ダイヤモンド社主催「人を育てる科学セミナー」が終わった!

 ダイヤモンド社主催の企業人材育成担当者向けの研修「人を育てる科学セミナー」がプレジデントホテル青山で開催された。

kenshu_daiamond.jpg

 人を育てる科学セミナーでは、「若手の早期育成」をテーマにとりあげた。大量採用時代の「若手」をいかにして、早期に戦力化し、熟達化させるか。そのために必要な、1)熟達化、2)インストラクショナルデザイン、3)ワークプレイスラーニング、4)学習環境デザインなどの教育学的知識を、ワークショップをまじえながら、ご紹介した。

 研修には全国から企業の人材育成担当者54名の参加者を得た(今回のセミナー、ダイヤモンドハーバードビジネスレビューで応募を行った。セミナーは非常に好評で、会場の都合で54名以上は収容不可能であった。かなりの数をお断りしたとのことである)。

 中原、北村さん@熊本大学が講師、荒木さん@東京大学、橋本君@浜銀総研がアシスタントにたった。いろいろ進行には慣れないところもあったけれど、何とか終えることができて、今はホッとしている。

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 それにしても、今回の研修を通して、その難しさを痛感した。ふだんから、45分から90分の講演などは量をこなしているので、「人前で話すこと」には慣れていると思っていたけれど、「研修」というのは、また違ったスキルを要求されることがわかった。

 とにかく、一番キツイのは、タイムマネジメントのスキルであった。今回、グループディスカッションなどが予想以上に盛り上がったため、それをどのようにマネジメントするかが、本当にヒヤヒヤだった。

 そのほか、先日の僕の反省点は下記のとおり。下記、自分のためにまとめておく。研修プロフェッショナル北村さんには、いろいろなことを教えていただいた。

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○1テーブル6人でのディスカッションは時間がかかる
 ・1名につき5分と考え、6名ならば30分くらいとるべき
  →ただ30分とることは結構時間的にシンドイ。
  →だとするならば、1テーブル5人くらいが適当
   ・5名ならば多数決をやっても必ずカタがつく
   ・4名では情報交換できる内容に多様性がでない

○時間の管理
 ・タイムスケジュール表を事前につくって、常に
  コンピュータの横においておくべき

○メモの持参
 ・参加者からの発言を聞きながらメモするための
  紙と手帳をもつ

○ICE BREAK
 ・日本人の習慣=名刺交換をはやく促す
  →名刺交換をしたあとは、うち解けやすい

○グループの形成
 ・業種をバラバラにする
 ・男女をバランスよく入れる
  →女性が最低1名以上含まれるようにする

○グループディスカッションの制御1
 ・「残り○人発表が残っているところは手をあげてください」
  といった具合に、進捗を把握しておく。

○グループディスカッションの制御2
 ・どうしても時間がなくなったら、ディスカッション
  テーマを「1名ずつ発表する形式」から「ひとつの
  テーマを全員で話す形式」に変更する

○グループディスカッションの制御3
 ・昼食前にグループディスカッションのテーマを
  投げかけると、時間が効率化できてよい。

○学問知見の紹介
 ・「それをどのように利用できるか」
 ・「示唆するところを、日頃、実践しているか」
  を問うこと

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 上記、ものすごくプラクティカルなリストになってしまったが、こういうひとつひとつのディテールに配慮できるかできないかで、場の雰囲気が変わるのだ、と痛感した。

 研修最後には、現在進めている社会調査「ワークプレイスラーニング度調査」の参加募集も行うことができた。よかった、よかった。無事、予定人数が集まるとよいのだけれども。

 ともかく、今回の研修は、参加者の方々以上に僕が学ぶところが多く、非常に面白かった。現場の知恵を知る意味でも、また、現場の方々とのコネクションをつくる意味でも、なるべく時間を見つけて、今後もこうした研修をやっていきたいな、と思っている。

 最後に、このたびお世話になったダイヤモンド社の方々、特に、永田さんに御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

