todai.tv/contents-list/w2mrlo/w7kgmv/1gncc0-1
イベント「英語論文セミナー2013~国際誌に投稿するために知っておきたいこと~」
http://todai.tv/contents-list/w2mrlo/copy2_of_f06c8/copy_of_v2g684
東大テレビ Webサイト
http://todai.tv/
東大テレビツイッター BOT
https://twitter.com/TodaiTV
そして人生は続く
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追伸.
最近、出張が続き、本当に慌ただしい時間を過ごしています。しかし、確かな成果があり、手応えを感じている次第です。また詳細はお話しします。
投稿者 jun : 2013年9月12日 06:52
「OJT指導をする先輩側」は何を学んでいるのか?
いわゆる「OJT指導」というものは、指導する側にとっても「学び」をもたらすことは、経営と学習の研究領域において、随分前から言われていたことです。たとえば、Feldman(1985)は、組織社会化の影響は、組織社会化される側ばかりではなく、組織社会化をする主体・集団・組織に対しても影響が及ぶことを指摘し、組織社会化を「相互影響プロセス」として把握することを理論的に提案しました。
(余談ですが、Lave and Wenger(1991)の正統的周辺参加論を下敷きにして考えるのならば、「OJTの機会」というのは、「周辺参加の状況にいる若手世代ー古くから共同体に参加している先達」のあいだの「教育・指導関係」のような「ニュートラルなもの」として記述はできないような気もします。それは「若手世代ー先達世代」や「若手世代ー古参参加者」の葛藤を内包するものであり、中長期的視野にたてば「先達世代」「古参世代」の地位を脅かしかねない可能性も持ち得ているということになるのだと思います。ひと言でいえば、「抜き差しならない関係」。すなわち、新人の参入とは、場合によっては既存のコミュニティメンバーとの葛藤につながり、「コミュニティ全体の変化」にもつながりえる、ということですね。この世界観の違いが、興味深いことでした。以上、完全な余談です。)
話を本に戻して、このことを、ひと言で述べるならば、「新人や若手を指導すること」を通して学ぶ。それは、管理職手前のマネジメントの予備訓練、と言えるのかもしれません。
部下を動かすには、褒めなくてはならないんだな・・・
とか
部下と上司の間で仕事をするとは、どういうことなのか・・・
とか
自分の仕事で自信をもってわかっていることは何か・・・・
などなど、新人や部下への指導助言・仕事付与を通して、将来必要になるであろう、マネジメントの基礎を学ぶことは少なくありません。
先日、お邪魔させて頂いた、某社のOJT指導員の方は、その様子をこんな風に述べておられました。
(OJT指導は、今後やマネジメントのことも)意識しなきゃならないよな、と思うきっかけ?。褒めることが大切だ、とか。(中略)あと、後輩がついて、自分の役割が変わったかな、とか思うんでしょうね。自分のやってきたことを、アウトプットする役目になっちゃう?。そっから、あとは、どこからどこまでを上に吸い上げて、うえにあげるか、ですかね。真ん中にいて、すべてあげてたんじゃ、話にならない。(OJT指導をするようになって)そういう微妙なさじ加減ですね。
上記の発言において、この方は、OJT指導を「マネジメントを意識するきっかけ」になったと位置づけておられ、そのプロセスの中で、部下指導や上方影響力の行使の「微妙なさじ加減」を学ばれた、と発言なさっています。まことに興味深いことです。
もちろん、これら以外でも、「OJT指導は時間をつくって行わなくてはならない」ため、「タイムマネジメント」の要諦を学ぶということにもなりますし、場合によっては、ストレスコントロールを学ぶ機会にもなるのかもしれません。
今一度、先ほどの発言から妄想力をふくらましてみますと、「新人や若手指導」というものが、中長期的視野にたてば、「次世代のマネジャー層の育成」につながっている、ということに気づかされます。もちろん、「新人や若手指導、完全イコール、次世代のマネジャー層育成」というわけではないのですが、「後者に資する要因の一部」を「前者」が果たしているということは言えるのではないでしょうか。
だから、不幸か幸いか、「下がなかなか入ってこなくて、OJT指導を行う機会を逸してしまった世代」が、もし組織内にあるのだとすれば、中長期的視野にたてば、それは管理能力の伸張にネガティブな影響を与えうる、ということになるのかもしれません。
しかし、一般に、これらの二つは、「新人は新人、マネジャーはマネジャー」として全く異なるものとして多くの場合認識されていることの方が多いようです。前者の後者に対する影響は、ずっと、後になってでるものです。だから別物だと考えられます。
▼
こうした現状を踏まえ、研究室OBの関根さんと中原は、OJT指導員に関する研究を今年より開始しています。
この研究の趣旨にご賛同頂いたいくつかの会社で(心より感謝です!)、「OJT指導員の変化」を実証的かつ縦断的に追う研究を開始しているのです。反復測定をともなう縦断的研究は、私たちにとっても、はじめてで、それこそ「OJT指導員の研究」をしている私たちも、また、学んでいる、といっても過言ではありません。
研究知見が出てくるまでには、もう少し時間がかかりそうですが、もし、これが出てきますと、
どのような新人と出会い
どのようなOJT行動を行えば
どのようなアウトカムがOJT指導員にもたらされるのか?
