クリエィティブ人材は育成できるか?:博報堂大学の挑戦:Learning barが終わった!

 5月のLearning barは、「クリエィティブ人材は、いかに育成できるのか?:コーポレートユニバーシティ"博報堂大学"の挑戦」というテーマで、株式会社 博報堂の田沼泰輔さん、渡辺啓さんにご講演いただいた。

 博報堂では、「博報堂大学」というコーポレートユニバーシティ(企業内大学)を設立し、「構想力」のある人材の育成に尽力している。

 今日のLearning barでは、その概要と、大学内で設立されたラボの活動について、具体的に事例をあげて解説いただいた。

 会場は満員御礼。今回は140名の募集のところ、300名弱の応募があった。(応募者すべてのご要望にはお応えできない状況が長く続いている。本当に申し訳ないと思いつつ、参加者の多様性を確保するため、応募者を職種ごとにわけて、その中で抽選をせざるをえない状況です。ご理解のほど、お願いいたします)

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 下記は、はじまる前の、田沼さん、渡辺さんとの打ち合わせの風景。お二人には、お忙しい中、ご講演をいただいた。

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 ご講演の様子。田沼さんには、博報堂の経営戦略と人材マネジメント施策、そして博報堂大学の位置づけについてお話しいただいた。

 渡辺さんには、博報堂大学の中での活動「構想サロン」「ゼミ」「構想ラボ」についてご教示いただいた。

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 コーポレートユニバーシティとしての博報堂大学の特徴は、「構想サロン」「ゼミ」「構想ラボ」という3つの仕組みにある。

「構想サロン」では、外部の有識者をまねき、講演などを行っている。その中で、さらに探求したいテーマが生まれると「ゼミ」が生まれ、さらにこれを社会に発信する仕組みとして「構想ラボ」が位置づく。

 ラボに参加する社員は、自分の仕事を抱えながら、探求活動に取り組む。当日は、「おとなが失った"こどもごころ"をとりもどすための試み」として、「こどもごころ製作所」のラボ活動を詳細にご紹介いただいた。
 
 ご講演終了後、ラーニングバーでは恒例の「お隣ディスカッション」がはじまる。お近くに坐った方同士で、25分間のディスカッションに従事していただいた。

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 また、今回からはじめての試みとして、携帯電話を使った「質問募集」も行った。いわゆる「ケイタイフィードバック」である。

 田沼さんや渡辺さんがご講演をなさっているあいだ、参加者の方々がが、自分のあたまの中に生まれた質問や疑問を、携帯電話で僕のメールアドレスにおくっていただく。

 机の上にはQRコードを印刷した紙があるので、もし、メールアドレスの入力が面倒な方はこれを利用できる。

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 お寄せいただいた質問は、僕が即座にノートPCでまとめて、提示できるように準備しておく。

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 今回は約60件の質問をお寄せいただいたが、その中で、共通点の多かったものについて、田沼さん、渡辺さんにお答えいただく、という仕組みである。結局、セッションでは60件のうち、15件くらいの質問をお二人にお答えいただいた。

 中には「小学校の現場の先生」からもご質問をいただいた。

「クリエィティブな人材を育成なさっている博報堂さんとしては、今後、小学校、中学校、高校ではどのような教育がなされるべきだと思いますか」

 との質問は、会場を沸かせていた。ちなみに今回のLearning barでは、約10名ほどの小学校、中学校、高校の先生にご参加いただいた。
 あと、以前はおこしいただけなかった省庁、市役所の職員の方、病院関係者の方などが最近増えてきている。本当に参加者のバックグラウンドが多様になってきたように思う。非常に素晴らしいことだと思います。

 質問の中には、「こどもごころ製作所で、実際に活動をなさっていた方のフィードバックをお聞きしたい」というものもあり、百合岡さんに、その活動の様子を語っていただいた。

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 最後は、僕がラップアップを述べた。
 1)クリエィティビティとは「型を壊すこと」であるので、何よりもまず「型」がなくてはならないこと、2)クリエィティビティを促す場とは「多様な人々」から構成されるだけではいけないこと、そこをいかにファシリテーションするかが課題であること、などを述べた。

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 冗談で

「背中に包丁をつきつけられている状態で、クリエィティビティが発揮できるか!」

 とついでに申し上げたが、これは実は本音だったりする(笑)。クリエィティビティには、「リダンダンシー」「ゆとり」といったものが必須であると考える。

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 最後になりますが、博報堂の田沼さん、渡辺さん、百合岡さん、本当に素晴らしいご講演をありがとうございました。
 また、今回も引き続きLearning barを支えてくれた東京大学大学院の院生諸氏、林さん、牧村さん、岡本さん、脇本君、山田君、舘野君に心より感謝いたします。ありがとうございました。
 お気づきになられたかたもいらっしゃるかもしれないが、今回のLearning barは飲食のスタイルを、大学院生さんの創意工夫で変更した。なにせ140人分の飲食の準備である。やり方がかなりかわったので大変だったと思う。重ねてありがとうございました。

 次回のLearning barは6月13日!(昨日は間違ってお伝えしました!すみません、、、6月13日が正確です!)

 テーマは

「組織が大切にしている価値観や理念といったものをどのように広めることができるのか?」
 
 リクルートワークス研究所 Works編集長:高津尚志さんをお招きし、「語り」「対話」「共体験」をキーワードにした、株式会社デンソーの組織理念浸透のプロジェクトについてお話を伺う予定である。

 そして人生は続く。

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追伸.
 明日からサンディエゴで開催されるASTD(米国教育訓練協会)の大会に参加する。また最新の様子をレポートします。
 お楽しみに!

投稿者 jun : 2008年5月31日 10:09


お祝い:キュイジーヌ・ミシェル・トロワグロ

 先日、久しぶりにカミサンと外食をしました。ハイアットリージェンシーの「キュイジーヌ・ミシェル・トロワグロ」。

キュイジーヌ・ミシェル・トロワグロ
http://www.hyattregencytokyo.com/restaurant/troisgros.html

 この数ヶ月、TAKUZOの入院騒ぎがあって、全く二人で外には出られませんでした。でも、TAKUZOはここ1ヶ月ですっかり回復し、今は元気に保育園に通っています。先日の検査結果も「問題なし」でました。めでたい、めでたい。今回の外食は、その「お祝い」です。「TAKUZO、よく頑張った」に加えて、「そして、親二人ともお互い頑張った」ということも含めて。

 前菜はアスパラといわし。
 
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 感動的だったのは、メインの鳥。

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 そして綺麗に盛りつけられたいちごのデザート。

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 噂には聞いておりましたが、大変おいしゅうございました。また、ウェイターの方々のホスピタリティも素晴らしかった。大満足です。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年5月30日 07:43


おもてなしの心をどう伝えるか:ホテルの人材育成

1) 組織の中でノウハウや知恵は、どのように共有されているのか?
2) 1)のプロセスの中で、「その組織らしさ」はどのようにつくられているのか?

 この2点を明らかにするために、引き続き、ダイヤモンド社の前澤さん、石田さんにご支援をいただきながら、ヒアリング調査を行っている。今、必死こいて書いている本の「取材」である。

 今日は、日本の超有名老舗ホテルに訪問させていただいた。非常にありがたいことである。

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 ヒアリング前、僕は、ホテルの人材育成の多くは、マニュアルに基づいてなされているのだろう、と思っていた。

 しかし、事実は、ほぼ「逆」に近い。
 数年前までは、人材育成は、レストランや宴会といった職場単位で実施されており、非常に属人的に暗黙知が蓄積され、それが長い時間をかけて共有されていた、のだという。

 しかし、近年、正社員だけでなく様々な雇用形態の社員が雇用されるようになってきた。そうすると、長期雇用を前提とした暗黙知の伝達が、なかなか難しくなってくる。また、老舗が誇る「おもてなし」の意味や価値を共有するのが難しくなってくる。

 本日ヒアリングさせていただいたホテルでは、数年前に、人材育成部を新しく立ち上げ、暗黙知の形式知化を進めていた。暗黙知による伝達を否定するのではなく、それを補う形で、形式知による共有をはかろうとしているのだという。

 また、「おもてなし」とは何か、「心地よさ」とは何か、といったことをそれぞれの経験を持ち寄ってダイアログする機会を、なるべく設けるよう、様々なツールを整備したり、研修を実施したりしているのだという。その試みの詳細は、まだ書けないけれど、非常に興味深いものであった。

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 2007年は、「東京ホテル戦争」勃発の年と言われている。様々な外資ホテルが日本進出をはたし、競争を激化させている。

 本日、ヒアリングさせていただいた人材育成部長の方のお話によると、外資ホテルの人材育成は「ツールが豊富なこと」「従業員をその気にさせる技術」に長けているのだという。

 例えば、アセスメントツールの充実は目を見張るものがある。また、ギデオン=クンダではないけれど、「組織文化」をエンジニアリングする仕組みが、非常に巧妙にしかけられていることも、その特徴、とのことであった。

 それに対して、日本のホテルは、「不器用かもしれないが、策は労さない」。そして、社員に「温かい」のだという。

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 今日訪れたホテルは、僕もよく打ち合わせなどに利用する。そのホスピタリティには、感動を覚えることもある。

 先日は、ラウンジで仕事をしている際、コンピュータの電源が切れそうになって困っていたら、わざわざテーブルタップを持ってきてくれて、充電させてくれた。仕事柄、取材や打ち合わせなどでホテルを利用することは多い。しかし、こんなことをさせてくれるホテルは、なかなかない。

 日本のホテルが誇る「おもてなしの心」をぜひ世代継承していってほしい、と心の底から思った。

投稿者 jun : 2008年5月29日 23:18


「能力向上実感」と「組織への介入」

 去年、ダイヤモンド社さんに協力してもらって実施した調査の分析をしている。僕の担当は「能力向上の実感」。ヒマをみつけて、SPSSをシコシコといじっている。

 まだ本格的に詳細な分析はしていないけれど、働く個人の「能力向上の実感」に影響するものとしては、「働く場の環境要因」が少なくないことがわかってきた。

 たとえば、一見したところ、

 職場内のコミュニケーションはどの程度スムーズか?
 同僚や先輩社員との相談ネットワークがどの程度発達しているか?
 仕事をまかせる雰囲気がどの程度あるか?
 社外の自主研究会などにどれだけ参加できているか?

 などの影響が少なくないようである。そりゃ、そうだよな。一日の中でもっとも長い時間を、仕事場で、いろんな人たちに囲まれて過ごすんだから。

 ということは、個人の能力実感が高まる職場をつくるためには、「個人の開発」に加えて、「組織」を対象にした何らかの「介入」がなされるべき、ということになるのかもしれない。「職場の風土」や、人々の「社会的関係」のようなもの??。それが何かは、一言でビビビと言い当てられないのだけれども(いつも大学院生さんには、一言でいったら何よ?と聞いているくせに・・・すんません)。

 今後は、マルチレベルの分析に進むとともに(これをやったら、また違った仮説がでてくるかもしれない)、なぜそうしたことがおこるのかを考えたいな、と思う。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年5月28日 10:35


「多様であること」は「新しいもの」を生み出すか!?

「多様であること」というのは、近年の「神話」のひとつである。「多様であること」が既にひとつの価値をもっており、おおむね「よさ」として、人々のあいだ語られる。

「多様な人々」や「多様なもの」の中から「新しいアイデア」が生まれ、多様な中から「新しい意味」が生まれる。自らも、その「価値」や「可能性」に魅了され、これまで研究を行ってきたことを正直に告白する。

 しかし、「多様であること」の「理想」と「現実」は激しく異なってる。これまでアカデミアの中で行われてきた実験室研究は、「多様であること」によって語らずしも、集団から新しい意味や、新しいアイデアが生まれるわけではないことを、明らかにしてきた。

 メンバーのプロフィールに多様性が必要なのか、それとも、メンバーのアイデアに多様性が必要なのか、それとも、反対にプロフィールやアイデアに「とっかかり」となるような共通点が必要なのか。実験室研究でわかっていることはたくさんあり、その中には重要な知見も多い。
 しかし、実験室課題ではなく、現実の場の、現実の問題解決で、それらの知見が、どの程度あてはまることなのか、まだわからないことも多い。

 僕も、少し前まで協調学習研究をやっていた。「複数の人々が学ぶ場」をつくり、いくつもそのプロセスを見続けてきたけど、学習の現場であっても、上記のような実験室研究の知見には、同意できるところが多い。

 協調学習の現場は、常に「葛藤」と「停滞」の緊張状態の中にある。「多様なもの」が集まり、ぶつかったからといって、必ずしも新しいサムシングが生まれるわけではない。

 だから、僕は「多様であること」に対して、心では「あこがれ」を感じつつも、そこに生じる「様々な困難」も同時に感じてしまう。

そして、近年、様々な場面で主張されている

「多様な人々のあいだの対話は、新しい意味を自己組織的に生み出す」

 とする、ややナイーブな認識を耳にするたびに、つい、「大丈夫かな、うまくいくといいけどな」と思ってしまう。

 誤解を避けるために言っておくが、僕は「多様であること」そのものに対して疑義を示しているわけではない。「均一であれ」「画一的であれ」と、もちろんない。

「多様であることの中から新しい意味や価値を生み出せる」とする仮説が、実は必ずしも成立するものではないこと。多様であることによって起こる出来事は、「予定調和」や「自然発生」といった言葉では言い当てることのできない、ある意味で、予測不能な「すさまじさ」をもつことを述べている。

 自戒を込めていうが、その可能性や価値を語り、実践しようとするならば、「ささやかな覚悟」を決めたほうがいい。そこで起こっている出来事がどのようなものであるか、について、誰にでもわかる言語で、アカウントすることに取り組まなければならない。

 多様とはすさまじい世界である。

投稿者 jun : 2008年5月27日 07:07


求められているのは

 ちょっと前のことになるけれど、実践的な教育研究に長い間取り組んできたある先生が、こんな趣旨のことを、語っていた。非常に印象的な言葉であった。

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「わたしが教育学者だからといって、実践現場の人から、教育学の理論の<説明>を求められたことは、これまで一度もありません。

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 先生の短い言葉にさらに言葉を付け加えるのならば、蓋し、問われているのは、現場の問題解決に資するものではないか。それは、おそらく、理論と経験に裏打ちされた解釈と、その解釈をたたき台にした対話なのではないか、と思う。

 ちょっと理解しにくいかもしれないけど、<説明>と<解釈に基づく対話>のあいだには、大きな差がある。

投稿者 jun : 2008年5月26日 18:18


ダイアローグする組織

 ちょっと先のことになりますが、「ダイアローグする組織(仮称)」というシンポジウムを、2009年2月20日(金曜日)午前10時から午後5時まで、福武ホール・ラーニングシアターで開催することになりました。

 内容は、

「組織の構成員同士が対話を通じて、時に理解を深めあいつつ、時に葛藤を覚えながら、組織のあり方そのものをかえていくこと」

 に焦点をしぼったものになる予定です。
 ぜひ、お楽しみに~!

