「成長すること」を信じること
この世には、二種類の人がいます。
「成長した人」しか信じない人
と
「人が成長すること」を信じる人
です。
この二つは、似ているようで全く違います。
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皆さん、よい週末を!
僕もTAKUZOと遊びます。
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新刊「ダイアローグ 対話する組織」
(中原淳・長岡健共著 ダイヤモンド社刊)
多忙化を極める終わりなき日常の中で、少しだけ乾いてしまった職場のコミュニケーションを見直しませんか? そこには、働く大人の学びと成長、組織の成長と変革のヒントが見いだせるかもしれません。
投稿者 jun : 2009年2月28日 08:00
「ダイアローグ 対話する組織」 本日発売!
OJTでの知識伝達がなぜかうまく進まない・・・どうしたらいいだろう?
研修をやっても、なかなか行動につながらない・・・どうしてだろうか?
パワポを使ったプレゼンが増えているけど、何となく腹に落ちない・・・何とかできないだろうか?
フリーアドレス制のオフィスを導入したいと思っているけれど、本当に効果があがるのだろうか?
若手社員が、なかなかキャリアが描けない・・・
ナレッジの共有がうまく進まない。システムはかなり前に導入されているのに、なぜだろうか?
最近、組織の理念が急速に失われている・・・何とかして「浸透」させたいのだが・・・。
うちの組織はイノベーションを生み出すような人材がいなくて困っている・・・。
社員寮や社内運動会を復活させようと思っているのだけれども、本当に、それで問題が解決するのだろうか?
・
・
・
・
そんな方におすすめです!
「ダイアローグ 対話する組織」
(中原淳・長岡健共著 ダイヤモンド社刊)
(思いっきり宣伝!)
これらの問題の根幹には、「組織内におけるコミュニケーションと学び」の問題があると筆者らは考えます。
本書では、社会構成主義とよばれる立場から、「導管メタファ」とよばれる「コミュニケーションのあり方」を見直すことで、問題の核心に迫ります。
多忙化を極める終わりなき日常の中で、少しだけ乾いてしまった職場のコミュニケーションを見直しませんか? そこには、働く大人の学びと成長、組織の成長と変革のヒントが見いだせるかもしれません。
早い本屋さんでは本日夕方、遅くとも週末には、店頭に並びます。AMAZONでは、今日から配本がはじまるようです。
どうぞご一読いただき、感想などをおよせいただけると大変嬉しいです。
あなたの会社には「学びのサードプレイス」がありますか?
よろしくお願いします。
――――ダイアローグ 対話する組織 目次――――
■はじめに 「対話」のもつ可能性
■第1章「伝わらない」組織
導管メタファーからの脱却に向けて
・なぜか「伝わらない」職場コミュニケーション
・組織が抱える悩みに共通する問題とは
「わかるんだけど、腹に落ちない」
一方通行のコミュニケーション
・「後はメールで」メール文化の危険性
・失われゆく企業文化
・ビジネスの現場を支配する導管型コミュニケーション
・導管メタファーというコミュニケーション観
・教育現場の原風景――導管型コミュニケーションの典型例
・情報化の進展に導管メタファーが果たした役割
・人の変化を起こすコミュニケーションとは
・導管メタファーでは「伝わらない何か」
・情報の移動から人の変化へ
・ストーリーテリングの効用と限界
・ストーリーで語ることで「伝わる」もの
・人間の知的活動とストーリー
・人はストーリーで理解する
・モノローグ・ストーリーテリングの限界
・組織における対話の重要性
・運動会と飲み会で思いは共有できるか
・緊密なコミュニケーション=よい職場、という幻想
・対話(ダイアローグ)というコミュニケーションの可能性
■第2章「対話」とは何か?
社会構成主義的なコミュニケーションの理解と実践
・対話が求められるビジネス環境
・早く走る時代から、深く考える時代へ
・対話へのアカデミックな視座
・意味が人の行動を方向づける
・人はコミュニケーションの中で意味を紡ぐ――社会構成主義
・客観主義、主観主義・・・対話の位置づけ
・対話というコミュニケーション行為
・対話とは、聞き手と話し手が行うコミュニケーション行為
「雑談」とは、どう違うのか
「議論」とは、どう違うのか
・議論の限界と対話の可能性
パブリックカンバセーションプロジェクト
・対話が生み出す理解の相乗効果
・他者に語ることで、自分自身が見えてくる
・自由なムードを保ちながら互いの違いを理解する
■第3章「対話」が組織にもたらすもの
・組織にとっての対話の意義 - 三つの効果
・協調的な問題解決が可能になる
・多様性に摩擦は付き物
「議論」で協調的な問題解決は可能か?
「問題解決」から「問題設定」へ
「突貫工事のエキスパート」の悲劇
「対話」による問題解決が根づくトヨタの事例
・知識の共有
本当に必要な知識は流通しているか
なぜ知識の共有は困難なのか
知識共有と経験の語り合い
・知識共有はネットワークとして達成される
・対話による知識共有の意味
・ネットワーク構築が効果を発揮する
アサヒビールの事例
・組織の変革
・組織を動かす見えない力
・組織文化は日常に根ざす
・語り合うことを重視するデンソー・スピリット
・変革を誘発することへの意識
・実践と対話を結びつける花王のワークショップ
・対話による組織変革にひそむ問題
■第4章「対話」による新たな学び
・対話をめぐる知的探求の旅
から見えてきたもの
・対話による「変容のプロセス」こそが、学びの本質
・オープンなコミュニケーションの実現に向けて
・効率的なコミュニケーションと
緊密なコミュニケーションの問題点
・価値観共有、主体性発揮、そして「第三の道」へ
・成熟した大人の学びの実現に向けて
・ビジネスパーソンにとっての学びとは?
・Leaning bar(ラーニングバー)での新たな学び
・学びのサードプレイスをつくる
・サードプレイス(第三の場所)という概念
・インフォーマルでパブリックな「学びの場」
・対話」による新たな学びの可能性を信じて
■おわりに――ダイアローグ・オン・ダイアローグ
---
追伸.
おかげさまで、Learning bar「みんなでやる気を科学する」は、募集1日にして、応募者200名を突破しました。この後も引き続き3月中旬まで募集を続けますが、抽選ということになりそうです。
ご出講いただける先生方と協力させていただきながら、最高の「学びの場」にしたいと考えています。
どうぞよろしくお願いします。
投稿者 jun : 2009年2月27日 09:05
Learning barのお知らせ:みんなで「やる気」を科学する
皆様、お待たせしました!
Learning bar 「みんなで やる気 を科学する!」の募集を開始させていただきます!ふるって、ご応募ください!本郷キャンパスでお会いできますこと楽しみにしております!
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Learning bar@Todai 2009
みんなで「やる気」を科学する!
2009年4月17日(金曜日)午後5時45分 - 9時
東京大学 情報学環 福武ホール
=================================================
2009年4月のLearning barは、大きなテーマを掲げ
ます。ズバリ、、、
やる気!!
「うちの組織、元気ないんだよねー」
「うちの若手、モティベーション低すぎ・・・」
企業の方々と話していると、様々な場面で「やる気」
にかかわるお話を伺うことがあります。
今回のLearning barでは、世界人類のテーマであり、
きっとずっとこれからも、永遠の課題であり続ける
「働く大人のやる気」を皆さんでディスカッション
する機会を持ちたいと思います。
今回のLearning bar「も」講師陣は贅沢です。
第一線を活躍する実務家の方々、研究者をお招きし
、人類のテーマである!?「やる気」に対して多角的に
迫ることにいたしました。
実務界からは
株式会社JTBモチベーションズ
代表取締役社長 大塚雅樹さん
株式会社リクルートマネジメント
ソリューションズ
石井宏司さん
アカデミクスからは
岡山大学 社会文化科学研究科
山下 京先生(社会心理学)
または(未定)
国際経済労働研究所
八木隆一郎 統括研究員(社会心理学)
産業能率大学 情報マネジメント学部
長岡 健先生(組織社会学)
にご登壇いただきます。
企業主体の組織調査、社会調査は、非常に大規模な母
集団をもっています。大塚さんや石井さんのお話からは
現在の日本の働く大人のモティベーションが、どのよう
な傾向をもっているかを伺うことができるでしょう。皆
さんがひとりひとり持っている「やる気の常識」を内省
するよい機会になると思います。
ミドルのモティベーションに関するデータもございます
ので、お楽しみに。
その後は、心理学・社会学の先生方、山下先生、八木
先生(山下先生か八木先生はいずれかご登壇)、長岡先
生によるご講演です。
心理学・社会学では、モティベーションをどのように捉
えているのか。このあたりについて、最新の研究知見を適
宜踏まえ、ショートレクチャーをいただきます。
参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、3月13日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。3月20日までに参加可否をお伝えいたします。
下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいた
します。
なお、最近、Learning barは満員御礼が続いており、
参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応
えできないケースも生じてきています。
限られたスペースと人的リソースの中で運営し、か
つ、参加者のバックグラウンドの多様性を確保する必
要がある関係上、すべての方々のご要望にはお答えで
きない可能性があることをご承知おきください。
主催者としては心苦しい限りですが、なにとぞお許し
ください。
主催:中原 淳(東京大学・准教授)
※Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesが
主催、東京大学大学院学際情報学府 中原研究室が
共催する、実務家と研究者が集まる学術イベントです。
---
○主催
NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
エデュース・テクノロジーズ
http://www.educetech.org/
EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
関する調査、研究、コンサルティングを行う
非営利特定活動法人です。
企画担当
副代表理事 中原 淳
○共催
東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
- 大人の学びを科学する研究室 -
http://www.nakahara-lab.net/
○日時
2009年4月17日(金曜日)
午後5時15分 開場
午後5時45分より午後9時頃まで実施
※時間が限られておりますので、定刻通り
に始めます。本郷キャンパスは意外に
広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう
○内容(案)
□ウェルカムドリンク
(5時15分 - 5時45分)
・今回のLearning barでは、サンドイッチ
ソフトドリンク、ビール、ワイン等を
ご用意しています。
・非常に混み合うことが予想されますので、
なるべくはやくおこしください。
□イントロダクション
(5時45分-5時55分)
・中原 淳(東京大学)
□「やる気」の常識を考える
株式会社JTBモチベーションズ
代表取締役社長 大塚雅樹さん
(5時55分 - 6時25分 : 30分講演)
皆様の「やる気」に関する常識は果たして
正しいものでしょうか?