がわかるようになってくるはずです(希望的観測)。
そして、これがわかれば、OJT指導にからむ若手・OJTする側の個々人の変化、すなわちOJTを媒介とした生態系が、もう少しクリアに描き出せるのではないか、と感じています。
先日は調査研究に御協力いただくN社さんにお邪魔させて頂き、担当者のTさん、Kさん、Fさん、Oさん、Nさんらからお話を伺う機会を得ました。本当にありがたいことです。心より感謝いたします。
なるべく早く研究知見を出せるよう、最大限努力する所存です。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年9月10日 05:44
「W字」を描く異文化適応プロセス:「レジ前の長蛇の列」と「英訳できない会議での発言」
先日は、首都圏某所で、研究会に参加していました。組織に関する最新文献を、皆で読んでいたのですが、その中に、「異文化適応」に関する論文がありました。とても興味深い論文で、大変勉強になりました。
昨今は、月並みな言葉ですが「グローバル社会」と言われ、「ヒト・モノ・カネが境界なく全球を動き回る社会」が生まれ出てきています。私たちは、否が応でも、そういう社会に生きておりますので、「働く場所」も、また次第次第に、以前よりは「全球的」になりつつあります。
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しかし、境界を越えるのは、「飛行機に乗って機内食を食べ、また、ビールでも飲んで」いれば、難なく可能になってしまうものですが、境界を越えたあとの適応というのは、なかなか難しいものです。
人が異文化にふれると、その滞在国でカルチュアショック(Culture Shock)を受けることは、よく知られていますね。
これまで過ごしていた自分の国と滞在国との異文化距離(文化の違い)が激しければ激しいほど、このカルチュアショックは大きくなるといわれています。
滞在国に着いた最初は、誰もが気分高揚している。つまりは、最初は「モティベーションの高み」にいる。
しかし、その後、「カルチュアショック」が積み重なり、滞在者のモティベーションは「えぐる」ように急激に下降します。ひと言でいえば、「こんなハズじゃなかった」期というのでしょうか。箸が転がっても、イライラする時期というのがあります。
しかし、その後、少しずつ少しずつ、異文化に慣れる、あるいは、変えられないものに対してあきらめがつくようになると、滞在者のモティベーションは向上してくる、と言われています。
つまり、異文化の開始時に、滞在者のモティベーションのプロセスは「U字」を描くということですね。
しかし、先日読んだ文献には、滞在国を離れ帰国した後のことが記述してありました。
つまり、滞在国を離れ、自分の母国に帰ったあとでも、今度は「逆適応」、すなわち「自国文化へのカルチュアショック」が生じる、ということです。
今まで慣れ親しんだ異国の文化を「学習棄却」し、母国の文化に慣れることもまた、「U字」を描くということですね。ですので、先ほどの「U字」は、2つ重なるので、「W字」になるということです(Gullahorn & Gullahorn 1963)。
僕は異文化適応の専門家ではないので、この理論が、どれだけの信憑性を持ちうるのかについては判断はしかねます。
しかし、「自国を離れる - 滞在国に慣れる - 滞在国を離れる - 自国に慣れる」のプロセスを縦断的に捉える、という視点は、興味深く感じました。
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自分の留学時代を思い起こし(約10年前、ボストンに滞在しました)自分のことに置き換えて考えてみますと、まず「異国に慣れる=第一のカルチュアショック」でもっとも記憶にあるのは、「レジの列の長さ」です。
「スーパーなどで、レジが異様に混んでいて客が長蛇の列をなしているのに、店員が馴染みのお客さんとくっちゃべりながら、レジ打ちをしている様子」が非常に印象的でした。最初は、そうした様子に怒りを感じていましたが、次第に、「そういうもんだわな」「別に待ちゃいいんだ」と諦めました(笑)。
「自国に慣れる=第二のカルチュアショック」は、ボストンでの生活をたたみ、首都圏に戻ってきた直後に生じました。
