リベラルアーツとは、学びほぐしである!?

「これからの時代は人間力」なのだそうです。
そして、「人間力を向上」させるためには「教養を身につける」ことが必要なのだそうです。

 ふーん、そうなんだ。
 へー。

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「人間力」ほど、利用する人の恣意によって、多様に用いられる言葉はありません。
 ある識者は、それを「コミュニケーション力」「問題解決力」「決断力」と定義します。ある識者によれば、それは「学力とは対角線上にある、その人の中核的能力」なのだそうです。人によっては、それを「度量」といいかえる方もいらっしゃるそうです。

 僕には、人間力という「概念」が指し示すところは、さっぱりわかりません。ただ、よくよく人の話をお聞きしていますと、どうも「人間力」という言葉で指し示されるものには、下記の共通点があるように思います。

1)学力やスキルといったものではないということ
2)でも、人が所有する「力」概念で理解されること
3)計測は不可能であるということ

 人間力というコンセプトの「定義」の差異を論じることに興味はありませんので、ここではサラリと流します。皆さん、人間力の意味については、感じてください。

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 ただ、定義を論じることに興味はなくても、気にかかることはあります。それは「人間力というものを向上させるために、教養をつけることが重要だ」という先の指摘です。どうも、ここには違和感があるのです。

 僕の持論からいうと、「教養をつける」とは、そういう「力の向上」で暗喩される類のものではないのではないかか、ということです。

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 教養(リベラルアーツ)の原義は、聖書(ヨハネ書)にある「真理はあなたがたを自由にする」という言葉にあると記憶しています。 もともとリベラルとは「自分に力をつける」ものではなく、「自分を解放する」という意味です。

 つまり、日常生活で様々に獲得してしまった素朴概念、ステレオタイプ、思い込み、そして流行の言葉やコンセプト。たとえば、人間力といったもの。
 リベラルアーツにふれるとは、そうしたものを相対化しながら、自己を解放することができるのではないでしょうか。

 一言でいえば、

 リベラルアーツとはUnlearn(まなびほぐし)の学

 ではないかと思うのです。

 あるいは、

 リベラルアーツとは"自省の学"である

 といってもよいかもしれません。
 
 ところが、世間では、リベラルアーツは「力(能力)を向上させる」で把握されているそうです。むしろ、逆なのではないか、と。

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 教養ある人とは、僕の持論によれば、「自由な人」です。
 また、ルソーによると、自由とは「自分の好きなことをすることではなく、自分のやりたくないことをしないこと」だそうです。

 終わりなき日常の中で、色褪せていく「自分」に抵抗する。そして、曇りのない目で物事を見分け、自分のやりたくないことを拒絶しつつ、志高く生きていく。

 凡人小人野蛮人の小生としては、ため息がでてしまいますが、できることなら、かくのように、ありたいものですね。

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投稿者 jun : 2009年4月24日 07:49