OCEANS
かっこよく子育てをする父親向けの雑誌に「OCEANS」というのがあるそうです。
OCEANS
http://www.oceans-ilm.com/
女性には、「私のキレイが家族の幸せ」がキャッチコピーのVERY、光文社のMARTがありますが、その男性版なんでしょうか。
で、すすめられたので読みました。・・・が、これを実現しようとすると、僕は、人生の大部分を、やり直さなくてはならなくなってしまいますね(笑)。読んでいただけるとおわかりになるか、と。
今日もクソ暑いけど、人生は続く。
投稿者 jun : 2008年7月31日 08:45
参加者の多様性:Learning barを締め切りました!
8月22日のLearning bar、
組織改革、上からやるか、下からやるか!?
トップダウンでも、ボトムアップでもない変革
の募集を締め切りました。
今回は、合計250名弱の方々から応募をいただきました。ご応募ありがとうございました。
これより抽選を開始します。
本来は、お申し込みいただいた方、すべてにお越しいただきたいのですが、最近、Learning barは満員御礼が続いており、参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応えできない状況になっています。
主催者としては心苦しい限りですが、Learning barの性格上、
1)2個以上の教室でやることはできない
2)参加者同士のインタラクションを重視しなければならない
3)参加者のバックグラウンドの多様性を確保しなければならない
必要がある関係上、すべての方々のご要望には、残念ながらお答えできません。なにとぞお許しください。
抽選は、まず参加者を、所属別に11のグループに分けて、その中で第一次抽選をします。
これで、民間教育企業、人材育成担当者、お医者さまなど医療従事者、小学校・中学校の現場の先生方、国家公務員の方々、地方公務員の方々、大学関係者、学生といった具合に、いろいろな方々に偏りなく参加していただけます。その後、第二次抽選として、男女比をなるべく5:5に近づけます。
かくして、「参加者の多様性」を確保しているのですね。この「多様性」の中で、いろいろな人とコミュニケーションする機会を得ることで、気づくこと、学ぶことが多くなるような「仕掛け」を施しているのです。
ちなみに、最近参加希望を多数いただくのは、小学校、中学校、高校の現場の先生方、教育委員会の方々、地方公共団体の方々です。ありがたいことですね。Learning barにようこそ。
抽選結果は、今週末にはお送りできそうです。
どうぞお楽しみに。
投稿者 jun : 2008年7月30日 08:55
大学院前期終了、嗚呼、夏休み
大学院授業「組織学習システム論」、そして大学院ゼミ、今日で今学期の予定をすべて終了しました。受講者、研究室の皆さん、お疲れ様でした。
授業は「組織、学習、働く大人」を扱いました。
回を重ねるごとに、混迷を増していくような、まさに僕の今のアタマの中をのぞき見るような内容でしたが、この授業で扱った内容が、今まさにオンゴーイングで発展しているところなので、ある意味で仕方がないことなのかもしれません。
ゼミの方は、今年独立したばかりで、手探りの運営でした。ゼミ長はじめ、研究室の皆さんの協力がなければ運営できませんでした。中原研究室・大学院生諸氏、本当にお疲れ様でした。
授業、ゼミともにふりかえって考えるに、大学院の教育というのは、教員だけでできるものではないと切に思います。
「わからないこと」を一緒に考えていくのが、大学院です。「わかっていることを教えていただく」のは、大学院ではない。その意味で、大学院の教育とは、教員と学生のインタラクションの中にある、といっても過言ではありません。
もちろん、カリキュラム上、いくつかの反省点はありました。これは次回に活かします。
嗚呼、今日から夏休み。
もちろん、僕には休みないけど(泣)。
投稿者 jun : 2008年7月30日 08:11
可愛い本には旅をさせろ? : ブッククロッシング
午前、新宿にて打ち合わせ。その席上で、ブッククロッシングというコミュニティのことを教えてもらいました。
自分が読み終わった本に、特定の番号(BCID番号)を記入したステッカーを本に貼ります。で、それを友達に渡したり、カフェなどに敢えて忘れてくる。
で、本を次に手にした人が、本に書かれているBCID番号をブッククロッシングのウェブサイトに入力すると、その本が、どのような旅をしてきたかわかるというサービスですね。本の感想なども読めるようです。
で、読み終わったら、また他の人にわたす。かくして、本に旅をさせるのですね。
ブッククロッシング
http://bookcrossing.jp/
とても面白いですね。
現在(2008年5月)、ブッククロッシングに登録された本の数は全世界で480万冊を超えているそうですね。すごいなぁ。僕の近くにも、どこかの誰かが手にした本があるかも・・・。
可愛い「本」には旅をさせろ!?
---
今週は、夏休み前のハードワークです。授業も明日で最後。体調を崩さぬようにしなければね。
ちなみに、あさって水曜日は、「IT企業の人材育成を考えるシンポジウム」に登壇します(グローバルナレッジネットワーク株式会社)。
IT企業、情報システム部門において人材育成に携わる方(事業/経営企画、人事部門および情報システム部門の責任者の方)、ふるってご参加いただければ幸いです。
残席10席程度枠があるそうです。
IT企業で人材育成を担当なさっている方が数多く参加なさるそうですよ。Learning barでやっているように、お隣でのディスカッションやケータイフィードバックも実施させていただく予定です。
他社の事例を聞いたり、悩みを共有したり。ネットワーキングのよい機会にもなるのではないでしょうか。
企業の人材育成を考える ~はじめの一歩~シンポジウム
http://www.globalknowledge.co.jp/seminar/party/seminar091_01.html
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2008年7月28日 13:07
ケッ、この田舎侍め、あっちにいってろ
今、TAKUZO、昼寝しました。
ママは,、数時間だけ仕事場へ。
今日は、例のごとくTAKUZOに朝早くから、叩き起こされたので、僕も、もう寝ます。
最近、TAKUZOは「ママッ子」で参ります。僕とTAKUZOだけでいるときはおとなしいのですが、ママが一緒にいると、僕の言うことなど全く聞きません。僕が食べ物をあげても食べません。何をするにもママなのです。
要するに、ステータスがあるのです。プライオリティといってもいいかもしれない。
TAKUZOにとって、僕はママより身分が「下」です。ママがいないときは相手にしてくれますが、ママがいるときには
「ケッ、田舎侍め、あっちにいってろ」
という態度をとられます(笑)。
「故郷(クニ)に帰って、シャケでも食ってろ」
みたいな。
でも、いったんママがいなくなると、すぐに甘えてきます。ゴロニャン、ゴロゴロ
「パパ、ねぇ、パパ」
みたいな感じです。でも、ここで「よしよし、可愛いやつめ」と手放しで喜んではいけません。どうせ、
「ケケケ、田舎侍は、コロッと騙されよる」
と心の中で思っているに違いありません(笑)。
TAKUZOの中には、もはや「天使のTAKUZO」の他に、「邪悪なTAKUZO」が共存しているのです。ほんでもって、ママがいるときの僕に見せる顔は、完全に「邪悪なTAKUZO」だ(笑)。
おまえなー、そういう態度とってると、友達なくすぞ。
ホンマに小賢しくなりおって(笑)
とブツブツつぶやきながら、田舎侍は、今日も「おしめ」をかえるのです。いえいえ、かえさせていただくのです。嗚呼。
---
以前、この場で宣言したように、今年の教育工学会では、ちょっと理論っぽいことを喋ろうと思います。
時間がないのであまり詰め切れていないのですが、でも、ここ数年思ってきたことを、まとめようかな、とも思っています。もしかすると、いろいろなところからお叱りを受けるかもしれないけど。まぁ、議論が巻き起こるのだとすれば、それもいいかな、と。
でも、あまりに自信がないので、信頼する若手研究者の方々(みんな第一線で活躍している人たちです・・・みんな忙しいのにコメントをくれた・・・ありがとうございました)に送ってコメントをもらいました。
なるほどね、アンタの言うとおり。いいこというね。皆さんからいただいたコメントを、どこまで反映できるかどうかはわからないですが、最後まで書いてみようと思います。
要旨は下記です。
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試論:教育工学は「何」をデザインするべきなのか?
「教育現場の持続可能な変革」の支援をめざして
■あらまし
教育工学研究は、教育現場の変革(改善)に資する「実践志向」を有する学問である。しかし、「実践研究」を通してつくられた教材やシステムが、教育現場において利用され、「教育現場の持続可能な変革」を主導した事例は、それほど多いわけではない。
教育工学がもし「教育現場の持続可能な変革」を支援することをめざすのであるのだとすれば、いったい新たに「何」をどのようにデザインするべきなのか。
本小論では、このアポリアに対して、組織学習論の知見を援用しつつ、試論を提供する。
教育工学研究の近い将来には、従来の1)教授デザイン、2)学習環境デザインに加えて、3)組織デザイン、4)組織間デザインという新たな地平が存在すると考える。
■キーワード
教育工学、教育現場の持続可能な変革、組織学習論、教授デザイン、学習環境デザイン、組織デザイン、組織間デザイン
投稿者 jun : 2008年7月26日 12:57
鍼灸師という仕事
「働く大人がどのようにして一人前になったのか」、そのプロセスをしつこく聞く非公式インタビュー「一人前シリーズ」、今回は鍼灸師。
鍼灸師が一人前になっていく過程で、最も難しいのは、西洋医療と鍼灸医療の違いを理解し、実践することに、という。
西洋医療では、ある症状は、ある原因から生じたと考える。そして、ある一点で検査を行い、そこで見いだされた症状に対して、薬や処置などの介入を行い、原因を消失させようとするのだという。原因が消失すれば、症状は軽快する。つまり病気は「根治」した、と考える。
しかし、鍼灸の世界は全く、これと世界観を異にする。
比喩的な言い方だが、鍼灸の世界には「根治」はありえないのだという。体調は、-1<体調<1というような値をとるものと考えられ、常に移ろいゆくものと考える。
そして、体調をなるべく「中庸」にもっていくことを考える。重要なのは「1」、つまりは「よい状態」にもっていくことを考えない、ということである。
鍼灸の世界に、症状と一対一で対応する原因はない。だから原因の消失もありえない。鍼灸師は「原因」を見るのではなく、「体全体」を見る。そして、「体全体」には「快復力」が自ずとあると考える。鍼灸が行っているのは、この「快復力」を高める支援であるという。
違いは、その治療法にもある。
鍼灸の治療時間は一般に1時間を超えることも多い。その長い時間の中で、針をうちつつ、それに対する体の反応を指先や目で感じる。この感覚をもとに、さらに次の治療方針が決まる。つまり、治療方針は、治療の中で再帰的につくられていく。ある一定の時間の中で、体と対話する中で、アドホックに決定され、実践されていく。
鍼灸師が仕事を覚えるときに、まず障害になるのが、この鍼灸のコンセプト、世界観を理解することだという。
鍼灸師になりたい人も、もちろん、私たちも、近代医学の恩恵を受けており、その考え方の虜になっている。これを一度アンラーニング(unlearning)して、鍼灸の世界観を理解することが、まず、最初のハードルなのだという。
次に難しいのは、針をうつことではなく、針をうったあとの反応を感じることだという。
針をうった感じが堅いのか、やわらかいのか。痛いのか、痛くないのか。他の部分のコリはどのように変化したか。それを総合的に判断し、アドホックに次の方針を決めるのだという。
何年くらいで一人前になりましたか?
