拙著・新刊「経営学習論 - 人材育成を科学する」(東京大学出版会)、刊行のお知らせ : 人材育成 / 人材開発の基礎理論・概念をおさえる

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 9月1日、拙著「経営学習論 - 人材育成を科学する」(東京大学出版会)が、出版されることになりました。AMAZONでは、すでに「予約受付」がはじまっており、リアル書店さんでは週末には、早いところでは、書棚の方に並ぶそうです。もしお見かけの際には、どうぞ手にとっていただけると嬉しいです。

  ▼

 本書は「人材育成・人材開発の基礎理論 / 基礎概念をおさえること」を目的とした研究専門書です。専門書ですので決して平易ではないですが、ここ数十年の、この分野の研究知見を概観いただけることと思います。

 本書では「経営・組織・学習」に関係する基礎理論・基礎概念を紹介することをめざしつつ、ここ数十年の研究成果を総括しています。さらには、僕の単独研究、ないしは、僕が関与してきた共同研究など、多種多様な先行研究、実証的な調査データを紹介しつつ、企業組織における人材育成・人材開発のあり方を模索しています。学部・大学院の教科書としてもご利用いただけるとしたら、うれしいことです。

 具体的には、

「新入社員をいかに育成すればいいのか」
「いかなる経験を付与して、マネジャーを育成するのか?」
「若手社員が育つ職場とは、どのような特徴をもっているのか?」
「中途採用の社員をいかに育成するのか?」
「組織外で開催される勉強会・交流会でいかに学ぶか?」
「海外勤務における日本人マネジャーの適応と革新を促すものは何か?」

 などの人材育成の各論点について、様々な知的探究が紹介されています。

 これらの人材育成の諸課題に興味をもつ方々にお読み頂きたい一冊です。

 本書で紹介されている様々な理論・概念・データをご覧いただき、それぞれの読者の方々が、自組織にもっともフィットした人材育成のあり方を探究することにお役立ていただけるのだとしたら、これ以上、嬉しい事はありません。

 最後に、本書の「後書き」の一部をここに記します。

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あとがき

真実というものは、そんなふうに、"ただ書く"わけにはいかない。ひたすら、誰かのために、その誰かが、これによって何かを始められるように書かねばならないのだ。
(Brecht, B.)

 本書において筆者が試みたかったことは、経営と学習に関連する「未開の大地」の存在を「公の眼前」におくこと。
 また、それらの大地において日々生まれつつある、多種多様な個別の研究知見を紹介することを通して、「未開の大地のさらなる探検」へと、人々を誘うことにあった。

 本書は「人材育成・人材開発に関する新たな知」を生み出すための「ラフな地図」である。この領域は、日々、発展しており、その知見は日々更新されている。
 本書の読書の中から、「ラフな地図」を「上書き」し、色鮮やかな研究知見で「着色」してくれる、「近い将来の研究者・実践者」が現れることを、切に願う。

  ▼

 身近な人々への謝辞を述べる。
 まず第一に、本書で取り扱った様々な調査への回答をしてくださったビジネスパーソンの方々、ヒアリングに応じてくださった方々に御礼申し上げる。皆様から頂戴した貴重な時間が一冊の本にまとめることができた。心より感謝致します。
 次に、東京大学出版会編集者の木村素明さん、営業をご担当いただいた角田光隆さんには、心より感謝する。特に木村さんは今回も、筆者に伴走し、懇切丁寧な編集の技を見せてくれた。
 また、筆者が勤務する大学総合教育研究センターの重田勝介助教、阿部樹子さん、山本恵美さん、吉見俊哉センター長には、研究のみならず、様々なサポートをいただいた。心より感謝する。
 また本書に盛り込まれた様々な研究は、東京大学大学院学際情報学府・中原研究室に所属する大学院生諸兄との共同研究の成果である。適宜、筆者と知的探求をともにしてくれている大学院生諸兄にも感謝する。特に、共同研究の記述等をチェックしてくださった中原研究室の島田徳子氏、舘野泰一氏、木村充氏、関根雅泰氏に感謝する。

  ▼

 引きつづき、我が家族に謝意を伝える。
 妻には、最大の「感謝」を贈る。本書の執筆は、主に週末に行われた。妻は、家事、仕事、子育てに自ら奮闘するなか、筆者に、執筆時間を与えてくれた。本当にありがとう。
 北海道と奈良に住む筆者と妻の両親にも感謝する。この研究領域を志すようになって10年弱。彼らのサポートなしでは、我々夫婦は、子育てを行いながら、仕事をこなすことはできなかった。

 最後に、息子へ。
 否、息子と同時代を生きる「未来の大人たち」へ。
 
 本書に書かれていることは、「誰か」の問題ではない。それは、実は、「執筆者である僕自身の問題」であり、いつの日か、必ず「君たち自身」の問題にもなる。
 本書に記されている内容が、いつの日か、「君たちの問題」となったなら、その話を、僕に、聞かせて欲しい。  
 その時に備えて、僕は、研究を続けていこうと思う。

 激烈極まる市場の力、資本やマネーの力の前に、それと時に矛盾し、特に共振する「人の成長・学習」の問題に取り組むこと。さらには、企業・組織経営の裏面が人材育成であり、人材育成の裏面が企業組織経営となりうるようなあり方を模索すること。
 これら諸目的の達成のために「経営・組織の言説空間」において「圧倒的な周辺的立場」にいる筆者の「立ち位置」を活かし、その「際(キワ)」から「働く人の成長・学習」の重要性を叫び続けることが、僕の役割だと思う。
 近い将来、「僕と君たちの問題」をじっくり語ることのできる日がくることを、僕は、愉しみにしている。

 ▼
 
 かくして、またひとつの旅が終わった。
 最後に本書を締め括るにあたり、恩師の言葉を引用する。

「世界を変えうるものは、"最後に、希望のあるもの"だけだ。世界の実像を暴いて、それで、後は知らんというのでは、学習の研究者は困る。おぬしがやるべきことは、最後に"希望のあるもの"を書くことだ」

 志ある人々の
 「これから」に
 本書を贈る。

2012年4月1日
中原 淳

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■2012/08/30 Twitter

  • 17:49  予想外に、たくさんの反響をいただきました(笑)パネルディスカッションの形式に、不満を持っている人が少なくなかったのですね>パネルディスカッションのトホホ文法 : 尻切れトンボ / オレオレ質疑 / 過剰プロレス /リンダ困っちゃう http://t.co/m0LzYiaq
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■2012/08/29 Twitter

  • 13:25  ようやくゴハンにありつけた。残り6分で食べる。
  • 10:48  【ブログ更新】パネルディスカッションの5つの困った文法 : 尻切れトンボ、みんな違ってみんないい、オレオレ質疑、過剰プロレス、リンダ困っちゃう http://t.co/tuQ2I31J
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投稿者 jun : 2012年8月30日 18:17


パネルディスカッションの5つのトホホ文法 : 尻切れトンボ、みんな違ってみんないい、オレオレ質疑、過剰プロレス、リンダ困っちゃう!?

 パネルディスカッションって、そもそも「何」ですか?
 皆さん、パネルディスカッションって、「面白い」ですか?

  ▼

 最近よく思うことに、「パネルディスカッションって、そもそも、何だろう?」ってのがあります。
 別の言葉でいえば、「何があれば、パネルディスカッションなのか?」「何を失えば、パネルディスカッションではなくなってしまうのか?」これがさっぱりわからなくなっているのです。

 これに関連する問いは、実は、以前にも持ったことがあって、過去に僕はこんなことを言っています。

パネルディスカッション
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/05/post_1223.html

 上記の4年前のブログ記事では(4年前から、あんまり進歩ないねー)、グダグダと文句をたれていますが、要するに言いたいことは、僕は「パネルディスカッションというものが、あまり好きではない」のです(笑)。で、たぶん、それに不満を抱えている人も少なくないと勝手に想像する(笑)。だから「パネルディスカッションを、もう辞めにしませんか」ということです。

 なぜなら、全部とは言わないけれど、僕自身がパネルディスカッション全体で「知的にくすぐられた経験」が、あまりないから。

 誤解を避けるために言っておきますが、パネルディスカッションに参加する個々の登壇者の話には「なるほどね」と首肯してしまうお話もあるのですよ。いや、個々のお話しは、知的興奮を覚えてしまうことも多々あります。

 ただ、「パネルディスカッション全体」「場全体」としては、「面白いねー」と思ったことはあまりないのです。

 これは自分がパネラーとして登壇しているときも同じです。オファーをいただき自分で登壇していたとしても、「あー、かみ合わないな、オーディエンスの方々に申し訳ないな、カタジケナイな」と後悔することの方が多いのです。

 まー、「好き」とか「嫌い」とか言っていても、埒があかないので、一応「なんちゃって研究者」らしく、もう少し別の言葉で言い換えてみましょう。

 つまり、こういうことですね。

「パネルディスカッションという場、場のしかけ、相互作用の構成の仕方が、学びの観点から見て、優れているとは思えない」

 これだね、言いたかったことは。

 パネルディスカッションって、そろそろ、考え直しませんか?

  ▼

 繰り返して言いますが、パネルディスカッションがあまり面白いものにならない理由は、「パネルディスカッションに登壇する人の責任ではないこと」の方が多いように思います(小生、言い逃れをしているわけじゃないですよ)。

 厳しく自戒をこめていいますが、「登壇者の掲げる話題や発話」が、あまりにもクオリティが低い場合に、そうした事態も「ありうる」かもしれないけれど、多くの場合は、それが主因ではないように思うのです。

 というよりは、そもそも、パネルディスカッションというものが、「最初から話がかみ合いそうにない構成」「聴衆の心に刺さりにくい構成」によって実践されることが多いからではないでしょうか。

 言い換えるならば、一般的な「パネルディスカッションの実践・形式」が、学びの観点からすると「プア」であると言ってもいいかもしれません。

 「最初から話がかみ合いそうにない構成」ないしは「聴衆の心に刺さりにくい構成」のことを、僕は「パネルディスカッション文法」と呼んでいます。下記では、よくあるパネルディスカッション文法について説明しましょう。

  ▼

 パネルディスカッション文法には5つの形式があります。
 英語にも、そういうのあったよね、5文型だっけ。
 中学生の頃、覚えたな。

 文型1は、
「1. 聞く 2. 聞く 3.聞く 4.時間がなくなって、尻切れトンボで、帰る型」。
 
 これはわかりやすいですね。
 要するに、パネル「ディスカッション」といいつつ、登壇者のミニレクチャーないしは大放談が一方向的に続き、さらにはタイムマネジメントがうまくいかず、時間がなくなって、「えー、時間も押しておりますので、今日はこれでお開きにします」というかたちで、終わっちゃうやつです。

「おいおい、ディスカッション、どこいった?」

 って感じですね(笑)。

  ▼

 文型2は、
「1. 観点 2. 観点 3.観点 4.みんな違ってみんないい型」

 これは、パネルディスカッション全体に「イシューがない場合」に起こりがちです。
 要するに、パネルディスカッションと称して、異なる観点・学問領域・立場の登壇者の意見発表が続くが、その後で、みんなで話し合うべきイシュー(問題)が「ない」ために(あるいは設定されていない)、最後は「みんな違ってみんないい」というオチになってしまう。

 あの観点もいいよね
 この観点もいいよね
 その観点もいいよね
 そうか、みんないいんだよ
 みんな違って、みんないい
 ふむふむ、幸せ。

 いわゆる「文化相対主義」というやつですね。それぞれの「観点」の論者は、「相互不可侵」「相互不交流」である場合に、このタイプになりがちです。
「相互不可侵」で、「相互不交流」であるならば、なぜ、このクソ忙しいのに、全員で集まってパネルを行う意味があるのか、僕にはわかりません。

  ▼

 文型3は、
「1.発表 2.あさって質疑 3.発表 4.オレオレ質疑」型です

 通常、パネルディスカッションでは、会場にオープンに場を開かれます。聴衆の中には、「自由に誰もが発言できる質疑の機会は絶対にあるべき」と強固に思い込んでいる人もいて、もし質疑がないと、文句を言ってくる人もいます。経験上、これ、意外と多いです。質疑がないと、怒ってくる人。

 聴衆にはいろいろな方々がいます。同じ話を聞いても、人の感じ方・考え方は異なりますので、人がいろいろな疑問をもつことはあたりまえのことですし、それはそれぞれにリスペクトされてしかるべきです。
 ですが、そこに「場の進行を無視して、誰がどんな発言をしてもいい」という「疑似民主的な理念!?」が働いたとたん、質疑は、「脱線」というか「暴発」しまくることが多いのです。