投稿者 jun : 2008年5月26日 06:59


あなたは、社外で自己学習してますか?

 先日、リクルートワークス研究所主催のイベント「Works Symposium 2008」のセッションのひとつで、パネラーを仰せつかりました。

リクルートワークス研究所
http://www.works-i.com/

 リクルートワークス研究所は、「人と組織」に関する研究を行っており、おそらく日本では、この分野のもっとも大きな研究機関だと思います。

 僕が参加させていただいたパネルは、大学入試センターの濱中淳子先生のセッション「自己学習:社員自身による能力開発:アフター5の活用可能性を考える」です。

 濱中先生は、20人のビジネスパーソン(ミドル)を対象にしたインタビューを行い、彼らの語りから「社員自身による、社外での能力開発=自己学習」がいったいどのように行われているのか、を明らかになさいました。

 研究の結果、調査した20名のミドルのうち、14人、すなわち、4分の3は、何らかのかたちで、自己学習をしていました。今、組織の重要な仕事の多くがミドルに集中し、彼らの忙しさは尋常ではないことを考えると、予想よりも多い数字ですね。

 ミドルが行っていた学習には、2つのタイプがあることがわかりました。僕の言葉で説明するならば「今の仕事にすぐに役立てることのできる体系化された知識を獲得する学習」と「会社のアタリマエや自分の日常のアタリマエを問うような学習」です。
 前者はいわゆる「お勉強」。後者は、自分の専門領域や仕事とは全く異なる場 - 自主的な勉強会やネットワーキングの場に「参加」したり、自分の専門とは違う「本」を読んだりしているイメージでしょうか。
 ネットワーキングといっても、いわゆる「参加者全員に名刺」を配って満足する、いわゆる異業種交流会」とは違いますよ。

 また、全く自己学習を行わないミドルは、比較的「楽な新人時代を過ごしていたこと」もわかったそうです。「三つ子の魂百まで」といいますが、やはり新人時代に苦労することは重要なのかもしれませんね。

(ご研究の詳細は、おそらくワークスのHPでダウンロードできるようになるものと予想します)

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 濱中先生のご発表を受け、僕の方からは、

1.人材育成の議論は、主に、いわゆる「研修」と「OJT」に集中していること。それらをどのように構成するか、ということにしか関心が集まらない傾向があること。

2.近年、実践としても、研究としても、ミドルの「社外での自己学習」が、注目されるようになっていること。

3.ミドルの「社外での自己学習」は、「自分が何者であるか」ということを問い直すよい機会になるという研究があること(東京大学・荒木先生の研究)。つまりは、社外の勉強会などで、異質な他者に出会うことは、自己を説明する機会やリフレクションをうながし、「キャリアの確立」に寄与する可能性があること。

4.ミドルの「社外での自己学習」は、会社の「アタリマエ」 - 会社で支配的なものの考え方や、ものの見方などを問い直す、「イノベィティブな学び」を引き起こす可能性があること

5. 会社を出て、自分の専門領域を深めたり、相対化したりして、学びたいと思っているミドルは多いのに、それを阻害する様々な「要因」があること。特に、社外に出ることに関して嫌な顔をする上司や、忙しすぎる職場や、様々な要因がミドルを社内に閉じこめていること。

 などについて、10分程度、コメントしました。

 「学び」とは、一般に、知識をアタマの中にTransmit(伝達)するものとして考えられていますね。
 しかし、本当のことをいうと、「学び」とは「変容」であり、場合によっては、「破壊」でもあるのです。

 その後は、フロアを完全にオープンにして、ペアディスカッションです。
 
1.なぜ自己学習のセッションに興味をもったのか?

2.自社のミドルは自己学習しているか? もししているのならどんな効果が生じているか。もししていないのなら、何がそれを阻害しているか?

 について話し合っていただきました。会場は、かなり盛り上がりました。その後は、話し合った内容を、全体に共有します。参加者の方々からご意見をお聞きし、それに濱中先生、中原でコメントをしていきました。

「前代未聞の課題が増えている。社内の常識、社内にある知識だけでは、もはや対応できない」

「自己学習するというのは、常に新しいランチの場所を開発しているような人なのかな」

 といったようなご意見がでてきました。あっという間の70分でした。

 ちなみに、最後に調査データをひとつ。
 濱中先生によりますと、WP調査2004という調査の結果、「自己学習する人は、しない人に比べて、所得が3.6%がアップする」ということがわかっているそうです。

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 最後に、このような機会を与えてくださった、濱中淳子先生、会場の皆さんに感謝いたします。どうもありがとうございました。

 そして人生は続く。

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 昨日は、TAKUZOを連れて羽田空港に行ってきました。飛行機に大喜びでした。あと、アメリカから輸入したお揃いのラルフローレンが届いた。「イタイ親子」、もとい、「イタイ親」に見えたかもしれない。ちょっぴり恥ずかしかった。

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投稿者 jun : 2008年5月25日 06:53


中国で働く日本人

 先日、中国のIT企業を視察なさった方が来研しました。中国の人材育成について様々な話を伺わせていただいたのですけれど、その中で特に印象深かった話が、「日本ではなく、中国で働くことを選ぶ日本人」という話題でした。

 曰く、

「日本企業で働くという選択肢を敢えてとらず、中国企業、あるいは、欧米企業の中国オフィスで働く日本人が、最近、でてきています。

今の中国では、頑張りと能力さえあれば、日本ではありえないスピードで、2つも3つもランクをとびこえて出世ができます。やる気や能力があっても、なかなか報われない日本企業と違って、結果はすぐに示されます。

また、中国で働いたという経験は、今後の自分のキャリアにとって、マイナスになることはありません。

だから、月給でわずか8万円そこそこの金額であっても、日本ではなく、中国で働きたいという人がいるのです。

月給8万円は日本人の感覚からすれば安いですが、中国の一般の人の月給から考えると、4倍程度。生活に困ることはありません」

 ICレコーダで録音していたわけではないので、一字一句同じではないですが、このようなご趣旨のお話でした。とても印象的でした。

 僕は中国の労働状況に関してはほとんど知りませんし、かの国のIT人材育成の現状も知りません。もちろん、この話がどの程度一般性があるのか、もわかりません。ですが、何となく・・・「さもありなん」という気がしたのですね。

 そういえば、少し前になりますが、ある大学の助教さんと雑談していたとき、こんなことを言われて、ギョッとしたのを覚えています。

「わたしは、自分の20年後を考えると、どうしても、日本人の学生相手に講義をしている気がしないんです。だから中国語の勉強をはじめました。

わたしがいるところは、もしかすると、中国かもしれない。あるいは、来日した中国の方に教える立場になっているかもしれない。根拠は?と聞かれると、明確なものはありません。でも、何となくそんな気がしているのです」

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 20年後、僕は、何をしているのだろう。「誰」を相手に仕事をしているのだろう。少し考えさせられました。

投稿者 jun : 2008年5月24日 06:17


道草

 夕方、仕事場から猛烈な勢いでダッシュして、TAKUZOを保育園に迎えにいきます。1週間に1度か2度、僕が、TAKUZOを迎えにいく日があります。

 セーフ!

 TAKUZOを含めて、まだ、保育園には、親の帰りを待つ子どもがたくさんいました。

 TAKUZOは午後6時を超えると、急に、「不機嫌」になるそうです。5時30分を超えたあたりから、何人もの親が入れ替わり立ち替わり、自分の子どもを迎えにくるからでしょう。

「オトモダチ」が一人、また一人と帰っていきます。寂しいだろうな。時には、広い教室の片隅で、TAKUZOがひとりポツンと遊んでいるのを見ることもないわけではありません。ブロックに向き合って、ひとり。そんなとき、僕は、胸が痛い。

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 帰り道は、僕とTAKUZOの時間です。「道草」のはじまり、はじまり。

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 まずはちょっと腹ごしらえ。小さなドーナツを買って、僕が5分の4、TAKUZOに5分の1あげます。これで、しばらくは、お腹はもつでしょう。

「パパとTAKUZOの秘密だよ、ママには内緒だよ」

 こんなところに書いてしまっては、「秘密」もクソもないですけれども。

 帰り道、大人の足であるけば5分もかからない道を、ゆっくり1時間くらい時間をかけて歩きます。TAKUZOは、あっちに歩いては、戻り。こっちにきては、向こうに歩きます。好奇心がむくまま、気の向くまま。危険なときを除いて、なるべく抱きかかえないようにします。

 薬屋の前のSATOちゃん(象さん)、工事現場のポール、時計屋の壁掛け時計、そしてまたSATOちゃん、非常口のサイン、路地にさいたパンジー、エレベータのボタン・・・。

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 いろいろなものを見て、触れ、匂いをかぎ、TAKUZOは、トコトコと歩いていきます。

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 TAKUZOの一挙一動を見ていると、時にはハッとすることもあるんです。

「ここに、こんなに綺麗な花が咲いていたんだ」
「こんなところに、小道があったんだ」

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 日常生活の中で、僕には、Seen but not noticed(見えてはいるけど、気づいてはいない)ものが、なんて多いんだろう。TAKUZOは、そんな「小さな発見」を僕にもたらしてくれます。毎日、そこを歩いていながら、僕には、見えていないものがたくさんある。

 でも、昔は、僕も「道草」してたんだよな。道路の両脇にうずたかく積まれた雪の山。その上を探検していたあの頃。

 僕は、いつのまにか、道草をしなくなりました。仕事場と家のあいだを、最短の時間と、最短の距離と、最小の労力で行き来するようになりました。
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 時には、父親らしく「トレーニング」もします。階段をうまく上る練習、段差を降りる練習。
 TAKUZO、「熟達化」には「注意を傾けた練習」が必要なんだよ。転んだり、つまづいたりしても、諦めちゃダメだ。大丈夫、絶対にできるようになるから。もう服は泥だらけですが、気にしないようにします。

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 家に着く頃には、結構暗くなっています。家に入って、手を何度も石けんで洗って、消毒をして、お水を飲んで、おむつを換える。そうすると、ピンポーン。ママが帰ってきました。

 楽しい夕ご飯の時間です。

 最近のTAKUZOは、自分で食べたがります。テーブルの上は「戦場」ですね。「Hell」といってもよい。はっきり言って「汚い」。ですが、ここで文句を言ってはいけませんね。

 レストランで、フォークとナイフをうまくつかって、すました顔で料理を食べてる、あの人も、子どもの頃は、みんな汚かったんだよ。
 TAKUZO、いつか、きみにも、そういう日がくる。大丈夫、絶対にくる。

 夕ご飯を終え、お風呂に入れて、歯を磨き、ハナをとって、寝かしつけです。ここ一週間は疲れているせいか、「おやすみ3秒のびた君状態」ならぬ、「おやすみ15分TAKUZO君」ですね。

 こうして、TAKUZOの長い1日が終わります。もちろん、親の長い夜は、「これから」、はじまります。

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 夫婦ともども仕事が段々忙しくなってきました。自分たちの生活は、こんなに変わったのに、まわりはほとんど変わりません。

 子どものいない頃でさえ、「仕事を何とかこなしていた状況」だったのですが、今にはそれが「倍率ドン、ハラタイラは2倍状態」です。つーか、ハイプレッシャーすぎて、ハライタイ(胃痛)です。でも「仕事は何とかこなさざるをえない」です。

 僕の場合でいうと、きっと、以前より、時間がさらに「細切れ化」しているのだと思います。「原稿を書く」「論文を書く」「分析をする」「査読をする」といった「まとまった時間」のかかる仕事が、「後回し」になりがちです。というか、仕事ってのは、細切れではできないものなんですね。かつての僕には「まとまった時間」があったんですね。今になって、ようやくわかりました。

 共働きの子育ては、「ブレーキのないジェットコースター」にのるようなものです。それがいつ止まるのか、はたまた、永遠に動き続けるものなのか、僕には、全くわかりません。ですが、もう、ジェットコースターは動いている。

 少しずつ、スタイルをつくっていくしかないですね。見いだしていく他はないですね。焦らずに、だが、確実に。

 あと、カミサンに、もっと「楽」をさせてあげたいです。

 基本的に全く「気の利かない」僕ですが、僕がやってもマズくなさそうなことは、なるべくやろうと思っています。

 でも、気が利かない上に「不器用」なのが困ったところです。お皿を洗っても、洗濯物を干しても、「適当」なのかなぁ。オレ的には「完璧」なのですが(笑)。

「終わったぞー」

 得意満面な僕が去ったあとで、カミサンが、何も言わず、僕の「不始末」をやり直しているのを、僕は密かに知っています。ごめんね。

「今日、仕事のかえり、気晴らしに、どっか寄ってくればいいじゃん、おれ、TAKUZO、見てるよ」
「えっ、いいよ、別に」

 こちらも、どうも僕には、あまりうまく言えません。
 ごめんね。

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 もう週末か。今日は金曜日。最近、週末が来るのが早いなぁ。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年5月23日 07:45


「不都合な真実」を見た!