と尋ねたところ、経験20年近い先生は、「まだまだわたしなんかは」と謙遜していらっしゃった。
「ひとりひとり体は違いますから、毎日が発見です」
この世界も奥が深い。
というか、どんな仕事であれ、「仕事にまつわる学び」は奥が深い。
投稿者 jun : 2008年7月25日 06:43
教育、葛藤、そして岐路
1. 教育は、社会の中の「誰」がイニシアチブをもって、「誰」と協働して(あるいは誰とも協働しないで)、どのようにして、どこまでの範囲を担い、どのような成果を社会にかえすべきものなのか?
そして、
2. 教育研究とは、どういう知識・専門性・経験をもった人がイニシアチブをもって、誰と協働して(あるいは協働しないで)、どのように担い、どのような成果を、誰に返すべきものなのか?
時間がないので、ザッとしか書きませんが、今ほど、これら二つの問題、「教育および教育研究のオーナーシップ、パートナーシップ」の問題が問われている時代はないように思います。これは公教育であろうと、企業人材育成であろうと事態は変わりません。こんな風に、教育を捉えているのは、僕だけなんでしょうか。
---
ほんの一例ですが、今日の朝日新聞1面には下記のようなニュースが流れました。くるぞくるぞ、と言われていただけに、受け止め方は冷静ですが、僕のまわりの教育関係者の間では、このニュースについての議論がはじまっています。
難民「第三国定住」導入
http://www.asahi.com/politics/update/0723/TKY200807230351.html?ref=rss
某大学の某先生からもこんなメールをいただきました。
この動向が本格化すれば、学校教育は、「マルチカルチュアリズムへの対応」という未曾有の事態に突入するかもしれない。
その際、現場に対応できることは何か、できないことは何か?
その際、教育研究には何ができ、何ができないのか。
そして、いわゆる狭い「教育」の人々だけで、これに対応できるのか。
こんな風に書くと、「自分は学校教育に関係ないからどうでもいい」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。でも、いわゆるマルチカルチュアリズムへの対応は、いわゆる初等中等教育だけではありません。高等教育も、既にそれに巻き込まれていますし、企業人材育成でも、それが既に問題になっているところもあります。
---
もちろん、教育の問題はこれだけではありません。テクノロジーの問題、グローバリズムへの対応の問題・・・マクロな見方をすれば、今、教育がいかに激変する時代の中にあるか、すぐに見て取ることができます。
もちろん、歴史をひもといてみれば、教育が、安定していた時代など、ほとんどありません。人類が自らの歴史を記し始めた頃から、常に教育は「葛藤」の中にありました。教育に関わることは、結局、この「葛藤」の中に身をおく覚悟をもつということでもあります。
しかし、今、教育が置かれている状況は、これまで常日頃教育が置かれていた「葛藤」とは質が異なっているようにも思います。「葛藤」ではなく、むしろ「岐路」という表現が適切かもしれません。
岐路を前にして、自分はどう振る舞い、何ができるのか。
考えさせられる毎日が続きます。
投稿者 jun : 2008年7月24日 15:23
処女作と最高傑作
大学院ゼミ。
今日は、社会分散認知研究の先駆けとなったエドウィン=ハッチンスの論文「How a cockpit remembers its speed」と、熟達化研究で現在ブレークしているアンダース=エリクソンの過去の論文「The role of deliberate practice in acquisition of expert performance」を購読した。
どちらも執拗に、執拗に、実験や観察を繰り返した論文である。実験計画の立て方など、とても参考になった。
ところで、本論とはややズレるけど、エリクソンの論文の中に引用されていたRaskin(1936)の研究がとても印象的だった。
Raskin(1936)は、19世紀に活躍した科学者120名と、詩人と作家123名の「処女作をだした年齢」と「最高傑作をだしたときの年齢」の関係を調べた。
すると、科学者が処女作をだした平均年齢は25.2歳。詩人と作家の法は、24.2歳であったことがわかった。
最高傑作をだした年齢は、科学者が35.4歳。詩人と作家の場合は34.3歳であった。
要するに、最高傑作をだすには、仕事を一通り覚えて、作品を世にだしはじめてから10年くらい時間がかかる、ということである。
嗚呼、人が成果をだすには、長い時間がかかる。そんな簡単に傑作なんてでない、ということである。
---
この論文を読んでいて、「プチ鬱」になった。
小生、今年で33歳である。
処女論文を世に問うたのは25歳(本人は問うたつもりだったが、誰も気にしてなかったかも・・・)。Raskinのデータから考えると、最高傑作まで残り2年しかない。論文や書籍を書くには長い時間がかかることを考えると、はっきり言って、マズイ。つーか、もう間に合わねんじゃね。
「最高傑作は間に合わないんで、プチ傑作あたりで、ひとつ手をうちませんか、ねぇ、ダンナ」
と「越後屋風」に手をすりすりしてみたけど(誰がダンナよ)、まぁ、ここはあくまで頑張るべきだろう。
大学では、まだまだ若手である。
「中原君は、まだ生まれてもいないよ」
と年配の先生に言われたことも何度もある。まだまだチャンスはあるだろう?
小生、今年33歳。
傑作をいつの日か・・・と願い、今日も走るしかない。
いつの日か、近い将来、いつの日か。
いつか必ず、いつの日か。
投稿者 jun : 2008年7月23日 09:45
Learning barへのお誘い:組織改革、上からやるか、下からやるか!?
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Learning bar@Todai 2008
組織改革、上からやるか、下からやるか!?
社長の「想い」で、組織は「変わる」か!?
トップダウンでも、ボトムアップでもない変革
2008年8月22日(金曜日)午後6時 - 9時 東京大学
=================================================
2008年8月のLearning barは、野村総合研究所の
永井恒男さんを講師にお招きし、
「社長の想いで、本当に組織は変わるのか!?」
ということについて、皆さんでディスカッションを
深める機会を持ちたいと思います。
組織開発、組織変革ということになると、必ず問題
とされるのが「トップやエグゼクティブの関与やコミ
ット」の問題です。組織の変革には、どうしても、ト
ップダウンの力が必要になります。
しかし、トップダウンといっても、「笛ふけど踊ら
ず」「かけ声だけの改革」に陥りやすいことも、また
事実です。
そこには、どうしても、個々の職場、社員を主人
公にしたボトムアップの力が必要になります。
今回のLearning barは、夏らしく、副題を下記の
ようにつけました(ある映画タイトルのパクリです)。
組織改革、上からやるか、下からやるか!?
トップダウンでも、ボトムアップでもない変革とい
うものは、どのようなものなのでしょうか。そして、
人々は、そこで何を「学習」し、何を学習棄却してい
るのでしょうか。
この問題について、皆さんでディスカッションを深
めたいと思います。
---
今回講師としてお招きする永井さんは、社内ベンチ
ャー制度を活用し、エグゼクティブコーチングに関す
る新サービス「イデリア」を野村総合研究所内で立ち
上げた方です。
イデリア
http://www.id.nri.co.jp/
エグゼクティブコーチングとは、社長・経営者層な
どを対象としたコーチングサービスのこと。1回90分の
対話を半年、12回繰り返すことで、自己を振り返り、
かつ、目標を達成することを支援するサービスです。
永井さんは、イデリアを通して、多くの社長、経営層
にお逢いになることを通して、マネジメント層というも
のが、決して「一枚岩」ではなく、「孤独」や「葛藤」
の中で仕事をしていることに気づかれます。
そして、社長や経営層の「想い」や「考え」を、いか
に組織全体に広げるか、について考えるようになられた
そうです。
現在、イデリアはエグゼクティブコーチングから枠を
ひろげ、マネジメント層の「想い」や「願い」をタネに
して、組織開発までを射程にいれた総合的なサービスと
して発展しています。
今回のLearning barでは、永井さんに下記のような
話題についてご報告をお願いしたいと思っています。
1.なぜエグゼクティブコーチングをはじめたのか?
・パーソナルヒストリー
・コンサルティングの可能性と限界
2.エグゼクティブコーチングを通してわかった社長や
マネジメント層の「素顔」
3.エグゼクティブコーチングから組織開発へ
・トップダウンでもボトムアップでもない改革!?
