ゆび筆がいよいよ発売されるそうです!
「ゆび筆」が、いよいよ、明日4月1日から、発売になるようです。
ゆび筆
http://yubifude.com/
ゆび筆は、奈良の書道用品メーカー「墨運堂」が開発した「新しい筆」です。「指先」にはめて字を書いたり絵を描いたりできる「筆」ですね。僕も先日、あるところで、使ってみました。そのときのビデオを、NAKAHARA-LAB.TV(Youtube)にアップロードしてきました。
書き味はなめらか。するすると、気持ちよく、自分の描きたいものを描くことができました。後日、愚息TAKUZOにも使わせると、3歳児でも使えましたよ。ワールドカフェなどのワークショップにも使えるかもしれません。
今度は、何かのワークショップ、授業などで使ってみたいと思っています。
投稿者 jun : 2010年3月31日 19:26
変わる新人研修のあり方
先日、あるところで、ある方々と「今年の新人研修は、どのような傾向があるか」というディスカッションをしました。話は、いろいろな方向に飛びましたが、非常に興味深かったことがありました。それは「今年の新人研修は、内製化比率がさらに高まっているが、それは不況だけが原因である、というわけではない」という話です。
ここでいう「内製化」とは、「企業が研修を外部の企業にアウトソーシングせずに、自前で準備すること」をさします。「内製化比率が高まる」とは「現場の部課長自らが教壇にたち、新人を相手に、より自社にあった内容を教える比率が高まっていること」をさします。こうした変化は、かつて「不況」が理由で起こる、という風に言われていました。要するに、「研修発注費を押さえること」を目的として内製化をすすめるべし、ということです。
もちろん、企業経営がすこし持ち直してきたとはいえ、以前厳しい状態が続いておりますので、そうした動きは、いまもなお歴然と存在しています。しかし、同時に、新人研修の内容を「より実践的にしたい」というニーズ「も」背景にあるのではないか、というお話でした。
一般的なルール、一般的な仕事のやりかたを、外部の人が教えるのではなく、「その会社・組織に特化した、実践的な内容を、内部の人々の語りによって、伝えよう」とする努力のようにも思われます。
「この会社」の「あの職場」において、「自分」は「この仕事」をしているのか。自分は、「この会社」で、「どんな仕事」をして、一人前になってきたのか。そういう「状況依存」で「実践的」な語りが、「コンテンツ」になるのでしょうか。
僕としては、こうした動きは、非常に望ましいものであると思います。願わくば、教壇に立たれる方に、ほんのすこしだけ「教える原理、学びの科学」を学んでもらって、ぜひ、インタラクティブな「場」をつくっていただきたい、と思いました。
「自分の経験」や「自分の仕事」を一方向的に「伝達」するのではなく、ぜひ、双方向の場にして、新人の語りにも耳を傾けていただきたい、と願います。つまり、「インタラクション」の重要性を、今一度、認識していただけると、非常によい場になると思います。
先ほど、僕は、「状況依存で、実践的な語り」が「コンテンツ」である、と書きました。しかし、これは正しくないかもしれません。状況依存で、実践的な語りとは、すなわち、「インタラクション」です。
「インタラクション」こそが「コンテンツ」である。
僕が新人研修であるならば、そのような場を、期待してしまうのは贅沢なことでしょうか。
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「実践性」というキーワードは、新人研修の他のところにもあらわれているようです。一緒に仕事をしている、雑誌「人材教育」の吉峰さんによりますと、今年の新人研修の人気は「シミュレーション」にあるとおっしゃっていました。
従来は、名刺交換、挨拶の仕方などのスキル練習を、一方向的に講師が説明し、個別に演習していたそうですが、それらを複合的にシミュレーションさせる、ということが試みられようとしているようです。
昨今の新人は、個別のスキル動作になると器用にこなすことができるのだけれども、実際の職場に配属されると、「個別の動作」だけが求められるわけではありません(これは昨今の新人だけにあてはまることではなく、人間とはそういうものです)。当然のことですが、その「文脈」や「場の流れ」に応じて、個別スキルを複合的に組み合わせて、振る舞うことが求められます。これに関する「シミュレーション」機会を、新人研修においても導入しようという動きが高まっているとのことです。
あるいは、研修を終えた新人を、職場のメンター、上司が引き続き、見守る体制も、今年の新人研修では、次第に広まってきているようです。研修で学んだことを意識して、仕事をさせるということですね。別の言葉でいうならば、OFF-JTとOJTを組み合わせたハイブリッドラーニングを志向する企業が増えている、とのことでした。
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厳しい採用プロセスをへて、企業にたどり着いた「新人」を、いかに「会社」「職場」に迎えるのか。その「あり方」が微妙に変わってきているところがある、というお話は、非常に望ましいことであると感じました。こうした変化は、「教育の原理、学びの科学」にてらしても、理のかなうものだとおもいます。
もちろん、ここで述べた内容は、日本企業全体を代表するようなデータではなく、あくまで、僕が最近見聞きした範囲の情報です。しかし、こうした内容が、様々な場所でシンクロして語られるようになってきていることは、「変化の兆し」が生まれてきていることを感じさせます。
(しかし、本当の変化は、これからだと思います。まず、日本の大学を卒業した留学生の採用比率が高まるのではないでしょうか。元留学生たちがいかに日本の会社に組織社会化されるのか、という問題は、僕の研究室のD2の島田徳子さんが熱心な研究をなさっています。新人研修の多言語化という問題も起こってくるかもしれません。
長期的には、新卒一括大量採用という雇用慣行に見直しがはいるのではないでしょうか。おそらく、そのときが、本当の正念場でしょう・・・)
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あなたの会社・組織の新人研修、どんな「変化」がありますか?
社会の状況、ビジネスの環境、新人の状況は、毎年、変わっています。
新人研修には、どのような変化がありますか?
あるいは、変えてはいけないものとは何ですか?
そもそも「新人研修」とは、何のために存在するのですか?
それが、もし、明日突然なくなったとしたら、あなたの会社ではどんな変化が生まれますか?
あなたの会社・組織の新人研修は、どうなっていますか?
このブログは、おそらく民間の教育ベンダーの方もお読みいただいている方がいらっしゃると思うので、あえて、最後にお聞きします。
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このような「新人研修の変化」が企業に生まれてきた場合、どのようなことでバリューを提供しますか? 内部にできなくて、外部から介入することで得られる付加価値とは、いったい、何でしょうか。
新人研修のサービスは、今後、どのように変化していきますか?
10年後、それは、どうなっているでしょうか?
皆さん、10年前を振り返ってください。10年前、僕は、まだ大学院の博士課程の学生でした。当時は、ブログも、Twitterも、Youtubeも、iPhoneも、ありませんでした。
明日には、今年もたくさんの新人が、会社にやってきます。
10年後の今日、、、僕たちは、どのような面持ちで、新人を迎えているのでしょうか?
投稿者 jun : 2010年3月31日 07:53
ワークプレイスラーニングを考える!
経営行動科学会の10周年記念である「経営行動科学ハンドブック」の執筆に、ひーこら、ひーこらと、取り組んでおります。
神戸大学の平野光俊先生からご依頼いただき、執筆者の末席に加えていただいていたのですが、年度末の雑事にかまけ、さらにはいくつかの部分で「ひっかかるところ」があり、どうにも、こうにも、にっちも、さっちも、悩んでしまって、恥ずかしながら筆が止まっておりました。言い訳ですね。本当に申し訳ございません。この場を借りてお詫びいたします。
僕が執筆しているのは、「ワークプレイスラーニング」の章です。
執筆のためには、「先行研究読まなきゃね、あんた、いっつも、自分の院生に偉そうにホザいてるよね」ということで、このところ、これにかかりっきりでした。結論からいうと、ここを読み解くのに、かなり時間がかかりました。
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抱えている困難は3つあります。
第一の困難。
それは、Workplace learningは、実は、「learning at work」「Learning in the workplace」「Workplace learning and development」「Workplace learning and performance」「Workplace studies and learning」「work-based learning」「off-the-job learning for the workplace」「incidental learning in the workplace」というかたちで、違った言葉で、様々に研究が(やりたい放題に)なされているということです。
それらは、おそらく、従来の「OJT」や「OFF-JT」という人材育成の「ラベル」には回収できない、新たな「何か」を追いかけようとしていることは共通しています。しかし、問題は「新たな"何か"を探求するために用いられる「ラベル」は、微妙に研究者によって異なること」にあります。これをどのように扱ったらよいのか、どこからどこまでを、オイラは、カバーせなアカンのですかいのー、ということで、まんず、困惑しています。
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第二の困難。
それは、「理論的背景の説明がしにくい」ことにあります。
上記に僕は、Workplace learning研究は、異なる様々なラベルのもとで行われていると書きました。当然、異なるラベルが用いられる、ということは、それを用いる研究者の主要な研究関心、そして理論的バックボーンも異なるのです。
最大の問題は、理論的バックボーンですね。それが違いすぎてて、「ひとつの説明を、えいや、とつくるのが難しい」というのがあります。
「みかん1個とりんご1個をたすと、さて何個になるでしょう?」
という問題を解かされている気分になります(笑)。
Workplace learning 研究は、大きく分けて、
1)実務家のニーズに応えて発展してきた学問カテゴリーである、という側面
2)学習や認知の状況依存性といった理論的発展を裏打ちして用いられるようになった
という側面があります。これらの異なる理論系をどのように説明しようかな、という問題です。
前者はどちらかというと、Workplace learning にBehaviorismやパフォーマンス志向性を見ます。言い方は難しいですが、その背景にあるものは「近代(モダン)な学習観」といっても過言ではありません。
しかし後者は当然、学習に対してポストモダンのまなざしを向けます。モダンなものを相対化するかたちで、それは主張されている。
かくして、「折り合いの悪い二つの理論系、あんた、これ、説明すんの?」という問題が、「僕に残る」のですね。
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第三の課題は、それが今も発展し、さらには概念自体を乗り越えられる努力がなされている、オンゴーイングの問題領域である、ということです。
一言でいうと、
働く大人が学ぶのは、ワークプレイスだけなのか?
