TAKUZOが日に日に「鉄」になっていく。

「鉄」とは何か?

 一言でいうと、「鉄道ファン」のことである。Wikipediaで調べてみると、「鉄ちゃん」「鉄キチ」など、様々な呼称があるようだ。その中でも、「鉄」は中立的名称として広く使用されているらしい。「乗り鉄」「撮り鉄」「録り鉄」「葬式鉄」という多くの派生語がある。

 ・・・話がそれた。

 問題は、日に日にTAKUZOが鉄道ファンになっていることにある。

 お買い物にいけば、プラレールの展示の前から離れない。

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 後ろから見てみると、他の子どもと比べて、明らかにひとり「低年齢」であることがわかる。明らかに一人だけ背が小さい。

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 家では、朝から晩までプラレールである。
 おかげで「我が家のリビング」は、朝から晩まで「線路」が張り巡らされている。時々、暴走した新幹線が飛び出してくるので、おちおちとテレビも見られない。

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 週末ともなれば・・・朝っぱら早くから(6時あたり)、新幹線を見に行くぞ、とせがまれる。入場券を買ってホームにいき、10本ほど「新幹線」が通り過ぎるのを見る。

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 先日、「撮り鉄」を自称なさっているK大学のM先生に、この話をしたら、「ほほー、それは将来有望やなー」と言われた。3歳から4歳でプラレールを卒業して、Nゲージに移行できれば、間違いなく「鉄」になれるそうだ。
   ・
   ・
   ・ 
 やれやれ。

 いつまで続くのかしらないけれど、元気であれば、何でもいい。ただし、どうせやるなら「道」を極めてほしいと思う。

投稿者 jun : 2008年3月31日 07:40


鼻水

 プラレール(鉄道のおもちゃ)で遊び疲れたTAKUZOが、僕の「膝」のところに寄ってきて、甘えている。一人で遊び疲れたのか、それとも、一緒に遊んで欲しいのか。
 そうか、そうか、パパと一緒に遊んで欲しいのか。そんなに甘えるなよ、ホントウに可愛らしい奴め、よしよし。

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 と、思いきや・・・
 
 

 
 
 
 
 よくよく自分の「膝」を見てみると・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ズボンには、べっとりとTAKUZOの「鼻水」がついている。

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「申し訳ない!、甘えてるんじゃなくて、ハナかみたかっただけやねん、チーン」
 
 
 
 
  
 しばいたろか(怒)。

投稿者 jun : 2008年3月31日 00:01


わかりやすい文章

 執筆のための「読書」を継続。あともう少しで、課題であった論文をすべて読み終わる。ふうっ。
 
 それにしても、専門家の文章というのは、どうして、こうも読みにくいのだろうと思う(もしかしたら、僕の文章も悪文かもしれません・・・すみません)。特に、偉大なる思想家たちの言葉を引用しつつ、<論じている!?>文章がツライ(偉大なる思想家達の文章は読みにくくない)。
 それらの文章は、難しいことを、難しいまま伝えるから、読みにくいのではない。読みにくいのは、難しいことを「より難しくしているから」である。

 最初に提示した「問題」が、ぐちゃぐちゃした論理展開のすえ、新しい「問題」にすりかわり、それが「結論」になって終わる、という感じだろうか。あれ、おかしいな、読む前より、「問題」がひとつ増えている(怒)。

 あと、もうひとつ腹立たしいのは、「これって、ほら、みんな当然知っていると思うけど、あの例の問題と似てると思わない?、ほら、例のあの話」みたいな表現が多いこと。知らねーよ、そんなもん(怒)。

 正直言って、全くシンパシーがわかない。
 僕は、シンプルなものを書きたい、と願う。
 僕にできるかどうかはわからないけど、心から願う。

投稿者 jun : 2008年3月30日 17:52


忙しい週末

 朝っぱらから、TAKUZOを連れて新幹線を見に行く。TAKUZO、日に日に「テッチャン化」している。この話題は、また今度、ゆっくり。

 昼からは、BEATの成果報告会。なりきりEnglish!と英語deキャリアアップの成果を発表。関係者の皆様、本当にお疲れさまでした。

BEAT成果報告会
http://www.beatiii.jp/index.php

 帰り際、福武ホールでCAMPの北川さんにお逢いする。下記のようなイベントをなさるそう。残念なことに、僕は明日は伺えないけれど、面白そうだな、と思った。

ワークショップ知財に関する研究会
http://www.wschizai.jp/symposium02.htm

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年3月29日 16:40


改革とプラン

「改革」に対する態度は、おおよそ、二つにわかれます。

 ひとつめ。「改革」の前には、「データ」に基づいた、しっかりとした「プラン」を策定し、確実な「完成予想図」がたったあとで、実際の改革に着手するべきだとする「プラン主義者」。学問的にいうと、自分の学問を「政策科学」として立ち上げようとする場合に、こうした立場にたつことが多いです。

 ふたつめ。「改革」を行うに際しては、「明確なプラン」は必要とせず、今求められていること、そして自分たちにできるところから場当たり的に着手するべきである、とする「非プラン主義者」。自分の学問を「実践の学問」として定義する人たちのあいだに、こうした立場の人は多く見受けられます。

 プラン主義者は、非プラン主義者を非難します。

「改革を行うことがすべての所与になっており、改革について考え、しっかりとプランをたてる機会がない」

 非プラン主義者は、プラン主義者をこう批判します。

「データに基づいて慎重に言えることは、重箱の隅をつつくような本当にとるに足らないことである。そこで得られる結論は、改革とは言えないようなアタリマエのことだ。改革のプランや完成予想図がキチンと策定できることは、現実にはありえない。今できることから物事に対処していく他はない」

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 この問題を考えるにあたっては、認知人類学者ルーシー・サッチマンの「プランと状況的行為」が参考になります。

 サッチマンで明らかにしたように、プランとは、どんなに周到に準備していても、それがそのまま実行されるわけではありません。

 人間は、プランを実行する際の状況にアドホックに対応しながら、振る舞いを決定します。この意味で、「プランが絶対であり、プランさえあれば見通しがたつはずだ」とするプラン主義者の見方は、やや早計であると言わざるをえません。

 しかし、「人間の振るまい」がいくらアドホックな要因で決定されるといっても、全くの「方向性」なしで、それを物事を成し遂げることはできません。プランとは、我々がアドホックに対応する際に参照し、判断の根拠となる資源のひとつ、であるとも言えるのです。

 というわけで、結論は一言でいうと

 「そりゃ、まー、やりながら考え、考えながらやるしかないね」

 です。

 「"見通し"を少しは持ちつつ、行き当たりばったり、そのつど見通しを修正しつつも、何とかかんとかたどり着く」これが、うまくいく改革の実態ではないでしょうか。

 この結論に、「なんじゃそら」、とズッコけた人もいるかもしれません。クドクドとしょーもないことを言うんじゃない、と。でもね、それがホントウなんだから、仕方がありません、申し訳ないけど。

 というわけで、僕は「プラン主義者」の考え方にも、「非プラン主義者」にも与しません。もちろん、その間の論争にも介入しません。彼らの考え方は、僕に目には、どちらもナイーブに見えてしまうのです。

 だいたい、世の中で「最も大切なこと」は、どちらかに「断言」できることではありません。

投稿者 jun : 2008年3月28日 09:18


中原ゼミ2008:新学期開始までカウントダウン!

 大学院・中原ゼミ2008の前期は、下記の文献を読みます。コンセプトは、「build your strength on the basics」。「基礎の上に己の強みを築け」です。
 中原研究室の学生の多くが関与する研究分野の「超・基礎基本文献」を読みつつ、研究方法論を習得することをめざします。

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■転移研究

Gick, M. L., and Holyoak, K. J. (1980). Analogical problem solving. Cognitive Psychology, 12, 306-355.

Bassok, M., and Holyoak, K. J. (1989). Interdomain transfer between isomorphic topics in algebra and physics. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 15, 153-166.

Bransford, J. D., and Schwartz, D. L. (1999). Rethinking Transfer: A Simple Proposal with Multiple Implications. Review of Research in Education, 24, 61-100.

Barnett, S. M., and Ceci, S. J. (2002). When and Where Do We Apply What We Learn? A Taxonomy for Far Transfer. Psychological Bulletin, 128(4), 612-637.
 
 
■熟達化研究
Chase, W. G., and Simon, H. A. (1973). Perception in chess. Cognitive Psychology, 4(1), 55-81.

Chi, M. T. H., Feltovich, P. J., and Glaser, R. (1981). Categorization and Representation of Physics Problems by Experts and Novices. Cognitive Science, 5, 121-152.

Ericsson, K. A., Krampe, R. T., and Clemens, T. (1993). The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance. Psychological Review, 100(3), 363-406.

Hatano, G. and Inagaki, K. (1984). Two Courses of Expertise. Research and Clinical Center for Child Development Annual Report, 6, 27-36.
 
 
■協調学習研究
Miyake, N. (1986). Constructive interaction and the iterative process of understanding. Cognitive Science, 10, 151-177.

Roschelle, J. (1992). Learning by collaborating: Convergent conceptual change. The Journal of Learning Sciences, 2(3), 235-276.

Hutchins, E. (1995) How a cockpit remembers its speed. Cognitive Science 19: 265-288.

Scardamalia, M., & Bereiter, C. (1994). Computer support for knowledge-building communities. Journal of the Learning Sciences, 3(3), 265-283.
 
 
■組織文化と学習

Ed.Young(1989)On the Naming of the Rose: Interests and Multiple Meanings as Elements of Organizational Culture. Organization Studies10(2):187-206.

Gillespie, Denison, Haaland, Smerek, Neale(2008)Linking organizational culture and customer satisfaction:Results from two companies in different industries. European Journal of Work and Organizational Psychology.17(1):112-132.
 