最も印象に残っているのは、「長くて、つまらない会議」です。会議での発言が「伏線を張りながら、オブラートにくるまれている発言が多いな」と感じました。「クソダイレクトな英語での表現」になれていたせいかもしれません。「英訳しようとしても、きっと、英語にはならない、曖昧な会議での発言」に、ひとりで、勝手に、イライラしていました。
しかし、そんなことも長くは続かず、1ヶ月もする頃には、「そういうもんだわな」「別にいいんだ、これでうまく回っているんだから」と思うようになりました。
以上が、僕の「W字」の印象深い出来事(エピソード)でしたが、こうしたことなら、おそらく、留学経験、海外赴任経験の長い人なら、多かれ少なかれ、誰もが持っているのかな、と思います。
そういう「W字」の「エピソード集」みたいなものがあると、これから海外赴任なさる方、留学なさる方にとって、非常にinformativeであるような気も致します。あっ、私だけじゃないんだな、と思うと、少しは冷静に、自分の気持ちの「揺れ」を客観視できるのかな、と思いました。
また、そういうネタをもとに、海外生活体験者が、ゆるりと皆で話し合うと、かなり面白いだろうなと、文献を読みながら、感じていました。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年9月 9日 05:54
本日、充電中・・・
研究会で某所に籠もっています。
メンバーは内緒です。でも、マーケティング、組織論、戦略論、医学教育、看護教育、デザイン、演劇、ブランド、社会人教育など、様々な領域で活躍なさっている方々で、僕よりも少し若い方々、でも、30sです。
メンバーの皆さんと、某文献を読んでいます。非常に勉強になります。会を主催していただいたTさんとYさんには、心より感謝しています。ありがとうございました!
僕が悪いのですが、ともすれば、日々の雑事にうもれ、最新の情報、最新の学問動向をアップデートする気力が、失われがちです。こうした機会はまことに嬉しいことですね。
今日も一日、研究会に費やす予定です。
また「シャバ」に戻りましたら、ブログを書きます。
またお逢いしましょう!
ーーー
追伸.
S君が、昨日、プレゼンで使っていたフォントが可愛かったです。有名なフォントで「ふい字フォント」というらしいです。全く知りませんでした。早速インストールしてみました。
ふい字フォント
http://hp.vector.co.jp/authors/VA039499/
投稿者 jun : 2013年9月 6日 07:54
「オレオレ講師」にご用心!?:オレって、スゲー、最高、マジ、イケてない!?
講師やプレゼンターが「自分のしゃべりたいこと」「自分にしゃべれること」をひたすら、学習者に「これでもか、これでもか、オラオラ。ふるえるぞハート! 燃え尽きるほどヒート! 刻むぞ血液のビート!山吹色のオーバードライブ!」と伝達する状況は(意味不明)、今なお、大人の学習場面に、よく見受けられます。
どうして、そんなに自信をもち、かつ、饒舌でいられるのか、僕にはさっぱりわかりませんが、そういう状況は、まま見受けられます。
「学習者の知りたいこと」を無視して、とにかく「自分のしゃべりたいこと」「自分にしゃべれること」をひたすら一方向的に、しゃべくりまくる。学習者や聴衆がどのように思っていようが、おかまいなし。そんな講師を何というかご存じですか?
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いや、別に学問的に、何かの名称があるわけではありません。
僕が、そういう講師を「オレオレ講師」と呼んでいるだけです(笑)。ま、「オレオレプレゼンター」でもいいですよ。もちろん、自らは、そういう「一方向的な伝え手」にならないように、自戒をこめて。
最悪の場合「オレオレ講師」は爆走しはじめます。明示的に、ないしは、暗示的に、「自己満足を果たすような内容」を、コンテンツにしがちです
オレ、すげー
オレって、最高!
オレ、マジ、イケてない?
「いろいろな情報」を、一見、客観的に提示していても、結局、言いたいことはこれだけです。
オレ、すげー
オレって、最高!
オレ、マジ、イケてない?