ということですね。もちろん、答えはNOですよね。Baradaccoが指摘するように、近年、企業の「境界」は、ますます不透明になってきています。この「境界」をまたいだ、つまりは「ワークプレイス」の「境界」をまたいだ学習のあり方が、にわかに注目を浴びているような気がします。
かつては、イノベーションも企業内・職場内の「多様性」「異質性」によって生まれる、だから、リーダーはそういう「多様性」や「異質性」を生み出すマネジメントを実施するべきである、という論調が存在していました。
しかし、近年起こっている議論は、イノベーションの「バウンダリーレス」さであるような気がします。Workplace learningについて、いくつかの論考を残しているヘルシンキ大学のY. Engstromらも、「From workplace learning to inter-organizational learning」という主張をしています。
そう、ここでも「境界」が問題になっております。
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というわけで、言い訳がましいエントリーになりましたが、申し訳ございません。今回は、何とか、分量を短く、要約しなくてはなりません。自分としては、このような思いを持ちつつも、何とかかんとか、「まとめる方向」で書きたいと思っています。他にも、いくつも原稿を抱えておりますし、どこかで踏ん切りをつけなければならないな、と思っています。
けだし、つくづく思うのは、「概念がぐちゃぐちゃ」「何かモノを申したい人が、自分の好き勝手言っている」という「Workplace learning」のような世界というのは、「いやー、愉快だね」ということです。
こうした状態を「ネガティブに」とらえる考え方もありますよね。「まー、いやだわ、いかがわしい」という感じで(笑)。気持ちは大変良く理解できますし、僕も、内心、そう思っています(笑)。
しかし、同時に、心の反対側では、「それには、発展の可能性がある」とも考えることができるんじゃないかな、と思っています。もちろん「可能性」は常に「ポジティブ」にも「ネガティブ」にも開かれておりますので、どちらの方向に進む(転ぶ?)のかはわかりませんが(笑)。
畢竟、「いかがわしい世界」というのは、「これから変化がおとずれる世界」なのかもしれません。
すごいものがでてくるか、はたまた混沌が生まれてトグロまいてんのか(笑)、それはわかりません。でも、僕は、そこに魅力を感じますし、そういう世界の物事に「Name the world」することに興味をもちます。
誰に聞いても、同じ答えと定義しかかえってこない言葉というのは、「もうすでに問い直されることがなく、固定化してしまった言葉」です。それは「教科書にのる言葉」なのかもしれません。
いずれにしても、せっかく与えてくださったよい機会ですので、この言葉の「カオスっぷり」「いかがわしさ」を、もう少しだけ愉しもうと思います。その上で、この言葉に対する自分としての整理や位置づけを明確にしたいな、と考えています。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2010年3月30日 18:15
新年度の準備を、ひーこら、ひーこら、しています:組織学習システム論2010のシラバスの途中(笑)
今、いろいろな仕事で、新年度の準備に追われています。教員紹介やら、シラバスやら、情報システムの更新やら、何やらかんやら。
今年の大学院の授業のシラバスを、せこせこ書きました。まだ途中ですが(笑)、ここまで、できました。中原ゼミの大学院生の中には、気になる方もいらっしゃるかな、と思って。
今年は、もう一度、「基礎に戻る」ということで、基礎文献の購読を行うことにしました。特に、「組織社会化研究」と「組織学習研究」の基礎的文献を読もうと思っています。最近の僕の研究室は、高等教育研究か、組織社会化研究を志す方が多いので。
あともう少し。下記、できたところまでのシラバスです。
追伸.
ちなみに、「ラーニングイノベーション論」は、もうそろそろ満員のようです。もしよろしかったら、ご検討ください。こちらも、保谷さんを中心に準備が着々と進んでいます。
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東京大学大学院 学際情報学府 授業「組織学習システム論」
2010年度 夏学期授業シラバス
4915130(再履修可能)
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中原 淳
東京大学 大学総合教育研究センター 准教授
重田勝介
東京大学 大学総合教育研究センター 特任助教
■講義の概要
人は、人生の一定期間、学校という場所「だけ」で
学ぶわけではありません。学校を「卒業」した後でも
、会社や組織の中で、新たな知識を獲得したり、他者
と知識を共有したりしながら、仕事に日々取り組んで
います。
人は年をとっただけでは、学びをやめません。
人は、生けとし生きる限り、学び続ける存在なのです。
本授業では、従来あまりスポットライトがあたるこ
とのなかった、学校の「外」の学習 - 「企業・組織に
おける学習」に焦点をあてます。
2010年の講義では、組織社会化、経験学習論、職場学習論、
組織学習論、越境学習論など、「企業・組織における学習」の
先行基礎研究の読み込みを行います。
想定される受講者像としては、下記を想定しています。
・組織における知識共有、学習に関心のある方
・組織のおける人材育成、人間の成長に関心のある方
・組織変革や文化の構築等に関心のある方
■評価
下記の3点から成績をつける。
1.コメントカードによる出席点30%
2.プレゼンテーション(全員からの相互評価30%)
3.最終プレゼンテーション(全員からの相互評価40%)
なお、相互評価のポイントは下記の5点。
1.スライド・配付資料のわかりやすさ( / 5)
2.プレゼンテーション手法(声・身振り)( / 5)
3.質疑応答の適切さ( / 5)
4.理論の解説がわかりやすいか( / 5)
5.考察がなされているか( / 5)
■場所・時間
火曜日 3限(13:00)より
工学部2号館 93B−1
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html
■連絡先
中原 淳(なかはらじゅん)
〒113-0033 東京都文京区本郷7−3−1
東京大学 大学総合教育研究センター 准教授
東京大学大学院 学際情報学府 准教授(兼任)
Blog : http://www.nakahara-lab.net/
重田勝介(しげた かつすけ)
東京大学 大学総合教育研究センター
TREEオフィス コンテンツ開発室 特任助教
Blog : http://jamsquare.org/shige/
■授業アーキテクチャ
・イントロダクション(中原:5分)
・プレゼンテーション(文献担当グループによる:35分)
・ディスカッション(グループで:15分)
・オープンディスカッション(クラス全体で:30分)
・ラップアップ(中原:5分)
■プレゼンテーションのやり方
・課題として設定された文献を購読し、内容を要約
する。すべての要約をより集めて、「ひとつのスト
ーリー」を構成する。
・文献はPDFになっているものはダウンロードするこ
と。PDF化されていないものは、図書館などで借りて
くること。文献の貸与は行わない。
・プレゼンテーションはパワーポイントで行う。
・プレゼンテーションの構成には下記を必ず含めること
・各文献の要約をまとめた内容
・今回の文献で興味深かったところ/面白かったところ
現場で役立ちそうなところ
・今回の文献の課題、問題点
・グループとして考察したこと
・配付資料は人数分用意し、各自で印刷すること。
・配付資料は「パワーポイントの配付資料」を用意する。
印刷は各グループで行うこと。
・プレゼンテーションの前か後に、利用したデジタル
ファイル(パワーポイント&ワードのPDFファイル)を
、メーリングリストにながす。
・プレゼンテーション授業終了後、授業で利用するコ
ンピュータに元ファイル(PPTファイル、ワードファイ
ル)を残しておくこと(評価の際に用います)。
・プレゼンテーションの時間は35分。その後質疑応答
があるので、どのような質問にも答えられるようにし
ておくこと。
■参考文献
・中原淳・荒木淳子・北村士朗・長岡健・橋本諭(2006)企業内人材育成入門.(ダイアモンド社)
■内容
●4月13日 オリエンテーション
・講義概要
・授業の流れ
・グルーピング&自己紹介&連絡先交換
・名簿づくり
・スケジュールの確認と担当決め
・プレゼンテーションの準備と方法
・人材発達支援論の視座
●4月20日 組織社会化研究の概論
・Van Mannen, J. and Schein. E.(1979) Toward a theory of organizational socialization. Organizational Behavior. Vol.1 pp209-264
・高橋弘司(1993) 組織社会化研究をめぐる諸問題. 経営行動科学 Vol.8 No.1 p1-22
■27日 組織社会化研究の先行研究 1
・Wanous, J.(1973) Effects of a realistic job preview on job acceptance, job attitude, and job survival. Journal of Applied psychology. Vol.58 No.3 pp327-332
・Chao, G.(XXXX) The socialization process: building new comer commitment.