定量データやインタビュー結果などから、
現代の「やる気」事情を科学したいと思います。
□ミドルの「やる気」を科学する
株式会社リクルートマネジメント
ソリューションズ
石井宏司さん
(6時25分 - 6時55分 : 30分講演)
「課長はやる気があるのか」「課長のやりがい
の中身は?」「課長のやる気は上げられるの
か?」データを元に、みなさんと考えていき
たい思います。
--- Bar time(10min.)---
□「やる気」を心理学する
岡山大学 社会文化科学研究科
山下 京先生(社会心理学)
あるいは
国際経済労働研究所
八木隆一郎 統括研究員(社会心理学)
(7時05分 - 7時35分 : 30分講演)
「モティべーション」のような目に見え
ないものを「測る」というのは,それこそ
心理学における大問題です。モティベーシ
ョンの測定という問題を取り上げ,そこか
ら日本企業従業員のモティべーションのバ
ランスの現状,ワーク・モティべーション
と企業業績や企業文化との関係についても
報告を行い,問題提起をしていきたいと考
えています。
□「やる気」を社会学する
産業能率大学 情報マネジメント学部
長岡 健先生(組織社会学)
(7時35分 - 8時05分 : 30分講演)
「やる気」とは個人の心の状態です。一方、
「やる気がある/なし」は周囲が判断します。
個人の心と周囲の判断をめぐる問題を起点に、
「やる気」について考えてみたいと思います。
--- bar time (10min.) ---
□お近くの方とディスカッション
(8時15分 - 8時40分)
(25分)
□ケータイde質疑
(8時40分 - 8時55分まで)
(15分)
□ラップアップ
(8時55分 - 9時00分まで)
(5分)
・中原 淳(東京大学・准教授)
○場所
東京大学 情報学環 福武ホール
地下2F 福武ラーニングシアター
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access.html
地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
○参加費
4000円(1名さま 一般・学生)
(講師招聘費用、講師謝金、飲み物、食べ物、
運営費等に支出いたします)
○食事
ソフトドリンク、ビール、ワインなどの飲み物、
および軽食をご準備いたします。
○参加条件
下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
いるとみなします。
1.本ワークショップの様子の写真、NPO Educe
Technologies、東京大学 中原研究室が関与する
Webサイト等の広報手段、講演資料、書籍等に用
いられる場合があります。
2. 欠席の際には、お手数でもその旨、
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jp までご連絡下さい。
人数多数のため、多数の方の参加をお断りしている
状況です。繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。
3.本イベントで剰余金が発生した場合は、東京大学 中原
研究室および、NPO法人 Educe Technologiesが開催する、
組織人材育成・組織学習に関係するシンポジウム、研究
会、ワークショップ等の非営利イベント等の準備費用、
運営費用、および、組織人材育成・組織学習に関する
研究開発費用に充当します。
○どうやって参加するのか?
下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
3月13日までにお申し込み下さい
〆ココカラ=======================================
参加申し込みフォーム
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
3月13日までにお申し込み下さい
3月20日までに参加の可否をご連絡させていただきます
---
上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。
氏名:( )
フリガナ:( )
所属:( )
メールアドレス:( )
業種:下記の11つの属性から、あなたに最も近いものを
ひとつお選びください
1.研究者
2.学生
3.民間教育会社勤務
4.民間コンサル会社勤務
5.事業会社勤務(人事・教育部門)
6.事業会社勤務(事業部門)
7.個人事業主(教育・コンサル)
8.経営者
9.初等・中等教育の学校勤務
10.公務員・公益法人等勤務
11.その他
もしあれば・・・一言コメント
( )
〆ココマデ=======================================
---
追伸.
慶應丸の内シティキャンパスでの講義「ラーニングイノベーション論」のシラバスが完成しました。講師の情報なども詳細に掲載されています。
ラーニングイノベーション論
http://www.nakahara-lab.net/lin2009.pdf
投稿者 jun : 2009年2月25日 07:15
シンポジウムの企画を、ワークショップでつくる!?
シンポジウムには「ひとつの新しいメッセージ」が必要です。
シンポジウムには、講演、質疑応答、パネルなどすべてを通じて、主催者側が訴えかけたい「新しいメッセージがひとつ」存在しなければならないと、僕は思っています。
職業研究者になって、数多くシンポジウムを企画・出演してきました。よいシンポジウムも、改善点のあるシンポジウムもありまhした。たくさんのシンポジウム経験を通して、このような「持論」を、僕はもつようになりました。
▼
たとえば、「学習」を例にして考えてみましょう。「シンポジウムには、新しいメッセージが必要だ」ということをご理解いただく上で、わかりやすい例かと思います(これは、先日、長岡先生と話し合っていた内容です)。
まず、
「学習について」(Level 1)
というのは、メッセージではありません。それはシンポジウムが焦点化する領域です。
さらに話を具体的にしましょう。
今、仮に下記のメッセージをもったシンポジウムがあるとします。
「学習とは知識獲得である」(Level 2)
確かに、「学習とは知識獲得である」というのは、メッセージです。しかし、それは「新しくありません」。誰もがそういうステレオタイプを持っております。
必要なのは、「新しいメッセージ」です。
本当にたとえばの話ですが、
「学習とは、創造的破壊である」(Level 3)
ということが、仮に、多くの人々にとって「ビビビ」とくる新鮮なメッセージだとします。そして、シンポジウムに求められるのは、かくのごとき「新しさ」であると僕は思います。
繰り返しになりますが「○○とは~である」の「~」の部分に、主催者側の「エッジのとがった主張」が含まれていなければなりません。この「~」を関係者間で話し合って決めること、合意することが、シンポジウムの企画プロセスで最も大切なことであると僕は思います。
決して、誤解してはいけないと思うのです。「~」の部分は、質問紙調査やアンケートをしても、それだけからなかなか見つかるものではありません。なぜなら、それは、多くの人々がまだ見聞きしていない「新しいこと」であるから。
まずは、企画側が「何をやりたいのか」「何を変えたいのか」からものを考える必要があります。
ここまでくると、研究とシンポジウム企画が、それほど変わらない活動であることに気づかされます。
▼
先週土曜日、ワークプレイスラーニング2009 企画委員会のメンバーが集まって、今年のシンポジウムのコンセプトをディスカッションするワークショップが開催されました。
今年のワークプレイスラーニング2009は、2009年10月30日(金曜日)午前10時 - 午後5時の日程で、東京大学・本郷キャンパス・安田講堂で開催されます。運営は下記の産学協力体制です。
■主催
東京大学 大学総合教育研究センター
■共催
非営利特定活動法人 Educe Technologies
■ワークプレイスラーニング2009企画委員会
NPO法人 日本アクションラーニング協会
NRIラーニングネットワーク株式会社
エム・アイ・アソシエイツ株式会社
株式会社 グロービス
株式会社 ダイヤモンド社
株式会社 日本能率協会マネジメントセンター
株式会社 富士ゼロックス総合教育研究所
株式会社 リクルートマネジメントソリューションズ
株式会社 レビックグローバル
学校法人 産業能率大学
グローバルナレッジネットワーク株式会社
日本CHO協会
らーのろじー株式会社
ワークプレイスラーニング2009は、3年目にして、15団体、20名以上の人々で運営されるシンポジウムに成長しました。人数も多くなってきたので、やはり、企画をたてる際には、全員参加型のワークショップが必須であろうという判断から、今回週末にワークショップを実施しました。
これらのワークショップでは、
1)今年のワークプレイスラーニング2009で、私たちは、どのようなメッセージを発信していくべきなのか?
2)ワークプレイスラーニング2009を運営するにあたり、新しい「仕掛け」「演出」は何か?
を、様々な手法を使ってディスカッションしました。
下記はそのプロセスです。
---
ワークショップは、らーのろじー株式会社の本間正人さんのご厚意で、らーのろじーさんの本郷の事務所で実施されました。
参加者は、ワークプレイスラーニング2009の企画委員会メンバーです。当日は、ディスカッションの内容を、敢えて「拡散」させるため、東京大学の大学院生にもご参加いただきました。
ワークショップの冒頭、まず僕の方から、今日の趣旨を説明しました。この趣旨は、本間さん、中原、長岡先生であらかじめ決めていたものでした。下記に、その資料を公開します。
中原の趣旨説明
http://www.nakahara-lab.net/blog/workplace_learning2009ws.pdf
ご一読いただいた方はすぐにおわかりかと思いますが、ワークプレイスラーニング2009で、我々は、「シンポジウム企画のプロセスそのものをオープン化」します。つまり、「メイキング・オブ・ワークプレイスラーニング」を、このブログで公開するのです。
なぜか?
それは、何よりも「新しく、面白く、役に立つメッセージ」を私たち自身がつくっていきたいからです。また、このシンポジウムにかける関係者の「想い」のようなものを、参加者の皆さんと共有したいと考えるからです。
ぜひ、わたしたちの活動、企画趣旨に関して、ご意見・感想等がおありでしたら、ご連絡をいただければと思います。
▼
趣旨説明のあとは、本間さんのファシリテーションで下記のようなアクティビティに取り組みました。
▼
1.ブラインドウォーク
まず本郷界隈をブラインドウォークしました。二人ペアになって、一人が目をつぶります。もう一人は目をつぶった方を誘導していきます。
自転車や自動車の行き交う本郷界隈は、かなり危険な場所です。ウォームアップのアクティビティとして、非常に面白かったです。
▼
2.わたしにとってのワークプレイスラーニング
次に、二人ペアになってインタビューをしあいます。お題は「私にとって、ワークプレイスラーニングだと思える瞬間」です。
具体的に、細かく、かつ映像的に「これが、ワークプレイスラーニングだ!」だと思える瞬間をインタビューしあいました。
▼
3.素晴らしいWPLは○○だ! - ブレインストーミング
次に、「素晴らしいワークプレイスラーニングとは~だ」というセンテンスの「~」にあたるものをグループでだしあいます。
どうなるかわからない意外性
空気をあまり読みすぎない
もっとわからなくなる
善意をもって相手を認める
時間を忘れる
夢中になる
自分のアクションに対してレスポンスがある
業績にむすびつく
自分に対する発見がある
尊敬とか信頼に基づいている
こんな風になりたい、という人がいる
押しつけられていない(自発性がいる)
シンプルさがある
感情が豊かに流れる
誰かに話したくなる
セクシーだ(刺激的だ)
組織力に結びつける
やる気のないベテラン社員が活性化する
自律的に職場で担える
「学び」とは思わず従事してしまう
常識をこえる
ステレオタイプを壊す
といったようなワードが、生まれてきました。
学習とは、通常、「獲得:acquisition」というメタファで語られる、コンサバティブな活動だと思われています。しかし、企画委員会のもっている「学習観」は、ややこれとズレているという印象を持ちました。
「学び」とは思わず自律的に従事してしまう活動で、こんな風になれたらいいのにという人のもとで、何かを壊しつつ、常識を再構築する。そのことが、組織に刺激を与える。そうしたセクシーな!?活動が「ワークプレイスラーニング」なのではないか、という認識があるのかな、と思いました。
▼
4.ドリームインタビューイメージ化
次に「ワークプレイスラーニング2009が終わった直後、こういう場面が見られてよかった」というイメージを全員で語り合いました。
文化人類学、政治学者をコメンテータにいれる
参加者の属性をわかるように、色分けされたボール
を受付でわたす
事例を少なめにして、じっくり語り合っている場をつくる
といったアイデアも生まれました。
▼
5.Workplace learning 企画コンペ
最後は企画コンペです。これまでの議論を踏まえ、下記の5つを含んだ企画コンペを実施しました。グループで50分間話し合ってもらい、ポスターをつくります。最後は、ポスターを使って発表を行いました。
テーマ
進め方
しかけ
ゲスト
タイムスケジュール
グループでつくったポスターを使って、発表をしてもらいます。いくつかのキーワードがでてきました。
Learning responsibility
育つ責任 育てる責任
人は育つのか、育てるのか?