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皆さんも、もしかすると、これまでに「オレオレ講師」の被害にあったことがあるかもしれませんね(笑)。「オレオレ講師被害の会」というものをつくったら、あっという間に、日本中に、会員数が1万人を超えるかもしれません(泣)。
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それでは、どのように「オレオレ講師」になっちゃうことを防止するのか。
いくつか検討しうる課題はありますが、ごめんなさい、あと20分しか、時間がありませんので、(泣)最も基本的かつ根源的かつシンプルなことだけを。
それは
「学びの場の主人公は、オレである」
という信念を早々に棄却し、
「学びの場の主人公は、学習者である」
という信念をもつことです。
「学びの場の主人公」は「壇上で教える方」ではない。むしろ「壇の下で学ぶ方」である。
もっと具体的にいうと、
「講義・講演が成功したかどうかは、学習者が、自分の頭で考えたかどうかによって決まる」
「講義・講演が成功したかどうかは、学習者の変化があったかどうかによって決まる」
という信念をもつことです。
一般に、はじめて人前で教える人、講演をする人、すなわちノービスであればあるほど、
学びの場の主人公は、壇上にいる「自分」である
と強く認識しているものです。まぁ、経験も少ないし、そのくらいの気負いがなければ、「登壇の緊張」に立ち向かうことなど、できないところもあるのかもしれません。
しかし、一方で、「学びの場の主人公は、壇上にいる「自分」である」ということに関する過剰に強い信念は、あまりよい結果を生み出さないことの方があります。
もちろん、こういったからといって「情報伝達」を否定しているわけではありません。「学習者が、自分の頭で考えること」「学習者の変化があること」を促すために、「講師の保持する情報を伝達すること」は全く悪いことではありません。自信をもって「伝えなければならないこと」を「伝えればよい」。そこに逡巡する必要など1ミリもありません。
「学びに関する支援」というものが、「パターナリスティックな非対称の人間関係の中」で生じる可能性が高い以上、「情報伝達を完全に無化できる」と想定しうることは、論理的に無理がありますし、そんな夢想につきあう必要は1ミリもありません。
しかし、「伝えなければならないこと」が暴走し、「学習者の知りたいこと」とは「全く無関係」に行われるようになったとき、その内容は「有益」どころか「有害」になってしまいます。そういう暴走は、「学習者が、自分の頭で考えること」「学習者の変化があること」がにとってマイナスであることが多いからです。
最悪の場合、「オレオレ」の「お痛」がすぎますと、学習者は白け、学ぶことから逃走してしまうこともゼロではありません。
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「伝えられる側」であったものが「伝える側」にうつるとき。
これまで情報の「レセプター」であったものが「サプライヤー」になるとき。
「新人」であったものが「後輩をもつとき」
「実務担当者」であったものが「マネジャー」に就任するとき。
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これらのトランジションのプロセスは、枚挙に暇がありませんが、もっとも大切だと思われることは、「既存の信念の棄却と再構築」です。
そして、その「棄却ー再構築」のプロセスは、こうしたトランジションのごくごく初期に済ましてしまうことです。なぜなら、いったん、固まった信念を、あとから突き動かすには、それ相応の強い介入と、本人の痛みが必要になるから。
これに失敗してしまうと、「オレオレ講師」「オレオレプレゼンター」「オレオレ先輩」「オレオレマネジャー」を生み出してしまう可能性が高まりますから、注意が必要です。
「聞き手を念頭に置かずにプレゼンテーションすることは、"関係各位"に対してラブレターを書くことに等しい」
(ケン・ハーマー)
今日の話題は、自戒を込めた話題でした。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年9月 5日 05:33
世界初!?ワークショップ「オーケストラに"聴く"プロフェショナルの学び」参加者募集!
