ワークプレイスラーニング2008無事終了!

 ワークプレイスラーニング2008、皆様のおかげで無事終了いたしました。すべての撤収を終え、今、電車の中です。 さっき文部科学省 科学研究費のプロポーザルも無事提出しました。ふぅ・・・こちらもようやくケリがついた・・・ふぅ。

 今日一日、MCとパネルとファシリテーションを行ってせいか、まだ僕の頭は「冷静」ではありません。
 いろいろな方々のいろいろな言葉が、頭の中を「ぐるぐるぐるぐる」と回っています。

 僕自身にとっても、今日一日は、非常に大きな「学び」と「気づき」がありました。というか、僕自身が、一番オモシロがっていたのかもしれません。

 今日一日は、結局、どういう意味があったのか?

 きちんとリフレクションしなければなりませんね。「みなさんの言葉」を「自分の言葉として語れるようになること」が、今の僕には必要です。

 ですので、今の段階で、「今日の出来事」をこのブログで描くことはやめようと思います。
 ゆっくり週末を過ごします。その上で、今一度、ワークプレイスラーニング2008に関して、僕の感じたこと、僕の思ったことを書こうと思います。

 最後になりますが、ワークプレイスラーニング2008にご参加いただいた皆様、ご講演いただいた皆様、この会を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

 感謝を込めて
 おやすみなさい。

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 朝起きて、自分の顔を鏡で見て、驚愕した!

 なんと!

 目から血がー。

 白目の部分がなく、真っ赤である。
 はっきり言って、ホラー。
 めちゃめちゃ怖い。

 どんな様子かというと・・・CGがWebにありました。まさにこれと同じです。

 速攻で病院へ。

 眼科医によると、過度の緊張と過労のため、目の血管が強く破れてしまったのだとか。10日から2週間は、赤目のままらしい。つーか、破れるのか、そんなことで。

 その後、ダメ押しで「発熱」・・・・。

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 カンファレンスが終わって、よほどほっとしたのでしょうね。で、それまでたまっていた疲労が血とともに「吹き出した」。

 それにしても、目から出血というのは、かなり怖いです。
 ちょうど、最近、マンガ「ブラッディ・マンディ」を読破したばかりだったので、未知のウィルスに感染したのかと思った。

 つーか、バイオハザード?

 ともかく・・・しばらく休みます。

投稿者 jun : 2008年10月31日 23:32


ワークプレイスラーニング2008は本日です:東京は快晴!

 ワークプレイスラーニング2008、いよいよ本日になってしまいました。

 昨日、今日と夜遅くまで準備を進めてくれた大学院生諸氏に感謝します。
 主にロジスティクスのとりまとめをしてくださっている坂本事務局長には頭があがりません。
 バックステージの方も準備が進んでいます。こちらは牧村さんがディレクターとして汗を流してくれています。小生、足を向けて寝られません。

 今日一日、企画協力企業からたくさんの方々がお手伝いにきてくださいます。ありがたいことです。この場を借りて感謝いたします。

 東京、快晴。
 いよいよはじまります。

投稿者 jun : 2008年10月31日 06:47


東京大学 演歌 でググったら

 今日のエントリーを読んだK先生からご一報。

「東京大学 演歌でググったら、二位ですよ。
          いいんですか、二位で(笑)」

東京大学 演歌 でぐぐったら
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%80%80%E6%BC%94%E6%AD%8C&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rlz=1B3GGGL_jaJP229JP230

 恥ずかしいけど、どうしようもないわな(笑)。
 こうなったら一位をめざすか。
 演歌、かなり好きだし。

投稿者 jun : 2008年10月30日 16:46


あのー、すいません、ベーグルのことなんですけど

 先日、本学の某学生新聞社から取材依頼があった。

「どれどれ、小生の研究について知りたいのかね。素晴らしい心がけだねー、まー忙しいけど、学生さんが知りたいのなら時間をつくろう!」

 と思っていたら、なんと!

「先生はベーグル好きで毎朝食べてますよね。今度、うちの新聞でベーグルの特集を組むので、そこで熱い思いを聴かせてください」

 と言われて、ズッこけた(笑)。

「あっそう、ベーグルね。僕に語ってほしいのは、研究のことではなく、ベーグルのことなのね・・・(笑)」

  ▼

 聞くところによると、「東京大学 ベーグル」でググルと、僕のホームページが一番最初にヒットするそうだ。ほんとだ!、そうかー、それで僕のところにきたのか。

東京大学 ベーグルでぐぐってみると・・・
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4RNWN_jaJP231JP231&q=%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e5%a4%a7%e5%ad%a6%e3%80%80%e3%83%99%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%ab

  ▼

 取材は無事終了。
 ベーグルに対する思いやエピソードを熱く語った。取材を担当した学生さんは、自らベーグルをこよなく愛する方で、とても好感が持てた。帰り際に、「お礼に」、学生さんからベーグルを1個もらった。ありがとうございました(笑)。

 今度は「研究」を取材していただけるよう、精進します(笑)。
 小生、まだまだ修行中。

投稿者 jun : 2008年10月30日 05:55


状況論がひらく看護 : 学習研究と医療の世界

 インターナショナル・ナーシング・レビューのVol.31 No.8の特集は、「状況論がひらく看護」である。以前から読みたいと思っていたが、ようやく、昨日入手できた。

 しかし、読む時間が全くない(泣)。
 すべてが終わったら、ゆっくりと読もうと思う。

 けだし、最近、僕の研究室にも看護士の方、医師の方からの問い合わせがたまにある。

 地域医療の維持のためには、医師に高額な給与を保証することがまず試みられるけれど、地域の厳しい財源の中で、おのずとこのアプローチには限界があるのだという。

 医療の現場をワークプレイスと捉え、それをいかに改善し、医療従事者の学習や成長につなげることができるのか。
 ここにも、組織学習研究の知見が大いに生きる可能性があるのではないか、と勝手に邪推する。

 僕自身は、まだ、そういう研究をしたことはないけれど、非常に面白い研究テーマだと思う。

投稿者 jun : 2008年10月29日 09:09


組織コミュニケーションと身体

 先日、ある打ち合わせで、カンジヤママイム(藤倉健雄)さんと、お話しする機会を得た。

カンジヤママイム
http://www.kanjiyama.com/index.html

カンジヤマさんのブログ
http://kanjiyama.exblog.jp/8834229/

 藤倉さんは、プロのパントマイムのパフォーマーであり、ウィスコンシン大学博士の学位をお持ちになる研究者でもある。

 彼の博士論文は、2008年アメリカ教育演劇協会(AATE)の総会で最優秀論文賞を受賞した。現在、様々な舞台にたたれる一方で、「マイムと教育」の接点でお仕事をなさっている。NHKをはじめとして多くのテレビ番組に出演なさっているから、ご存じの方もいらっしゃるかもしれない。

  

 打ち合わせは時間がなかったので(今週、小生は、殺人的スケジュールである)、あまり深い話はできなかったのだけれども、僕の研究テーマのひとつでもある「組織コミュニケーションと組織学習」の関係を少しお話ししたときに、藤倉さんから言われた一言が、今も気になっている。

 ---

 組織の中でのコミュニケーションの問題を考えるときに、「身体のあり方」を抜きにすることはできないかもしれませんね。

 組織内のコミュニケーションのあり方を変えるためには、身体に直接働きかけるようなワークショップなどの方法が、よりダイレクトかもしれません。
  (中略)
 身体はみんな持っているものなのです。それに身体には「偏差値」はありませんよ。

---

 そうかー、深い。
 さすが、その分野のエキスパートの指摘は鋭い。「身体」の問題があったかー。また、ひとつ視野が広がった気がした。

 近々、あるプロジェクトで、カンジヤマさんとはコラボレーションさせていただくのけれども、今後も何かと接点があるような気がした。
 もしかすると、某教育機関と開発中のカリキュラムなどにも、ヒントがあるかもしれない、と思った。

 そして人生は続く。
 いやー、その道のプロの言葉は深い。

投稿者 jun : 2008年10月29日 07:00


オフィスを変えて、人を育てる!? : 1月のLearning barの日程が決まりました!