 
■批判的学習
Ennis, R. H. (1987). A taxonomy of critical thinking dispositions and abilities. In J. B. Baron & R. J. Sternberg (Ed.), Teaching thinking skills: Theory and practice (pp.9-26). New York: W. H. Freeman.

Quellmalz, E. S. (1987). "Developing Reasoning Skills." In J. R. Baron & R. J. Sternberg (Eds.), Teaching Thinking Skills: Theory and Practice. New York: Freedman Press.

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 文献の選定は、三宅君、舘野君、荒木先生が、各領域を担当してくれました。お疲れ様でした&ありがとうございました。学習科学関連の研究論文に関しては、僕もかつて読みましたが、今回ふたたび読むのは楽しみであったりします。また新たな発見があるかもしれない、と。

 ゼミ開始は4月8日です。ゼミメンバーは各自、所定のWebサイトから電子ファイルをダウンロードして、各文献に目を通し始めてください。読んでないと議論に参加できません。

 The Nakahara Semi of 2008のはじまり、はじまり。

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追伸.
 今日は京都大学で重田先生と一緒に講演をします。これから新幹線で京都に向かいます。11時からの講演ですが、用事があるので、終了後にはすぐに東京に戻らなくてはなりません。在京時間は2時間でしょう(泣)。

投稿者 jun : 2008年3月27日 06:00


福武ホール

 今日は、本郷キャンパスの赤門横に建設された、情報学環・福武ホールの記念式典が開催される。
 寄附者である福武總一郎氏(ベネッセコーポレーション会長)のほか、建築家の安藤忠雄氏、東京大学歴代の総長、役員が参加するそうだ。山内さんが、待ちに待った日であろう。本当にお疲れ様でした。

情報学環・福武ホール
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/

福武ホールのプレスリリース
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_171212_j.html

毎日.JPの記事「東大:最先端の教育施設完成 安藤忠雄さんが講演、「安田講堂を超えてほしい」
http://mainichi.jp/life/edu/news/20080326mog00m100051000c.html

東大:学内でカフェをプロデュース「UTCafe」17日オープン
http://mainichi.jp/life/edu/news/20080313mog00m100023000c.html

投稿者 jun : 2008年3月26日 10:37


スモーキーな女性?

「スモーキーな女性ジャズシンガー」が好きである。

 もちろん、「ヤニ臭いジャズ好きの女」というわけではない。艶やかで、のびのある、ハスキーボイスをもった女性シンガーが好みだ、ということである。

 我が家の「暴れん坊将軍」TAKUZOを寝かしつけたあと(昨夜からふたたび発熱中・・・泣・・・)、シングルモルトをちびちびとやりながら、本を読みつつ、CDを聞くのが、僕の楽しみだ。

 まず1枚目は、ヘレン・メリル。「ニューヨークのため息」と言われた女性ジャズボーカリスト。

「You'd be so nice to come home to」「枯葉」「イパネマの娘 」など、スタンダードナンバーのアレンジが素晴らしい。

You'd be so nice to come home toはこちらで聴けます!
http://www.amazon.co.jp/gp/music/clipserve/B0000046ND001002/1/ref=mu_sam_ra001_002

 お次は、最近、ある人に教えてもらったペギー・リー。「ブラック・コーヒー」が渋い。

 シメはホリー・コールである。

「シェルブールの雨傘」「シャレード」がいい。でも、最もゾクゾクときたのは「The house is haunted by the echo of your last goodbye」。

The house is haunted by the echo of your last goodbyeはこちらで聴けます
http://www.hollycole.com/

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 ここらあたりまで聴いたところで、少し酔いが回ってくる。酔いのせいか、自宅であるにもかかわらず、バーで飲んでいるような気持ちになる。

 明日も早い。
 はよ、寝よ。

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追伸.
 午前中年休をとって、昨夜発熱したTAKUZOと過ごす。

 午後9時30分、TAKUZO起床。昨日の夜はうなっていたので、寝不足なんだろう。

 朝食は、サンドイッチ。4枚を食べる。食い過ぎ、食欲良好。正常ウ●コ×2。TAKUZO、いつものように、ワサワサ、ガサガサと遊んでいる。

 熱は37度後半。午後10時、おやつを食べる。

 発熱した子どもを看病してもっともツライのは、子どもを見ながら、家事をしなければならないことにある。茶碗洗いをすると泣かれ、ゴミを集めていると泣かれる。そのたびに、「わかったつーの、ちょっとまてー」と言いながら、キッチンとリビングを行き来する。

 合間を見て、仕事。僕がこうしている間にも、「世の中は動いている」。たまにTAKUZOが僕の椅子のあたりにやってくる。TAKUZOを膝の上にのっけながら、メールを書く。

 子どもを世話していて思うこと2つ。

 ひとつめ。どんなに子育てが大変でも、ウ●コをもらされても、TAKUZOは愛らしいということ。
 ふたつめ。僕もこうやって親に手をかけて大きくなったのかな、ということ。親の苦労を実感します。

 午後、カミサンとタッチ交代して、僕は大学へ。万が一、明日も都合が悪くなったときのことを考え、仕事に必要な書籍を持って帰ってこようと思う。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年3月25日 09:03


やんちゃになりかけてるTAKUZO

 最近、TAKUZOは「やんちゃ」になってきています。「病み上がりモード」から、ようやく復活してきました(今日も通院だけど)。

 週末は、僕もカミサンも珍しくすべて空いていたので、TAKUZOといろんなところに出かけました。

 まず、二子玉のピアレッテ。ボーネルンドの遊具施設があります。ワサワサ、ワサワサと遊びました。トランポリンとかでね。パパもジャンプ、ジャンプ。さわぎすぎて腰が痛い。

ピアレッテ
http://www.pierette.jp/

takuzo_pialette.jpg

 笑えたのが「ナンパ」です。
 TAKUZOの最近のマイブームに、「どうぞ」と言いながら、手にもっている「モノ」を他人に渡す、というのがあるのですが、これを使って、女の子に声をかけていた。

takuzo_pialette2.jpg

 しかし、結果は・・・・
    ・
    ・
    ・
    ・
    ・
 惨敗! どの娘も、TAKUZOの「ボール」を受け取ってくれず・・・。でも、TAKUZOは諦めません。誰かが、「よだれつきのボール」を受け取ってくれるまで、「どうぞ」と手を出し続ける。

 TAKUZO、男はつらいなぁ。
 でも、絶対めげるなよ。

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 後楽園の「おもちゃ王国」にも行きました。休みの日は混むので、朝っぱら9時30分の開場とともに入国。

おもちゃ王国
http://www.tokyo-dome.co.jp/omocha/

 まずはお約束のプラレールです。といっても、線路をつくるのは「僕」の役目です。破壊するのがTAKUZO(泣)。

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 最近は木琴もたたけるようになってきました。

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 シメは、近くのショッピングモールで、車です。
 TAKUZOは車好きです。

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 そんなわけで、あっという間の週末。
 今週はハードだよ。

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追伸.
 今までチャレンジしたことのない領域の文章を、文献を読みながら、調べつつ、書いている。ハッキリ言って、吐きそう、脳みそバーンである。経験のない領域のテクストを書くことが、こんなにツライものだとは。
「かつて自分も味わったはずなのに、経験をへるうちに、すっかり忘れかけていた感覚」を思い起こした。はじめてまとまった論文を書く大学院生の気持ちがわかった。

投稿者 jun : 2008年3月24日 07:23


事例検討会の難しさ

 教育の世界では、よく「事例検討会」という会が開催される。「事例検討会」では一般に「ある教育現場での実践事例をもとに参加者でディスカッションを深める」といったことが、よく行われる。

 その場合、もっとも悩ましいのは「誰の目から見ても素晴らしい、斬新で刺激のあるベストな事例」を「事例」として選ぶのか、それとも「コンセプトは凡庸だが、参加者にとっては親近感の感じやすい、だけれども、あまり知的興奮を感じることは少ないベターな事例」を選ぶのか、である。

 どちらを選んだとしても、参加者からは「不満」がでる。参加者は気づいていないかもしれないけれど、運営者の立場からすると、この「不満」には共通点がある。

 前者の「ベストな事例」を選んだ場合には、「あまりにも先端的過ぎて、うちの組織でできる気がしない」「あれは、○○の組織だからできたんだ」という感想が述べられる。

 後者の「ベターな事例」を選んだ場合には、「コンセプトがアタリマエすぎて、何を学んでいいかわからない」「事例検討会では、シャバの悩み事ではなく、もっと知的興奮を得られる話を聞きたい」という感想がでてくる。

 どんなにうまくファシリテーションを行っても、これらの不満はいつも共通している。言い換えれば、それは「ないものねだり」に近い。

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 こういう事実を前に、運営者はどのような「心づもり」をもつべきか。

 まず「事例検討会」とは、どんな事例を選んだとしても、程度の差こそはあれ、「参加者に不満が残る」という事実を認めなければならない。

 そしてこうした「不満」に過剰に敏感になるよりも大切なことは、「どんな事例であっても、しっかりと参加者にリフレクションさせる時間を確保して、より一般的な持論や定石づくりを行ってもらうこと」である。

 事例検討会でありがちなのは、「事例を聞くこと」に時間をかけすぎてしまい、その後のディスカッションや、参加者のリフレクションには、あまり時間をかけないことである。これを「這い回る事例主義」と、僕は呼ぶ。

 教育とは、いつも個別・具体的である。
 個別・具体的な事例を、「いい話聞かせてもらったわー」で済ませてはいけない。
 だいたい -- 本当のことをいうと嫌われるけど、敢えて言っちゃうけど -- 「あまりにも先端的過ぎて、うちの組織でできる気がしない」「コンセプトがアタリマエすぎて、何を学んでいいかわからない」という「不満」は、事例をもとにキチンとリフレクションした人の口からは絶対に出てこない言葉である。
 どんなにワンダホーな事例であっても、はたまたトリヴィアルな事例であっても、内省するポイントは存在し、学ぶべきことはある。

 そこから何を持ちかえりうるのか、事例検討会の成否は、そこにある。

投稿者 jun : 2008年3月23日 07:54


研究時間

 一日に大学で、自分一人の研究時間を、どのくらい確保できますか?