Learning is Unlearning
などといったアイデアも生まれました。本間さんからは、Learning as re-storyingというのも面白いのではないか、という提案がなされました。
仕掛け上の工夫も、いくつか提案されました。参加者自らが、意見をつくり、場所を別れてディスカッションする、といったような提案もなされました。実現すれば、刺激的な場になりそうですね。
ワークショップは、また形式を変えて、3月21日(金曜日)も実施されます。こちらでは、今日の結果を踏まえて、中原と長岡先生で話し合った企画をたたき台に、さらに企画をブラッシュアップを続けていきたいと思います。
3月が終われば、4月からはいよいよ事例企業の選定。そして気づけば、夏。募集開始です。
ワークプレイスラーニング2009、いよいよ、始動です。
皆さん、10月30日(金曜日)は、ぜひスケジュールをあけておいてくださいね。どうぞお楽しみに。
最後になりますが、ファシリテーションをつとめてくださった本間さん、事務局の坂本君、そして東京大学大学院の院生諸氏、ありがとうございました。
また、参加していただいた企画委員会の方々、金子さん@グロービス、坂本さん@富士ゼロックス総合教育研究所、吉松さん@産業能率大学、鈴木さん@NRIラーニング、永田さん@ダイヤモンド社、石田さん@ダイヤモンド社、石井さん@リクルートMS、斎藤さん@産業能率大学、須藤さん@日本CHO協会、古賀さん@産能大学、、、休日にかかわらず、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
感謝を込めて。
投稿者 jun : 2009年2月24日 10:48
「大型書店の領収書」が消えちゃった!? : ネット書店とブログの連携
年に一度の「憂鬱」 - 「確定申告の書類づくり」のシーズンですね。我が家では、カミサンに手伝ってもらい、帳簿をつけます。
僕一人でやってもいいのですが、いいえ、たぶん「無理」でしょう(はなっから諦める)。僕をご存じの方は皆同意していただけると思うのですが、僕は「細かいこと」が、とても苦手なのです。カミサンには申し訳ないですが、「コラボっつーことで、そこんとこ、よろしく」という感じです、、、スンマセン。カミサンに、このコラボでどんな付加価値やメリットがあるのかはわかりません、、、返す返すも、スミマセン。
とはいうものの、最初から最後まで「コラボ(労働力搾取!?)」というわけにもいかないので、一ヶ月くらい前から、僕は、ひとり「領収書のまとめ」の準備をしていました。できることは、一人でやらなね。
一年間ためれば、ゴミ袋いっぱいくらいの領収書があります。これを、ひとつずつ見て、書籍費、交通費・・・といったかたちで、領収書の束をつくります。で、そこであることに気づきました。それが今日のネタです。
▼
といいますのは、「書籍」の束に、紀伊●屋、三●堂、●京堂、●善などの大型書店の領収書がほとんどないのです。
あるのは、AMAZONか、あるいは、近所の中規模の本屋・・・。
以前は、たくさんあったはずの大型書店の領収書が消えていて、この二つに偏っていました。AMAZONが8割、近所の中規模のものが2割といったところでしょうか。
かつて、僕の「書籍」の領収書は、こんな分布をしていませんでした。つい数年前までは、紀伊●屋、三●堂、●京堂、●善などの領収書がほとんどで、AMAZONが全体の二割といったかたちであったことを記憶しています。
▼
一ヶ月に僕が購入する本は、ほぼ4万円程度だと思います。もちろん、これは個人で購入する本であって、大学を入れれば10万円は軽く超えます。
大学院の修行中に、ある尊敬する先生から、こう言われたことを思い出します。その先生は、自宅の床が、本で足の踏み場がないことで有名な方だったのですが、彼が僕にこう言いました。
「研究者って新しいことをしなきゃならないんだよね。新しいことって、古いことを知らないとできないよね。僕を含めて前の世代を超えるほど、君自身が本を読まないと、お話にならないと思うよ・・・」
厳しいご指導ですが、もっともなことです。前の世代の読書量を超えずして、何が「新しいこと」か・・・ちゃんちゃらおかしいですね。以来、まだまだ不十分ではありますが、本はとにかく手当たり次第読むことにしています。
▼
閑話休題
話を元に戻しましょう。
僕の領収書が、なぜAMAZONが8割を超え、大型書店が激減し、中規模の書店がパラパラになってしまったのか。これはいくつかの理由があるように思います。
まず、AMAZONは、現在、もっとも早く確実に書籍を手に入れることのできる書店であるということです。別にAMAZONの「回し者」というわけではないです。事実としてそうなんです。
即日発送の「AMAZONプライム」のサービスは、それをさらに加速させています。このことは、僕にとってはかなり大きいことでした。
とにかく、僕は「せっかち」です。どちらかというと「生き急ぎ系」かもしれません。「今、考えていること」「今、思っていること」に関係する知識がどこかに存在するのなら、それを一刻も早く手に入れたいと願います。
だから、「出かけて探してみなければ、在庫があるかどうかわからない書店」よりは、「あるかないかがはっきりして」いて、しかも「あるのならば、明日には必ず送ってくれる」AMAZONを利用してしまうのです。
子どもができたことも大きいかもしれません。
かつては、カミサンと街をブラブラして、話すことがなくなったら、「どれ、暇つぶしに本でも買いに行くか」ということになったのだけれども、そういう外出はほとんどゼロになりました。
▼
もちろん、大型書店には、大型書店の醍醐味があります。自分の専門以外の書棚をブラブラして「掘り出し物」を見つけたりすることで、思わぬ発見やブレークスルーになることがあります。こういった「遊泳」が、自分の教養や見識を広めることにつながっている場合もありうることです。
学生を見ていていつも思うことがあります。
学生には二種類の人がいます。
書店に出かけたときに、「自分の専門の書棚しか見ない人」と「自分の専門以外の書棚も見る人」です。どちらが、自分の研究をより広い文脈に位置づけることができるか・・・すこし考えてみれば、結果はおのずとわかります。
▼
しかし、残念ながら、今の僕にとっては、「大型書店を遊泳する時間」はありません。それでは、その分をどうカバーしているのか。それが「他人のブログで書かれる新刊案内、書評」なのですね。
僕のRSSリーダには、国内外の数百のブログが登録されています。教育、学習のみならず、医学、看護学、建築学、人類学、哲学、社会学、宗教学、心理学、経営学といった具合に、「それぞれの領域で、もっとも情報が早く、感度のよさそうな人のブログ」を登録してあるのです。
こうした「感度の高い方々のブログ」、現在、「遊泳のできない僕」にとっての貴重な情報ソースですね。
当然のことではありますが、僕が登録しているのは「感度のよい方々」ですので、それぞれの分野で注目の新刊が出ると真っ先に、自分のブログに感想を書いていただけます。
この感想を参考にして、AMAZONで発注をすれば、敢えて「大型書店」を遊泳しなくても、似たような効果(同じ効果)が得られるのですね。
つまり、「大型書店の遊泳」が「ブログの書評+AMAZON」にすべて置き換わっているということです。
僕自身が「遊泳」しなくても、僕は擬似的に「遊泳」しているのです。「分散した知を協調させること」で賢く振る舞おう、という「社会分散認知」の考え方に「近い」ものがありますね。
ちなみに、それでは、近所の小中規模の書店の領収書は、なぜ存在するのでしょうか。それは簡単。残されたものは「雑誌」です。雑誌をAMAZONで買ったことは、まだ一度もありません。雑誌は、やはり「特集のタイトル」と「表紙の雰囲気」を見て、発注したいです。
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僕のような書店利用は、どちらかというと、職業研究者のそれであり、変わっているのだと思います。全く一般化するつもりはありません。多くの人々の利用形態は、ここで紹介した書店の利用方法と異なっているでしょう。
しかし、僕にとっては、かつてあれほど通った「大型書店」の領収書が、ほとんど消えてしまったことは、軽いショックでした。
ここ数年で大きな変化が「書店」におとずれているのかもしれません。
投稿者 jun : 2009年2月23日 13:16
無意識かつ暗黙のうちに伝えてしまう「何か」 : ヒドゥンカリキュラム
教育現場には「二つのカリキュラム」が存在すると言われています。
ひとつは、あなたが「本来教えようしているもの」。
これを仮に、フォーマルカリキュラム(顕在的カリキュラム)とよびましょう。
たとえば、算数の授業ならば算数。文章表現の授業であれば、作文技術。あなたが、意図的かつ綿密につくったプランのもとに、学習者に伝えようとしているものが、フォーマルカリキュラムです。
しかし、あなたは、フォーマルカリキュラムを教える一方で、「もうひとつのカリキュラム」を同時に伝えていることになります。望むと望まないとにかかわらず、あなたは、学習者にフォーマルカリキュラム以外の「何か」を教えている。その「何か」から、あなたは決して逃れることはできません。
これが「ヒドゥンカリキュラム(Hidden Curriculum : 潜在的カリキュラムともいいます)です。
ここでは、「ヒドゥンカリキュラム」を、「教育現場において、無意識的かつ暗黙のうちに、生徒に伝達してしまう価値観、行動様式、知識など」と考えましょう。
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たとえば、社会の教科書の挿絵を想像してください。今、仮に誰かが、「キッチンの前に立って料理をつくっている」とします。それは「誰」ですか?
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今の教科書はどうなっているか検証したわけではないですけれど、多くの場合、台所にたっているのは「女性」であることは想像に難くありません。
今、仮に体育館にクラスで出かけるために、廊下に1列で並ぶとします。
僕の子ども時代は、こうした場合、男子が先で、女子が後でした。出席簿もそうです。少なくとも僕の小学生の頃は、男子が先で、やはり女子が後でした。
性別役割分業は、最もわかりやすいので、敢えてそれだけ取り上げましたけれど、これがヒドゥンカリキュラムの典型例です。
このような中で子どもは、「女性は料理をつくる存在」「男が先で、女は後」という価値観を、無意識的かつ、暗黙のうちに獲得してしまう可能性があります。
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もちろん、ポストモダンの議論を持ち出すまでもなく、政治的中立・価値中立である教育現場、教育は存在しません。また、政治的中立・価値中立である教員も(研究者も)、この世には存在しません。
教育現場には、様々な既存の価値感・価値システムが埋め込まれています。
学習者は、そこで暮らし、学ぶことで、フォーマルカリキュラム以外の内容も、無意識的かつ暗黙のうちに学んでしまうものなのです。
私たちにしうることは、そうした無意識的かつ暗黙のうちに伝達される価値や行動規範に「意識的」になろうと努力することではないか、と思います。
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あなたは、何を伝えたいと思っていますか?
そして
あなたが、伝えたいと思っていなくても、結局、伝えてしまっているものは何ですか?