 1月のLearning bar、日程が決まりました。1月30日(金)、日本コムシス株式会社の潮田邦夫さんをお招きして、

「オフィスを変えて、人を育てる!?(仮題)」

 という内容でご講演いただく予定です。
 皆さんとのディスカッション楽しみにしています。

 日本コムシスは、ITに支援された完全フリーアドレスのオフィスを「クリエィティブオフィス」と称して、各事業部に展開しています。

クリエィティブオフィス
http://www.comsys.co.jp/recruit/solution/index03.html

 こうしたオフィスで、人の働き方、コミュニケーションのあり方はどのように変わるのでしょうか。そして、ワークプレイスラーニングはいかに展開するのでしょうか。

 アカデミクスでは、こうしたオフィスは「ノンテリトリアル・オフィス」とよばれ、研究がはじまっています。中原研究室にも、「ノンテリトリアルオフィス」の研究を志している大学院生がいます。

 主催者である僕自身も、非常に楽しみな内容です。ぜひ、スケジュール帳に予定をお書き入れいただければ幸いです。詳細の募集要項は、またおってお知らせいたします。

 お楽しみに!

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 ちなみに、12月のLearning barの募集要項が、そろそろでます。12月のLearning barは、2008年12月5日(金曜日)午後6時30分 - 9時に、

「"大人の学び"を考える」ワークショップ

 を開催します。なんと場所は、会場は青山の「子どもの城」です!

「子どもの学び」と「大人の学び」は、どこがどう違うのか?

「新入社員の学び」と「ミドルの学び」、そして、「エグゼクティブの学び」は何が違い、何が同じなのか?

「学び」について今一度考える機会にしたいと思っています。

 こちらもお楽しみに!

投稿者 jun : 2008年10月28日 07:50


Apple University : アップル社がコーポレートユニバーシティを設立!

 ipodやiphoneの成功で、もはや、コンピュータメーカとは呼べなくなりつつある米国Apple社。そのAppleが、「Apple University」を設立するそうである。

Apple University
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/23/news037.html

 コーポレートユニバーシティとは、「企業が社員教育のために企業内に設立する教育メカニズム」の「総称」のこと。もちろん「総称」と言うには理由がある。

 もともとは、「独立した教育専門部門において、全社の経営戦略に対して、全社的に教育カリキュラムを企画・開発し、全社の体制で教育を実施すること」をめざすのがコーポレートユニバーシティである。
「経営戦略との同期をめざすこと」「全社に対してサービスを提供すること」が、上記の定義の要諦であろうと思われる。

 が、しかし、その実態は、企業によって多種多様である。

 企業の中には、自社ブランドを向上させるため、コーポレートユニバーシティという名称を敢えて用い、「従来の研修の仕組みや教育提供のあり方と、変わらない体制と内容で教育を提供しているところ」も、ないわけではない。

 もちろん、多くの企業はそんなことはない。「ユニバーシティ」の名前に負けない - ユニバーシティよりもずっと高度で素晴らしいカリキュラムを提供しているところも多々ある。

 先ほどは「人生いろいろ、コーポレートユニバーシティいろいろ」なので、「総称」という言葉を敢えて使った。その定義と実態は、「揺れ」の中にある。「揺れ」の中にあるからこそ、その意味が問われている。

 ▼

 今日では、既に、全世界に約2000から5000もの、多種多様なコーポレートユニバーシティが存在するといわれている 。

 日本においても、富士通、ソニー、トヨタなどの名だたる企業が、2002年に企業内大学を設立し、話題となった。
 2002年はまさに、日本のコーポレートユニバーシティ元年であったといわれている。

 近年では、博報堂、資生堂などが、ぞくぞくとコーポレートユニバーシティを設立し、話題になっている。博報堂の「博報堂大学」の試みについては、2008年5月30日のLearning barでも、ご出講いただいたので、記憶に新しい方もいらっしゃるかもしれない。博報堂は「構想力」というコンセプトをかかげ、クリエィティブな人材を組織的に育成する試みを行っている。

Learning bar 2008年5月30日「クリエイティブ人材を育成する!? - コーポレートユニバーシティ「博報堂大学」の挑戦」
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/05/learning_bar_13.html

 ▼

 このたびのApple Universityの設立に鑑み、Appleは、Yale大学経営大学院のジョエル・ポドルニー氏を抜擢したという。Yaleとの結びつきを強めて、教育体系を構築しようとしているのもしれないが、詳細はまだわかっていない。

 個人的には、Apple Universityに、どの程度、スティーブン=ジョブズが関与し、後継者育成(サクセション・プランニング)を行うかが、非常に興味深いところである。

 よく知られているように、GEのジャック=ウェルチは、GEの企業内大学「クロトンビル」での後継者育成に、自分の時間の3分の1を使った、と言われている。

 ジョブズは、このところ「健康不安」が、時折ニュースになっている。その真偽について僕は詳しくない。
 しかし、確かなことは、Appleは、ジョブズという「一人のカリスマ」による経営を、これまで続けてきたことである。「彼個人の健康不安」は、Appleという「組織の株価」を左右するとも言われている。

 その中で、ジョブズが「後継者」を育てること、さらには後継者がリーダーシップを発揮できるよう組織開発を行うことが、求められているのではないか、と邪推する。

 もしこの邪推が正しいのだとすると、ジョブズに求められるのは「強力にコミットしつつも、フェイドアウトすること」であるようにも思われる。

 上記は、一見、矛盾のある表現に見えるかもしれない。
 しかし、世の中で最も重要なことは、そのようなものなのかもしれない。

投稿者 jun : 2008年10月27日 08:51


今がピーク!&グラフィックファシリテーション

 皆さんのお力を借りながら、下記をすすめている次第です。ご協力いただいている皆さんには頭があがりません。まことに、ありがたいことです。

■安田講堂シンポジウムの準備、下見
   +
■安田講堂のプレゼン用意
   +
■バックステージパーティの準備
   +
■11/14 Learning barの準備
   +
■講演準備×3
   +
■12/5 青山 Learning barの企画
   +
■科学研究費の申請
   +
■人が育つ組織デザイン本の執筆
 統計分析
   +
■ダイアログチェンジ本の校正
   +
■査読×3
   +
■雑誌インタビュー記事の校正×2
   +
■白書の原稿

   ・
   ・
   ・

 今が今年のピークだな・・・どう考えても。
 はひー。
 ウ●チョス、もれそう。

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追伸.
 先ほど、安田講堂の下見&打ち合わせをしてきました。

yasuda_koudou1.jpg

yasuda_koudou2.jpg

 今年は、デザイナーでもあられる、千葉工業大学の原田泰准教授にご協力いただけることになりました。原田先生には、安田講堂シンポジウムの様子をリアルタイムで図示する、グラフィックファシリテーションを行っていただきます。非常に楽しみですね。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年10月24日 10:09


あめ!、あめ!

 最近、TAKUZOは完全なる「イヤイヤ期」です。

 人によっては「魔の2歳」ともいうらしいですね。2歳前後になると、「理由なく、すべてを拒絶し、ぐずってしまう時期」があるとのことです。いわゆる「プチ反抗期」のようなものです。

  ▼

 特に僕に対しては、ものすごい「剣幕」です。小生、完全に嫌われております。

 朝ご飯を食べさせようとすると、

「あめ!(ダメ)、あめ!(ダメ)」

 風呂に入れようとすると、

「あめ!(ダメ)、あめ!(ダメ)」

 あーそーかい、そーかい。
 わるーござんしたよ。じゃましたね。

 軽くデコピンすると、

「あめ!(ダメ)、あめ!(ダメ)」

 そりゃ、アタリマエか、ごめんね。

  ▼

 先日は、本を読んであげようとして、

 「パパ、あめ!(ダメ)、あめ!(ダメ)。
  パパ、バイバイ!、バイバイ!、バイバイ!」

 と言われて、「軽いショック」を受けました(笑)。

 顔には、

「逝ってよし」

 と書いてありました。そこまであからさまに「嫌わなくても」いいのに・・・(グスン、涙)。

 僕も一応大人なんで、この年齢になってくると、他者から「明らかなる嫌悪感」とかを受けることは、そう多くはないじゃないですか。

 そりゃ、僕のことをよく思っていない人はいると思うし(多い?)、嫌な奴と思っている人もいるでしょう(マジで? 気づいてないけど)。心の底では、きっとね、そういう人もいる。