 パネラーや司会者が

「えっ、何のことを聞いているのですか? そもそも質問の意味がわかりません」
「今頃、それを聞きますか? それ、さっき、話題が終わりましたよね」
「それって、人類の課題じゃないですか。そんなことを聞いても、答えられるわけないじゃないですか?」

 と思わずツッコミをいれたくなる「あさって方向からの質疑」が、突然投げ込まれたりします。許されるならば、こういう質問は「斜め45度の方向から便所スリッパでスコーン」とやってやりたいのですけれども、公衆の面前で、それもできません。

 あるいは、

「えー、登壇者はまことにけしからん・・・オレは昔、こんなすごいことをしていて、カクカクシカジカ(5分経過)」
「えー、そんなことは、前にオレが、研究・実践していたのであって、それを勉強した上で・・・・(5分経過)」

 という「オレオレ質疑」続くこともあります。
 「オレオレ質疑」とは、「質疑」いう名を借りた「主張」ですね。
 全然「質疑」じゃないんだ、実は(笑)。言いたいことはただひとつです。

「オレって、スゴイだろー」(笑)

  ▼

 文型4は、
「1.やらせ 2.やらせ 3.やらせ 4.やらせ 5.過剰プロレスで白ける」型です

 これは、ある意味、聴衆のことを考えて、パネラー同士が「やらせ」でケンカをふっかけたりするやつですね。僕も何度かふっかけられたことがありますし、ふっかけたこともあります。

 ある意味、パネルディスカッションには「プロレス的」な要素があって、「やらせ」も大切なのです。ですが、「やらせ」というのは「高度な演技力」と「練り込まれたストーリー」が必要なのです。つまり、問われるのは、登壇者の力量と、司会者の企画構成力が問われるのですね。

 そういうものがなく(自爆)、あまりにも過剰に「やらせ」を乱発するもんだから、かえって、聴衆が白けてしまうという現象が生まれます。

 個人的にいうと、僕は壇上で、「仕組まれた論争」なんかしたくありません。だって、バレるでしょ。僕、ヘタですし(笑)。

  ▼

 最後の文型5は、
「1.発表 2.発表 3.質疑 4.シーン 5.もうどうにも止まらない御大」型です

 要するに、パネリストの発表が続いたあとで、質疑を聴衆に等のだけれども、多くの人の前で発表するには緊張するので、誰も手をあげない。つまり会場全体が静まりかえり「シーン」となってしまう。で、安易に司会者が「切り札」に使うのが「御大:エライ人」カードです。

「質疑がないようですね。それでは、○○大先生がお越しいただいているので、・・・○○大先生にお話しをきいてみましょう・・・・」
(エライ人の話が永遠に続く・・・もうどうにも止まらない。リンダ困っちゃう・・・笑)

 というパターンですね。

 無茶ブリされる御大もちょっぴり可哀想ですが、話は堰を切ったように続きます。
 しかも、司会者の方から話を振ってしまった以上、司会者自ら、それを静止することはできません。かくして、永遠とも思える「御大トーク」が続き、時間が流れます。

 御大だって、たぶん!?、困ってるんです。突然話を振られて、でも、何とか、立場上、「まとめ」なアカンやろ(笑)。だから「オチ」が見えるまで、話をやめるわけにはいかないのです。
 この場合、御大が悪いんじゃないのです(笑)。そういうところで「御大カード」を切ってしまった方の責任ですね。

   ▼

 このように「パネルディスカッション文法」には典型的には5つの異なる形式がありますが(話半分できいてね)、実際のパネルディスカッションでは、これらが複雑に絡み合っていることは言うまでもありません。こういう文法が複雑に「とぐろ」をマキマキと巻いて、パネルディスカッションという時間が構成されるのです。

 この背景には、下記のような問題がありそうですね。

 1)タイムマネジメントの難しさ
 2)イシューの設定をきちんと行うことの準備不足
 3)場をオープンにしたときの統制不能さ
 4)演技を行うことの難しさ
 5)静止することの難しさ

 などから、パネルディスカッションという形式は、なかなか場全体として、うまく理解を促進することが難しいのだと思います。

 個人的には、「パネルディスカッションという場の構成のあり方」を、そろそろ考えなおすことがあってもいいな、と思っています。特に学習系、人材開発系、教育系の会であるならば、なおさら。

 パネルディスカッション
 そろそろ、2.0を考えるときなのかもしれませんね
 Leafningfulなパネルディスカッションを「一発」ね(笑)

 ま、こんなことで、グダグダ考えているのは、ケ●のアナの小さい小生(暇人?・・・いや、暇じゃないんですよ)だけかもしれませんが(笑)

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■2012/08/28 Twitter

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投稿者 jun : 2012年8月29日 10:42


今年の夏のプチ挑戦 : プレゼンテーションスタイルを変えてみる

 この数日、Apple社のプレゼンテーションソフト「Keynote(キーノート)」と格闘しています。

 実は、今度、学会の企画で、トークイベントがあるのですね。  
 この企画は、去年までは「シンポジウム」として、いわゆるパネルディスカッション形式で開催されていたものですが - TEDの影響もあるんでしょう - 今年は、18分のトークイベント形式にするそうです。

 ほほー、なかなか挑戦的で面白いなと感じます。

 で、不肖中原、誠にありがたいことに、登壇のオファーをいただきました。

 当日は、

「Learningful Organization :
   研究のエコシステムを創りつつ、探究する」

 というタイトルで発表させていただく予定です。
 僕が研究している「経営 × 組織 × 学習」のお話しは、時間が限られていますので、極力しません。それはまた別の機会に。

 むしろ、この機会は、僕よりも若い世代の方々に、お話ししたいと思うのです。

「新たな研究領域をどのように開拓すればよいのか。そうすると、どんな出来事が起こるのか」

 ということを。
 そういうストーリーをお話ししたいと思います。

 ▼

 で、ここからが本題なのですが、トークイベントといえば、TEDだろう・・・TEDといえば、たぶん(!?)、Microsoft社のパワポ(Power point)じゃなくてKeynoteだろう、ということで、生まれてはじめて(大げさ)Keynoteでプレゼンをつくっているのです。

 Keynoteを使ってみて、まず真っ先に悟ったのは、今、自分がやっていることは「プレゼンの道具を替えるということではない」ということです。

 そうではなくて、パワポからKeyNoteに、プレゼンテーションツールを乗り換えるということは、「自分のプレゼンのスタイルを替える」ということなのです。

 なぜか?

 それは、Keynoteで推奨されているプレゼンのレイアウトが、

「いわゆるビジネスプレゼン風の文字の小さい、そのまま資料として提出できるプレゼンテーション」

 や

「いわゆるアカデミック風の、細かいデータや数式・グラフばりばりのプレゼンテーション」

 を「拒否」するようにできているからです。

 否、本当に拒否しているかどうかは知りません(笑)。しかし、僕は、そのように感じました。「実装されている機能のレベル」で、「いかにもビジネス」「いかにもアカデミック」を「拒否」しているかのように感じられるのです。

 もちろん、Keynoteを使っても、「そのまま資料として提示できるようなプレゼン」「細かいデータや数式がバリバリ入ったプレゼン」が創れないことはない。「手間暇かけりゃできる」のです。
 しかし、自動文字調整の機能はないし、クリップアートもない。そういうプレゼンが、簡単にはつくれないようになっている(笑)。むしろ、そういうのに向いているのは、絶対的にパワーポイントですね。誠によい棲み分けだと思います。

 むしろ、Keynoteは、「プレゼンの提示内容を極力シンプルにすること」を使い手に求めているように感じるのです。

 Keynoteを使っていると、ソフトウェアから、こう話しかけられているように感じるのです。まるで誰かがのりうつったかのように・・・

「伝えたいことは、プレゼンテーションの中に文字で書き込むんじゃなくて、おまえさんの声で語りなさいよ」

 、と(笑)。
 
 つまり、そういう誰かの願いが「ツール」に込められているのですね。
 「シンプリシティの思想」が埋め込まれたツールというのかな。

 たかがツール、しかし、されどツールです。
 全く侮れないですね。

  ▼

 というわけで、今度のプレゼンでは、今までとは少し違うやり方でプレゼンテーションをしてみようと思います。

 思えば、僕のプレゼンテーションスタイルは、この10年、全く変わっていませんでした。
 そのスタイルは、先輩研究者のプレゼンをひたすら「模倣」し、それを自分なりに改善し、つくりあげたものでした。

 アカデミックなことをお話しするとき、講演などでお話しするときには、今のやり方が最もよいと思います。
 が、時には「慣性軌道を超えること=挑戦すること」も大切なことかもしれません。

 でも、ちょっとだけ、ドキドキするよね、「いつものやり方を変える」って。

 別に誰からも求められていないし、問題も起こっていないのに「自分のやり方を、自分で変える」ってのは。

 でも、「他人から求められてはじめて自分を変える」とか「問題が起こってから自分を変える」ってのは、もしかすると、挑戦するタイミングを逸しているのかもしれない。

 もちろん、初めてのことにプチ挑戦するのだから、失敗やリスクはあります。

 初めてのことなので、失敗して、「アワアワアワアワ・・・・コココココニャニャチワ、じゃなくて、コンニチハ・・・・・ナナナナ・・・ナカハラジュンです」という感じになっちゃうかもしれないね(笑)。

 まー、でも、いいよ(笑)
 ヘタ打っても、命、取られるわけじゃなし。

 慣れないKeynoteですが、全力は尽くします。
 そして人生は続く。

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■2012/08/28 Twitter

href="http://twitter.com/nakaharajun/statuses/240292221805535232">12:38  「自分が相手によって変えられるということに私が開かれているのでなければ、相手を変えたいなどと望む権利はない。」(マルティン=ブーバー)

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    ■2012/08/27 Twitter

    • 21:49  さっき帰宅、ベビーシッターさんとタッチ交代。TAKUZOはすでに寝ていた。テーブルの上には、昨日、小生とつくった紙粘土の動物に、カラフルな「色」がついてゐた。そして人生は続く。 http://t.co/McovtbT0
    • 19:25  うーむ。Webを見ていたら、パワポからKeynoteへの移行は「プレゼンソフトを替える」のではなくて、「自分のプレゼンのスタイルを替えなければならない」のかもしれない、と思えてきた。
    • 19:21  「Keynoteではじめてプレゼンをしてみようかなぁ」と思っているのですが・・・慣れるまで、時間がかかるかなぁ・・・。
    • 19:11  ダイバーシティトレーニングのレビュー論文。自己メモ> Bezrukova et al.(2012) Reviewing Diversity Training. Academy of Management http://t.co/WhslJNZ8
    • 18:55  橋本先生、ありがとうごぜーますだ(笑)。心より感謝です>RT @satoshi_hashimo 新刊「経営学習論: 人材育成を科学する」 中原淳(東京大学出版会) http://t.co/bh9mm5o3
    • 18:52  【ブログ更新】越境することによる違和感 : Management Guruという言葉。小生、今度の学会で、この10年を振り返るプレゼンをしなければならず、ちょっと昔を思い出して、書いてみました: http://t.co/klj1ppK7
    • 16:20  ぜひお越し下さい。お愉しみいただけると思います>RT @sundy おもしろそう! RT 【ブログ更新】経営学習研究所 sMALLラボ(田中潤研究室)新規企画! ドラムサークルで「人材育成」ワークショップ開催のお知らせ http://t.co/68tTzyRz  [in reply to sundy]
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    投稿者 jun : 2012年8月28日 18:37


    越境することによる違和感 : Management Guruという言葉

     僕が、「経営・組織」といった領域に、学習の観点からアプローチする研究を志してから、はやいもので、もう10年近くになろうとしています。

     はじめて口に出したのは、2002年のある研究会だったのですよね。「これから、企業と学習のことを考えたいんです」と申し上げたのは。会場は「は?」という感じで、鳩が豆鉄砲を食らったような感じでしたけど。

     これまで上梓してきたいくつかの本に書きましたが、その当時、この「越境」を行う際には、それなりの覚悟と勇気が入りました。「ルビコン河を渡る」ではないですが、「いい年ぶっこいて、河をいったん渡ったら、おいそれと、やっぱ、やめますー」ではすみませんので(笑)。

     しかし、何とかかんとか・・・この話をすると、これだけで1冊の本が書けちゃいそうですが・・・多くの実務家の方々、経営学の研究者の方々からご支援・ご助言をいただきつつ、何とか「今」に至っています。誠にありがたいことです。

      ▼

     ところで領域間の移動、すなわち「越境」とは、時に「違和感」が伴うものです。
     程度の差こそはあれ、「それまで自分が立っていたコンテキスト」とは、勝手が異なる「新たな地平」に足を踏み入れるわけですので、そこには、違和感が生じる可能性が高くなります。
     違和感自体がよいこと、とか、悪いこと、というわけではありません。程度の差はあれ、越境には心理的葛藤が随伴する可能性が高い、という、それだけのことです。

      ▼

     僕が、「経営・組織」といった領域に足を踏み入れたときにも、やはり、いくつかの考え方の違いで「違和感」がありました。

     研究の主眼がいったいどこに置かれているのか。
     組織の研究においては、何が最終のゴールなのか?
     研究の宛先は誰なのか?