 この質問に、多くの大学教員は何と答えるだろうか。30分? 1時間、それとも3時間? まさか8時間?

 僕個人で言えば、恥ずかしながら、最近は1時間未満だと思う。その他の時間は何をしているか。決してプラプラと遊んでいるわけではない。

 会議、面談、論文指導、会議、面談、論文指導。共同研究の打ち合わせ、インタビュー・・・などなど。息つく暇はない。昨日もそうだったけど、朝6時に大学にきても、ホッとしたときには、午後6時をまわっている。

 しかし、この状態は、実は就職してからあまり変わっていない。ただ、当時は子どもはいなかったし、カミサンは仕事から帰ってくるのが遅かったので、自宅で研究をすることができた。今は、そうはいかない。状況は変わる。

 それにしても、このところ強く思う。
 何とかして、じっくり腰を落ちつけて文献を読んだり、分析をしたり、書き物を時間を確保しなくてはならない。

 こう思うようになったのは、最近、ある本の執筆に取り組んでいるせいもあるかもしれない。調べては書き、書いては調べる。かなりの苦戦を強いられている。1時間でも、2時間でもいい。まとまった時間で文献を読み込んで、まとめる時間が欲しい。

「忙しいから研究できない」「研究したいけど時間がなくてできない」とは、「本当に研究したい人」が口にする言葉ではない。本当に心の底から研究したいのであれば、あらゆる手を使って、何としても「ひとりで考える時間」を確保する。人間は、本当にやりたいことは、やるものである。

 何としても、何とかする。
 オレはやる。

投稿者 jun : 2008年3月22日 07:58


多国籍の英語なんてわからないよ!

 英語deキャリアアップの配信も、第8回目になりました。

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英語deキャリアアップWebサイト・Webサイトでも視聴可能
http://www.eigodecareerup.com/

 今週は「多国籍の人々が参加するテレカンファレンス」です。SORA社のプロジェクトも順調に進み始め、いよいよインド、イギリス、日本をつないでテレカンファレンスが行われることになったのですね。
 この回、個人的には最も思い入れが強く、かつ、僕がもっとも苦手とするタスクですね。電話はイヤだねー、苦手だよ。

第8回 多国籍の英語なんてわからないよ
https://blog.benesse.ne.jp/berd/blog/eigodecareerup/2008/03/post_21.html

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 今週の教材のポイントは2つだと思います。

 第一に、テレカンファレンスは、一定の文法に従って行われるということ。
 教材を聞いていただけるとおわかりになるかと思いますが、まずテレカンでは、「ちゃんと声が聞こえているか」の確認をします。そして次に「誰がいるかを確認」する。さらには、ローカルタイムとアジェンダの確認し、「各人の進捗状況報告」に入っていく場合が多いです。
 こうしたことをひとつひとつやっていかないと、「声だけのコミュニケーション」の場合、思わぬ混乱を招く可能性があります。

 第二に、「人生いろいろ、英語もいろいろ」ということです。今週の教材では、掟破りの「インド英語」がでてきます。
「掟破り」と書いたのは理由があります。英語教育の世界では、リスニング教材で、ノンネィティブの英語がでてくることは、タブーとされているそうです。今まで何人もの専門家に、これを指摘されました。

「そんな英語をリスニングさせていいんですか?」

 英語deキャリアアップでは、「IT業界に働く人々にとってのリアリティやコンテストを最重視しています」ので、そういう英語も、敢えて出していきます。それが我々の開発コンセプトです。

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 ともかく、ぜひ、一度お聞きいただけると嬉しいです。

eigo_itunes.JPG

英語deキャリアアップWebサイト・Webサイトでも視聴可能
http://www.eigodecareerup.com/

投稿者 jun : 2008年3月21日 09:21


インタラクションの価値

「生身のインタラクション」に関する教育的価値は、日に日に高まっているように思う。

「学習者同士が膝をつきあわせるインタラクション」「教師と学習者の真剣勝負のインタラクション」・・・

 一方向の講義による情報伝達であればポッドキャストやWebストリーミングに「代替」される世の中であるからこそ、「生身のインタラクションの価値」が高まる。

 だとすれば、次に求められるのは、「いかに、生身のインタラクションを活性化させ、整理を行い、新しい価値を生み出すことを支援できるか」である。

 インタラクションのファシリテーションとコーディネーションに関する価値も、やはり日に日に高まっていくと思う。これらは、次の時代、教育に携わる人々のキーコンピテンシーになると思われる。

投稿者 jun : 2008年3月20日 07:59


やり過ごし、議論せず、バカになる

 組織の中で有能に振る舞うためには、「やり過ごすこと」と「議論しないこと」と「バカになること」を覚えなければならない。

 まず、「やり過ごし」。
 いつぞやのベストセラーではないが、「他人は思いつきでモノを言う」。他者の言葉を傾聴することは重要なことではあるが、すべての言葉に敏感になる必要はない。

 時には、正面から真に受けず、スラリと上体をそらして「やり過ごす」。実は、世の中というのは、「やり過ごして」いれば、忘れ去られること、何もしなくてもいいことが、結構多い。

 ホッておけば、何もしなくてもいいのに、真正面に受けたばっかりに「貧乏くじ」を引いてしまうことの、なんと多いことか。

 真正面から受ければ、相手も身構える。いったん身構えれば、あとには引けない。まずは、適当にやり過ごせばいいのである。本当に大切なことは、上体を反らしても、いつかは振ってくる。

「へぇーそうなんですか・・・ふーん・・・ところで、そろそろメシ行きませんか」

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 次に「議論しない」。
 我々は一般に「うられたケンカは買わなければならない」という規範をもっている。しかし、これは規範でしかない。

 すべての議論がまともだとは限らない。やっても意味のない議論、やるに値しない議論は確かに存在する。そうした場合には、「議論をふっかけられても、"オレは議論しない"という選択肢をとるべき」である。

 あまり生産的だとは思えない論点であっても、いったん議論の俎上にのせてしまえば、あなたも相手も、なかなか引くことはできない。それは時間の無駄だ。

 熱意をもって真摯に議論すれば、いつかは誰とでも「分かり合える」と思ってはいけない。対話を行えば、みんながハッピーな結論をいつも導けると思ってはいけない。

「その問題は、議論しません」

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 最後に「バカになること」

「僕、できませーん、だってバカですから」という「フリ」をして「実りがなさそうなことには関与しない」ということである。プライドのある人ほど「バカにはなれない」。バカになれば、やり過ごせることであっても、バカになれないばっかりに真正面から受けてしまう。

 ちなみに、ここで「僕、できませーん、だって忙しいですから」とは絶対に言ってはいけない。

 社会人の間では、「急ぎの仕事は、最も忙しい人に頼む」というのが鉄則である。「忙しい人は、限られた時間の中で、かならずアウトプットを出さざるをえないため、仕事が早いから」である。

 「僕、忙しいからできません」という言い方は、「僕、実は、あなたの仕事をキチンと時間通りに仕上げることできるんですけどね」と言っているのと同じことである。

「すみませんねー、仕事できなくて、バカチンで」

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 もちろん、すべての局面で「やり過ごせ」「議論するな」「バカになれ」と言っているわけでは断じてない。

 組織には、常に「誰から見ても意義のわからない生産的ではないこと」がある。そして、人間がもっているリソースは有限、そして時間も有限である。

 だから、あまり実のないことにはリソースを割かず、「フリ」をすることが重要だ。その上で、本業に一点突破するべきだ、ということである。決して、「全力であたるな」と言っているわけではない。

 有能な人は、時に、やり過ごし、議論せず、バカになる。逆説的ではあるけれど、これは真実であるように、僕には思える。

投稿者 jun : 2008年3月19日 06:45


現代GPシンポ:ICTを活用したアクティブラーニング~未来の大学教室のデザイン

 東大・駒場キャンパスで開催された「現代GPシンポジウム:ICTを活用したアクティブラーニング~未来の大学教室のデザイン」に途中から参加した。所用があり駒場キャンパスの会場に入ったころには、会場は満員御礼。

東京大学現代GP:ICTを活用したアクティブラーニング
http://www.komed.c.u-tokyo.ac.jp/gendai/index.html

 シンポでは、「大学と教室空間のあり方」というテーマで、マサチューセッツ工科大学のピーターさん、スタンフォード大学のダンさん、はこだて未来大学の美馬さん、東京大学の同僚の山内さん、望月さん、ガリーさんらが、それぞれの大学での取り組みを紹介していた。
 どの事例も非常に興味深かったけれど、個人的には、美馬のゆりさんの話が印象深かった。

 美馬さんは、日本文化をさかのぼりながら、「お茶の間」が「マルチファンクショナルでコモンな空間」であることを指摘する。

 お茶の間は、「家族が食事をする場所」であり、「家族が眠る場所であり」、「家族がテレビを見ながら団らんする場所」である。そこは一人に占有されるわけではない。西欧人の目で見れば「ウサギ小屋」のような「狭い空間」でありながらも、たくさんの用途に利用する工夫があふれている多機能な、共有空間である。

 美馬さんの深みのある主張を、エイヤッと要約すれば、「大学にマルチファンクショナルで、コモンな場を増やすべきだ」ということになる。

 様々な社会的背景をもった人々が、それぞれのニーズに従って、集っては、アイデアを練り上げ、そしてそれを記録できるようなフレキシブルでいて、マルチファンクショナルな場。確かに、そうした場があれば、大学教育はよりよいものになると感じた。はこだて未来大学については、下記の本にも概要が述べられている。

