Twitter縁側論!? : Twitterを喩えるとすれば「何」になりますか?

 昨日は「NHKクローズアップ現代」でTwitterの特集だったようですね。残念ながら僕はTAKUZOと遊んでいたため(トミカの本を読んでいた)、見ることはできなかったのですが(笑)、どんな番組だったのでしょうか。また、どなたか教えてくださいね。

 それにしても、僕を含めて、Twitterをやる人は「Twitterについて語ること」「Twitterについて語られること」が好きですね。これだけ自己言及的で、自己陶酔的なオルタナティブメディアも、あまり例を知りません。

 Twitterをやる人は、Twitterを語ること、Twitterを語られること、Twitterを語り直されることで、いったい、何を「確認」し、どのような「意味付与」「アイデンティティ形成」をしているのでしょうか。

 このあたり、研究として、非常に面白そうですよね。

 思うに、Twitterを、きちんとした人文社会科学のコンテキストから論じた骨太の研究って、あまり目にした事はありません(僕は専門ではないので詳しくはないですが)。

 どなたか、ぜひ、あなたの研究にいかがですか?
 
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 ところで、ちょっと理由があって、「Twitterをやることとは、一体、僕にとってどのようなことなのか」を考えています。

「そんなの、バカ、つぶやきに決まってるんだろ」

 と言われそうですが、僕が言いたいことは、そういうことじゃありませんよ(笑)。

 そうじゃなくて、「他ならぬ僕にとって、Twitterをやることは、どういう社会的意味をもっているか」ということです。できれば、これを考えるための思考の手がかりとして、下記に示すような「メタファ」をつくりたい。

 つまり、

 僕にとって、Twitterとは「     」のようなものである
 なぜなら「             」のようなものだからだ

 というようなメタファを完成したいのです。

 ここで押さえるべきは、このメタファは「僕にとって」というところです。「一般」について語ることは、敢えて志向しません。それはそれぞれの方が、それぞれにやってください。

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 いよいよ問題設定が終わったところで、本論です。大学院入試期間なので、あまり時間がありませんので(笑)、思い切り、はしょりますけれど。

 一言でいえば、他ならぬ「僕」にとっての「Twitter」とは、結局、「縁側」のようなものなのかな、と思いました(笑)。先ほどの文章を活用して、一言でいってしまえば、こういうことです。

 僕にとって、Twitterとは「縁側」のようなものである

 なぜなら、僕の研究や社会的活動に興味関心のある人たち、志のある人たちが、ぶらりとのぞき、立ち寄り、時には出会う場であることを願っているから

 以下、それを説明しましょう。

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「縁側」というメタファには、いくつかの重要なポイントがあります。

 第一に、人々が、それぞれの日々の忙しさに追われながら、

「今日は誰かいないかな、中原は何かやっていないかな」

 とぶらりと覗くことができるということ。
 国籍、組織の境はなく、ふらりと垣間見ることができる、いつきても、いつ出て行ってもという意味において、その場は「無境界性」を有している、といえるのかもしれません。

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 第二に、縁側では、時には、人が議論をしていたり、無駄話をしていたりしている、ということ。運がよければ「大切なものに出会える」ということ。

 ここで大切なのは「時には」「運がよければ」というところです。縁側には、「必ず」あなたが求める人が人がいて、あなたの求める議論を「必ず」していたりするわけではない。

 人には、出会えるかもしれないし、出会えないかもしれない。時には、仕事に疲れた僕が、ボケーっと口を開けて、プスプスと燃え尽きているだけかもしれない(笑)。もごもごと、意味のないことを、つぶやいているだけかもしれない。でも、それでいいんです。

 でも、一方、時にはこれだ!と思えるような「一言」、こんな人に出会いたかった!、と思えるような人に「出会える」かもしれない。何かに「触発」されちゃうかもしれないし、一気に他人と意気投合して、「共振」しちゃうかもしれない。

 この「偶発性」、そして、ほんの偶然に裏打ちされた「共振性」「触発性」がめざすべきものです。
 別の言葉で言いあらわすならば、こうもいえます。
 それは、「何もない可能性が高い」という意味において、それは「ニヒリズムに裏打ちされたメディア」であり、同時に「もしかすると、何かが、起こるかもしれない」という意味において「希望のメディア」でもあるという二重性をもっているのです。