     学問には、その領域ごとに、「暗黙の規範」や「研究者間の前提」が隠されているものです。僕の10年を振り返りますと、ふだん、あまり明示的に語られない、こうした事柄を、手痛い失敗を繰り返しつつ、ひとつひとつ学びながら、何とか適応をしていく過程であったように感じます。

      ▼

    「違和感」といえば、「新たな地平」で目にした「ある言葉」に、思わずのけぞってしまった経験もあります。そのひとつが「Management Guru(マネジメント・グル)」ですね。

     日本ではあまり言わないかもしれませんが、よく海外では語られたり、用いられたりする傾向があります。非常に著名な経営学者、経営実践家につけられる呼称であり、尊称ではないか、と思います。

    「Guru」とは「権威者・指導者のこと」、すなわち「教え導く人」という意味ですので、「Management Guru」とはさしずめ、「経営を導く人」という意味になりますでしょうか。そして、当時、僕は、この言葉に、ものすごく違和感を感じました。

     なぜなら、この言葉の背後には、「経営に関する答え」は「現場にいないGuru(主導者)が持っており、現場の人々は、そのGuruの教えをご託宣のように受け取ること」という知識観 / 現場観 / 研究観が存在しているように感じるからです。

    「いいや、そんな知識観 / 現場観 / 研究観なんてないよ。ただわかりやすいから使ってるだけ」

     とおっしゃるかもしれませんし、そんな言葉は皆が使っているわけじゃないのかもしれません。
     しかし、他の領域から越境してきた人が感じることというのは、そういうことなのです。

      ▼

     この問題に関して、僕の考えはどうか、といいますと、むしろ「逆の考え方」を持っている、といって差し支えないかと思います。昔から、そして、今でも、この考えが揺らいだことは、あまりありません。

     現場のことを知っているのは、現場の人
     現場を変えられるのも現場の人

     現場を外部から支援する人が為しうることは
     現場の方々の声を「聴くこと」
    「いつか別れが来ることを知りながら、協働すること」。

     そして

     現場の方々が考えたり・対話することのリソース
     になるようなデータ、思考枠組みを提示すること

     である、と。

    (「いつか別れが来ることを知りながら」という言葉は、これだけで、また、「実践と研究」に関する論文が書けちゃいそうな出来事がたくさん経験してきたのですが、ここでは掘り下げますまい。このテーマでは、何度か学会で激論を交わしたことがあります。フィールドをもつ研究分野では、答えのでない、永遠のテーマかもしれませんね)

     僕が学問的訓練を受けた分野では、1970年代は、Guruモデルといいましょうか、「研究 - 実践」「研究者 - 実務家」の間に相当非対称な関係性が想定されていましたが、1990年代以降は、こうした考え方のもとで、研究が進行していくケースが多かったように思います。

     そういう知識観、分業観のもとで、アカデミックなトレーニングを受け、みずからも、そうしたパースペクティブを獲得してのでしょう。ですので、最初に「Guru」という言葉を聞いたときは、本当に焦ったことを覚えています。

    「Guru」本人が、そう呼んでほしいというわけでなく、きっと、誰かが使い始めた言葉なのでしょうけれど、そういう言葉を見かけるというのは、極めて面白いことのように感じます。もちろん、それがいいとか悪いとかいうつもりはありません。

     今日は、この言葉への違和感を通して、越境するとは違和感を感じることなのだ、ということを言いたいだけです。
     そして、そのリアリティとは、こういう現象にあらわれる、ということです。

      ▼

     早いもので、もう10年です。
     今年僕は37歳ですので、10年前は27歳。そして次の10年が終わる頃には、47歳です。時間を大切にしなくてはなりませんね。

     実は、今度、学会でTED TALKのようなトークイベントをするそうで(今まではシンポジウムだったのですが、それをやめて、トークイベントにしたそうです)、そこのプレゼンターの末席に加えていただきました。 

     プレゼンテーションでは、この10年を振り返り、「新たな領域にアプローチするときには、どういうことが起こるのか? 結局、何をしてきたのか?」について話そうと思っています。主に、僕よりも若い人たちに向けて。

     そんな背景があり、意図的に、少し昔を思い出していました。
     そして人生は続く。

     ---

    ■2012/08/26 Twitter

    • 23:29  (3) バンクシーについて知りたいのなら、本編ではなく、特典映像を見るのがよい。本編ではなく、特典にそれを含めるのが、面白い。そういう意味でもアイロニーだらけ:http://t.co/IIvh0iwc
    • 23:28  (2) 映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」では、ビデオ撮影が趣味の男ティエリーが、バンクシーなどの有名グラフィティアーティストと出会い、自らもアーティストとして振る舞い始める:http://t.co/YWy4rLZs
    • 23:28  (1) 映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」、面白かった。この映画が自体が、たぶんグラフィティアーティストのバンクシーによって仕組まれた、「アートとは何か?」を問う、上質で鋭い皮肉を込めた作品(たぶん・・・):http://t.co/JQnPYGdL
    • 12:13  TAKUZO進級テスト合格。苦節半年。好きなあの娘まで、あと二級。隣のレーンに移れる日を夢見て。 http://t.co/uDPwfX55
    • 10:53  (3)コレクションすることで、アーティストと制作のプロセスを「分かち合いたかった」。「たくさん集めれば、アーティストの成長や変化がわかる」という言葉が印象的だった。こちらに予告編があります:http://t.co/yVQqoyeU
    • 10:52  (2)購入の決め手は「自分が気に入り、手が届く値段で、アパートに収まる作品を買うこと」。二人で働き、夫のサラリーはアートに消えた。これまでに集めた約5千点のアートは、ナショナルギャラリー他、全米の美術館に寄附した。http://t.co/5zSPtnps
    • 10:52  (1)映画「ハーブとドロシー」視聴。面白かった。ミニマルアートを中心に過去数十年にわたりコレクションしたハーブとドロシー夫妻の物語。富豪でも億万長者でもなく、慎ましい生活をする二人がいかに世界有数のコレクションを行ったのか?http://t.co/4BNlnsXS
    • 10:47  TAKUZO、プール進級テスト。昨日家族全員で、近くの公営プールに練習に行った。その成果は、いかに?
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    ■2012/08/25 Twitter

    • 23:20  【ブログ更新】経営学習研究所 sMALLラボ(田中潤研究室)新規企画! ドラムサークルで「人材育成」ワークショップ開催のお知らせ!:当日は、ドラムサークルの人材育成への可能性を体験を通して探ります: http://t.co/xmWuUuqH
    • 21:33  映画「パリ・ルーヴル美術館の秘密」、面白かった。その舞台裏には、迷宮のような地下収蔵庫が広がり、そこには作品の修復を行う専門家たち、作品の運搬を行う人々、熱いバトルを繰り広げるキュレータたちがいた。1200名の人々の仕事と職場の記録: http://t.co/A4IwnQYD
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    ■2012/08/24 Twitter

    • 23:36  スタイリスト・グレイスと編集長アナとの葛藤を描いて、VOGUEの制作プロセスとアナの魅力を語るみたいな感じですかね。「ファッションとは、常に前を見ること!」RT 同感。でも、このドキュメンタリーはグレースの話? こういう描き方いいね!: http://t.co/lrTT25XC
    • 21:31  面白かった。38歳でVOGUE編集長に就任したアナ・ウィンターの仕事を記録したドキュメンタリー。他者に完璧な仕事を求め、冷徹にボツをだす「すべてアナの感性よ。ヴォーグは、アナの雑誌。彼女が何もかも決める」映画「プラダを着た悪魔」のモデル http://t.co/lrTT25XC
    • 00:01  Sting and Stevie Wonder「How fragile we are!」(Youtube) : http://t.co/IC42p0oa
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    ■2012/08/23 Twitter

    • 17:59  私は、私の人生物語の共著者の一人に過ぎない。(Macintyre 1993)
    • 17:17  お迎え、行くど。
    • 14:13  【ブログ更新】世界最大の経営学会で「ケア」の話を聞く!? : Suffering organization(苦しむ組織)を前に、今、何ができるか?: http://t.co/ruO8SwOv
    • 13:48  アジアの大学も入っているのが興味深い。今後のマーケットの伸びを考える上でも>横浜国大、新入生1割に「集団留学」、2015年から: http://t.co/xCUiY5Kx
    • 10:19  お邪魔したかったです。後日お話をお聞かせ下さい!>昨日のLIN論番外編「人材教育」の編集者、吉峰さんと、ライターの井上さんのトークセッション。 http://t.co/vtgSFZy8
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    投稿者 jun : 2012年8月27日 18:46


    ドラムサークルで「人材育成」ワークショップ開催のお知らせ!

     人材育成・人材開発に関係する実務家の方々と研究者で立ち上げたMALL(MAnagement Learning Laboratory : 一般社団法人 経営学習研究所 : モール)から、新たなワークショップ開催のお知らせです。

     次のワークショップは

     ドラムサークルで「人材育成」ワークショップ!?

     です。理事の田中潤さんが主宰なさっている「sMALLラボ」が、企画なさっています。
     MALLらしい、少し怪しく、絶対愉しく、そして示唆に富むワークショップになると思います。ぜひご参加頂けますよう、どうぞご検討をよろしくお願いいたします。


    ==================================================
    一般社団法人経営学習研究所 sMALLラボ(田中潤研究室)企画
    ドラムサークルで「人材育成」ワークショップ 開催のお知らせ

    2012年9月30日(日)13時から17時過ぎまで
    申し込みページ:http://ow.ly/de29G
    ==================================================

    6月4日のキックオフ・イベントから3カ月強たちましたが、
    MALL(MAnagament Learning Laboratory : 経営学習研究所)
    は次々と動き出します。

    経営学習研究所
    http://mallweb.jp/

    経営学習研究所 キックオフイベント
    http://ow.ly/de2cE

    来る9月30日には、にわかに注目を浴びつつある「ドラムサークル」
    をあえてオフィスビルの地下に持って来ました。MALL史上、もっ
    とも賑やかなイベントになること間違いありません。愉しく学びの
    ある場に是非、ご参加ください。

    ドラムサークルとは、みんなが輪になって、即興的につくりあげる
    打楽器、パーカッションのアンサンブルです。

    人は太古からリズムと密接な関係を持って生きてきました。私た
    ちの心臓も一時も休まずにリズムを刻んでいます。リズムを通して、
    参加者が一体となって愉しい時間を共有できるのがドラムサークル
    です。

    このドラムサークルの要素を企業内人材育成に応用させるチャレンジ
    が始まっています。ドラムサークルのノウハウを教育研修プログラム
    に転用し、会社の会議室や研修所で実践します。

    今回のMALLでは、この分野の第一人者であるベッカー橋田さんと
    MALLががっちりとタッグを組んで場つくりをします。ドラムサークル
    を実際に体感し、これを研修向けにアレンジした「トレーニング・ビート」
    を体験します。

    その共有した体験をベースに、参加者全員で「果たしてこれは企業内
    人材育成に活用できるのか、できるとすればどんな場でどんな方法で」
    といったことを真剣に語らい考えましょう。そして、場が熱したとこ
    ろで、冷たいアルコール飲料をご用意します。最後は少しアルコールも
    入れながら、今日の体験と話し合いを踏まえて、改めて私たちの企業内
    人材育成という仕事について、思いをぶつけ合いたいと思います。

    どうぞふるってご参加頂けますと幸いです。

    一般社団法人経営学習研究所sMALLラボ
    田中 潤(たなかじゅん)

    ーーー

    ■共催
    一般社団法人経営学習研究所sMALLラボ
    株式会社内田洋行

    ※非営利型一般社団法人「経営学習研究所」、略称「モール」
    (MALL: MAnagement Learning Laboratory)とは、実務家と研
    究者による「全く新しいイニシアチブ」です。