投稿者 jun : 2007年6月30日 08:25


夜な夜なハイテンション

 タクは今日で7ヶ月です。早いものですね、もう「一年の折り返し地点をくるっと通り過ぎちゃってしばらくたつ」のね。

 最近のタクは、「困ったちゃん」になっています。何が「困った」か、というと「夜な夜なビール」ならぬ、「夜な夜なハイテンション」なんですね。全然寝ない。寝たと思っても、1時間半から2時間ごとに起きるのですね。

 先日などは、11時半、1時、3時、5時、7時と起きました。そのたびごとに、こちらも起こされます。なんだか寝た気がしません。日々寝不足気味・・・マジでキツイ。

 夜寝ていると、バタバタと足を動かしたり、キャハーとか叫んだりして、声が聞こえてきます。

 薄明かりの中ベットの方を見ると・・・

nozoki.jpg

 このような状態で、僕らを「のぞき見」しているのです。背筋を伸ばして、「じーっ」と。こちらを見つめています。なんちゅう、「ハイテンション野郎」だ、はよ、寝ろ(笑)。

 まぁ、僕は半分起きたような、起きないようなでいいのですが(ほとんど疲れて寝てる)、カミサンが大変です。そのたびごとに「おっぱい」をやらなアカンからね。そうしないと、寝ない。僕は彼女が、疲労で倒れないか、と少し心配しています。大丈夫?

 嗚呼、これも成長のプロセスなのでしょうか。今までは「寝る子は育つ」の「いい子ちゃん」だったのにね。落ち着いてくれるとよいのですが。

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 最近起こったタクの変化。

○ベビースイミングをはじめた
 →水は怖くないらしい。

○寝返り強烈
 →コロコロと転がって部屋中を動き回る

○おもちゃには関心をもたなくなっている
 →リモコン、カメラ、電気のコードなど、
  僕のパソコンなど「触ってほしくない
  もの」に触れたがって困る

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○離乳食は1日2回になった
 →酸っぱいモノは苦手
 →嫌いなものは特になし

○人見知りが少しはじまった気がする
 →僕が忙しくて数日逢えないと、
  僕と絶対に目をあわさない(悲)
 →これを「人見知り」と呼ぶかは不明


・・・・そして人生は続く。

takuto_papa1.jpg

投稿者 jun : 2007年6月29日 07:00


公務員の人材育成

 先日、某中央省庁の方が来研。短い時間であったが、「公務員の人材育成」のことで、相談を受けた。

 曰く、「公務員は、今、逆境にある」のだという。景気がよいので、人材が民間に流れていることもあるんだろうけど、

「保守的で創造性の高い仕事ができない」
「前例主義である」
「給料が安い」

 として、学生から忌避されているんだという。

 先に人事院が示したアンケート調査では、法学部3年生の第一希望の就職先は法科大学院が3割強、民間企業がやはり3割強、国家公務員は1割強という風になっている。民間企業の中では、給料のよい「金融」「コンサル」「シンクタンク」「マスコミ」などが人気だそうだ。

 採用の問題だけでなく、公務員という仕事の中で、「これからのキャリアが見いだせない」というのも問題らしい。仕事のできる有能な人たちが、官庁を去るケースが増えているのだという。

 有能な人たちが仕事を辞めれば、さらに現場は忙しくなる。多忙化すれば、本人のワークプレイスでの経験、学習が阻害される。そればかりか、その人の下につけられた若手の育成も阻害される。あとはデフレスパイラルが待っている。

 これらの背景には、「公的なものを支える」という自負が揺らいでいることもあるんだろう。ほんの一部で起きた不祥事は、あたかもそれが全体で起きているかのような印象を与え、バッシングがはじまる。

 過剰なバッシングに耐えることができるほど、人間のプライドは強くない。「公的なものを支えているという自信」が揺らぐ。「教師」や「医師」同様の状況が、ここでも起きている。