 もちろん、そこにはリスクがないわけじゃない。
 たまに変な人がうろついていたり(泣)、縁側においていたものがなくなっちゃうこともあるかもしれない(泣)。「偶発性」「共振性」「触発性」、あるいは「ニヒリズムに基づいた希望のメディア」には、その種のリスクが常につきまとうものなのかもしれません。

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 第三に、縁側での会話や出会いには「終わり」がない。

 そりゃ、みなさん、生けとし生きるものである以上、いつかは「息絶えて」しまいますが(笑)、でも、Twitterでの会話は、達成するべき何かをなしとげてしまえば終わり、という話ではありません。

 それは、興味関心が続く人がいる限りにおいて、また、縁側を開放しておく人が、諒解している限りにおいて、続くということなのかな、と思うのですね。人が出入りし、誰かが来ては去り、誰かが去っては来る。この「更新性」がポイントなのかな、と思います。

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 今日、僕は敢えてTwitterを「縁側」に喩えました。でも、このメタファに完全に満足しているわけではありません。もしかすると、今日、新たなメタファをひらめいちゃうかもしれないですね。だといいけどね。
 実は、ひとつ満足していないのは、僕のTwitterが「縁側」ならば、僕は、そこで何をしているか、ということ。お茶だしてる? ひなたぼっこ? つぶやき? そのあたりが、どうもまだしっくりきていません。

 でも、まぁ、今のところ、僕にとっては、何となくそういうものなのかな、と思うのです。あなたの場合はいかがでしょうか。
 
 あなたにとって、Twitterとは、どのようなものですか?
 あなたは、Twitterをどのように喩えますか?
 そして、それは、なぜですか?

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■2010年8月31日 中原のTwitterタイムライン

  • 23:28  RT @tkanai1954 フランス語のアンファンテリブル・おそるべきこどもたちは、2歳より上のイメージですか。RT Terrible two, horrible three... 魔の2歳児、3歳の反抗期を、英語ではこういうらしい...TAKUZO、反抗期だったんだ
  • 21:37  共感できます、その気持ち(泣) RT @takukanba: 育児に悩んでいるお母さんが、「魔の2歳児だから・・・しょうがないかあ」と自分に言い聞かせている姿、よく拝見します。 RT Terrible two, horrible three... 魔の2歳児、3歳の反抗期
  • 21:35  苦笑 RT @TKeicho: そんな幼児が二人いると Double Trouble だったりする。RT Terrible two, horrible three...魔の2歳児、3歳の反抗期を英語ではこういうらしい...TAKUZO、反抗期だったんだ
  • 20:20  Terrible two, horrible three... 魔の2歳児、3歳の反抗期を、英語ではこういうらしい...TAKUZO、反抗期だったんだ、、、
  • 15:26  RT @hari_nezumi 広告小学校(電通):小学生のための「コミュニケーション力」育成プログラム  http://bit.ly/beULWU  [in reply to hari_nezumi]
  • 15:14  Knowing that(内容知)とKnowing how(方法知)を定式化したのは、ライル(1987)。それを敷衍し拡大した概念がポラニーの暗黙知(Tacit knowledge)と形式知。最近は物語知という言葉も生まれているなぁ・・・。
  • 15:06  長岡先生(@Takerunagaoka)と電話で密談。また面白いことを企画中。長岡先生のところのイブニングダイアログのWebが充実しているのに驚いた。産能攻めてるなぁ。サードプレイスの舞台裏の記事が面白い。 http://ow.ly/2x8E9
  • 14:52  温泉で学びたい!:有馬温泉で「ゆけむり大学」 4大学とコラボ、50講義:神戸市北区の有馬温泉で30日、関西の四つの大学と有馬温泉観光協会の初の共同事業、イベントの企画・運営には学生スタッフ約150人が携わる(ASAHI): http://ow.ly/2x8s1
  • 08:07  RT @sayuritamaki 博報堂は、エスノグラフィ(人類学的方法による人間・社会の洞察)を活用して、生活者発想による企業イノベーションを支援するコンサルティング専門チーム、「ETHNOVISION」を発足 RT http://ow.ly/2x1wg  [in reply to sayuritamaki]
  • 08:02  「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を 伝える時を持とう. そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を後悔しないだろうからRT @AkikoSugaya: 「最後だとわかっていたなら」http://bit.ly/OmaTR
  • 05:19  大学とソーシャルネットワークサービス、米国アイビーリーグの動向:College-Only Social Network Debuts in the Ivy League(クロニクル) http://ow.ly/2wXv0
  • 04:57  ソーシャルジャーナリスト:ローカルな情報をキュレーションしつつ発信し、特定オーディエンスとの関係と信頼を築き、IT技術を駆使して、コミュニティを維持するRT @sayuritamaki "明日のジャーナリストがもつべき8つの特徴"  http://ow.ly/2wWO4
  • 04:48  日本の大学教育制度と比較して読むと興味深い。RT @shinkeguri @yuuhey サンデル教授は見事。授業として持続的に展開するためにはそれを支えるシステムが重要。ハーバード白熱教室の裏側:ハーバードの一般教養の授業 http://ow.ly/2wLzM  [in reply to shinkeguri]
  • 04:42  文科省:概算要求4.3%増の5兆8348億円 : 国立大学の基盤的経費となる国立大学の運営費交付金は04年度以降の年1%前後の削減傾向を転換、2.8%増の1兆1909億円を要求(毎日) http://ow.ly/2wWgm
  • 04:39  むむむ、アイスバーとは面白そう、冬はどうするのかな? トロピカルバー?:バーカウンターやテーブルなど店内のほとんどが氷でできた「アイスバー東京」が人気を集めている(ASAHI) http://ow.ly/2wW8h
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■2010年8月30日 中原のTwitterタイムライン