    MALLは、経営・組織・学習に関する研究・実践の普及・振興・研究を
    行うために実務家と研究者がつくった新たな組織です。 具体的には、
    実務家と研究者の協働によって「経営」「組織」「学習」に関係する
    セミナー、シンポジウム、ワークショップを開催していきます。私たち
    は、「モール」という名前どおり、社会を「学びのショッピングモール
    (縁日)」のようにすることに貢献したいと思います。 「企業・組織
    の中の学習」を活性化することはもちろんのこと、組織外に出ても、様
    々な人々が自分の知識・専門性を高めるために、様々に集えるような
    「場」や「タネ」を仕掛けていきたいと考えています。 ほんの、ちょっ
    とだけ大げさにいいますと、「日本を学習大国にする」これが、私たち
    の「志」です。

    経営学習研究所
    http://www.mallweb.jp/

    ■協力  
    特定非営利法人楽器で笑顔基金
    株式会社ホッピービバレッジ

    ■日時
    2012年9月30日(日)13時から17時過ぎまで
    会場は12時30分を予定しています。

    ■会場
    株式会社内田洋行 東京ユビキタス協創広場CANVAS地下1階
    http://www.uchida.co.jp/company/showroom/canvas.html

    ■参加費・定員
    お一人様6000円を申し受けます。
    なお、参加は企画の性質上、限定50名までとさせていただきます。

    応募者多数の場合は抽選とさせていただきますが、本企画の趣旨に基づき、
    企業内で人材育成に取り組んでいる方、管理者としてメンバーの育成に取
    り組んでいる方を優先させていただきますのでご了承ください。

    本企画では、会場に多数の楽器持ち込んでワークショップを実施しますが、
    参加するにあたって楽器の心得はまったく必要はありませんのでご安心く
    ださい。

    ■内容(時間は目安です)

    ・イントロダクション(13:00-13:10)
     〜あらためてMALLへようこそ〜

    ・第1部(13:10-14:10)
    〜ドラム・サークルをリアルに体感しよう〜
    会社の地下フロアに様々なドラムやパーカッションを持ち込み、ベーシック
    ・リアルなドラムサークルをまずは全員で体感します。

    ベッカー橋田 HP
    http://www.uewomuite.jp/

    ドラムサークルについて
    http://dcfa.jp/

    ・第2部(14:20-15:20) 〜トレーニング・ビートを体感してみよう〜
    すでに一部の企業では実践している研修プログラム、トレーニング・ビート
    を企業内研修に取り込むことは可能か。トレーニング・ビートについて実際
    に全員で体感します。研修目的=一体感、コミュニケーションの向上、
    OJTなど。

    ☆トレーニングビートについて http://www.bos1.org/trainningbeat/

    ・第3部(15:30-16:10)
    〜これって企業内人材育成に現実として使えるのかな〜
    実際に味わった体験をベースに、目線を企業内人材育成担当者に戻します。
    果たして、これって企業内人材育成に活用できるのか、すでに取り入れて
    いる企業の事例も聞いた上で、皆で考えます。

    ・第4部(16:10-17:00頃) 〜THE UCHIAGE
    企業内人材育成について語り尽くそう〜
    最後はMALLらしく(?)アルコールを入れて、今日の打ち上げです。
    ドラムサークルを体感した上で、果たして私たちの人材育成という仕事は
    どこに向かうのか、皆で青臭くて壮大な話をしてみましょう。

    第1部〜第3部までの間の飲食物のご提供はありません(各自のペット
    ボトルの飲み物の持ち込みは可能です)。第4部は当日の打ち上げです。
    ホッピー、ソフトドリンク、軽食をご用意しています。お愉しみください。


    ■参加条件

    下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。 申し込みと同時に、
    諸条件についてはご承諾いただいているとみなさせていただきます。

    1. 本ワークショップの様子は、予告・許諾なく、写真・ビデオ撮影・
    ストリーミング配信する可能性があります。写真・動画は、経営学習研究所、
    ないしは、経営学習研究所の企画担当理事が関与するWebサイト等の広報手段
    、講演資料、書籍等に許諾なく用いられる場合があります。マスメディアに
    よる取材に対しても、許諾なく提供することがあります。参加に際しては、
    上記をご了承いただける方に限ります。

    2.欠席の際には、お手数でもその旨、 info [あっとまーく]mallweb.jp
     まで(小池)ご連絡下さい。 人数多数の場合には、繰り上げで他の方に席
    をお譲りいたします。

    3.人数多数の場合は、抽選とさせていただきます。9月6日まで にお申し
    込みをいただき、9日には抽選結果を送信させていただき ますので、あしか
    らずご了承下さい。

    4.当日の参加費用の一部を講師のベッカー橋田氏が理事長をつとめ、
    当日の運営スタッフを提供いただく「NPO法人楽器で笑顔基金」に寄付を
    させていただきます。あらかじめご了承ください。

    楽器で笑顔基金サイト
    http://egaokikin.jp/

    以上、すべての項目にご了承いただいた方は、下記のフォームよりお申
    し込みください。

    ドラムサークルで「人材育成」ワークショップ申し込みページ
    http://ow.ly/de29G

    皆様とお会いできますこと愉しみにしております!

    ==================================================

    投稿者 jun : 2012年8月25日 23:11


    世界最大の経営学会で「ケア」の話を聞く!? : Suffering organization / Workplace / Manager / Peopleを前に、今、何ができるか?

     ちょっと前のことになりますが、先日、米国で開催されてきたAcademy of Management(アメリカ経営学会)に参加してきました。

     これまで一度も参加したことのない学会でしたし、「アウェイ感」がかなり高いことが予想されましたので、話が通じなかったり、言われたことがわからなかったりしたらどうしようと思っていましたが(ブルブル)、エイどうにでもなれ、と覚悟を決めていきました(大げさ)。

     結論からいうと、取り越し苦労。「全くそんなことはなく」、久しぶりに、じっくりと、学問のことだけを考える時間を過ごすことができました。素晴らしい!

      ▼

     学会では、様々な知的刺激を受けましたし、面白い情報も得てきましたが、もっとも印象的だったのは、学会初日に行われたプレジデント(学会長)のプレゼンテーションでした。

     Anne Tsuiさんという女性のプレジデントが、プレゼンテーションのテーマに掲げたのは、なんと「Care(ケア)」でした。

     経営の学会で「Care : ケア」ですか?

     予想外の出来事に、僕はぶったまげました。
     Academy of Managementは、「世界で最も大きな経営学会のひとつ」であり、そこの会長なのだから、「利益(Profit)」の問題とか、「戦略(Strategy)」の問題とかを語るんだろう・・・プレジデントの口から最初に語られるのは、そういう「Market-Drivenなこと」なのだろうと思っていたのですが、ありゃりゃ、予想外。

     よもや人文諸科学のここ十年の中心的テーマのひとつである「ケア」が、まさか、世界最大の経営学会のプレジデントのプレゼンテーションで語られる、とは思いませんでした。

      ▼

     しかし、Tsuiさんの話を聞いていますと、そのことの背景がよくわかりました。ここで「ケア」が語られることの意味が。

     貧困、失業、広まる社会格差・・・
     飢え、資源争奪、南北問題・・・

     資本主義(Capitalism)の行き着いた果てに、今、様々な問題が生まれています。そして、その問題には、企業の経営活動も無縁ではありません。

     現代生まれている問題をひと言で申しますと、「Suffering(苦しみ)」だと、Tsuiさんはいいます。
     
     まずは軋む地球環境

     Suffering planet(苦しむ地球)

     そして、私たちの身近なところでは、

     Suffering Organization(苦しむ組織)
     Suffering Workplace(苦しむ職場)
     Suffering Manager(苦しむマネジャー)
     Suffering People(苦しむ従業員)

     が生まれてきています。

     例えば、Suffering Peopleに関していえば、全米の仕事によるストレスの損失額は、1984年が9 Billionであったものが、1999年には11 billionを突破。それから2012年には300 billionにも至っているそうです。
     
     プレジデントがこのように、Suffering(苦しみ) と Care(ケア)を学会員全員に、敢えて訴えることの背景には、こうした格差や不平等、そして苦しみをまえに、学問が、そして、企業が、経営が、何をしたらよいのか、自信を失っていることが背景にあるな、と感じました。

     もちろん企業であるから、利潤は「Primary(第一義的)」に追求されなければならない。しかし、「法律以上のことを企業はなす必要がない」とするフリードマン以降の企業のあり方として理想にされていた考え方は、今、見直されなくてはならない。
     つまり、Primaryを達成するのと同時に、Secondaryには、「ケアを中核にした経営」を見据えなければならない、というのです。

     プレジデントはさらに指摘します。

     1)経営研究は、社会に何にも関わっていない
     2)ビジネススクールは、社会にとって有害である
     3)経営研究の果てに、幸せな生活があるのかわからない

     上記のような3つの認識が、今、世界・社会の人々のあいだに急速に広がっており(ビジネススクール卒業者の犯した不正な会計操作などの事件の影響でしょう)、それに「危機感」をもたなければなrない。今、急速に広がっている、この3つの認識を、何とかしなければならない、と。

     その上で、

     Corporate Financial Performance(企業の財務業績)と、Corporate Social Performance(企業の社会に対する業績)のバランスを保つことが、長期的な視野にたつと重要なことである

     また、

     一線にいるManagerが、Compassionately(思いやりを持ちつつ)、高い倫理観をもって振る舞うことを支援する研究をしなくてはならない

     と訴えておられました。

     ▼

     プレジデントのプレゼンテーションは「演出」がやや過剰なところもあり、さすがに「ケアの概念」は、「ダメな人には、全然ダメ」だったのか、席をたっていく人もちらほらいました。

     僕個人としては、いろいろ思うところはあるものの、大旨、そのとおりだと思いましたし、自分の研究の方向性もあながち間違っていないな、と感じました。

     また、学問の内部に、その学問のあり方に対する「批判的言説」を抱えているということ。つまり、「批判理論を内部に持っている学問」というのは、僕は、学問として「健全」である思います。

     最も学問として危険なのは、その学問のあり方に対する「批判の精神」、「批評の活動」が禁じられていたり、あるいは、そのことに意識すら向かない学問だと僕は思います。

     その意味でも、プレジデントの話は、非常に興味深くうかがうことができました。

     聴くところによると、2013年の学会のテーマはCapitalism in questionだそうです。また何とか時間をつくって、来年も、学会に出かけたいな、と思っています。

     そして人生は続く

     ---

    ■2012/08/22 Twitter

    • 14:18  面白そうですね>RT @yuuhey 9月のUTalkでは 市民と医療者がフラットに対話できる場「みんくるカフェ」を主催されている孫大輔さん(東京大学医学教育国際協力研究センター講師)をお招きします。 http://t.co/iu5I1DjH  [in reply to yuuhey]
    • 08:25  スーツケースの上に、カバンを固定できるゴムベルト。買うてみた。 http://t.co/nvXQTqa4
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     ---

    ■2012/08/21 Twitter

    • 19:07  京都工芸繊維大学の仲隆介先生よりご案内ございました。面白そうですね。新しい働き方とワークプレイス。オッサニア東京もある(笑)>NEOWEEK2012 日本を元気にする境界のデザイン 2012/09/25-29 シバウラハウス http://t.co/t8EVclV7
    • 07:48  そうでしたっけ? 小生、記憶にございません(笑)@munyon74: 昨日は中原くん( @nakaharajun )に「おしゃれうっとおしい」と言えて満足なのであった。
    • 06:53  メモ>医師の手術訓練にも献体使用 ルール明確化へ学会指針(asahi)「実際の人体を使って技術を学ぶ必要性が高まっている」: http://t.co/Wuy8ephf
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     ---

    ■2012/08/20 Twitter

    • 21:53  村上先生(@munyon74)作成の「大学生研究フォーラム2012まとめサイト」(心より感謝です):http://t.co/Q9QzIOLj
    • 21:32  腰痛でモゲる、肩こりで震える、頭痛で笑う。
    • 18:00  今週は、マジ、綱渡りだな。サバイブせよ>自分
    • 13:24  よろしければぜひ>RT @WORKSIGHTJP 長岡健 × 中原淳対談 「若いうちから文化も規範も異なる"アウェー"を体験させる」WORKSIGHT http://t.co/WmgGFTVW #worksight
    • 09:52  【ブログ更新】大学生研究フォーラム2012が終わった!:グローバル時代の大学生のキャリア、能力開発: http://t.co/jmkpBw8R
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     ---