■5月4日 自習
課題はおって指示する
■5月11日 組織社会化研究の実際2
・Morrison, E.(1993) Longitudal study of the effects of information seeking on newcomer socialization. Journal of applied psychology. Vol.78 No.2 pp173-183
・Van Mannen, J.(1978) People processing : Strategy of organizational socialization. Organizational Dynamics. Summer pp19-36
■5月18日 組織社会化研究の実際3
・Feldman, D. C.(1994) Who's socializing whom? : The impact of socializing newcomers on insiders, workgroups and organizations. Human resource management review. Vol.4 No.3 pp213-233
・Gundry L. and Rousseau, D.(1994) Critical Incidents in communicating calture to newcomers. The meaning is the message. Human relations. Vol.47 No.9 pp1063-1088
■5月25日 戦略と人材
・Barney. J.(1991) Firm resources and sustained competitive advantage. Journal of Management. Vol.17 No.1 pp.-120
・Wright, P. M. and McMahan, G. C.(1992) Theoretical perspective for strategic human resource management. Vol.18 No.2 pp295-320
●5月25日 経験学習の代表的論文
▼モーガン=マッコール(2002)ハイ・フライヤー:次世代リーダーの育成法. プレジデント社
▼松尾睦(2006)経験からの学習. 同文舘出版, 東京
▼谷口智彦(2009) 見どころのある部下支援法. プレジデント社
■6月8日 組織学習論の概論
・Crossan, M. and Lane, H.(1999) An organizational learning framework : from intuition to institution. Academy of management review Vol.24 No.3 pp522-537
・Easterby-smith, M. (2000) Organizational learning : Debates past, present and future. Journal of management studies Vol.37 No.6
■6月15日 組織学習論の概論
・Kim, D.(1993) The link between individual and organizational learning. sloan management review Vol.35 p37
・Tsang, E. (1997) Organizational learning and the learning organization. Human relations Vol.50 No.1 pp72-89
■6月22日 組織学習論 ー組織文化とリーダーシップに焦点をあててー
▼松尾睦(2009)学習する病院組織. 同文館
▼Schein, E. 組織文化とリーダーシップ. ダイヤモンド
■6月29日 未定
■7月6日 未定
■7月13日 未定
■7月20日 未定
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投稿者 jun : 2010年3月29日 11:46
「研修」という言葉にかわる「一語」を日本語で考えよう!
今年から2年間、JR東日本と東京大学 中原研究室は、研修の設計と評価に関する共同研究をしています。JRの仕事現場をフィールドワークしながら、これまでの研修とは異なる仕組みとカリキュラムを提案し、評価するというプロジェクトです。対象は、現場長・ミドルマネジャーの方々です。彼らに受けてもらう研修カリキュラムを構築・実施・評価します。昨日は、その関係者が一同に会する会議が開かれました。
いくつかのコアコンセプト、研修効果測定に関するフレームワークに関して、関係者全員でディスカッションを行い、ご同意をいただけ、いよいよこのプロジェクトも、2年目の「実践・実施」フェイズに入りました。引き続き、担当の戸井さん、静山さんと一緒に感張っていきたい、と考えています。
▼
会議をへて、僕はずっと、考えていたことがありました。それは、一言でいうと、
「研修」という言葉に代わる言葉を、そろそろ、つくる必要がある!
ということです。「ワークショップ」とか「アクションラーニング」とか、海外から入ってきた言葉なら、いくつでもあるのですが、そうではなく、「日本語」で、しかも「ワンワード」で、誰もが「ははーん」と思うやつを、そろそろつくる必要があるのではないか、と思うのです。
▼
詳細を述べることはできませんが、JR東日本さんと僕が考えている「研修」は、当然のことながら、
・Interactive(双方向的であること)
・Reflective(内省をうながすこと)
・Transformative(変化を導くこと)
をめざしています。座学、知識蓄積とは異なった、新しいタイプの研修を考えているわけです。
しかし、どんなに異なったものをめざしても、「研修」という言葉を用いた瞬間、どうしても、それとは異なるイメージがついてまわります。
「研修」という言葉には、どこかで
・知識の伝達をめざすもの(Transmission)
・退屈なもの
・役に立たないもの
・やらされ感が漂うもの
などなど、というイメージがつきまといます。
僕が最も困難を感じているのは、「現場の人のイメージがよくない」ということです。せっかく、何かを変える、新しいことを提案しても、「研修」という言葉を用いた瞬間に、「またかよ」という話になってしまう。
そうであるならば、手垢のついた「研修」というラベルを用いず、新たな言葉を創出したほうがいいのではないだろうか、と思うようになってきました。
「研修にもいろいろあるんですよー、私たちの考えているのは、ちょっと違うんですよ」と説明・説得するよりも、「いやー、私たちの考えているのは研修じゃないんですよ、○○なんですよ」と説明したほうが早いし、やりたいことが理解してもらえるのではないか、と。
てなことを、昨日、帰宅後にTwitterにつぶやいたら、いろいろな方々からコメントをいただきました。詳細は、下記のログサイトで今日、昨日あたりのログをご覧ください。(本当はタイムラインをまとめたかったのですが、よくわからないので、こちらで!)
中原のTwitlogのページはこちらです!
http://twilog.org/nakaharajun
「する側の発想ではなく、受け手が、受けたくなるネーミングが必要だと思う」というご意見や、「一般的なネーミングを求めるのではなく、その企業ごとに、考えた方がいいのではないか」というコメントもいただきました。皆さん、ありがとうございました。
いずれにせよ、Name the world!ですね。
皆さんはどう思いますか?
研修という言葉にかわる「一語」を日本語でつくるのだとしたら・・・。
投稿者 jun : 2010年3月26日 09:28
岩崎夏海著 「もし高校野球の女子マネージャーが、ドラッカーの"マネジメント"を読んだら」を読んだ!
「よかったですよー。ぜひ、中原さんも読んでみてください!」
話題の本、「もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの"マネジメント"を読んだら」を読みました。この本を読んだ何名かの人々が、よかったですよー、とおっしゃっていたので。
本書は、ピーター・ドラッカー63歳の頃の名著"マネジメント"の要諦を、「もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの"マネジメント"を読んだら」というかたちで、物語のかたちで紹介しています。ダメな野球部の女子マネジャーをつとめる「みなみ」が、ドラッカーの「マネジメント」に出会い、女子マネージャー、選手一人一人、監督、野球部に変化をもたらしていくといった、おはなしです。
一読して思ったのは、そのわかりやすさ、です。ドラッカーの「マネジメント」はきわめて実務的な本であるが、たとえそうであったとしても、ドラッカーの託宣をブレークダウンするには、それなりの経験と識見が必要です。しかし、本書では、「女子マネジャーみなみが、マネジメントを駆使して、勝てない野球部を甲子園に連れて行く」という物語になっているので、そのあたりの心配はありません。
▼
読んでいて、つくづく思ったのは、「顧客」についてです。教育研究と企業活動を重ねて考えるんじゃない、と怒られるのは覚悟をして、あえて問いますが、教育研究の「顧客」とは、いったい「誰」なのか、ということです。これは、一般的な答えが存在するわけではなく、ひとりひとりで答えが違うでしょう。
別の言葉を用いるならば、
「あなたが研究を積み重ねることで、将来、いったい、どういうプロフィールをもった、どこの誰が救われる?」
のでしょうか。
「あなたの研究が、もし、明日なくなってしまったとしたら、将来、どこの誰が、困るのでしょうか?」
そのことについて、僕は考えました。
もちろん、研究は一朝一夕に成果がでるべきものではありませんし、その成果が世の中に認められるには長い時間がかかります。誤解を恐れずいいますが、ほとんどの研究は、失敗に失敗を重ね、成果をだすことが難しいのもまた事実です。ですので、くどいようですが、上記の問いが、研究活動にそのままあてはまる、とは思っていません。
しかし、あえて、「自分の研究を振り返る意味」で、この問いを考えてみることは、僕は意義がないことではない、と思っています。
企業の目的と使命を定義するとき、出発点は1つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。
(中略)
したがって、「顧客は誰か?」との問いこそ、ここの企業の使命を定義する上で、もっとも重要な問いである。
これはシンプルな問いですが、非常に難しい問いです。そのことはドラッカーもわかっていて、
やさしい問いではない。まして、答えのわかりきった問いではない。しかるに、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかがほぼ決まっている。
と答えています。
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ちょっぴり涙ありの、さわやかな野球部の物語に、考えさせられました。