2013/09/12 16:30 本イベントはすでに応募を停止していましたが、お問い合わせを多数いただきましたので、15席追加で募集することになりました! 追加枠で申込みの方のコンサートチケットは1階前方の席でご用意させていただきます!どうぞお早めに! [お申し込みはコチラから]
9月4日 11:00 おかげさまで満員御礼となりました。ありがとうございました。皆様にお会いできますこと愉しみにしております。今回機会を逃された方も、今後、また様々な実験的ワークショップを開催いたしますので、どうぞご参加下さい。
9月3日14:00 :中原研究室メルマガにて、応募開始
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またまた愉しく怪しいラーニングイベントのご紹介です。
名付けて、
「オーケストラに"聴く"プロフェショナルの学び」です。
坂口慶樹さん、山岸淳子さんらとともに、企画させていただきました。
このワークショップでは、日本フィルハーモニー交響楽団さまの御協力のもと、実現しています。巨匠指揮者アレクサンドル・ラザレフによるかなり激しいリハーサル風景の見学とともに、本番のコンサートをお楽しみいただき、「プロフェッショナルとして活躍するには何が大切なのか?」を、皆さんとともに対話させていただきたいと思います。
リハーサル+ダイアローグ+本番コンサート+ラーニングイベント
が香ばしくブレンドされた、世界初!?のイベントです。コンサート鑑賞A席チケットもついています、すべてコミコミ(笑)。
もしよろしければ、ぜひご参加下さい。
なお、本イベントは、中原研究室メルマガで応募を昨日(9月3日14時より)開始しております。35席すでに残席は7席限りとなっておりますので、ご興味・関心のある方は、お早めに御願いします。中原の企画・関連するイベントは、今後、中原研究室メルマガで公募を先行いたします。まだご登録いただけていない方は、これを機会にぜひ、ご登録のほどをご検討下さい。6000名の方々にすでにご登録いただいております。大丈夫だよ、愉しく怪しいラーニングイベントの募集はさせていただきますが、「怪しいツボ」をおすすめすることはありません。
中原研究室メルマガ
http://www.nakahara-lab.net/mailmagazine.htm
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「オーケストラに"聴く"プロフェショナルの学び」
巨匠指揮者アレクサンドル・ラザレフによるリハーサル
+コンサートつきラーニングイベント参加者募集!
世界初!?企画:経営学習研究所×日本フィルハーモニー交響楽団
第一部(リハーサル見学):2013年10月24日(木)
午後3時-午後6時30分 めぐろパーシモンホール
第二部(コンサート鑑賞):2013年10月27日(日)
午後2時30分-午後4時30分 東京芸術劇場 コンサートホール
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コンサート会場で私たちに大きな感動を与えてくれるオー
ケストラの演奏家は、究極のプロフェッショナルと言えます。
ただし、私たちは通常、会場ですばらしい演奏を体験、本番
のステージ上でのプロとしての演奏家の姿を見ることはでき
ても、残念ながら本番にいたるプロセスや舞台裏を知ること
はできません。
そのため、
「演奏家はどのように自己練習しているのだろう」
「そのモチベーションの源泉はどこにあるのだろう」
「限られた時間のリハーサルで、演奏家と指揮者はどのよう
にコミュニケーションをしながら、本番の演奏を創り上げて
いくのだろう」
「オーケストラにおける人材育成はどのように行われてい
るのだろう」
「演奏家はいつ、どのように学んでいるのだろう」
といった疑問が浮かんできます。
そこで今回は「プロの演奏家の学び」をテーマに、通常は
観ることができない、日本を代表するプロフェッショナル
オーケストラの一つである日本フィルハーモニー交響楽団のコン
サートのリハーサルを見学し、団員の方とも質疑応答させ
て頂いた上で、本番のコンサートを皆さんと体験します。
さらなるグローバル化が進むマーケット環境やICTの更な
る進展、そして急激な少子高齢化社会への移行という状況下、
今後日本のあらゆる組織で働く人は更なるプロフェッショナ
ル化への対応が求められることになります。実際に最近では
「組織内専門人材」、さらには「越境学習」という概念が
クローズアップされています。そのような意味で、今回の
テーマである「プロの演奏家の学び」には大きなヒントが
隠されているかもしれません。
なお、クラシック音楽やオーケストラについての知識やご経験
はなくとも十分にお愉しみ頂ける内容ですので、お気軽にご
参加ください。
共同企画者代表
経営学習研究所 中原 淳 / Lab.サポーター 坂口慶樹
http://mallweb.jp/
日本フィルハーモニー交響楽団 山岸淳子
http://www.japanphil.or.jp/
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■開催協力
公益財団法人 日本フィルハーモニー交響楽団
■日本フィルメンバー
伊波睦(トロンボーン奏者、ファシリテーター)
武蔵野音楽大学卒業。1981年日本フィルハーモニー
交響楽団に入団。同団においてはトロンボーンセク
ションの要としてテナートロンボーン、バストロン
ボーン、テナーチューバ、バストランペットを担当。
オーケストラ奏者としての演奏出演のみならず、室
内楽やエデュケーション・プログラムのファシリテー