4.実際の組織開発事例の紹介と今後の課題
参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、7月29日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。7月末日までに参加可否をお伝えいたします。
下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいた
します。
なお、最近、Learning barは満員御礼が続いており、
参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応
えできない状況になっております。
主催者としては心苦しい限りですが、限られたスペー
スと人的リソースの中で運営し、かつ、参加者のバック
グラウンドの多様性を確保する必要がある関係上、すべ
ての方々のご要望にはお答えできません。
なにとぞお許しください。
企画担当:中原 淳(東京大学・准教授)
※Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesが
主催、東京大学大学院学際情報学府 中原研究室が
共催する、実務家と研究者が集まる学術イベントです。
---
○主催
NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
エデュース・テクノロジーズ
http://www.educetech.org/
EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
関する調査、研究、コンサルティングを行う
非営利特定活動法人です。
企画担当
副代表理事 中原 淳
○共催
東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
- 大人の学びを科学する研究室 -
http://www.nakahara-lab.net/
○日時
2008年8月22日(金曜日)
午後5時30分 開場
午後6時00分より午後9時頃まで実施
※時間が限られておりますので、定刻通り
に始めます。本郷キャンパスは意外に
広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう
○内容(案)
□ウェルカムドリンク
(5時30分 - 6時00分)
・今回のLearning barでは、サンドイッチ
ソフトドリンク、ビール、ワイン等を
ご用意しています。
・非常に混み合うことが予想されますので、
なるべくはやくおこしください。
□イントロダクション
(6時00分-6時10分)
・中原 淳(東京大学)
□パート1
(6時10分 - 6時40分)
(25分講演+5分質疑)
・野村総合研究所 永井恒男さん
100社以上に対するエグゼクティブコーチングと
コンサルティングから痛感したのは、経営者は
孤独である(社長には相談相手がいない、経営
陣は一枚岩ではない、等)ということ。
社内ベンチャー制度を活用し畑違いの事業を立
ち上げた個人的な経緯と共に、社長と経営陣の
実態をお話します。
□パート2
(6時40分 - 7時10分)
(25分講演+5分質疑)
・野村総合研究所 永井恒男さん
社長がエグゼクティブコーチングを活用すると、
多くの場合経営陣の意識改革(企業の将来像の明
確化、チームビルディング、等)に取り組むよう
になります。
社長の想いを形にすることから始め、その想いに
経営陣や社員全員の共感を創り出す取組みについ
てお話します。
--- bar time (15min.) ---
□パート3
(7時10分 - 7時45分)
(30分講演+5分質疑)
・野村総合研究所 永井恒男さん
トップダウンでもボトムアップでもない「共鳴す
る経営」を目指し、経営陣がより本質的、抜本的
な意思決定を行い、同時にその意思決定に全員が
共感を持っている状態を作り出す事例(メーカー
、小売、サービス、IT業界)をご紹介します。
--- bar time (15min.) ---
□お近くの方とディスカッション
(8時00分 - 8時30分)
(30分)
□ケータイde質疑
(8時30分 - 8時55分まで)
(25分)
□ラップアップ
(8時55分 - 9時00分まで)
(5分)
・中原 淳(東京大学・准教授)
○場所
東京大学 工学部2号館 9F 93B
大学院情報学環 教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html
地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
○参加費
3000円(1名さま 一般・学生)
(講師招聘費用、講師謝金、飲み物、食べ物、
運営費等に支出いたします)
○食事
ソフトドリンク、ビール、ワインなどの飲み物、
および軽食をご準備いたします。
○参加条件
下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
いるとみなします。
1.本ワークショップの様子の写真、NPO Educe Technologies、
東京大学 中原研究室が関与するWebサイト等の広報手段、
講演資料、書籍等に用いられる場合があります。
2. 欠席の際には、お手数でもその旨、
saka-atsu [at mark] nifty.com までご連絡下さい。
人数多数のため、多数の方の参加をお断りしている
状況です。繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。
○どうやって参加するのか?
下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
7月25日までにお申し込み下さい
〆ココカラ=======================================
参加申し込みフォーム
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
7月29日までにお申し込み下さい
7月末日までに参加の可否をご連絡させていただきます
---
上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。
氏名:( )
フリガナ:( )
所属:( )
メールアドレス:( )
業種:下記の11つの属性から、あなたに最も近いものを
ひとつお選びください
1.研究者
2.学生
3.民間教育会社勤務
4.民間コンサル会社勤務
5.事業会社勤務(人事・教育部門)
6.事業会社勤務(事業部門)
7.個人事業主(教育・コンサル)
8.経営者
9.初等・中等教育の学校勤務
10.公務員・公益法人等勤務
11.その他
もしあれば・・・一言コメント
( )
〆ココマデ=======================================
投稿者 jun : 2008年7月22日 14:00
学習する組織」の成熟度評価法!?
今月号のダイヤモンドハーバードビジネスレビューには、「学習する組織」の成熟度評価法と称して、ハーバードビジネススクールのディヴィッド・ガーヴィンらの論文が掲載されていた。
David Garvin, Amy C. Edmondson and Francesca Gino Is yours a learning organization?
現在、僕があるところでやっている仕事にかなり近いので、興味深く読ませてもらった。下記に彼らの質問項目を引用する。
ガーヴィンらは、学習する組織を支える環境として、1)精神的な安全、2)違いの尊重、3)新しいアイデアへの寛容度、4)内省にかける時間をあげている。また、学習プロセスと学習行動、学習を推進するリーダーシップの問題もあげている。
もちろん、ガーヴィンらのあげる問題は、すべて組織学習の成否に関係すると思うけれど、個人的には、もう少し「個人 - 個人の社会的関係」や「個人 - 個人のつながり」に関する項目を入れた方が、より完成されたモデルになるのではないか、と思った。
もちろん、ガーヴィンらの作成した評価指標が、主にマネジメント層がチェック&リフレクションするために開発されたものなので、ないものねだりではあるけれど。
これに関しては、今後、共同研究者の方と一緒に取り組んでいきたい、と思っている。
---
1. 組織学習を支える環境(7段階のリッカートにて回答)
1-1. 精神的な安全
・この組織では、思ったことを自由に発言しやすい
・この組織ではミスを犯したメンバーに非難の矛作が向けられることが多い
・この組織のメンバーは、問題点や意見の相違について気軽に話し合う
・この組織のメンバーは、成功事例や失敗事例を共有することに熱心である
・この組織で出世するには手の内を明かさないことが最善策である
1-2.違いの尊重
・この組織では意見の相違が歓迎される
・この組織では主流の考え方にそった意見でなければ尊重されない
・この組織には意見が食い違った場合、その相手と直接話し合うことなく、個人的にまたは裏で処理する傾向が見られる
・この組織のメンバーは、従来と異なるやり方で豪無を遂行することに寛容である
1-3.新しいアイデアへの寛容度
・この組織のメンバーは、新しいアイデアを尊重する
・この組織のメンバーは、長らく親しまれてきたアイデア以外には耳を貸さない
・この組織のメンバーは仕事のやり方を改善することに関心が高い
・この組織のメンバーは、未知の方法に抵抗することが多い
1-4.内省にかける時間
・この組織のメンバーは、過度のストレスを感じている
・この組織のメンバーは業務量が多くても、あえて時間を割いて仕事の進捗状況を見直す
・この組織では、スケジュールに追い立てられて、業務の遂行に支障をきたしている
・この組織のメンバーは、忙しすぎて改善に時間を割くことができない
・この組織では内省する時間が全くない
2.学習プロセスと学習行動(7段階のリッカートにて回答)
2-1.実験
・この組織は新しい業務方法を頻繁に実験する
・この組織は、新製品や新サービスを頻繁に実験する。
・この組織には、実験や新しいアイデアを実施し、それを評価する公式プロセスがある
・この組織は、新しいアイデアを試す際に、試作品やシミュレーションを多用する
2-2.情報収集
・この組織は、以下の項目について、体系的に情報を収集する
競合他社
顧客
経済動向
技術動向
・この組織は以下の相手と頻繁に能力を比較する
競合他社
同じクラス内で再考の組織
2-3.分析
・この組織はモノゴトを検討する際、建設的な対立と議論を行う
・この組織はモノゴトを検討する際、反対意見を広く求める
・この組織はモノゴトを検討する際、すでに確立した視点は決して検討しない
・この組織は重要決定に影響しかねない基本的前庭について、頻繁に洗い出して議論する
・この組織は、モノゴトを検討する際、いっさい異論には耳を傾けない
2-4.教育と訓練
・この組織の新入社員は、適切な研修を受けている
・この組織のベテラン社員は、次のような研修を受けている
定期的なトレーニングと最新事項の補修
異動時のトレーニング
新しいイニシアチブがスタートする際のトレーニング
・この組織は研修を重視する
・この組織は、教育やトレーニングに時間を割く
2-5.情報の移転
・この組織には以下のような相手と出会い、そこから学ぶための場が用意されている
社内の他部門や他のチームの専門家
社外の専門家
顧客やクライアント
サプライヤー
・この組織は、社内の専門家ネットワークと、定期的に情報を共有している
・この組織は、社外の専門家ネットワークと、定期的に情報を共有している
・この組織は、重要な意志決定者に対して、新しい知識を迅速かつ正確に伝える
・この組織は、事後監査や事後検査を定期的に実施する
3.学習を推進するリーダーシップ(頻度による回答)
・上司は、物事を検討する際、他の人の意見を求める
・上司は、知識、情報、専門性に関して、自分の限界を認めている
・上司は、突っ込んだ質問をする
・上司は、注意深く話を聞く
・上司は、様々な視点をもつことを奨励する
・上司は、問題点や組織上の課題を見つけるために、時間や資源や場を提供する
・上司は、過去の業績を内省して改善を図るために、時間や資源や場を提供する
・上司は、自分と異なる見解を批判する
(Diamond Harvard Business Review 8月号 2008 p124-125)
投稿者 jun : 2008年7月22日 08:26
オシャレ写真館「Life studio」成城店に行ってきた!
週末の3連休はTAKUZO漬け。
今日は、成城にあるオシャレ写真館「Life studio」に行ってきました。
Life studio
http://www.lifestudio.jp/
ここは、いわゆる「記念撮影」したような写真ではなく、自然体のまま写真をとってくれます。おすすめのスタジオです。
Life studioはポリシーのあるスタジオです。
Life studioのシステム
http://www.lifestudio.jp/about/system.php
1. スタジオでの撮影料は無料
2. カメラマンを“自由”にする
3. 撮影には「種類」がない
4. 撮影を通して楽しみながら気に入った
ものだけを購入する。強要も何もしない。
5. カメラも持参OK
サラリと書いてありますが、この背後には、いわゆる既存の写真館との、強烈なコンセプトの違いがあります。この「逆」が、既存の写真館であり、日本の写真文化なのかもしれません。
今回は従兄弟と一緒にいきました。ふたりで110カットほどを撮影してもらいました。
ちなみに、すべてのデータをCD-ROMにやいてもらえます。焼き増しはなし、のコースで、データだけもらってきて、金額は29800円。これでいくらでも焼き増しをできることを考えると、本当に安いですね。
ちなみに、自分のカメラを持参して撮ることもできます。僕も撮影してみました。
・
・
・
そんな3連休でした。
明日から、超ハードスケジュールです。
---
追伸.
学部時代の同期のH先生から、日本の教員離職に関するデータが下記文献にあることを教えていただきました。
教員の離職に関する研究
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006458843/
教育社会学
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4472403560/ref=sib_rdr_dp
前者は文部科学省の学校教員統計年報などから離職率を推計したデータ。後者の書籍の8章には、離職率の時系列分析があるそうです。
H先生ありがとうございました!