 僕の友人の中にも、公務員は多い。中には、朝7時から深夜2時、3時まで働く人たちもいる。官庁を去ってしまった人も多い。

 人材のマネジメント、あるいは育成に問題を抱えているのは、民間企業だけでない。ここにも大きな問題が横たわっている。

投稿者 jun : 2007年6月28日 15:06


サルバドール=ダリの名言

 現代美術のアーティストの中で、もっとも有名な人にサルバドール=ダリがいます。恐妻をもち、奇人変人パフォーマンスで世をわかせた人です。「記憶の固執」とか、彼の作品は、かならず美術の教科書にのっていると思うので、多くの方がご存じなのではないでしょうか。

記憶の固執
http://www5.ocn.ne.jp/~thanatos/dali.htm

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 で、彼の言葉にこんなものがあります。

 私はいつも人が見ていないものを見た
 人が見ているものを見なかった
(サルバドール=ダリ)

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 もちろん、ダリほどの天才になれば、「人が見ているもの」を「見ない」で、「人が見ていないもの」を「ゼロ」から「つくる」ことが可能なのだと思うのです。こういうのを「フロム・スクラッチからの創造活動」というのかもしれません。

 が、僕としては、これには少し違和感があります。
 これはいつもゼミなどで言っていることですが、「人が見ていないもの」をつくるには、多くの場合、「人が見ているもの」を「周知すること」が重要です。
「人が見ているもの」を自分なりに消化してはじめて、「人が見ていないもの」の存在がおぼろげながら見えるようになるのではないでしょうか。

「人が見ているもの」を消化するのは、思いの外苦しい作業です。言うのは簡単だが、実行はとても骨が折れる。

 でも、少なくとも僕の研究領域に関する限りは、「人が見ていないもの」を面倒くさがって「見ようと」しない人は、「人が見ていないもの」も見いだせずに終わる可能性が高いと思います。「人が見ていないもの=オリジナル」は、「人が見ているもの」との差異によって生み出される可能性が高いのではないでしょうか。

 否、さらに踏み込んでいうならば、研究だけに言えることではないのではないようにも思います。「フロムスクラッチからの創造」というのは、思いの他、少ないと思うのですね。和歌の世界なら本歌取り、芸美術の世界なら、パロディ、オマージュという表現の形式があります。この世の「創造活動」は、本歌取り、パロディ、オマージュを基本に成り立ってるのではないでしょうか。比喩的に言うならば、

 僕らは、先人の肩の上にいる。

 あるいは、

 私はいつも人が見ていないものを見た
 人が見ているもの「も」見ていた

 ということになるのかな、と。

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 今、見ているものは何ですか?
 人が見ているものですか、それとも誰も見ていないものですか?

投稿者 jun : 2007年6月27日 09:53


プロポーズ大作戦

 テレビドラマを毎週見ていたことを、この場で喋ってしまうと、

「中原君には、まだドラマを見る暇があるのか、じゃあ、まだまだ仕事ができるね」

 と勝手に判断されて、ワケのわかんない仕事を回されるので、イヤですね(笑)。でも、まぁ、昨日、「プロポーズ大作戦」を見終わりました。長澤まさみさん主演のヤツです。一週間に一度は、ドラマくらい見せてください。

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 このドラマのあらすじは、こんな感じ。

 ケンという優柔不断で、口べたな男の子と、彼と幼なじみのレイという女の子がいる。

 ドラマの舞台はレイと他の男の人の結婚式からはじまる。結婚式で花嫁のレイを見つめるケンは、レイを他の男の人にとられたことを、とても後悔している。

 そうしたら、あーら、不思議。なんと、変なオジサンがあらわれて、ケンを過去にタイムスリップさせてくれる。で、ケンは高校時代へタイムスリップ。レイとのハッピーエンドを目指して、記憶をつくりかえる旅にでる・・・。

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 昨日ドラマは終わって、結局、ハッピーエンドでした。いわゆる「花嫁を結婚式の真っ最中に、花婿から奪ってしまう」という、ダスティン=ホフマンの「卒業」のパロディ。花嫁走る、花婿意気消沈みたいな感じ。

 それにしても、こういう場合、何だか、僕はどうしても、花嫁を取られた方に同情しちゃうね。なんか、ハッピーエンドを迎えている二人が、腹立たしい(笑)。自分のことだとすれば、いやー、シャレにならん。僕は「呪うね」、心がちいせーから。

 まぁ、そんなハプニングが起こる結婚式には、個人的に出席してみたい気はする(笑)。「あれ、花嫁がぁ、変な若者と走ってくー」みたいな結婚式。他人事なら、ワクワクするんだろうけど(笑)。不謹慎かね、すまんね。

 それにしても、長澤さんは(・∀・)イイ!
 素晴らしいですね、ブラボー。

投稿者 jun : 2007年6月26日 14:19


リフレクションとは?