 でもさ、面と向かって、「ダメ」だの「バイバイ」だの「逝ってよし」だの言われることは、あんまりないよねぇ(笑)。つーか、ねーよ、ふつー。

 子どもは「素直」ですね。
 嗚呼、「残酷」ですね。

  ▼

 とはいえ、まー、しゃーないね。
 嫌われること、疎まれること、なんか気にしていて、親なんか、やってられるかい、この2歳児め、、、という感じです。

 というわけで、我が家では、今日も、明日も、明後日も、僕が御世話をするたびに、TAKUZOの拒否の声がコダマするでしょう。

「あめ!(ダメ)、あめ!(ダメ)」
「あめ!(ダメ)、あめ!(ダメ)」
「あめ!(ダメ)、あめ!(ダメ)」

 ダハハ。
 覚悟をせい、覚悟を。

iyaiya6.jpg

投稿者 jun : 2008年10月23日 10:40


近況です

 近況。

 10月31日、東京大学・安田講堂で開催されるワークプレイスラーニング2008の準備が、急ピッチで進んでいます。

ワークプレイスラーニング2008
http://www.educetech.org/wpl2008/

 参加者は1200名。ロジスティクスとしての最大の問題は、この人数の参加者の「受付」をどのようにスムーズに実現するかです。

 今回「受付」は30列を準備しています。経験上、開始時間前の「ラスト10ミニッツ」が重要です。ここに参加者の50%が集中する傾向があります。ここが「勝負」です。

 今回、ロジスティクスは、企画協力企業・協賛企業から数名ずつ人をだしてもらうことで、実現しています。本当にありがたいことですね。
 東大からは9名の院生諸氏にお手伝いをいただいています。これで、総勢50名弱の人数になります。

 50名の方々を「受付チーム」「会場チーム」にわけて、それぞれにリーダーを決めて運営することになっています。

 企画協力企業・協賛企業の方々には、この場を借りて、感謝いたします。ありがとうございます。

 NRIラーニングネットワーク株式会社
 株式会社 ダイヤモンド社
 日本能率協会マネジメントセンター
 株式会社富士ゼロックス総合教育研究所
 株式会社リクルートマネジメントソリューションズ
 学校法人 産業能率大学
 
 NPO法人日本アクションラーニング協会
 グローバルナレッジネットワーク株式会社
 株式会社 グロービス
 株式会社 ヒューマンバリュー
 株式会社 レビックグローバル
 日本CHO協会
 らーのろじー株式会社

 プレゼンテーションも、次第にできあがってきました。事例企業の方々とやりとりしながら、また、長岡先生、松尾先生とやりとりをしながら、こちらの方も完成に近づいています。

 もうすぐです。

 僕自身が、この10月31日を最も楽しみにしています!
 東京大学・安田講堂でお逢いしましょう!

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 昨日は、大学院 中原研究室の飲み会でした。来年進学してくる修士学生の歓迎会です。
 今年、中原研究室では、2名の新・M0を迎えることができました。とても嬉しいことです。

 以前、このブログにも書きましたが、研究室とは実態のない「フラジャイル」なものです。
 それは、メンバーに何かを為し、為される関係の中にあります。メンバーが学び、相互に学ばれる関係の中の、「想像の共同体」なのです。

大学院の「研究室」
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/09/post_1344.html
 
 僕は、大阪大学大学院で、かけがえのない院生時代を過ごさせてもらいました。そこで出会った大学院生の多くは、今も、折に触れ逢ったり、仕事をすることが多いです。あのとき、「大阪にいってよかった」と本当に思います。

 中原研究室の院生諸氏も「ここで、この人たちと一緒に学べてよかった」と、近い将来に思えるような「場」を、創っていって欲しいものです。

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 最近、いろいろ考えさせられることがありました。「事例」というものについてです。よく企業人材育成の関係者と話していると、下記のような言葉を耳にすることがあります。

「うちの会社にぴったりあったような、事例ありませんか?」

 その反面、

「単なる事例発表なんて、あんまり意味ないんですけどね」

 という言葉もよく聴きます。

 事例を求めつつも、事例を拒絶する。この相反する感情をどのように説明すればいいのでしょうか。

 これに対する答えは、まだだせていないのですが、「事例は何のために存在するのか」「事例はどのように活用されるべきなのか」ということを、根本的に問い直す必要があるように思います。

 私見ですが、事例は、そのまま自社に「適用」できるものではないし、まして「コピペ」できるものではありません。

 僕の考えでは、企業人材育成担当者にとっての「事例」とは、

 1.自ら考えるための学習材である
 2.他者と対話するための学習材である

 と、考えます。仮にそうだとするならば、それは「どのように語られ、どのように記述されるのが適当なのか」。

 難しい問いが続きます。
 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年10月22日 08:51


企業人材育成担当者向けのセミナー

 今、某企業の担当者の方々と一緒に、「企業人材育成の実務者向けのセミナー」の企画を行っています。全10回のシリーズものです。

 従来の担当者向けのセミナーにはない、カッティング・エッジな特徴をもったものはできないだろうか。担当者のお二人と、頭を悩ませています。

 企業人材育成担当者が、社員の成長や学習のクオリティに責任をもつ存在であるならば、彼らの学びも「上質」のものでなければなりません。

 受講者と講師とのインタラクションが、まさに「一期一会」と表現するべきものであり、かつ「出会うこと」が必然的であるように、カリキュラムを組む必要があります。

 どのような知識や経験をもっていれば、人材育成担当者と言えるのか

 さらには

 そもそも人材育成担当者とは、どのような存在なのか

 問いが無限遡及していきます。

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 自戒をこめていいますが、学び手に接する人は、自ら、学ぶ人でなければなりませんし、学びの楽しさ、悦び、そして痛みを知っている人でなりません。
 常日頃から、そのように思い、このような発言をしているだけに、非常に悩ましいです。

 人材育成担当者向けのセミナーの場合、これまでの問題点は何だったのでしょうか。過去の先行するセミナーをひもときながら、どのような特徴をだしていけるのか、考えています。

 もし、そのようなセミナーを受講したことのある方がいらっしゃったら、感想をいろいろお聞かせ下さい。

投稿者 jun : 2008年10月21日 12:02


週末と小鉄

 週末。

 某官庁にお勤めのA君夫妻とホームパーティ。昼から、A君の好きなベルギービールをかたむける。A君とは数年ぶりにお会いしたが、とても元気そうで何より。奥様にははじめてお会いした。昔話に花をさかせる。

 仕事は相変わらず過酷そう。自分の仕事を村上龍の小説タイトルになぞらえて、「限りなくブルーに近いホワイト」と表現なさっていたのが印象的だった。
 以前の職場では、毎夜3時 - 4時がアタリマエだったそうだ。とにかく、体に気をつけて欲しい。

 いろいろバッシングされることもあるけれど、ほとんどの人は、マジメに黙々と仕事をこなしている。この国を下支えしているのは、彼のような人だと思う。

 今度は、H君のおうちにお邪魔させていただこうと思う。

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 次の日、TAKUZOを連れて動物園へ。
 行く前から、

 「しょーしゃん(象さん)」
 「くぃりんさん(きりんさん)」

 とはしゃいでいる。

 動物園入り口付近では、「馬にえさをあげるコーナー」があった。
 夏の北海道で、事あるごとに「うま!うま!」と叫んでいるTAKUZO。再び、餌付けができて、嬉しそうであった。無事、4本のにんじんを馬に食べさせてあげる。

geijyutu1.jpg

geijyutu5.jpg

 パパも、木馬に揺られる。

geijyutu8.jpg

 ふぅ。

 そして、週末は終わり、人生は続く。
 今週、来週は限りなく過酷だ。
 頑張ろう。

 ---

追伸.
 TAKUZOは最近、所有格「の」を使い始める。成功率は6割くらいであるが、「パパ」と「パパの」を使い分けるようになってきた。「パパの」と喋るときには、しっかり僕の持ち物を指さしている。不思議だ・・・どこで、そんな使い分けを覚えたんだろう?