投稿者 jun : 2008年7月21日 19:42
米国の教員離職率
ハーバード教育大学院で研究を進めていらっしゃるKさんが、僕のブログのエントリーを読んで、アメリカの教員の離職について、お便りをくれました。ありがとうございます。
教員の育成システム
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/07/post_1295.html
Kさんによると、教員離職については、下記のようなデータがあるそうです。
米国の教員離職に伴うコストの試算
http://www.all4ed.org/files/archive/publications/TeacherAttrition.pdf#search=%22National%20Teacher%20Turnover%20Rate%22
これによると、米国の公立校の教師が1年間に辞めてしまうコストは、2.2ビリオン。ビリオンが10億ですから、22億円のコストがかかっていることになります。
学校をやめてしまう理由は、1)プランニング時間の不足(65%)、2)過剰な仕事負荷(60%)、3)問題行動をもった生徒への対応(53%)、4)学校の運営に影響力が行使できないこと(52%)だそうですね。
レポートには州ごとの違いも載っていますので、ぜひ、ごらんいただければと思います。
Kさんによると、2004年のアメリカの教員離職率は15.7%。6.41人に1人が辞める計算だそうです。もちろん、これは裕福な地域から貧困地域をおしなべて平均にした値。貧困地域の教師は、もっと高い確率で辞めることになるそうです。
---
日本にもこうしたデータはあるのでしょうか。調べていないので、何ともいえないのですが・・・。
教員の離職はどのようなメカニズムで、どのような要素が影響しているのか、を調べてみると、非常に意義深いかもしれませんね。教職を志し、不本意な理由で、学校を去る。そのことを何とか防止できないものか、と思います。
投稿者 jun : 2008年7月18日 23:00
ユンケルは「前借り」か?
昨日の深夜、久しぶりに熱をだした。朝になっても、まだ下がらない。でも、今日は研修講師。代役を頼むこともできないし、絶対に休めない。ほとんど「死にかけ人形」で会場にたどり着く。
ダイヤモンド社の事務局の方が、気をきかせて、ユンケル黄帝液をもってきてくれた。大変ありがたい。早速1本を飲む。
午前の部終了。昼食を食べ終わったので、午後のセッションを乗り切るため、2本目に手をつける。
2本目を飲み終わったところで、編集者のMさんにいわれた一言が印象的だった。
「ユンケルは、後で、必ずきますから。元気にするというよりは、今、残っている体力をすべて燃やしきっているというイメージに近いですね」
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・
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1本のみならず2本分「体力の前借り」をしてしまった。このあと、僕は、どうなるんだろう。今、かなり元気ということは、この後、「廃人」になるんだろうか。
恐ろしい。
投稿者 jun : 2008年7月18日 12:49
教員の育成システム
「このままのペースが続くと、都市部のある地域では、残り数年ほどで、10年以下の仕事経験しかない先生が、全体の人数の3分の1を超えてしまうかもしれません。
この背景には、ここ数年、若手教員の大量採用が続いていることもあります。が、じわじわと増えているのは、定年を前に50歳後半で教員を辞めてしまう人が増えているように感じます。
もう定年まであと数年の先生が、つい先日定年前に辞めた元同僚と、久しぶりに学校の外で逢う。学校にいるときは、あんなに疲れ果てていたのに、辞めたあとは、ものすごく元気そうに見える。
どうしたの?と聞くと、朝が辛くない、体調も信じられないくらいにいいという。そうなのか・・・と思い、自分も、もう限界かと思うようになる・・・
実態はわかりませんが、そういうことが、今、現実に、起こっているように感じます。このような事態が進行すると、教員の育成システムにも問題がでてくるような気がします。ベテランから若手への教育技術、指導技術の伝承も難しくなってくるのではないでしょうか」
---
昨日、某大学の先生から、こんなお話をお聞きしました。
正確に録音していたわけではないですし、ここに出てきた数字も検証はしていません。が、お話のご趣旨は、このようなことであったと記憶しています。
いずれにしても、特に都市部は、学校の先生方に対するエンパワーメント、支援、再教育、熟達化支援も「待ったなし」の状況に入っているようです。
今日も、マスメディアで「教育問題」がとりあげられています。教育を研究しているものとして、とても「心」が痛みますし、残念です。
しかし、99.9999%の誠実な先生方は、今日も現場で「闘って」いることも、また事実です。
---
補足.
教師教育がご専門の某先生から、1)団塊の世代が早期に退職する傾向は自分のまわりでも見られること、2)その理由は、もしかすると、団塊の世代のスキルを持ってしても対応不可能な新たな問題群が噴出し、それまで培ってきたスキルや常識が通用しない現状が生まれていることにあるかもしれない、というご意見をいただきました。
また、他の先生からは、「教職を支えるパブリックサーバントとしての意識」が、学校外部からの批判によって、揺らいでいるのではないか、というご意見をいただきました。
くわえて、熟練教師だけではなく、若手教師の早期離職も問題になりつつあるのではないか、というご意見もいただきました。教職を学び、希望に燃えて学校に赴任し、現場に疲れ、教師を辞める。
データを確認しているわけではないですが、メールをくださった方の周囲には、そういう若手教師がでてきている感覚をお餅のようです。
いずれにしても、「待ったなし」ですね。
ありがとうございました!
投稿者 jun : 2008年7月17日 09:47
1年半のリフレクション・・・講師の育成について
先日、某民間教育企業の方々が来研した。来週行う講演の打ち合わせのためである。
打ち合わせでは、雑談ふくめいろんな話をしたけど、特に、下記のようなお話が、とても印象的だった。
---
「最近の研修では、事後アンケート結果は、かなり厳しく採点されますね。手を抜くと、5段階で、1とか2とかを平気でつけられてしまいます。
この背景には、人事教育部が人事権を手放して、事業部に移管したことも大きいかもしれません。昔は、"人事のやることだから、波風たてず、まぁ4とか5をつけておこう"とみんな思っていた。でも、最近は、あまり人事は怖くないのですね。
あとは、その会社に一生居続けるみたいな意識が、前よりも薄れていることも大きいかもしれませんね。一生居続けないのなら、本音で言いたいことをいって行こう、といったような感じになる。
あとは純粋に、特に若い人には"教育を評価するシビアな目"ができているのかもしれませんね。特に、若手の人は、講師の善し悪しを厳しく見ていますよ"。
---
だからというわけでもないんだろうけど、その企業では、「講師の育成」に大変多くの時間と労力をかけている。
講師はすべて「マネジャー経験者」を候補者として公募する。それまでに、「教壇にたった経験」などは敢えて問わない。
そのかわり、講師候補者5名~8名をひとつのグループにして、そのひとつのグループに、「講師の講師」、すなわちトレーナーが6名と、アドミニストレーションスタッフ1名をたした計7名で、1年半かけて、じっくり講師を育成する。
講師候補者5名から8名に対して、スタッフが7名つくだから、ほぼマンツーマンの濃さである。濃い、あまりに濃い。
最初は、先輩講師の授業を観察するところからはじめる。次第にロールプレイをするようになり、最後には、自ら教壇にたつ。何をするにしても、「リフレクション」を厳しくもとめ、自分を見つめることを課すのだという。
こんな話をお聞きしていると、大学や教職大学院でも、ここまでの執拗さ、時間、労力をかけて、インストラクターや教員を養成しているのかなぁ、と思った。
講師候補者の中には、1年半にわたる厳しいリフレクションのプロセスの中で、疲れ果て、脱落していくものもいるという。
・・・
「教え方のうまさ」「ファシリテーションのうまさ」なんていうものは、一朝一夕で身につくものではない。
そこには、一定期間のまとまった時間、徹底的なフィードバック、厳しいリフレクションが必要であると思う。
よい教育機会をつくるためには、こうした地道な努力しかない。
---
追伸.
今日は、修士大学院生の中間審査である。中原研究室からは、今年度、4名の修士学生がこれにチャレンジする。みんな、昨日はよく眠れただろうか。健闘を祈る。
投稿者 jun : 2008年7月16日 09:04
陰山英男先生特別講演会のお知らせ
===========================================
ペン入力コミュニティ 第3回セミナー
陰山英男先生特別講演会
~ペン入力でパソコンが文具になった~
平成20年8月21日(木)17時~
@東京大学 情報学環・福武ホール
共催:
東京大学大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育環境寄附研究部門
協力:タブレットPC教育利用研究会
===========================================
ペン入力コミュニティ 第3回セミナーでは、
立命館大学 教育開発推進機構 教授(立命館小学校副校長
兼任)の陰山英男先生をお招きし、ペン入力型パソコンの
教育分野への普及促進に向けて、熱い想いを語っていただ
けることになりました。
今回のセミナーは、東京大学本郷キャンパスに、この春完
成した新たな教育施設「東京大学 情報学環・福武ホール
福武ラーニングシアター」で行います。
陰山英男先生からいただいた講演概要をご紹介いたします。
-----
教育へのICT機器活用への本格的な動きが、ここに来て
ようやく広がってきたように思われる。私のかかわってい
るところでも、和歌山市や京都府八幡市、山陽小野田市な
ど、導入が進んでいる。
なぜ、今なのか。私は、それがパソコンの能力がようやく
学力を高めることのできるレベルに達したことが一番の理
由だと考える。具体的に言うと、ペン入力の実用化である。
学習用パソコンは優れたパソコン技術と優れた教育技術が、
きれいに融合されてこそ、真価を発揮する。だから、その
日のために教育技術を磨くのである。ただ、学力作りにこ
だわった実践から出てきた結論は意外なものであった。
その結論とは、子どもを伸ばすのにもっとも有効な方法は、
「限られた内容を、単純な方法で、徹底的に反復すること。」
だったのだ。これは、まさしくパソコンのもっとも得意と
することである。だが、ドッグイヤ-と言われるパソコン
の進化にあっても、なかなかその段階は来ない。その間に、
学力低下問題が提起され、私は忙殺される。いつしか、パ
ソコンのことは、頭の中から消えていた。
やがて、運命のイタズラもあり、その後私は尾道市立土堂
小学校の校長となる。その実践に悪戦苦闘する中、ある
ICTメ-カ-がペン入力の新しいエンジンをたずさえて
私を訪ねる。これによって、しばらく眠っていたパソコン
熱がよみがえることになる。
私は説明を一通り聞いたが、当時はそれどころではなかっ
た。しっかり聞いていなかった。だがその翌日、朝目覚め
たとき、その説明を思い出しながら、いきなりひらめいた。
ペン入力ができ、通信ができ、しかも小さいという学習用
パソコンをイメ-ジしたとき、それを中核とした教育全体
のシステムが一気に思い浮かんだ。
教育機器としてICTを導入しても、私は費用を上回る成
果を上げるのは難しいと考えている。教育技術と融合し、
さらにシステムとして機能してこそ、意味がある。
このサイバ-エデュケ-ションシステムなるものの可能性
についてお話ししたい。
いろいろあったが、私にとってこのシステムの構築は、自
分にとって最後にして最大の挑戦だと思っている。
Copyright(c) 2008 陰山英男 All rights reserved.