投稿者 jun : 2010年3月25日 07:22
自分で思う過去・未来、他者にうつる過去・未来
先日、日本を代表するコーチのひとりである鈴木義幸(コーチA 取締役社長)さんと、日経ビジネスオンラインの特集で対談しました。
鈴木さん・日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090319/189496/
対談は、学ぶこと、対話すること、成長することなど、いろんな方向にふくらみました。後日、その模様は、Webで公開されることと思いますが、その中で面白いお話をうかがいました。アイデンティティには4つの側面がある、という話です。僕は、アイデンティティ論やカウンセリングには全くの「どしろうと」ですが、興味深くお話を伺いました。
▼
4つのアイデンティティは、鈴木さんが、ニューヨークでコーチングの会議に出席したときにうかがった話だそうです。
今、2軸を考えます。「自分と他人」という軸と、「自分の過去 - 自分の未来」という軸です。これらを、それぞれ、縦軸と横軸に設定しますと、4象限ができますね。アイデンティティには、この4つ側面があるというのです。
まず過去からです。
「自分」が「自分の過去」をどう思ってきたかは、「Remembered Identity」というそうです。対して「他人」が「自分の過去」をどう思ってきたかは、「Reflected Identity」というそうです。ここにも「ズレ」ができそうですね。
次に「未来」です。
「他人」が「自分の未来」をどう思うかは、「Programed Indetity」というそうです。社会的期待に近いのかもしれません。4つめは、「自分」が「自分の未来」をどう描くかですね。これを「Creative Identity」というそうです。ここのあいだにも、必然的に「ズレ」がありそうですね。
非常に簡単な整理ですが、自分と他者という「違い」を利用して、過去と未来をリフレクションするための「道具立て」だと思いました。
実は、これとほぼ同じようなことを、僕も、つい最近、同世代の共同研究者の何名かとやったことがあるのです。自分の研究の「過去」と「未来」を自分でまずは整理して、語ります。そのあとで、他の研究者からみた、「僕の研究の過去と未来」を語ってもらいます。自分の思っていた自己像と、他者から見た自己像は、微妙にずれたり、一致したりするのです。ふだんは考えないことなので、非常に刺激的な一夜でした。
この対話の中で、僕に最も響いたのは、研究室の後輩のM先生の一言だったのですが、それは、また今度。
ちなみに、、、どうでもいいことですが、うちのカミサンが、近日、知り合いの方のお子さんの中学生の女の子から、仕事に関する質問を受けます。いろいろな質問項目を中学生の女の子から受け取ったのですが、その質問を、昨日、彼女なりにリフレクションしていました。同じ他者でも、中学生の女の子にわかりやすいように、自分の仕事を語る、というのは、ものすごく考えさせられますね。
ともかく、人は、折に触れて、他者とともに「内省」をなす機会をどこかでもったほうがよいのではないでしょうか。リフレクティブな他者からの問いかけは、それを促すのでしょうね。
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対談は、近日中アップロードされる予定です。ぜひご覧ください。鈴木さん、大谷さん、漆原さん、大変、すばらしい時間をありがとうございました(校正チェック、遅れてしまって申し訳ございません)。
鈴木さん・日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090319/189496/
投稿者 jun : 2010年3月24日 09:31
片桐卓也著「クラシックの音楽祭が、なぜ、100万人を集めたのか」: ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの挑戦
「クラシック音楽はすばらしい。しかし、あまりにもごく一部の人だけが愉しむものになってしまっている。クラシック音楽を民主化し、その楽しさを一人でも多くの人と分かち合いたい」(ルネ・マルタン)
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片桐卓也著「クラシックの音楽祭が、なぜ、100万人を集めたのか」を読みました。
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ゴールデンウィーク、東京国際フォーラムで年に1度開催される音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」。この風変わりな名前のコンサートは、私たちがよく知っている通常のクラシックコンサートとは全く異なっています。
通常のクラシックコンサートといえば、
・夜7時からひらかれる
・着飾った一部の人たちの社交の場
・演奏時間は2時間から3時間
・高額なチケット
対して「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」は、
・複数の会場で同時多発的に、コンサートが開かれる
・毎年、コンサートのテーマとなる作曲家が決まっている
・ひとつのコンサートの演奏時間は45分
・一流の演奏を低料金で
・0歳児からたのしめるコンサートもある
なのです。
このイベントを提唱したプロデューサーは、フランス人の「ルネ=マルタン」。本書では、ルネ=マルタンの軌跡をおいつつ、実現に至るまでの紆余曲折を紹介した本です。
ルネ・マルタンがフランスの都市「ナント」で開催した「全く新しい音楽祭のコンセプト」が、東京で「イベント」として結実するまでには、どのような困難や葛藤があったのか。多様な人々を対象にした幅広い取材のもとに、このプロセスを明らかにしています。
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僕はアートマネジメントの世界、プロデュースの世界は全くの門外漢ですが、本書は、非常に興味深く読むことができました。
読んでいて改めて思ったことは、
「人が集まる場所には、人が集まるなりの、ちゃんとした理由があるんだな」
というごくごくアタリマエのことです。なんじゃ、そら、と言われるかもしれませんが、実は見落としてしまいがちなことではないでしょうか。
僕も比較的、コンサートやショーが好きで、クラシックコンサートはよく出かけます(子どもが小さい頃は無理でしたが)。でも、クラシックにしても、演劇にしても、いつも気になるのは、その「年齢層の高さ」。中には、本当に「人が入らないもの」も少なくありませんでした。
ルネ・マルタンがプロデュースしたという「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」は、演奏している中身は、「正真正銘のクラシック」です。つまり、「コンテンツ」はこれまでのものと、そう大差があるわけではない。
しかし、何が違うかというと、「オーディエンスの参加の仕方」「オーディエンスのアクセシビリティの良さ」が決定的に異なっている。そして、そこが「100万人の人を集める秘訣なのか」と感じました。
一般に「人が集まらない」とき、わたしたちは、その理由を人に求めてしまいがちです。「クラシックを愉しめない人が増えたらから、人が集まらないんだ」などなど。しかし、その正否は別にして、実は、「人が集まらない」のには、「オーディエンスの参加の仕方」「オーディエンスのアクセシビリティの良さ」なども非常に大きな理由なのかな、と思います。逆にいうと、そこを見直せば、異議のあるイベントをもっとつくりだすことができるのではないでしょうか。
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「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」は、今年のテーマは「ショパン」。丸の内エリアでは、4月28日から。東京国際フォーラムでは、5月2日からコンサートが開催されるようです。今年は、僕も家族で出かけてみようと思っています。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン
http://www.lfj.jp/lfj_2010/
投稿者 jun : 2010年3月22日 11:17
よい週末を!& 日経ビジネス
今日から数日間、僕は、ためている原稿をかきます。ここで、何とか、めどがたつとよいのですが。
今週号の日経ビジネスの特集号「伸びる会社は全員力」に、中原のインタビュー記事が掲載されています。神戸大学の金井壽宏先生とご一緒させていただいております。もしよろしければ、どうぞ、ご覧ください。取材いただいた日経BP社の中野目純一さんに感謝いたします。ありがとうございました。
それでは、みなさん、よい週末を!
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■特集
1990年代以降、日本企業は成果主義に走ったものの、
その目論見はもろくも外れた。今必要なのは成果主義
エリートではなく、チームの和を壊さず自らの判断で動
く社員だ。元気な会社では、そんな自律型社員の個の
力を生かしきる「全員力経営」が始まっている。
キリンビール
東京海上日動システムズ
J ・ フロントリテイリング
テルモ
おかしのまちおか
「大人も成長し続ける」
2人の識者が人材育成の新潮流語る
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追伸.
さて、これは何でしょう?
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これはTAKUZOが生まれてはじめて書いた「ひらがな」です。
「の」です。
先ほどTAKUZOと喫茶店でお茶をしていたら、iPhoneの書道アプリの上で、突然、ひらがなを書きはじめました。
「の」だよー。
だそうです。ちょっと違う気もしますが・・・少し嬉しかったです。
それにしても、「生まれてはじめてのひらがな」が、紙の上ではなく、iPhoneアプリの上というのが、なんとも世代の違いを感じてしまいました。
そして、TAKUZOの人生は続く。
投稿者 jun : 2010年3月20日 08:30
USTREAMでイラスト実演・解説!?
昨日、某雑誌の取材でご一緒したHRDジャーナリストの和田東子さんから、興味深い話を聞いた。USTREAM上で、イラストレータの「ふゆの春秋」さんという方が、イラストレーションの実演を配信なさっているという話である。
technofuyuno
http://www.ustream.tv/channel/technofuyuno
聞くところによると、最近、何人かのイラストレータの方が、USTREAM上で、同様の配信を行っており、中には「講座」になっているものがあったり、Twitterで、「そこ、こうなおした方がいいよ」「こんなテクがあるよ」というツッコミが入るのだという。
僕自身は、まだ見たことはないが、話をお聞きした瞬間、
おお、それは、「ラーニング」だね!
