「研究会」に育てられた<わたし>、怪しい時間を取り戻せ!?
「みなさんで、研究会でも、やろうか」
「この本で、いっちょ、研究会でもやりましょうか?」
研究者同士の間では、そのような会話が、時にかわされることがあります。
「研究会とは何か?」ということになりますと、その定義は誠に広く、研究者間で合意など存在するわけもないのですが(笑)、そのまんまでは、話が1ミリも進みませんので(笑)、ここでは、さしずめ、それを
「異なる研究領域をふだんは研究しているのだけれども、共通の問題関心・テーマをもった研究者が、自発的に集まって、自由に議論する社会集団」
として、のちに、話を進めましょう。
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考えてみますと、僕の研究半生?においては、「研究会」は、自己 / 自己の研究領域の形成に非常に大きな役割を果たしていたように感じます。
学部時代には、指導教員の先生がひらく大学院レベルの「研究会」に無理矢理?、ドサクサに紛れて参加させてもらい、そこで交わされる言葉が何一つわからない経験を、たくさんしました(笑)。
ひと言でいいますと、
「あのー、何語で話してます?
日本人なんだから、日本語で話しましょうよ!」
という感じです。
もちろん、先輩研究者も、先生方も、「日本語」で議論しているのですが、そこで議論されている内容が、ほとんどわからない。たまに、議論していて、皆が「爆笑」したりするわけです。しかし、何が面白いんだか、僕ひとり、わからない(笑)。
ひとりだけ「わからない」のは、気が引けるので、みんなが「爆笑」するたびに、僕も笑うのですが、いつ「中原君、今、何が面白いのか、いってごらん」と言われ、「何もわかっていなこと」見抜かれるか、びくびくしていました(笑)。
仕方がないので、わからない言葉を、懇親会で、先生に質問したりするのですが、オチャケもはいっているので、わかるような、わからないような(笑)。
本当にわからない言葉は、ひとつひとつ書き留めて、おうちに返って、ひーこらひーこら、調べていました。
嗚呼、そんな状態の僕を受け入れて下った、当時の研究会メンバーの方々には、心より感謝しています。
また、自分でも「研究会」をたくさん主催していました。
「自分が読んでみたいと思う本で、しかし、ひとりで読むことは難しいだろうな、と感じるような難解な本」をテーマに、ひとりじゃ、寂しいので、他の学生を巻き込んで、たくさんの研究会をつくっていました。
時には、先生方にもご参加いただいたり、ご講義いただいたり、研究会終了後の懇親会にご参加いただき、カンパをいただいたり(すみません・・・ありがとうございました)
自分で研究会を立ち上げた理由は、要するに
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的発想
ですね(笑)。
この時代に読んだ本に、たとえばブルデューの「再生産」とかがあります。
その主張は、いまだにぼんやりとしかわかりませんが(笑)、それでも、ひとりで、あの難解なブルデューのセンテンスに出会い、プルプル身悶える・1行目から爆死するよりは、まだ、マシだったかもしれません。皆さん、楽しかったよねぇ、、、それにしてもわからなかったね・・・(笑)。
「およそ象徴的暴力を行使する力、すなわちさまざまな意味を押しつけ、しかも自らの力の根底にある力関係をおおい隠すことで、それらの意味を正統であるとして押しつけるにいたる力は・・・」「再生産」ブルデュー&パスロン
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ひとりで読んで、わかります?
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大学院時代 / 助手時代には、同じ志をもった研究者や大学院生を集めて、定期的に研究会を開催していました。
その様子、そこでかわされたレジュメは、すべてWebで公開し、そうこうしているうちに、参加する方々が多くなったり、仲間が増えてきました。大学をこえ、組織をこえ、なんか、最近、知り合い多くなったなと思う頃には、僕も30を超えていました。この時代にご参加頂いたみなさま、楽しい時間でしたね。
このように僕のキャリアにとって、「研究会」はまことに大きな影響を与え続けてきました。
しかし、だんだんと、年をとり、自分も「中堅」と呼ばれ始めるにつれて、「研究会」に参加することは、なかなか、難しくなっていきました。
子どもができ、週末の時間がなくなると、さらにその傾向は強まっているような気がします。ミドルキャリアを歩む方にとっては、そういうことが生じることも、また受容するべきことのように感じます。
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「研究会」に似ていて、しかし、ちょっとニュアンスの異なる会合には「研究報告会」や「学会」や「イベント」などがありますが、それならば、まだ参加したり、主催することは多々あります。
しかし、それらの会は、「できあがったもの=まとまったひとそろいの研究知見」を、他の方々に公開するためのもので、「研究会」とは、また異なるような気もします。
あくまで僕の印象にある、「研究会」とは、どこか「怪しいもの」、アングラの香り?がダバダーと漂うものなのです(笑)。平日昼間(シャバの世界)では何をしているのか、さっぱりわからない大人達が、週末や夜に集まり、議論する(すみません、皆さん、しっかりしたお仕事をお持ちの方であったと思います。当時の僕がわからなかっただけ)。
そういえば、15年くらい前の研究会は、それこそ、タバコを吸う研究者の方も少なくなかったように思います。狭い研究室で、タバコをときに吸いながら(タバコを吸うのは上の先生だけです・・・)、世間を憂い、小難しいことを議論する。
すべての「研究会」がそうではありませんが、僕にとって、研究会の最初のイメージは、そんな感じでした。
それは、
「いまだ領域の確定しない、別の言葉でいうのなら、海のものとも山のものともわからないような未開拓の領域や知見を持ち寄り、自由闊達に、楽しく怪しく議論する場」
なのかもしれません。
先日、メディア論の吉見俊哉先生(センター長、つまりは小生の上司です)とお話ししていて、日本の人文社会科学の発展にとって、「研究会」はまことに大きな影響があった、という話題がでました。そして、この場合の研究会は「Study Group」や「Research Group」という英語とは、ややニュアンスが異なると。それは、なかなか定まった「ラヴェル」を名付けることは難しい、と。
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さて、時はうつりかわって、現代。
小生、「マインドはいまだ20歳!」、何一つ賢くなった気がしないのですが、そうこうしているうちに、僕も、あっという間に年齢を重ねました。そして、今、日々の雑事に忙殺されている自分を、時折、発見します。
忙しくなれば、まっさきに失われるものは、「ラヴェルづけされない時間」「怪しい時間」です。そうした時間は、昨今の自分から急速に失われているような気がします。これではいけないのかもしれません。
研究会の時間を、取り戻したい、と思います。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年5月29日 08:24