自分のファシリテーション、ワークショップ、研修などを見直す方法
自分の「顔」は、決して、自分の目で直接見ることができるわけではありません。
あなたが、直接見ることのできないものの中で、もっともアイロニーを感じざるをえないものは、「あなた自身を象徴するもの」のひとつである「顔」であります。
多くの人々は、「自分の顔」を見るとき「鏡」を用います。そして「鏡」に映った自分を見て思うのです。
「最近、老けたな」
「最近、ちょっと、顔が丸くなってきてない」
「今日一日、わたし、ハナゲ飛び出子さんだったわ」
「あら、昼食べた焼きそばの青ノリが、歯に一日ついてたわ」と(笑)。
かくして「己」を知る。
焼きそばのノリも、ハナゲも、あまり本題とは関係ないですが(笑)
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これと同様に(!?どこが同様?)、自分自身の提供しているファシリテーション、講義、というのも、自分ではわかっているようでいて、わからないものです。
やっている自分は前にでたら「ガチ本気」ですから、それを「客体視」することは、わかっていても、なかなか難しい。
だからこそ、自分の行う「ファシリテーション」などの実態を「把握」するためには、リフレクティングミラー(あなたのあり方を映し出してくれる鏡:Reflecting Mirror)が必要です。
それは、録画された動画や音声などの「ツール」であったり、あなたのファシリテーションや、授業を見ている「他者」であったりします。
Reflecting Mirrorを通して、自己を見直す。
社会構築主義ではないですけれども、「自己」のためには、「他者」や「言語」による媒介が必要なのです。
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面白いもので、自分が前で喋っている様子 / ファシリテーションしている様子を録画されたビデオを見てみると、恐ろしく「自分が思い描いている自己のイメージ」と異なっていたりします。
プレゼンテーションしているときに、自分としては身体を動かしていないつもりでも、これが、奥さん、ちょっと聴いて(!)。ほれ、ムーミン谷の「ニョロニョロ」のように動いていたりします。こんなんだっけ? ニョロニョロって、ちょっと描いてみました。
「おら、ニョロニョロ動いているよ、あちゃー」
という感じですね(笑)。
ちなみに、僕の後輩にひとり、アカデミックプレゼンのときに身体を揺らす、愛すべき「ニョロニョロ」がいます(ゴメン、ネタにして)。
こないだ、久しぶりに学会で見たら、昔よりもあまりプレゼン中に動かなくなっていました。「ニョロニョロ」ならぬ「ニョロ」くらいにはなったかね。もう一息だね。
(ちなみに、昔、中原研では、学会発表の前に、研究室のメンバーで学会発表の練習をするとき、ビデオでとって、自分で見てもらう、ということをやっていました。自分のプレゼンを見るのは、なかなか衝撃的です)
閑話休題。
はたまた録音された音声などを見てみると、さらに「悲劇的」です。
「えーと、えーと」
と連呼している自分にモレなく気づくことができますし、
「そのファシリは無茶振りだろ! あー、ここは、あーすべきだったなぁ、失敗、失敗」
という反省点にも気づくことも可能かもしれません。
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実は、もっと「どM」な方には、ひとつ効果的だと勝手に僕が思っている方法があります。
それは、自分のやったファシリテーション、講義、ワークショップなんでも結構ですが、それを「テープ起こし(逐語録)」をすることです。
これは「苦行」以外の何者でもありません。はっきりいって「拷問」です。だいたい1時間の逐語録をとるために、たぶん5時間くらいはかかると思います。
すべての自分がしゃべったこと、そして学習者がしゃべったことを「逐語録」でおこす。そうして、もし可能だとしたら、ひとつひとつの発言事に、何らかのカテゴリーを振ってみたりするといいと思います。
そうすると、面白いことに、「あなたがつくりだした学びの機会のコミュニケーションパターン」がわかってくることがあります。
つまり、その場で、誰が、どういうやりとりをしていたのか。その場で支配的だったコミュニケーションとは、どういう特徴をもっているのかがわかります。