 遅ればせながら、元米国副大統領アル=ゴアが「地球温暖化の深刻さ」を訴える映画「不都合な真実」を見た。

「環境問題の深刻さ」を知ることもさることながら、ある共同研究者の先生に、「プレゼン手法の勉強として、見た方がいいよ」とすすめられたのがきっかけだった。

 なるほど。映画を見て、かの先生がすすめる理由がよくわかった。

 様々なエピソードをまじえつつ、90分にわたって、アル=ゴアは語る。その語りは迫真性にとみ、思わず引き込まれる。「よくできたプレゼンテーションは、90分続いても、決して飽きることはないのだな」と思った。ここまでくると、プレゼンテーションも「映画」になる。
 二酸化炭素の増加をしめすグラフの急上昇を強調するために、クレーンにのってプレゼンテーションする様子が印象的だった。

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 環境問題の深刻さも、よく理解できた。メディアリテラシを駆使すれば、いろいろと論争のある部分もあるのだろうけど、それはもう「待ったなし」の状況にあるのだろう、と思った。

 我々の置かれている状況は、いわゆる「ゆでがえるのメタファ」である。少しずつ温度が上昇するビーカーの中にいる「かえる」は、決して、ビーカーから飛び出したりはしない。自分が「ゆであがる」まで気づかずに、その中にいつづける。

 僕に今できることは何なのだろう。我ながら月並みすぎることではあるけれど、そう思った。

What gets us into trouble is not what we don't know. It's what we know for sure that jus ain't so.
問題は無知ではない。知っているという思いこみである。

(マーク=トゥエイン)

投稿者 jun : 2008年5月22日 07:13


ふりかえり、とは何か?

 ちょっと前のことになるが、大学院授業「組織学習システム論」で、「中間管理職の学び」に関する論文を読んだ。

Seibert, K. W.(1999) Reflection in action : Tool for Cultivating on the job learning conditions. Organizational Dynamics. Winter 1999 pp54-65

■要旨
・管理職の学びは、経験とふりかえりの質
・中でも「ふりかえりの環境」

■管理職が成長する5つのきっかけ
1.特別なプロジェクトへの参加
2.責任範囲の拡大
3.ラインからスタッフへ
4.スタートアップ
5.不採算事業の立て直し

■2種類の振り返りがある
1.Coached Reflection
 ・OFF-JT形式
 ・ファシリテーターが介在
 ・特定の日時に実施

2.Reflction in action
 ・いつでも
 ・どこでも
 ・インフォーマルに

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 論文の主旨はよく理解できる。そして、今、この領域は「ふりかえり」とか「内省」ブームである。

 が、読んでいると、「ふりかえり」とか「内省」と言われているものが、何かがだんだんわからなくなってきた・・・。
 だってさぁ、じゃあ、今、仮に、ふりかえってみて。
   ・
   ・
   ・
 そこで、今、何やった?
   ・
   ・
   ・
 ふりかえりって何?

投稿者 jun : 2008年5月21日 06:37


大人は、コミュニティをつくりながら学ぶ?

 大人は、社外に広がるコミュニティで「も」多くを学ぶ。
 そして、大人の学びのコミュニティは、新たなコミュニティ活動を生み出す。

 つまりは、大人の学びには「コミュニティを自らつくりつつ、学ぶ」という側面があるのではないか。
 
 このことを、最近、僕は実感しています。

 ここ数年、僕は、「組織学習・組織人材の最先端の話題をあつかう研究者と実務家のための研究会」として、Learning bar@Todaiという名前の研究会を、東大の大学院生の皆さんの協力をえながら、運営しています。

Learning bar@Todai
http://www.nakahara-lab.net/learningbar.html

 開催は一ヶ月に一度。毎回の参加者は、だいたい120名です。応募は多いときで300名近くあります。回によっても変わりますが、120名のうちのリピーターは、だいたい半数くらいの割合でしょうか。

 もともとLearning barをつくるきっかけになったのは、「産学いりまじって最先端の教育の話を共有し、ディスカッションする場が必要だ」という思いです。

 できれば、それには、比較的中立な機関である大学がその運営に携わるべきだと思っていました。Learning barは、そういう思いからできた、いわば「研究者、実践者のためのコミュニティ」です。

 今から4年前の米国留学中、ハーバードやMITといった大学が、そのような場として機能しているのを見ました。

 当時、僕はMITとハーバードの中間、セントラルスクエアにアパートを借りて住んでいたのですが、毎日が本当にエキサイティングでした。
 もちろん、留学中ですので、「箸が転んでもエキサイティングに感じるもの」なのですが、そういう「割り増し効果」を割り引いても、非常に充実した知的興奮をあじわえました。
 その理由のひとつが、ハーバードやMITといった大学で、開催されている、誰でも参加できるオープンな研究会なのです。

 毎日、無数の研究会が、キャンパスのあちらこちらで開催されていました。ワインやフィンガーフードをつまみながら、「今、できたてホヤホヤの理論やデータや実践」に耳を傾け、ディスカッションをする。参加型の「場」というのでしょうか。
 運営を行うのは、だいたい大学のファカルティです。それを大学院生や様々な企業・団体の方々が助けていました。

 大学には、よく「教育」「研究」「社会貢献」がミッションとして存在すると言われます。
 MITやハーバード近郊で行われていたニュートラルな参加型の研究会が「社会貢献」かというと、やや語弊があるような気がしますが、ここでは話を単純にするために、仮にそう考えましょう。

 で・・・とかく、日本の大学では、「社会貢献」というと、すぐに堅苦しく考えてしまいがちです。エライ先生に、壇上から、アリガタイ話を聞かせていただく、というかたちになりがちなのですね。

 もちろん、それも貴重な学習の機会であることに間違いはありません。しかし、もう少しインフォーマルに、かつ、フレキシブルに、またインタラクティヴに、様々な人々が交歓し、知恵を生み出していける場をつくることができないだろうか。当時の僕は、ケンブリッジの片隅で、そんなことを考えていました。自分が日本の大学に着任したら、絶対にそのような場をつくろうと決意しつつ。
 で、はからずも、ご縁があって、帰国後、東大にうつることになった。で、早速始めたのが、Learning barでした。

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 で、このLearning barが、最近、とても面白い。もちろん、その内容ももちろんなのですが、より正確にいうと、Learning barに参加してくれている人々の活動も、とても面白いのです。

 詳細な実態を把握しているわけではないのですが、いろいろ伝え聞く情報によると、参加者の人の中には、自分でコミュニティマスターになって、自社で勉強会を開催しはじめる人がでてきているそうです。
 中には、その勉強会がきっかけで、教育体系の改善にふみきった企業もあるのだとか。そんな話を聞いて、とても嬉しくなりました。

 あと、社外に自ら「様々な人々が集うコミュニティ」をつくる人もでてきたそうです。活動は様々、開催している場所も様々だそうです。有志を集めて勉強会をしたり、講演会を行ったり。中には、Learning barのように、組織学習・組織人材育成に焦点をしぼったものもあるそうです。

 あと、Learning barで出会った人たちの中には、会終了後に飲みにいく人たちも結構いるみたいです。残念ながら、僕は一度も誘われたことはないです(泣)。

 その中からかどうかは知りませんが、Learning barで出会った人たちの中で、話が盛り上がって、「新商品」が生まれているそうです。いわば「イノベーション」ですね。

 ちなみに、「皮肉」なのは、僕はlearning barを企画した頃、まさか「Learning barのメンバーが、自らコミュニティ風の活動をするとは想定していなかったこと」です。コミュニティの学習理論とかを授業で語っていながら、僕は、何もわかっていなかった。
 我ながら、「読みが浅い」というか、思慮浅いというか(泣)。反省しました。

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 社会人が学ぶ場として、Learning barは、そのひとつです。組織学習システム、組織人材育成ということで、やや「マニアックなトピック」ではありますが、それを求める人にとっては、学びのタネのひとつでしょう。

 そして、世の中には、これ以外にも、さらに多種多様な「インフォーマルな学びの場」が広がっています。そして、そうした場を行き来しながら、楽しみながら学ぶ大人がいる。

 ちなみに、そうした「インフォーマルな学びの場」を渡り歩きしながら、知識や技能をアップデートしたり、自己を確認したりしています。専門用語では、これを「バウンダリー・クロシング」といいます。大人は、幾重にも重なりつつ広がる、様々なコミュニティの住人なのかもしれません。

 このあたりは、東京大学・情報学環の荒木先生がご専門にするところなので、僕はその実態を知っているわけではありません。

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 ところで、先日、ある場所で講演をさせていただいた際、こんなことを僕は、オーディエンスの方々に投げかけました。

「社外で、社員たちが自発的に学びたいと思っているとき、それを阻害するような制度や雰囲気が、あなたの会社にはないですか? 

まずはそこから見直してみるといいかもしれません。企業の中の教育体系を充実させたり、場を整えたりすることは重要です。しかし、同時に、必要に応じて、社外に飛び出して、自ら学ぶことを促進させることが必要ではないでしょうか。いいえ、促進しなくてもいいです。せめて阻害してはいないかだけでもチェックしてみてください」

 企業の人材開発担当者の多くは、「社内に人を引きとどまらせる
仕組み」は考えますが、逆に「社外に広がる学びのタネ」には、なかなか関心を示そうとしません。

 それは仕事の範囲外といってしまえば、そのとおりなのですけれど、「大人の学習、大人の成長」といった観点から見ると、実に重要な学びの機会を失ってしまうのではないかと思います。

 Learning barを運営していると、たまにこんな相談を受けます。

「この場に来ていることは、会社に内緒にしてください・・・別に悪いことをしているわけではないのですが・・・そういう雰囲気にないもので」

「うちの上司は、社外にでていくことにいい顔をしないんですよね・・・社外に何か持ち出すんじゃないか、会社を辞めちゃうんじゃないか、と怖れているんですね・・・もう説得するだけでも疲れます」

 はっきり言って「気の毒」だと思います。もし僕自身だったら耐えられない。だって、「自分で自ら学びたい」という思いが阻害されるんですよ。もちろん、「ひとつのことに集中させたい」とか、いろいろ上司にも思いがあるのかもしれない。でも、結果として、「集中させよう」と思って囲い込んでも、「集中できていない」わけです。大人は、本当にやりたいことは、どんなことをしてでもやるものです。隠せば、結局、アングラ化するだけかもしれませんね。

 僕には会社のことはわかりません。でも、もし、これが大学で起こっているのだとしたら、「そんな大学、研究室、教員には、見切りをつけた方がいいんじゃない?」と言ってしまいそうな予感がします。

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 なんだか話がズレてきました、閑話休題。

 とにかく、大人は、社外に広がるコミュニティで「も」多くを学ぶし、場合によっては、自ら「コミュニティ」をつくりつつ、学ぶのかもしれません。

 そういう大人のフレキシブルで、アドホックな学習を研究する、というのは、本当にオモシロイことだと思いますね。あまり事例もないし。そういう場を今後もつくっていきたいと思いつつ、こうしたことに焦点を当てた研究が、どんどん増えてくることを願っています。

投稿者 jun : 2008年5月19日 07:55


何を隠そう、フラが好き!

 フラが好きである。

 フラ?、フラというと、あのハワイでよく見る、腰をふって踊る、あれかい?

 と怪訝な顔をする方もいるかもしれない。

 そう、そのとおり、それです。

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 なぜ、フラが好きかというと、2つの理由があるんです、はい。
 
 まず、単純に「ハワイの音楽」が好き。
 ワタクシ、北海道で生まれたくせに、血は「南国系」なのか、下記のようなハワイアンを聞いていると、心がウキウキしてくる。ちなみに、沖縄音楽も好き。やっぱり南国系? 昔、親子げんかしたとき、オカンがキレて、「あんたは、橋の下で拾ってきたんだからね!」と言い放っていたけど、それは本当なのかもしれないです!?。

  

 ウクレレのポロローンとなる音楽を聴いていると、ハワイ旅行ののことを思い出すのかもしれません。一年に一度は必ずハワイにいくのだけれども、そのときのことを思い出す。いわば「脳内麻薬」ならぬ「脳内ワイキキ」を楽しむことができる。

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 ふたつめ。「メディアとしてのフラ」が興味深い。フラとは、単に腰をふったり、腕で波を描いているわけではないのですね。フラのひとつひとつの動作には「意味」があるのです。比喩的な言葉でいえば、「フラとはメッセージである」。

 例えば「愛」

 これはフラでは、「広げた両手を、自分の胸の前でゆっくりとクロスさせること」で表現します。さぁ、皆さんもやってみて、「愛」。愛だよ、愛。

「あなた」・・・これは「両手を胸元からゆっくりと前に出すこと」で表現します。両手のひらを外側に向けて頭の上にかかげれば、「太陽」。手のひらを下に向けて横に開くと、「大地」になります。

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 矢口祐人著「ハワイとフラの歴史物語」によると、こうあります。

「人々の歴史、文化、生涯、島々の描写、様々な出来事、愛情や感謝、あるいは叱責の気持ち、これらすべてと、それ以上のものが、古代から今日まで踊り続けられてきたフラで表現される」

「人生の重要なテーマ」や「自信、嵐、霊、死後の世界などに関する考え方」はすべてフラによって表現される。ネィテイブハワイアンをひとつのコミュニティとしてまとめるものであった。

(同書より引用)

 つまり、こういうことです。ハワイには長い間、文字がなかった。通常、文字のない文化ですと、「口承」、つまりは「口伝え」による文化伝承がなされるのですが、ハワイではフラという「踊りの動作」によって、様々な内容が伝えられていた。

 そして、フラはハワイアンが大切にする、様々な価値や理念を伝達するメディアでもあった。ハワイアンをまとめる役割を果たしていた、というのですね。

 これ、オモシロクないですか。

 というわけで、今日も朝っぱらから、我が家のBGMはフラです。

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追伸.
 今日は、TAKUZOを連れて、大型ショッピングモールへ。買い物をエンジョイしました。帰宅後は、小生はジムへ。ちょっと最近プヨり気味なので、引き締めないとね。

takuzo_westurn.jpg

投稿者 jun : 2008年5月18日 08:48


ビール戦争は「情報戦争」!?