-----
■日時:2008年8月21日(木) 17:00~18:30
■場所:東京大学 本郷キャンパス
情報学環・福武ホール 福武ラーニングシアター
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access.html
■参加費:1,000円(予定)
※懇親会は別途2,000円(予定)をいただきます.
■定員:100名
ペン入力の使い方・マーケット・テクノロジなどに興味のある
ユーザ・教育関係者・企業・研究者・学生の皆様なら、
どなたでもご参加になれます。
■プログラム:
17:00-17:05 開会挨拶 五十嵐健夫(東京大学准教授)
17:05-18:00 陰山英男先生特別講演
『ペン入力でパソコンが文具になった』
18:00-18:30 質疑応答
陰山英男先生と参加者の皆様との対話の時間
18:40-20:00 懇親会(希望者のみ)
*軽食とお飲み物を準備させていただきます。
*懇親会の当日のキャンセルは、
別途キャンセル料を頂くことがあります。
■お申し込み方法:
ペン入力コミュニティのWebページ
http://pen-community.org/seminar/
よりお申し込みください。
ぜひお気軽にご参加ください!
みなさまのご参加を心よりお待ちしております。
投稿者 jun : 2008年7月15日 16:13
UT Open Courseware、リニューアルしました!
UT OCWがリニューアルしました。SEO(検索エンジン対策)を行ったCMSで運用しています。
UT Open Course Ware
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/
作業は、山本さん(東京大学)、重田君(東京大学)、学生スタッフの皆さんが中心になって行ってくれました。本当にお疲れ様でした。
投稿者 jun : 2008年7月15日 12:47
「おもてなしの源流」を読んだ!
リクルートワークス編集部(著)「おもてなしの源流」を読んだ。
日本文化の底流を流れる「おもてなしの精神」が、西欧流の「サービス」とはいかに違うのか、などについて論じた本。茶道、花街、旅館など、それぞれの「おもてなし」の源流をさぐる。
日本の「おもてなし」には、下記の3つの原則があるという。
1.準備を整えて客を待つ(仕度の原則)
2.くつろげる空間を演出する(しつらえの原則)
3.ゲームのルールを共有する(仕掛けの原則)
おもてなしは、まずは主人が取り仕切ることからはじまる。主人は、準備を行い、空間を演出し、客をまつ。あらかじめ前もって行う準備のことを「用意」という。
しかし、おもてなしの本質は「主人」だけにあるのではない。上記3のルールを共有した「客」と「主客一体」になって、相互行為として達成される、というところが最大のポイントである。「用意」ではなく、「卒意」。つまりは、主人と客が、アドホックに機転を利かして場を構成する。
つまりは、おもてなしが成功するかどうかは、主人だけにかかっているのではない。主人と客のインタラクションの中に、おもてなしがある。
「主人と客がともに一回かぎりの機会を思いやりをもって取り組もう」という「一期一会」、それにより「主人と客が心が通い合う状態」が生まれる「一座建立」は、こうしたインタラクションによって達成される。
---
気のついた方はいらっしゃるかもしれないけど、古来からの日本文化の底流をなす「おもてなしの源流」は、我々が、今、大学で耳にする「学習理論」にかなり通じるところがありますね。
とても、オモシロイですね。
投稿者 jun : 2008年7月15日 10:37
難しいことはやさしく
先日、ある方から教えてもらった言葉。
難しいことは やさしく
やさしいことは 深く
深いことは愉快に (井上ひさし)
なるほど、その通り。非常に大切なことですね。
そして、これが、いかに下記のようになってしまうか。
難しいことを さらに難しく
やさしいことは 敢えて難しく
深いことは 触れずに
かくして「わからないこと」や「深いこと」を誤魔化したり、敢えて易しいことを難しくいうことで「自分の権威を守ろうとすること」の多いことか。
難しいことは やさしく
やさしいことは 深く
深いことは愉快に
本当に大切なことですね。
そして、このことこそが、最も「難しい」
---
追伸.
暑いですね。水浴びするTAKUZO。
投稿者 jun : 2008年7月14日 00:02
高業績プロジェクトマネジャーの育成を考える : Learning bar@Todai
本日のLearning barは、常磐大学の伊東昌子先生、株式会社 日立製作所 デザイン本部の山寺仁さん、グローバルナレッジネットワーク株式会社の戸部伸彦さんを、講師にお招きし、
「高業績を出せるプロジェクトマネジャーは、どのような行動・思考特性をもっているか、さらにはどのように育成すればいいのか?」
ということについて、皆さんで議論を深めました。
まずは、会の冒頭、僕の方から「趣旨説明」をさせていただきます。
いつものように、Learning barの説明です。Learning barは、常に3割程度の方が「はじめてのご参加」になります。よって、毎回、会の趣旨についてご説明させていただいています。
Learning barは、
1.聞く
2.聞く
3.聞く
4.帰る
という場ではなく、
1.聞く
2.考える
3.対話する
4.気づく
ような場であるということをご説明いたしました。つまり、参加者の皆さんにとって「学びの場」であることを願っている、ということです。
今回の参加者は、140名の満員御礼。
民間教育企業の方、企業人材開発担当者、経営者の方、お医者さま、看護婦さん、小学校や中学校の先生方、大学の先生方、幼稚園の先生方、など様々な方が集まっておられます。
残念ながら抽選にもれた方も多数おられました。こちら、心よりお詫びいたします。ともかく、教室の座席は、すべて参加者で埋まりました。大変ありがたいことですね。
Learning barですので、バーもあります。バーにはたくさんの人が押し寄せておりました。
---
早速、山寺さん、伊東先生のご発表がはじまります。
山寺さんの方からは、なぜ、日立が「高業績プロジェクトマネジャーの行動特性に関する共同研究をすすめることになったのか」、その背景についてお話をいただきました。
伊東先生は、認知科学の理論と方法論を用いて「高い成果をだせるプロジェクトマネジャー」の思考や行動には下記のような特徴があることを明らかになさいました。
高業績をだすプロジェクトマネジャーとは、
・プロジェクトに関する「構想」や「たたき台」をまずは自分からたてる人であり、
・様々な専門性や経験をもった人をプロジェクトに巻き込み、あらかじめつくった「たたき台」の批判を行わせつつ、協力してプロジェクトにあたらせる人であり、
・他者からの批判や議論の発散が怖くない。議論を発散させた上で、合意をつくり、みんなでプロジェクトを「かたちづくること」を許容する人
ということになるでしょうか。
伊東先生は、こうした事実を、実験計画法に基づくリゴラスな方法論と、明確なデータをもとに明らかになさいました。
プロジェクトマネジメントの巧拙とは、決して、個人の資質や知識や技能「だけ」に依存するのではなく、「分かちもたれた知性」をいかに集合的に組み合わせることができるか、であるという知見は、非常に興味深いものです。
比喩的に言いますと、
賢さは、「僕のアタマの中」にない
賢さは、「僕とみんなのネットワークとして」達成される
ということでしょうか。
伊東先生のご講義のあと、戸部さんからは、プロジェクトマネジャーの育成の最新事例についてショート講演をいただきました。研修で学んだことをいかにトライアウトする場をつくるか、また、非公式な組織コミュニケーションの重要性について言及がありました。
ちなみに、Learning barは東京大学大学院の院生有志によって運営されています(ありがとう!)。
そして、この場は彼らにとっての「学びの場」でもあるようです。
---
ここからはLearning bar恒例の「お隣ディスカッション」です。
ディスカッションタイムがはじまる前から、いろいろなところで、既に議論がはじまっていました。
皆さん、本当に熱心に議論に参加していただいています。
この後、携帯電話を使った質問タイム、中原のラップアップセッションに突入します。
ラップアップでは、
プロジェクトマネジャーの育成に関しては、「単一の教育手法」で実現できるものというより、複数のレベルの教育手法、学習手法を組み合わせてアプローチするべきではないか、という趣旨のお話をしました。
つまり、一人前になる前に必要な「個人開発」がまずは必要でしょう。これに当たるのは、いわゆる「研修」。たとえばPIMBOKなどがこれにあたるかもしれません。
次に必要なのは、職場に出たあとの「経験学習」。
これについては、「ストレッチ経験」「ひとつぬきんでるマネジャーとの徒弟的な協働体験」がキーになるような気がしました。
さらに、職場のコミュニケーションの円滑化や、Know who can do whatな(誰が何をできるかに関する知)を持つことなども重要でしょう。このあたりは、「組織開発」などによって可能になることなのかもしれません。
このように、プロジェクトマネジャーの養成は「個人開発」「経験学習」「組織学習」のMixed Approachによって達成されるべきものではないか、というのが僕の仮説であり、雑感です。
もちろん、しかし、これに関しては、まだまだ実証研究が足りておらず、データに基づいているわけではありません。あくまで僕の雑感です。今後の研究が待たれるところですね。
---
最後になりますが、伊東先生、山寺さん、戸部さん、そしていつも本会の実施を陰ながらサポートしてくれている、東京大学大学院の院生諸氏、さらには議論に参加してくださった皆様に感謝いたします。
本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
次回のLearning barは、8月22日(金)!
野村総合研究所の永井恒男さんをお招きして、「社長発!?対話を通して組織が変わる?」をお送りいたします。
募集要項は、一週間以内に、下記メルマガで配信される予定です。まだメルマガに登録いただいていない方は、これを機会にぜひどうぞ!
Learning barメルマガ
http://www.nakahara-lab.net/learningbar.html
また来月お逢いしましょう!
