現場の話を、現場の方々に聞く - 興味深い話がうかがえたときの3つの瞬間
今年にはいってから、いくつかの研究でビジネスパーソンの方々を対象にヒアリングを継続しています。3ヶ月で、ちょうど40名弱の方々からお話を伺えたでしょうか。
皆さんからのお話は、どれも示唆に富むものばかりで、毎回、非常に楽しみです。「現場で働いている方の話は、リアルで生々しくて、圧倒的に興味深い」みなさま、本当に、年度末・年度初めのお忙しいところ、ありがとうございます。
今日は、このヒアリングについて、少しお話しすることにしましょう。
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以前にも申し上げたかもしれませんが、ビジネスパーソンの方々から、わたしたちのヒアリングにいただける時間は1時間。
ヒアリング前後には、時候の挨拶、ラップアップの時間が必要ですので、それらをのぞくと、だいたい聞き取りにかけられる時間は45分です。しかもお忙しい皆さんは、最後の5分くらいになると、時計に目をやったり、そわそわしはじめますので(笑)、だいたい「正味の時間」は40分ともいえるでしょう。
この40分に、どれだけ話をうかがえるか。ここが勝負です。
(僕が、10年前こちらの領域にうつってきたとき、何より驚いたのが、この、厳しい時間感覚でした。相手の貴重な時間をどのように活かし、どのようなことを聞き取るか、本当にいつも考えております)
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あたりまえのことですが、ヒアリングにあたっては、僕はなるべく余計なことにしゃべらず「聞くこと」に注力します。
ヒアリングの主人公は「相手」であり「僕」ではないのです。
また、ヒアリングは必ずしも「どっかん、どっかん盛り上がる」必要はないのです(笑)。
もちろん、敢えて盛り下がる(笑)必要もないのですが、盛り上がる、盛り上がらないよりも、聞きたいことを、きちんと伺うことが何より大切です。
ですので、ヒアリングでは、敢えて自分の気配や存在感を消し、声色を下げます。相手の言ったことを繰り返したり(リピーティング)、短く要約しながら、なるべく長いひとまとまりの語りを得るように、努力します。多くの場合、40分はあっという間に過ぎてしまいます。
ヒアリングの最後では、多くの場合、「今日はいかがでしたか?」と感想をうかがい、こちらの感想をお伝えしたうえで、「どうもありがとうございました」ということになります。もう少し話を聞けたら、と思うときもありますが、時間は大切です。「時間の延長」は御願いしません。そこはきっちり、けじめをつけて、お約束した時間で終わります。
ヒアリングの最後では、答えて下さった方から、様々な感想をいただきます。感想は多岐にわたりますが、面白いことに、興味深いヒアリングができたな、と自分自身が思うときには、ヒアリング対象者の方から、3つの言葉をいただけることが多いことに気づきました。それがこちらです。
1.すみません、まとまりなく、べらべら、話してしまって
2.すいません、変な話、いたしまして・・・
3.こんな話が、本当に、お役に立ちますか?
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1「すみません、まとまりなく、べらべら、話してしまって」は、たいていご本人は、あまり抵抗感なくお話できた場合に聞かれる言葉であるような気がします。
といいますのは、ヒアリングを受ける方々は、多くの場合、最初は、かなり緊張なさっておりますし、「これから何が起こるんだろう?」「どんなこと寝掘り葉堀きかれるんだろう?」と少し身構えておられる場合が少なくありません。
特に、場合によって、人事・経営企画・経営者を経由して、僕のヒアリングに答えて下さった現場の方々の緊張感は、強いものがあります。
そういう「緊張感」をいかに弛緩させ、「まとまりなく、べらべら」という風になるぐらいに、リラックスした状況、自然体な状況にいかに持って行くか、に智慧をしぼります。
ヒアリングの前に、その会社のことを有価証券報告書などを読んで頭にいれておき、こいつわかってるな、と思って頂くこともそのひとつ。
ここで得られたデータは匿名で処理し他言はしませんよ、とお約束するのも、そのひとつ。
その方が語る経験を興味をもって、リスペクトをもって、伺うことも、そのひとつ。得られた語りを大切に記録することも、またひとつ。
まだまだ僕の能力や努力は足りているとは思えませんが、そういう様々な打ち手を重ねて、なるべく「まとまりなく、べらべらしゃべっていただける環境」を準備したいと願います。
興味深いことに、非常に示唆にとむ語りとは、体系的に、秩序だって語られることからはでてこないものです。「まとまりなく、べらべら、語られた」中に「キラリと光る発見」が含まれることが多い気がします。つまり、ヒアリングを受けられた方にとっては「拍子抜けの瞬間」というのでしょうか。
気づけばあっという間に、時間が過ぎてしまっていたような時間をいかにつくるかを、常に考えています。
ですので、ヒアリングに答えてくださる方は、「まとまりなく、べらべら」でよいのです。