    ■2012/08/19 Twitter

    • 22:44  山田先生お疲れさまでした。お愉しみいただけたようで、嬉しいことです!RT @tsuyomickey: 中原さん、お疲れさまでした。根拠なき言説に対してデータで説明していくこと、そして大学人としての学識も大切にしつつステークホルダーに応答していくことの重要性を確認出来ました!
    • 21:50  村上先生、本日はどうもありがとうございました!RT @munyon74 お疲れ様でしたー。勉強になりました。また、よろしくです。
    • 21:21  京都駅で思わず買ってしまった「絵本」:「ルーク、おしっこか?」・・・はやくTAKUZOに逢いたい。自宅に着く頃には、もう寝顔だろうけど>「ダース・ベーダーと4歳のルーク」(えほん):http://t.co/hYyu4Xn2 http://t.co/LsJBt9NI
    • 20:30  お愉しみいただけたようで、よかったです。感謝!RT@goldenmoon0424 ハッシュタグすごい。本日の講演者兼ファシリテーターの中原先生が呼びかけておられたので初めて使ってみたら、色んな人から反応いただいた。 これがSNSなんだな...(笑)"
    • 20:28  いざ東京へGO!
    • 16:46  現在の4回目のグローバル化は、過去3回のグローバル化、すなわち「国際化」とは異なる側面をもっている。国際化と同時に、国と地域が近くなっていくこと「地球化」が進行している 吉見俊哉先生 #dkf2012
    • 16:46  グローバル化は、歴史的には4回の契機がある。1)1850-70年代 ペリー来航、2)1910-20年代 第一次世界大戦 米ソの冷戦体制が確立する、3)1950-60年代 戦後のアメリカ化、4)1990年代以降 の現在。吉見俊哉先生 #dkf2012
    • 13:23  大学生研究フォーラム開催中です。ハッシュタグは#dkf2012です。研究発表、実践報告が続きます #dkf2012
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    ■2012/08/18 Twitter

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    ■2012/08/17 Twitter

    • 22:05  (4)デューイは、昼食作りという実践的な仕事に算数(子ども達が自分でつくった道具を使って材料を計量する)、化学と物理学(燃焼のプロセスを観察する)、生物学(栄養面から見田食事と消化)、地理学(動植物の自然環境を調査する)などを組み入れた。http://t.co/06hsg4CB
    • 22:04  (3)デューイスクールでの教育は、知識は活動の副産物であるという考えに基づいていた。デューイがこだわっていたカリキュラムは / 料理だった。子ども達は昼食をつくり、給仕をした。/ 食事を用意することは、目標志向的な活動であり、社会活動であり、学校外の生活と連続している活動である。
    • 22:03  (2)彼(デューイ)は、あるひとつの理論を実際に試していたところだった。それは、彼の言うところによれば「知識の統一性」の理論だった。 / 知識は「行うこと」と不可分の統一体をなしているということだった。http://t.co/VVPGCItP
    • 22:03  (1)イデオロギーの対立である南北戦争の反省のもとに設立された、メタフィジカルクラブ。そこには、ホウムズ、ジェイムス、パース、デューイなどが集い、次第にプラグマティズムという思想を形成していく。少し意外なデューイの歴史。http://t.co/yq31Z4iD
    • 21:50  そうなんだよなぁ>「親は、ベスト盤を、子どものために、よかれと思って選んでしまう。そして、子どもの本当に聴きたい曲に限って、ベスト盤には入っていない」(重松清「小さきものへ」)
    • 21:48  重松節、刺さる>父「今から、そんなことでどうする / オレが死んだ後、オマエはどうやって一人で生きていく」:息子「わかったふりをしてほしくないね。オレがムカツクのは、わかってくれない父さんじゃない。わかったふりをしている父さんなんだ」 http://t.co/UySZlEsj
    • 17:30  ほほー RT@tomokihirano 平成24年度ワークショップリーダー人材養成研修募集のお知らせ http://t.co/Tdl1uftp
    • 17:25  土日は仕事。今週はお休みないのね。ふぅ。気合いで乗り切る!
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     ---

    ■2012/08/16 Twitter

    • 20:52  (3) 今すぐ「答え」を探さないでください。 / 今は、あなたは「問い」を生きてください。(リルケ「若き詩人への手紙」)
    • 20:52  (2) あなたの心の中の「未解決のもの」すべてに対して、忍耐をもたれることを。そうして「問い自身」を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは、非常に未知な言語で書かれた書物のように、「愛される」ことを。(リルケ「若き詩人への手紙」)
    • 20:52  (1) あなたはまだ本当にお若い。すべての物事の始まり以前にいらっしゃるのですから、わたしは、できるだけ、あなたにお願いしておきたいのです。(リルケ「若き詩人への手紙」)
    • 19:44  小川先生、情報をありがとうございます>RT @drogawa オンライン大学でも教育実習や各教科のpracticumやfield experienceとよばれる実習は必修。ただオンライン大学の学生の実習を受入れている現場からは、学生の教授力を含めた質に関し危惧する声が出ている  [in reply to drogawa]
    • 19:43  拝見させて頂きます>RT @muranori7 アメリカの教育学部勤務の小川先生@drogawaのコメントを見て下さい。RT @kakonoki: RT 驚!>RT 【エッセイ】教員養成で教育大を超えたオンライン大学 http://t.co/be7K3Jb7  [in reply to muranori7]
    • 16:46  驚!>RT 【エッセイ】教員養成で教育大を超えたオンライン大学: 合衆国教育省が、オンライン大学の教員養成が急増しており、学位授与数で最大規模の教育大学を抜いたという報告書を出しました。http://t.co/TV24lzkh
    • 12:41  ブログ更新。「モノを捨てられない」のはなぜか? : 未来を問うのか、過去を問うのか?: http://t.co/JxPuDSVu
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    投稿者 jun : 2012年8月23日 14:04


    大学生研究フォーラム2012が終わった!:グローバル時代の大学生のキャリア、能力開発

     土曜日・日曜日と、「大学生研究フォーラム2012」のため、京都大学に出張しておりました。

    jun_kyoto2012.jpg

    大学生研究フォーラム2012
    http://www.dentsu-ikueikai.or.jp/forum/2012.html

     このイベントは、全国から300名の大学教員・職員、100名の高校教員、100名の企業関係者が集まるもので、去年から、京都大学 × 東京大学 × 電通育英会の共催で開催されています。

      ▼

     今年のカンファレンスのテーマは「グローバルキャリア」でした。1990年代以降のグローバリゼーションの進行にともない、今、大学生、ひいては高校生がどのようなキャリアを築けばよいか、が課題になっています。

     シンポでは、このテーマにゆるく関連した研究発表、実践報告、パネルディスカッションなどが行われました。

     研究発表には、溝上慎一さん、と中原(東大チーム:舘野・木村・保田)が登壇しました。
     実践報告として福田公子先生(首都大学東京)、勝又美智雄先生(国際教養大)、林雅子さん(アサヒビール)にそれぞれの素晴らしい実践をご報告いただきました。
     総括パネリストには児美川孝一郎先生(法政大学)、大塚雄作先生(京都大学)、吉見俊哉先生(東京大学)、松下佳代先生(京都大学)が素晴らしいまとめをおこなってくださいました。

     東大の研究チームは、

    最近の若者は「内向き」か?
    海外就労意欲に影響を与える要因の探究

     という発表をさせていただきました。

     この研究は、京都大学の溝上慎一さんと東大中原研の共同研究によって得られたデータをもとに、東大チームによって進められていたものであり、実際の分析は、舘野君、木村君、保田さん、中原とで行いました。

     東大チームとしては、

    ・「若手内向き論」「若手内向き二極化論」とは疑わしさが残る言説であること

    ・「海外で働きたい!」という動機を高める要因(大学側の)は、正課活動への積極的な参加、「半径3メートルの異文化接触」などにあること

    ・「海外で働きたい!」という動機を高める要因(企業側の)は、国内の人材育成の成功にあること。すなわち、グローバル人材育成とは、結局、人材育成一般のことであり、何か特別なことを新たにはじめる必要はないこと。グローバル人材育成という言葉自体が、もはや死語。存立の基盤を失っていること。

    ・「海外で活躍できる日本人マネジャーの育成」に関して、今後、企業が取り組むべきは、海外勤務に至る人事プロセスを丁寧に作り込んでいくことであること

     などをデータをまじえてお話しさせていただきました。

     今回のシンポジウムでは、アサヒビール株式会社の林雅子さんに、企業の代表として、自社におけるグローバル戦略に同期した人材育成施策をお話し頂きましたが(この場を借りて誠に感謝です!)、アサヒさんのお取り組みは、私たちが、データをもって主張した種々のポイントと符合する点が多く、非常に興味深いことでした。

     いずれにしても、私たちの発表は、拙いものでしたが、お楽しみいただけたとしたら、まことに嬉しいことです。

     ▼

     すでに会場でアナウンスがありましたとおり、2013年は9月4日・5日に、東京大学で「大学生研究フォーラム」を開催させて頂くことになっています。

     5年前京都大学と電通育英会が立ち上げ発展させてきた歴史をさらに躍進させるべく、この三者共催の体制で、来年も、インスピレーションを感じることのできるシンポジウムを開催できたとしたら、うれしいことです。

     最後になりますが、本シンポジウム開催のため、様々なご支援をいただきました電通育英会、松本宏理事長、森住昌弘専務理事、里村博行事務局長、吉村さんほか、関係者のみなさまには心より感謝いたします。ありがとうございました。

     そして人生は続く

    投稿者 jun : 2012年8月20日 09:50


    「モノを捨てられない」のはなぜか? : 未来を問うのか、過去を問うのか?

     今のおうちに引っ越して、はや5年。気づけば、いろいろとモノが増えて、そろそろ「整理」をしなきゃならないね、なんて、朝方、カミサンと話していました。

     モノを「整理」するというと、簡単なようですが、これがなかなか難しい。

     特に「靴下ポイポイ男」「引出し開けっ放し野郎Aチーム」「万年シャツ出し人間」と、生まれてこのかた、多種多様なダイヴァーシティあふれる「汚名」?を頂戴してきた小生(だらしない・お片付けができない)にとって、「片付ける」というのは、チョモランマ2個分よりもハードルが高い。

     特に「いらないものを片付ける」ならまだしも、「いらないモノを捨てる」というのは、なかなか難しいのでございます。

    「これ、捨てていいのかなぁ・・・まだ使うんじゃないのかな」

     と思ってしまう。

     ▼

     少し考えてみると、モノを「捨てる」というときに、まず、問題になるのは、その「基準」です。

     つまり、「何」をもって、目の前にある、この「モノ」を捨てるのかが、重要になる。
     典型的には「未来を考えて、モノを捨てるのか」「過去をさかのぼって、モノを捨てるのか」という2つの基準によって、人はモノを捨てると思うんです。

     前者「未来を考えて、モノを捨てる」は具体的にいうと、こういうことですね。

    「このモノは、将来、使わないだろうから、この際、捨ててしまおう」

     これに対して、後者「過去を考えて、モノを捨てる」は

    「このモノは、過去1年間使っていないから、この際、捨ててしまおう」

     となりますね。

     たいていは、人は「前者の立場」、すなわち「未来を考えて」、モノを捨てようとします。
     すなわち、「将来、このモノを使うかどうか」ということを考える。そして、だから、僕も含めて、なかなか、モノが捨てられない。

     前者の立ち位置にたった場合、「なぜ、モノが捨てられないか」は、少し考えてみればわかりますね。
     
     前者の問いは「可能性を問うている」のであり、「真偽」の判定は、今を生きている「私たち」には不可能です。なぜなら、「このモノを使うか、使わないか」は、「将来」になってみないとわからないから。そのモノを使うコンテキストやニーズが生まれるかどうかは、未来になってみないと、わからないから。だから、いつまでたっても「不安」は残る。

     これとは逆に、後者の立ち位置にたった場合は、「このモノを過去1年以内に使ったかどうか」は、「真偽」がでます。使ったなら、使ったわな、です。過去1年使ってないのなら、使ってないですじゃー、ですね。
    「使った場合」には、このモノは残しておくということになりますし。「使っていない」のであれば、だから、捨てる、という具合になる。つまり、後者の問いは、確実に真偽判定ができ、そのうえで、モノを捨てるか、残すかの意志決定ができる。

     つまり、モノを捨てるときには、真偽の判定のできる「問いかけ」をもって判断して捨てないと、なかなか捨てられないということですね。これって、大発見じゃない?? アタリマエですか? ・・・・・だって、お片付け、苦手なんだもの、小生。

     ▼

     とまぁ、朝方、こんなしょーもないことを、ブツブツ言っていた。

    「わかったぞ、真偽の判定のできる"問いかけ"をもって、モノを捨てることにしよう。我々は、過去を問うのだ。未来を問うてはいけないのだよ」

     とカミサンに、僕の発見をシェアしたのですが、彼女は気のない返事で「そうねー」、と(笑)。聴いているんだか、聴いていないんだか、よくわかんない感じで、軽く流してくれました。