 美馬さんは、大学の教室空間について一通り言及したあとで、はこだて未来大学のFD活動について話を進めた。

 はこだて未来大学では、FD活動を「教員個人としての資質の向上だけでなく」、「よりよくなろうとする学習共同体の構築とその維持にある」と定義しているそうだ。

 教員、職員、学生・・・大学に集う人々の学習者共同体を構築し、自分たちの学びの場を、自分たちで改善していくことこそが、FDの眼目であるという考え方である。

 美馬さんのこの指摘は、以前Learning barで講演していただいた、名城大学の神保さんの指摘に通じるものがあった。これに関しては、以前からずっと僕も問題意識をもっており、このブログで述べたことがある。

ファカルティディベロップメント2.0ワークショップ
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/08/20_1.html

 美馬さんによると、はこだて未来大学のFD活動の成否は、はこだて未来大学のユニークな学習空間にも強い影響を受けているという。

 未来大学では、これまでの取り組みをまとめ、「学び方を学ぶことに関して意識を高めるためのセンター=メタ学習センター」を学内につくるそうだ。今後、非常にユニークな取り組みがなされそうで、注目である。

 その後、シンポジウムはパネルディスカッションに入ったが、残念ながら、僕は私的都合で中座。
 ともかく、シンポジウムの準備を中心的にすすめた西森年寿先生望月俊男先生林一雅先生、お疲れ様でした。

投稿者 jun : 2008年3月18日 07:00


COE疲れ

「Mixi疲れ」ならぬ「COE疲れ」という言葉を、ある大学の先生から教えてもらった。

 この言葉が意味するところは簡単である。COEをはじめとした大規模な競争的資金を獲得して研究を進めることに「疲れ」を覚えはじめた大学教員が増えてきており、次々と戦線離脱し、研究室に再びこもり始めている、ということである。

 僕なんか「ペーペー」は、そのクラスのグラントに申請したことなどもないけれど、それを獲得したことによってふってくる事務作業やワークロードは半端ではないと、噂には聞いている。

 獲得できる資金もメガ級ならば、研究計画もメガ級、それに付随する「両腕いっぱい広げたくらいの報告書、事務書類」もメガ級。「publish or perish(論文をだすか、滅亡するか)」ではないけれど、強い成果期待と、その評価業務に忙殺されることに加え、さらには、社会貢献も行わなくてはならない。シンポジウムとなれば、海外からお客様は呼ばなければならないし、研究のアウトリーチ活動もしなければならない。
 さらには、そのクラスのグラントになると、研究者単独で応募できるわけではないので、研究者間の調整なども行わなくてはならない。研究者間の関係は、相互にリスペクトしあうフラットな関係が多い。いきおい、「調整」が難儀らしい。

 もちろん、こう言うと、「そんなのもらってきたお金で人を雇えばいいではないか」という声が聞こえてきそうである。

 しかし、「雇った人」には「できること」と「できないこと」がある。すべてを彼\彼女が引き受けることのできるわけではない。先ほど述べた「調整」などは、どうしても、代表者がやらなくてはならない。
 また「雇った人」は「マネジメント」しなければならない。ただでさえ忙しい中で、「えーい、そんなんだったら、オレがやった方が早い」と思ってしまうことも、あるんだとか、ないんだとか。「1人雇えば、仕事が1人分楽になるか」というと、どうもそうはいかないらしい。

 ちなみに、こうしたワークロードを引き受けても、おそらく、大学からの給与は全く変わらない。毎月同じ給与明細が届くだけである。そして行き着く先が「COE疲れ」。

 もう、オレは疲れた・・・。
 もう研究室の明かりを消して、細々と自分の研究をしよう、本を読もう、ということになる場合があるんだとか。

 ---

 法人化の流れとともにはじまった大学への競争的資金の配分は、いまや、加速することはあっても減速することはない。しかし、それで「元気だった研究者」が疲労困憊し、疲れ果て、研究室にこもってしまうことになってしまっては、あまり意味がない。

「先頭にたつ勇気」ではないけれど、COE申請などを引き受け先頭にたった人が、もっと報われるシステムを構築しないかぎり、この問題は、長期的にはかなり深刻な影響を、じわじわと与えると思う。

投稿者 jun : 2008年3月17日 12:43


No day but today・・・

 先日、次の本の企画を詰めるため、編集者のMさんが研究室にいらっしゃった。本の進捗は順調!?、これからいくつかの企業に取材にでかけ、「なるべく早く出版にこぎつけたいね」という話になった。

 帰り際、世間話をした。Mさんは、今月末にニューヨークに出かけて、ミュージカル「RENT」を見るという。「RENT」は、2008年6月1日をもって、12年間の大ロングランの幕が降りる。「ぜひ、その前に見てみよう」ということだそうだ。

 

 ---

 RENTの舞台は1980年、ニューヨーク、イーストビレッジ。エスニックマイノリティ、ゲイ、芸術家の卵、麻薬中毒者、HIV保持者など、社会の「周辺」に生きる人たちが、その主人公たちである。

 彼らは、一見、「ボヘミアン」のように陽気に生きているように見える。しかし、彼らの生活の内部にはいってみると、そこにはそこはかとしれない「闇」が広がっている。
 貧困・病魔に苛まれながらも、「生きる意味」を問い直す「シリアスな彼らの姿」が見えてくる。たどり着く地平は「No day but Today」

 ---

 RENTの魅力は、強力なメッセージ性に加えて、やはり音楽のすばらしさであろう。あまりに有名な「Season of Love」や「Light My Candle」以外にも、たくさん素敵な曲がある。

 個人的には、大学講師コリンズが中盤に歌う「Santa fe」が好きだ。コックローチとねずみの巣であるニューヨークを離れ、いつか、太陽あふれるサンタフェにレストランを開こう、と夢見る歌である。

 Let's Open Up A Restaurant In Santa Fe
 Oh Sunny Santa Fe Would Be Nice

 Let's Open Up A Restaurant In Santa Fe
 And Leave This To The Roaches And Mice

 教会で拓かれているHIV保持者たちのソーシャルグループでは、参加者の一人が歌う歌「Wii I?」もよい。

 Will I lose my dignity
 Will someone care

(もしわたしの命がついえたら
 誰が悲しんでくれるだろう?)

 Will I wake tomorrow
 From this nightmare?

(明日の朝、目覚めたときには
 この悪夢がなくなっているだろうか?)

 あとは、物語の冒頭で、HIV保持者ロジャーが歌うバラード「One Song Glory」も、涙なしには聞けない。

 One song, Glory
 One song, Before I go
 Glory, One song to leave behind...

 (一曲の栄光
  ただ一曲、ぼくが逝く前に
  僕にとっての栄光、それは一曲の名曲を残すこと)

 物語のクライマックスでは、主人公たちが下記「Finale b」を歌う。

 There Is No Future, There Is No Past

 There's Only Us
 There's Only This
 Forget Regret Or Life Is Yours To Miss

 No Other Road No Other Way
 No Day But Today

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 No Day But Today
 僕も「今日」を、地道にしっかり生きることにしよう。

 

 ---

追伸.
 TAKUZOはようやく熱も下がり、今週末は平和にすごしました。
 最近、また少しずつ、新しいワザも覚え始めてきました。というよりは、かなり僕やカミサンの言葉が通じはじめてきています。「たくちゃん、ボールとってきて」というと、「ボール」をもってきてくれますし、「たくちゃん、新幹線どれ?」というと、「新幹線のおもちゃ」を指さします。
 来週からまた保育園。今週、来週は僕もカミサンも繁忙期の最終段階です。何事もないことを祈ります。

※ここ最近、共同研究者の方々、一緒にプロジェクトを遂行している方々、また同僚の先生方には、ご迷惑をかけっぱなしです。本当に申し訳ございません・・・こころからお詫びいたします。

takuzo_okao.jpg

投稿者 jun : 2008年3月16日 08:51


正確な研修投資実態把握

 先日、「企業内教育とお金」といおうか、「教育とお金」について私見を述べた。

企業内教育とお金
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/03/post_1175.html

 これに関連する記事が「Sanno e-Learning Magazine」さんの方でが掲載されていたので、こちらを紹介します。

企業内教育の予算調査結果の調査
http://blog.goo.ne.jp/sanno_el/e/72437358379a1a40f9a753603863725c

 特に下記の指摘は重要だと思いました。

 ---

 会社によっては人事教育部門が、他の部門で実施している教育の実態や予算すら把握していないケースも多いと聞きます。

 また営業部門の教育であれば、教育費でなく販売促進費の枠の中で行われている等の実態もあり、調査数値以上に教育投資している可能性も捨てきれません。

 ---

 つまり、「ROIを算出するとか、しない」とか、それ以前の問題で、そもそも「正確な研修投資実態把握」がなされていない可能性があるということでしょうか。「正確な投資実態把握ができていないものに、さらに投資をせよ!」といっても、あんまり説得力はなさそうだなぁ・・・。

 この問題はかなり難しい問題ですね。

投稿者 jun : 2008年3月15日 10:30


エスノグラフィーを産業に役立てる!

 エスノグラフィーの件、知り合いのCさんから情報をいただいた。エスノグラフィーを産業に活かす「ビジネスエスノグラフィー」という研究領域があるのだそうだ。

情報処理学会
http://www.ipsj.or.jp/10jigyo/forum/software-j2008/it-f-pro-user.html

 このセッション、学環の方が活躍なさっていますね(灯台モトクラシ)。

 そして、EPICという国際会議があるのだとか。

EPIC2007(International Ethnographic Praxis in Industry Conference)
http://www.epic2007.com/

 僕は知りませんでした、勉強不足ですね。ここからいろいろと、たどってみます。Cさん、情報をありがとうございました。

 ---

追伸.
 それにしても、ありがたいですね。ブログで書いただけで、いろいろな方から、有益なメールをいただけました。これが「分散知」というやつでしょうか。メールをくださった皆様、ありがとうございました。

投稿者 jun : 2008年3月14日 12:12


プロ領域を持たないゼネラリストが存在しうるか!?