ターとしても活躍。 2000年以来、日本フィルの体験
型エデュケーション・プログラムの企画・実践の中心
的役割を担っている。2013年、文化庁主催シンポジ
ウム『アートで子供達の才能を引き出す』にパネリ
ストとして参加。
山岸淳子(事務局・特命)
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業後日本フィルに入団。
広報宣伝部長、企画制作部長等を経て現職。在勤中に慶
應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻(アート
マネジメント分野)修了。著書に『ドラッカーとオーケ
ストラの組織論』(2013年、PHP新書)があり好評を博
している。
<日本フィルからのメッセージ>
オーケストラにとって、よい演奏を作るために最も大切な
ことは、良い指揮者といかに良いリハーサルを行うか、に尽
きます。リハーサルと実際の演奏会を通して、演奏家が実際
どのようにプロフェッショナリズムを発揮しているかをご体
感頂けると思います。ロシア・ボリショイ劇場の芸術監督な
どを歴任した世界的巨匠指揮者アレクサンドル・ラザレフ
は、とりわけ厳しく実りの多いリハーサルを行うことでも
知られており、そのリハーサル手法はサッカーの名匠オシム
に似ているとも評されています。今回はラザレフのリハーサ
ルをご覧いただき、更に楽団関係者が皆様の疑問にお答え
いたします。
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■日時・会場第一部(リハーサル見学):
2013年10月24日(木)午後3時-午後6時30分頃
めぐろパーシモンホール 東京都目黒区八雲1-1-1
http://www.persimmon.or.jp/
第二部(コンサート鑑賞):2013年10月27日(日)
午後2時30分-午後4時30分頃
東京芸術劇場 コンサートホール 東京都豊島区西池袋1-8-1
http://www.geigeki.jp/
指揮:アレクサンドル・ラザレフ[首席指揮者]
チェロ:横坂源
曲目:チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲マーラー
:交響曲第九番
※今回のご参加は、両日ともに参加いただける方に限ります。
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■募集
35名さま限定となっております
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■参加費
2日両日リハーサル+コンサートラーニング含めて、
お一人様9,500円申し受けます。(コンサート鑑賞A席チケット料金含む)
※演奏を間近に観られるステージ脇の良席を確保頂きました!
※チケットは第一部の受付時にお渡しします。
※既に個人でチケット購入済みの方には、5名様までを限度に、
追加3,000円でご参加いただけます。
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■スケジュール
第一部:
14:30受付開始
15:00イントロダクション、聴きどころ・見どころ紹介
16:30リハーサル見学
17:30オケメンバーに聴くプロフェッショナルの学び
18:15ダイアローグ
18:25ラップアップ
18:30終了(予定)
第二部:
14:00集合 ※各自でご着席ください。
14:30オーケストラ鑑賞 ※参加費に含まれています
16:30終演(予定)
<以下希望者のみ>17:00~19:00振り返りのための懇親会
(申し込み完了された方に別途ご案内します。
日本フィルメンバーも参加される予定です。
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■参加条件下記の諸条件をよくお読みの上、下記のURLから参加申し込
みをしてください。なお、入金完了をもって申し込み完了となり、
入金完了順の受付となりますので、十分ご留意ください。
申し込みは、お一人さまにつき1枚とします。
[お申し込みはコチラから]
http://ptix.co/17lRZW5
<既に個人的にチケット購入済みの方へ(先着5名様まで)>
上記URLからの申し込みはできません。
個別に以下アドレスにメールをお願いします。
asoenoboro@gmail.com (担当:坂口)
なお、申し込みと同時に、以下の諸条件についてはご承諾い
ただいているとみなします。
参加に際しては、上記をご了承いただける方に限ります。
1.本ワークショップの様子は、予告・許諾なく、写真・
ビデオ撮影・ストリーミング配信する可能性があります。
写真・動画は、経営学習研究所、日本フィルハーモニー交響
楽団、ないしは、経営学習研究所の企画担当理事が関与する
Webサイト等の広報手段、講演資料、書籍等に許諾なく用い
られる場合があります。マスメディアによる取材に対しても、
許諾なく提供することがあります。
2. 10/24(木)ホール内でのリハーサル見学、及び10/27(日)
のコンサート演奏中の写真・ビデオの撮影はできません。
3.参加は第一部と第二部の両方にご参加頂ける方に限ります。
また、一旦購入されたチケットは、キャンセルということになり
ましても返金できません。ご都合により片方の部だけご参加という
ことになりましても、一部返金はできませんので予めご承知おきください。
4.本イベントについてのお問い合わせは、以下のアドレス宛メ
ールにてお願いします。すぐにご回答できない場合があります
こと、予めご承知おきください。