 リフレクションとは不思議な言葉である。「内省」と訳されたり、「吟味」と訳されたり。時には「反省」や「意味づけ」とされるときもある。

 一般に、学習科学の文脈において、リフレクションとは「学習者が自分の学習について意図的に吟味するプロセス」である、とされている。そして、「リフレクションを促すこと」は、様々な教育分野において、めざされるべき地平であるとされる。

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 科学教育研究最新号 Vol.31 No.2の出口明子氏による論文「理科教育におけるテクノロジを利用したリフレクション支援の研究動向」というレビュー論文を読んだ。

 一般にリフレクションを支援するには、下記のような方法があると言われているが、

1.Process display
2.Process prompting
3.Process modeling
4.Reflective social discourse

 この論文では、Linnらによって提唱された、このフレームワークを用いながら、「理科教育におけるテクノロジ支援」を分類していた。とても勉強になった。

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 昨日は、ある先生が、現在執筆中の「ワークプレイスラーニング研究動向」のレビュー論文を、少しだけ見せてくれた。こちらもとても楽しみである。

 レビュー論文とは、次の研究の方針を考える際に、海図の役割を果たす。「海図なき航海」は、漂流につながる。ありがたく読ませていただこう。

投稿者 jun : 2007年6月26日 11:49


なんか事例はありませんか?:事例の逆機能

 仕事柄、講演などをよく行うけれど、質疑応答などでよく投げかけられる質問にこんなものがある。

「なんか、事例ありますか? あったら教えてください」

 こういう質問には、

「○○大学では・・・・をしました・・・」
「○○株式会社では・・・・・なことをしました」

 と答えることが求められている。

 結局、いろいろなデータや理論を参照しながら話をしても、人はそれだけでは満足しない。データやセオリーから導き出される「実践がどのようなものであるか、そして、どんな出来事を生み出したのか」について興味をもつ。

 データやセオリーのような命題的思考と、事例のような物語的思考から、話された内容を理解するわけである。それ自体、全く悪いことではない。人間の理解の道理にしたがったリクエストである。

 しかし、中には、「事例だけを聞いてすべて理解したと考える人」も、たまに見受けられる。

「データや理論」を話しているときには下を向いておられるのだけれど、「事例」のところだけは熱心にメモをとり、それが終わると、またお眠りになるといった具合である。

「難しいことはいいんです、事例だけ教えてください」

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 そういう場合は、「事例」は命題的思考を補完するというよりは、むしろ、命題的思考を阻害し、思考停止に陥らせるような気もする。

 ある組織が、いつ、どこで、何をやったのか?

 はわかるけれど、それが「なぜ」起こったのか、「どういう結果がでたのか」は不問に付されるからである。これは、いわゆる「事例の逆機能」とよんでもよいかもしれない。こんな理由から、あんまり事例ばかりが求められるのも、いかがなものかと思う。
 
 事例は、どのように生かされるのか?

 意外に大問題である。

投稿者 jun : 2007年6月26日 08:53


今日まで最終申し込み「東大・教育の情報化」シンポジウム(シンポのみ残席あり)

いよいよ明日が当日。
シンポジウムのみ残席がまだございます。

参加をご希望の方は、
tree_symposium@tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでメール
をいただければ幸いです。

・若者に必要なコミュニケーション能力とは何か?

・仮想世界セカンドライフには、どのような大学
 や教育機関が生まれているか?

・携帯型音楽プレーヤーをつかった学習環境
 世界中でどのような広がりを見せているか?

