高校生のもつ「学問イメージ」
先日、自分の出身高校の高校生20名が、進路指導室の先生に引率されて、北海道からはるばる、東京大学を訪れた。
OBとしては微力ながらお役に立てることもあるのかと思い、自分の研究の「高校生でもわかりそうな部分」について説明した。また東京大学で勉強することの意味を、卒業生のひとりとして語った。
時間は1時間。要領の得ない話であったとは思うが、何とか無事終えることができた。
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それにしても、高校生の話や質問を受けながら、少し「焦り」みたいなものを感じた。それは、彼らのもっている「学問に対する素朴理論」に対してである。
仮に、本当に極端に表現するのなら(決して高校生たちがこういうことを言っていたわけではない)、彼らの学問イメージには、
●社会が得意だから社会学
●心理学をやると、他人の心がわかる
●教育学をやると先生になる
といった、ある種のステレオタイプに、ヘタをすればハマッてしまいかねないような素朴さを感じたし、
●本が好きだから文学部
●物理が得意だから理学部
といった選択をしかねないような、ある種の「危うさ」をもっているような気がしたのである。
もちろん、偉そうに言っているけど、僕だってそうだった。何を隠そう上記に掲げた項目は、今から15年前、高校生だった自分がもっていた認識なのであるから。それから15年がすぎ、僕は、その頃の自分の「素朴な学問観」をすっかり忘れてしまっていた。
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高校生がもつ学問イメージが、曖昧で、また学問に身をおく人間から見て素朴に見えてしまうのは、ある種、どうしようもないことであるのかもしれない。だって、そこにいないんだから、経験してないんだから。
おそらく大学に進学し、しばらくすれば、これらの「素朴理論」は少しずつ「脱構築」されるだろう。
しかし、可能であるならば、もう少し早く、進学を控えている高校生に「学問のイメージ」をわかりやすく伝えられないだろうか。「やべ、ヘタうっちまった・・・こんなハズじゃなかったのに」といったような選択をしないためにも。
もしそれが可能なのだとして、そのために、大学には具体的に何ができるのか。自分のかかわる「教育の情報化プロジェクト」の役割は何か?
ふだん高校生と接する機会がほとんどないだけに、なかなか、考えさせられた一日であった。
投稿者 jun : 2008年1月25日 07:00