わたしは"みんな"に入るんですか? : 「就業後の飲み会」というノスタルジックなコミュニケーション戦略
ちょっと前のことになりますが、ある方から、こんな話を伺いました。
ある会社で、数十名の職場メンバーをひきいている、ある上司が、メンバー全員を集めて、いつものように朝礼をはじめた。
朝礼の最後に、なかば言い忘れたかのように、少し小さな声で、突然、職場のメンバーに、こんな提案をした。
「今日は暑いし、景気づけに、"みんな"で飲みに行こう・・・」
いつもは、自分から言い出すことはなく、若手がメンバーに声をかけているのに、この日に限って、上司自ら、職場メンバーに提案をした。
しかし、この声に、職場のメンバーは、一瞬凍り付いた。そして、ザワザワとしはじめる。
「おかしいな」と思った上司は、近くにいた若い女性メンバーを指名して、いったい、何があったのかを聞いてみた。すると、帰ってきた答えは・・・
わたしは"みんな"に入るんでしょうか?
皆さんが気になさっているのは、自分は"みんな"に入るのか、ということだと思います。
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現在の職場には、様々な雇用形態の方々がいます。
正社員、準社員、派遣社員、契約社員、嘱託職員、アルバイト・・・。性別もさまざま、場合によっては、国籍も様々です。能力も、拘束時間も、キャリア意識も、モティベーションも、組織・職場に対するコミットメントもさまざま。現在のマネジャーは、こうした「職場の多様性」をマネージ(やりくり)しなければなりません。
「みんな」に対してなされた上司の突然の「飲み会」の提案に対して、メンバーがざわついたのは、誰までが「みんな」なのかが、一様に判断できなかったからです。
職場にいる、すべからく、すべての人々が対象なのか。それとも、マネジャーといつも走り回っている正社員層だけに対して、マネジャーが語りかけたのか。朝礼の最後に、小さな声でなされた上司からの提案だっただけに、それを、上司が、いったい「誰」に「届けよう」としたのか、みながわからなくなりました。そこで生まれた問いが、
「わたしは"みんな"に入るんですか?」
という問いです。
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考えてみれば、「就業後に行われる飲み会への突然の誘い」、というもののは、「ダイバーシティが高くない職場」を前提にしていることが、よくわかります。
職場には、育児や介護をやっている人、共働きの人、短時間勤務で働く人・・・様々な人々がいます。これらの人々は「突然の誘い」には応じられないことが、少なくありません。
(ちなみに、共働き家庭のわが家も、悲しいかな、それには全く対応できません・・・)
対して、突然の誘いは、いつ誘っても、まぁまぁ、答えることができることを前提にしています。
つまりは、長時間労働を前提にしていて、かつ、誘っても断られることのない非対称な関係性、さらには組織や職場に対するコミットメントが高く確保されていなければ、「就業後に行われる飲み会への突然の誘い」を口にすることは、なかなか難しいのです。
妄想力をはたらかせていえば、「就業後に行われる飲み会」は「日本人・男性・正社員で、しかも、猛烈に働く社員」とのコミュニケーション戦略としては、非常に有効だったかもしれない、と思います。しかし、現在の職場は、それが奏功しなくなりつつあります。
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ここで間違ってはいけないことは、「就業後に行われる飲み会という名のコミュニケーション戦略」は、なかなか奏功しないことも多いのですが、一方、「コミュニケーションの必要性」自体は、「多様性あふれる職場」において、さらに重要になってきている、というアイロニーです。
多様性あふれる職場とは、「ほおっておけば、人がまとまらない、組織として機能しない場所」のことをいいます。そういう場では、なおさら、「人をまとめるためのコミュニケーション戦略」が必要になります。
つまり「飲み会」というコミュニケーション戦略は使えない。しかし、コミュニケーションは今以上に必要である、ということです。
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嗚呼、私たちは、今、就業後の飲み会以外のコミュニケーション戦略を探している途上にあるのかもしれません。
こういうお話をしますと、ノスタルジーに浸りたい気持ちもわからないわけではないですが、「職場の多様性」がさらに高まることはあっても、低まることはないだろうな、というのが、僕の個人的な見解です。
そして人生は続く。
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本日の読売新聞朝刊にて、グローバルな人材活用について、お話させていただきました。同社記者の鶴結城さんには、大変お世話になりました。心より感謝です。ありがとうございました。
投稿者 jun : 2013年8月22日 06:59