 早朝自宅を出て、電車で約1時間30分。ビール会社C社の工場に、ダイヤモンド社の石田さん、前澤さん、長岡先生、僕で出かけた。今書いている本のためのヒアリング調査である。

 今日のヒアリングのトピックは、

1) C社における技能職若手の学習は、どのように行われているか?
2) C社における業務改革は、どのように行われているか?

 であった。

 今回は、主に技術研修センター、品質管理の責任者の方から、2時間以上にわたって、お話をお伺いした。

 1)について、C社における技能職のノウハウ伝承には、テクニカルエキスパートという徒弟制度が活かされていた。社内で100名強認定されたテクニカルエキスパート(入社20年 - 30年)を「師匠」として、入社10年目前後の「弟子」が3ヶ月間の見習いを行う。

 2)に関しては、業務改革研究会という全社の取り組みがなされていた。1)全員が関与しながら、2)「こうなりたい」という夢を描きつつ、3)知恵をだしあって問題解決を行うような活動を、日常的に実施しているとのことである。
 業務改革研究会のテーマは誰でもかかげることができる。そのテーマに関連・関心をもつ有志が集まって、プロジェクトを組みながら、問題解決を行うそうだ。

 ヒアリング終了後は、工場を見学させていただく。ふだん僕が飲んでいるビールは、この工場からはるばるやってきているのか、と思うと、何だか感慨深かった。

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 帰り際、今回のヒアリングに同行していただいた同社人事部のMさんに、30分間ほどお話を伺った。Mさんは、数年前まで熾烈極まるビール営業の最前線にいた方である。

 Mさんの、

「営業はビールを売っているのではなく、情報を売っている」

 という言葉が非常に印象的だった。

 関東のビール営業は、地域のレストラン、居酒屋などを1日15件近くまわる。営業では、当然自社商品のPRを行うのであるが、その割合は、全体の時間の1割から2割程度。残りの大部分は、飲食店などに対して、1)本社の調査部門が集めた最近の食トレンド、2)営業マンが足でかせいだ情報、などを提供するそうだ。
 
 面白いなぁ、と思ったのは後者。営業マンたちは、自分の足で、地域の飲食店のメニュー、味、単価などを調べるのだという。時にはメニュー作りなどもお手伝いするそうだ。

 C社では、個々の営業マンが仕入れた情報は、情報カードというツールで、社内のナレッジとして蓄積されている。自分の関連するカードにはコメントをつけることが推奨されている。非常に活発なやりとりがなされているそうである。

「大切なのは、全国の情報と、自分で稼いだ情報の両方を提供することです。そのどちらも必要ですね。かつてのビール営業は非常に属人的でした。これをいかに抜け出して、プロセスとして整備するか、が課題ではないでしょうか」
 
 ビール会社の営業が、ビール戦争と言われて久しい。ビール戦争は「情報戦争」という側面もあるのだなぁ、と改めて思った。

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追伸.
 先週末、TAKUZOを連れて、アメリカ生まれの大型倉庫型スパーマーケット「コストコ」に行きました。

コストコ
http://www.costco.co.jp/

 倉庫のような巨大な空間に、所狭しと商品が並んでいます。

cosu2.jpg

 すべてがアメリカサイズ、すべてがデカイ。「肉」もハンパなサイズではありません。我が家ならば、これひとつで、半年はもちそうです。ちなみに、チーズケーキはひとつ1.8キロでした。キロって、単位おかしくねーか。

cosu3.jpg

 でも、大喜びのTAKUZOでした。

cosu1.jpg

  ・
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 実は、最近、悩みが。この数日間、TAKUZOにすっかり嫌われているのです。何がなんだかわからないけど、今日などは、寝かしつけようと思ったら、大泣きです。トホホ。
 今週は、あまりに忙しく、延長保育が続き、あまり遊んであげられなかった。そんなことも理由のひとつなのかなぁ。

投稿者 jun : 2008年5月17日 07:25


それは英語力の問題だけじゃない!

 大学院授業「組織学習システム論」は、第一クォーター「経験と学習」を終了しました。

1.経験は学習にとって、重要なリソースである。
2.経験したままでは、人は、自分にとって重要な「何か」をつかむことはできない。
3.経験とともに、自己を振り返り、自分なりの教訓やストーリーをつかみとることが重要である
4.そのためには、常に自分の鏡となってくれる他者のネットワーク - 「発達支援ネットワーク(Developmental network)」を、自分のまわりに多層的につくることが重要である
 
 第一クォーターのポイントを話せば、上記4点にまとめることができるかな、と思います。

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 ところで、この授業をしていて、いつも心の中で考えていたのは自分のことです。大学院生が「経験学習」のプレゼンテーションをするたびに、僕にとっての「経験学習」とは何であったか、を考えていました。

 僕は、まだ自分の仕事で、つまりは研究で何かを成し遂げた気がしていません。それは今まさにOngoingであり、まさにその渦中にいるといった感じです。ですので、大変情けない限りなのですが、今の僕は「一皮むける」という言葉からは、ちょっとほど遠い状況にあります。
 そんな心許ない状況ではありますが、自分が仕事をしていくにあたり強烈に影響を与えた経験がないわけではありません。いくつかありますが、2004年のボストンへの留学は、そのひとつかもしれません。

 ボストンへの留学。それは2004年1月から10月の9ヶ月間でした。とはいえ、こちらも誠に情けないことに、留学中に、僕は、何かを成し遂げられたけではありません(泣)。もちろん、ハナクソほじって寝ていたわけではないですが、9ヶ月間という時間は、何かを達成するには、僕にとっては、あまりに短い時間でした。
 でも、重要な経験がなかったわけではないのです。留学という機会は、「自分とは何か」について考えさせてくれる、本当によい機会になりました。

 留学中は、様々な人に会いました。一攫千金を夢見て南米からでてきた人、いまだ見ぬ「材料」の開発に昼夜をとわず取り組んでいる研究者、子ども相手の英語での診察に苦労していた小児科医。

 彼らとの会話は、僕にとって楽しいものでしたが、同時に困難をともなうものでした。彼らは僕と背景知識をほとんど共有していません。また、僕のことや、これまで僕が行ってきたことを彼らは何一つ知りません。
 
 そんな彼らとカフェテリアやレストランで出会い、お互いが何者かを理解し合うためには、「自分がこれまでやってきたこと」を短い時間で伝えなくてはなりません。それも、限られた英語力で。

 留学当初、僕は、本当に四苦八苦していました。自分のことを語ると口ごもったり、同じことを繰り返したり。おそらくこの時期に僕にあった人は、「こいつは何にも考えてないやつなんだなぁ」と思ったことと思います。僕は、最初、心の底から、自分の英会話能力のなさを呪いました。

 しかし、しばらくすると、だんだんわかってきたことがありました。確かに、自分の英語力はないことは事実なのです。それは動かしがたい事実なのですが、僕は、そもそも日本語でも、自分のやってきたことを、誰にでもわかる言葉で、短い時間で伝えることはできていない、のではないかということです。

 というか、そういう機会を僕はあまり持たなかったのですね。なぜなら、日本で出会う人々は、その多くが研究仲間であったり、僕のことを既に知っている人であったので、敢えて「自己説明」を行う必要がなかったのです。

 ところが、いったん世界にでれば、そうはいかない。「自分が何者であるか」「自分が何を成し遂げてきたのか」「自分はこれから何をするのか」を、誰にでもわかる短い言葉で、説明しなくてはならないのです。

 そして、そもそも日本語ですらできないことを、英語でできるわけがないのですね。
 そこで僕は2つ学びました。
 ひとつめ、それは「自分の研究を説明することの重要性」。ふたつめ、「誰にでも説明できるような社会的意義のある研究をしなければならない」ということです。
 この経験が、僕の今の仕事にとって、重要な影響を与えていることは間違いないようです。

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 今日はちょっと話が長くなりました。ですが、他者に語ることが、結局、自分を考えることになるという事例になるかな、と思って敢えて書きました。
 もしよろしければ、ぜひ皆さんもトライしてみてください。

1.あなたのことや、あなたが所属する組織のことすら全く知らない人をつかまえてください。

2.あなたの仕事、あなたが成し遂げてきたことを、1分くらいで説明してみてください。

3.相手がどのような理解をしたのか、確かめてみてください。

 単なる思考実験、短いエクササイズではありますが、結構、気づくことは多いのかな、と思いますが、どうでしょうか。自分の会社・組織にどっぷりつかると、自分のことが時にわからなくなるものです。また、敢えて人は自分を考えません。自分にとってのアタリマエを問うエクササイズとして、トライしてみてはいかがでしょうか。

投稿者 jun : 2008年5月16日 08:56


コミュニティへの期待

 超多忙。最近、お昼が食べられないことがある。そう同期とのメールのやりとりの最中でボヤいたら、「今まで、お昼、食べられていたんですか? やっぱり大学はゆとりがありますね(笑)」とツッコまれた。

 すんませんね、ヒマで(笑)。

 「昼メシ食えない」なんて、小生としては、一大事なんだけどなぁ、みんな頑張っているのね。

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 先日、荒木先生(東京大学)と一緒に「実践共同体」に関する講演を行った。タイトルはズバリ

「人も育てるコミュニティ:
 キャリア、学習、イノベーション」

 内容がやたら「テンコ盛り」な気もするけれど、そういうことは、あまり気にせず(笑)。
 当日は、コミュニティ理論、そしてそれを生み出すもとになった学習科学、教育学の大枠の流れ、そして、そのビジネスへの導入、先進事例などを解説した。

 この講演の主催は、VH協議会である。VH協議会は、「インフォーマルコミュニティを活用して組織を活性化させること」に興味のある人々が集まるコミュニティである。講演会場は汐留のANA本社であった。

 講演は2時間。途中、何度かワークやエクササイズを挟みながら、進行した。参加者の方々のご協力もあって、何とかかんとか無事に終えることができた。皆様、ご協力ありがとうございました。

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 帰り際、参加者の皆さんから名刺をいただいた。名刺の上に印刷された所属部署を見て、結構驚いた。多くの方々の所属部署が「経営企画」だったからだ。

 実は、荒木先生とは、今から6年前に、やはり「コミュニティ」で、あるフォーラムで講演を行ったことがある。そのときのオーディエンスの方々は、「人事教育」の方がほとんどだった。当時、フォーラムの開催者は、「経営企画」の方にも来ていただこうと、いろいろプロモーションを行ったそうだが、奏功しなかった。この6年のあいだに、時代が少し変わったのかもしれないなぁ、と思った。

 ちなみに、あとで、参加してくださった会社の方に、いろいろお話をお聞きしたところ、「コミュニティにかける期待」は、各社によって様々であった。

 人と人のつながりを回復させること
 組織内のコミュニケーションを活発にすること
 働きがいのある会社をつくること
 新しいアイデアを生み出す会社をつくること
 若手へのノウハウ伝承をすみやかに行うこと
 会社の中に流れる「変な遠慮」をなくすこと
 組織の壁を越えること
   ・
   ・
   ・
 各会社が、それぞれの目的にしたがって、自分たちのユニークなコミュニティ活動を推進しようとしているようであった。

 もちろん、中には苦労しているところもある。しかし、既に、社内SNSを使って、数千ものコミュニティが生まれている会社もあるそうだ。もちろん、オンラインだけでなく、対面のコミュニケーションイベントを増やそうと思っている会社も少なくない。
 いくつかの会社には、今度、意見交換会をさせていただく機会を得ることができた。大変ありがたいことである。

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 ちなみに、ANAの本社には、キャビンアテンダント(CA)の制服を着た人がウヨウヨといた。彼女たちが、本物の「CA」かどうかはわからないけれど、講演直前におもむろに便意をもよおし、「あのー、トイレどこですか」と尋ねたら、CAっぽく連れていってくれた。ので、きっとCAなのかな、と思う。なんだか得した気分だった。

 最後になりますが、本講演に際しましては、富士ゼロックスの天野さんに大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

投稿者 jun : 2008年5月15日 14:36


米経済誌がオープンコース?