 その他、よくしゃべる単語は下記。

 「しゃー(電車)」
 「じゅー(特急)」
 「ぶわーん(新幹線)」
 「かんかん(踏切)」
 「らぴと(南海のラピート)」
 
 すべて「鉄道用語」だ。
 相変わらずの「小鉄」である。最近、さらに磨きがかかっている。

geijyutu10.jpg

投稿者 jun : 2008年10月20日 06:27


BERDの特集「教師の成長を支えるために必要なこととは」

 2008年 No.14の「BERD」の特集「教師の成長を支えるために必要なこととは」は、大変勉強になった。BERDはベネッセ教育研究開発センターの専門誌。Webで記事がすべて公開されている。

BERD
http://benesse.jp/berd/center/open/berd/index.html

 献身的教師像を超えて、どのように教師像を構築するか。学校のステークホルダーズが、いかに対話を行えるか。

 教師を「個業」ととらえず、いかに「協業」として達成するか。学校内のミドルアップダウンマネジメントやリーダーシップをいかに高めていくか。

 従来の教師研究とは違う立ち位置で、様々な研究者が教師を論じていて、とても共感できた。

 思うに、この領域には、企業人材育成研究の知見や、組織学習研究の知見がかなり生きてくるような気がする。時代は動いている。そう感じる。

 ともかく、今の時期、このような特集を組んだ編集部の慧眼には舌をまく。ありがとうございました。

投稿者 jun : 2008年10月20日 04:00


「気楽にマジで"大人の学び"を考える」ワークショップ

 12月5日(金曜日)、青山学院大学の苅宿俊文先生、産業能率大学の長岡先生、中原の3名が企画者となり、下記のワークショップを開催します。企業人材育成関連の仕事をしていて、特に実務を担当している方向けです。

「気楽にマジで"大人の学び"を考える」ワークショップ
2008年12月15日(金曜日)午後6時30分 - 9時

 ネットワーキングあり、本気のディスカッションあり、グループワークありの「盛りだくさんな会」になりそうです。「他に類を見ない度」だったら負けません。「退屈しない度」だったら、さらに負けません。

 詳細は、またメルマガでお伝えします。
 スケジュール帳にぜひ予定を書き込んでおいてください。

 よろしくでーす。

投稿者 jun : 2008年10月17日 09:19


あなた自身はどうなのだ?

 ワークプレイスラーニング2008、1200名満員御礼!

taremaku.jpg

 ありがとうございました。
 安田講堂でお逢いしましょう!
 
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「大人の学び」について他者に語ること、「大人の学び」を仕事にすることとは、「自分の学び」を問うこと、でもある。
 饒舌に放たれた言葉は、すべて、自分の側に「ブーメラン」のように鋭く返ってくる。

 他人に学べと言っておいて、あなた自身は、学んでいるのか?
 他者に変われと迫っておいて、あなた自身は、変わる覚悟はあるのか?
 他人に成長すること、成熟することを願っていて、あなた自身は、成長しているのか?

 よもや、

 他人に学べといっておいて、あなた自身は、「逃げ腰」ではないだろうか。
 他者に変わることを迫っていて、あなた自身は「逃げ切れる」と思っていないか。
 他人の成長や成熟を語っておいて、あなた自身は「自分は別」と思っていないか。

 まさかとは思うが、そんな「虫のよいこと」でお茶を濁せると思っていないか。

 あの人は学ぶ「べき」だけど、わたしは学びたくない。
 あの人は変わる「べき」だけど、わたしは変わりたくない。
 あの人は成長する「べき」だけど、わたしは成長なんてしなくていい。

 「他人」に対して「べき」を使い、自分は「別」だと思っていないか。
 企業の人材育成担当者、民間ベンダーの方々、インストラクターの方々、コンサルタント、大学教員・・・ふだん、「大人の学び」について語り、他者に迫る、「あなた方」の方は、どうなのか。
 
 ▼

 もちろん、「他人に学びを迫ることは、仕事としてやっていることであり、自分の実存とは関係ない」と開き直ることも、可能である。「仕事は仕事、自分は自分」。それもできないことではない。

 しかし、ロジックとしては可能ではあるけれど、「オーディエンスの立場から見て」、その説得力は皆無に等しく、彼の言葉は、むなしく空中に離散する。

 少なくとも、もし仮に僕がオーディエンスであるならば、

 自ら学んでいない人に、学びを語って欲しいとは思わない。
 自ら変わることを辞めた人に、変われと迫られたくはない。
 自らの成長を諦めた人の言葉は、僕には届かない。

 それだけ饒舌に「学び」を語るのなら、もちろん、その覚悟を決めているんだろうな

 と、僕なら思う。

 ▼

 自戒をこめて、再び問う。

 大人に学べと、あなたはいう。
 大人はまだ成長できると、あなたはいう。
 大人に変われ、とあなたはいう。

 で、「あなた自身はどうなのだ?」

 ▼

 大人が「大人の学び」を語ること、それを他者に迫ることとは、これらの問いに対して、自ら実践しようとすることと無縁ではない。

 僕は、既に「腹をくくって」いる。
 さて、「あなた」はどうか?

 あなたが語りかけている他者は、じっと、あなたの方を見ている。あなたの一挙一動に、鋭いまなざしが向けられている。

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追伸.
 このエントリーにはたくさんの方々からのメールをいただきました。ありがとうございました。S先生からご紹介いただいた、この言葉が印象的です。

「自分が相手によって変えられるということに私が開かれているのでなければ、相手を変えたいなどと望む権利はない。」
(マルティン=ブーバー)

投稿者 jun : 2008年10月16日 05:41


組織デザイン

workplacelearning2008.jpg

 「明日の企業教育」、どうなる? 
            きっと・・・こうなる!

 10月31日 東京大学・安田講堂 お申し込み受付中!
 1150名を突破!ありがとうございます。
 満員御礼が近づいてきました!
 お申し込みは、お早めにお願いします!
 
---

試論:教育工学は「何」を<デザイン>するべきなのか?
教育現場の持続可能な変革の支援をめざして

 のポスターセッションは、無事(!?)、終了した。

 同時刻に予定されていた自分の指導大学院生たちの発表があまりに気になって、高校時代以来の「中抜け」をしてしまい、各位にご迷惑をおかけした。

 この場を借りて「も」お詫びします。本当に申しわけございませんでした。

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 僕の発表の要旨は下記である。

▼教育工学研究は、その生まれ出自から、教育現場の変革(改善)に資することをめざす「実践志向」の学問であるとされてきた。

▼「実践的とは何か?」については、様々な答えが存在するが、そのひとつが「持続可能性」であり、「スケールアップ(普及)」の問題である。近年、これらに関する議論が、学習研究でははじまっている。今回はこのうち「持続可能性」を問題とする。

▼しかし、「実践的であるはずの教育工学研究」を通してつくられた教材・システムが、教育現場において利用され、「教育現場の持続可能な変革」を主導した事例は必ずしも多いわけではない。

▼教育工学がもし「実践的」であることをめざすのであれば、「持続可能性」の問題にチャレンジせざるをえない。もし、それを標榜しないのであれば、その限りではない。

▼持続可能性を向上させるためには、従来教育工学が注力してきた「教室内にいかにイノベーションを生み出すか」という命題に対する知的格闘だけでなく、「そのイノベーションに関連し、支える人々のあり方」=組織デザインに着手せざるを得ない。

▼教育工学は、従来の「教授デザイン」や「学習環境デザイン」に加えて、「組織デザイン=組織に対する介入や実態の把握」を研究の範疇にいれるべく、理論的な考察を行う必要がある。関連する領域には、組織学習・組織行動学などの研究領域があり、両者の連携は、今後密になることが期待される。

 ---

 ポスターセッションでは、幸い多くの方々にお話を聞いていただく機会を得た。ポジティブな反応も、ネガティブな反応もあった。

 印象的には、小中学校の現場に対して、外部から介入を行いつつ研究を行っている先生方、大学の教育現場の改善に従事している先生方からは、比較的ポジティブな反応だった。

「自分たちがアタリマエのようにやってきていることなのに、それを研究の場で報告すると、"ノイズ"のように扱われてきた。

なぜ、現場にとって必要で、誰もがアタリマエにやっていることが、研究の現場で報告できないのか。あるいは、言説転換をせまられるのか?」

 現場の先生方とともに研究を進めてきたある方が、口にした「ノイズ」という言葉が、非常に印象的であった。

 反面、

「それは、教育工学がやるべきことではない」
「これまで教育工学がやってきたことだって、十分、実践的だった」

 とかいう、ご意見もいただいた。

 ---

 こうした意見に対しては、おそらく、具体的に研究論文を引用しつつ、論争を繰り広げなければならないと思う。
 いつかその機会がくるとよいな、とは思うが、少なくともここでは下記を指摘しておく。

「教育工学が何をやるべきか」、あるいは「何が実践的か」ということについては、一概に定義できるものではない。

 そして、その問いに対する答えは、常に移ろいゆくものである。その意味は、研究者間、あるいは、研究者をとりまく人々 - 社会における「言語ゲーム」の中に埋め込まれている。

 ここで敢えて「研究者をとりまく人々」と敢えて書いたことに注意が必要である。研究者は、外の社会から無縁ではない。

 学問のあり方を考えるためには、

「自分たちが外から何者として見られているのか」
「自分たちが外から何をすることを期待されているのか」

 ということから、僕らは自由ではいられない。

 いずれにしても、必要なことは、こうしたアポリアに対して批判的に話し合い、考察する機会をもつべきである。それに関しては、及ばずながら、僕は努力を惜しまない。
(先日は、教育系の関連学会の若手研究者の会にご招待を受けてディスカッションをしてきた)

 今年の学会は、面白かった。
 来年は、東京大学本郷キャンパスが会場である。教育工学誕生から25年の記念すべき大会となる。

 そして人生は続く。

 ---

追伸.
 サントリーの白州のウィスキー蒸留所に出かけたSさんから、おみやげをいただく。チェリー樽の樽出原酒12年もの。

hakushu.jpg

 濃厚。うまい。
 今日もほろ酔いである。

投稿者 jun : 2008年10月14日 14:33


モデルとは何か?