投稿者 jun : 2009年2月20日 11:09
映画監督 林弘樹さんのこと
知り合いの映画監督 林弘樹(はやし・ひろき)さんから、トークショー&試写会のご連絡をいただきました。
あいにく僕は都合が悪くお伺いできないのですが、皆さんにも、ぜひ、林さんの活動をご紹介したいと思います。
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林さんは、僕とひとつ違いの新進気鋭の映画監督です。日本映画監督協会最年少世代監督の一人。TV、商業映画の助監督として黒沢清監督、和田誠監督、北野武監督らのもと、修行なさいました。
林さんを一躍有名にしたのは、「地域密着型の映画制作」「市民参加型の映画制作」という作品づくりです。
これまで、様々な地域で住民・市民を巻き込み、時には「監督塾」「映画塾」を主催し、地域の人々と「学習の場」「関わりの場」をつくりつつ、メガホンをとってこられました。
2005年には、日経地域情報化大賞2005「日経MJ賞」を受賞なさっています。
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僕が林さんとはじめてお逢いしたのは、「離島に向かうフェリーの船着き場」です。この話は話すと長いのでまた今度にしますが(笑)、とにかく、お逢いして、いろいろとお話をしていくにつれ、僕の目から見れば、林さんの活動は「学習」に直結しているように思われ、、、妙に親近感が沸きました(笑)。
興味深かったのは、林さんがきっぱりとこうおっしゃっていたことです。テープレコーダーをもっていたわけではないので、一時一句同じではないですが、こんなような趣旨のご発言でした。
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「僕は、時に、"街おこしの監督"と言われるけれど、"街おこし"が目的で映画づくりをしているわけではないのです。
地域の人々とコミュニケーションし、また、地域の人々のコミュニケーションの中にいて、いつの間にか、自分が一番面白がっている。そのとき、地域の人もなぜか燃えている。
監督とは、映画に集ってくる人々の"旗振り役"なのです」
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そんな林監督の「旗」の元には、今もなお、多くの地域から声がかかります。市町村合併はしたけれど、しっくりきていない街やムラ。このままでは統廃合を迎えることになる地域。
そんな人々が、映画づくりに「参加」し、自分たちの街をつくっていこうとするプロセスは、まさに、僕の目から見れば、「学習」なのです。
映画の一番最後に流れるエンドロールは、人々の「参加の軌跡」であり、「学習の軌跡」なのかもしれません。林さんの映画づくりのプロセスをフィールドワークすると、とても面白いことが見えてくるようにも思えたりします。
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今回の試写会は、文京区のシビックセンターで開催されるそうです。林さんのトークショーもあるようですので、ぜひお越しください。
■日時
2月2日(日) 12:30-15:45
■場所
文京シビックセンターB1F
アカデミー文京レクリエーションホール
■定員
約140名
■料金
無料
■主催
財団法人文京アカデミー
■参加方法
予約制:下記までご連絡下さい。
FireWorks 担当:武藤直樹
info@fireworks-film.com
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日本にも、面白い活動をなさっている方が、たーくさんいるものですね。
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■映画「人生ごっこ!?」
http://www.jinseigokko.com/
○ミンスク国際映画祭 コンペティション部門
○パリ・キノタヨ映画祭 パノラマ部門
○上海国際映画祭 正式招待作品
2008年 2月9日~29日 劇場公開終了
2009年5月7日全国DVDセル・レンタル決定
■北海道十勝での映画製作「WAYAシネマ」
http://www.waya-cinema.net/
■岐阜県恵那市での映画製作「心の合併プロジェクト」
http://kokoronogappei.blog105.fc2.com/
投稿者 jun : 2009年2月19日 12:41
なぜ、このあたりを探しているのですか?
先日、面白い寓話を聞いた。下記、うろ覚えになるけれど、紹介する。
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ある男が、深夜、道を歩いているとき、大切な鍵を誤って落としてしまった。はっと気づいたときには、鍵が地面に落ちた音だけが聞こえた。
鍵は本当に大切な鍵だった。男は熱心に鍵を探した。
そこに、親切なお巡りさんが、通りがかかる。
お巡りさん「どうしたんですか? いったい何をしているのですか?」
男「いえ、大切な鍵を落としてしまったので、探しているのです」
お巡りさん「どれどれ」
お巡りさんは、鍵を、一緒に探してあげることにした。幸い、男が鍵を探している場所は、街路灯の真下であった。
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しばらく探してみても、いっこうに鍵は見つからない。
街路灯が、二人の顔と手元を照らす。
いっこうに鍵は見つからない。
「おかしいですね、見あたりませんね。どのへんで落としたのか、全くわからないのですか?」
お巡りさんは、男に、そう尋ねた。
男は答えた。
「真っ暗で、何も見えないところで、鍵を落としました」
この答えに訝しがりながら、お巡りさんは、男に尋ねました。
「真っ暗なところで鍵を落としたなら、なぜ、あなたは街路灯で照らされている、このあたりを探しているのですか」
憮然とした顔で、男は答えました。
「だって、このあたりは、街路灯に照らされているので明るいじゃないですか・・・探すには最適な場所ですよ」
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有名な「エレベータの話」も、なかなか考えさせるけど、こちらも趣深い。ストーリー好きの小生としては、気に入った。
エレベータの話
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/08/post_1312.html
「私たちが見ることができるもの」と「私たちが本当に見なければならないもの」は、実は、別のことであることが多い。しかし、時に、私たちは、そのことに無頓着になりがちだ。「見ることができるもの」を「見なければならないもの」としてしまう。
想像力をふくらませて、換言する。
「私たちが解決できる問題」と「私たちが解決しなければならない問題」が、よく考えてみると、別のことであることが多い。しかし、わたしたちは、「解決できる問題」を「解決しなければならない問題」だと見なし、問題解決を進めたがる傾向がある。かくして、本来解決しなければならない問題は、いつまでたっても、解決されない。
なぜか?
「問題解決しようとしている、その問題」は、「本来解決しなければならない問題」ではないからである。
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「あなたが見ることのできるもの」は、本当に、「あなたが見なければならないもの」ですか?
「あなたが解決できる問題」は、本当に、「あなたが解決しなければならない問題」なのですか?
投稿者 jun : 2009年2月19日 09:03
藤井大輔著「R25のつくりかた」を読んだ!
藤井大輔著「R25のつくりかた」を読みました。R25は首都圏のターミナル駅などで配付されている、リクルート社のフリーマガジンです。
R25
http://r25.jp/
「情報感度がとても高くて、一見クール。でも、一皮むけば結構熱い」という、イマドキのM1層(20~34歳の男性)を読者に想定しています。
本書は、R25のプロジェクト立ち上げから、読者の本音に迫るリサーチ、編集方法やクロスメディア展開までを、前編集長の藤井大輔さんが綴ったものです。
大変興味深かったのは、藤井さんたちが、R25の立ち上げのときに、M1層を集めて行ったリサーチについてのお話です。時間がないので、はしょりながらご紹介します。
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まず、藤井さんたちは1万人のサンプルを対象に定量調査を行いました。そのときにわかってきたのは、「新聞は5割が読んでいない」というM1層のメディア接触頻度でした。
しかし、その後、グループインタビューを行ってみると、この調査データを覆すことが起こります。なんと、8割の人が「新聞を読んでいる」と答えるのですね。
つまり、どちらかにウソがあることがわかります。
そこで、次に行ったのは、インターネットの定量調査で「新聞を読んでいない」と答えた人だけをインタビューに呼んでみました。それでも、やはり、彼らは「新聞を読んでいる」と答えます。
よく見るテレビ番組は、「ガイアの夜明け」「ワールドビジネスサテライト」と続き、決して「ぷっスマ」が出てくることはありません。
勘のよい方ならおわかりか、と思うのですが、M1層は「できるビジネスパーソン」として、自分を演出しているのです。新聞を読み、自分の仕事に生かしているという雰囲気を醸し出すことは、彼らにとってのステイタスだということがわかってきました。
ここで方針を変更し、M1層に背伸びをさせないインタビューを行っていくことにしました。
すると、M1層は新聞を読みたいと思っているし、上司や先輩にも読め、と言われているのだけれども、「新聞を読むための事前の知識が不足している」ということがわかってきました。
かくして、R25のコンセプトが洗練されていきます。最終的に行き着いたコンセプトは、「フリーマガジンなのに役に立つ」というものでした。ここから、人気の「ランキン&レビュー」などが生まれてくるのです。
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R25誕生までのプロセス、非常に面白く読むことができました。また、いかに対象者の生活の実態に迫ることが難しいのかを感じることができました。「企画」に取り組んでいる方には、おすすめの一冊です。
投稿者 jun : 2009年2月18日 06:59
教育を語ること
ずっと昔の話になりますが、確か、NHKで、作家の村上龍さんが司会になり、「日本の教育の将来やあり方」について、教育学者、教育評論家をたくさん招いて、議論するという番組があったと記憶しています。
番組のあいだ中、様々な教育学者、教育評論家が
「日本の教育とは○○べきだ」
「日本の教育現場は~なべきだ」
「日本の教師は~であるべきだ」
という当為(べき論)を闘わせていました。ロジカルに、かつ、雄弁に、それぞれの立場から、「日本の教育は~すべき」を闘わせていました。
それはそれで面白かったのですけれども、この番組の「最高の瞬間」は、一番最後に仕組まれていました。
村上龍さんが、一番最後にこういう問いかけをしたのですね。
「いろいろ議論をしましたが、最後の質問です。皆さん自身は、自分のお子さんにどのように育って欲しいですか?」
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場が一瞬凍りました。話し合いのモードが、「日本の○○」が主語の会話から、「わたし」に変わったのです。「~するべき」から「~したい」という風に語尾が変わったのです。
そして、参加者のどなたかが、ぼつりとこう言ったのですね。これまで、雄弁にロジカルに「日本の教育」を語っていた人々が、最後につぶやいた一言が、僕は忘れられません。
「やっぱり、明るく楽しくかな・・・」
続く人々も、同じようなことを述べていました。
「健康で元気にすくすくと育って欲しいですね」
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僕は、ここに「教育を語ること」の難しさと希望を見ました。
同時に、こういう「問いかけ」のできる村上龍さんの機転に、深く感銘を覚えました。
投稿者 jun : 2009年2月17日 09:06
社内運動会、社員寮、社員旅行
ここ数年、社内運動会、社員寮、社員旅行など、バブル不況の時期に廃止したものを、復活させる動きがあるそうです。
確かに、某新聞社のデータベースを検索すると、社内運動会、社員旅行、社員寮に関する記事は、この数年で増えているようですね。記事についてはざっとしか見ていませんが、比較的好意的な書きっぷりのものが多いようです。
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社内運動会、社員寮、社員旅行・・・これらの試みは、おそらく、成果主義などの人事施策によって失われた「人々のつながりを復活させたい」「結束力の強い職場をつくりたい」というニーズから生まれ出たものだと想像します。
現在、人々が過ごしている職場は、終身雇用と年功序列が支配していた「かつての職場」とは違いますね。もちろん、変わったところもあるし、変わらないところもあるんだろうけど、1980年代の「それ」とは、おそらく変わっているのではないか、と想像します(少なくとも大学は違います)。
少なくともかつてよりは、職場がアトム化(原子化)し、「個」と「個」が分断されている。プライベートとオフィシャルも、明確に「線引き」する人が多いのではないでしょうか。
先日、お逢いしたある方が
「社員旅行のお風呂では、新入社員が、部長や課長の背中を流すのが通例だった。だから、部長や課長が風呂にいくタイミングをずっと気にかけていた」
とおっしゃっていましたけれども、今、そういうことを気にかける若者は、昔ほどはいないような気もします。実際のところは、どうなのかわかりませんが。
「かつて」を知らない僕の目からすれば、そういうお話を皆さんに聞かせていただくたびに、