 先日の会議で、リクルートワークス研究所の大久保幸夫所長の講演を聴く機会に恵まれた。その中で興味深かったのは、「プロ領域を持たないゼネラリストが存在しうるか」という問いである。

 大久保所長は、1980年代、日本企業が採用した複線型人事は失敗であったと説く。複線型人事とは、一言で言ってしまえば、「自分はプロフェッショナル(専門職)として生きていくのか、それとも領域に依存しないゼネラルマネジャーとして生きていくのか、をキャリアのある一時点で、決めなければならないという人事制度である(より正しくは、従来の職能資格人事制度に併存するかたちで、専門職のキャリアパスが設けられるような人事制度のこと)。

 大久保所長によれば、この制度の落とし穴は、「プロフェッショナル」が、「マネジメントのできない人」という風に見なされ、よい待遇が与えられないことよった、、という。「今の時代、新入社員は全員プロになれ」という彼の持論は、非常に興味深かった。

 そして彼は問う。

「プロ領域を持たないゼネラリストが存在しうるか」

 ---

 僕の持論を言えば、「自分の専門性や拠り所を持たぬゼネラリストはきわめて難しい」と思っている。そのことは、かつて「中原ピポットターン理論!?」で述べた。

中原ピポットターン理論
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/06/post_899.html

 領域に依存しない考え方、そして領域を越境するような思考は、自分の拠り所や専門性が完成して、はじめて発揮できるものであると僕は考える。

 もちろん、こうした考え方には異論もたくさんあろう。僕はそれを否定しない。上記は僕の「わたしの教育論」であるし、僕が教育を行う際には、そのことを重視する、というだけである。

 軸足を大切にしなければならない。そしていったん決めた軸足は安易に動かしてはいけない。

 ---

追伸.
 昨日話題にしていた「人類学の調査手法を用いたコンサルティングファーム」であるが、大学院生のHさんが見つけてくれた。やっぱり僕の聞き違いかも・・・「エスノワーク」ではなかったので、これが先生の言っていたものと同じかどうかはわからないけれど。Hさん、ありがとうございました。

Ethnographic Insight
http://www.ethno-insight.com/

Ethnographic Research, Inc.
http://www.ethnographic-research.com/

投稿者 jun : 2008年3月14日 08:45


エスノワーク!?

 かつて、学習研究者のジョン・シーリー・ブラウンが、ゼロックスのパロアルト研究所にいた頃、「ゼロックスのコピー機修理工たちが、どのようにしてコピーの修理技術を身につけるのか」を調査することになった。

「この仕事を誰に依頼しようか・・・」

 洞察力とビジョンにあふれるブラウンが、この任務を依頼したのは、ジュリアン・オールという若手の「人類学者」であったことは、とても有名な話である。

 オールは、参与観察の手法をとりながら、修理工たちにびったりと張り付いた。そして、修理工たちは修理技術を「分厚いマニュアル」からではなく、「カフェテリアでの会話」から学んでいることを明らかにした。

 ---

 先日、その話を、ある研究者の方としていたら、「そういえば、アメリカには、人類学の調査手法をビジネスに活かす会社があるらしいですね・・・確かエスノワークっていう会社だと思ったけれど」という情報を得た。

 心理学をビジネスに活かす、というのならよくありそうな話だろうけど、「人類学」の調査手法を活かした会社があるとは・・・さすがアメリカと思った。

 でも、それ以来、ずっと「エスノワーク」をgoogleで探しているのだけれども、なかなか見つからない。僕の聞き間違いだったのかもしれないので、今度お逢いした際に、またお聞きしてみようと思うけれど。

 ---

追伸.
 昨日TAKUZOが発熱した。また熱性けいれんになるんじゃないか、と思って、ヒヤヒヤしながら、夜を過ごしている。深夜、TAKUZOが「うーん」と唸るたびに、僕もカミサンも飛び起きる。けいれんは結局起きなかった。よかった、よかった。

 僕は、昨日は、たまたま代休だったので、TAKUZOの面倒を見ることができた。今日、カミサンは仕事の都合がつかないので、一日、僕がTAKUZOの世話をすることになった。僕も、いくつか予定があったけれど、様々な人たちに無理を言って、キャンセルさせていただいた。本当に申し訳ございませんでした。

 TAKUZOは、昼ご飯を食べて、ずっと寝ている。もう3時間になる。そろそろ起こそうかと思うんだけど、寝顔があまりにも幸せそうなので、もう少し寝かせておくことにする。

 3時半からは、僕は、電話会議だ。
 TAKUZO、それまでには起きるかな。

投稿者 jun : 2008年3月13日 14:50


日経主催、ASTD日本支部・立ち上げシンポジウムが終わった!

 日本経済新聞社主催、ASTDグローバルネットワーク・ジャパン運営委員会共催のシンポジウム「産官学・人材開発国際シンポジウム2008」のパネルディスカッションに、コーディネータとして参加した。大手町・日経ホールでの開催。

産官学・人材開発国際シンポジウム2008
http://www.nikkei.co.jp/events/astd2008/

 今回のパネルディスカッションのテーマは「新・人材育成部門には何ができるか?」。

「研修企画」と「研修実施」に注力してきたかつての人材育成部門とは異なり、「コミュニティによる人づくり」「ワークショップによる人づくり」などに着手している先端的な企業事例を紹介することが目的であった。富士ゼロックスの天野さん、日本IBMの間宮さん、松崎さんに、パネラーとしてご登壇いただく。

 ---

 まずは、両会社から、それぞれの取り組みについてプレゼンテーションを頂く。

 天野さんは、富士ゼロックス社内のコミュニティである「バーチャルハリウッド」について紹介。そこでの活動が、社員の成長に与える影響を報告しつつ、いくつかの新たなサービスを生み出す土壌になったことを指摘した。

バーチャルハリウッド
http://www.vhcouncil.org/org.html

 間宮さんは、現場の要請を受けて人事部が実施している「気づきを促すワークショップ」について解説。将来のリーダーが、部下との接し方、職場のマネジメントの方法などを、リーダー同士の対話の中から導いていく様子が非常に興味深かった。

 プレゼンテーションのあとは、フロアをオープンにして、恒例の「突撃!ご近所ディスカッション」を20min。参加者の方々は、自然と立ち上がり、非常に活発な議論がなされた様子であった。

 そのあとは、Q&Aのコーナーへ。フロアから携帯電話で質問をメールで寄せてもらって、多い質問の中から10個程度を、間宮さん、天野さん、松崎さんに答えていただく。中にはキワドイ質問もあって、個人的には非常に面白かった。

 最後は、僕が「まとめ」を行い、無事パネルディスカッションは予定通り終了。及ばずながらであるが、何とか大役を果たした。

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 今回のパネルディスカッションを構成するにあたっては、かなり前から富士ゼロックスの天野さん、日本IBMの間宮さん、松崎さんにご協力いただいた。また、ヒューマンバリューの高間さん、人財ラボの下山さんにも、年末の忘年会シーズンの超忙しい時期に、ご相談にのっていただいた。本当にありがとうございました。おかげさまで、とても楽しかったです。

 また、日本経済新聞社の坪﨑哲夫さん、駒野洋さんにも、大変お世話になった。このパネル企画が本格化したのは、年末の押し迫った時期。年末、年始ともに、僕は非常にスケジュールが立て込んでいた時期で、僕の都合にあわせてお二人には打ち合わせにご同行いただいた。

 特に、ふだんメールや携帯でやりとりをしていた駒野さんは、僕からの様々なリクエストを(スミマセン・・・段取りが悪くて)、非常に素早く、かつ的確にご検討いただいた。
 駒野さんは、メールをしてから1時間以内にレスがかえってくる。非常に気持ちよく仕事をさせていただいた。本当にありがとうございました。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年3月12日 00:09


「オレの背中」と「基礎基本」

「オレの背中を見て学んで、さっさと一人前になれ!」

「教える立場」にたつ人の多くは、皆、どこかでそう思っています。しかし、「ノービス」というものは、比喩的にいうと「熟達者の背中のどこに注目したらよいのかわからない」ものなのです。広大な熟達者の背中から、学ぶべきものを自分の力だけで見いだすには、それだけで長い時間がかかる。

 そして、「背中のどこに注目するべきか」がわかったら、その人はもう完全に「ノービス」ではないように思います。その彼の目の前に、新しいノービスがやってくる。そして、こうつぶやくのです。

「オレの背中を見て学べ」

 ---

 同じ構造は、「基礎基本」もそうです。「教える立場」の人は、皆、こう思っています。

「守・破・離じゃないけど、基礎基本が大事だよ。まず、基礎基本をちゃんと勉強してから応用やりなよ」

 しかし、「ノービス」には、「基礎基本」が何かわかわかりません。そして「基礎基本が何であったか」を分かる頃には、彼はもう「ノービス」を卒業しているのです。そして、またつぶやく。

「やっぱり、重要なのは基礎基本」

投稿者 jun : 2008年3月11日 06:55


「リフレクション」は難しい

 ワークショップや企業研修の最中に用いられる言葉に「リフレクション」がある。しかし、この言葉ほど用い方が難しいものはない。先日、ある民間人材育成会社の経営者の方とお話したとき、そんな話題がでた。