 ビジネスパーソンを対象にしたオープンコースを、米経済誌ビジネスウィークが立ち上げているようです。

米経済誌ビジネスウィークが無料コース?
http://zen.seesaa.net/article/96306227.html

 企業で働く個人が利用できるOpen Educational Resourcesが、増えてくるという予想は、以前からいろいろなところで、お話をしていました。さらに僕の予想(占い)を開陳いたしますと、近い将来、企業内教育のオンラインレィティングというのがはじまるのではないか、と思っています。そうすれば何が起こるか・・・。

 今後の動向が気になりますね。

投稿者 jun : 2008年5月14日 23:55


春が楽しみ、僕の理由

 4月・5月は、僕が、もっとも楽しみにしている「季節」です。この時期の楽しみといえば、普通は「桜」とかかもしれませんが、僕の場合は違います。ズバリ、「この春、働き始めたばかりの方を見ること」です。

 4月、社会にでたばかりのニューカマー。店に入ったら、よーく、見てください。病院に出かけたら、よーく見てみてください。慣れない手つき、不安な顔つきで、見よう見まねで仕事をしている人が、何人かいるはずです。

 先日病院に出かけたら、僕の担当になった看護婦さんは、明らかに新人でした。彼女の後ろには、僕と同じくらいの年齢の看護婦さんが立っていて、彼女の一挙一動を見ている。チェックシートらしきものをもっていて、僕への言葉かけをひとつひとつチェックしているようでした。いわゆるOJTの現場です。

 1週間前髪を切りにいったら、シャンプーをしてくれたのは、20歳の女の子でした。僕の髪を洗いながら、

「髪質って、ほんと人それぞれなんですよね、シャンプーしていたらわかります」

 と言っていました。

「ほんで、ほんで」
「で、そのあとなにすんの?」

 僕があまりにも根掘り葉掘り、「入店後の育成プロセス」を聞いていたので、ちょっと変な目で見られていたかもしれませんが・・・。

 今日は朝、銀行に行きました。その銀行は、SMBCリテールバンキングカレッジをつくり、OJTとOFF-JTを連動させる「サイクル型トレーニング」を実施しはじめたところです。

三井住友銀行
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080430-00000000-fsi-bus_all

 窓口の前に、いかにも新人の女の子が立っていました。この子は、今、サイクルのどのプロセスにいるんだろうか。そんなことを考えながら、用事をすませました。

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 春はいいですね。「仕事場の学び」に興味をもつ研究者にとって、この時期は、非常に面白い。街にでかければ必ず発見がある。

投稿者 jun : 2008年5月14日 12:10


ダイアログ・イン・ザ・ダーク

 先日、ある方と「学習と対話」についてメールでやりとりをしていたら、下記のようなワークショップをご紹介いただいた。

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Dialog in the Dark Japan
http://www.dialoginthedark.com/

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚、触覚、嗅覚、味覚など、視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の「暗闇のエンターテイメント」です。

<アテンド>の声に導かれながら暗闇の中を進み、視覚以外に集中していると、次第にそれらの感覚が豊かになり、それまで気がつかなかった世界と出会いはじめます。

森を感じ、小川のせせらぎに耳を傾け、バーでドリンクを飲みながら、お互いの感想を交換することで、これまでとはすこしちがう、新しい関係が生まれるきっかけになります。

(Webより引用)

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 上記Webによると、もともとは

「ウィーンの自然誌博物館で開催中の「闇の中の対話」と題する特別展が、人気を集めている。日常生活を取り巻くさまざまな環境を織り込んだ真っ暗な会場を回ることで、盲人の世界を体験してもらおういう珍しい展覧会だ。」
(日本経済新聞 夕刊 1993年4月27日)

 という経緯ではじまったものらしい。
 視覚に障害をもった方が、一筋の光さえみえない暗闇空間で、参加者たちをアテンドしてくれるらしい。「自分がいかに視覚中心の生活に浸りきっているか」が自覚できるのだという。

 ぜひ一度体験してみたい、と思った。

投稿者 jun : 2008年5月13日 07:34


「最高の人生の見つけ方」と「鯨とメダカ」と「ヘルプマン」

「老い」に関する作品を、このところ立て続けに見た。

 ひとつめは、映画「最高の人生の見つけ方」。

最高の人生の見つけ方
http://wwws.warnerbros.co.jp/bucketlist/

 末期がんで余命6カ月の宣告をされた超大金持ち(ジャック=ニコルソン)と自動車整備工(モーガン=フリーマン)の二人の男たちが、ひょんなことから一緒の「病室」に入り、最後の時までを共にすることになる。
 二人は、死ぬ前にやりたいことをリストにした「棺おけリスト」をつくる。「荘厳な景色を見る」「赤の他人に親切にする」「涙がでるほど笑う」 「スカイダイビングをする」「ライオンを狩りに行く」「世界一の美女にキスをする」・・・

 人生最後の願いを、ひとつずつ実行する、彼らの奇妙な「旅」がはじまる・・・。

「末期がん」「余命宣告」という全く「笑えない状況」なのだが、名優ジャック=ニコルソンとモーガン=フリーマンが共演していることもあり、「笑い」が耐えない。

 聞くところによると、台詞には「二人のアドリブの応酬」がかなり含まれているとのこと。名優にしかできない「インプロヴィゼーション」といったところか。あっという間に見終わった。

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 ふたつめは、テレビドラマ「鯨とメダカ」。5年ぶりの田中邦衛主演のドラマ。

 田中邦衛が演じるのは、戦後の混乱期にたたき上げで会社を興したワンマン社長。75歳を超えてもなお会社の全権を掌握する社長のワンマン経営から、このところ、業績は伸び悩んでいる。そんなときに起きたのが、「変化への対応」を主張する実の息子のクーデーター。田中は、社長を解任される。その後、15歳の中学3年生の少女にであい、交流し、癒されていく、という内容。

 印象的だった台詞は下記。

「オレは何をしたらいいんだ・・・気づいたんだ オレの名はシゲルということに。

社長社長とよばれて、アタリマエになっていた。肩書きがハズされたとき、うろたえた。何もない日常におびえ、社会から必要とされていないと怖くなった。

しがみついてる会社がなくなったらこんど、オマエはどうやって生きる?。どんなにもがいても、いずれ、本当の老後がくる」

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 最後は、高齢者福祉の問題を扱うマンガ「ヘルプマン」。こちらは全冊、大人買い。といっても、まだ全部は読んでいない。一日1冊ずつ読もうと思ってます。

 まだ4冊しか読んでいないけれど、この問題があぶり出した「現実」は、本当に深刻です。複雑怪奇な介護保険の問題、老人施設における縛り付けの問題、高齢者介護にともなう虐待の問題、そして老人の性に関する問題。

 僕は、この問題に全くのシロウトでしたので、かなり衝撃を受けました。読んでいて、怖くなったりもした。自分のことも、カミサンのことも、そして僕らの親のことも、考えさせられた。

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 ともかく、人間は一歩一歩、死に近づく動物です。時がくれば、人は必ず老いる。というか、もう、僕もあなたも、既に「老い」のプロセスの「中」にある。

 時間のあるときに、またこのことについては考えてみたいと思います。僕は、どんな顔で「老い」を迎えることができるだろう。

投稿者 jun : 2008年5月12日 12:41


「教育」への投資

 文部科学省が「教育振興基本計画」の原案策定に際して、「我が国の教育支出の対GDP比を、今後10年間を通じて、OECD諸国平均の5.0%を上回る水準を目指すべきだ」と明記することを検討しているそうだ。

 現在の日本の教育への公財政支出は、年間国家予算の3.5%の17.2兆円。これは、OECD加盟国30ヵ国最下位(2003年)である。読売新聞の記事によると「1.5%の引き上げには、新たに財源が7.4兆円必要で、財務省の反発は必至」なのだそうだ。

 7.4兆円増額することで、「教育のクオリティ」がどのように変わるのか。それによって、国民にどんなメリットがもたらされるのか。
 教育業界「全体」にアカウンタビリティが求められることが、こちらも必至であろう、と思われる。

 後日談。13日読売新聞によると、「財務省は、日本はOECDの中で最も生徒が少なく、生徒一人あたりの教育支出で考えれば、OECDの主要国である米英独仏の平均とほぼ同じ水準」であるとして反発。「主要先進国と遜色ない水準」だとしている。

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追伸.
 先日、眼鏡を新調した。僕は、どんどん目が悪くなっている。はぁ。カミサンは「狩猟民族」なみに目がいい。羨ましい限りである。

投稿者 jun : 2008年5月11日 08:24


今年も入試説明会、中原研で学びませんか?

 来る6月21日(土)、東京大学大学院 学際情報学府の入試説明会が、情報学環・福武ホールにて開催されます。12時30分から17時30分までの予定です。おそらく例年通り、各研究室がブースをだすのではないかと思います。

東京大学大学院 情報学環・学際情報学府
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/

FUKUTAKE HALL
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/

 また、今年の修士課程入試募集要項ができました。下記からダウンロードできます。

平成21年度 修士課程学生募集要項配布中(PDF,245Kb)
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/admission/masters/application_2009.pdf

 中原研究室では、今年も、修士大学院生を募集します。ご興味のある方は、下記をお読みになって、ふるってご応募いただけますよう、よろしくお願いいたします。

中原に研究指導を御希望の方へ
http://www.nakahara-lab.net/playlink.html

投稿者 jun : 2008年5月10日 07:18


うちは、もう新聞をとるの、やめたよ!?

 僕の身の回りだけで起こっていることなのでしょうか。最近、僕がふだんお付き合いをしている方の中では、新聞をやめる人が増えているような気がします。
 先日も大学院時代の同期と久しぶりにあったら、「うちは、もう新聞をとるのをやめたよ」と言っていました。

 理由はいくつかあるようです。

1)情報の早さがインターネットの方が早い
2)ネットならば無料
3)かさばる
4)捨てるのが面倒くさい、エコ的にもどうかと思う

 でも、最大の理由としてどの人もあげるのは「ひとつの会社の、ひとつの記事を鵜呑みにする時代じゃない、複数の新聞社の記事を比較する必要がある」ということです。

 つまり「記事」とは「言説」である、と最近痛烈に感じるようになった。だから「言説」同士の比較をすることで、何が本当なのかを自分の「目」と「アタマ」で確かめなければ、世の中の動向を読み間違う、と言っているのですね。

 確かに、彼らがいうように、記事は決して「中立」ではありません。といいましょうか、それは新聞社や記者が悪いわけではなく、人間の書くもの、人間の表現に「中立なもの」などありえないのです。記事には必ず、新聞社や記者の政治的な主張、利害、関心といったものが含まれます。

 ひと月4000円も払って、ひとつの新聞社から新聞をとって、ひとつの言説を信じるくらいなら、自分の興味のある事件や記事に関して、複数の新聞社の記事を、ネットで「横断的」に読んだ方がいい。僕の知り合いたちは、どうも、そう考えているようです。
 そして、彼らが最も嫌う言葉が、新聞は「社会の公器」であるとか、「世論を形成する」とかいう言葉です。そういう「上から目線が我慢ならない」というニュアンスのことを、言う場合が多いですね。

 中には

「僕と同年代で、今時、新聞が最大の情報ソースだっていう人がいたら、もう先がしれてる」

 なんて、うそぶく奴もいる始末・・・。相変わらず過激な人です。

 ---

 ちなみに、僕は、新聞をとっています。夕刊も朝刊も。でも、それはちょっと特殊な理由です。

 僕の場合、自分の専門領域に関する記事を、すべて切り抜きしているのですね。それをスキャンして、すべてコンピュータにストックしている。そうすると、授業や講演のときに、さっと使えるのですね。だから、新聞をとっています。

 僕は、いつも、だいたい5時くらいに起きます。まだカミサンと子どもは寝ていますが、ここからの1時間が勝負です。まず朝刊と前の日の夕刊に目を通して、切り抜きをする。その間、NHKをつけっぱなしにして聞いている。

 それが終わると、RSSリーダで国内外のブログ(400個くらい)のタイトルだけ流して読んでいき、興味深いものがあれば読む。その後、インターネットで大手の新聞社、海外の新聞社のトップページだけを読みます。興味深い記事があれば、そこだけ読みます。

 で、今やっているみたいに、自分のブログを書くのですね。

 ---

 僕の場合、「切り抜き」では大変お世話になっているし、おそらく、これからもしばらくは新聞をとるでしょう。ブログに僕が期待するものと、新聞に期待するモノは異なっています。特に専門領域に関する事、書評などに関してはブログは非常に有益な情報を提供してくれます。ですので、新聞に対して、それほど過激な意見や要望を持っているわけではありません。

 ただし、「記事とは政治的中立な文章ではない」という点においては、彼らの意見に同意します。これはブログであろうと、新聞であろうと同じ。どういう手段かは人によって違うのでしょうが、ひとつの言説に固執していると、世の中の動向を読み間違うのではないでしょうか。メディアを問わず、様々なメディアの情報を読みとく能力が必要になるのだと思います。
 そして、今更ですが、ネットは記事の比較をもっとも簡便に行うことのできるメディアであるとも思います。もちろん、それには、それ相応の知的労力も時間も必要です。

 ---

 海の向こうでは、新聞業界の凋落に歯止めがかかりません。あのニューヨークタイムズですら苦戦を強いられているようです。

第5回 NYタイムズ前編集長、「新聞社のビジネスモデルは破たんしている」とため息
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080410/298684/

ニューヨークタイムズ、新聞広告の落ち込みをネット広告では補えず
http://zen.seesaa.net/article/25791700.html

 もちろん、アメリカの新聞業界と日本のそれは、ビジネスモデルも規模も違いますし、そのまま比較はできません。

 ですが、僕の知り合いの最近の動きから、この日本でも「地殻変動」が起こっている、と考えるのは考えすぎでしょうか。もちろん、この「動き」は、僕の身の回りだけで起こっていることなので、一般化はできませんが。