「かつての職場は、なんだか、家族みたいだな」
と思えてしまいます。「プライベートなのか、オフィシャルなのか、よーわからんなぁ」という奇妙な感じがしてしまうのですね。
まぁ、ともかく、Anyway、どうも昔よりは、職場の「結束」とか「つながり」といったものが失われている。つきましては、それを向上させたい。だから、イベントを興したり、施設を建設する、ということなのかな、と思います。
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でも、こういう話を聞くたびに、「奇妙な違和感」というか、「不思議な疑問」をもってしまいます。
まず真っ先に心に浮かんでくるのは「自分だったら、背中流されるのも、流すのもイヤだな」と思う感じ。これは僕の好き好みの問題なので、どーでもいいとしましょう。どちらかというと、集団行動は昔から「苦手」です。
中原君は、何をするときにでも、中原流をねらうよね
と、ある女の子に言われたことがあります。
ということから考えると、仮に「中原流の背中流し」を考えつけば、喜んでやったのかもしれません。
閑話休題、話がそれました。
とにかく、そういう僕個人のキャラの問題よりも、より重要な疑問は - 素朴な疑問なのですけれども -
「集団凝集性や集団結束力を向上させることで、職場のパフォーマンスは向上するのかな」
という疑問です。
▼
僕が思ったことは、つまり、こういうことです。
集団の凝集性や結束力を高めること以上に、本来、問われなければならないのは、職場のメンバーが、自分たちの仕事やめざすべきところに対する合意(コンセンサス)を、どの程度共有しているか、ではないのではないでしょうか。
今、仮に職場のパフォーマンスをPとします。
そして、集団凝集性をN、集団にどの程度コンセンサスがあるかどうかをCとします。
そうすると、
P≠f(N)
だと思うんですよね。
むしろ、
P=f(N、C)
なのかな、と思ってしまいます。
文章で表現するとこうなるでしょうか。
「職場の結束力をいかに高めても、自分たちがめざすべきものや、自分たちの仕事に対する意味や意義が共有され、合意されていなければ、パフォーマンスにはつながらない。
職場の結束力の強さをもってして、結局、何を実現し、何を目指すのか、に関して、きちんとコミュニケーションがなされており、コンセンサスが得られてなければならない。
そして、そこで共有されているコンセンサスが、その職場のひとりよがりの考えではなく、外部環境とてらして考えて、優位をたもてるものではければならない。
むしろ、しょーもないことが共有され、合意されている場合に、職場の結束力が高いことは、結局、アダになってしまうのではないだろうか。そのことは、パフォーマンスにつながらないのではないだろうか」
▼
この考えは何ら学問的な裏打ちがあっていっていることではありません(スンマセン、、、本当は調べればいいのですけれど、今、おうちで、本がないのです)。
自分のこれまでの経験から、「結束力はやたら高くても、しょーもないことにコンセンサスを見いだしていて、しょーもないことしかできない集団」をたくさん見てきました。その経験から、何となくそう思うのですが・・・。
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それでは、もしこのことが「真」だとして、次に問われるのは、「どうやって、自分たちの仕事やあり方に対して、意味や意義を共有・合意するのでしょうか」ということですね。
どこかでそういう「場」を持つか、あるいは、そういうことを共有できる機会を、つくらなければならないということになると思います(敢えて機会や場をつくらなくても、結果としてそれができている集団はたくさん存在します)。
「社員旅行」「社員運動会」が、そうした「場」として機能するハズだとおっしゃる方もいるかもしれませんね。もしそうだとしたら、それでいいのだと思います。
が、社員旅行は概して「飲んで、愉しんで、終わり」、社員運動会は「身体を動かし、家族を紹介し合って終わり」になる可能性はないでしょうか。
もし、社員旅行や社員運動会が、そうした場としても機能することをめざすならば、そこには、綿密な「場のデザイン」「コミュニケーションのデザイン」が必要になると思います。
▼
アトム化した人々が、それぞれ、仕事、組織、お互いに対して、どんな意味を共有するか。
今、大切なことは、そういうことなのかな、と僕は思います。
投稿者 jun : 2009年2月16日 09:09
家庭医の学びと成長
土曜日 - ていうか、仕事です。
朝、研究室へ。先週忙しくて全く身動きとれなかったので、たまっている仕事を全速力でこなします。
遅々として進まないのですが、シコシコと論文も書いています、ていうか準備をしています。今後のロジックいかんによっては、もう一回、統計、再分析だな、、、再分析の結果によっては、ロジック組み替えだな・・・つーか、無限ループじゃね? いつ終わるんだ?(涙)。
頑張ります。
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午後、東京大学で開催されている「若手家庭医のための家庭医療学冬期セミナー」に参加しました。今回セミナーを主催なさっていた松井善典先生のお招きでした。ありがとうございました。
日本家庭医療学会若手家庭医部会
http://jafm.org/wakate/
若手家庭医のための家庭医療学冬期セミナー
http://jafm.org/winter/index.html
僕は、医療に関しては全くの「門外漢」ですので、下記はそれを前提に読んでいただきたいと思います。
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まず、家庭医とは、1)疾病臓器、2)医学的技能の専門性にとらわれず、患者ならびに地域住民の健康をケアするお医者さまのことだそうです。
この若手家庭医部会は、全国で家庭医療を実施なさる先生方の集まりとお聞きしました。セミナーは、今年で4回目。近年は、特に「医者の学び・成長」といったことが、多くの方々の関心になっているそうです。
家庭医は、通常、地方の診療所に勤務します。家庭医の仕事の中核は、もちろん診察・治療ですけれども、その他にも患者教育、看護師・コメディカルのチームビルディングや人材育成、後輩の指導など、「学び・成長」に関する仕事が多いそうです。
しかし、こうしたことは、伝統的な医学部ではあまり教えられていないそうです。加えて、家庭医は地方の診療所で離れて勤務していますので、学習機会を得ることがそもそも難しいようです。
何となくですが、なぜ家庭の先生方の間で「学び・成長」がテーマになる理由が理解できた気がしました。
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セミナーでは、東京大学 医学教育国際協力研究センターの大西弘高先生の講演「家庭医の学びに必要な教育・学習理論」を聴かせていただきました。ご講演の内容は、教育・学習理論の基礎に関するものでした。
なるほど、医学教育の視点からすると、それぞれのセオリーが、このように語られるのか、と非常に興味を持ちました。
大西先生のお話の中で、特に興味深かったのは、
医師の仕事においては、突如として降りかかる難題の解決の前に、備を行うことができない
基本的には、一つ一つの治療のエピソードを、大事に自分の学びに活かすしかない
というお言葉でした。
ドナルド=ショーンの省察的実践ではないですけれども、患者の疾病の状況は刻一刻と変化します。そのときどきに省察を行い、ベターな選択を行うことが医師の仕事ではないか、と思いました。もし、仮にそうだとすれば、そこで必要とされる知識・スキルは、どのように獲得されればよいのか。
また、医療に対する信念や態度(Attitude)といったものは、どこで形成されるものなのか、興味がわきました。
▼
その後は、ワークショップなどに参加しました。
ワークショップには、1)家庭医の理念をいかに理解させるか、2)診察場面をビデオ撮影してリフレクションを促す、といった事例がありました。
若いお医者さんたちの会話を聞きながら、僕が、このワークショップを実施するのだとしたら、どのようにデザインするだろうか、とずっと考えていました。
本当は、最後まで参加していたかったのですけれど、次の会議が迫っていたので、途中で中座しました。
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今回、こうした場に参加させていただいて、僕は医学には全くの「門外漢」ですけれども、家庭医の学習・成長を考えるためのいくつかのヒントは、企業人材育成研究、ワークプレイスラーニング研究にもあるのではないか、と思いました。
たとえば、家庭医の労働環境は、ジュリアン=オールの描いたコピー機修理工の労働環境と似ているところがあります。あるいは、IT業界のSEの労働環境にも似ていますね。おそらく、独力で内省を行うことが非常に難しい環境なのではないかと推察します。
分散環境において、知識やスキルを共有するためには、どのように行えばいいでしょうか。そのものズバリの「答え」が、学習研究にあるわけではないですが、考えるきっかけはあるかもしれません。
また、指導医と研修医の関係は、OJT研究やメンタリング研究にヒントがあるかもしれません。
家庭医の理念をいかに共有するか、という問題は、去年のLearning barで高津さんがお話しした内容にヒントがあるように思います。
また、どのような組織(病院)であると、成長実感が持てるのか、内省が促されるのか、ということは、今まさに僕が書いている論文そのもののようにも思えました。
もちろん、企業と病院では、全く違いますので、どこまで応用できるかはわかりません。無責任に言い放っています。
でも、若いお医者さんたちの言葉を聞いていますと、どこかで聴いたことのある台詞が、よくでてくるんです。
「最初は自主的な研究会を開催したけど、なかなか継続しない・・・どうやって継続すればいいんだろう」
「指導医自身が、学んでいないし、成長しようとしていない。こういう指導医のもとについた研修医はどうしたらいいのだろう?」
「研修医に、経験を積ませたいのだけれども、適切な経験がない。どうしたらいいのだろう」
「経験だけで学習させようとすると、系統的な知識を獲得させることが難しい。どうやって、体系的かつ構造化された知識を獲得させればいいのだろう」
これらの台詞、どっかで聴いたことありませんか?
企業で、現場のマネジャーが同じようなこといっていませんでしたか?
人材育成の担当者が悩んでいませんか?
そして、学校でも、同じようなことを現場の先生方が悩んでいるとは思いませんか?
結局、みんな悩みは同じなのかもしれないな、と思います。
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ともかく、医療の世界でも「学び・成長」がキーワードになっているというのは、大変嬉しいことです。明日のセッションでは、「家庭医の学びの共同体をつくろう」というのが、セッションのテーマになっているようです。
僕自身、研究をしていると、「自分の研究って、本当に、誰かの役に立つんだろうか、誰かに届きうるものなんだろうか」と思うこともなきにしもあらずです。でも、今日は、新たな希望を見ることができました。ご招待いただいた松井先生に心より感謝いたします。ありがとうございました。
そして人生は続く。
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「ダイアローグ 対話する組織」(中原淳・長岡健共著)が、いよいよダイアモンド社から刊行されます。
発行は2月26日、店頭には都内大手で2月28日・3月1日あたりから並ぶ模様です。僕自身、その日が何より待ち遠しいです。
アマゾン、Yahooブックス、BK1などのネットの書店では、既に登録され、予約がはじまっているようです。
ぜひ、ご一読いただき、ご感想をお寄せいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
――――ダイアローグ 対話する組織 目次――――
■はじめに 「対話」のもつ可能性
■第1章「伝わらない」組織
導管メタファーからの脱却に向けて
・なぜか「伝わらない」職場コミュニケーション
・組織が抱える悩みに共通する問題とは
「わかるんだけど、腹に落ちない」
一方通行のコミュニケーション
・「後はメールで」メール文化の危険性
・失われゆく企業文化
・ビジネスの現場を支配する導管型コミュニケーション
・導管メタファーというコミュニケーション観
・教育現場の原風景――導管型コミュニケーションの典型例
・情報化の進展に導管メタファーが果たした役割
・人の変化を起こすコミュニケーションとは
・導管メタファーでは「伝わらない何か」
・情報の移動から人の変化へ
・ストーリーテリングの効用と限界
・ストーリーで語ることで「伝わる」もの
・人間の知的活動とストーリー
・人はストーリーで理解する
・モノローグ・ストーリーテリングの限界
・組織における対話の重要性
・運動会と飲み会で思いは共有できるか
・緊密なコミュニケーション=よい職場、という幻想
・対話(ダイアローグ)というコミュニケーションの可能性
■第2章「対話」とは何か?
社会構成主義的なコミュニケーションの理解と実践
・対話が求められるビジネス環境
・早く走る時代から、深く考える時代へ
・対話へのアカデミックな視座
・意味が人の行動を方向づける
・人はコミュニケーションの中で意味を紡ぐ――社会構成主義
・客観主義、主観主義・・・対話の位置づけ
・対話というコミュニケーション行為
・対話とは、聞き手と話し手が行うコミュニケーション行為
「雑談」とは、どう違うのか
「議論」とは、どう違うのか
・議論の限界と対話の可能性
パブリックカンバセーションプロジェクト
・対話が生み出す理解の相乗効果
・他者に語ることで、自分自身が見えてくる
・自由なムードを保ちながら互いの違いを理解する
■第3章「対話」が組織にもたらすもの
・組織にとっての対話の意義 - 三つの効果
・協調的な問題解決が可能になる
・多様性に摩擦は付き物
「議論」で協調的な問題解決は可能か?