例えば、かつて、Mehan(ミーハン)という会話分析の研究者は、「教室の会話構造」を「I - R - E」という表現しました。
IREとは「Initiative : 発問」- 「Reply:反応」 - 「Evaluation:評価」の3項ですね。教室とか学校に支配的なコミュニケーションパターンは、この3つの連鎖から成立している、というのです。
具体的には、例えば「子どもちゃんの教室」を想像してみてください。ある教室において、先生と子どもの会話がこのように続きます。まず先生からの「発問」
先生 「・・・この状況だとバスは何時にきますか?」(Initiative : 発問)
子ども「3時です」(Reply:反応)
先生 「そうですね、よろしい」(Evaluation:評価)
これは、普通の教室では「当たり前な会話」ですし「全然違和感ない会話」ですけれども、「街で普通の人々がやりとりをしている通常の会話」と比べると、少し「変」ですね。ふつうの会話ならば、こうなるはずです。特に3つめに注目です。
街のおねーちゃん「バスは何時にきますかね?」(Initiative : 発問)
街のおにーちゃん「3時くらいです」(Reply:反応)
街のおねーちゃん「ありがとう」(Appreciation:感謝)
つまり、ふつうならば「感謝」で終えるところに「評価」がきている。「バスは何時にきますか?」と聞いて、答えてくれたのにもかかわらず、教室では最後は「感謝」ではなく「評価」で終わるのです。
先生は最初から自分が知っていることを聴いている、ということですね。そして「評価」が教室のコミュニケ-ションパターンを支配している、ということです。
もし「どM」な方が、こうした会話分析の手法 - 例えばミーハンやらの会話分析 - に着想をもって、妄想力を広げて、自分の行ったセッションの逐語録にカテゴリーをふっていったとしたら、面白いことがわかってくる場合があります。
例えば、
自分としては、「いわゆる教室的ではないコミュニケーション」をつくりたいと思っていたのに、テープ起こしをしてみると、バリバリ、IREにハマっている・・・
教えている自分としては、学習者が自ら問題を発見しているハズだったのに、実は、自分が答えを押しつけていたり、評価をしていたりする・・・
ファシリテーションの自分としては、学習者の対話を促すために、あまり喋っていなかったはずなのに、実は自分が発問と説明ばかりしている・・・
自分としては、学習者同志が自由闊達に対話をしていると思っていたのに、実は、「自分ーひとりかふたりの優秀な学習者」が話しているだけだったりする・・・
自分としては、均等に学習者に発話を促していたはずなのに、困ったときには、必ず優秀な学習者に話をふって、お茶を濁している・・・
こういう事例がわかってくるかもしれません。
コミュニケーションパターンの分析というのは、逐語録をつくらなくてはならないし、大変なんで、よほどの「どM」な人でない限りは、それほどやらないとは思うのですが、でも、もし、自分が「教える側」にたつのなら、その前には、一度はやってみると、新たな発見があるように思います。
面白いですね。
みんな、自分がわからない。
もちろん、
僕も僕がわからない。
かくして人生は続く。
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■2012/08/05 Twitter
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- 09:21 (2)「アクチュアリティ」とは、「現在ただいまの時点で途絶えることなく進行している現実」であり、「関与している人が自分自身のアクティブな行動によって対処する以外ないような現実」もともとは「Actio(アクチオー:ラテン語)」(木村 1994)
- 09:21 (1)「リアリティ」とは「私たちが勝手につくり出したり、操作したりすることのできない既成の事実」。もともとはラテン語の「Res(レース:事物)」が語源(木村 1994)
- 09:21 誰も「観客」にならないシンポジウムっていいですね。お疲れ様でした。RT @takaotakashi 後半はシンポジストたちも舞台を降りて参加者にまじり、少人数にわかれてのディスカッションにしました。友達をつくれる国際シンポジウム。 RT 高尾君、シンポジウム愉しめましたか? [in reply to takaotakashi]
投稿者 jun : 2012年8月 6日 22:52