「まとまりなく、べらべら」と語られたものを、意味づけ、秩序だけ、体系だてていくのは、研究者が果たすべき役割なのですから。
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2の「すいません、変な話、いたしまして・・・」の「変な話」は、たいていご本人にとって非常にパーソナルで、しかも、偏った話をしてしまった場合に聞かれる言葉です。
この場合、本人としては、とんでもなく「パーソナルな話」をしてしまって恐縮しておられるのですが、調査者としては、「それを求めている」のですから、それでよいのです。
先日、あるところでヒアリングさせていただいたときには、その方が子ども時代を過ごした渋谷の「かつての町並み」の話になりました。一見、「渋谷のかつての町並み」は、僕が行うヒアリングには関係ないと思われるかもしれません。
しかし、そうした子ども時代の生活から、今をつなげて考えてみれば、その方が
「今、発揮しておられるリーダーシップのあり方」が、決して、その方の生育歴と不連続では考えられないことに気づかされます。
くどいようですが、そうしたことを背後で計算しながら、研究者は話を進めますので、それでよいのです。
もちろん、本当に話が違う方向に飛んでいってしまうこともゼロではありません。そうした場合には、ひそかに話題を修正することを計算しますが、なかなかうまくいかない場合もありえます。
そうした場合には、「ご本人にとって、今、そのことをお話することが、どれだけクリティカルなのか」を考えます。これは研究者によっては意見がわかれるのだと思いますが、僕個人としては、「その方にとって、今、この話をなさることが大事である」ように感じた場合には、敢えて、「話題の修正」を行わず、じっと、その方の話を伺います。
場合によっては、ヒアリングは「個人のキャリア相談」のようになることもありますし、「業務相談」のようになることもあります。しかし、その場合も「話題の修正」や「場の仕切り直し」は行いません。
確かに研究者として、その「語り」はデータとして使えません。
しかし、現場と、かかわりながら研究をするとは、そういうことだ、とも思います。
現場は、研究のために存在しているわけではありません。
現場の方々は、研究のために働いているわけではありません。
そして、現場の方々の語りは「研究仮説」に準拠すべき由縁はありません。
もちろん「個人のキャリア相談」「業務相談」になったとしても、僕に「答え」があるわけではありませんし、それで現場の方々の課題が解決されることもすくないと思います。しかし、話を伺い、一緒に考えることなら可能であると思っています。
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3の「こんな話が、お役に立ちますか?」は、「インタビューを受ける方にとっては、アタリマエダのクラッカーすぎるような「ド直球」の問いが続き、常識的でいて、何の役に立つか分からないとき」に出てくる傾向があります。
たしかに、こういうときは「この方にとっては野暮な問いだな」と思って、僕も質問していることがあります。
しかし、実際にその方にとって、あまりに「常識的な問い」でも、それが他の人からみると、そうでもないことは、ままあるものです。また、私たちは「語られていないこと」をデータとして残すわけにはいきません。ですので、わかっていても、きちんとその方の言葉で語って頂く必要があります。
そういう場合には、少し「野暮な問い」かな、と思っていても、敢えて、直球で切り込んでいくときが、ままあります。
ですが、その方にとっては「常識をとう問い」であっても、非常に示唆に富むことが、実際は多いものです。例えば、かつて、OJTのヒアリングをさせていただいたとき、その方の会社にとっては30数年実践なさっていることが、実は、現代にてらしてみれば、非常に先進的な試みである、といったことがありました。
ある人の常識は、他人にとっての気づき
自分の組織における常識は、他の組織にとっての新機軸
であることは、ままあるものなのです。
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今日は、僕自身が「興味深いヒアリングができたな」と感じられるとき、相手からいただける言葉について書いてみました。
ヒアリングとは、僕のような研究の場合、どうしても必要になるものですが、できれば、ヒアリングを受けられる方にとっても、ふだんは考えないことを、ふと考えていただけるような「よい時間」を過ごして頂きたいものだな、と考えます。
僕の能力では、そこまでのヒアリングは、まだなかなかできないのですが、本当にそう思っています。
インプロ(即興劇)が大切にする価値観に「Give your partner good time!」というのがあるそうですが、ヒアリングもインプロのひとつです。
ヒアリングを通して「Give your partner good time!」的な時間を相手に過ごして頂けたとしたら、非常に嬉しいことですし、そういう時間になるよう、及ばずながら、努力していきたいものです。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年4月11日 08:38