投稿者 jun : 2008年5月 9日 07:18


Learning barのお知らせ:組織の理念をどのように「広める」のか!?:高津尚志氏

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Learning bar@Todai 2008

組織の価値観・理念をどのように「広める」のか!?
語り、対話、共体験:デンソースピリットを事例として
リクルートワークス研究所 Works編集長 高津尚志氏

2008年6月13日(金曜日)午後6時 - 9時 東京大学
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 2008年6月のLearning barは、リクルートワークス
研究所 Works編集長:高津尚志さんをお招きし、

「組織が大切にしている価値観や理念といったものを
どのように広めることができるのか?」

 ということについて、皆さんでディスカッションを
深めたいと思います。

 高津さんは、前職リクルート HCソリューショングル
ープにおいて、株式会社デンソーの理念である「デン
ソースピリット」を、グローバル30ヵ国合計10万人の
社員に「広める」プロジェクトに関与なさいました。

 そのプロセスは「感じるマネジメント」として2007年
4月に出版され、大きな反響を巻き起こしています。

 今回のLearning barでは、「感じるマネジメント」
において語られなかった裏話も含め、理念や価値観を
「広める」とはどういうことなのか、について高津さ
んにご講演いただきます。

「組織理念の浸透」という、よく使われる言葉では、
捉えきることのできないユニークなアプローチがそこ
にはあります。新たな理念共有のキーワードは、
「語り」「対話」「共体験」です。

 参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、5月20日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。5月末日までに参加可否をお伝えいたします。
下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいた
します。

なお、今回のLearning barは「感じるマネジメント」を
課題図書とさせていただきます。必ずこちらをご一読の上、
おこしください。

 なお、最近、Learning barは満員御礼が続いており、
参加登録いただいても、すべての方々の御希望にはお応
えできない状況になっております。

 主催者としては心苦しい限りですが、限られたスペー
スの中で運営し、かつ、参加者のバックグラウンドの多
様性を確保する必要がある関係上、すべての方々のご要
望にはお答えできません。なにとぞお許しください。
 
     企画担当:中原 淳(東京大学・准教授)

※Learning barは、NPO法人 Educe Technologiesが
主催、東京大学大学院学際情報学府 中原研究室が
共催する、実務家と研究者が集まる学術イベントです。
 
 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 エデュース・テクノロジーズ
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
 関する調査、研究、コンサルティングを行う
 非営利特定活動法人です。
 
 企画担当
 副代表理事 中原 淳

 
○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
 - 大人の学びを科学する研究室 -
 教育学の観点から、組織人材育成や組織学習
 を研究しています
 http://www.nakahara-lab.net/
 
 
○日時
 2008年6月13日(金曜日)
 午後5時30分 開場
 午後6時00分より午後9時頃まで実施
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
  に始めます。本郷キャンパスは意外に
  広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう
 
 
○内容(案)

 □ウェルカムドリンク
 (5時30分 - 6時00分)
  ・今回のLearning barでは、サンドイッチ
   ソフトドリンク、ビール、ワイン等を
   ご用意しています。
  ・非常に混み合うことが予想されますので、
   なるべくはやくおこしください。

 □イントロダクション
 (6時00分-6時10分)
   ・中原 淳(東京大学)

 □レクチャー第一部
 「『問い』の背景と、デンソースピリットの今」

 (6時10分 - 6時40分)
 (25分講演+5分質疑)
  ・高津尚志さん(リクルートワークス研究所)

 「デンソースピリットプロジェクト」を簡単に、
 かつ具体的に俯瞰します。
 世界各国での活動の写真なども交えながら、プロ
 ジェクトの広がりを感じていただきます。

 □レクチャー第二部
 「『答え』の本質と、そこに至る旅路」
 (6時40分 - 7時10分)
 (25分講演+5分質疑)
  ・高津尚志さん(リクルートワークス研究所)

  現在の活動の中核をなす「ものがたり」「対話」
  について、その重要性が発見されたプロセスを
 「ものがたり」で共有します。

  - break 15分 -

 □レクチャー第三部
 「『感じるマネジメント』を生んだLearningを振り返る」
 (7時25分 - 7時55分)
 (25分講演+5分質疑)
  ・高津尚志さん(リクルートワークス研究所)

 「デンソープロジェクト」も「感じるマネジメ
 ント」も、その基礎には「しごと」の範囲を超
 えた様々なLearningがあります。

 高津さんが「問答」と呼ぶこのプロセスを振り
 返りながら、大人の学びについて考えます。
 
 □解説
 (7時55分 - 8時10分)
 (15分)
  ・長岡 健(産業能率大学・教授)

 □お近くの方とディスカッション
 (8時10分 - 8時30分)
 (20分)
 
 □ケータイde質疑
 (8時30分 - 8時55分まで)
 (25分)

 □ラップアップ
 (8時55分 - 9時00分まで)
 (5分)
  ・中原 淳(東京大学・准教授)
 
 
○場所
 東京大学 工学部2号館 9F 93B
 大学院情報学環 教室
 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html 

 地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
 地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
 
 
○参加費
 3000円(1名さま 一般・学生)
 (講師招聘費用、講師謝金、飲み物、食べ物、
  運営費等に支出いたします)
 
 
○食事
 ソフトドリンク、ビール、ワインなどの飲み物、
 および軽食をご準備いたします。
 
 
○参加条件

 下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
 申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
 いるとみなします。

 1.本ワークショップの様子の写真、NPO Educe Technologies、
 東京大学 中原研究室が関与するWebサイト等の広報手段、
 講演資料、書籍等に用いられる場合があります。

 2.今回のLearning barは「感じるマネジメント」を
 課題図書とさせていただきます。必ずこちらをご一読
 の上、おこしください。

 感じるマネジメント
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862760023/nakaharalabne-22

 3. 欠席の際には、お手数でもその旨、
 saka-atsu [at mark] nifty.com までご連絡下さい。
 人数多数のため参加をお断りしている場合には
 繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。
 
 
○どうやって参加するのか?
 
 下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 5月20日までにお申し込み下さい


〆ココカラ=======================================

 参加申し込みフォーム
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 5月20日までにお申し込み下さい
 
 5月末日までに参加の可否をご連絡させていただきます

 ---

 上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。

氏名:(            )
フリガナ:(          )
所属:(            )
メールアドレス:(       )
業種:下記の11つの属性から、あなたに最も近いものを
ひとつお選びください

 1.研究者
 2.学生
 3.民間教育会社勤務
 4.民間コンサル会社勤務
 5.事業会社勤務(人事・教育部門)
 6.事業会社勤務(事業部門)
 7.個人事業主(教育・コンサル)
 8.経営者
 9.初等・中等教育の学校勤務
 10.公務員・公益法人等勤務
 11.その他

〆ココマデ=======================================

投稿者 jun : 2008年5月 8日 14:00


日本語に出来ない

 教育の世界(というか、コンストラクショニズム関連の専門領域)でよく使われる言葉に、下記のようなものがありますね。

 Serious play(シリアス・プレイ)
 Hard fun(ハード・ファン)

 先日、ある原稿で、これらの用語を解説しようと思ったのですが、どちらも日本語に翻訳しにくいことに気がつきました。なんて言ったら、いいの、これ。

 PlayとかFunとか書いてあるから、「面白い」ってことですよね、基底にあるのは。でも、「面白い」じゃ、ちょっと違うんだよなぁ。「楽しい」だと軽い感じがする。「笑う」ってのは違う。また、「ふざける」とは全然違う。

 長々と書くならば、

「知的にエキサィティングな事柄に、マジメで取り組んだら、すげー楽しかった、モティベーションあがりまくりよ。いやー、学びって楽しいじゃん、うふ」

 って感じです。

 でも、つーか、なげーよ。
 一言でいえ、一言で(僕の口癖)>自分

 なんか、いい案があったら教えてください。

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追伸.
 明日、Learning bar6月の募集が開始される予定です。

投稿者 jun : 2008年5月 7日 06:46


第38回ICTE情報教育セミナー in 東京大学

下記のようなイベントが東京大学で開催されるそうです。この領域をリードする方々が、一同に会するまたとない機会になりそうですね。カフェイベントも催されるようですよ。ご興味のある方は、ふるってご参加いただければ幸いです(別件で、中原は参加できません・・・とても残念です)。

申し込みはこちらからお願いします!
http://www.icte.net/seminar/H20/20080517.html

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第38回ICTE情報教育セミナー in 東京大学
―新学習指導要領の告示を控えて―
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 教科「情報」の実施からすでに5年を経て,多くの
実践が積み重ねられてきました。小中学校の新しい学
習指導要領が既に告示され,高等学校も本年度早々に
告示される見込みです。

 今回のICTE情報教育セミナーは場所を東京大学に移
し,できたばかりの福武ホールをお借りして2日間に
わたるプログラムを組み立てました。1日目は5年間
の間に蓄積された実践事例を参考に,エキサイティン
グなワークショップを3本同時に走らせます。2日目
は新学習指導要領が告示されたときにそれをどう解釈
しどう捉えるかを考えるラウンドトークと,ICT教育,
メディア教育の専門家によるシンポジウムを開催しま
す。

 最後には福武ホール1階にあるカフェで,ゆったり
とした交流の場(ICTEカフェ)も企画しました。2日
間を通した活発な議論,情報交換の場,新緑映える初
夏の東京大学に是非お集まりください。

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日 時 :
平成20(2008)年5月 17日(土)13:00-16:30
           18日(日)10:00-18:00

会 場 :
東京大学本郷キャンパス 福武ホール
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1

資料代 :
1,500円(ICTEカフェ参加は別途1,000円)

対 象 :
情報教育関係の小・中・高等学校
大学の教職員・大学の学生

セミナープログラム:
第1日目 5月17日(土)12:30 受付開始

13:00-13:15 ワークショップ開催にあたって
田邊則彦(慶應義塾湘南藤沢中・高等部教諭)

13:15-16:15 ワークショップ(各コースとも,申込先着順)
(WS1):「教室でどう使う?Podcast」【定員28名】
江守恒明(富山県立砺波高等学校教諭)
田邊則彦(慶應義塾湘南藤沢中・高等部教諭)
※主として高等学校教員対象

(WS2):「ロボットで情報を科学しよう」【定員16名】
小林道夫(神奈川大学附属中・高等学校教諭)
※主として中・高等学校教員対象

(WS3):「デジカメを活用した映像表現」【定員24名】
前田康裕(熊本市立飽田東小学校教諭)
中川一史(メディア教育開発センター教授)
※主として小・中学校教員対象

16:15-16:30 まとめ
中川一史,田邊則彦

セミナープログラム:第2日目

5月18日(日) 9:30 受付開始
10:00-10:30 開会挨拶

鈴木克明(熊本大学大学院教授)
会場案内:福武ホールについて
水越 伸(東京大学准教授)

10:30-12:00 ラウンドテーブル:
学力と情報教育-新学習指導要領改訂で授業はどう変わるか-
吉崎静夫(日本女子大学教授)
中川一史(メディア教育開発センター教授)
黒田 卓(富山大学准教授)

12:00-13:00 昼休憩
13:00-14:45 シンポジウム:メディアが変わる・授業を変える
生田孝至(新潟大学副学長)
日比美彦(NHK編成局ソフト開発センター)
水越敏行(大阪大学名誉教授/ICTE会長)

司会:田邊則彦(慶應義塾湘南藤沢中・高等部教諭)

15:00-17:00 ICTEカフェ
登壇者と参加者が親しく情報交換できる場を提供しま
す。登壇者から講演内容とは別の話が聞けたり,協力
企業からの情報提供などがあったり,参加者も含めて
さまざまな話題が飛び交うアカデミックなカフェです。
飲み物と軽食を取りながら,ざっくばらんに語らいま
しょう。
(コーディネータ:田邊則彦)

17:00- 閉会挨拶 水越敏行

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問い合わせ先:
○情報コミュニケーション教育研究会事務局
〒151-0053 東京都渋谷区代々木2-12-1 記録映画社ビル4階
FAX 03-3389-4395 事務局宛メールはicte@icte.netへ!

申し込みはこちらからお願いします!
http://www.icte.net/seminar/H20/20080517.html

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投稿者 jun : 2008年5月 6日 22:29


革新する老舗!?

 雑誌ATESの今月の特集は「革新する日本の老舗」。「革新」と「老舗」という一見相反する単語が"ひとつのコピー"の中に含まれていることに興味をもち、思わず、書店で手にとってしまった。うまいね、僕好みですね。

 同雑誌によると、「いつの時代においても、成功している老舗とは、日々、新しい構想や発想と向き合っている」のだという。

 事例としてあげられていたのは「熊澤酒造」「とらや」など数店。個人的にもっとも印象的だったのは、500年続く羊羹の老舗「虎屋」のお話だった。

 虎屋と言えば、いち早くオンラインショッピングを導入したり、最近だと、東京ミッドタウントラヤカフェをオープンしたりしているのは知っていた。実際、自分もよく利用することがあった。

虎屋
http://www.toraya-group.co.jp/main.html

虎屋オンラインショップ
http://www.toraya-group.co.jp/shop/

トラヤカフェ
http://www.toraya-cafe.co.jp/

 でも、虎屋は、実は、創業から常に「新しいこと」にトライし続けてきたってことご存じでしたか? 