・日本の若者のblog利用、SNS利用行動の現状は
 どうなっているか?

・東京大学は、どのように教育の情報化を進めているか?

 など多種多様なテーマから、「大学生とメディアの"今"」
をさぐります。ふるってご参加いただければ幸いです。


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 TREEワークショップ&シンポジウム2007
     - 大学生とメディアの"今"を探る -

  2007年7月27日(金)東京大学駒場キャンパス
       主催:東京大学 教育企画室
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■趣旨

 TREEプロジェクト (Todai Redesigning Educational
Environment:東京大学教育環境リデザインプロジェクト)
は、「ITを活用した東京大学の教育環境の改善」を目的と
する全学プロジェクトです。
 教育企画室の企画のもと、各学部、研究科、教育部に
よって推進されています。

TREEプロジェクト
http://tree.ep.u-tokyo.ac.jp/

 TREEプロジェクトでは、2005年のプロジェクト開始
以降、毎年シンポジウムを開催し、学内外から200名程
度の方々のご参加をいただいております。

 今年は「大学生とメディアの"今"を探る」という統一
テーマのもと、

 1)教育の情報化の最新動向
 2)教育コンテンツの著作権処理、開発の実務
 3)大学生のメディア利用の実態

 などを扱うワークショップとシンポジウムを企画し
ました。

「大学生をとりまくメディア環境の発展のスピード」は、
教育の情報化の進展よりもずっと早く、いまや日進月歩
です。TREEワークショップ・シンポジウム2007
では、大学生を取り巻く教育メディア環境の「今」の実像
をあますところなくお伝えすることができると思います。

 本ワークショップとシンポジウムは、大学において
教育情報環境の整備に従事なさっている方、教育の情
報化を推進している方、大学生をとりまくメディア環
境のトレンドについて知りたい方をメインターゲット
にしております。
 
 入場は無料です。
 ふるってご参加いただければ幸いです。

          東京大学 教育企画室長 岡本和夫
          東京大学 TREE会議議長 藤原毅夫
 
 -----
 
■日時と場所

 ○7月27日(金曜日)10時 - 12時
  【TREEワークショップ1】
   ・駒場アクティブラーニングスタジオワークショップ
   ・東京大学駒場キャンパス 17号館 2F
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/jpn/kyoyo/map.html

 ○7月27日(金曜日)10時 - 12時
  【TREEワークショップ2】
   ・教育の情報化 著作権処理ワークショップ
   ・東京大学大学院 数理科学研究科 演習室(B1)
    http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/access/index.html
 
 ※ワークショップ1と2は同時にパラレルで開催されます
 ※ワークショップ1はすでに締め切りました

 ○7月27日(金曜日)13時 - 17時
  【TREEシンポジウム】
   ・「大学生とメディアの今をさぐる」
   ・東京大学大学院 数理科学研究科 大講義室(B1)
    http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/access/index.html

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■参加費、および募集定員

 参加費は無料です
 懇親会は3000円を申し受けます

 ・TREEシンポジウム   学内・学外 250名
 
 ※ワークショップはメディアの取材はご遠慮下さい
 ※参加申し込みは一番下のフォームに必要事項を
  お書きの上、tree_symposium@tree.ep.u-tokyo.ac.jp
  まで7月15日までにご返送下さい
 ※ワークショップ1はすでに締め切りました

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■TREEワークショップ1の内容
 「駒場アクティブラーニングスタジオワークショップ」

 主催:東京大学 教育企画室
 共催:東京大学 教養学部附属教養教育開発機構
 企画:東京大学 大学総合教育研究センター
    マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
 協力:東京大学大学院 情報学環

 コーディネータ:望月俊男(大学総合教育研究センター)
         山内祐平(情報学環)
   サポーター:林一雅(教養学部附属教養教育開発機構)

 ○ご挨拶
  浅島誠(東京大学 副学長理事)

 ○企画趣旨
  (10:00-10:15)

 ○ラーニングスタジオ型教室の現在
  (10:15-10:30)

 ○ワークショップ
  (10:30-12:00)