というわけで、例のごとく盛り上がった(僕は何でもラーニングに見えてしまう)。
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ここ数ヶ月、ものすごい勢いで、社会の情報インフラ、そして、学習システムが変化しているのを感じる。この「地殻変動」はおそらく、大きな「うねり」になって、既存のシステムに変化を迫るだろう。
それが、Twitterなのか、Ustreamなのかは、どうでもいいことである。また、それがe-learningなのか、e-learning 2.0なのか、そんなことも、どうでもいい。
人々と何かを共有したい、ともにありたい、そして楽しみたい、と願う人々 - 僕の言葉でいうならば学習者たち - が、メディアをもって動き出したこと、そのことが、とても重要なことではないか、と思う。
幸せだねぇ、こんな時代に生まれて。
面白いねぇ。
投稿者 jun : 2010年3月18日 15:09
プロを見抜くコツ
空間プロデューサーの平野暁臣氏の著作「プロデューサー入門」に、「プロフェッショナルの見分け方」というお話がなされています。今、研究室にいないので、手元に本がなく、正確に内容を再現できるわけではないのですが、たしか、こんな内容でした。
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「どんなクライアントにでもできる、プロフェッショナルを見抜く簡単なコツがある。
それは、プロが考えたすえに持ってきた提案に対して、本当に脳裏に浮かんだ"思いつき"をパーンとプロに投げかけてみることだ。たとえば、「ここ、ちょっと、こう変えてくんないかなぁ・・・」という具合に。
その後のミーティングで、そのプロが、あなたの"思いつき"をそのまま受け入れたら、そのプロはまず信用できない。なぜなら、素人の"思いつき"に本当のプロが負けるわけがないのに、クライアントのいうことなら、そのまま受け入れてしまう人物だから。そういうプロは信用ができない。
もちろん、本当に素人の"思いつき"に負けてしまっているのなら、やっぱりプロ失格。専門知識と技量がないプロは存在しない。
本当のプロフェッショナルは、変えるべき部分と変えてはいけない部分をしっかりと識別し、場合によってはクライアントを説得・説明し、さらにバージョンアップした提案をもってくるはず・・・・」
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平野氏がおっしゃっていたのは、だいたいこんな感じであったように思います。非常に印象的な一説でした。
これまで、僕も様々な研究プロジェクト、開発プロジェクトを率いてきましたが、そこで、様々なプロフェッショナルの人々とつきあってきました。多いときには30名ほどの大規模研究プロジェクトをマネジメントしていたこともあります(教育工学のプロジェクトは、カリキュラムの開発プロジェクトになると非常に大規模なのです)。その経験から、平野氏の言葉には共感しました。
あなたがつきあっている「プロ」が、信頼にたる人物なのか、「本当のプロ」なのか、そうでないのか。本当のプロは、変えるべき部分と、変えてはいけない部分を「見抜き」、「変えてはいけない部分」を守る、ということですね。
思わず、「ニーバーの祈り」を思い出してしまいました。
変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け容れる心の静けさと
両者を見分ける叡智
投稿者 jun : 2010年3月18日 07:37
晴れ時々、研究の近況
今日の東京は青空、晴れています。
晴れ、時々、研究の近況。
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朝から、某製薬会社B社の職場風土と業績データを分析しています。B社の部長Hさんに、ご尽力いただいたおかげで、非常にリッチな業績データを得ることができました。ありがとうございました。分析結果は金曜日に「検討会」が実施されるので、そこで報告する予定です。
このブログで、この共同研究の詳細を述べるわけにはいきませんが、分析のアウトプットを見ていると、「職場できちんと話ができている」「新たな知識ややり方を生み出している」といったことは、当たり前のことなんだけど、「大切なこと」なんだな、としみじみと思いました。
それならば、そういう「職場」を、どのようにつくることができるのでしょうか。
現場のマネジャーに、配慮型のリーダーシップ、支援型リーダーシップを、いかに発揮してもらえるのか。
このあたりが、やはり肝になるのかな、という気がします。金曜日の検討会をへて、これは粛々と追加の分析を行いたいと思っています。
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11月から書いていた「職場学習論」(東京大学出版会)の草稿を一応完成しました。まだまだ粗いものですが、とりあえず、ぜーぜーいいながら、何とか走りきりました。
今、何人かの先生方に草稿をお送りして、コメントをいただけることになっています。年度末のお忙しい時期に本当にありがたいことです。
文章中には「論理展開が甘いところ」や「ここまで言ってえーんかいな」というところが多々含まれていると思います。後者に関しては、最近、かなり忙しく、ストレスを抱えていたので、「ええーい、もう、いってまえ!」という感じで書き殴りました。
順調にいけば、今週末、もう一度、ガーッと内容を見直して、予定通り、3月末の脱稿をめざしたいと思っています。
もうひとつ抱えていた「デジタル教材の教育学」(東京大学出版会)の原稿は、最終校正を終えて、提出しましたので、「職場学習論」が終われば、あとは「学び学」と「経営科学ハンドブック」の執筆ですね。
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というわけで、近況終了。
最近「太陽の塔」になってみたり、夜な夜な、Dommune(ネット上のクラブ)に出没しているので、「あいつ、最近、仕事してねーんじゃねーか」と、巷で疑われているようですが、そんなことはないのよ。ちゃんと、やることはやってるのよ、トロイけど。
晴れ時々、我が研究は、おせじでも順調とはいえないけど、心は快調。
そして、人生は続く。
投稿者 jun : 2010年3月17日 12:47
自分の歌を歌えばいいんだよ! :岡本太郎語録
岡本太郎美術館に家族で出かけました。
岡本太郎の痛快かつ鮮烈で、どこか切なさを感じる人生。Riskyで、Crazyで、Sexyなメッセージに、射貫かれた一日でした。
そこには、リスクヘッジやら、アカウンタビリティやら、ハナクソやら、訳知り顔の世の人々が、慣れた口調で口にする世界とは、全く「真逆の世界」がありました。
そして、僕は、そんな「真逆の世界」に深く共感し、心ひかれるのです。自分の歌をうたって、道のない人生を歩みたいと願うのです。
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ぼくは、
こうしなさいとか、
こうすべきだなんて言うつもりはない
僕だったらこうする、と言うだけだ
それに共感する人、反発する人、それはご自由だ
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危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
ほんとうは そっちに進みたいんだ
危険だから生きる意味があるんだ
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誰もが、あえて「出る釘」になる決意をしなければ
時代は開かれない
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他人が笑おうが笑うまいが
自分の歌を歌えばいいんだよ
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「お互いに」とか「みんなでやろう」とは、
言わないことにしなければなりません。
「誰かが」ではなく、「自分が」であり、
また、
「今は駄目だけれども、いつか、きっと、そうなる」
「序々に」という、一見誠実そうなのも、ごまかしです。
この瞬間に徹底する。
「自分が、現在、すでにそうである」と
言わなければならないのです。
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芸術は爆発だ!
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誤解される人の姿は美しい。
人は誤解を恐れる。
だが、本当に生きるものは当然誤解される。
誤解される分量に応じて、その人は、強く豊かなのだ。
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今までの自分なんか、蹴トバシてやる!
そのつもりで、ちょうどいい。
ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、
自分を大事にして、自分を破ろうとしない。
社会的な状況や世間体を考えて、自分を守ろうとする。
それでは駄目だ。社会的状況や世間体とも闘う。
アンチであるのと同時に、自分に対しても闘わなければならない。
自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。
そんな生き方は安易で甘えがある。
本当に生きていくためには、
自分自身と闘わなければだめだ。
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絵画の石器時代は終わった。
西洋絵画が20世紀の初頭に獲得した自由の恩恵を、
我が国も、やっと享受できる時代がきた
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教祖だって? ふーん
だとしたら、信者の一人もいない教祖だね
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憤りを生きがいとして、つきだしていく。
抵抗の火の粉を身にかぶる。
楽しいではないか!
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いいねぇ、この次は生まれてくるんだったら、
ああいう鳥になりたいね。
鳥には名前なんかないんだよ。
俺は岡本太郎だ、なんて思って飛んでいるじゃないんだ。
ただ、こう羽を広げて浮かんでいる。
鳥には名前なんかないんだよ。
オレは誰々だ、なんて思って飛んでいるんじゃない。
これからどこへ行かなきゃとか、
あの約束はどうしようとか、
何にもそんなことはない
いいなぁ。
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孤独ということは、絶対に社会的だ。
孤独者とは肉体的にも精神的にも
他からの制約を誰よりも鋭く感じ、
それに傷つきながら、
なお絶望的に挑む人間なのである。
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面白いねえ、俺の人生は。
だって、道がないんだ。
・
・
・
・
・
最後は、小生、「太陽の塔」になってみました。
眺めがいいなぁ。。。
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We are the world!
Save the children!
ハイチの子どもたちに「未来」を!
投稿者 jun : 2010年3月13日 21:25
パジャマで踊れるクラブはここですか? : DOMMUNE を体験してみた!
密かに「ちまた(ちまたってどこよ?)」で話題になっているDOMMUNE(ドミューン)を、昨日の夜、体験してみました。宇川直宏さんというクリエイターの方がはじめたものだそうです。最近、仕事でお会いするメディア系の人たちの間から、その名前を何度か聞いていました。
DOMMUNE
http://www.ustream.tv/channel/dommune
「DOMMUNE」は、一言でいうと、「ネット上のクラブ」です。毎夜19時から放送され、12時までやっています。オンデマンドではありません。リアルタイムのストリーミングです。朝とか昼いっても、誰もいないよー。
番組の前半はトークショー。後半は、今をときめくDJの方々によるDJストリーミングが放映されています。もちろん、視聴料は無料です。
システムは、話題の「Ustream : ユーストリーム:無料のストリーミングサイト」と、Twitterが用いられています。Ustreamの音声は非常にクリアで、お茶の間にいながらにして、「クラブ」の雰囲気を楽しむことができました。
実は、何を隠そう、先日、僕もTAKUZOと一緒に、ustream実験をしていたのです。そのときも非常に簡単に映像や音声をおくることができました。
コミュニケーションツールとしえ用いられているTwitterのタイムラインでは、「今、ここ」を共有している数千人の人々が、チャットを楽しんでいます。これを眺めているだけでも非常におもしろい。
ちなみに、小生、昨日はすっかり「のりのり」でした。カミサンと子どもが寝静まったのをいいことに、リビングでMacbookを2台広げて、「爆音」で聞いておりました。片方のMacでは映像、片方のマックではTwitterという具合に。
さすがに「リビングでくねくね踊ること」はしませんでしたが、いやー、酒が進む、進む。おかげで、今日の朝は、頭が痛いのでございます。ちなみに、昨日のライブは、5000人の人々が視聴していました。
DOMMUNEは「金曜日」と「土曜日」は放映されていません。これは、「金曜日と土曜日は、リアルなクラブを楽しんでくださいね」ということだそうです。いいですね、このメッセージ。というわけで、今日と明日はやっていませんので、もし、興味をもたれた方は、日曜日にぜひ。
Twitterのタイムラインをみていると、子育て中のパパママも何人かいました。子育てをしていると、なかなか、ステージとか、イベントなどには、いけなくなりますよね。夜が遅いクラブなどは、まず、絶望的です。ですので、こうした機会は非常にありがたいな、と思いました。子育て中のパパママにもおすすめでございます。
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いやー、それにしても、去年から今年にかけて、わたしたちをとりまくメディアの構造が大きく地殻変動を起こしているような気がします。そして、メディアの動きの早さとは比較になりませんが、「教育」や「学習」の世界も、「大きな構造転換」が起こり始めているような気がします。私たちは、その「大きな渦」の中にいる。僕は、そう感じます。
ネット上のクラブで起こっている「出来事」を目の当たりにして、また、ひとつ、僕は面白いことを思いつきました、、、というか、「仕掛け」たくなりました。今やっている仕事を今月で「けり」をつけたら、ちょっとトライしてみます。
あと、コンセプトブックをつくりたくなった。スケッチブックのような本。荒削りではあるけれど、なんとなく、今求められている「学び」の在り方が、僕には、言葉にできかけている。
今抱えている3冊の本の原稿が終わったら、そういう新しい学びのありかたについての、コンセプトブックをつくりたいな、と思うのです、、、欧米のエライ研究者の誰の理論も1行も引用せずに(笑)、自分の言葉と絵だけで、描きたい。
だははははは、愉快、愉快。
こりゃ、俄然、毎日が愉しくなってきた。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2010年3月12日 10:10
役にたつものは必要で、役に立たないものは不必要!?