 たとえば、下記のような感じ。

 ---

1520年 京都にて創業
1869年 東京進出
1896年 新聞広告でアピール
1918年 バナナやレモン入りといった和菓子にチャレンジ
1924年 自動車での製品配達導入(当時は徒歩が主流) 
1955年 羽田空港に出店(旅行者をターゲットに)
1962年 デパートに初出店
1979年 パリ国際菓子見本市
1980年 パリに出店
2000年 とらやオンラインショップ
2003年 トラヤカフェオープン
2003年 和菓子の研究所:虎屋総合研究所をオープン
2007年 東京ミッドタウンに出店

(ATES JUNE 2008 p24-25より一部引用)

 ---

「羽田空港で羊羹が買えること」とか、今ではアタリマエになっていたけど、これも「革新」の成果だったのですね。知らなかった。

 虎屋広報部の藤田さんは言います。

「よく、500年前から変わらない味はどれですか? と聞かれます。けれど、我々は、菓子屋として、常に時代時代の最良の材料をもとに、最高のおいしさを求めて日々精進しているのです。味を守るとは、変わらない、ということではないのです」
(ATES JUNE 2008 p23より引用)

 ---

 お店が「新しい構想や発想と向き合っている」といっても、別に「屋号」が新しいものを生んでくれるわけではない。そうした組織の中に、常に、新しい構想や発想と向き合っている「人」がいる、ということである。

 古い考え方やものの見方の、ある部分を疑い、壊し、周囲の反対を受けつつも、新しい構想を実現していく人が、いるということである。
 学びつつ、壊し。壊しつつ、生み出す。そんな人がいる組織こそが、「革新的な老舗」になれるのかもしれない。

 チャールズ・ダーウィンの有名な言葉にこんなものがある。

 It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.

(最も強い種が生き残るのではない。まして、最も知的な種でもない。最も"変化に適応した種"だけが生き残ることができるのだ)

 世の中は、常に生成流転する。その流れにしたがって、組織も適応していかなければならない。でも、組織が「適応」といっても、そこに人格があるわけではない。結局、「適応」するのは「人」であり、「変わる」のも「人」である。

投稿者 jun : 2008年5月 6日 06:51


お花、ペンギン、子どもの日

 GW前半は、小生、仕事だったので、後半は家族で、毎日、遊びに出かけています。近場でね、近場で。

 お花を見に行ったり。

takuzo_hana.jpg

 ペンギンを見に行ったり。

takuzo_hana2.jpg

 毎日出かけていますね。僕とカミサンの性格上、「おうちで一日しんなり過ごすこと」ができないせいもあるのでしょう。とにかく動いていなければ気が済まない。朝出かけ、昼帰ってきてお昼寝をさせ、夕方また出かける、というペースです。結構忙しいね。

 今日は子どもの日。TAKUZOは、紋付き袴の衣装です。
 めでたいね。
 
montsukihakama.jpg

 ちなみに、家紋は「クマ」ですけど、何か?

monshou.jpg

 ---

追伸.
 話題の思想雑誌、東浩紀・北田暁大編「思想地図」(NHK出版)を読みました。紹介してくれたA君、ありがとう。社会構成主義に関する問題提起がなされていて興味深かったです。この話は長くなりそうなので、また。

 私たちがいわばアクチュアルに体験してきた1990年代以降の日本の思想空間、その全体的傾向をひとつのキーワードで括るなら、おそらく「社会構築主義」、もしくは「社会構成主義」というものになるのではないでしょうか。
(中略)
 こうした構成主義的な視座は、フーコーの言説分析や物語論などと合流しつつ、文学、哲学、歴史学、社会学など、様々な領域で、豊穣な成果を生み出すことになりました。しかし、同時にいくつかの隘路にはまりこむことにもなります(中略)
 そうしたジレンマを抱え込んだもっとも顕著な例が国民国家論です。それは一定の批判的意識をもちつつ、国民・国家という異質なものの同一性が近代の所産に過ぎないこと、歴史的に形成された物語・共同幻想であることを指摘します。しかし、その仮想的にひとつであったはずのナショナリストたちもまた、「すべてが物語であるのなら、よりよい物語をつくろう」という風に、構成主義的な見解を領有し、自らの物語制作、流布に努めてきました。
 (中略)
「構成された共同幻想」を議論の賭け金にしているという点において、国民国家の徹底的な脱構築をはかる人々も、構成主義的な見解を認めつつ「よりよい物語をつくろうとする」ナショナリストたちも同一平面上に位置しているといういえるでしょう。
(中略)
 もちろん、構成主義が凡庸化したから批判する、というのではありません。そうではなく、構成主義の成果をふまえつつも、その語り口が陥った隘路を確認することによって、議論が位置づく場を転態させ、現代社会において十分なアクチュアリティをもらう「国家論」、「ナショナリズム論」を展開していくということ。それが重要なのです。

(同書p09-10より引用 北田氏)

投稿者 jun : 2008年5月 5日 05:49


過酷なディレンママネージャ:酒井穣著「はじめての課長の教科書」を読んだ!

 話題の本、酒井穣著「はじめての課長の教科書」を読んだ。

 本書は、「日本の組織」に特有な「課長」というポジションで働く人が、どのように振る舞うべきかを、懇切丁寧に教えてくれる「教科書」である。

 著者が言うように、世界的に見ても、「ミドル」「課長」といったポジションは、非常に希有な存在である。そして、だからこそ、それを対象にした学術研究も多くない。さらに言うならば、彼らの学習モデルもほぼない。

ミドルの学習
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/04/post_1216.html

 本書は、ここを逆手にとって、「課長が何をなすことを期待されているか」を論じている。非常にオリジナリティの高い論点の設定だと思った。

 教科書といっても「説教臭さ」はない。どうも、このタイトルからは「長年、課長を経験した人のわたしの課長論」を思い浮かべてしまうけど、著者は僕と3歳上の方である。ビジネススクールをでて、現在は、オランダのベンチャー企業で役員をなさっているそうだ。

酒井さんのブログ
http://nedwlt.exblog.jp/

 本書では、課長に「課長が置かれている社会的地勢はどういうものかか」「社会的に期待されている役割は何か」を冷静に分析し、それを平易な言葉で解説している。

 僕の言葉でいうならば、課長とは、もっとも過酷な「ディレンママネージャー」である。

 すべての組織の矛盾は、彼のもとに集まる。それを時にはやり過ごし、時には解消しながら、様々な人々を巻き込み、つなぎ、切り離し、業務を達成する、という「高度な政治」を行使しなければならない。

 酒井氏は言う。

「裏工作は卑怯だ」「社内調整は時間の無駄だ」などと社内政治の存在そのものを攻撃するようなナイーブな考え方は退けてください。人間本来の営みとはきっても切れない政治への理解を深めることで、職務をより効率的に遂行する術を身につけましょう。
(p127より引用)

公式、非公式に多くの社内横断的なプロジェクトに献身的につながっていくことが、キーマンになるための一番確実な方法です
(p134より引用)

 本書のタイトルは「課長の教科書」であるが、僕はどうしても「課長の政治学」という側面から読んでしまった。

 組織を実質円滑に動かしているミドルが、どのような<政治>を行使しているか。あるいは、かつて自分が行った<政治>を、どのように語るか。大変興味深い研究テーマだな、と思った。

投稿者 jun : 2008年5月 4日 06:50


大学と教室

 現在、東京大学には、学部と大学院あわせて3万人弱の学生が学んでいます。

 ここで「問題」。

 机と椅子を自由に動かすことのできる、ワークショップやグループワークに適した、50名程度収容の教室が、東京大学本郷キャンパスにはいくつあると思いますか?
  ・
  ・
  ・
  ・
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  ・
「そんなもん、知らねーよ」、と便所スリッパで殴られそうですが、答えは「4教室」です。万の単位の学生がいて4教室(本郷だけなので3万ではありません)。

 この数字、僕も聞いたときは、耳を疑いました。キャンパスは広いんだから、「机と椅子が動く教室くらい、たくさんあるんじゃないの?」と。
 昨年、あるワークショップを学内で実施したいと思い、ある方に調べていただいたのですね。もちろん、半年前のデータですので、今はもっと増えていると思います。

 限られた時間でしたので、学内すべての教室を調べられたわけではありません。そのときは、いろいろ事務職員の方とかにも聞いてくださったそうですが、4つしか見つけられなかったそうです。参考程度の数字だと思って下さい。

 ちなみに、結局、去年のワークショップは、学外の施設で開催しました。予約で埋まっていたりしましたので・・・。

 ---

 共同学習に適した教室が、大学には以外と少ない。先ほどの数字が多いか、少ないかは判断のわかれるところですが、でも、おそらく確実なことが3つあります。

 ひとつめ。
「教室のデザインとは、それをデザインした人、デザインされた当時に趨勢だった教育観を、暗黙のうちに、反映しているものです」

 ふたつめ。
「教室のデザインとは、暗黙のうちに、教授スタイルを決定してしまう可能性があります」

 みっつめ。
「教室のデザインは、グループワークの成果に重大な影響を与える可能性があります」

 学問的にはいろいろ論じたいところですが、ここは時間がないのでやめます。
 でも、常識的に考えて、階段型教室で、グループワークをさせにくいですよね。やりにくいでしょ、コラボラティブな授業を。
 階段型教室だったとして、学ぶ側だったとしたら、そこで4人で議論したり、協同作業したりすることは難しいでしょう。何となく、学びにくい気がするでしょ。

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 大学では「知識の暗記」にとどまらず、「コミュニケーション力を獲得させろ」「問題解決能力を鍛えろ」とか、いろいろ言われているそうです。近頃の、「何にでも~力をつければいいと思っている風潮」もどうか、と思いますが、まぁ、おっしゃる意味はわかります。

 そして、もし仮にそうだとしたら、大学にはそうした「能力」を発揮できる「課題」と、それを可能にする「環境」がなくてはなりません。しかし、「大学の教室環境」は、そこまで追いついていないのが現状です。

 もちろん、これは「追加の教育投資なし」で可能になることではありません。ボルトで机をうちつけるだけの一斉授業型階段教室よりはコストがかかることが予想されます。
 これは以前にも言いましたが、日本は「教育にはあれこれ要求しますが、お金をかけない国です」。
 日本の教育への公財政支出は、年間国家予算の3.5%です。これは、OECD加盟国30ヵ国最下位(2003年)。高等教育に至っては、我が国の公財政支出割合はGDPの0.5%。米国は1.0%、イギリスは0.8%。OECD平均は1.0%。つまり「半額」です。

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 本心をいうと・・・僕は、大学は、もっとツンツンしていて欲しいと思います。あらゆる意味で、研究的にも、教育的にも、先端的であってほしい。「先端的」すぎて、「おっと、ベイビー、オイラの近くにくると、ケガするぜ」くらいがいい(笑)。

「社会から大学に寄せられるニーズ」に「大学の教室環境」が後追いするのではなく、「先端的な大学の教室環境」が「社会にシーズをつくりだす人」を育成できるような場でなくてはならないと思います。

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 今年、東京大学では福武ホールが完成しました。また、他にも、コラボラティブな授業を可能にする教室、部屋の設計の話もあるようです。少しずつですが、大学も変わっています。

投稿者 jun : 2008年5月 3日 06:50


Learning barのお知らせ

 そろそろ、5月のLearning bar「クリエィティブ人材は育成できるのか?:博報堂大学の挑戦」の抽選結果がメールで通知されるようです。

クリエィティブ人材は育成できるのか?:博報堂大学の挑戦
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/04/learning_bar_10.html

 今回は100名の募集のところ、おかげさまで3倍弱のご応募がありました。ご応募いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

 ご応募いただいた皆様には大変恐縮なのですが、

1)限られたスペースしかないこと(ビデオ中継も考えたのですが、Learning barの雰囲気を壊しかねないので、見送ることにしました)

2)限られたスタッフとリソースの中で運営しなければならないこと

3)事業会社、民間教育企業、コンサル、大学研究者、学生など参加者のバックグラウンドの多様性を確保するというLearning barの理念を守ること(枠ごとに抽選を行っています)

 などから、すべての方々のご要望にはお答えできませんでした。なにとぞお許しください。

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 さて、GW明けには、6月13日のLearning barの募集がはじまります。6月のLearning barでは、リクルートワークス研究所 「Works」編集長の高津尚志さんをお招きし、

 組織の価値観・理念をどのように「広める」のか?
 語り、対話、共体験:デンソースピリットを事例として

 というタイトル(仮称)で、デンソー株式会社における理念浸透の取り組みを、お話しいただけることになっています。

 なお、Learning barへのご参加は、下記のメルマガへのご登録をお願いします。メルマガにご登録いただけると、「申し込みフォーム」が送られてきます。

Learning bar
http://www.nakahara-lab.net/learningbar.html

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 ちなみに、8月のLearning barも、おかげさまで、日時・講師が決まりました。

 8月のLearning barは、8月22日(金曜日)午後5時30分から開催されます。講師は、野村総合研究所の永井恒男さんです(ご快諾いただき心より感謝いたします)。

 永井さんは、社内の企業内ベンチャー制度を活用し、野村総合研究所の新規事業としてイデリア(IDELEA)事業を起案、立上げなさった方です。

 ご講演内容は「経営者を対象としたエグゼクティヴコーチングと、それに基づいた組織開発(仮称)」についてになるようです。
 組織が変わるとき、経営者と現場をどのようにつなげばいいのでしょうか。また、経営者の現場のそれぞれの役割とは何なのでしょうか。そして、そのときの現場では、どのような組織学習が起こっているのでしょうか。

 こちらも、ぜひお楽しみにどうぞ。

投稿者 jun : 2008年5月 2日 07:00


【お願い】あなたの会社・組織で語り継がれている「伝説」「物語」を教えていただけませんか?