     そんなくだらないことだったかなぁ。。。靴下ポイポイ的には「大発見」だと思ったんだけどなぁ。だから、今までお片付け苦手だったのかなぁ。こういうことを、ぐだぐだ言っているから、片付かないのかなぁ・・・。

     そして人生は続く。
     おうち、綺麗になるといいね。

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    ■2012/08/15 Twitter

    • 08:52  深刻>アメリカ、大学の授業料値上げ、中所得層上位に大打撃「補助の多い低所得層と、まったく問題のない高所得層の間で苦しめられている」: http://t.co/w2q0yQ3f
    • 07:44  ハーバード大学・Eric Mazur先生の物理の授業、Peer instruction(テキスト読解、Webテスト回答、質疑までが事前学習。授業当日は教授が講義、出題、生徒回答、即時フィードバック、隣の人と議論、再度回答のサイクル): http://t.co/jwmEyAAe
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    ■2012/08/14 Twitter

    • 18:12  読了。アイヌの文化伝承に人生をかけた著者による書。知られざる北海道とアイヌの歴史>萱野茂「アイヌの碑」(朝日文庫): http://t.co/7L5o2Qvr
    • 14:09  おっ、この本の写真は、写真家の公文健太郎さんが撮影なさっているのですね。公文さんには、以前、「ダイアローグ 対話する組織」という本でお世話になりました。ますます楽しみだ http://t.co/XISpFfQX
    • 14:07  なんとタイムリー。今日のブログでリアル書店さんのことを書いたけれど、作家の稲泉連さんから新刊「復興の書店」をご献本いただきました(感謝)。「本は生活必需品であった」「書店というのは街の日常を担っている存在だった」という言葉が印象的 http://t.co/XISpFfQX
    • 14:01  研究室。大学、意外に、人はいます。
    • 09:08  sense of community、とても大切ですね。同感です。RT @tkanai1954 sense of communityがないと研究はつらい。クーンの科学革命の構造で、科学者集団と訳されている集団のところは、元の英語は、コミュニティですよね。  [in reply to tkanai1954]
    • 09:07  ブログ更新。今だからこそ、リアル書店の存在証明!? - 書店の消えゆく街のこと: http://t.co/SpKwm5yF
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    ■2012/08/13 Twitter

    • 17:17  RT @tatthiy: そういえばオリンピックの女子マラソンみていたときに、解説の有森さんが「ひとりにならないほうがいいですね。相手選手の近くにいてペースメイクするのが大事ですね」みたいなこと言っていた気がするけど、これって研究にも通ずるなと思った。
    • 15:37  19度から34度へ。北海道より帰京。
    • 13:25  山下さん、大変御世話になりました!RT @shtrym: 今週は、長岡健先生(@TakeruNagaoka)と中原淳先生(@nakaharajun)の対談です! RT @worksightjp http://t.co/2E4UjR8p #worksight  [in reply to shtrym]
    • 13:23  RT @worksightjp: 企業のオープン・イノベーションに必要な環境とは?[長岡健×中原淳] http://t.co/2E4UjR8p #worksight
    • 10:16  雨のため、市内中心部のデパート内にある屋内遊具施設「もりもりパーク」へ。嬉しいのは、なぜか無料なこと。 http://t.co/RUnwJbn5
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    投稿者 jun : 2012年8月16日 12:37


    「書店の消えゆく街」を増やさないために・・・

     皆さん、盆ちゃん(お盆)してますか?
     僕は、昨日まで北海道でした。
     TAKUZOと遊びつつ、久しぶりにゆっくり過ごせました。

    tonbo3.jpg

      ▼

     ちょっと夏休みとは異なる話題なのですが、今日は「本屋さん」のお話しです。

     といいますのは、先日、ほんとうに短い期間でしたが、米国・ボストンを訪れました。ここで得た、様々な知的刺激は、また別の機会でお話しするとして、その他のことでもっとも印象的だったことのひとつに、「街の本屋さんが少なくなっている」というのがありました。

     会議のスキマ時間に街を歩きます。そうすると、自分がかつて通っていた本屋さんがなくなって、廃墟になっているのです。

     僕が留学していたのは2004年。それから8年たった街には、僕がかつて通っていた本屋さんは、どこもかしこも、跡形もなく消えていました。

     残っていたのは、ハーバードスクエアにあるブックストアと、ハーバード・MITのクープくらいでしょうか。それとて、品揃えは日本の本屋でいえば、中堅程度のもの。それほど本の種類が多いわけではありません。

     米国ボストンは、「石を投げれば博士にあたる」といわれるほど、アカデミックな土地柄です。そんな場所なのに、この現状は、本当にびっくりしてしまいます。

    (米国のマクロなデータとかは見ていません。上記の話は、僕が通っていた大型本屋さんがなくなっていた、という話です。)

     ▼

     帰国後、こんなニュースを見ました。

    増える 書店ゼロの街
    http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081290070300.html

     おそらく米国とは違った事情で、日本でも、この動向は進行しているのでしょうか。書店が消えていく現状は、この国でも、他人事ではなくなっているのでしょうか。自分の中で、あまりに話題がシンクロしていただけに、ちょっとびっくりしました。

     ▼
     
     僕は典型的な「活字中毒」です。どこに行くのも、「便所で小をするとき」ですら(笑)、活字から離れることはできません。

     リアル書店は、最近は2週間に一度くらい、ブラブラします。園芸のコーナーから、医学のコーナーまで、すべての書架をブラブラ回って、本を買います。

     これがいいんだ、最高なんだ。
     そこに、いろんな「発見」があるのです。

    「おっ、この分野でも、こんなものが流行ってきているのか」

     とか

    「なにー、この分野では、この用語をこんな風に使っているのか」

     とか

    「まだ、こっちの分野では、あの考え方が導入されていないんだな・・・しめしめ」

     という具合にね。

    「リアル本屋」さんには、ぜひ、個性溢れる店作りをしていただき、頑張って頂きたいな、と思います。

     ネットが台頭してくる時代だからこそ、リアル書店のレゾンデートル(存在証明)をきっちり確保できる、店作りが求められており、かつ、今多くの書店さんで、そのような取り組みがなされているのでしょうね。
     シロウト丸出しの勝手気ままな意見で恐縮なのですが、リアル書店は、地域の知識創造基盤やコミュニティを形成していくことに貢献することが求められているような気がします。

     いずれにしても「リアル書店さん」には大変お世話になっております。個人的には、応援したいな、と思っています。

    (ちなみに、書店によって「書棚」には個性があるように感じます。本の並べ方ひとつで、「知性を感じる書棚」と「単に本を並べただけの書棚」というのがあるように思うのです。書棚の背後に、「書店員さんの知性や売る気を感じる書店」と「そうでない書店」というのかな。「あっ、この本のとなりに、一見別の分野に分類されているはずの、この本を置くとは! おぬし、できるな」「なぬ、このタイミングで、このフェアを打つとは! おぬし、やるな」みたいな感じです。でも、そういう本屋さんでは、経験上、「素敵な本との出会い」「意外な本の発見」にぶち当たる可能性が高くなります)

     ---

    追伸.
     小生、昨日まで北海道におりました
     温泉に入ったり、森で昆虫採集をしたり、花火をしたり、遊園地にいったり。

    tombosan.png

     あっという間の出来事です。明日から仕事を頑張ります。
     嗚呼、休みの時間ってのは、ほんと、短く感じるよねぇ。
     瞬きもせず、休日、過ぎゆく。

    tonbo1.jpg

     ---

    ■2012/08/13 Twitter

    • 17:17  RT @tatthiy: そういえばオリンピックの女子マラソンみていたときに、解説の有森さんが「ひとりにならないほうがいいですね。相手選手の近くにいてペースメイクするのが大事ですね」みたいなこと言っていた気がするけど、これって研究にも通ずるなと思った。
    • 15:37  19度から34度へ。北海道より帰京。
    • 13:25  山下さん、大変御世話になりました!RT @shtrym: 今週は、長岡健先生(@TakeruNagaoka)と中原淳先生(@nakaharajun)の対談です! RT @worksightjp http://t.co/2E4UjR8p #worksight  [in reply to shtrym]
    • 13:23  RT @worksightjp: 企業のオープン・イノベーションに必要な環境とは?[長岡健×中原淳] http://t.co/2E4UjR8p #worksight
    • 10:16  雨のため、市内中心部のデパート内にある屋内遊具施設「もりもりパーク」へ。嬉しいのは、なぜか無料なこと。 http://t.co/RUnwJbn5
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    ■2012/08/12 Twitter

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    ■2012/08/10 Twitter

    • 16:07  北海道、20度。しばし休息。 http://t.co/R96xkeux
    • 09:08  そんな将来を楽しみにしたいですね>RT @0401ruffy 今日戦った選手がいずれは指導者になり、今日感動を受けた世代に全てを継承していくのですね RT 女子サッカー、いい試合でした。この映像を見た「若い世代」が、また、将来のオリンピックを夢見るんだろうなぁ。  [in reply to 0401ruffy]
    • 06:26  (2)撮影ブースを買いたくなった。光がよく回るらしい。しかし、デカくないか。うーん、悩ましい>http://t.co/JizZgiUx
    • 06:26  (1)なるほど。こう撮れば、たしかに美味しそうだ>「料理・スイーツの撮り方きほんBOOK」http://t.co/mHqnm4tE
    • 05:39  いい試合でした。お疲れ様でした。この映像を見た「若い世代」が、また、将来のオリンピックを夢見るんだろうなぁ。世代継承性、次への期待。
    • 04:52  目が覚めました。そのまま女子サッカー決勝。
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     ---

    ■2012/08/09 Twitter

    • 22:31  うーむ、深刻だ。この1年、歯のトラブルが続いているだけに、小生、歯のことには人ごとではいられません>危機にひんするアメリカの歯科医療: http://t.co/Ri0I5zA4
    • 21:48  「子どもの教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、"人生が楽しい"ということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることである」(永井均)
    • 21:43  (3)実際に問題に当たる実践家は、ここで選択しなければならない。高地にとどまって、「厳密性をもった巧みなやり方」で、相対的に「重要ではない問題」をとくのか?それとも、重要な問題が存在する沼沢まで下がって、あまり「厳密ではない方法」で「問題」を解くのか?(Schon 1987)
    • 21:43  (2)「沼沢の多い低地の問題」では「技術的な解法」は否定される。皮肉なことに「高地での問題」は、それが「技術的にいかに興味深い」としても、個人や社会にとっては重要ではないという傾向があり、逆に人々の大きな関心を集める問題は「低地の沼沢地帯」に存在する。(Schon 1987)
    • 21:42  (1)専門家としてどのように生きるのか? はたまた第三の道を創るのか? Schon(1987)の問いに対してどう答えうるか? 沼沢に生きるか? それとも 高地に生きるか?
    • 07:30  いろんな色が出る鉛筆。なかなか、よい。 http://t.co/FKo2FhWg
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     ---

    ■2012/08/08 Twitter

    • 21:08  ばかものよ>自分:ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて/ 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 / 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ (茨木のり子)
    • 15:07  (2)アメリカのTeachingの歴史を短くざくっとまとめた2章は、なかなか勉強になりました。ProfessionalismかDeregulationか、教え手が揺れているという指摘は同感。数年前から僕も同じことを妄想してました。http://t.co/qAblG74v
    • 15:06  (1)2030年のTeachingがどうなるか?という本を読みました。人々は、何のために、どう学ぶ? 教え手はどうなる? メディアはどうなる? 未来予想ですから、それを承知したうえで読み解くリテラシーがいりますが。http://t.co/Ge9ZXViI
    • 15:04  「イノベーションを生み出す×40代-50代ミドルの再挑戦・再学習・働きがい」:9月21日午後6時 経営学習研究所ラーニングイベントのご案内を中原研メルマガにて差し上げました。どうぞふるってご応募いただけますようお願いいたします。 http://t.co/PoGIG2Gw
    • 00:18  ラーニングスタイリストが何たるかを、ぜひ、今後の実践を通して、創りあげてください!RT @makimuramaho 先生は名付け親なので北野武と氷川きよしみたいな関係です笑 RT 祝HP開設 http://t.co/mOcRpdYx http://t.co/V0zDyjLO
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    ■2012/08/07 Twitter

    • 08:28  コーチングの養成でも逐語録を起こすんですね >RT @cool_coach コーチングセッションの逐語録を/起こした/意味を改めて確認 >自分のファシリテーション、ワークショップ、研修などを見直す方法: http://t.co/ZBNIEWe1  [in reply to cool_coach]
    • 04:21  Community is built through an engaged management that cares, not through heroic leadership that cures.(Mintzberg, H.)
    • 03:47  今年の教育工学会(長崎大学)でも、自称・若手研究者の飲み会をするそうです。学会にはじめての方でも愉しく参加できると思います。どうぞご参加をご検討ください。 http://t.co/P7jEu4KS
    • 00:51  Organization is the community of human beings, not the collection of human resources (Mintzberg, H.)
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     ---