「問題解決」から「問題設定」へ
「突貫工事のエキスパート」の悲劇
「対話」による問題解決が根づくトヨタの事例
・知識の共有
本当に必要な知識は流通しているか
なぜ知識の共有は困難なのか
知識共有と経験の語り合い
・知識共有はネットワークとして達成される
・対話による知識共有の意味
・ネットワーク構築が効果を発揮する
アサヒビールの事例
・組織の変革
・組織を動かす見えない力
・組織文化は日常に根ざす
・語り合うことを重視するデンソー・スピリット
・変革を誘発することへの意識
・実践と対話を結びつける花王のワークショップ
・対話による組織変革にひそむ問題
■第4章「対話」による新たな学び
・対話をめぐる知的探求の旅
から見えてきたもの
・対話による「変容のプロセス」こそが、学びの本質
・オープンなコミュニケーションの実現に向けて
・効率的なコミュニケーションと
緊密なコミュニケーションの問題点
・価値観共有、主体性発揮、そして「第三の道」へ
・成熟した大人の学びの実現に向けて
・ビジネスパーソンにとっての学びとは?
・Leaning bar(ラーニングバー)での新たな学び
・学びのサードプレイスをつくる
・サードプレイス(第三の場所)という概念
・インフォーマルでパブリックな「学びの場」
・対話」による新たな学びの可能性を信じて
■おわりに――ダイアローグ・オン・ダイアローグ
投稿者 jun : 2009年2月14日 22:02
悲しいこと
悲しいことがあります。
眼鏡を新調したというのに、誰一人、「あっ、メガネ変えたんですか?」と言ってくれる人がいません。もう40人近く、人にお逢いしていると思うのですが・・・(涙)。悲しいねぇ。
というわけで、眼鏡コレクターになりかけています。
完全自己満足の世界です。
悪いの?
投稿者 jun : 2009年2月14日 20:24
新人研修のこと
昨夜、某社での会議。新人研修の新たなコンセプトについて、関係するメンバーで議論した。
議論は昨日のセッションで終了。このプロジェクトは、僕の関与を離れ、新たなリーダーのオーナーシップのもと、新たな中核メンバーが協力して実施する段階に入った。大変嬉しいことである。
新たなコンセプトは、今年の春、どのように「実」を結ぶのか。非常に愉しみである。
▼
今回のプロジェクトに関係したことがきっかけで、「新人研修とは何か?」という根本的な問いを結構考えた。これについてはまた別の機会で詳しく触れるが、ここでは、最も興味深かったことを、ひとつだけ紹介したい。
実務に携わる方にとってはアタリマエのことかもしれないが、それは、
新人研修は、ほおっておけば、複雑化し、肥大化し、詰め込み型化する
ということである。
これは、世の中の出来事が複雑化・不確実化し、扱わなければならない知識が領域越境型になっていることと無縁ではない。各ライン(現場)で、人は、常にそうした複雑・不確実な状況を前に、領域越境型の知識やスキルを駆使して、仕事をすることが求められている。
もし、新人研修で扱うべき教育内容が「各ラインで必要になっている知識・スキルの和集合である」と仮定するならば、そこで扱わなければならない知識・スキルは、幾何級数的に増大することを免れ得ない。
もちろん、新人研修にかけられるリソースは限られている。日数は減ることはあっても、多くの場合は伸びない。そうすると、どのようなことが起こるか。
それが「詰め込み型化」である。
リソースは限られているので、複雑化・肥大化した知識・スキルをすべて扱おうとすれば、結局、「詰め込み型」の講義・授業になりかねない。ひたすら講師が壇上で講義をする。「わかること」が目的なのではなく、「カリキュラムをすべてこなすこと」が目的になる。
協調学習、プロジェクト学習といったスタイルの授業は、どうしても、リソースをより多く必要とするので、忌避される傾向がある。
一言でいうと、
「詰め込めるだけ、詰め込んで」
ということになる。
当然のことながら「詰め込み型」の授業の学習効果やパフォーマンスは低い。
「ラインから必要とされた知識・スキルは、きちんと新人研修で扱いましたからね」という「タテマエ」を守ることにはつながるかもしれないが、なかなかパフォーマンスを発揮できない新人が生まれることになる。
かくして、心あるインストラクター、心ある教育ベンダーの担当者は悩むことになる。
▼
問題が最も顕在化するのは「詰め込めるだけ、詰め込んだ新人たちが、職場にいった後」である。
研修中に実施されるテストはクリアしても、職場にいったら、なかなか仕事に着手できない。そのとき、おそらく、ラインのマネジャーはこう怒号を発するに違いない。
「今年の新人は使えない!」
すべては、「新人の努力や能力」に原因帰属される。
次にでてくる言葉は、
「新人研修では何を教えているんだ!」
だろう。
この言葉に対して、人材育成担当者は、きっと、こういうに違いない。
「新人研修では、すべてちゃんと教えました」
確かに新人研修では、教えたことは教えた。しかし、問題は「教えたこと」と「わかること」と「できること」は、それぞれ別の話だ、ということである。
かくして、ラインでは「今年の新人は使えないよねー」的な言説が広まる。「結局、職場にきてすべてを教えなければならないのなら、スタッフ部門で新人研修をやる意味があるのか」という疑問も、ふつふつと生まれる。
▼
以上の寓話の「問題点」はどこに存在しているのか。
それは、「新人研修が各ラインで必要になっている知識・スキルの和集合である」という前提にある。サラリと「和集合」と書いたけれど、これは本来「和集合」である必然性はあまりない。
本来、考えなければならないことは2つである。
ひとつめ。
「何を新人研修で教えるのか」という事と同時に、考えなければならないのは「何を新人研修で教えないのか」ということである。ここに必要なのは「エディティング(編集)」である。ラインのもとめる能力や要件には「重複」があったり、要約できるものもあるかもしれない。それを「エディティング」し、取捨選択することがどうしても、必要になる。
ふたつめ。
「何を新人研修で扱い、何を職場で教えるのか」ということに関して、職場と人材育成担当者がコンセンサスをつくることである。ここに必要なのは、「コミュニケーション」である。否、コミュニケーションの場なのかもしれない。新人の育成について、ちゃんと話し合う場がどうしても、必要になる。
▼
くどいようだが、世の中の複雑化・不確実化とあいまって、新人研修は、そのまま処置をしなければ、複雑化し、肥大化し、詰め込み型化する運命にあると、僕は思う。
今以上に、エディティングとコミュニケーションが求められている時期はない。
投稿者 jun : 2009年2月13日 13:22
海士町で公立学習塾の立ち上げ運営をやりませんか?
隠岐國 海士町 教育委員会で、地元の教育を立て直すべく奮闘している岩本悠(いわもと・ゆう)君から、連絡をもらいました。
岩本君は、まだ若い頃(!?・・・まだ全然若いですので、正しくは今より若い頃)に、世界20ヵ国を「流学」し、そこで得た様々な気づきや思いをエッセイにつづり、自費出版しました。
彼の本は自費出版としては異例の2万部以上のセールスとなり、ここで得た印税と人のつながりをもとに、「アフガニスタンに学校をつくるプロジェクト」をスタートさせます。
岩本君のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/yougakudiary/
今、彼は、隠岐の離島「海士町」を舞台に、島の教育を立て直すべく奮闘しています。教育委員会に所属し、「人づくりプロデューサー」として、様々な試みを実践しています。
今回は、都市部と、塾がないような田舎の教育格差・学力格差を解消する公立学習塾の立ち上げ運営を行うそうです。
下記の内容、ご興味のある方は、ぜひご一読ください。
また、転送自由だそうですので、メールやブログなどで周知のほどよろしくお願いいたします。
〆ココカラ=========================================
小さな島で日本一の教育を
新しい日本の教育モデルをつくる同志を募集します!
☆町立学習センター(公立塾)の立ち上げと運営を行う
プロフェッショナル人材の募集☆
独自の行政改革・産業創出・教育施策を展開し、全国
から注目される島、海士町。
その先進的な町づくりは「地域づくり総務大臣表彰」
の大賞を、独創的な人づくりは「文部科学大臣表彰」
を受賞(共にH19年)。
この4年間で200人ほどの人が全国から移り住み活躍
している元気な島が、「塾や予備校、家庭教師とい
った教育サービスがない離島は進学に不利」「勉強
したいなら本土へ出るしかない」という従来の‘常識’
を打破し、離島や田舎の学力問題を解決する新たな
教育モデルづくりに挑戦します。
この新たな学力向上プロジェクトの中核になるのが、
町立の学習センターの立ち上げです。
小学生から高校生までを対象に、放課後や休日に、
一人ひとりのニーズに合わせた学習支援や個別指導
を行う、公立の塾のようなものです。
今回は、この学習センターを立ち上げ運営しながら、
生徒一人ひとりの学習意欲を引き出し、進路希望を
実現 させていく教育のプロフェッショナル人材を
募集します。
都市型とは違う、田舎ならではの学力向上と進路希
望実現の新たなモデルづくりに挑戦する想いのある
方を求めています。
詳しくはこちら
http://www.town.ama.shimane.jp/saiyo/post-11.html
☆自然豊かな島で、最先端の学習システムを使い、
子どもたちの夢を叶えていく、日本一の教育を実現
しませんか☆
〆ココマデ=========================================
投稿者 jun : 2009年2月12日 17:00
出会いと創造の場 : 飯田美樹「Cafeから時代は創られる」を読んだ!