  • 22:56  明日の放送に期待しましょうRT @takukanba: 感覚や価値観の違いをどうやって乗り越えてやっていくかというのが気になりますね。 RT @gaia_yokoku: 明日放送。"ゆとり世代"を鍛えろ! 2010年8月31日 http://bit.ly/bsKlGr
  • 22:42  ゆとり世代というカテゴリーについての私見については、リクルートWorks誌に、下記のような記事をまとめていただきました(PDF: http://ow.ly/2wHtc) RT @gaia_yokoku: 明日放送。"ゆとり世代"を鍛えろ! http://bit.ly/bsKlGr
  • 21:57  RT @gaia_yokoku: 明日放送。"ゆとり世代"を鍛えろ! 2010年8月31日 http://bit.ly/bsKlGr
  • 10:37  その通りですね。教員の部活動の負担は非常に重いですね@askoma 保護者は無償でも教員の負担は激増。 RT @ZAN01020: 日本のブカツはそれを無償にしてるわけですな。// RT 英国の親の3分の2は放課後クラブに経済的負担を感じるhttp://ow.ly/2wsFY  [in reply to askoma]
  • 09:47  RT @ZAN01020: 日本のブカツはそれを無償にしてるわけですな。// RT 教育負担:英国の親の3分の2は放課後クラブに子どもをやることに経済的負担を感じている(BBC) http://ow.ly/2wsFY
  • 07:24  マルチタッチなどのインタフェースの良さ:福祉分野へ活用広がり 携帯端末アプリ(産経) http://ow.ly/2wsNS : ipadで「ありがとう」 米在住の主婦が自閉症の会話支援アプリを開発 : http://ow.ly/2wsNZ
  • 07:21  基金化は若手AとかBかな?:科学研究費基金化方針、繰り越し自由に:基金の形にして、通常の単年度予算の束縛から解き放つ。来年度はまず2割程度を基金化する方向で、財務省と協議に入る。若手研究者向けの研究費などが対象。(読売) http://ow.ly/2wsLv
  • 07:17  1)後者は前者を「置換」するのか、「補完」するのか・・・:社会保障「保護型」から「参加型」へ 厚労白書提唱:お金やサービスを一方的に給付する「消費型・保護型」から、労働市場や地域社会、家事への参加を促す「参加型」へ(ASAHI) http://ow.ly/2wsHi
  • 07:12  教育負担:英国の親の3分の2は放課後クラブに子どもをやることに経済的負担を感じている(BBC) http://ow.ly/2wsFY
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投稿者 jun : 2010年9月 1日 08:31