 教育工学会1日目。

 実践研究に関するシンポジウム。
 シンポジウムの議論を聴いていて、とても気になったのは、「実践の設計モデル」の「モデル」という言葉について。

 このシンポジウムでは、登壇者の先生方が、「いくつかの教育実践に通底する共通点を抽出して、実践の設計モデルを構築すること」について、異なった角度から議論していらっしゃった。
 先生方のご発表は大変興味深いものであり、また参考になった。実践現場で得た様々なデータを「元」にものを言うことは、大変難しいことである。

  ▼

 僕としては、先生方のご発表内容とはズレてしまうものの、この「モデル」という「言語の使用」について、一人気になって仕方がなかった。

 僕の疑問は、一言でいうと下記。

 モデルとは
  どのような表現形式で
  誰のために存在し、
  どのように利用されることが
  求められているのだろうか?

 途中で脳裏にこの問いが生まれてしまい、結局、シンポジウムの間中、自問自答が続いた。

  ▼

 考えてみればすぐにわかるように、この問いに対しては、いくつかの「答え」がある。

 簡単に答えるのなら、「研究者がわからないことをわかるようになり、すっきりするため」というのもあるだろうし、「実践者が利用するため」というのもあるだろう。
 どちらが「真」とも「偽」とも簡単には判断はつかない。この答えの是非を問うことは、 - 僕の中では答えはでているけれど - 敢えて、ここではしない。

 しかし、僕自身が重要だと思うことは、教育研究から導出される「教育実践モデル」は、そのステークホルダーによって、表現形式が変わるはずだし、その粒度も変わる、ということである。
 そして、さらにいうならば、「モデルを活用した普及のあり方」も変わるはずである。

  ▼

 しかし、教育工学は「実践の学」である内部で規定しつつも、この「表現形式」「粒度」「普及のあり方」に関する配慮が十分であったとはいえない、と僕自身は感じている。否、教育工学というより、これは教育研究全体の課題かもしれない。

 もちろん「わかるものをわかりたい」「ぐちゃぐちゃしているものを整理したい」という研究者的観点をもちろん否定するわけではない。それは研究者としてアタリマエの衝動であり、僕自身もその動機をもつ。

 しかし、教育工学の関係者が、その学問の本質を「実践学」とよぶ限りにおいて、この研究者的観点を、そのまま実践現場に伝達するのではなく、様々な「言説転換の手段」を通じて、実践者の表現、実践者の粒度に翻訳する必要が、どうしても生じてくるのではないだろうか。

 これは「アポリア」である。
 逆にいうと、教育工学が「実践学」だと自己定位し、それを推進することは、「そのアポリアを引き受ける」ということであり、それを引き受ける覚悟を決める、いわゆる「腹をくくる」ということに、僕には見える。

 誤解を避けるために繰り返していうが、教育工学の中で、「学びとは何か」「支援とは何か」について、「わからないことがわかるようになること」「ぐちゃぐちゃしていたものがわかるようになること」に関して、僕は研究者として違和感はない。
 しかし、「タテマエとしては現場に届くことを表明していながら、届く宛先のない実践学、届くための配慮を欠いた実践学」には、僕は違和感がある。それは、誰のための「実践学」なのか?

  ▼

 別の角度から問題を考えよう。

 教育工学の研究知見は、
 誰に対して
 どのような形式で伝わり
 どのように利用されていたのか?

 もし、この問いに対して「利用されていたのだ!」と胸をはって答える人もいよう。
 しかし、そのときには「モデルだけが現場に提供されたのだろうか」。おそらく、それは疑わしいのではないか、と僕は思う(それが悪いというわけではない)。

 研究者が導出したモデルだけで、現場が改善するほど話は単純だろうか。本当のところ、モデルだけではなく、どのような機会が必要であったのか。そして、もし「モデル以上の機会」が必要なのだとしたら、どうして、それは「研究の一部」として語ることをOmitされてしまうのか。

 今日のシンポジウムで出てきた話題の中では、「モデルを解釈するワークショップをこみにして、モデルを提唱する必要性」を稲垣先生が述べていらっしゃった。そのご指摘には、とても共感できる。

  ▼

 学問には、学問自体のあり方を批判する学問 - 批判理論が必要だと、恩師は僕に常日頃から言っていた。
 それに乗じて、自戒を込めて、否、自らの発言で、自ら痛みを抱えることを覚悟して、これを指摘する。

 教育工学は、これまで「実践現場を研究対象とすれば、そのモデルはいかなる表現形式で、かつ粒度をもっていたとしても、実践者に伝わるのではないか - という「かなりナイーブな思いこみ」を持っていたのではないか。

 そして、この「ナイーブさの功罪」は、今日の(明日だと思っていた!?)僕の発表内容である、

試論:教育工学は「何」を<デザイン>するべきなのか?
教育現場の持続可能な変革の支援をめざして

 で、僕が主張したいことに関連すると思う。
 
 おぼろげながらではあるが、問題の大枠が、前よりも見えてきたような「錯覚!?」をおぼえる。

 ---

追伸.
 学会終了後、堀田龍也先生と議論する。堀田先生は、僕が「今以上にペラペラ・ペーペーであった頃」から大変御世話になっている、僕が尊敬する研究者の一人である。

 印象深い一言があった。

 堀田先生は、様々な教育現場で指導を行っているが、その際、与えられる時間は計5日間、計20時間くらいしか、ないのだという。

 その際、限られた時間で、どのようにして学校変革を外部から支援するか。

 堀田先生がおっしゃるには、「キーマンになる現場の先生をいかに見抜くか」ということが重要であるとのことであった。

 このことは、先日、ある有名なコンサルタントの方がおっしゃっていたことと、全く同じだったので、その符合にびっくりした。

 結局、「自分たちで自分たちのあり方を変えていける人、加えて、自分が変わろうとする人を、どのように見つけ、支援するのか」という問題につきる。

  ▼

 来年あたり、教育工学の発表カテゴリに「学校変革」「学校改革」というカテゴリーがうまれることを願う。
 組織の変革をデザインすることは、教育工学の研究範疇であるべきである、と僕は考える。

「教育工学村」を出て、さらには「教育村」の外の、「圧倒的外部、であり、世の中という、圧倒的多数のステークホルダー」の目からみて、いったい、今、何が、学問に求められているのだろうか。

 もし、その「目」を意識するのなら、これまで注力してきた「モノのデザイン」「環境のデザイン」に加えて、「組織のデザイン」「組織間のデザイン」があるように思う。少なくとも、まずは理論的考察やその是非に関する検討が行われてもよい。

 問いは深まる。
 僕は、「遅れてきた思春期」かもしれない。

投稿者 jun : 2008年10月12日 00:11


Works最新号「外部パートナーとの協働」

 リクルートWorks最新号「外部パートナーとの協働」は、非常に面白い内容でした。まさに「我が意を得たり」という感じです。Works編集部の慧眼に敬意を示します。

Works
http://www.works-i.com/flow/works/contents90.html

 外部ベンダーを「出入り業者への発注」「丸投げの対象」としてみなすのではなく、「パートナーとの協働」とみなす。そんな時代は、「もうそこにある将来」なのかもしれません。