5.参加者多数の場合は予告なく、参加を締め切らさせていただ
きます。重ねてご了承ください。
asoenoboro@gmail.com (担当:坂口)それでは、当日ホール
にて皆さまとお会いできますことを、心から愉しみにしております。
企画:経営学習研究所 理事 中原 淳
Process Design Lab.サポータ坂口慶樹
日本フィルハーモニー交響楽団 山岸淳子
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投稿者 jun : 2013年9月 4日 07:00
「うちの会社は特殊ですからね!」 : 「特殊」の向こうに透けて見える「一般」、「一般」の奥にひそむ生々しい「特殊」
仕事柄、企業の人事関係の方々、現場の方々に、ヒアリング(聞き取り)をさせていただく、機会が多々あります。
正確な数字は数えたことがないので、わかりませんが、かなり多くの方々から、お話を伺います。
先だっては、某社の研究開発の拠点をお邪魔させていただきました。ご対応いただいたIさん、そしてFさん、Kさん、ご同行したSさんに、この場を借りて心より感謝いたします。ありがとうございました。
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さて、現場のヒアリングを重ねておりますと、興味深い情報や表現に出会うことがあります。
今、この場で、ひとつひとつの表現をご紹介できないことは誠に残念なのですが、よく出会う、かつ印象深い現場の方々のセリフのひとつに、こうしたものがあります。
「うちは、特殊ですからね・・・」
「うちの状況は、特殊だと思うんですよ・・・」
「うちの会社は、特殊ですけどね・・・」
要するに、このセリフが口に出されるのは、現場の方々が、「今、自分たちが置かれている状況、抱えている問題・状況」は「特殊である=他社や他とは少し違う」ということをご認識なさっている場合ですね。
おそらく営業などで多くの会社を訪問なさる方も、クライアントの方から、これに類するセリフをお聞きになることは、少なくないのではないでしょうか。
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もちろん、現場とは「現在進行形」「具体性」「複雑性」「予測不可能性」「即興性」などの、5つのキーワードで彩られる場所です(小田 2010)。
そこは「現在進行形で、個別具体的な物事・出来事が進行し、その様相は複雑きわまりなく、かつ予測不可能な場所」であり、ひとつとして同じ現場は存在しません。だって、人も違うし、状況も違うんだもん。
要するに、この意味では「それぞれの組織の現場=特殊」ということになります。
しかし、一方で、複数、それも、一定数以上の多くの現場を訪問させていただいたり、現場でお話を伺っていると、
「嗚呼、ここでも、他と同じ課題に苦しんでおられるのだな」
「嗚呼、この組織の方々の抱えておられる課題は、他のA社やC社の課題とすごく似ているな」
「この規模の、この状況の職場だと、こんな状況を抱えやすいのかもしれないな」
と思うことがあります。
要するに、多くの組織や職場を縦断しておりますと「うちは特殊」という「唯一の視点」でものを見るのではなく、「一般化できる部分」がゼロではなく感じる瞬間があります。
年に数度あるわけではありませんが、「特殊な部分」と「一般的な部分」が分かれて見えてくる瞬間が、たしかにあります。
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最近、ヒアリング後、記録を整理していて、とみによく思うことがあります。
全く個人的なことで恐縮ですが、「特殊」なものを「特殊」なものとして扱うことは、どうやら、「僕がめざすべき研究のベクトル」ではないように思います。あくまで、僕は、の話です。他の人がどうかは知りません。
また、自らが現場に足を向けることなく「組織とは・・・である」的な結論を洗練された手法で導き出すこと、すなわち「完全なる一般の世界」に生きることも、また「僕がめざすべき研究のベクトル」ではないと認識し始めています。くどいようですが、他人がどうかは知りません。
僕のキャラや性格にあい、かつ、社会的な意義を感じるような、研究のあり方、研究の表現とはいかにあったらよいのか。思えば、十数年弱、そんなことを考えてきました。しかし、いまだ、答えは見つかりません。むしろ、答えなど、最初からなかったのかもしれません。
むしろ、もうこうなったら、今できることを続ける
「一般と特殊の谷を、泥臭く、彷徨(さまよい)続けてみるか」
とも思っています。
「特殊な状況で生きる方々の生の声」に目指しつつ、一般化可能な部分をいかに探すか。「一般化」したものの奥にひそむ、ドロドロとした生々しい「特殊」の声をいかに疲労か。
「特殊」の向こうに透けて見える「一般」を見る。
一般の向こうに見える「特殊」に心配りをする。
ヒアリングノートをつけるたびに目がショボショボしても、最近注目されている統計手法を学ぶことに少し疲れても、たとえそれらが回り道で時間がかかっても、特殊と一般の谷を「彷徨(ほうこう)」という表現が、「自分には合っているような気がするのです。
もしかすると「彷徨」というよりも、「漂流」かもしれません(笑)。「また、中原は、どっちつかずだよ」と、また言われそうですが。
この「一般と特殊の谷をめぐる旅」に終焉があるのかどうかは知りませんが、精神力と体の続く限り、「彷徨」を続けていきたいと感じています。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年9月 3日 06:34
本気で夢中になった出来事は、Twitterではつぶやけない!?