飯田美樹著「Cafeから時代は創られる」を読んだ。高校時代から様々なかたちで「場づくり」に関与してきた筆者が、フランス留学中にパリのカフェに心を奪われ、そこでの体験・経験をまじえつつ綴ったカフェ論。文章や構成は極めて平易で読みやすい。「新しい物事を生み出す社会的装置」としての「カフェ」に改めて気づかされる良著であった。
▼
パリでカフェができたのは、1768年のこと。フランシス・プロコピオによって「カフェプロコープ」が創始された。開店当初から、ヴォルテール、ルソー、ベンジャミン=フランクリンなどが集い議論していた、という。
このように、社会を変革する動きの中に、常にカフェがあったのは、周知の事実である。フランス革命、シュールレアリストなどの芸術運動アメリカ独立宣言、イギリス市民革命・・・様々な人々が出会い、集い、話し合い場として、カフェはあった。
カフェに集う人々、そこを切り盛りするオーナーやギャルソン、微妙な人々のインタラクションの果てに、新しい時代が創られていった。
▼
しかし、多くのフランス人にとって、カフェは「誰もが出かける場所」であったわけではない。当時のフランスのブルジョア階級にとって、カフェとは「異端な人々」が集う場所であったことも事実だった。
本書では、あるブルジョア階級の女性の言葉が紹介されている。
「あの人たちみんな何やっているんでしょう。
家庭がないのかしら」
カフェとは、まさに「そういう場所」であった。
事実、そこに集う人々の中には、「異端な人」も多かった。周囲とは違う価値観をもつ彼らは、なかなか周囲に理解されず、受け入れられない。しかし、彼らは「何者かになりたい」という欲望を強くもっていた。
そうした彼らが連帯し、インスピレーションを刺激し合い、時には相互に扶助しあう場として、カフェは機能していた、のだという。
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話はわき道にややそれるが、筆者によれば、カフェは「サロン」とは違う、という。
社会学者のハーバーマスによると、
「夕食会、サロン、カフェに一連の共通な制度的基準として、社会的地位の平等性を前提とするどころか、社会的地位を度外視するような社会様式が要求され、そこでは論理の権威が社会的ヒエラルキーの権威に対抗して主張される」
確かに、「社会的地位を度外視する」という1点においては、カフェとサロンは似ているところはあるけれど、いくつかの点において、それらを分けて考える必要があるのだという。
サロンは、「女主人」が私財をなげうって、料理や飲み物を人々に供し、文化的な話題や政治的な話題を議論する場である。しかし、女主人の役割は「場をマネージし、人々をもてなす」役割を一人で担っているために、自らサロンのプレーヤーにはなれない。だから、女主人は、参加者からの称揚、美辞麗句によって、感情を浄化する他はない。このねじれは、様々な軋轢や不自由さをサロンの中に生み出す。
また、サロンは女主人が切り盛りしている場であるだけに、彼女の思想とは異なる発言を許容することはできない。つまり、サロンには思想的自由がなくなる可能性が大いにある。
対してカフェは、そこに集う人々が、自ら身銭をきって来る場所である。強力なオーナーもいなければ、過剰なもてなしもない。しかし、そうであるが故に、思想的自由が守られ、自由闊達な議論が発展する、という強さをもっている。
▼
それでは、カフェに集う人々の中で成功した人は、どのようにここに集い、ここで「何者か」になっていったのだろうか。ここには、カフェに集う人々の濃密なインタラクションが存在する。
まず、カフェには「アトラクター」と呼ばれる人々がいる。彼らを慕い、彼らのような「何者か」になりたい人々がそこに集う。
象徴派詩人ポール=フォールをアトラクターとするクローズリー・デ・リラに、芸術批評家のアポリネールをアトラクターとする人々は「洗濯船」に集まった。
のちに、サルトルやボーボワールが、カフェ・フロールのアトラクターとなり、そこから実存主義といわれる「投企」の思想が生まれたのは、誰もが知っている有名な話である。
新参者がカフェのドアを叩くきっかけをつくるのがアトラクターならば、そこから先のナヴィゲーションは、様々なカフェの住人たちによって担われる。
新参者よりも前にカフェに集っていた先輩、そこで出会った同じ世代の仲間との出会いや切磋琢磨によって、新参者はカフェの住人になる。
そして、そこで様々なインスピレーションを得て、何か新しいものを現実に生み出していく。
非常に興味深いのは、新参者が「何者か」になるとき、アトラクターや、彼らをカフェに誘ってくれた先輩が有する古い価値観と葛藤をおこすことである。
新たなものを生み出しつつある新参者にとって「彼ら」は、もはや「誘う人」ではない。「彼ら」が望むと望まないとに関わらず、「彼ら」は「新たな世代」が「乗り越えるべき存在」として、カフェでの役割を担うことになる。このダイナミズムが創造に与える影響の大きさは、想像に難くない。
この意味で、カフェとは仲間内がお互いの感情を浄化し、慰撫する場ではない。そこは時に、緊張と葛藤が走る「創造の場」であり、僕の言葉でいうならば「学びの場」である。
▼
今回、カフェ論なるものを読むのは、はじめてだった。しかし、大変興味深く読むことができ、また、自分自身、深いインスピレーションを得ることができた。
読んでいるうちに、不思議なことだけれども、自ら「カフェをひらきたくなった」。
カミサンに言ったら、「衛生的に無理! あなたは、お片付けができないし、だらしないから」と怒られた(泣)・・・すんませんね、しょーもないことを考えて。
閑話休題
どうも、カフェ論には、僕が追求する「働く大人の学び論」の1章になるヒントがありそうである。巻末の参考文献をさらにたどることにしようと思う。
うん、面白い。
世の中、本当に面白い。
投稿者 jun : 2009年2月12日 06:59
いかりや浩一著「いかりや長介という生き方」を読んだ!
「オレはどうすればいいんだ」
付き人の頃末君に言う。
「少し休憩をとってください」
「(ロケの)本隊は、いつ来るんだ」
ちょうど雨が降っている日だったから、
「出番はなくなりました。ロケは中止です」
そんな調子で、彼がずっと相手をしてくれた。(中略)
親父の身体に染みついた役者魂を見せつけられ、胸が詰まる思いだった。
・
・
・
最期の最期まで役者であり続けようとした男は、生と死の境でも、ロケ現場で出番を待っていた。そして、旅立ちの朝は来る。
いかりや長介、享年72歳。
▼
いかりや浩一著「いかりや長介という生き方」を読んだ。いかりやの長男である浩一氏が記した、親父の人生記である。
▼
僕の子ども時代は、「8時だよ全員集合」が全盛期を迎えていた時代である。「だめだこりゃ」のいかりや長介は、毎週、僕たちの目を輝かせていた。
しかし、この本に書かれている「いかりや長介」は、僕が子ども時代にブラウン管を通して見ていた、「ドリフターズのリーダーとしての彼」ではない。
ミュージシャンとして、芸人として、そして晩年は俳優として、生涯現役に拘り続けようとした、一人の人間「碇矢長一」である。
その人生は、決して平坦なものであったわけではない。二人の妻の死、男で一つの子育て、弟子志村けんとの確執・・・そしてドリフターズの解散、俳優としてのゼロからの出発、突然のガン宣告、そして転移。
ブラウン管の影では、人々の知らないところで、もうひとつの壮絶なストーリーが進行していた。
▼
個人的になんといっても、胸をうったのは、ドリフターズ解散後のいかりや長介である。
ドリフターズ解散後、加藤茶と志村けんが「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で大活躍をおさめているあいだ、いかりや長介は、役者としての再スタートを切ろうとしていた。慣れない演技に、当初は相当苦労していたらしい。
悩みつつ、暗中模索の日々が続く。
「あー、いかりや、もうダメダメ」
と人から揶揄されることもなかったわけではないだろうと想像する。
ドラマに出演しては、自分の演技を何度も何度も見直し、勉強する日々が続いた。俳優になりたい。再起を果たしたい。しかし「意図」するだけでは、それに達することはできない。それには「行動」が伴わなくてはならない。
人間はかくあろうと意図したものになるのではない。
かくあろうと投企したものになるのだ。
(ジャン=ポール=サルトル)
しばらく混迷の地を歩き、いかりや長介は、ようやく陽の目を見る。「聖者の行進」をへて「踊る大捜査線」で一躍スターダムへ。和久刑事の名演は、アカデミーにも輝いた。
▼
本書を読んで、ウィリアム=ブリッジスのトランジション論を思い起こした。
ブリッジスのトランジションでは、人間のキャリアを「終焉」「中立圏」「開始」の3つの連続体として把握する。
「終焉」とは「何かが終わること」「開始」とは「新しいはじまりの時期」、、、そして「中立圏」とは「混乱や苦悩の時期」のことをいう。
人は変わるためには、どうしても、この「中立圏」が不可欠である。いかりや長介にとっての中立圏とは、「ドリフターズの終焉」と「役者の開始」の間にあった、苦悩の時期であったことと想像する。
▼
いかりや長介は、一生「学習者」であったのだと思う。
やっぱり、僕はそういう人を尊敬する。
投稿者 jun : 2009年2月11日 21:23
転職が失敗する理由
昨日の「転職と学習」の記事に関して、たくさんの転職経験者、転職に関連していた方からメールをいただきました。ありがとうございました。
KIT虎ノ門大学院 ビジネスアーキテクト専攻 三谷宏治教授から、メールを頂きました。ありがとうございます。
三谷宏治の学びの源泉
http://www.careerinq.com/press/mitani/body.html
三谷宏治さんのWeb
http://www.mitani3.com/
三谷さんのご許可のもと、メールをここでもご紹介いたします。
---
コンサルティング会社を中心に、転職者・転職希望者をいっぱい見てきました。
それでいうと、同業種転職の失敗理由にもうひとつ、「期待ギャップ」が大きいと思います。
同業種転職だからこそ、新しい職場は「即戦力」を期待し本人もその気。でも・・・最初の失望から、負のスパイラルに落ち込んでいく例は、とても多いです。
しかもこれがなかなか補正されないんです。企業もヒトも、どちらも転職に慣れていないので。結局、半分くらいはこれで失敗している感じでしょうか。
あと、スキルの「転移しやすさ」にはやはり、業種やスキルタイプで大きな差があるとも感じます。
意外と低いのが「マネジメント」スキル。多くの場合、特定の組織を対象に構築されるので、別タイプの職場ではアウト。
ITスキルでも「大手パッケージソフトの適用・変更能力」のような「ポータブル」なものと、「システム構築の方法論」のようなそうでないのもがありますね。
I社でのシステム構築方法論を、S社に持ち込んでも、単語からして違うのでコミュニケーションすらとれない。(更には、とれていないことに気がつかない)
「転職」と「学び」の研究、かなり面白いテーマだと思います。
取り組まれるときには、是非お声がけを。
---
なるほど・・・。
「期待ギャップ」については、確かに最も大きな理由になりそうですね。「期待ギャップ」が存在するために、他者からの支援を必要とするような状況で、援助を求められない。
「あいつは中途なんだから、できてあたりまえ」
と思われるし、
「オレには経験があるんだから、できてあたりまえ」
だと本人は思っている、ということは十分考えられますね。
また、「マネジメントスキル」「システム構築方法論」などが転移しにくい、というも興味深いですね。システム構築方法論などは、最も転移しやすいのかと思っていましたが、ジャーゴンからして全く異なるようですね。
▼
「転職」と「学び」の関係、とても興味深いですね。
転職者は、何を学び直し、何を学び壊すのか。
ここにも学習研究の可能性があるような予感がします。
投稿者 jun : 2009年2月10日 06:43
「転職」と「学び」の関係!?
先日、キャリア関係の研究をなさっている先生と「転職の成功要因」について話しました。転職しても、新しい仕事にうまく適応できる人と、そうでない人がいる。
特に、同業種への転職というのは、通常、うまくいく可能性が高いと考えられがちですが、不思議とそうでもないそうです。たとえ「同業種への転職」であっても、失敗する人はかなり多い。「異業種への転職」の方が、予想に反して、うまくいく場合も多い。これはなぜなのか、という話でした。
▼
これにはたくさんの仮説が考えられると思います。僕の仮説は「学習阻害説」というコンセプトでまとめることができます。(僕は転職についてはほとんど先行研究を知りません・・・もしかすると、そういう研究があるのかもしれませんが、素人なのでお許しを)
まず、話の前提として、「同業種への転職は、通常、必要とされるスキルが同じであると考えられていること」が多いと思うのですが、これは「誤解」ではないか、というところから、議論をはじめたいと思います。
「誤解」というのは強い言い方かもしれません。仕事で必要とされるスキルには多種多様なものがありうるとは思いますが、そのうち、「ある特定の状況の中でしか発揮できないスキル」というのが、意外に多い、ということです。
ある状況A(会社A)において通用したスキルや知識といったものが、異なった状況B(会社B)においては発揮できないことは、ままあるものです。専門用語を使うのなら、「転移しない」ということになるのかもしれません。
異なった状況にいくとこれまでのスキルが、なかなか発揮できないから、本来、新しい状況Bにおいては、「学び直さなければならない」のです。つまり、これまでの自分の仕事のある部分をを学び壊し、新たに学び直す必要がどうしても生じるはずです。
しかし、ややこしいのはここからです。
同業種への転職を志す人は、「同業種だから必要とされるスキルは同じ」だいう信念を素朴に信じている場合が多いと思います。特に、長い間、仕事の経験を積んできた人になればなるほど、その傾向は強いのかもしれません。つまり、私たちの多くは「素朴な転移の信奉者」なのです。
僕の仮説の骨子はここにあります。こうした「信念」とこれまでの経験が足し合わされ、新しい状況に入ったら本来必要ななってくるような「学び」を阻害してしまうのではないか。
つまり、信念と経験があまりに強いために、「これまでのやり方を学び壊すこと」「新しいことを学ぶこと」阻害してしまう可能性というのはないでしょうか、ということです。
つまり、
「○○のことだったら、オレは、前の会社でやってきたんだ。だから、ここでも同じようにできるはずだ。何?やり方が違う。前の会社では、こうだったんだから、ここもこうなるべきじゃないのか・・・プンプン」
ということですね。
それに対して、「異業種への転職」の場合は、そもそも「新しい領域に入る」と思っているので、これまでのスキルは担保しつつも、「異業種にきたのだから新たにスキルや経験を積まなければならない」と思う傾向がある。つまりは、転職を志す人の身体が、「新しい学びに拓かれている」。だから、予想に反して、うまくいく場合が多いのではないだろうか。
こうして考えてみますと、転職がうまくいかないのは、その人が悪いのではなくて、「学べないから」だということになります。それを可能にするためには、「スキル観」や「学び観」も脱構築しなくてはならないのかもしれません。
「転職」と「学び」の研究というのも面白そうですね。
ここにも面白い世界が広がっている予感がします。
---
追伸.