 特集号の中で、西山賢一先生が「ノットワーキング(Knot working)」の概念でご説明なさっていたように、「専門性をもった個人の集まりが、そのときどきの問題に応じて、集まり、問題を解決し、別れる」。企業人事部と外部ベンダーの関係も、そういう「動的なパートナーシップ」の時代に入りつつあるのだと思います。
(ノットワーキングは、活動理論をベースにした学習研究者ユーリア=エングストロームの提唱した概念です)

 そして、そのとき、問われるのは「問題にあたる個々人が、いかに自分の専門性を高められるか」という問題、そして「多様な人々が出会い、関係を維持するための道具立て - バウンダリーオブジェクト」の問題であると思います。

   ▼

 企業人材育成と大学のパートナーシップについても考えさせられました。
 ここ5年くらい、僕が関与しているプロジェクトのすべては、「企業との共同研究」です。そういう意味では、いろいろな経験をしてきました。今後もそれがさらに広まるとよいな、と思います。
 また、共同研究と言わずとも、Learning barやWorkplace learning2008などの「かかわりかた」もあるかと思います。

 大学と企業との関係は、いかにあるべきか。

 今後も、この命題には、具体的な行動をともないつつ、僕なりの答えをだしていきたいと願います。

 ---

 ちなみに、大学と教育現場がどういう関係をとりもつべきか、は、最近様々な研究がでてきています(Peel et al 2002)。

大学と教育現場が、「One-way, One to one」(的場 2008)の関係 - つまりは大学教員個人と教員個人が、非対称な関係をとりむすぶという意味 - であった時代は終わりました。

 「教育現場の持続可能な変革」のために、大学には、何ができるか。教育現場には何ができるか。

 今、グローバルな規模で、この問いに対する挑戦がはじまっています。
 聞こえない?、その「足音」が?

投稿者 jun : 2008年10月11日 07:00


いまだないものを夢見る

 ジョージ・バーナード・ショーといえば、19世紀 - 20世紀に最も活躍した英国の劇作家にして、ノーベル文学賞受賞者。彼は数多くの名言を残した人物としてよく知られている。

 僕が最も好きなのは下記だ。

君たちは既にあるものを見て「なぜあるのか」と問う。でも私は、いまだないものを夢見て「なぜないのか」と問うのだ。

(Bernard Shaw)

 僕の考える経営学習研究には「いまだないものを夢見る力」が必要である。

 夢を笑うな。
 夢はなかなか実現しない。
 しかし、夢しか「実現」するものはない。

  ▼

 ちなみに、バーナード・ショーは、皮肉とウィットにあふれた毒舌家としてもよく知られていた。

 最も有名な毒舌は、美貌あふれるダンサーのイザドラ・ダンカンと聡明な頭脳の持ち主ショーとの、次のやりとり。

「私とあなたが結ばれれば、あなたの頭脳と私の美貌を併せ持った素晴らしい子供が出来ます」

 ダンカンがこう述べると、ショーは少し考えてこう答えた。

「そうなれば最高だ。だけど考えてみたまえ。逆も場合もあり得ることを。もしも、私の美貌と君の頭脳を併せ持った子どもが生まれてきたら、その子どもは、何と悲惨な人生をおくることになるかを」

  ▼

 こんなやりとりもある。犬猿の仲と言われたサー・ウィンストン・チャーチルとショーとのやりとり。

 ショーは、開幕寸前の自分の芝居のチケットを、チャーチルに2枚おくりつけて、手紙にはこう書いた。

「友だちと一緒にぜひおこしください。あなたに、友だちがいらっしゃれば、のお話ですが」

 負けじとチャーチルもかえす。

「当方多忙につき、今は、拝見できません。再演された際には、必ず参ります。再演されれば、の話ですけども」

  ▼

 英国人のウィットと皮肉には、舌をまく。

 ---

追伸.
 昨日までの対談は無事終了しました。金井壽宏先生、光文社の黒田さん、秋山さん、ありがとうございました。大変楽しい、知的興奮にとむ時間を過ごさせていただきました。
 講演では、日本経営協会の浅川さんに大変御世話になりました。こちらも重ねて御礼申し上げます。
 明日から学会のため、上越に向かいます。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年10月10日 09:16


学びとは「悦び」であり、「痛み」でもある

 大人が学ぶことは「悦び」であるのと同時に、「痛み」でもある。

 かつて、ジャック=メジローという研究者は、変容学習理論の中の一部で、大人が学ぶプロセスには、

1)ジレンマ、恐れ、怒り、恥辱感などのネガティブな感情を伴う自己吟味が欠かせないこと

その上で、

2)今までアタリマエだと思っていたこと(assumption)の問い直しがはじまること

 を主張した。

 ちょっと誤解を受けるかもしれないけれど、この様子は「筋トレのメタファ」でも説明できるのかもしれない。

 僕は専門家ではないので詳しい話は知らないけれど、筋肉とは、極限まで追い込まれ、筋繊維が「壊れること」をきっかけに増強されるものらしい。

 筋トレをやる。激しいトレーニングで、プチッと筋肉が壊れる。「疲労感」や「けだるさ」、時には「痛み」が全身の筋肉に残る。疲れた筋肉をChill outするケアを忘れてはいけない。それを忘れると、時には「筋肉痛」として長く続く場合もある。でも、自分の体には、どこか昨日までの自分とは違った感覚がある。確かに、疲れた。でも、気分は「爽快」だ。

 これが「学びが痛みでもあり、悦びでもある」という状況に似ているのかもしれないな、と思った。「筋トレ」と「学び」、ミソクソ一緒にするなとお叱りを受けそうだけど。

 ---

「働く大人の学びや変容」を研究として描きだそうとするとき、僕らは、明らかに「ポジティブなもの」、つまりは「悦び」のことだけに目を向けてしまいがちである。

 しかし、「悦び」の背後には、おそらく「痛み」とよばれるもの - 葛藤、緊張、矛盾、抵抗といったものが、おそらくは、ある。

 それをいかに誤魔化さずに、ちゃんと書くことができるか。僕はそれがまだできていない。これは僕自身の大きな課題なのかな、と思う。

投稿者 jun : 2008年10月 9日 07:56


援助すること、されること

 生きることは、援助するか、援助されるかのどちらかである。

 たとえば、僕は33年前、この世に生まれた。爾来二十数年(長すぎる!という話もある)、親の援助のもとで育てられ、今は「人の親」になり、愚息TAKUZOを援助しつつ、育てている。

 今、TAKUZOは、親の助けなしでは生きていけない。
 しかし、僕がそうであったように、近い将来、僕らの援助は必要としなくなり、むしろ、それを「鬱陶しいもの」と思うようになり、やがて自律する。

 そして、どのようなかたちかはわからぬが、彼もいつかは「誰か」を援助するようになる。

 そして、今まで「援助する側」であった僕は、今度は「援助される側」に回る。あなたと同じように、僕も、「老い」から自由ではない。おそらく、誰かの助けなしでは生きていけぬ存在に、いつかはなる。

 かくして、歴史は繰り返す。

 援助しているか、援助されているか。
 人によって様々なライフスタイルがあるので、一概にはいえないけれど、生きることは、このどちらかと、常に「無縁」ではない。
 今日の話は、親子の間柄の話であったけど、学校で、職場で、地域で、僕らは人を援助しつつ、人から援助を受けていることが多い。

 生きるている、ということは、援助しているか、援助されているかのどちらかである。僕らは、人を助けること、人に助けられることの「網の目の中」にいる。

 ---

近況.

 昨日から冬学期のゼミ開始。このタームは、「自己制御学習(自己調整学習)」に関する書籍、本を読む。

 自己調整学習とは、誤解を恐れず僕の言葉で一言でいうと、「自分の学習を自分でデザインしながら学ぶ」ということです。
 メタ認知や方略といったコグニティブなもの、自己効力などのエモーショナルなものをレバレッジとして、いかに、自分の学習をデザインできるか、ということを研究します。

 昨日の文献は、1)自己調整学習の概論と、2)バンデューラの社会認知理論と自己調整学習の関係についてでした。

 自己調整学習の理論を読みながら考えたことのひとつに、「自己」の問題があります。
 自己調整学習の理論は、決して目新しいものではない。それなのに、数年前から「脚光」があたっている。
 この背後には、自己調整学習が背後に想定する「強い自己」というものが、今の社会思想、今という時代に「共振」しているという問題があるかと思います。  だから、自己調整学習は、ある種の「危うさ」を含んでいます。理論を教育的、心理的に読み解くだけではなく、思想的、経済的に批判的に読み解く必要があるな、と痛感しました。

 ちなみに、本日から出張。
 某ホテルにて、神戸大学の金井壽宏先生と対談を行う。ワクワク。

 明日午後、某所にて講演。

 明後日、某学会の若手研究者の会合に参加。僕はその学会の学会員ではないのだけれど、趣旨に共感した。そのまま、日本教育工学会に参加するため、上越教育大学へ。3日間、学会です。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年10月 8日 08:43


あそこの人たち、怒ってもらえませんか?