昨日は、大学院合宿を終え、岡本和夫先生(数学)の最終講義に向かいました。岡本先生は、僕が所属する「大学総合教育研究センター」のセンター長です。数学者として数多くの業績を残しつつ(元・日本数学会の理事長)、東大の教育企画に長く尽力なさった方です。今年、東京大学を退職なさいます。
岡本先生の最終講義での話は、非常に示唆に富むものでした。いつものように、最終講義でも、笑いを飛ばしておりました。
お話の中でもっとも印象に残ったのは、「役に立つものは必要で、役に立たないものは必要ない」という価値観を子どものうちからもってしまうのは少し危険ではないか、という問題提起でした。
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たとえば、子どもは、こう問いかけて、大人を困らせます。
「数学って、役にたつの? 役にたたないの?」
中にはピュアな疑問もあるでしょうけれど、多くの場合、この問いの背後には、「役にたつものは必要で、役に立たないものは不必要である、あるいは、かかわる必要がない」という価値観がすけてみえます。
岡本先生がおっしゃるのは、この「価値観の対象」が、まだ数学や学問に向けられるのならよいのですが(よくはないが・・・)、万が一、論理飛躍して、「人」に向けられるようになってしまうといったいどうなるか、ということです。
つまり、「役に立つ人」は必要で、「役に立たない人」なんて必要がない、という風にならないのだろうか、ということでした。「役に立つ人には自分はかかわるけれど、そうでない人は、知ったことじゃない」。
そして、そういう価値観を、万が一、子どものうちからもってしまうのだとしたら、危険なのではないか、ということでした。
世の中には、多様な人がいます。多様な人々が、多様な生き方をしています。子どもの「人」に対するまなざしが、もし万が一、「役に立つ人か、役に立たない人か」という二律背反の価値観に支配されてしまうのだとするならば、それは少し寂しいですし、危険な気もします。
「役に立つ人か、役に立たない人か」というあなたの「人」に対するまなざしは、いつしか、あなた自身に返ってくる可能性もあります。そう、あなただって「無縁」じゃない。
あなた自身が「役に立つ人」なのか、「役に立たない人」なのか。あなた自身が「必要な人」なのか、必要でないのかを、あなたの知らない誰かに判定されるのです。そして、後者だと判断された場合、あなたの周りから、人が消えてしまいます。
また、「役に立たないもの」から新しいものが生まれることもあるし、社会をもみほぐすこともある。すぐに役に立たないものが、もし不必要だとするならば、僕のような文系大学人は、かなり危ない(笑)。
というわけで、とても考えさせられる最終講義でした。
此世をば
どりゃ おいとまに
せん香の
けむりとともに
灰左様なら
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岡本先生、長いあいだ、本当にお世話になりました。また、お疲れ様でした。新天地でのご活躍を祈念しております。
投稿者 jun : 2010年3月12日 07:25
大学院の合宿です
今日から熱海で、大学院の研究室の合宿です。同僚の山内さんのところの研究室と、合同の開催です。スタッフ、学生ふくめ、合計で30名近い人数が集まるのではないかと思います。
プログラムは、おもに二つです。
1つは、今年のM2の書いた修士論文を検討する、というのがあります。うちの研究室からは、山田君、野澤さん、福山君の3名がそれに該当します。
山田君
「小中学校における組織開発の評価」
野澤さん
「ノンテリトリアルオフィスにおけるインフォーマルコミュニケーション
を促進するツール開発研究」
福山君
「社会的ジレンマを体験するシミュレーションゲームの開発と評価」
に関する修士論文を描きました。
プログラムの2つめは、今年の4月から入ってくるM0の方々の研究計画を検討する、という内容です。
僕の指導予定学生としては、吉村さん、関根さん、伊澤さんの3名の方々が、それに該当します。
今のところ3名の方々は、
吉村さん
「学校長のリーダーシップと教員の社会関係資本に関する調査」
関根さん
「新入社員の組織社会化に関する研究」
伊澤さん
「M&A後の組織構成員の変容に関するエスノグラフィー」
に関する研究をなさる予定だそうです。
それぞれ、どんな発表があるか、愉しみです。
そして人生は続く。
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With Dr. Ueda and Dr. Nagaoka
投稿者 jun : 2010年3月10日 11:11
ピタゴラスイッチ「ぼくのおとうさん」で知る学習研究の最前線!?
朝、何気なくテレビに目をやったら、この曲が流れていました。
「ぼくのおとうさん」という曲で、ピタゴラスイッチで放映されています。歌詞を聴いていたら、おもしろいなぁと思いました。ああ、これは、「文脈横断論」の要諦を表現している曲として聞けるのかな、と思ったのですね(笑)。
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文脈横断論とは、1990年代後半から現在にかけて様々な研究が進んでいる学習研究です。
いつものように、専門家から便所のスリッパで後頭部をパカーンと殴られることを覚悟して、それを、僕の言葉で表現するならば、
「人は、様々なコミュニティ(コンテキスト)を越境(またぎながら)しながら、生きている」という「人間観」をもとにした学習論です。それは「越境」という「メタファ」を使って、「人間の学習、成長」を描こうとします。
「おとうさんは、会社の課にも属しているし、もしかすると、社内プロジェクトを掛け持ちしているかもしれない。学校にいけば「生徒」さんで月に一度は前の会社の人との飲み会(勉強会)に参加して、情報交換をしているかもしれない」
誤解を恐れずにいうならば、そういう「越境するおとうさん」が、
どうやって日々気づきを得ているのか
どんな風に働きがいやアイデンティティを保っているのか
それぞれの学びが、どのようにして他とつながっているのか
などなど・・・・ということを研究するのが、文脈横断論ということになります。
もちろん「文脈横断論」とひとくくりにいいますが、その中には、エンゲストローム(バウンダリークロシング論)、ビーチ(共変移論)、ウェンガー(Communities of practice論)といったような研究者がいます。それぞれ、様々なコンセプトを提案して、人間の学習を描こうとしています。
でも、細かいことはいろいろありますけど、要するに、そういうことです(笑)。「文脈横断論」とは「越境する人間」という視座をもってなされる学習研究ということですね。
(ちなみにやや専門的になりますが、人材育成の言説としての「越境学習論」を、そのまま文脈横断論に重ねることは無理があります。前者は人材育成の処方箋として「越境」を扱います。後者は人間を描くときの視座が「越境」なのです・・・この話はまた今度)
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おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん
かいしゃへ いくと かいしゃいん
しごとを するとき かちょうさん
しょくどう はいると おきゃくさん
おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん
はいしゃに いくと かんじゃさん
あるいていると つうこうにん
おとうさん おとうさん ぼくのおとうさん
がっこう いけば せいとさん
でんしゃに のると つうきんきゃく
おとうさん おとうさん うちにかえると
ぼくのおとうさん
・
・
・
もし、「ぼくのおとうさん」の歌詞をあなたにあてはめると、どんな歌詞になりますか?
あなたにはいくつの「顔」と、いくつの「学び」がありますか?
投稿者 jun : 2010年3月 9日 09:29
テレビ局の社員の方々は、局外で何を学び、組織はどう変わったのか?