最近気になる言葉に、ビジネスパーソンの方が使う「会社を超えて使えるポータブルなスキル」という言葉があります。ポータブル!?、、、ここにも強い問題があるようにも思います。
投稿者 jun : 2009年2月 9日 09:25
アートするTAKUZO
最近、愚息TAKUZOは「クレヨンを使ってお絵かきすること」がお気に入りです。お絵かきといっても、まだまだ「殴り描き」です。
先日、
「まる かけたよ~! まる かけたよ~!」
というので見にいくと・・・
・
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・
ありました・・・。
クレヨンの無数の落書きの跡が
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・
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木のテーブルに(泣)。
▼
アートとは、常にリスキーで、破壊的です。
TAKUZOのお絵かきも、リスキーです(笑)。
投稿者 jun : 2009年2月 6日 13:50
大学教育を考えるシンポジウムにいらっしゃいませんか?
下記のシンポジウムを開催することになりました。
・今泉 柔剛氏(文部科学省 大学改革推進室長)
・大島 純先生(静岡大学)
・楠見 孝先生(京都大学)
などをお招きし、「大学教育」について議論を深めたいと思います。
よろしければ、ぜひお越しください。
参加申し込みは下記から行えます。
https://ssl.alpha-mail.ne.jp/utmeet.jp/eventform.html
=============================================
変貌する大学教育の現場
アクティブラーニングの未来
主催:東京大学 大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育環境寄附研究部門
=============================================
東京大学では,大学教育の方法や教育環境を改善
することを目指して,Todai Redesigning
Educational Environment (TREE)プロジェクトを
2005年よりスタートさせています。
その中で,マイクロソフト先進教育環境寄附研究
部門(Microsoft chair of Educational
Environment: MEET)が,2006年4月に発足し,タ
ブレットPCを活用して,学生が受動的に講義を聴
くだけでなく,自ら能動的に考えながら学習を進
める「アクティブラーニング」のための教育用ソ
フトウェアや,新しい教室空間の研究・開発を行
ってきました。
また,本学駒場キャンパスに教養学部・大学院情
報学環と共同で「駒場アクティブラーニングスタ
ジオ」(KALS)の開設・運用を行い,平成19年度現
代GP「ICTを活用した新たな教養教育の実現」の推
進を行っているところです。
■MEET講座
http://www.utmeet.jp/projects/
■駒場アクティブラーニングスタジオ
http://www.kals.c.u-tokyo.ac.jp/
■現代GP「ICTを活用した新たな教養教育の実現」
http://www.komed.c.u-tokyo.ac.jp/gendai/
今回のシンポジウムは,MEET研究部門の3年間の
研究活動の成果報告シンポジウムです。
パネルディスカッションでは,高等教育の改善を
推進する立場,企業の立場,大学において実践的
に批判的思考力を育成する立場,教育企画に携わ
る立場など異なる見地・経験を持ったパネリスト
の皆様をお招きし,近未来(2015年)を見据えた,
大学教育とICTの活用のあり方を追究します。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
-----
■日時
日時:3月4日(水)午後1時~5時10分
■場所
東京大学本郷キャンパス 情報学環・福武ホール
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access.html
■プログラム
12:20-13:00 記者発表・QA
(※於 福武ラーニングスタジオ/報道関係者のみ)
13:00-13:10 開会のご挨拶
岡村 定矩(東京大学 副学長)
13:10-13:20 開会のご挨拶
樋口 泰行(マイクロソフト株式会社 代表執行役社長)
13:20-13:45 基調講演(1)
今泉 柔剛(文部科学省 大学改革推進室長)
13:50-14:15 基調講演(2)
大島 純(静岡大学)
14:20-14:30 休憩
14:30-15:10 マイクロソフト先進教育環境寄附研究部門
の研究成果(東京大学MEET研究部門)
15:10-15:50 「MEET the Future Education
~未来の教育に会いましょう」
15:50-16:00 休憩
16:00-17:00 パネルディスカッション
「高等教育で育成するべき人材像とICTの役割」
・パネリスト
今泉 柔剛(文部科学省 大学改革推進室長)
大井川 和彦 (マイクロソフト株式会社 執行役常務)
楠見 孝(京都大学)
大島 純(静岡大学)
中原 淳(東京大学)
コーディネータ
山内 祐平(東京大学)
17:00-17:10 閉会のご挨拶
岡本和夫(東京大学 大学総合教育研究センター長)
17:30-19:30 レセプション+MEET公開デモ
■定員
180名
■参加費
無料
(レセプションにご参加の方は,お一人につき2,000円
申し受けます)
■お申し込み
以下のフォームよりお申し込みください。
https://ssl.alpha-mail.ne.jp/utmeet.jp/eventform.html
※お申し込みの締め切りは,3月1日(日)までとさ
せていただきます。なお,定員を超えた場合は先着順
とさせていただきます。ご了承ください。
■お問い合わせ
東京大学 大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育環境寄附研究部門
email:symposium@utmeet.jp
tel:03-5841-1727
=============================================
投稿者 jun : 2009年2月 5日 08:44
自然の美しさ:まだ綺麗になっていない!?
「本のお茶」を読みました。小生の教養のなさが露呈しますが、原著は、岡倉天心のものだそうです。本書は、岡倉天心の「茶の本」の内容を一部抜粋して意訳し、かつ、スタイリッシュで癒し系の写真をつけたようですね。なかなか癒されました。
その中に収録されている、「利休のエピソード」が面白かったので、下記に引用します。
---
ある日、息子の紹安が露地をはくのを眺めていた利休は、紹安が清掃を終えるやいなや、やり直しを命じます。
「まだ、綺麗になっていない」
父の言葉を聞いた紹安は、さらに一時間もかけて清掃をやりなおし、くたびれはてて、利休にいいました。
「父上、もうこれ以上、すべきことは何もありません
飛び石は3度も洗いましたし、灯籠にも樹にもたっぷり水を打ちました。地面には小枝一本、木の葉1枚も残していません」
しかし、利休は、「未熟者!」といって、紹安をしかりつけたのです。
「露地というものは、そのように清掃するものではない」
いきなり利休は庭に降りて、1本の樹をゆすり、金色や深紅に染まった木の葉を庭一面にまき散らしました。
利休は、単なる「清潔さ」だけではなく、「自然の美しさ」を求めたのでした。
(p107より引用)
---
茶の世界は、マリアナ海溝なみに深いですね。
僕もいつか、TAKUZOに「自然の美しさ」を教えるため、「金色や深紅に染まった木の葉」をまき散らしてみたいものです(笑)。
まっ、「その前に、カオスを極めるオマエのオフィスの机を何とかしろ」という感じですが。
投稿者 jun : 2009年2月 4日 06:48
「やる気」をみんなで考える:次回Learning barの企画
鼻血が出るほど、忙しい
ゲロが出るほど、忙しい
どんな「枕詞」!?を使ってもいいのですが、ハッキリ言って、小生、追われています。よだれが口元から出ているのに、気づかないくらい!?、忙しい。危ない人です、どっから見ても。
そんな中、何とかかんとか、Learning barの企画も進めています。次回のテーマは「やる気をみんなで考える」です。ここ1週間くらい、動機論関係の最新のジャーナル、書籍を読みながら、あーでもない、こーでもない、と考えていました。
Learning barがLearning barたる由縁は、「挑戦」にあります。
今回「やる気」を扱うにあたり、実務担当者、社会学の研究者、心理学の研究者という風に、多角的にそれにアプローチしたいと思っています。
「やる気」ってね、これ、めちゃめちゃ奥が深いですね。これは一筋縄ではいかないですよね。まさか、この問題を一日の研修で解決できる問題として位置づけていないですよね?
だってね、
ある人が、どういう他人の状態(光景)を見たときに、「おまえ、最近、やる気がでてきたな」
と表現し、口にだしますか?
「やる気」は決して、目には直接見えません。それが「可視化する」のは、どういう瞬間ですか?
このことを考えただけで、僕は、もう夜も眠れません。なんで、興奮してるかは、Learning barできっと触れられるでしょう。
立命館大学の神藤先生、リクルートの石井さん、ダイヤモンド社の永田さんなどにアドバイスをいただきながら、最終企画案をつくっています。
ぜひ、お楽しみに。
嗚呼、あと20分で博論審査会です。
その後は、1分の休み時間もなく、ランチタイムに本部で会議。
嗚呼、、、それではまた
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追伸.
中原が参加させていただいたプロジェクトの成果が、このたび商品化されました。大変嬉しいことです。川口社長をはじめとして、レビックグローバル社の方々、斎藤さん、花木さん、横山さんには大変御世話になりました。心より感謝いたします。
2009年1月28日 株式会社レビックグローバル 「ミドルマネジメント育成のための教育ドラマ3部作の販売開始。教育ドラマを活用した新しい教育手法を三井住友銀行らと共同で開発」
http://www.revicglobal.com/ja/news/pdf/090128_newsrelease.pdf
投稿者 jun : 2009年2月 3日 09:33
「風船」、飛ばそう!
さて問題です。
「何色」が、ついてますか?
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何を朝っぱらからしょーもないことを、ちょっと待っててね、ハナかむから、チーン。
よほどのアマノジャクでない限り、先ほどの問いに対する答えは「青」でしょう。
しかし、TAKUZOの答えは違います。
ズバリ、「みどり」です。
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それでは、仮に、皆さんは先ほどの時点で、下記の写真を見せられていたなら、「何色」と答えたでしょうか。
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よほどのアマノジャクでない限り、答えは「緑」でしょう。緑にしか見えないわな、この色は。これを「青」とよぶ人はいない。
でも、お察しの通りですね。
この緑の写真は、一番最初の「青色信号機」の部分を拡大したものです。
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TAKUZOと話していると、ときにハッとさせられることがあります。とんでもない角度から、便所スリッパで「パカーン」とやられるような衝撃を、たまにうけます。
僕たちは、「自分の目に見えているもの」を、見たままに認識していないことがあるのかもしれないな、と思うのです。これに気づかされる。
青色信号機の色は、「緑」なんだよね、本当は。
想像力をたくましくしすぎかもしれませんが、同じようなことは、まだまだあるかもしれません。
僕たちは、他にも、さまざまな因習、慣習、コモンセンスにからめとられて生きているのかもしれない、と思ったりもするのです。TAKUZOには「緑」に見えて、ぼくらには「青」しか思えない何かが、他にもあるのかもしれない、と。
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TAKUZOは、いつ「緑」を「青」というようになるのでしょうか。いつか、その日はくるのでしょう。それを人は、「成長したね」というのかもしれません。しかし、親として、それはそれで、どことなく寂しい気もするのです。
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あっ、TAKUZOが何かを、ぼくのところに持ってきました。
「風船できたよー、赤い風船できたよ」
「赤い風船」持って、河原に行こう。
TAKUZOの「風船」、お空に高く飛ぶかな?
投稿者 jun : 2009年2月 1日 13:35