 ---

「さぁ、ここで、今までやってきたことをリフレクションしてみてください。

 ワークショップや企業研修などでは、その進行に応じて、こう指示したい瞬間が生まれる。

 しかし、まず「リフレクション」というカタカナ用語は、多くの参加者にとって未知の用語である。だから、このまま用いることはできない。

 ならば日本語に訳すことを考える。しかし、それを「反省」と訳せば、「ネガティブ」な雰囲気がただよう。参加者が、「何か悪いこと」をしでかし、それを文字通り「反省する」といったような意味に聞こえてしまう。程度の差こそはあれ、「振り返り」という言葉にも、参加者は萎縮してしまいがちである。

 ならば、これはどうだ。「リフレクション」を「内省」とか「省察」と訳す人もいる。しかし、「内省」や「省察」は一般用語ではない。この言葉も、その意味するところを敢えて説明を要するという意味において、やや問題がある。

 これならばどうだ。「清水の舞台から飛び降りる覚悟」で「超訳」を試み、「リフレクション」を「成果の実感」と訳す方法もある。しかし、今度はあまりにポジティブすぎて、ややニュートラルさが失われる気もしないわけではない。やはり、リフレクション本来の意味にならない。

 ---

 日本語で「何」といえば、「リフレクション」をさせうるのか。なかなか悩ましい。もしよいアイデアがあれば、ぜひ、教えてください。

投稿者 jun : 2008年3月10日 17:00


Learning barのお知らせ「自分たちの組織」は「自分たち」で変える!?ワークショップ

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Learning bar@Todai 2008

 「組織が変わる、自分たちで変える」ワークショップ:
 組織変革手法を体験する

2008年4月11日(金曜日)午後5時 - 9時 東京大学
=================================================

 2008年4月のLearning barは、株式会社ヒューマン
バリュー 代表取締役の高間邦男さんをお招きし、

1.「組織を変革する」とはどういうことか?
2.組織変革のための手法にはどのようなものがあるか?

 について「アタマとカラダで理解」するための
「ワークショップ」を実施していただきます。

ヒューマンバリュー社
http://www.humanvalue.co.jp/

「組織を変革してください」と言われると、誰しも
一歩引いてしまいます。

「ダメダメ、うちの会社は、そう簡単には変わらないよ」

そして組織の「外」の「誰か」や、「高邁な理論」に
答えを求めがちです。

しかし、「組織変革のとっかかり」は、必ずしも組織の
「外」にあるわけではありません。

比喩的な言い方をすれば、「変革のきっかけ」は組織
を構成するメンバーの「インタラクションの中」にあ
るのかもしれません。
May the Force be with you guys....

今回のLearning barでは、ワークショップを通して、
こうした「考え方」を皆さんに体験していただきます。

 参加をご希望の方は、下記の参加条件をお読みになり、
フォームに必要事項をご記入のうえ、3月末日までに
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご連絡
下さい。

 今回の参加申し込みは、同じ会社にお勤めの方4名を単位
として受け付けさせていただきます。
 参加可否の通知は4月5日にご連絡させていただきます。
下記の要項を必ずご一読いただき、ご応募をお願いいたします。

ふるってご応募をお願いします。
 
     企画担当:中原 淳(東京大学・准教授)

※Learning bar / Cafe (Seriousを含む)は、
NPO法人 Educe Technologies主催、東京大学大学院
学際情報学府 中原研究室が共催の学術イベントです。
 
 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
 関する調査、研究、コンサルティングを行う
 非営利特定活動法人です。
 
 企画担当
 副代表理事 中原 淳

 
○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
 http://www.nakahara-lab.net/
 
 
○日時
 2008年4月11日(金曜日)
 午後4時30分 開場
 午後5時00分より午後9時まで実施
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
  に始めます。本郷キャンパスは意外に
  広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう
 
 
○内容(案)

 □開場
 (4時30分)
  ・今回のLearning barでは、簡単なお料理と
   ソフトドリンク、ビール、ワイン等をご用意します。

 □企画趣旨説明
 (5時00分-5時10分)
   ・中原 淳(東京大学)

 □ワークショップ開始
 (5時10分 - 8時20分)
  「組織が変わる、自分たちで変える」ワークショップ
   ・高間邦男さん(ヒューマンバリュー株式会社)
 
 □リフレクション
 (8時20分 - 8時50分)
 
 □ラップアップ
 (8時50分 - 9時00分まで)
 
 
○場所
 東京大学 工学部2号館 9F 93B
 大学院情報学環 教室
 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html 

 地下鉄丸の内線本郷三丁目駅から徒歩15分程度
 地下鉄南北線東大前駅から徒歩10分程度
 
 
○参加費
 4000円(1名さま 一般・学生)
 (講師招聘費用、講師謝金、飲み物、運営費等
  に支出いたします)
 
 
○どうやって参加するのか?
 
 ・今回のワークショップは会社単位での募集になります。
  (民間教育企業、企業教育関連企業、コンサル企業
   の方は参加をご遠慮ください)

 ・1社4名を募り、代表者の方が下記のフォームをご利用
 のうえ、sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpの
 メールアドレスまで、お申し込みをお願いします。

 ・ワークショップは4名の参加が必須になります。
  もし欠席の場合は、人員の補充をお願いします。
 
 
○食事
 ソフトドリンク、ビール、ワインなどの飲み物、
 および軽食をご準備いたします。
 
 
○参加条件

 企業教育、コンサル「以外」の職種の企業におつとめ
 の方で、1社につき4名を単位として募集を受け付けます。

 本ワークショップの様子の写真、NPO Educe Techno
 logies、東京大学 中原研究室が関与するWebサイト等
 の広報手段、講演資料等に用いられる場合があります。
 参加にあたっては、上記条件を許諾いただける方に限り
 ます。
 
 
〆ココカラ=======================================

 参加申し込みフォーム
 sakamoto@tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 3月末までにお申し込み下さい
 
 4月5日までに参加の可否をご連絡させていただきます

-------------------------------------------------

 上記参加条件のもと、参加を申し込みます。

代表者氏名:(            )
代表者フリガナ:(          )
代表者所属:(            )
代表者メールアドレス:(       )

他メンバー氏名2人目(            )
他メンバー氏名3人目(            )
他メンバー氏名4人目(            )

※ワークショップ実施には4名お揃いになることが
必要です。当日、どなたか欠席の際には、人数の補充
をお願いいたします。

〆ココマデ=======================================

投稿者 jun : 2008年3月10日 00:00


World Englishes!?

 先日、インドIT企業でシステムエンジニアをやっている方と、英語でちょっと喋った。下記の発音が最初わからなかった。でも、ひとつわかると、すべてがわかった。

 ・サルビス
 ・ピルプル
 ・ベンダル
 ・カントロル

 世界は広い。
 まさにWorld Englishes!

投稿者 jun : 2008年3月 9日 17:00


企業研修と著作権

 先日、いつもお世話になっている方と「企業研修の著作権」についてお話をした。

 その方曰く、

「他社が商売としてやっている企業研修を受講生として受けて、そのネタがよければ、そのままパクって、今度は自分が講師として商売をする輩があとをたたない。ほとんどの場合は無断。仁義すら切らない。配付資料のパワポもほとんどそのまま盗用。引用表示すらない」

 ---

 この問題は、以前、「ワークショップの著作権」の話として、このブログでも紹介したことがあった。

ワークショップと知財
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/04/post_834.html

 要するに、「ワークショップ」や「企業研修」といったものは、「著作権法が定める既存の概念」をすり抜けてしまい、なかなか知財として守られることがないのである。

 それらが「展示」だとすれば、それは美術作品や写真と同列になるが、それは展示ともいえない。

「劇」と考えるならば「上演」という概念で把握できるが、聴衆が参加し、ディスカッションも行うものを「劇」とよぶのは、やや無理がある。

ワークショップや研修の最大の構成要素である「ノウハウ」「アイデア」「コンセプト」というものは、著作権法では守られることはない。

「商標」「シナリオ」「キット」「印刷物」などであれば著作権法で守られる。現段階では、それらの「著作権法で守られるもの」を複数組み合わせて、なんとか、ワークショップ全体を<守る>他はない。

 ---

 この問題が深刻なのは、

1)教育手法の中核をなす「ノウハウ」「アイデア」「コンセプト」といったものが、「カタチ」をもたず、かつコピーしやすい=パクりやすいのにもかかわらず、

2)それによって生み出される「成果」は、なかなか「目に見えない性質をもっていることにある

 他の一般消費財であれば、そもそも「生産」するには「技術」や「投資」が必要であり、コピーするのも一苦労である。しかし、教育・研修の場合はコピーが容易だ。

 また、他の一般消費財であれば、「本家」と「まがいもの」の間には、一目みて差が出やすい。たとえば、性能やデザインなどで差が出る。誰でも「まがいもの」を「まがいもの」として見抜くことができる。

 だから、「このバッグ、なんかちょっとデザイン変じゃない。よーく見たら、ルイ=ヴィトンじゃなくて、ルイ=ベトンだって、だっさー」という具合になる。「まがいもの」は「かっこわるいもの」とされ、「自然淘汰」される可能性がある。

 しかし、教育・学習には「カタチ」がない。そして、その成果は、「目に見えにくい」。その効果が「顕在化」するには、やや時間がかかる。また、そもそも担当者に「審美眼」「専門知識」「経験」がなければ、善し悪しを感じ取ることもできない。

 かくして「まがいもの」が「まがいもの」として流通せず、「本家」として流通する事態が発生する。

 しかし、僕の信念によれば、

1)教育とはいつも「個別具体的」であり
2)学習の成否はデザインの細部にこそ宿る
3)そして教育手法の実施には「背後の思想」を理解する必要がある

 よって、「教育手法」がコピーしやすいといっても、なかなか、実はそれを真似ることは難しい。「まがいもの」は所詮「まがいもの」。それは表層をコピーしただけのもののため、成果をあげられない。

 しかし、皮肉なことに、ここで悲劇が起こる。「まがいものであるが故に、学習効果が低い」のにも関わらず、担当者に「審美眼」「専門性」「経験」がなければ、そもそも「その手法自体の有効性に疑いがかかる」ことになってしまいがちである。

「あー、あの方法ね、あれ、ウチに出入りしている人にちょっと試してもらったけどね、全然ダメだよ」

 どんなによい教育手法であっても、これでは普及しない。

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 企業研修と著作権・・・これはなかなかの「難問」である。今度、これだけを考える研究会を開いても、オモシロイと思った。著作権や知財というものは、誰かが声をあげなければ、永遠に守られることはない。

投稿者 jun : 2008年3月 9日 07:00


【予告】 Learning barのお知らせがそろそろでます!