    ■2012/08/06 Twitter

    • 23:20  【ブログ更新】自分のファシリテーション、ワークショップ、研修などを見直す方法: http://t.co/ZBNIEWe1
    • 21:06  チェック。組織社会化のハンドブック>The oxford handbook of organizational socialization : http://t.co/inNqIGcz
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     ---

    ■2012/08/05 Twitter

    • 19:14  【ブログ更新】「背中を見て学ぶしかないもの」をいかにして他者に「伝えること」ができるのか?: http://t.co/lq7gnXjn
    • 09:52  先日はお疲れ様でした!祝HP開設!RT @makimuramaho 事務局+場づくりをお手伝いしたイベントの報告。報告編→ http://t.co/mOcRpdYx 場づくり裏話編はこちら http://t.co/V0zDyjLO  [in reply to makimuramaho]
    • 09:50  いいね!「ていねいな時間」という言葉もいいね>RT @makimuramaho いよいよ今日!夏の時間をていねいに過ごすために、浴衣着るよ RT @tokyo0630 和菓子づくりとアイスティーで夏の一服。『 #ていねいな時間』WS http://t.co/HRaFEHOO  [in reply to makimuramaho]
    • 09:45  面白そうだね>RT @tatthiyさんのブログ「野外フェスのような学会」を実施しました! Unlaboratory #プチ学会(三田の家): http://t.co/VIOtloqG
    • 09:30  !>学習塾「年額200万円」も登場 送迎・食事付き。学習塾大手、高所得層向け特別教室に力をいれはじめる: http://t.co/4IwSbocN
    • 09:22  (3)リアリティもアクチュアリティも、日本語にすれば同じ「現実」ではあるけれど、二つは異なる。「リアリティを見たいのか、それともアクチュアリティを見たいのか」
    • 09:21  (2)「アクチュアリティ」とは、「現在ただいまの時点で途絶えることなく進行している現実」であり、「関与している人が自分自身のアクティブな行動によって対処する以外ないような現実」もともとは「Actio(アクチオー:ラテン語)」(木村 1994)
    • 09:21  (1)「リアリティ」とは「私たちが勝手につくり出したり、操作したりすることのできない既成の事実」。もともとはラテン語の「Res(レース:事物)」が語源(木村 1994)
    • 09:21  誰も「観客」にならないシンポジウムっていいですね。お疲れ様でした。RT @takaotakashi 後半はシンポジストたちも舞台を降りて参加者にまじり、少人数にわかれてのディスカッションにしました。友達をつくれる国際シンポジウム。 RT 高尾君、シンポジウム愉しめましたか?  [in reply to takaotakashi]
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    投稿者 jun : 2012年8月14日 09:01


    自分のファシリテーション、ワークショップ、研修などを見直す方法

     自分の「顔」は、決して、自分の目で直接見ることができるわけではありません。

     あなたが、直接見ることのできないものの中で、もっともアイロニーを感じざるをえないものは、「あなた自身を象徴するもの」のひとつである「顔」であります。

     多くの人々は、「自分の顔」を見るとき「鏡」を用います。そして「鏡」に映った自分を見て思うのです。

    「最近、老けたな」
    「最近、ちょっと、顔が丸くなってきてない」
    「今日一日、わたし、ハナゲ飛び出子さんだったわ」
    「あら、昼食べた焼きそばの青ノリが、歯に一日ついてたわ」と(笑)。

     かくして「己」を知る。
     焼きそばのノリも、ハナゲも、あまり本題とは関係ないですが(笑)

      ▼

     これと同様に(!?どこが同様?)、自分自身の提供しているファシリテーション、講義、というのも、自分ではわかっているようでいて、わからないものです。

     やっている自分は前にでたら「ガチ本気」ですから、それを「客体視」することは、わかっていても、なかなか難しい。

     だからこそ、自分の行う「ファシリテーション」などの実態を「把握」するためには、リフレクティングミラー(あなたのあり方を映し出してくれる鏡:Reflecting Mirror)が必要です。
     それは、録画された動画や音声などの「ツール」であったり、あなたのファシリテーションや、授業を見ている「他者」であったりします。

     Reflecting Mirrorを通して、自己を見直す。

     社会構築主義ではないですけれども、「自己」のためには、「他者」や「言語」による媒介が必要なのです。

     ▼

     面白いもので、自分が前で喋っている様子 / ファシリテーションしている様子を録画されたビデオを見てみると、恐ろしく「自分が思い描いている自己のイメージ」と異なっていたりします。

     プレゼンテーションしているときに、自分としては身体を動かしていないつもりでも、これが、奥さん、ちょっと聴いて(!)。ほれ、ムーミン谷の「ニョロニョロ」のように動いていたりします。こんなんだっけ? ニョロニョロって、ちょっと描いてみました。

    Doc-12_08_06 7_28-page-1.jpg

    「おら、ニョロニョロ動いているよ、あちゃー」

     という感じですね(笑)。

     ちなみに、僕の後輩にひとり、アカデミックプレゼンのときに身体を揺らす、愛すべき「ニョロニョロ」がいます(ゴメン、ネタにして)。
     こないだ、久しぶりに学会で見たら、昔よりもあまりプレゼン中に動かなくなっていました。「ニョロニョロ」ならぬ「ニョロ」くらいにはなったかね。もう一息だね。

    (ちなみに、昔、中原研では、学会発表の前に、研究室のメンバーで学会発表の練習をするとき、ビデオでとって、自分で見てもらう、ということをやっていました。自分のプレゼンを見るのは、なかなか衝撃的です)

     閑話休題。

     はたまた録音された音声などを見てみると、さらに「悲劇的」です。

    「えーと、えーと」

     と連呼している自分にモレなく気づくことができますし、

    「そのファシリは無茶振りだろ! あー、ここは、あーすべきだったなぁ、失敗、失敗」

     という反省点にも気づくことも可能かもしれません。

     ▼

     実は、もっと「どM」な方には、ひとつ効果的だと勝手に僕が思っている方法があります。

     それは、自分のやったファシリテーション、講義、ワークショップなんでも結構ですが、それを「テープ起こし(逐語録)」をすることです。
     これは「苦行」以外の何者でもありません。はっきりいって「拷問」です。だいたい1時間の逐語録をとるために、たぶん5時間くらいはかかると思います。

     すべての自分がしゃべったこと、そして学習者がしゃべったことを「逐語録」でおこす。そうして、もし可能だとしたら、ひとつひとつの発言事に、何らかのカテゴリーを振ってみたりするといいと思います。

     そうすると、面白いことに、「あなたがつくりだした学びの機会のコミュニケーションパターン」がわかってくることがあります。

     つまり、その場で、誰が、どういうやりとりをしていたのか。その場で支配的だったコミュニケーションとは、どういう特徴をもっているのかがわかります。

     例えば、かつて、Mehan(ミーハン)という会話分析の研究者は、「教室の会話構造」を「I - R - E」という表現しました。

     IREとは「Initiative : 発問」- 「Reply:反応」 - 「Evaluation:評価」の3項ですね。教室とか学校に支配的なコミュニケーションパターンは、この3つの連鎖から成立している、というのです。

     具体的には、例えば「子どもちゃんの教室」を想像してみてください。ある教室において、先生と子どもの会話がこのように続きます。まず先生からの「発問」

    先生 「・・・この状況だとバスは何時にきますか?」(Initiative : 発問)
    子ども「3時です」(Reply:反応)
    先生 「そうですね、よろしい」(Evaluation:評価)

     これは、普通の教室では「当たり前な会話」ですし「全然違和感ない会話」ですけれども、「街で普通の人々がやりとりをしている通常の会話」と比べると、少し「変」ですね。ふつうの会話ならば、こうなるはずです。特に3つめに注目です。

    街のおねーちゃん「バスは何時にきますかね?」(Initiative : 発問)
    街のおにーちゃん「3時くらいです」(Reply:反応)
    街のおねーちゃん「ありがとう」(Appreciation:感謝)

     つまり、ふつうならば「感謝」で終えるところに「評価」がきている。「バスは何時にきますか?」と聞いて、答えてくれたのにもかかわらず、教室では最後は「感謝」ではなく「評価」で終わるのです。
     先生は最初から自分が知っていることを聴いている、ということですね。そして「評価」が教室のコミュニケ-ションパターンを支配している、ということです。

     もし「どM」な方が、こうした会話分析の手法 - 例えばミーハンやらの会話分析 - に着想をもって、妄想力を広げて、自分の行ったセッションの逐語録にカテゴリーをふっていったとしたら、面白いことがわかってくる場合があります。

     例えば、

     自分としては、「いわゆる教室的ではないコミュニケーション」をつくりたいと思っていたのに、テープ起こしをしてみると、バリバリ、IREにハマっている・・・

     教えている自分としては、学習者が自ら問題を発見しているハズだったのに、実は、自分が答えを押しつけていたり、評価をしていたりする・・・

     ファシリテーションの自分としては、学習者の対話を促すために、あまり喋っていなかったはずなのに、実は自分が発問と説明ばかりしている・・・

     自分としては、学習者同志が自由闊達に対話をしていると思っていたのに、実は、「自分ーひとりかふたりの優秀な学習者」が話しているだけだったりする・・・

     自分としては、均等に学習者に発話を促していたはずなのに、困ったときには、必ず優秀な学習者に話をふって、お茶を濁している・・・

     こういう事例がわかってくるかもしれません。
     
     コミュニケーションパターンの分析というのは、逐語録をつくらなくてはならないし、大変なんで、よほどの「どM」な人でない限りは、それほどやらないとは思うのですが、でも、もし、自分が「教える側」にたつのなら、その前には、一度はやってみると、新たな発見があるように思います。

     面白いですね。

     みんな、自分がわからない。
     もちろん、
     僕も僕がわからない。

     かくして人生は続く。

      ---

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    投稿者 jun : 2012年8月 6日 22:52


    「背中を見て学ぶしかないもの」をいかにして他者に「伝えること」ができるのか?

    「ものごとは、背中を見て学ぶしかないよ」
    「それは、暗黙知だから、つたわんないよ」
    「身体で覚えるしかないね」

     私たちの世の中は、「言葉によって伝えられないもの」「分割して伝えられそうにないもの」「同じ釜のメシを食べて伝えるしか方法がなさそうなもの」に満ちています。

     そうしたものは、いかに後世に「伝える」ことができるのか? 上記のように、「それは背中を見て学ぶしかないよ」という諦観のみにとどまっていてよいのか、それとも他に方法があるのか。

     このことを考えるひとつのきっかけとして、非常に興味深い論考を読みました。西平直先生の「臨床の知と書物の知」という論考です。

     この論考において、西平先生は、

    「能楽者・世阿弥が、風姿花伝を書いたのはなぜなのか?」

    「能楽は身体を通じて伝承されるべきことは百も承知であったはずなのに、観阿弥はなぜ、風姿花伝を書いたのか」

     というリサーチクエスチョンを考察しています。「風姿花伝」は言うまでもなく、能楽の奥義を記した秘伝の書ですね。

    西平直(2010) 「臨床の知」と「書物の知」 - 世阿弥「伝書」からの問い. 矢野智司・桑原知子(編)「臨床の知」. 創元社 pp17-33


     非常に興味深い問いです。

     世阿弥は、誰のために何の目的で
     書いたんだろう・・・

      ▼

     下記、紙幅の都合で、この論考の最たる主張と思われる部分(他にも様々な可能性が探究されています)を、同論考を一部引用のうえ、要約させてもらいますと、このようになるでしょうか。

     世阿弥が書いた理由、それは「(自らが)身をもって受けついだ身体感覚だけが独り歩きすること(同書p30)」を避けるためであったのではないか。
    「(身体感覚)だけが権威と成って固定してしまうことの危惧(同書p30)」を感じて、弟子達の身体感覚を「異化」するしかけとして、敢えて、文字を書き起こしたのではないか、と西平先生は考察しています。

     世阿弥は、能楽の本質は言葉や文字によって伝わらないことなどを「百も承知」であった。そんなことは「自明」である。むしろ、それを「前提」にしていたからこそ、敢えて書いた。

     曰く、

    (しかし)伝書を相伝するのは、身内の「その場を共にした」者たちである。わざわざ言葉で伝えずとも、既に身体を通して伝わっている。そうした者たちに対して、世阿弥は、敢えて文字によって、理念を突きつけたのではないか。