近況。
金曜日 - 大学院コース会議。
その後、福武ホールで、ソシオメディア論の水越伸先生(東大)とテレビ朝日さんの共同研究「ろっぽんプロジェクト」の最終報告会で、不肖中原、パネリストをつとめさせていただきました。
このプロジェクトでは、テレビ朝日の社員の方々が、局をでて、小学校や教育機関で「出前ワークショップ」などをします。のべ4万人の人たちがワークショップや授業を受け、全社員の10%である120人弱の社員が、それに参加したそうです。
そのとき、子どもとテレビ朝日社員の方々には、それぞれ、どのような学びや気づきがあったのか。そして、そうしたプロセスを通して、組織は、どのように変容したのか。
中原は、メディア論やメディアリテラシー教育については、全くのドシロウトですが、あえて「職場学習論」の立場から、コメントさせていただきました。
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実は、小生のかみさんは、ディレクターをしています。しかし、テレビ局そのものの現状や人材育成の仕組みについては、あまり聞くことがありませんでした。
加えて、僕は、おそらく、年間で1000枚から2000枚の名刺交換をしますが、なぜか、新聞社やテレビ局の人材育成担当者、人材開発担当者の方にお会いすることは、ほとんどないのです。だから、テレビ局の中の人々の学習や成長に関しては、イメージがわきにくいというのがあるのかもしれません。
でも、これが機会になって、メディア企業の人材育成の仕組みについて、非常に興味がわきました。そこでは、どのような人材育成モデルが採用されているのでしょうか。
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ちなみに、シンポの中で、パネリストでご一緒した水島先生(東海大)にご紹介いただいた「数字」が忘れられません。
水島先生によりますと、過去10年で、ネット広告収入は5900億円増加したのに対して、テレビを含むマス四媒体は5600億円の減少だつたそうです。
衝撃的なのは、マス四媒体の昨年度1年の収入落ち込みは、過去10年分の落ち込み累積額とほぼ同額だということです。つまり、去年1年だけで10年分の落ち込みが記録された、ということです。これはとてつもない数字だと思いました。
(ちなみに、人材育成ビジネスは年間約6000億弱です。それが一年で消し飛んだ、ということです)
(電通の調べによると、2009年の日本の総広告費は前年比11.5%減の5兆9222億円。マス4媒体の広告収入は14.3%の減少。雑誌は25.6%減の3034億円、新聞は18.6%減の6739億円、インターネット広告費は1.2%増の7069億円と新聞をぬく。テレビは17%減の1兆6000億円)
対して、ネットの広告収入はどうかというと、リーマンショック後も横ばい。ここで重要なことは、昨年度におけるマス四媒体の広告収入の凋落は明らかですが、必ずしも、その分が、すべてネットに食われたのではない、ということです。
マクロにみれば、すでにペイドメディア(お金を払ってみるメディア)が衰退し、ソーシャルネットワークサービスや、Twitterを含むノンペイドメディア(無料のメディア)に、人々の関心がうつっているのではないか、というご指摘でした。つまり、ネットも安泰では決してないということです。
水島先生は、このような中で、メディアリテラシーを推進するテレビ局にとっての意味は、10年前の過去とは「変質」している、とおっしゃっていました。かつては、「圧倒的な巨大で強く権力をもつメディアがなすメディアリテラシー」の実践だったのですが、いまや、「ビジネスモデルを再構築せざるをえないメディア企業がなすメディアリテラシー」になったということです。
メディアリテラシーの実践の変質を指摘する、水島先生のご指摘には、非常に共感できました。もう一度、テレビ局が「メディアリテラシー」を実践する意味を問い直す必要があるように思いました。
というわけで、無事終了です。
貴重な機会を与えてくださった水越先生に心より感謝いたします。
ありがとうございました。
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明日から2日間は、「山」に籠ります。携帯やネットから離れ、いわゆる、アンプラグドでアンコネクティッドな環境で、リフレクションを深めたいと思います。
これまでを振り返り、未来を構想する。僕は、どこからきて、どこに向かおうとしているのか。
週末、家族には迷惑をかけていくので、貴重な時間を過ごしたいと考えています。
それでは皆さん、よい週末をお過ごしください。
Have fun!
投稿者 jun : 2010年3月 5日 23:28
Learning bar 2010 2月:コミュニケーション不全を克服せよ!:リクルートエージェント【ちゑや】さんのご報告
ちょっと前のことになりますが、生まれて、すいません。いろいろ追われて、こんなにご報告が遅れました。「あっち、こっち、そっち、どっち、すったもんだ、もんたよしのり、それから、どした、はー、どーした、どした」という感じで、気づけば3週間です、、、ああ、人生は矢のようですね(意味不明)。
さる2月12日は、東京大学本郷キャンパスで、Learning bar(ラーニングバー)が開催されました。今日はそのときのことを振り返りながら、書きたいと思います。
この日のlearning barのテーマは、
コミュニケーション不全を克服せよ!
社内に「楽しく、つながり、学べる場」をつくる!?
リクルートエージェント【ちゑや】の挑戦
です。
リクルートエージェント
【ちゑや】店主
中村繁さん
を講師にお招きし、職場におけるコミュニケーションの問題について、皆さんで考える機会を持ちました。
昨今、成果主義の徹底によって、職場メンバーの「コミュニケーション」や「協力」が失われる...といったことがよく聞かれますね。また、中途採用が急拡大し、顔の知らない人が職場に増えていく...といった事態も耳にします。「職場の中の気付かぬ孤独」・・・程度の差こそはあれ、誰もがこれを経験しています。
...とはいえ、、、この問題を何とかしようとして、
さぁ、皆さん、コミュニケーションをしましょう!
みんなで、和気藹々と話しましょうよ!
と声高に叫んでも、いまいち集まりは悪いですし、盛り上がりません。多大な費用をかけてリラックススペースやコミュニケーションスペースをつくっても閑散としてしまうことが少なくありません。
誰もが、日々の雑事に追われ、「終わりなき日常」を過ごしています。そのような人々の心を魅了する施策とはいったいどのようなものでしょうか。社員が集い、つながりを深め、さらには学ぶこと、変わること、変えることのできる「場」を、いかに社内につくりだすことができるのでしょうか。
リクルートエージェントさんお【ちゑや】は、社員同士が部署・肩書き・経験の差を乗り越えて活発にコミュニケーションができる非公式の場でありながら、会社の公式の組織図にも存在する「不思議な活動」です。
【ちゑや】は、「コミュニケーションしましょう!」というかけ声でもなければ、「コミュニケーションスペース」でもない、もちろん「研修」でもないアプローチで、この問題に迫ります。今回のLearning barでは、中村さんから、そのあたりについてお話を伺いました。
おかげさまで、今回のLearning barも満員御礼!です。大変ありがたいことですね。お越しいいただいた皆様に、心より感謝いたします。今回は、過去最高レベルの411名の方々からご応募をいただき、当日、200名の方々に抽選でおこしいただきました。
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バーの会場は5時30分。
今回は、【ちゑや】のイメージが「江戸のちゃみせ」ということでしたので、「和」のイメージで会場を演出しました。
和傘を借りて、和菓子を準備し、【ちゑや】さんのはっぴを全員できて、のれんを設置しました。全員がこれらの活動は、M1の我妻さん、木村君が中心になってくれました。ありがとう!
和菓子は、特に女性には大変好評だったようです。よかった、よかった。
以前にも述べましたが、Learning barは、常に「変化すること」をめざしています。このあたりの思いについては、下記の取材を受けましたので、どうぞご覧ください。
Learning barの作り方 (by ワークショップ部)
http://bit.ly/3Zx22N
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Learning bar冒頭は、中原から趣旨説明です。
くどいようですが、Learning barは、
1.聞く
2.聞く
3.聞く
4.帰る
という場ではなく、
1.聞く
2.考える
3.対話する
4.気づく
ような場であるということを、まずは、ご説明いたしました。何度かLearning barにお越しの方にとっては「くどい」と思われるかもしれませんね(笑)。でも、これは「場」の「しきり」ですので、「しつらえ」と同時に大変重要なことなのです。また、現在、Learning barは、6割程度の方が新規の方々です。ですので、いつも、あえてやらせていただいております。
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まずは、リクルートエージェントの中村さんからのご講演です。
中村さんからは、まず、【ちゑや】の成り立ちについてお話がありました。今となっては、公式の組織になっている【ちゑや】ですが、当初は、中村さんが個人としてはじめた試みでした。それが、少しずつ話題になり、活動を拡大して、現在に至っています。
否、この言い方は正しくないかもしれないですね。むしろ、「思いついたらすぐやる」「なんで駄目な理由があるの?」という精神で、社内の様々な人々のニーズに従って、これまで拡大してきましたそうです。
もともと個人創業としてはじまったインフォーマルな「場」、次第に人々が参加するようになり、社内の公式な事業に結集した、ということですね。
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【ちゑや】の活動は、大別すると下記のように分かれます。
(1)ようこそ先輩 - 失敗経験を語りあう場
(2)海老原塾&無手勝塾 - 転職スキル(この場合は業務スキル)をぶ学ぶ場
(3)スペシャルライブ - 社外から著名人を招いて視野を拡大する場
(4)よろず茶屋 - 同じ趣味をもつ人々が集まるコミュニティ
一目みただけで、そのネーミングから「怪しさ」がつたわってくるでしょう。中村さんがいつもおっしゃっていることですが、「楽しくて、怪しい」「ちゃんとやらない」が、そのメインコンセプトです。
「楽しくて、怪しい」「ちゃんとやらない」という言葉からは、一見、不真面目な感覚を受けるかもしれませんが、そんなことはありません。これが人を集める、という意味では、重要なファクターなのかもしれません。
「終わりなき日常」を脱して、非日常の空間において、人がつながる場所をつくるためには、それなりの「演出」が必要だということです。
メタフォリカルに述べるならば、「楽しくて、怪しくて、ちゃんとやらないこと」を「ちゃんとやっている」のが【ちゑや】ということになるのかもしれません。全体としては、「楽しい場」「あやしい場」「学べる場」「人がつながる場」をめざしているそうです。
お話をお聞きしていて、非常に印象的だったのは、中村さんは、【ちゑや】を社内サービスだと位置づけていることです。顧客は、社内の社員。そこには、明確な顧客意識があります。これは、人材開発のみならず、間接部門にとっては非常に重要なことだと思うのですが、いかがでしょうか。
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その後は、Learning bar恒例のディスカッションタイムです。
熱いディスカッションがかわされています。
外は寒いのに、今日も、非常にいつものように、教室の温度は急上昇です(笑)。クーラーつけなければならないほど。
その後は、Q&Aのコーナー。200名の方々からいただいた質問を中原が選ばせていただき、中村さんにお答えいただきました。
中村さんと中原のやりとりは、さながら「漫才」のようになりましたね。そういう感想を何人の方からいただきました。全く打ち合わせたわけではないのですが・・・。
楽しそうです。非常にうれしいことですね。
最後は、中原によるラップアップで終わりました。
講師の方へのわれんばかりの拍手の中、無事終了です。
ちなみに、、、この日の様子をもとに、Learning barの紹介ビデオをつくって、Youtubeで公開しております。3分間でLearning barの様子をご理解いただくことができると思います。もしよろしければ、ぜひ、ご覧ください。
中原に関連するイベントでとりとめた動画は、今後、下記のサイトで公開していきます。現在は、Learning barとワークプレイスラーニングのビデオを公開しています。こちらの方も、どうぞご覧ください。
NAKAHARA-LAB TV (中原研究室テレビ)
http://www.youtube.com/user/nakaharalab
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最後になりますが、中村さん、リクルートエージェントの皆様、そしてこの場づくりに協力してくれた大学院生の皆様、本当にありがとうございました。とてもよい「学びの場」になりました。この場を借りて感謝いたします。
次回のLearning barは、まだ日程は決まっていませんが、とてもすばらしいゲストをお呼びする予定です。どうぞお楽しみに。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2010年3月 4日 00:00
「ドラマ教育入門」を読んだ!