 先日、某人材育成企業との打ち合わせの最中に話題になった話。

 ある企業で、新人研修を担当したところ、研修中、新人たちに私語が耐えなかった。

 私語をしている新人たちのすぐ後ろの椅子に、人材育成担当者が座っており、当然、その様子に気づいているようだったので、彼から「一言怒ってもらえる」のだと思っていたら、スタスタと講師のところに来て、驚愕の一言が。

「すみません、あそこの人たち、うるさいんで、怒ってもらえませんか?」

 思わず、

「ここは、人事の○○さんの方から言っていただいた方が効果があると思います」

 と諭したら、

「わたし怒るの苦手なんですよね。それに、この研修は、御社に発注したので」

 と返された、という。

 ▼
 
 人材育成担当者と外部の民間教育企業とのパートナーシップの問題は、次に、僕が議論したい内容である。

 ---

追伸.
 三谷宏治さん(現・金沢工業大学虎ノ門大学院教授)に本郷の研究室でお逢いした。僕の某雑誌でのインタビュー記事をご覧になって、今回お逢いすることになった。

三谷宏治さん
http://www.careerinq.com/press/mitani/

 三谷さんは、87年から96年までボストンコンサルティンググループ、96年からアクセンチュアで統括エグゼクティブ・パートナーをつとめていた方。「学校教育」に大変興味をお持ちで、その話題で盛り上がった。

 世の中には、かつてビジネスで活躍なさっていた方で、学校教育に興味をお持ちの方がたくさんいらっしゃる。そういう方々と、何かオモシロイことができそうだな、と感じた。

投稿者 jun : 2008年10月 7日 15:40


11月Learning barのお知らせ:パフォーマンスコンサルティングワークショップ

 今日は、次回Learning barのお知らせです。
 11月14日(金)、鹿野尚登さんにおこしいただき、パフォーマンスコンサルティングに関するワークショップを実施します。
 お申し込みは下記をお読みになり、1社につき2名を単位としてお申し込みいただければ幸いです。

 本郷キャンパスでお逢いできますこと、楽しみにしております!

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Learning bar@Todai 2008

パフォーマンスコンサルティング・ワークショップ
業績向上に貢献する人材開発部門は何をなすべきか?

2008年11月14日(金曜日)午後5時 - 9時 東京大学
=================================================

 2008年11月のLearning barは、ディナ=ロビンソン
らの名著「パフォーマンスコンサルティング」を翻訳
・出版なさった鹿野尚登さんをお招きして、パフォー
マンスコンサルティングに関するワークショップを開催
します。

パフォーマンスコンサルティング

 パフォーマンスコンサルティングとは、「組織の業
績を向上させるために行うシステマティックな介入方
法論」。

「学習効果の高い研修」を生み出すことを目的とする
方法論にインストラクショナルデザインがありますが、
それをさらに「拡張」した方法と言えるのかもしれま
せん。

 パフォーマンスコンサルティングにおいては、学習
効果の高い「研修づくり」を超えて、どのようにして
「成果を生み出す組織や職場をつくるか」ということ
が問題にされます。

 ディナ=ロビンソンさんたちの主張は、下記のごとく
非常にシンプルであり、パワフルです。

「人材開発部門の目的は、よい研修をたくさんやること
ではない」

「人材開発部門は、業績向上に貢献するための方法論を
実践するべきである」

今回のワークショップでは、その方法論のひとつである
パフォーマンスコンサルティングのエッセンスを学び
ます。

 ---

 参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、10月31日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。11月初旬までに参加可否をお伝えいたします。
下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいた
します。

 なお、最近、Learning barは満員御礼が続いており、
参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応
えできない状況になっております。

 主催者としては心苦しい限りですが、限られたスペー
スと人的リソースの中で運営し、かつ、参加者のバック
グラウンドの多様性を確保する必要がある関係上、すべ
ての方々のご要望にはお答えできません。
 なにとぞお許しください。
 
     企画担当:中原 淳(東京大学・准教授)

※Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesが
主催、東京大学大学院学際情報学府 中原研究室が
共催する、実務家と研究者が集まる学術イベントです。
 
 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 エデュース・テクノロジーズ
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
 関する調査、研究、コンサルティングを行う
 非営利特定活動法人です。
 
 企画担当
 副代表理事 中原 淳

 
○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
 - 大人の学びを科学する研究室 -
 http://www.nakahara-lab.net/
 
 
○日時
 2008年11月14日(金曜日)
 午後4時30分 開場
 午後5時00分より午後9時頃まで実施
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
  に始めます。本郷キャンパスは意外に
  広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう
 
 
○内容(案)

 □ウェルカムドリンク
 (4時30分 - 5時00分)
  ・今回のLearning barでは、サンドイッチ
   ソフトドリンク、ビール、ワイン等を
   ご用意しています。
  ・非常に混み合うことが予想されますので、
   なるべくはやくおこしください。
 
 □イントロダクション
 (5時00分-5時10分)
   ・中原 淳(東京大学)
 
 □ワークショップ
 (5時10分 - 8時10分)
 (3時間のワークショップ+途中休憩30分を含む)
  ・鹿野尚登さん

 ・パフォーマンスとは何か?
 ・パフォーマンスコンサルティングとは何か?
 ・パフォーマンスコンサルティングの理論背景

 ・演習1:業績と行動の改善を促すものは?
 ・演習2:何を改善すれば自分の業績は高まるか
 ・演習3:よく聞くニーズ
 ・演習4:自社事業部のパフォーマンス相互関係マップ
 
 □リフレクション
 (8時10分 - 8時40分)
  ・中原 淳(東京大学・准教授)

 ・パフォーマンスコンサルティングはいかに
  活用しうるのか?
 ・パフォーマンスコンサルティングの可能性
  と限界

 □ラップアップ
 (8時40分 - 8時50分まで)
 (10分)
  ・中原 淳(東京大学・准教授)
 
 
○場所
 東京大学 工学部2号館 9F 93B
 大学院情報学環 教室
 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html 

 地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
 地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
 
 
○参加費
 4000円(1名さま 一般・学生)

 (講師招聘費用、講師謝金、飲み物、食べ物、
  運営費等に支出いたします。剰余金が発生
  した場合は、東京大学とNPO法人 Educe Te
  chnologiesが共同で開催する、組織人材育
  成・組織学習に関係するシンポジウム、研
  究会、ワークショップ等の非営利イベント
  等の準備費用、運営費用に充当します。)
 
 
○食事
 ソフトドリンク、ビール、ワインなどの飲み物、
 および軽食をご準備いたします。
 
 
○参加条件

 下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
 申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
 いるとみなします。

 1.企業教育、コンサル「以外」の職種の企業におつとめ
 の方で、1社につき2名を単位として募集を受け付けます。

 2.課題図書「パフォーマンスコンサルティング」を
 お読みいただき、かつ、当日お持ちください。

パフォーマンスコンサルティング

 (当日は、これをご一読いただいていることを前提に
  ワークショップが進行します)

 3.本ワークショップの様子を撮影した写真は、NPO   
 EduceTechnologies、東京大学 中原研究室が関与
 するWebサイト等の広報手段、講演資料、書籍等
 に用いられる場合があります。

 4. 欠席の際には、お手数でもその旨、
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 ご連絡下さい。
 人数多数のため、多数の方の参加をお断りしている
 状況です。繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。


○どうやって参加するのか?
 
 下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 10月31日までにお申し込み下さい


〆ココカラ=======================================

 参加申し込みフォーム
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 10月31日までにお申し込み下さい
 抽選の上、11月初旬までに結果をお送りいたします

 ---

 上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。

代表者氏名:(            )
代表者フリガナ:(          )
代表者ご所属:(            )
代表者メールアドレス:(       )

2人目の方の氏名(            )
2人目の方のフリガナ:(          )
2人目の方のご所属:(            )
2人目の方のメールアドレス:(        )

※ワークショップ実施には1社につき2名お揃いに
なることが必要です。当日、どなたか欠席の際には、
人数の補充をお願いいたします。

〆ココマデ=======================================

投稿者 jun : 2008年10月 6日 16:43


簡単に「意識改革」って言うな!