最近では、以前よりもあまり見られなくなってきたことのひとつに、「Twitterを使ったイベントの実況中継」があります。
今、仮に、あなたが、あるイベントやセミナーに参加しているとします。その様子をTwitterなどのソーシャルメディアを利用して、自分のフォロワーにお知らせする、あれです。僕も何度か、それを実践したことがあります。
ちょっと前のことになりますが、ある学術講演会に参加した際、「今日は体調もいいので(!?)、久しぶりに、いっちょ、あれ、やってみるか」と思って、会場に入りました。
しかし、結論からいうと、僕は、この日、このイベントを「実況中継」できませんでした。
それはなぜか?
皆さん、なぜだと思います?
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それは、その日の話題が、非常に面白く、かつ、考えさせる内容だったからです。
そこで語られる最新の研究内容を、自分事として引き受け、「自分だったら、どうするか?」を考えていたら、あっという間に、時間がたってしまいました。
つまり、「無我夢中になってしまったせいで、Twitter実況中継ができなかった」ということです。
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この出来事は、我がことながら、非常に興味深く感じました。もちろん、僕が「実況中継するスキル」を持たないわけではありません。しかし、本当に「考えていた」ときに、それはできなかった。
そして「自分が本気で夢中になった出来事は、Twitterではつぶやけないのではないか」という仮説をもつようになりました。
Twitterでつぶやくためには、まずはOn-goingで進行する出来事の中から、「何をつぶやくか」を峻別し、その場の言葉を選び取ります。
それをそのまま「つぶやいて」も、おそらくは、その場にいない「聴衆」にとっては、意味不明になってしまうこともあるので、ここで大切になってくるのが「編集行為」です。
いったんは、「聴衆(他者)の視点」にたって、メッセージの編集を行い、発信となるものと思います。
そして、ポイントがこの「他者の視点」にたつという部分です。これが「出来事への没我」と矛盾するのではないでしょうか。
すなわち「ある出来事に本気で夢中になっている状態」で、かつ「他者の視点にたつ」ということが、ややトレードオフである気がするのです。それらは、どうも別の認知的資源を必要とするように感じます。
(別な言い方をしますと、もし、仮に、あなたが「ほにゃらら会」に参加しているとします。その際、「ほにゃらら会、面白い!無我夢中!」とつぶやくことがあるのだとしたら、このつぶやき自体が、論理矛盾ではないか、ということです。なぜなら「つぶやきができる」ということ、イコール、「無我夢中ではない」ことをコノテーションしてしまうから、笑)
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今日の話は、全く検証をへていない、かつ理論もクソもへったくりもない、僕のいわば「つぶやき的妄想」です(いつもの!)。その真偽は、わたしは専門ではないので、わかりません。
また、Twitterで実況中継する行為や、それを利用した試みの価値を、毀損したいわけでもありません。「言葉を選ぶ - 編集する - 他者の立場にたって発信すること」は、今後、大切になる認知的活動のようにも思います。
実際、これまで、僕も何度も自分のイベントで、Twitterのハッシュタグを利用してきました。
しかし、「本当に夢中になっているときに、つぶやけないかもしれない」というのは、個人的には、なかなか味わい深い出来事でした。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年9月 2日 06:13