投稿者 jun : 2008年7月12日 00:15
マッサージ屋さんの熟達化
「三度の飯も好きだけれど、それと同じくらい、人が一人前になるまでの話を聞くのが好き」なのは、もはや「職業病」というより、「本当の病気」かもしれません。
---
先日、マッサージ屋さんをおとずれた際、マッサージを受けながら、彼らが一人前になるプロセスについて、ヒアリングをしてしまいました。
マッサージ師さんが一人前になるまでには、最低5年くらいはかかるそうです。
1年目は「指をつくること」です。
マッサージとは「手で押して」はならないそうです。「体」を使って、垂直方向に押さなくてはならない。そうしないと、患部の深いところまで到達しないのだそうです。
ですが、体重をかけて押すのは、かなり大変なことです。自分の体重の重みを「親指」で支えなくてはなりません。「親指」で全体重を支えることができるようになることが「指つくり」です。
最初のうちは、マッサージの練習をするたびに、「親指」が痛くなるそうです。しまいには、親指が心臓のように「ドキドキ」いって眠れなくなるそうです。
しかし、しばらくしていると、親指がマヒしてくる。そして「指ができる」のです。これに1年かかる。
2年目は、「体で押すこと」を本格的に覚えます。均等に、垂直に、体の上下運動を使って押せるようにならなければ、患者に痛みが走ります。
3年目、それは2年目と逆のことをやらなくてはなりません。今度は、「力を入れないで押すこと」を覚えなければならないそうです。
この頃のマッサージ師は、体重をかけることができるようになっていても、「体重を抜くことができない」のだそうです。ですので、患者さんが女性のときなどは、刺激が強すぎて「痛い」と言われがちなのだそうです。
4年目、一通り手技を覚えたら、今度は「会話をしながら押すこと」を覚えます。
考えると、手がとまる。手を動かすと、考えがとまる。これを何とかしなくてはなりません。
理想は、手が勝手に動くことなのだそうです。手が体をセンシングし、次の動作を「手が決める」、そういう境地に至ることだそうです。
5年目、今度は会話の話題を選ぶことだそうです。患者さんによって、政治の話が好きな人、スポーツの話が好きな人、芸能界の話題が好きな人がいる。または全く話したくない人もいる。その人のキャラを見破って、話を選ばなくてはならないそうですね。
---
5年たって、ようやく一人前ですかね・・・マッサージの先生はそうおっしゃっていました。
でも、「マッサージには終わりはありませんね。人の体は千差万別ですから、一生勉強ですよ」ともおっしゃっていました。
今度、皆さんがマッサージ屋さんにいったら、その人の熟達度が、どのステータスなのか、じっくり探ってみるとオモシロイかもしれません。
そんなことより、マッサージを受けているときぐらい、リラックスしろ、という話もありますが。
---
追伸.
いろんな職業の一人前になるプロセスをおった本って、あったらおもしろそうですね。
---
追伸2.
午前中、プロジェクトのミーティング。会議終了後、カミサンより突然電話。TAKUZO、発熱とのこと(泣)。
カミサンはどうしても都合がつかないとのことで、以後のスケジュールをキャンセルして、自宅近くの保育園にお迎えにいく。熱はあるものの、元気そうでホッとする。そのままTAKUZOお昼寝。
お昼寝から起きたあと、顔見知りの小児科へ連れて行く。TAKUZO、この小児科の常連患者なので、看護婦さん、お医者さんともに顔見知りです。
「この後、高熱がでるかもしれないし、すぐに下がるかもしれないよ、おとうさん」
どっちやねん(笑)
処方箋を駅近くの薬局において、カミサンがあとでピックアップする旨、受付のおねーちゃんにいっておく。TAKUZO、いつも熱をだすので、ここも、顔見知り(笑)。
その後、たまたま上京していた妹にTAKUZOを見てもらい、僕はふたたび出勤。カミサン、この後、帰宅予定。
僕は、大学へ・・・一日に二度、「通勤」することになるとは(泣)。帰りもあるから、4回通勤電車に乗ることになるのか、、、トホホ。
かくのごとく、「男の子(女の子より熱をだしやすいみたいです)」+「夫婦そろって地方出身者」+「共働き」の子育ては、「戦争」である。
TAKUZO、はやく元気になれ。
元気になれば、それだけでいい。
投稿者 jun : 2008年7月11日 13:00
新人育成を一人で抱えない、一人に任せない!
先日、サンディエゴの海外出張で、株式会社ラーンウェルの関根雅泰(せきねまさひろ)さんにお逢いしました。関根さんは、新入社員向け、あるいは、OJT指導者向けなど、さまざまな研修のインストラクターをなさっている方です。
株式会社ラーンウェル
http://www.learn-well.com/
会場では残念ながら、ゆっくりお話しする時間がなかったのですが、短いやりとりの中で、関根さんがおっしゃっていた下記の言葉が非常に印象的でした。
「新人のOJTが上手くいっている職場というのは、実は、指導員一人が新人を教えているわけではないのです。
実は、自分ひとりではなく、いろいろな人を巻き込んでいるのです。うまくいくOJT指導員は、どんな問題ならば、誰を巻き込んでいけばいいかを知っているのです。自分の部署でたりないのであれば、他部署の人も含めて、"つながりの中で、新人を指導している"のです」
ICレコーダを持っていたわけではないので正確な内容ではないですが、おそらく、関根さんがおっしゃっていたのは、こんな内容ではなかったと記憶しています。
関根さんのご指摘は、まさに東京大学の研究チームが、現在すすめている研究内容と合致していて、「我が意を得たり」と思いました。
新人の育成とは、決して一人で担うものではないように思います。実際問題、すべての領域に指導者が精通していないかぎり、それを一人で担うのは難しいでしょう。
新人の育成とは、新人を取り囲む多様な人々、それらの人々のネットワーク、あるいは、職場のつながりで担うべき問題ではないでしょうか。
投稿者 jun : 2008年7月10日 09:55
「地域開発」と「M&A」にひろがる世界
研究室には、毎日、大学外部から、たくさんのお客さんがお見えになります。
学校の先生、マスメディアの方々、民間教育企業の方々、一般企業の方々、牧師さん、医療関係者、知財担当者、デザイナー、ITエンジニアの方々など・・・「学び」に関心のある多種多様な方々が、お見えになります。
最近は、面談にあまり時間を割けなくなっています。また、せっかくご足労いただいたのに、あんまり時間がとれないこと、また十分な「おもてなし」ができないことが心苦しいのですが、そういう方々と日々ディスカッションするのは、心の底から楽しいものです。僕はやっぱり「現場の生々しい話」が好きなんだと思います。
---
最近、ポツポツと増えてきた案件に、「地域開発の担当者」「M&A担当者」の方々との面談があります。
全く性質の異なる市町村が合併したが、統合後、お互いの住民たちが全くしっくりきていない。
本来、住民たちが協力して、地域の活性化を推進していかなければ、過疎化はさらに進行してしまうのに、お互い疑心暗鬼になっている。猶予は全くない。この状況を何とか打開するためには、住民たちに何をしかければよいか。
2つの製薬会社が合併したが、MRの仕事のやり方が全く異なっていて、統一感がない。しかも、人材育成の思想がそれぞれ全く異なっている。片方は経験重視で、片方は専門性重視。これをどういうプロセスで統合することができるだろうか。
僕は「地域開発」も「M&A」も「全くのドシロウト」なので、ただただお話をお聞きするだけなのですが、なるほど、これらの領域にも「大人の学び」の問題が深く関わっているような気もします。それも、ハンパなく生々しく、ドロドロと。
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月並みな言葉ですが、現代は「変化」の時代です。
極端なことを言えば、「昨日」と「今日」、そして「明日」が、すべて異なっている可能性のある時代です。
僕は、それが「幸せな社会」だとは全く思っていませんが、少なくとも「変化のスピード」は、早まることはあっても、遅くなることはないようです。
昨日まであった組織や地域が、ある日、突然変わる。昨日まで安定していたものが、ある日突然、コンフリクトの渦中に投げ出される。こういうことは、日常茶飯事なのかもしれません。
そして、そのたびに「大人」は何かを捨て、何かを得ることを求められます。何かを学び壊し、何かを学ぶこと求められるのです。
新たにやってくるものに葛藤と怒りを覚えつつ、昨日まであったものにノスタルジーと喪失感を感じ、それでも、人は、今日、自分の目の前にあらわれた「新たな世界」、そこで出会った人々とともに、生きていかねばなりません。
ここには、すさまじい「大人の学び」の世界が広がっているようです。
投稿者 jun : 2008年7月 9日 11:07
HLM
今日は、北村先生@東京大学、荒木先生@東京大学と、昨年やった質問紙調査の分析を一日かけてやった。北村先生には、HLM(階層的線形モデル)のデータ分析のご指導をいただいた。ありがとう。
やっぱり自分の手でやってみないとわかんないね、統計は。「モヤモヤモヤモヤモヤモヤわかっていたもの≒実はわかっていない」が、「モヤモヤ」くらいになった気がする。
この調査の結果は、近いうち?に出版される予定です。
頑張ろう。
投稿者 jun : 2008年7月 9日 06:35
ストレッチと即時フィードバックの困難さ
働く大人は、皆、日々、仕事の現場で学んでいる。そして、この「現場での学び」に強い影響を与えるのが、「上司」や「マネジャー」による「ストレッチ」と「即時フィードバック」であると言われている。
ストレッチとは、一言でいえば、「今現在の部下の能力を少しだけ超えた課題を与えること」。即時フィードバックとは、「課題の達成時に与えるコメントやアドバイス」のことである。
要するに、上司は、部下の能力を見極め、適切な課題を与え、その課題遂行をモニタリングしつつ、適切な支援をしなければならない、ということである。
かつて、ロシアの心理学者ヴィゴツキーは、「個人が独力でできること」と「他人の助けを借りてできること」の差のことを、最近接発達距離(Zone of proximal Development:ZPD)と呼んだ。
発達とは、「一人でできること」と「他者の助けを借りればできること」の間にある。他者の助けを借りながら、この差を埋めることこそが、「成長」に他ならない。
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しかし、アンタね。ストレッチと即時フィードバックとか、簡単に言っちゃうけどね。これらを「適切」に行うことがどんなに困難か、どんだけ想像を絶する苦労があるか、「生身の人間」をマジメに指導したことのある人ならわかっていただけると思う。
その困難は、下記のような理由から生じる。
【能力の不可視性】
1.他人の能力は「見えない」ので、そもそも「把握」が非常に困難である
2.人は自分の能力を高く見積もる傾向がある。仮に上司が部下の能力を正確に「把握」できたとしても、部下がそれを正当なものと受け入れない傾向がある。
【ストレッチ課題を与えることの難しさ】
3.どの程度の課題を与えると、ストレッチになるかわからない
4.どの程度の課題を与えると、部下が満足して仕事に取り組むかがわからない
5.課題は常に適当なものがあるとは限らない。偶然適当な課題が生じたときはよいが、それ以外のときは適切な課題を与えられない場合がある。
【フィードバックの難しさ】
6.いつフィードバックを与えてよいかわからない
7.フィードバックでどこまで言ってよいものかわからない
8.ストレッチ課題といえども、仕事には〆切がある。船長は血が出るまで唇を噛む、というが、どこまで待つべきかわからない
【上司の要因】
9.ストレッチやフィードバックを与える時間や心理的余裕が、上司にない
10.それなのに部下は「わたしに気をかけて欲しい」というメッセージを上司に送り続けており、上記の事柄すべてを「上司なんだからそれくらいやって当然」と心の奥底で思っている。
あー、書いてて涙がでてきた(笑)。上司といってもいろいろな人がいますので、一概には言えませんが、マジメにやろうと思うと、ざっと書いただけで、こんなに困難がありますね。
というわけで、実際には「ストレッチやフィードバックを与えることが重要であること」は、誰もがわかっていつつも、それは「永遠の課題」でありつづける、ということです。でも、やらなくてはならない。
このあたりの細かい支援のあり方まで、教育学がアプローチできるとオモシロイし、有益なのにな、と思いますけれども。
投稿者 jun : 2008年7月 8日 11:15
人を育てる科学セミナーをやります!