 組織の不祥事・・・そうした報道でニュースでなされるたびに、いつも繰り返されるのは、下記の言葉です。

「今後は、職員の意識改革につとめ」
「社員の意識改革をより一層進め・・・」

 こういうニュースを聞くたびに、僕は、ピクッときてしまいます。

「意識改革っていうけど、どういう手法や仕掛けで、意識を変容させるんだろう? この組織は、それをどうやって実現するんだろうか?」
 
 こういう疑問が、フツフツとわいてきます。つまり、根がマジメなせいか!?、「マジメに意識改革を実現する方法」を考えてしまうのです。

 でも、次の瞬間、ふっと我に返ります。「意識改革」ってのは「常套句」なんだよな、と。それは不祥事の謝罪文の「枕詞」のように用いられるものなんだよな、と。これは「意識改革オチ」という、「安易なオチのつけかた」なんだよな、と。

  ▼

 言うまでもないことですが、

「大の大人の意識を変えることほど、難しいことはありません」

 知識やスキルの量を増やすことなら、まだそんなに難しくないのかもしれません。しかし、意識や姿勢、視座やものの見方といったメタなものほど、変えるのは難しい。
 それは、様々なそれまでの経験とむすびつき、信念体系として確立しており、そう簡単に変わるものではありません。
 もし、それを本気で変えようとするなら、本人に、よほどの葛藤やカタストロフィーが生じることを覚悟しなくてはなりません。

 まして、「意識改革」というときの対象は、個人ではなく、組織です。組織全体が、それまで持っていた意味体系を学習棄却し、新たな意味を構築する。つまりは、組織学習を新たに行う。
 それを本気で行おうとするするなら、腹をくくる必要があります。巧妙かつ大規模な仕掛けを考え、組織内にカオスが生じることも覚悟し、それを実施しなければならない。「変わる」とは「痛み」のことなのです。

 不祥事のニュースを耳にするたびに、

「このトップは、その覚悟があって、意識改革と言っているんだろうな」

 と思ってしまいます。

 よもや「職員を前に説教や訓辞をたれたりすることで、あるいは、文書を回覧することで、まさか、そんなプリミティブで1ミリの工夫も痛みもない方法で、それで意識が変わると思っているんじゃないだろうな」と。

 簡単に「改革」できないものを、「改革する」と「簡単」に言ってしまう。

 どうも、そういう組織もトップも、僕は信用できません。また同じようなことを繰り返してしまうような気がしてならないのです。

 簡単に「意識改革」って言うな!

投稿者 jun : 2008年10月 4日 07:22


突然、「君はどう思う?」って聞かれてもね

「コーチング研修ですか。研修終了後、何もやらず、そのままにしておけば、もれなく、研修参加者は、元に戻りますね。早い人なら、即日で戻る。これは数年間の経験で確信があります。

職場に帰った瞬間に、何事もなかったかのように、これまでどおり、仕事をすると思います。研修は研修、仕事は仕事、という感じですね」

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 先日、インタビューのため訪問させていただいた某企業A社。巨大な工場と装置を動かす、伝統あるA社では、上司部下のコミュニケーションは、指示・命令のカルチュアが支配的であった。

 このカルチュアでは、あまりにも「社員の成長」にムラがでてしまう。このことを問題視したA社では、「管理職向けのコーチング研修」を導入した。

 単にコーチング研修を導入するだけではなく、その効果をあげるため、参加者を研修終了後1年間弱にわたって支援する。

 具体的には、日々の活動をレポートしてもらったり、職場環境の調査を実施したりして、データを把握する。そのデータにもとづき、本人と対話をおこない、フィードバックやアドバイスをしたりする支援組織をつくっていた。

 研修で学んだことを、いかに現場にいかすか。
 ワークプレイスラーニングの好事例として、非常に興味深い試みだった。

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 それにしても、印象的だったのは、担当者の方の下記の言葉だった。

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コーチングを性急に根付かせようとすることは、避けた方がよいですね。

今まで、上司から指示・命令で、ネチネチとやられていたのに、ある日突然、コロッと変わって、「君はどう思う?」って聞かれてもね。そりゃ、部下だって、面食らってしまいますよ。

「あー、どうせ、研修受けてきたんだろ?」「どうせ、やらされてるんだろ」って。それも、上司がみんな判で押したように「君はどう思う?」を繰り返すのですよ。職場が混乱する可能性もでてきますね。

それも緊急時にも、TPOをわきまえず「君はどう思う?」ってやるわけですから。

上司にとってもストレスですよね。今までの自分のあり方とは、違うスタイルをやらなくてはならない。中には、深刻にまいってしまう人もでてくるのです

ですから、性急に事を進めず、「じっくり」と「こってり」と時間をかけて、長い目で支援していく必要があると思います。本人の話を聞いたり、職場の環境を調べたりしながら、具体的なフィードバックをかえし、支援していく必要があるのです。

投稿者 jun : 2008年10月 2日 06:55


イズラエル・カマカヴィウォオレにハマる!

 IZ(イズ)というアーティストをご存じですか?

 ハワイでは知らない人はいない、というくらい有名なアーティストだそうです。僕も、数ヶ月前に知りました。

 1993年に発売したアルバム「Facing Future」が、ハワイアンミュージックとしては初めて、全米でミリオンセラーに輝いたそうです。

 イズの本名は、「イズラエル・カマカヴィウォオレ」といいます。「イズラエル」はまだしも、「カマカヴィウォオレ」は、舌をかむこと請け合いですね。あるいは「カビカビ俺?」と間違って覚えてしまいそうです。ですので、略称「イズ」。

 イズの見た目は、一度見たら絶対に忘れられません。340kgを超える巨体です。「在りし日の小錦」といったほうがよいかもしれません。
 残念なことに、この肥満が原因で、1997年、38歳の若さで亡くなりました。うーん、メタボどころの話ではないね。人間ドックの値が真っ赤になりそうだ。

 ハワイでもっとも人気のあるアーティストであった彼の遺体はハワイの議事堂に安置されたそうです。ハワイ史上2人目の栄光として。

 イズの歌声は「見た目」とは大きくかけ離れています。どこまでも「透明」で、どこまでも伸びる本当に美しい歌声をしています。

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「Facing Future」を聞いてみます。

 まず、のっけから「Hawaii '78」に圧倒されます。
 重厚なストリングスに、美しいファルセット。聞くところによると、この曲は「父の死」、そして、「失われつつあるハワイ文化」をしのぶ曲だそうです。

「Ka Pua U'I」「White Sandy Beach of Hawaii」「La 'Elima」などは、いわゆる伝統的なハワイアン。ウクレレの弾き語りで、陽気に歌います。

 そして「Somewhere Over the Rainbow/What a Wonderful World」。大変有名なカバー曲だそうです。
 聞くところによると、この曲は、テレビドラマ「ER」の中で効果的に使われ、大変話題になったそうですね。いくつかの映画にも使われていたようです。

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 少し肌寒い日が続いています。この時期は、少しグルーミーな気分になってしまいがちですね。そんなときにぜひ。癒されます。

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追伸.
 10月1日、本日をもちまして、小生、33歳になりました。

 大学の教員・研究者としては「駆け出し」「ペーペー」「ハナ○ソ」「まだ生まれてない」とか言いたい放題、世間的には、もう「アーリーミドル」ですね。
 責任がともなう立場です。プラプラしていないで、そろそろ「地に足を着けるべきとき」ですね。

 今朝、カミサンとこんな話をしました。

「わたしたちも、そろそろジャケット着て、仕事にいくことが多くなってきたね」

 そうだよなぁ・・・。

 僕もカミサンも、職業柄比較的服装が自由なので、ジーンズ、Tシャツ、パーカーで仕事場にいくことも多々あるのですが、最近は、その頻度も以前よりは少なくなってきているような気もします。僕に関して言えば、少なくとも「短パン」はマズイかも。

 33歳。

「やらなければならないこと(Must)」「やれること(Can)」「やりたいこと(Want)」のバランスをとりつつ、この1年を大切にしたいと考えます。

 そして人生は続く。

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投稿者 jun : 2008年10月 1日 09:32