 今、僕は、産業能率大学の長岡健先生と一緒に、「物語と組織」に関する本をシコシコと書いています。

 全く別の領域で展開されているそれぞれの理論の要点を、「エイヤッ」と誤解を恐れず断言し(言い切る、あえて言い切る)、それぞれを何とか「つなぎあわせよう」としているのですね。少なくとも僕の章に関する限りそれが成功しているのか、どうなのかはわかりませんが、まぁ、何とか書いています。

 つーか、

 物語+組織 = GWは没収

 という感じですね。笑えません。
 「涙」がとめどもなく流れます(泣)。

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 ところで、ひとつ、そこで、いやー、皆さん。

 このブログをお読みの方で、会社・組織におつとめの方、お勤めだった方に、ひとつ、わたくしから「お願い」があるのです。

 ズバリ!

「あなたの会社・組織で、古くから社員のあいだで語り継がれている"伝説"や"ストーリー"を、こっそりと中原に教えていただけませんか?」

 たとえば、あなたの会社にはありませんか?

 ・こんな大物がいた!
 ・こんな大抜擢があった!
 ・ルールを破って、成功した!
 ・こんな困難を乗り越えて、今を築いた!

 たいてい、そうした"伝説"や"ストーリー"は、その企業らしさ、組織らしさを伝えているものです。
 また、そうしたストーリーが教育機能を果たしている場合も少なくありません。つまり、ヒドゥンカリキュラム(隠された教育機能)として、「やってよいこと」「やってはいけないこと」を伝えているということです。
 また、実は仕事のやり方やノウハウといったものも、そうしたストーリーで伝えられている場合はありませんでしょうか。先輩から、上司から、折に触れ、そのようなストーリーをお聞きになったことはありませんか?

 もし教えていただいた場合、申し訳ないのですが、特に謝礼等はできません(ごめんなさい)。
 ただ、今回の本の趣旨にあう場合には、本の中でご紹介させていただく場合がございます。また、このブログやプレゼンでも紹介させていただく可能性もございます。

 もちろん、その場合には、会社の名前が一切わからないようにします。また、教えていただいた方の名前がでることは一切ありません。こちらは信頼していただけると思います。

 お忙しいところ恐縮ですが、もしよろしければ下記までメールをいただけると大変助かります。GW返上で執筆にいそしむわたしたちにどうか温かい手を。お代官様ー、おねげぇしますだ、ゲホゲホ。

 ご連絡先は jun あっとまーくnakahara-lab.netでーす。どうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 jun : 2008年5月 1日 20:36


すぐに仕事はさせません:菊池恭二著「宮大工の人育て」を読んだ!

 以前、僕は、宮大工棟梁の小川三夫さんと、あるシンポジウムの基調講演で一緒になったことがあります。

 その時、小川さんは「宮大工の世界では、一年かけて弟子の素質を見極める」という話をなさっていました。

 宮大工の世界では、すぐには仕事はさせない。親方や先輩の「食事の用意」をすることと、「掃除をすること」に、まずは従事させる。これは別に「いじめ」でやっているわけではなく、そこには理由がある。

「食事の準備」には「思いやり」「段取り力」というのが、如実にでてしまう。「掃除」をさせれば、その人の「丁寧さ」がわかる。そして「思いやり」「段取り」「丁寧さ」というものは、大工にとってとっても重要なことである。

 だから、一年かけて、弟子に足りている部分と、足りてない部分を十分見極めた上で、少しずつ本格的な仕事に従事させる、という話でした。深いなぁ、と思って感銘を受けたことを覚えています。

「一生を、木と過ごす」小川三夫さん
http://www.1101.com/education_ogawa/index.html

 というわけで、それ以来、小川さんの本だけでなく、宮大工について書かれている本を、本屋で見つけるたびに買ってしまいます。そうした本を通して、いわゆる「徒弟制の世界がどのようなものであるか」について、いろいろ知ることができるので。

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 宮大工棟梁・菊池恭二さんが書かれた「宮大工の人育て」を読みました。菊池さんも、小川さんと同じように、法隆寺の西岡棟梁のもとで働いた経験をもつ方だそうです。

 菊池さんも言います。

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「大工に弟子入りすれば、誰だって、はやくかんな削りなどをしたいと思います。ですが、実際問題、弟子入りしたばかりの見習いに大工仕事はできませんから、やることといったら、まずは掃き掃除や片付けなどの雑用です。

(中略)

しかし、弟子にとっては、これも大事な仕事のひとつです。掃除や片付けなどの整理整頓は、物作りの現場の「品質管理」や「安全管理」をはかる上で、とても重要なことなのです

(中略)

もうひとつ、弟子入りしたばかりの新入りにとって大事な仕事は、棟梁や先輩大工の手伝いです。「おい、そこの材木、こっちさもってこい」ときあ、「その道具、あっちさ持って行け」とか、棟梁や先輩大工の指図で動くわけです。いわゆる「手元」「手子」とよばれる補助的な役回りです。

これは大工仕事に必要な段取りや、材木や部材、道具類などの名前や用途、使い方などの大枠を覚えるのに、欠かせない作業です」

(同書p23より引用)

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 オモシロイですね。
 徒弟制といったら、学習研究者はすぐに「リベリアの仕立屋」を思い浮かべますね。いわゆる「正統的周辺参加論」で、人類学者のジーン・レイブらが観察したのが、そこだから。それが「状況に埋め込まれた学習」という本になって、それが広く読まれているから。

 でも、別にリベリアじゃなくても、徒弟制はあります。いろいろな職種で、それはまだ生きている。

 いろいろな職業の「徒弟的プロセス」を観察し、比較するというのもオモシロそうですね。共通点があるかもしれないし、ないかもしれない。業界によっては、それがもう崩壊しているところもあるかもしれないし、今も連綿と続いているものもあるかもしれない。

 とても、オモシロイですね。
 そういう視点で、いろいろな職種をのぞいていくと、いろんな発見があるかもね。

 あと、もうひとつとても興味を引かれたのが下記の記述です。

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 そもそも大工は、「この木が45度の角度でこう上がってきたら、この過度でこっちの木とこうやって出会って、こういう風に組み合わさる」というのが、正確にイメージできなければ、仕事になりません。パソコン上の三次元の立体モデルのように、頭の中で図面を立体像として描けないと、一人前の大工にはなれないのです

(中略)

 三次元の立体モデルを頭の中で描くと言うことは、図面を見ただけで、「水平、垂直、奥行き」の3次元の点と点を正確に結べるようになるということです。

(同書 p123より引用)

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 こういう立体知覚の能力も、いったいどのように獲得されるのでしょうね。本当に興味深い。

 「仕事と学習」の世界は、わからないことだらけですね。
 研究のネタなんて、ゴロゴロと転がっている。

投稿者 jun : 2008年5月 1日 14:58


パネルディスカッション

 いわゆる「パネルディスカッション」を聞いていて、オモシロイと思ったことが、僕にはほとんどない。

「偉そうに、何様だ、コラ!」と便所スリッパでぶったたかれそうだけど、本当にすみません。でも、学生である時分から、パネルディスカッションを聞くたびに、「つまんないなー、話かみあってないじゃん」といつも思っていた(そんなこともあり、ほとんどパネルディスカッションには行かないので、実は、あまり経験がないのですけれど)。
 ご登壇する個々の方々の話に感銘を受けたことは何度もある。しかし、「パネル全体」としては、聴衆として聞いていて、オモシロイと思ったことはほとんどない。

 それから十数年・・・僕も及ばずながら、パネルディスカッションに、論者として登壇する立場になった。
 オーディエンスの方々は、今、何を考えていらっしゃるのだろうか、どのような感想をお持ちなのだろうか。本当にめんぼくない。登壇するたび、いつもオドオドした思いにかられてしまうことを、正直に告白する。

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 Wikipediaによると、パネルディスカッションとは、「一つのテーマを掲げ、様々な意見・立場の論者を複数集め、公開で討議を行うこと」を言うらしい。1990年代頃から盛んに行われるようになったとのことである。

 パネルディスカッションがオモシロくならない理由には、いくつかの理由が存在する。思うに、下記の5つだ。

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1.一つのテーマがそもそも設定されておらず、ゆえに、焦点化された議論が行えない。よって、しまいには何を討議しているのだかわからなくなってしまう。テーマの設定に無理がある場合も多い。

2.聞いただけで違いのわかるような立場の違った論者が集められていない。あるいは、論者の立場の違いや意見の違いがわかりにくい。故に、何が論点なのかが明瞭ではなくなってしまう。

3.とにかく、論者のあいだで、事前の打ち合わせが全くなく、議論がどのように展開し、どの方向に持っていける可能性があるのか、コンセンサスがない。

4.司会のムチャブリ。「そんな話題を、公衆の面前で振られても、答えられるわけないでしょ」と思わず「ちゃぶ台」をひっくり返したくなるような話題の振られ方をして、結局、「うーん、難しいですね」と答える他はなくなる。

5.司会者の時間の読みが甘い。時間切れになり、尻切れトンボで終わる。

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 一言で言ってしまえば、パネルディスカッションがオモシロクないのは「準備不足」であると、僕は思う。別の言い方をするならば、パネルディスカッションはK-1ではなく、プロレスである(笑)。それには、本来、事前の準備、打ち合わせが欠かせない。

 しかし、だいたい、パネルディスカッションの打ち合わせは、事前に全くなされないことの方が多い。ステージ上でパネラー同士がはじめて逢うといったことの方が多いくらいである。

 こんなことを言うと、

「えー、パネルに事前の準備が必要なの? 出たとこ勝負だからこそ、オモシロイんじゃん・・・インプロヴィゼーションだよ、インプロヴィゼーション!」

 という意見が、聞こえてきそうだ。

 たしかにそう、そのとおりです。ただし、それには条件がある。それは登壇者と司会者に、「よほどの力量」があれば、の話である。インプロヴィゼーションできるなら、それでもいいんじゃないでしょうか。
 「力量」とは「それぞれの領域に関する知識がある」という意味ではない。問われるのは、それを「オーディエンスに伝える能力」である。

 もちろん、登壇者が「限られた時間に、ひとつのテーマについて、様々な視点から、オーディエンスにもわかるかたちで、オモシロイ議論をみせることができる人」から構成されているならば、「出たとこ勝負」でもいい。

 しかし、想像すればすぐわかるように、それは本当に「神業」だと思う。少なくとも、僕のような「ぺーぺー」は絶対にできない芸当だ。「出たとこ勝負だったら、あとにぺんぺん草もはえないような、しょーもない話をしてしまう」のが関のヤマである。

 ちなみに、イベントの主催者側からすると、パネルディスカッションとは、気楽で安易な企画である。このことは、あなたが、パネルディスカッションの登壇依頼をする立場になったとして、考えてみればわかりやすい。

 たとえば、講演を依頼するのだったら、相手にパワポの準備もしてもらわなければならないし、時間も持たせてもらわなければならない。
 しかし、もしパネルへの登壇だったら、相手にそうした負担はかけないだろうと考える。講演を依頼するときに比べて、パネルの方が、気が楽にならないだろうか。

「今回ご依頼したいのは、パネルディスカッションなんです。いやいや、準備はいりません。センセイのふだん思っていらっしゃることを、ドカーンと、バコーンと会場の皆さんに聞かせてやってください。

なーに、行き当たりばったり、何が結論になるかわからない方が、会場の皆さんも楽しいですから。

えっ、他に誰が登壇するかって? いやー、実はまだ決まってないんですよね。でも、誰が登壇したっていいんです。センセイは好きなことをカキーンと喋っていただければ」

 もちろん、主催者に言われたことを信じて、登壇者は、当日を迎える。
 かくして、パネルディスカッションは、「出たとこ勝負」の「新春大放談」になるか、議論の空中戦ならぬ、「主張の宇宙戦」になってしまうのである。

 オーディエンスだけが、ひとり残される。

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 僕の認識に関する限り、「オープンな議論を、オーディエンスにわかるかたちで、かつ面白がってもらえるような演出で行うこと」の方が、いわゆる「講演を行うこと」よりも100倍難しい。
 しかし、通常の「認識」は逆である。ゆえに、パネルディスカッションは準備がなされない。だから、なかなかオモシロクならない。

 冒頭で言ったように、僕は「パネルディスカッション」を聞いていて、オモシロイと思ったことほとんどがない。個々の登壇者の話に感銘を受けたことはある。でも、全体としてオモシロイなぁ、と思ったことはほとんどない。他の人はどうかわからぬが、僕はそうである。

 それは、多くの場合、パネルディスカッションに登壇している人が提示する「話題」が悪いというわけではない。単純にパネルディスカッションを行う準備や工夫が足りてない、と思うのだが、どうだろうか。

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 ちなみに、僕自身は、パネルディスカッションとは違ったやり方で、何とか「オープンな議論を公開の場で見せることができないか」と考えている。
 ワークプレイスラーニング2008やASTD Japanの立ち上げのシンポのときのように、ケータイでレスアナをやったり、途中にオーディエンスの議論をはさんだり、やり方に微妙な工夫を加えている。

 もちろん、そのやり方がベストだとは思っていない。まだまだ改善の余地もある。すでに、いくつかの不満は耳にしている。しかし、「準備や工夫なしでは、オープンな議論は、わかりやすく、オモシロイものにはならない」ということだけは肝に銘じている。

 月並みなようだが、事前の準備が大切である。

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(本心を言うと、1時間近くの長時間にわたって、他人の議論を一方向的に聞く、というパネルディスカッションという形式に、そもそも無理があるのではないかと僕は思っている。議論は聞くものではなく、参加してこそおもしろい。本当のことをいうと、人は、他人の話を聞くだけでは満足しない。自分が話したい。あるいは他人と話したいのである)

投稿者 jun : 2008年5月 1日 00:21