昨日帰国しました。今日は、本音を言えば、休みたかった。でも、休めなかった(泣)。朝から「働きマン」です。つーか、「ジサボケマン」です。
今、朝っぱらから5つめの会議が終わりました。精魂つきました。今の僕は、ほとんど「燃えカス」みたいなものです。
特に最後の会議がハードでした。
7月18日(金)ダイヤモンド社さんの主催で、「人を育てる科学セミナー:若手が育つシステムづくり」というワークショップを開催します。今日は、そのための最終打ち合わせ。北村先生と白熱した2時間を過ごしました。
人を育てる科学セミナー
http://jinzai.diamond.ne.jp/seminar/hitosodate_seminar.pdf
もしよろしければぜひご参加いただければと思います。
今、5時、今から各種書類づくりです(泣)。その後は、6時30分から、会合に参加。この1時間半が勝負です。
投稿者 jun : 2008年7月 7日 17:10
リアルカフェ
帰国しました。今、成田エキスプレス。
久しぶりにブログチェックして、気になったニュース。
大学准教授が代々木上原にカフェ-「プラグイン」の場へ
http://www.shibukei.com/headline/5376/
リアル店舗ですね。
Learning barも、いつか、どこかで、リアルな店舗を開けるかも!?。
投稿者 jun : 2008年7月 6日 16:01
「失敗する研修」の原因!?
「失敗する研修」、つまり、「業績に結びつかない研修」は、なぜ、生まれてしまうのか?
一般に、このような「問い」を耳にすると、つい「教育畑」の人は、「それは研修の質でしょう」とか「インストラクターの教え方のうまさ」ではないですか?」と答えてしまいがちです。
そして、「ちゃんと教授設計を行ったのですか?」とか、「学習目標は明示されていたのですか」という質問をしてしまいそうです。
確かにそれはもっとも。全く間違っていません。
しかし、研修の効果 - 研修が業績に結びつくかどうか - は、「研修やインストラクタークオリティ」そのもの「だけ」でなく、むしろ、「研修に来る前」と「研修が終わった後」で決まる部分が多い、という主張をなさっている人がいます。
研修に来る前 40%
研修 20%
研修が終わった後 40%
ブリンガーホフさんの主張によれば、研修が失敗する原因がどこにあったかを分析すると、上記のように整理できるそうです。
要するに、「研修に来る前」と「研修が終わったあと」もポイントである。つまり、KFS(Key factors of Sucess)は、「職場」にある、と。
それでは、具体的に「研修に来る前」「研修が終わった後」に研修の成否を握る要因は何でしょうか。いろいろありますが、受講生の「マネジャー」がからむ要因が非常に大きいと言われています。
■研修に来る前
・知識や経験レベルが適切な人を受講生として送り込んだか?
・研修で何を学んでくることが期待されているか、明示したか?
などなど
■研修が終わったあと
・研修で学んだことをリフレクションさせたか?
・研修で学んだことを試す場を与えたか?
などなど
要するに、マネジャーには「研修のレディネス確保」と「研修後の転移促進」を行って欲しい、ということでしょう。そして、それがうまくいかないとき、業績に結びつかない研修ができるということでしょうか。
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しかし、実際はどうでしょうか。
僕はなるべく多く人材育成の「現場」に赴くことにしていますが、そこから聞こえてくる声は、全く逆です。
たとえば、研修の前には
「おー、よく仕事を頑張ったから、息抜きに研修でもいってこい」
こういう台詞を、ついマネジャーは口にしてしまいがちdふぇはないでしょうか。かくして送り出された受講生の中で、肝のすわっているものは、インストラクターにこういう人もいるそうです。
「あのー、仕事が忙しいんで、研修は、来ていたことにしてくれませんか?」
また、研修の後には上司から声をかけられます。
「ところで、田中君、先週一週間は、職場にいなかったけど、どこいってたの? えっ、研修、あっそうだったんだ、僕が行けといったんだよね、忘れてたよ。もういいよ、席に戻って、ごめんね」
これで効果がでるのなら、誰も苦労しませんね。
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研修をいかに効果的に実施するか、という問いは、単にインストラクションの設計にとどまりません。
職場のマネジャーをいかに巻き込み、支援するか。あるいは、いかに巻き込む仕組み作りを行うか、ということを、実務的には、どうしても考えていかざるをえないのだと思います。
そして、このことは理論に反省を迫ります。もし企業人材育成の理論を構築する場合には、このあたりも含めた理論体系を構築しなければなりません。つまりは教授の理論だけでは不足であると言うことではないかと思います。
このあたりが問題です。
投稿者 jun : 2008年7月 5日 17:53
会社から地域へ!?:学習棄却と再学習
先日、ある人からこんな話を聞きました。
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定年を迎えた、いわゆる会社人間の団塊世代・男性の中には、やることがなく、どこにも受け入れられず、大変な思いをする人もいる。
さぁ仕事がなくなったから、地域社会にでようと思っても、すぐには受け入れられない場合が多い。いわゆる会社人間は、会社の「外」でも通用する能力をもっていない場合が多いので、地域ではなかなか役割が果たせない。
地域でうまくやっていくコツは、「自分がやっていた仕事のこと」と「当時の肩書き」を絶対に口に出さないこと。でも、会社にしかアイデンティティの拠り所がない場合が多いので、ついそれを口にだしてしまう。だから、地域には、なかなかとけこめない。
地域にうまくとけこむためには、60歳になるまえに、綿密な準備がいる。「仕事がなくなったから、すぐに地域にとけ込める」と思ったら大間違いである。
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なるほど・・・そういうこともありえるのですね。
この話を聞いてまっさきに思ったのは、会社を離れ、地域社会に参入していくプロセスというものが、まさに「男性」にとって、30年間会社で学んだことの「棄却」であり、「再学習」のプロセスであるということです。
地域社会と会社は、全く異なる能力を「男性」に対して要求します。たとえ会社で「部長」であっても、肩書きがない世界では、意味をなしません。「どういう肩書きであったか」よりも「何ができるか」が重視されます。
さらに、会社で培ったアイデンティティは、決して地域社会では通用しません。名刺も肩書きもない「素の自分」として、「地域」というコミュニティに「参加」し、人々とコミュニケーションを行わなければならない。それは「肩書き」というものに守られてコミュニケーションを営んでいたものとは、本質的に異なるものを、男性に要求します。
そして最初は、周辺から、ある役割を担いつつ、次第に仲間を増やしていかなければならない。今までは会社というコミュニティの「中心」にいたのに、止めたとたんに「周辺」に移動からはじめなければならない。そこに心理的葛藤が生じる可能性があります。
こうした現象は、今まで会社の中で学習したことを棄却し、ふたたび学習を行うプロセスそのものであるようにも思います。そして、それは大変な困難な道であろうと、想像するのです。
先日のお話によれば、「地域社会にとけ込むためには、60歳になる前に、綿密な準備がいる」そうです。
おそらく、「地域」という、全くこれまで男性が生きていた「コミュニティ」への「参加」をなるべく円滑に進めるために、たとえば50歳代から、地域社会の役割を徐々に担ったり、人的コネクションをつくったりするということなのでしょう。
そういう準備もなしで、会社がなくなったから「すぐに地域にとけ込める」と考えるのは、確かに甘い考えなのかもしれません。
団塊世代・男性の「移動」を学習のプロセスとして捉えると、非常に面白い研究ができるような気がするのですが、どうでしょうか。
たとえば、会社を辞めたばかりの数名の男性が、地域社会にとけ込んだり、あるいは葛藤を覚えたりするプロセスをおっていく、という研究も、オモシロイのではないかと思いました。
もちろん、先行研究は何一つ調べていませんので、すでにそうした試みがあるのかもしれませんけど。
それにしても、この問題は他人事じゃないよなぁ。
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追伸.