学部時代の友人の高尾隆君(現・東京学芸大学准教授)から、「ドラマ教育入門」というご著書を献本いただいた。「ドラマ教育入門」は、教育における演劇やドラマの役割を、初心者にもわかるように懇切丁寧に解説した本である。ズブのド素人の僕にも、この領域の実践や研究を、よく理解することができた。
ドラマ教育入門
http://www.toshobunka.co.jp/books/detail.php?isbn=ISBN978-4-8100-0558-5
人によっては、「ドラマ」と聞くと、「民放月9かい?、、、最近、視聴率厳しいんだってねー」という風に、全く違ったイメージをもたれる方が多いと思う。かくいう僕もそのひとりである(スイマセン)。
しかし、本書で扱われているドラマは、いわゆるわたしたちが持っている「ドラマ」のイメージよりも、ずっと広い。おおざっぱなイメージとしては「演劇(ドラマ)やコミュニケーションゲームなどを含んだ、参加型学習機会」くらいに捉えておくと、とりあえずはよいかもしれない。いわゆるワークショップで行われているような、いくつかのアクティビティも、この中に含まれる場合があると思う。
いわゆるドラマ教育の目的は、数限りなくある。
全人的教育をめざす(Ward, W.)
子どもの創造性の育成(Ward, W.)
グループの社会性を高める(O'Neill et al)
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本書を通読した、あくまで僕の理解によれば、それは下記のような特徴をもっているな、と感じた。
1)全人的発達をめざしていること
2)その中でも特に、創造性・批判的思考力・社会性・コミュニケーションといった、いわゆる伝統的で軽視されてきた能力の育成をめざしていること
3)参加型の学習機会を学習者に保証していること
本書では、米国のクリエィティブドラマ、イギリスのDrama in Education(DIE)などの運動を紹介しつつ、ウィニフレッド=ウォード、キース=ジョンストンなどのドラマ教育の推進を担ってきた様々な研究者、実践者を紹介している。いくつかの代表的なアクティビティも紹介されているから、実践者や実務家の方々にとっても、非常に有益な書籍だと思う。
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高尾君によれば、今年あたり、国内で「ドラマと教育」「演劇と教育」に関するムーブメントがおこりそうとのことである。僕個人はズブのド素人だけれども、このムーブメントには協力したいと思った。
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追伸.
上記の本を読んでいたら、ドラマ教育は識字の運動とも関係がありそうだ、と感じた。ドラマ教育の実践家として取り上げられている人々の経歴が、それを彷彿とさせたのかもしれない。
識字運動といえば、パウロ=フレイレ。彼の名前が久しぶりに脳裏に浮かぶ。
フレイレは、1921年、ブラジルのレシフェに生まれた。幼い頃に貧困を経験し、民衆の主体的解放(人間化)をめざすべく、成人の識字教育に携わる。20世紀で最も影響を与えた教育学者のひとりであろう。
フレイレが、生涯をかけて徹底的にあがなったものは「伝達」であり、「注入」である。そうした教育は、抑圧者が自己の権力を維持するために実施されるものだとして、彼は「銀行型教育」という言葉を使って批判している。
というわけで、フレイレをぱらぱらと読み直してみると、僕はやはり彼に多くの影響を受けていることがわかった。もしかすると、ドラマ教育入門と一緒に読むと、新たな発見があるかもしれない。
人間にふさわしく生きるというのは、世界に名前をつける、命名することである(name the world)。(そうすれば)それが新たな課題として、名づけた者の前に現れる。
(Freire, P.)
学ぶとは、取り戻すこと、再創造すること、書き直すということである
(Freire, P.)
投稿者 jun : 2010年3月 3日 10:08
人はなぜ「社外の勉強会」に出かけるのか?
現在、ビジネスパーソンのあいだに「勉強会ブーム」が広がっているといいます。不況下において、企業がワークシェアリングやワークライフバランスを進めるのに呼応して、社外にでて、学びたいというニーズがあがっているそうです(或は、学ばざるをえない)。最近、いくつかのメディアから、この話題で取材を受けました。
人は会社や組織の「外」で、どのように学んでいるのか
平成19年国民生活白書では、3人に1人の社会人が、交流会や勉強会にでかけています。しかし、その実態、その背後にある人々の思いについては、わかっていないことが非常に多いように感じます。
今年、中原研究室では、この課題に関して大規模調査を実施する計画があります。これまでやってきた、社内の職場学習に関する研究に、「最初のめど」をつけることができそうなので、今度は、少しだけ手をひろげて「社外の学び」を分析の視野にいれたいと思っています。もちろん、これまでどおり、社内の職場学習の調査研究も、今年度、大規模調査を実施します。
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僕は、数年前からビジネスパーソンのインタビュー調査を継続していますが、昨今では、様々な人から「最近、勉強会参加しているんですよねー」という話題もたまに聞くようになりました。
下記は、最近聞き取り調査にご協力いただいたビジネスパーソンの方々、人事部の方々から得た語りをデータとした「勉強会に参加する理由」の分類です(Learning barにいらっしゃった方を対象にした聞き取りではありません)。
きちんとした方法論に基づいて分類をしたわけではないのですが、だいたい、勉強会への参加の背景には、下記のような5つのニーズが存在するように思います。あくまで私見、言いたい放題です。でも、ビジネスパーソンのインタビューの中からは、社外勉強会に関する典型的な「5つの語り方」が抽出できます。
1.サバイブ
2.キャリア
3.ネットワーク
4.ソーシャルアントレプルナー
5.イノベーション
もちろん、実際のビジネスパーソンのモティベーションは、これらのニーズが複雑に絡み合っていることはいうまでもありません。人が動く動因は、ひとつに限定できる訳ではありません。
また、くどいようですが、あくまで、現段階では「仮説」です。実証研究は今年以降やります。きちんとした検証はあとでするから、慌てないでね、もう少しお時間をください。
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リキッド化し、リスク化していく社会の中で、自分を、自分の仕事を、そして自分の家族の将来を、どのように描くのか。
上記の人々の語りや、その背後にある潜在的ニーズからは、このような時代背景をもとにした、人々の「思惑」が見て取れます。
「社外の学びの場」は、「ユートピア」ではありません。勉強会ブームを煽るビジネス書やビジネス雑誌は、そこをパラダイスのように描きます。まるで、社外にでれば、すべての問題がキャッチオール(Catch all)で解決!のようです。しかし、僕はそのようには思いません。
そこは「ひとつの色」によって塗り上げられた「パラダイス的世界」というよりは、多様な人々の思惑が交差する「玉虫色の、陰影のある場所」なのです。そして、そこは、主体性を発揮して出かける場所でもあり、主体性を発揮しているかのように追い込まれて出かける場所でもありえるということです。
社外の勉強会に出かけている皆さん!
あなたは、なぜ、社外勉強会に出かけるのですか?
1.サバイブ
2.キャリア
3.ネットワーク
4.ソーシャルアントレプルナー
5.イノベーション
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いずれにしても、来年度は、このあたりのことを視野にいれて、職場学習論と社外の学びを架橋したいと考えています。
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後日談.
このエントリーには、Twitter、メール含め、数十件のやりとりがなされました。Twitter上のやりとりは、@benkyou_kai さんが、まとめてくれました。ありがとうございます。下記をご参照ください。
まとめ
http://togetter.com/li/7889
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●学びの認知科学辞典●
・学び研究のフロンティア 「江戸の学び」から「ロボットの学び」まで
・小生も末席で1章書いております 「企業における学び」
投稿者 jun : 2010年3月 2日 10:06