    からだの感覚を絶対化させてはいけない。「からだでわかっているつもり」になってはいけない。つまり、世阿弥は「からだでわかった」つもりの後継者たちに、問いを突きつけた。

    それによって、からだの感覚を意識化し、対象化する。正確には意識することもできれば、しないこともできるという二重性を求める。

    後継者たちが「自らのからだの感覚」と「文字として突きつけられた理念」との間にズレを感じ、そのズレに駆られて探究を進める。それを願ったのではないか。
    (同書p30より引用)

     
     つまり、こういうことでしょう。

     共時性、すなわち、弟子達と自分が、同じ場所で厳しい訓練を行い、長い相互作用の果てに、技を伝承せざるをえないからこそ、その経験や身体感覚を絶対化させず、「常に自己のあり方・自分の技を問いなおすきっかけ」を与えるために、敢えて、世阿弥は花伝書を著したということです。

     経験や身体感覚といったものは、曰く言い難い、いわゆる「臨床の知」であるがゆえに、つねに絶対化・教条化・固定化と隣り合わせです。

    「臨床の知」とは、哲学者の中村雄二郎さんが1990年代初頭に提案した知のあり方で、1)コスモロジー、2)シンボリズム、3)パフォーマンスの3つの特性によって成立するとされています。

    1)コスモロジーとは、「今、ここ」といった場所・空間が意味をもつといった立場のこと

    2)シンボリズムとは、物事の意味とは一義に決まらず、多義的・多角的であるとする考え方

    3)パフォーマンスとは、人々がパトス(受苦)を感じたり、他者と相互作用を行ったりすること、のことです。

     こうした「知」は、客観的に分析・記述不可能で、言葉のかたちになりにくいものであるからこそ、そこに敢えて「書くこと」を侵入させる。そのことで、技の伝承をはかったのかもしれませんね。

     ▼

     くどいようですが、世の中には「言葉にして伝えられないもの」に満ちています。いいえ、そればっかりだといっても過言ではないかもしれません。

     後世に伝えるべき貴重なもの、大切なものは、いつも「言葉」ではすくい取れないものであったりすることが多いものです。

     しかし、そのとき、わたしたちは、言葉と、いかにつきあうか。
     
     現場からいったん離れ、内省を行い、この言葉では伝えられないことに諦観を感じつつも、それでも、言葉を紡ごうとするのか、否か。

     本書同論考を読んで、世阿弥の執念らしきものを感じましたし、また、「後世に伝える」って、そういうことだよな、と思いました。

    世阿弥が後世に伝えたものは、「ワザそのもの」というよりは、「自己を問うことのきっかけ」であった、ということですね。そして、それを行うためには、自ら時に舞台を降りて、独り、自己のあり方を内省し、それを言葉に紡ぐ必要があったということかもしれませんね。

    「上がるは三十四、五までのころ、下がるは四十以来なり。・・・このころは、過ぎしかたをも覚え、また行く先の手立てをも悟る時分なり」

    (世阿弥「風姿花伝」 第一条 年来稽古)

      ---

    ■2012/08/05 Twitter

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    ■2012/08/04 Twitter

    • 23:22  ブログ更新。学びの四面体モデル -「他人に教える前」に考えておきたい4つのポイント: http://t.co/Sjrso498
    • 10:41  「創造性とは飽きる力である」(谷川俊太郎)
    • 10:01  日本も取り上げられていますね> ダーリングハモンドさん「国際的な競争力をつくるには」: http://t.co/juwxer0D
    • 09:51  (3)事態は深刻ですが、考えさせられます。現場の先生方の声>ジョージルーカス教育財団 EduTopia 「公立学校のターンアラウンド」:http://t.co/JjgAlkg5
    • 09:51  (2)キーになるのは「映像のプロ」との連携ですかね>ジョージルーカス教育財団「Flipped Classrooms:反転授業」:http://t.co/9pPEnnu3 http://t.co/cdY0rVEr
    • 09:51  (1)近い将来、日本に「世界の学びの今」を伝えるメディアを創りたいですね。僕は創りたいよ>ジョージルーカス教育財団「シンガポール21世紀の教育」:http://t.co/4MUMqcSb
    • 09:18  高尾君、シンポジウム、愉しめましたか?RT @takaotakashi 飛行機の中で、中原淳『知がめぐり、人がつながる場のデザイン』をあらためて読む。明日のシンポジウムをどうしよっか考えちゃいます。 http://t.co/GDrKTrdb  [in reply to takaotakashi]
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    投稿者 jun : 2012年8月 5日 19:09


    学びの四面体モデル:「他人に教える前」に考えておきたい4つの要素

    「他人に何かを教えなきゃならなくなったんだけど、どのように風に、他人を教えたらよいのか、さっぱりわからない。まず最初に考えるための、きっかけが欲しい」

     こういう悩みをお持ちの方、いらっしゃるかもしれませんね。
     例えば、ある日突然、上司に呼ばれてね。

     ちょっと社内で新人に講師をしてくれないか?
     ちょっと社外で顧客を相手にセミナーをしてくれないか?

     とかね(笑)。
     そういうのは突然やってくるんだ、ふってわいたように。

      ▼

     もしそういう方がいらっしゃるのだとしたら、少しだけ参考になるモデルがあります(Brasnford et al 2005, Darling-Hammond et al 2009)。

     いわゆる「学びの四面体モデル」と呼ばれているモデルで、「教えるときの戦略」をたてるときに、ちょっぴり使えるものです。「答え」を出してくれるわけではありません。「考えるヒント」を提供してくれるものです。

     四面体・・・確か、こんなんだったな。
     ごめんなさい、うまくかけません、四面体に見えますか?(泣)。

    shimentai_model.png

     このモデルが含意することは、要するに「学びのあり方≒教えのあり方」というのは、主に、「4つの要素」で、ある程度は、決まってしまいますよ。
     だから、教えることの戦略をたてるときには、この4つを考えてみて下さいねー、ということですね。
     もちろん、細かいことをいえば、このほかにいろいろ原則はありますよ。でも「20面体?」とかつくっても、誰も使えないでしょ。ていうか、僕、書けないよ。というわけで、特に重要なのは4つということですね。

      ▼

     ストラテジーをたてるときに考慮にいれるべきひとつめの要素は、1)Nature of Content(学ぶべき内容の性質)です。これはそのものズバリ。どんな内容を学ぶのかですね。それはどのような性質の知識なのか。難しいのか、優しいのか。構造化されているのか、そうでないのか。
     テキストなのか、それとも音声なのか、それは数字なのか、図なのか - こうしたModalityの問題も、この中に入ります。

     ふたつめは2)Criterial Taskです。
     これは少しややこしい。
     要するに、「学んだことがどのように評価されるのか?」ということです。
     たとえば、「あなたが教えたあとで、学習者が、その内容を記憶できていればOKなのか(単純なテストをするのか)」、それとも、「何かの行動を生み出したり、問題解決ができなければならないのか(実際に何かを実演させるのか)」ということですね。つまり「学ぶゴール」を先に知っておく必要があるということです。

     みっつめは、3)Activity of Teaching and Learning。
     これはいわゆる教え方ですね。レクチャー形式なのか、シミュレーションを行うのか、ワークショップスタイルにするのかなどなど。いろんなヴァリエーションをレパートリーとして持っていた方が、やはり有利でしょう。

     最後は4)Charasterics of the Learner(学習者の性質)です。学習者の性質といっても、「あいつはイケメンだ」とか「なんか、あの人、優しそう」とか、いろいろ腐るほどあると思うのですが、特に重要なのは、どんな先行知識(すでにもっている経験や知識)をもっているか、です。このことをしっかり把握することが、とても大切です。

     こう言ってしまうと身も蓋もないですが、

     どんな人に対しても、
     どんな状況でも使える、
     唯一万能な「教え方」はない!

     ということですね。

     このモデルが(密かに)たぶん言いたいことは、そういうことで、4つの要素を考慮にいれて、ストラテジーをつくらなきゃならないよね、ということですね。

     個人的に、特に重要で見落としがちと思うのは、2)と4)だと思います。

     つまり、

    「教えたあとで、結局、どういう風になっていて欲しいのか」
    「教えた内容は、どのように評価されるのか」

     そして、

    「そもそも学習者は、何を知っていて、何を知らない人なのか?」「学習者は、これまで、関連する経験をしたことがあるのか、ないのか」

     ですね。これらを見落としてしまうと、意外に「痛いこと」が多いような気がします。

     というわけで、「結局、自分で考えなければならない」のですが(笑)、でも、最初の思考のとっかかりには使えるモデルだなぁ、と思います。

     ---

    ■2012/08/03 Twitter

    • 10:11  「教えることの大半は、"聴くこと"にあるのです」(Deborah=Meier)
    • 09:55  (3)学びの質向上のためには、教える側の「絶えざる資質向上の努力」が必要なことを改めて再認識。やっぱりそうだよね。学校だけじゃないと思います>http://t.co/AWWvHNgd
    • 09:55  (2)貧困層・低所得者の集まる地域に、資格をもたない・トレーニングを受けてない教員が多数採用されていることが、教育格差・不平等の再生産を生み出す>http://t.co/QDY9Ix2O
    • 09:55  (1)スタンフォード大・Darling-Hammond(ダーリンハモンド)さんの本が面白かった。学力低迷を続けるアメリカの教育を立て直すためには、教員の資質向上が必要なことを実証データを示して解説>http://t.co/EZWu44x9
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    ■2012/08/02 Twitter

    • 06:19  分散するメンバーをいかにネットワークするか>「場所を越えて社員同士、社員と会社がつながる」エンジニア派遣のVSN、全社的にChatterを活用(IT PRO): http://t.co/miIHGNdC
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    ■2012/08/01 Twitter

    • 22:21  「現場」とは何か、その5つの性質:1)現在進行形、2)予測不可能性、3)即興性、4)具体性、5)複雑性(小田 2010)
    • 08:11  10年次研修、愉しんでいただけたようで嬉しいことです。お疲れ様でした!http://t.co/UyyNBp6R RT @Natsunako5: 今年度、/ 10年次研修に参加しています。先日は楽し~い演習をありがとうございました!
    • 06:36  青山学院大学大学院・社会情報学研究科 HIコース、中原の集中講義を今年受講なさる皆さんは、文献の購読は進んでいらっしゃるだろうか。あと1ヶ月くらいですね。愉しみにしています。
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    ■2012/07/31 Twitter

    • 18:23  ほほー>「人が作ったゲームで遊ぶよりも、自分で何かを作って公開するものづくりのほうが楽しい」:アプリ開発私塾に小学生(日経) http://t.co/pVvIG0E0
    • 14:52  ぜひお越し下さい!RT @kabu_rie ど真ん中!行きたい! RT 「イノベーションを生み出す×40代-50代ミドルの再挑戦・働きがい」:9月21日(金)経営学習研究所イベント(中原がプロデュース)開催! http://t.co/WXQF5TuX"  [in reply to kabu_rie]
    • 14:41  朝から会議漬け。さっき、ようやく便所に行けたよ(泣)。
    • 09:52  アブダクション=仮説的飛躍(Abductive leap):我々が直接観察したものとは違う種類の何ものか、そして、我々にとってしばしば直接に観察したものとは違う種類の何ものかを仮定する(米盛裕二「アブダクション」)
    • 09:52  「帰納は観察データに基づいて一般化を行う推論であり、これに対し、アブダクションとは観察データを説明するための仮説を形成する推論」(米盛裕二「アブダクション - 仮説と発見」)
    • 09:51  ブログ更新。「イノベーションを生み出す×40代-50代ミドルの再挑戦・再学習・働きがい」:9月21日(金)午後6時 経営学習研究所ラーニングイベント(中原がプロデュースします)を開催します! http://t.co/WXQF5TuX
    • 08:34  暑い!保育園に送ってきただけで、汗だくですな。もうすでに、ひとっ風呂あびたいわ。
    • 06:59  「日本=フジヤマ」というステレオタイプをもつ外国の方がいまだいらっしゃるのだとしたら、私たちのアラブにどんなイメージをもっているのか? メディアによって増幅されたアラブのイメージを問う。面白かったです>森美・アラブエキスプレス展 http://t.co/bHzBuxtk
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     ---

    ■2012/07/30 Twitter

    • 08:06  ブログ更新。教員の10年次研修を終えて:サーベイフィードバック、表現、そして対話を中核にして: http://t.co/AHo1Llka
    • 06:58  自己メモ>日本の大学・大学院などへの留学生は2010年に約11万人と00年比で倍増。しかし国内で就職したのは約6600人、米リーマン・ショック前の07年をピークに3割減少(日経)
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    投稿者 jun : 2012年8月 4日 23:11