発表は無事終了しました。明日帰国します。子どもの成長は早い。一週間ぶりにTAKUZOに逢うのが楽しみです。
投稿者 jun : 2008年7月 5日 06:23
「出会いの連鎖」の中で考える
数年前、米国に留学していた頃の話です。
留学中は、いろいろなことを勉強させてもらいましたが、特に印象的だったことのひとつに、「人に逢うこと / 紹介することの敷居の低さ」と「異質なものをまずは褒める度量」というのがあります。こうしたものが、何か「新しいアイデア」を生み出そうとするときに、とても重要なのだ、と痛感しました。
たとえばこんな感じです。
今、仮に、あなたが、ある人と自分の研究についてディスカッションをしているとします。ディスカッションも終わりにさしかかる頃、あなたはこんな「台詞」を相手から耳にします。
「なるほど、君の考えていることはわかった。で、その問題だったら、きっと、この人に相談してみるときっと何かいいアドバイスをくれるような気がする。君をCCにして、その人に電子メールをうってあげよう。
ぜひ逢ってみるといいよ。最初に自分のやりたいことをきちんと説明して。そうしたら、絶対にいいアドバイスをくれるから」
で、その人に逢う。名前とメールアドレスしかしらない、全く顔も知らない相手です。緊張した面持ちで出会い、喫茶店にいって話し出す。そうすると、まずは、その人は、僕のやりたいことを、まずは「受け入れ」、「褒めて」くれるのです。
「君のやりたいことはわかった。君のやりたいことは、変わっているが、オモシロイと思う。それがうまくいけば、○○の問題が解決するだろう」
そして、その上で、今の僕には何が足りないのか、どういう情報を付け足せばいいのかをサジェストしてくれたり、建設的な批判をしてくれる人が多かったように思うのです。
そして、ディスカッションも終わりにさしかかると、また、人を紹介されるのです。
こんな風に、紹介が紹介をよんで、人がどんどんとつながっていきました。紹介された人からさらに紹介を受け、またさらに紹介を受ける。次々と人々に逢っていく。
そうこうしているうちに、だんだんと、自分の問題が「クリア」になっていく。だんだんと自分のやりたいことと、やれることがわかってくる。アイデアがどんどん洗練されていく。そんな不思議な感覚がありました。
当時の僕は、「大人の学び」という研究領域にどのように切り込んでいくか、煩悶していた時期でもありました。
米国では、いったいどのようなリサーチがなされ、どんな関連したプロジェクトがあるのか。
今から考えてみると、僕は、このような「出会いの連鎖」から、学ぶことが多かったように思います。そして、この領域を自分の研究領域にするにあたり、様々なアイデアを、このような「出会い」からもらいました。
「人に出会うこと、紹介することに対する敷居が低いこと」、そして、「異質なものをまずは受け入れたり、褒めたりできること」、これがアメリカの文化なのか、どうかは知りません。データもないので、一般的なことかどうかはわかりません。
でも、僕が、それにずいぶん助けられたことは事実なのです。
たとえ自分の問いに真正面から答えてくれなくても、ちょっとしたヒントをくれる人に逢うことができる。次から次へと逢うべき人を紹介してくれる。
そして、まだ暖まっていないアイデアを、のっけから「ボコボコ」にするのではなく、まずは受け入れ、褒めてくれる。
こうした「出会いの連鎖」に、僕は救われました。おかげで、新しいことにチャレンジすることができました。
もちろん、すべての問題が「出会い」で解決するとは思いません。また、厳しく批判されることはとても重要なことです。「出会いの連鎖」がすべてを解決してくれるわけではありません。
でも、全く新しいことにチャレンジしようとするとき - 特にまだアイデアが固まっておらず、どこからアプローチしてよいかわからないとき - そんなときは「人に逢うことの敷居の低さ」と「まずはアイデアを受け入れ、褒めること」が、とても重要なのではないかと思ってしまいます。
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ともかく、それから4年。
今度は僕自身が、自分が受けた恩を返す番なのかもしれないな、と、最近、よく思ったりしています。
投稿者 jun : 2008年7月 3日 17:32
「実践研究」と「しなやかさ」
中原研究室の大学院生の中には、「現場での実践研究」を志す学生が何人かいる。
今年修士論文にチャレンジする学生の中には、既に、毎日「教育現場」で過ごしている人もいる。朝8時から夜8時まで、どっぷり12時間。小学生たちに囲まれて、濃密な時間を過ごしている学生もいる。
中には、これから「教育現場」に身を置こうとしている学生もいる。「現場」ではいったい何が起こっているのか。自分のやりたいことに対して「現場」の人々は、どのような「反応」を見せるのだろうか。残された時間は、そう多くはない。
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アタリマエのコンコンチキであるが、「現場」は「研究室」ではない。
「現場」には「現場のリアリティ」がある。現場は「現場の人々」が日々、実際に生活したり、働く場である。そこは「抜き差しならない場」であり、「真剣勝負の場」である。それぞれの人々ごとに「物語」があり、その「物語」の延長上で「研究者」に出会っている。
時には、研究室でたてた「ロジック」が、脅かされたり、練り直しを求められたりすることもないわけではない。これまで1年以上かけて練りにねりあげたロジックが、音をたてて「崩壊」することも、ないわけではない。学生からそのような報告を受けるたびに、僕も心が痛い。「どうして、もっと早くに予測してあげられなかったのか?」
しかし、それで「動じて」いてもあまりよいことはない。自戒をこめていうが、実践研究を志す研究者にとって必要なことは、「研究のロジック」を常に意識しつつ、「現場の声」に耳を傾ける「しなやかさ」をもつことである。
研究としてのフレームワークを保ちつつ、現場の人に「やってよかった」「あの人に来てもらってよかった」と思ってもらえる「何か」を成し遂げようと努力することなのではないか、と思う。
時にそれらは「トレードオフ」の関係にあることかもしれない。しかし、諦めず、腐らず、動じず、即答せず、粘り強く、誠意をもって話し合い、それらを何とか「実現しようと努力すること」が重要である。
かくして、実践研究を志す研究者は常に「混沌」と「矛盾」の中に身をおくことになる。そして「研究のロジック」も「現場の声」もどちらも重要である。どちらかが欠けてよいことなど、ひとつもない。その両者を抱きつつ、研究を進める他はない。
偉そうにいっているが僕自身も、それがいつもできるわけではない。これまでいくつかの研究で、「現場」の共同研究を推進してきたが、そこではいくつもの「失敗」をして、そのたびに現場の方々にご迷惑をおかけし、助けられてきた。中には思い出すのも恥ずかしくなるような経験もないわけではない。
そういう意味では、僕がこんなことをいっても、全く説得力がない。でも、失敗を繰り返してきたからこそ、「ロジック」と「現場の声」を両立させることの重要性は痛感している。
以前このブログでスコット・フィッツジェラルドの言葉を紹介した。
The test of a first-rate intelligence is the ability to hold two opposed ideas in the mind at the same time, and still retain the ability to function.
「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる、そういうものだ。」
スコット・フィッツジェラルド(村上春樹訳)
実践研究に求められる知性とは、そういうものなのかもしれないな、と思う。
投稿者 jun : 2008年7月 2日 15:27
教育工学と組織デザイン!?
先日、慶應MCCでの講演の質疑応答の時間、ひとりの参加者の方から投げかけられた「質問」が、ここ数日、「僕のアタマ」を支配しています。その方は、大変嬉しいことに、教育工学という学問に興味をもってくださり、下記のような質問をしていただきました。
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先生のご専門の教育工学が「工学する対象」って、「教材」とか「教育システム」だけなんですか?
「教材」や「システム」や「研修」が効果的に機能し、その場の「学び」が変わるためには、それを支える「人々のつながり」、それを支えるような「組織のデザイン」が重要ではないでしょうか。それって「運用」という一言で片付けられるほど簡単な問題ではないですよね。
教育工学は、そうした「組織のデザイン」も研究対象に入るのでしょうか、それとも個々の「教材」とか「教育システム」だけなんですか?
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ICレコーダを持っていたわけではないので、一字一句、正確というわけではないですけれど、要旨は上記のとおりです。
この質問はね、悪いけど「マリアナ海溝」なみに「深い問い」ですね。
これまでの「常識」をもって断定するのは簡単。
答えは、
「組織デザインは教育工学の研究対象ではありませんけど、それが、何か?」
ですね。
しかし、「それで本当によいのか」という問いがアタマをもたげます。ホントにホントにそれでいいのか。教育現場が苦慮している問いを前に、実務家が悩んでいる問いを前に、「それが、何か?」でいいのか。
しかし、同時に「熱意」だけで突き進むわけにはいきません。「思春期ムラムラ、鼻血タラ夫」だった頃の僕だったら、「おかしいんじゃー、コラー。アチョー!」と突き進んだかもしれないけど、僕も、世間的には「ミドル」という年代に片足つっこんでいるのです(笑)。
これを教育工学の研究対象とするには、「理論的考察と位置づけ」がどうしても必要になります。それには「冷静な思考」が必要です。
必要なのは
クールなアタマと、ホットな心
でしょうか。ここ数日、自分に言い聞かせます。
で、これをアカデミックな理論の中に位置づけようとすると、ものすごい「困難」が予想されます。誰が、誰と一緒に、どのような手法で、現場に「介入」するのか、どのように「評価」するのか・・・。問題は山積です。
まだ、見えていません。
研究は、いつも「闇の中」です。
わかっていること、できることなんか、本当に少ないのです。
自信をもって答えられることなんか、本当はあんまりないんです。
そして、ウィーンにて「煩悶」は続く。
投稿者 jun : 2008年7月 2日 01:34
ウィーンにて
国際学会に参加するため、ウィーンにきています。日本ではあまり準備ができなかったので、スーツケースに「小型プリンタ」をぶち込んできました。これで無敵、プリンタ最強。
ひそかに、朝早く起きて、学会発表の準備をしています。トホホ。なんで、ここまで追い込まれたのか。まぁ、やるしかないね。
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国際学会というのは、いろいろな国の人と話したり、いろいろな研究に出会う機会が得られます。「あっ、これ使えるかも」「こんな研究やったらオモロイかも」とインスピレーションがわくことが多いです。
が、それと同等くらい貴重なのは、実は「同僚との対話」だったり、「自己リフレクション」であったりします。
一般の会社から比べるとどうかわかりませんが、大学もだんだん忙しくなっているのです。たとえ同僚であっても、「アジェンダやゴールのない対話」にゆっくりとした時間が、なかなかとれません。皆さんの場合はどうでしょうか。
じっくり時間をとって、「アジェンダとゴールのない対話」を同僚と最後にしたのは、いつですか?
今日は、山内さん(東大・准教授)と、朝ゆっくりお話しできました。研究室のこと、来年の学会のことなど、お互いの状況を理解することができました。会議で逢うことは多いですが、お互い追われていますので、なかなかこうした時間は貴重です。
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あと、ひとつ重要なのは「自己リフレクション」でしょうか。
僕の場合、なぜか「国際学会会期中に、次の研究ネタや発表ネタを思いつくことが多い」です。それは、忙しい職場を離れ、じっくりとゆっくりと考えることができるからでしょう。
一定の仕事をこなすには、「ある程度まとまった時間」が必要なのですね。「細切れの時間」で、何かを成し遂げるのは難しいようです。
今回も、今年の学会発表のネタを思いつきました。
今年は、久しぶりに、「理論的な発表」をしようかと思っています。
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ウィーンはよい天気です。
発表は3日。何とか間に合わせます。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2008年7月 2日 00:14