 長らくお待たせしました!下記、Learning bar@Todaiの今後の開催予定です。4月例会の募集が近日中にはじまります。

●4月11日 組織の「変革」を担うのは誰か?
       ワークショップ(仮題)

      - 組織の変革手法や組織開発の手法が
       知りたい方向けのワークショップ

●5月30日 企業内大学で学べることは何か?(仮題)
       博報堂大学のインパクト

      - 企業内大学の実際が知りたい方向け
      - CoPなどを知りたい方向け

●6月   交渉中

      - 組織理念を伝えるには何が必要か?

●7月11日 高業績プロジェクトマネジャーは
       何がひと味違うのか?(仮題)

      - IT企業の高業績プロジェクトマネジャー
       はどのような行動特性をもっているか?
      そして、どのようにして育てることが可能か?

 Learning barの開催は、当初の予定では、2月に1度の予定でした。前回「できるMRを育てる」が2008年1月であったので、本来、次回は3月の開催なのですけれども、3月は年度末ということもあり、スケジュール調整が困難を極めました。

 というわけで、3月に開催できない分、4月、5月、6月、7月と連続して開催することを考えています。

 ご期待ください!
 お茶の間みんなで、ふるってご応募ください。

投稿者 jun : 2008年3月 8日 00:00


すれ違う二人

 アイツ、なんで、すぐ前の席に座っている上司のオレに、メールで業務報告してくるんだよ。おまけに、BにまでCCしやがって、どういうつもりだ? わけわかんねーな。

 そんなもの、「すみません、ちょっとお時間いいですか?」って声かけてくりゃ、それですむことじゃねーか。

 だいたい、最近の若いやつは、すぐにメールだ、携帯だ、となっちゃいないよ。言いたいことがあるんなら、面と向かって、ピシッと言えばいいんだ。

 飲み会に誘っても、行くんだか、行きたくないんだか、よくわからない返事しやがって。「今のところ行けます」って何だよ、「今のところ」って。

 でも、怒っちゃダメなんだよな。こないだ受けた研修で、どこかの講師が言ってたよ。「悟らせることが重要なんだと」さ。全く何考えてんだ、やってらんないよ、ホントに。

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 さて、上司のAさんにでも、「報告」のメールするか。Aさんは、忙しいせいか、最近忘れっぽくって、何にも覚えちゃいない。

 こないだも、ちゃんと報告をしていたのに、「今度から途中の進捗についても教えてね」って言われたし。あれって、「オレは聴いてないぞ」っていう意味だったのかな。

 だから、記録に残らない「口頭での報告」はやめよう。メールだと、全部記録に残るから、その点いいよなぁ。もしイチャモンつけられても、「●月●日 am●:●●」に出しました、って言えるし。おまけにBさんにもCCしとけば、そこにも記録が残るよ。

 最近Aさんは本当に忙しそうで、声をかけるのも気が引けるよなぁ。自分でも成果をだして、さらに人の成果まで面倒みなきゃならないのは、見ていて痛々しいよ。僕も、管理職になると、Aさんみたいになっちゃうのかな。僕は一生ぺーぺーでいいな、別に、食ってさえいければ。

投稿者 jun : 2008年3月 7日 09:12


あいまいさに答えること

 先日、編集者のFさんから聞いた話。Fさんが以前、ある有名なお医者さんにインタビューをしたところ、下記のような返答がすぐに返ってきたという。

Fさん「医者の能力とは何ですか?」
医 者「あいまいさに答えることです」
医 者「そして、そのトレーニングこそ、今の医学教育に最も欠けている」

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 先日、ドナルド=ショーンの「The reflective practitioner」の全訳が出版されたことをお伝えしました。

 先ほどのお医者さんの言葉「あいまいさに答えること」は、ショーンのいう「Reflection in Action」の本質に近いな、と思いました。もちろん、そのお医者さんは、ショーンが数十年前につくった概念などご存じないとは思います。「あいまいさに答えること」は、彼が経験の中からつかんだ持論なのでしょう。

 とても、オモシロイですね。

投稿者 jun : 2008年3月 6日 08:30


実践家の誤りを正す!?

 世の中には、2つのタイプの研究者がいる。

 ひとつめのタイプ。実践家の考えや振る舞いを「リスペクト」し、彼らが生きている「現場」から、解釈を試みようとする研究者。この場合、研究者は「解釈者」の立場になる。

 もう一方は、実践家のやることを「危なっかしいもの」と考え、大学の研究室の中で生まれたルールや法則を「現場」に「落とそう」とする研究者。この場合、研究者は「法則定位者」の立場になる。

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 昨日、ある大学の先生とお話ししていた際、こんな話がでた。
 その先生は前者のタイプの研究者である。以前、後者のタイプの研究者に、下記のように言われて、大変ショックを受けたという。

「実践家の誤りを正すのが研究者の役割でしょ」

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 この問題、実は非常に根深い問題である。研究者の研究スタイルの問題だけではなく、実践家から研究者に寄せられる「社会的期待」も複雑に絡み合う。

 実践家の立場から一見して、研究者像として「美しく見える」のは、圧倒的に前者である。「実践的であること」は、肯定されることはあっても、否定されることはない。多くの実践家が、まずはこちらを支持するだろう。

 しかし、実践家の心の中には、同時に、前者の研究者の「解釈者」という立場に飽き足らない感情が生まれる場合もないわけではない。

「解釈するとは、先生の主観で判断するということですか? でしたら、ちょっと・・・。わたしのことはわたしが一番よく知っている。先生は解釈するのではなく、科学的に証明されたものを教えてくれませんか?」

 心のどこかで、一般的法則を求め、それを担う後者の研究者を期待する。

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 さらに問題は複雑になる。そこにアカデミズムの評価というものが絡み合う。

 一般にアカデミズムの世界では、「解釈の余地のあるもの」は「科学」と見なされない傾向がある。普遍的で一般的なルールや法則を「発見」することこそが「科学」であるというような科学観が、今も支配的である。
 もちろん、そうした傾向は「かつて」から比べれば、落ちている。しかし、メインストリームは「後者の研究者」であることは明確である。

「解釈とは科学ではない!?」

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 さて、ここで問いが向けられる。
 あなたが研究者であるならば、あなたはどちらのタイプの研究者だろうか。否、あなたの研究はどちらのタイプに属するか?

 あなたが実践家であるならば、あなたは研究者に何を求めるか?

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追伸.
 TAKUZO、ついに退院しました。長かった・・・。まだ本調子に戻ってはいませんが、元気に過ごしています。

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投稿者 jun : 2008年3月 5日 06:52


企業内教育とお金

 信濃町・明治記念館において開催されたシンポジウムで講演を行った。グローバルナレッジネットワーク社主催の「IT人材育成」に関するエグゼクティブ向けのシンポジウム。

グローバルナレッジネットワーク
http://www.globalknowledge.co.jp/

 講演は、オリックス会長の宮内義彦さん、インドのIT企業「インフォシス」のベンカタラマン・スリラムさん、中原の3名。中原は「教育学者が覗いたIT人材育成」というお題であった。拙い講演ではあったが、何とか無事終えることができたことを嬉しく思う。

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 今回のシンポジウムで個人的に印象深かったのは、インフォシス社のスリラムさんの話であった。

 1981年たった7人の創業者、3万円の資本金で始まったインフォシス社は、いまや8万人の従業員が勤務し、売り上げ高4000億を稼ぐ企業に成長している。

インフォシス
http://www.infosys.com/japanese/default.asp

 売り上げの98%は海外、インドはわずか2%でしかない。正真正銘のグローバル企業である。従業員の雇用は100万人のアプリカントの中から毎年3万人を雇用しているという。
 
 興味を持ったのは、その教育費。なんと、売り上げの5%、200億円を投じている。この200億には、企業内大学のキャンパスの建築費などは含まないそうだ。
 スリラムさんによると、「IT企業は結局人しかない、だから我々はこれに投資する他はない」

 おそらく日本のIT企業で、売り上げの5%という数字を教育にあてている企業は、そう多くないのではないだろうか。通常は1%、ないしは、ゼロケタ台というのも関の山だと思う。いかに、教育のために投資されている予算が少ないか、この数値である程度は推察できる。

 ちなみに、少し調べてみると、おそらくグローバルで最も教育予算を使っている企業のひとつであるGE社は、年間の教育予算が1120億円である。
 対して、日本における人材育成ビジネスの「総額」は、おそらく6000億弱だと思われる。

 いやはやグローバルというのはケタが違う。

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 講演のあとは、日経BP社・田口潤さんの司会で、パネルディスカッションが開かれた。僕からもいろいろな問題提起をしたけれど、「教育とお金の問題」にも触れた。

 思うに、「日本ほど、教育に多くを期待しながら、そこにお金をかけない国は珍しい」。一言でいうと、「やい、教育、この問題何とかせい!、あっちでも問題が起こったから何とかせい、おっと、こっちでも問題勃発、何とか、せい! 金は出さないけど、頑張れ」。そうした風潮は企業内教育であろうと、公教育であろうと、そう変わらない。

