一方向的なコミュニケーションの限界:「しかく」と「まる3つ」の簡単エクササイズを通して考える

 先日、映画「精神」を見ていたら、そこでご出演なさっていた医師・山本昌知先生が、ご自身の講演風景で、下記のようなエクササイズをしていらっしゃる様子が目にとまりました。

 簡単でシンプルなエクササイズだったのですが、「そうだよな」と妙に納得してしまったので、ここでも紹介させていただきます。非常に簡単で1分でできるエクササイズです。

  ▼

1.まず、皆さん、鉛筆と紙を用意して下さい。

2.紙に「四角(□)の図形」を書いてみてください

3.そのあとで「同じ大きさの丸(○)を3つ均等に書いてみてください

 じゃあ、それぞれ皆さん、鉛筆をもって、それぞれ描いてみてください。
 どんな図形ができがりましたか?

   ・
   ・
   ・
   ・  
   ・
   ・
   ・
   ・  
   ・
   ・
   ・
   ・  
   ・
   ・
   ・
   ・  


 皆さんは、どんなカタチになったでしょうね。
 僕の場合は、こんなんでした。

Doc-13_02_05 10_59-page-1.jpg

 まず先ほどのインストラクションを聞いたとき、僕の場合、まっさきに思い浮かんだのは、「電車」だったのですよね(笑)。皆さんは、いかがでしたでしょうか。

 映画では、このあと、山本先生が

 「これが一方向的なコミュニケーションの限界です」

 と続けます。

 一方向的なコミュニケーションでは、なかなか「伝わるようとしたことが、そのまま伝わらない」。「伝えたと思っても、自分の思い通りのものがイメージされるとは限らない」と、ご講演なさいます。
 確かに、そうですね。だから、図形がいろいろに変化するわけです。少しでも説明をゆるめてしまうと、非常に多種多様な図形がうまれることになります。
 しかし、もし仮に、この場で、「質問することが許されていたり」、ないしは「お互いに話し合うことが許されていた」としたら、おおきく事態は変わるのだと思います。

 「四角のうえに、まるをかくの? それとも下にかくの?」

 というやりとりさえ実現されていれば、また、事態は変化したのではないでしょうか。教える現場、学ぶ現場に必要な「双方向のコミュニケーション」とは、こういうことなのかな、とも思います。うーん、シンプルですが、なかなか、つかみはOKのエクササイズでした。コミュニケーションのあり方を考える、最初の一歩としては、なかなか興味深いものがありました。

(今日はこの映画の内容自体はご紹介しません。この映画は、これまでタブーとされてきた精神科の診察風景、精神科の患者さん達を取材した観察映画であり、ドキュメンタリーです。僕は、視聴後、しばらく考え込んでしまいました。また別の機会に、この映画についてはご紹介します)

  ▼

 「学びの現場」において、「一方向的なコミュニケーション」を超える努力が、ここあそこではじまっていると思います。これまでも取り組まれてかたにとっては、「今さらジロー」の話でしょうが、昨日は、そんなことを感じる日でした。

 朝方は、某社の人材開発担当者の方々のヒアリングをさせていただきました。
 この会社では、5年前に、研修をすべて自社社員だけで行うことを決め、社内講師を養成し、多くの研修を社内講師の方々にご担当いただいて回していらっしゃいます。
 会社独自にTTTプログラムを立ち上げ(Training the Trainer:トレーナー養成プログラム)、実践し、70名の社内講師をデビューさせ、さらには、半年ごとのレビューを設け、自社教育の質保証を行っています。

「私たちは、顔が見える研修(社内の人同志が教えあう)をしたいのです」
「現場の方々は、確かに知識もスキルも経験も素晴らしいものをもっているけれど、それを伝える術を知らないこともある。いわゆる一方向的な講演スタイルになってしまう。でも、ご本人たちも、それを望んでいないけれど、どうしていいかはわからない本当にもったいないのです。そこをこういうやり方もありますよ、あれもありますよ、というかたちで自分たちも一緒にかかわりながら、コンテンツをつくっていくことが、(わたしたちの仕事です)」

 とおっしゃっていたのが(一部意訳・捕捉・加筆あり)、非常に印象的でした。
 この年度末の「クソ忙しい」なか、ヒアリングにお応え頂き、まことにありがとうございました。

  ▼

 夕方には、栗田佳代子先生、重田先生、大谷さんらと、東京大学フューチャーファカルティプログラムの準備のため、某女子大学をお邪魔させていただきました(ご多用中、まことにありがとうございました。見学撮影をご許可いただきました先生、学部生のみなさまには、この場を借りて感謝いたします)。

TODAI_FUCALTY.png
東大 × 学び × 革新
これから、大学の教壇にたつ、大学院生へ
東京大学 フューチャーファカルティプログラム、始動!

「教えることを教えるプログラム」がスタートします!:大学教員をめざす大学院生向け「東京大学フューチャーファカルティプログラム」今春から開講!
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/01/post_1934.html

 この件は、ここで教鞭をとられている、素晴らしい先生の模擬講義風景を撮影させていただき、4月からはじまる、東京大学フューチャーファカルティプログラムに活かそうということで、栗田先生がおすすめになられている案件です。中原は、見学させて頂きました。

 授業は、某学問の基礎を教える内容でした。
 授業冒頭、最初、先生が冒頭で、丁寧に丁寧に、1歩1歩、基礎的概念についてお話しをなさいます。そのあとで、生徒がお隣同志で、「先生ごっこ」をおこない、今、先生が話した内容を、自分の言葉で語り直していきます。

 教えることとは、学ぶこと

 また

 教えることとは、気づくこと

 でもあります。

 わかっているはずのことが、他人に教えるということで、「わかっていなかったこと」に気づく。「曖昧だったこと」が、他人におしえることで、ハイライトしてくる。
 大学初年次の教育とは、ともすれば、大人数を「さばく」必要があるため「一方向的なコミュニケーション」になりがちですが、それを様々な制約がありながらも、少しずつ変えていらっしゃるところが印象的でした。

 ▼

 学びの場を支配する「一方向的なコミュニケーション」

 それ自体を、僕は「悪い」とか「いい」とかいうつもりはありません。伝えるべきことは、伝えなければならないし、学習者は、聞くときは聞かなければならない。それはケースバイケースであり、実践現場の判断に委ねられるべきだと、僕は思います。すべてを双方向に、すべてを一方向に、という二分法的思考をすることは、僕の本意ではありません。

 しかし、世の中はみな多忙で、学ばなければならないことは膨大です。このような状況下にあっては、ともすれば、世の中の多くの物事は「一方通行になりやすいこと」は、まず自覚的でありたいものです。
 そして、「あなたが伝えたと思っている内容」が、ときに「自分の思い通りにならないこと」を認識すること、そして、そのうえで、自分の「伝え方」のあり方を変化させていくことは、とても大切なことである、と思います。
 今日は、そんな話題でした。

 嗚呼、面白いものですね。
 最初の話題は「映画」、途中は「企業」、最後は「大学」
 みんな、つながっているんだよ

 そして人生は続く

  

投稿者 jun : 2013年2月 5日 11:04