「それって、教育の人たちだけが頑張れば、本当に、解決がつく問題なのですか?」

 という素朴な疑問を差し挟む間もないほど、「やい、教育、この問題何とかせい!、金は出さないけど、頑張れ!」のオヤヂたちの声は大きい。あまりの声の大きさに、素朴な疑問はかき消される。

 たとえば、日本の教育への公財政支出は、年間国家予算の3.5%である。これは、OECD加盟国30ヵ国最下位(2003年)。
 もっとも公財政支出の大きいアイスランド7.5%は別格にしても、フィンランド6.0%、米国5.4%、にも間をあけられ、スロバキア4.3%、チェコ4.3%、アイルランド4.1%、にも負けている。

 それなのに、教育に対する社会的期待は、日に日に増大するばかり。何か問題が起これば、「やれ教育は何をやっている」「やれ、教育のせいだ」という風に「教育」に原因帰属が行われる。「やい、教育、しゃんとせい、何とかしろ」ということになる。

 ちなみに、高等教育の場合はどうか。我が国の高等教育に対する公財政支出割合はGDPの0.5%。米国は1.0%、イギリスは0.8%。OECD平均は1.0%。そのくせ「大学では、あれも教えろ、これも教えろ」となる。ここでも、いかに金をかけないで、多くを望んでいるかわかる。

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 もちろん、これは「教育を提供する側」にも問題がなかったわけではない。
 これまで「教育を提供する側」は、自分たちがやることをキチンと外部に、外部の人が「わかる言葉」で「説明」し、そこへの投資を促すよう、熱心なリクエストを行ってきただろうか。場合によっては、様々な人々を巻き込み、アクターネットワークを形成するといった活動を引き受けてきただろうか。
 むしろ「教育に携わる者」が「お金のこと」を持ち出すことは、ある種「品のないこと」「タブー」という「内部ルール」をいつのまにか形成してきたのではないだろうか。教育は「聖なるもの」であるから、黙っていても、お金は投資されるはずである、という思いこみはなかったか。

 誤解を避けるために言っておくが、「お金」だけが「教育のクオリティ」を決定している要因ではない。そして、お金のことをギャーギャー言っている僕は決して「守銭奴」ではない(笑)。

 しかし、「教育のクオリティ」を考える上で、お金は「重要なリソース」のひとつであることもまた事実である。お金があれば、人も雇えるし、より大きなビジョンをかかげる教育プログラムが開発できる可能性がある(あくまで可能性である)。

 決して、この問題は侮ってはいけないと思う。

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 最後になりますが、このような機会を与えてくださったグローバルナレッジネットワーク社 金木社長、菅原本部長に感謝いたします。今回の講演は、IT企業を実際に取材し組み立てたものでした。大変お世話になりました。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年3月 4日 11:16


大学と履修証明書

 本日付朝日新聞によると、昨年末改正された学校教育法により、大学が「履修証明書」を発行することができるようになった、という。

 米国の大学では、「社会人の能力開発手段」のひとつとして、多くの「履修証明書・教育プログラム(certificate program)」が提供されており、多くの収益をあげている大学もある。

 僕が留学していた頃、ボストン近郊のいくつかの大学の「履修証明書プログラム」の関係者に逢う機会があった。皆一様に、「certificate programは、非常に重要な大学収益の基盤である」と言っていたのが印象的だった。

 朝日新聞によると、今回の学校教育法改正は、阿倍内閣時代の「再チャレンジ政策」が後押ししたものだという。おそらくは米国大学の制度的枠組みを相当意識したのではないかと推察される。
 既にいくつかの国内大学が「履修証明書・教育プログラム」に興味を示しているという。今後、この流れは加速していきそうである。

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 東京大学に関して言えば、ここ最近、学部単位、あるいは学部横断型の「学士、修士、博士以外の教育プログラム」の提供がぞくぞくと増えている。
 しかし、管見に関する限り、これらのプログラムは、「東京大学総長名」ではなく、「学部長名」あるいは「教育プログラムの代表者名」でしか「修了証」を出していないはずである。
 
 今回の学校教育法改正により、履修証明書の制度が出来たところで、証明書の発行に乗り出す大学も増えてくるのではないかと推察される(東京大学の対応は未定)。

 しかし、ここでやはり問題になってくるのは、教育プログラムの質をいかに確保するかであろう。文部科学省は、履修証明書は「120時間以上の体系的なもの」に限っているという。

 しかし、「時間数」は最低限の「制約」でしかない。
今回、履修証明書の制度がオフィシャルに位置づけられ、「大学として証明書をだす」以上、その「教育プログラムのクオリティ」の担保は、「大学」として行わなければならないはずである。

 そのための審査の仕組みをいかに「大学」につくり、どのような基準と手続きをもって、各プログラムを評価していくか。

 課題は非常に大きい。

投稿者 jun : 2008年3月 3日 10:29


「オクサンリフレクション」と佐々木常夫著「ビッグツリー」

 先日、共同研究者のある先生がこんなことをおっしゃっていた。

「僕は一日あったこと、感じたことを、帰ってからオクサンに全部話しますよ。オクサンの方は、もう眠いとかいって、あんまり聴いてないけれど・・・」

 名付けて「オクサン・リフレクション」。オクサンを通じて、一日を振り返り、新たな意味を発見する。
 オクサンにとっては、「ひゃー、また、うっといのが来たわ」という感じで、あまりというか、全く嬉しいことではないのかもしれないが(少なくともウチは)、何を隠そう僕もその「迷惑者」のひとりである。カミサンは密かに思っている。

「アンタ、人の話はぜんぜん聞いてないくせに、ホンマ、えーかげんにしーや」

 話がズレた。
 とにかく、話をする相手がオクサンであろうとなかろうと、「一人で孤独にリフレクションすることは難しい」。
 根拠レスではあるけれど、リフレクションは、人工物や他者などに支えられた方が、より効果的であるように思う。

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 先日の「ガイアの夜明け」で紹介されていた佐々木常夫さんの本「ビッグツリー:私は仕事も家族も決してあきらめない」を読んだ。

 佐々木さんは「大学卒業後、東レ入社。自閉症の長男に続き、年子の次男、年子の長女が誕生。妻は肝臓病が元で入退院を繰り返すなか、うつ病を併発し、何度か自殺未遂。すべての育児・家事・看病を自分が、こなさなければならない過酷な日々の中でも、仕事への情熱をすてず、同期トップの取締役になった」という経歴をもつ方である。

 この本のすべてを一言で語ることは難しいし、そこで実践されていることを、すべての人ができるわけではない、と思う。しかし、佐々木さんの下記の言葉は、「なるほどそうだよな」と思った。

「私は、ただやみくもに長時間労働をしている人や組織を見ると、生理的嫌悪感さえ感じる。

単純に長時間労働がダメだと言っているわけではない。(中略)しかし、上司のつまらない考えややり方によって、どれほど無駄な残業をさせられてきたのも事実である。

したがって、まず形から入ること、つまり夜6時で仕事を終えるのにはどうするか、ということにトライするべきだろう。」

(同書 pp66)

 すべての仕事を、規定通りの時間に終わらせることは、必ずしもできない場合もある。しかし、少し仕事のやり方をリフレクションしてみると、工夫できるところがないわけではないわけではないことに、誰しも気づかされるのではないだろうか。

 僕も、少し考えてみよう、と思った。

投稿者 jun : 2008年3月 3日 07:45


朝は貴重な時間です:激流中国「上海から先生がやってきた」

 朝は僕にとって、とっても貴重な時間である。新聞を読み、ビデオを予約し、RSSリーダーで購読しているブログを読む。以前はこうした作業をいつでもできたのだけれど、結婚して、子どもが生まれてからは、カミサンや子どもが寝ている朝の1時間が勝負になった。
 学術論文以外で、僕の仕入れる「情報」の多くは、この朝の時間にあると思う。

 必要な新聞記事はハサミで切り取って、研究室にもっていき、スキャンする。
 教育番組などの放映予定があるときは、DVDの予約をすませる。一度見て必要なものは、やはりデジタルファイルとして持ち歩く。

 ブログは、専門領域に関連する人のものを数百は「見て」いる。「見て」と敢えて括弧書きで書いたのは、ほとんど「タイトルの流し見」だからである。タイトルで「ムムム」とくるものがあったら、本文を読む。一番重宝しているのは、書評をしているブログである。うーん、この本オモシロそうだな、と思ったら、山本さんにメールを書く。

「山本さん、この本の購入をお願いします」

 かくして、朝、仕入れた情報は、その日のランチ、ミーティングの最中に語られる。

「あのさー、そういえば今日ニュースで見たんだけどね・・・」

 あるいは、授業や講演のネタになる。

「あのですね、本論とズレますけどね、実は、今日、こんな話を聞きました・・・」

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 ちなみに、今日(日曜日)は、教育ものがあるみたいです。

NHKスペシャル「激流中国」 午後8時 上海から先生がやってきた~貧困の村で~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080302.html

 どうも「中国の農村部の教育現場の実状」を伝える番組のようですよ。新聞だけの情報なので、内容はよくわからないし、オモシロイかどうかは保証できないけど、自分としては何となくとっておいた方がいいかも、と思った。

 授業でもっとも学生さんに見せて効果的なのは、「教育現場の実状を伝えるビデオなのです。本来ならば、一番いいのは、現場を訪ねることなんだろうけれども、なかなかそれもできないですので。

 さて、ビデオ予約でもするか。
 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2008年3月 2日 08:06


OBAMANIA : オバマニア

 オバマニア(OBAMANIA) - 次期米国大統領候補のオバマ氏の、マニアックなファンのことだそうです。

 海の向こうは本当に盛り上がっていますね。僕もニュースがあるたびに、CNNやボストングローブをのぞいています。まだまだ目が離せません。

投稿者 jun : 2008年3月 1日 12:26