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■TREEワークショップ2の内容
「教育の情報化と著作権ワークショップ」

 主催:東京大学 教育企画室
 企画:東京大学 大学総合教育研究センター
    TREEオフィス
 共催:東京大学 産学連携本部

 司会:西森年寿(大学総合教育研究センター)
 サポーター:類家利直(大学総合教育研究センター)

 ○企画趣旨
  (10:00-10:10)

 ○教育と著作権(レクチャーとディスカッション)
  末吉亙(弁護士・東京大学 法科大学院 客員教授)
  (10:10-11:10)

 ○東京大学における著作権処理の実際
  山本恵美(教育企画室)
  (11:10-11:30)

 ○東京大学におけるコンテンツ開発の実際
  重田勝介(大学総合教育研究センター)
  (11:30-11:50)

 ○全体質疑
  (11:50-12:00)


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■TREEシンポジウムの内容
 「大学生とメディアの今を探る」

 主催:東京大学 教育企画室
 企画:東京大学 大学総合教育研究センター
    TREEプロジェクトチーム

 コーディネータ:中原淳(大学総合教育研究センター)
 サポーター:神谷真紀(大学総合教育研究センター)

 ○ご挨拶
  岡本和夫(大学総合教育研究センター)
 (1:00-1:15)

 ○特別講演
  清水康敬(独立行政法人メディア教育開発センター)
 (1:15-2:05 : 質疑10分こみ)

 ○休憩
 (2:05-2:15)

 ○仮想環境「セカンドライフ」に出現した教育環境
  三淵啓自(デジタルハリウッド大学院大学)
 (2:15-2:55 : 質疑10分こみ)
 
 ○iTunes U:携帯型音楽プレーヤを活用した教育リソースの配信
  坂本憲志(アップルジャパン 教育プログラム推進)
 (2:55-3:35)

 ○休憩
 (3:35-3:45)

 ○日本社会の情報化の特徴と高等教育
  木村忠正(東京大学大学院 総合文化研究科)
 (3:45-4:25)
  ・・・大学生のSNS、blog利用調査などの側面から

 ○東大での取り組み1
  知の構造化センター
  松本洋一郎(東京大学大学院 工学系研究科)
 (4:25-4:55)  

 ○東大での取り組み2
  TREEプロジェクト
  藤原毅夫(大学総合教育研究センター)
 (4:55-5:15)

 ○懇親会
  司会:岡本和夫(大学総合教育研究センター)
 (5:45-7:30)

〆申込書・ココカラ---------------------------------
 TREEワークショップ&シンポジウム2007
 参加申し込みフォーム

 下記の必要事項をご記入のうえ、
 tree_symposium@tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 メールください

 氏名:
 フリガナ:
 ご所属 :
 メールアドレス:

 ※参加希望のセッションを下記よりお選び下さい。
  参加を希望しないセッションについては、削除
  をお願いします。

  なお、ワークショップ1と2はパラレルで同時に開催
  されます。両方参加いただくことはできません。
  どちらかを選んでください。

 1.TREEワークショップ1 参加希望
  「駒場アクティブラーニングスタジオワークショップ」

 2.TREEワークショップ2<学内限定> 参加希望
   「教育の情報化と著作権ワークショップ」

  ※ワークショップ2参加希望の方へ:
    教育と著作権に関して、事前に
    具体的な関心や質問についてコメントいただければ幸いです。
    質問や関心:(                  )

 3.TREEシンポジウム   参加希望
  「大学生とメディアの今を探る」

 4.TREE懇親会      参加希望
   (懇親会参加は当日3000円を申し受けます)

〆申込書・ココマデ---------------------------------


*今回いただいた個人情報につきましては、TREEプロジェクトから
ご案内を差し上げる以外の目的で利用することは一切いたしません。
また、ご本人の同意なく、第三者に提供することはございません。


■本ワークショップとシンポジウムに関するお問い合わせは
tree_symposium@tree.ep.u-tokyo.ac.jp

投稿者 jun : 2007年6月26日 08:29


夏を食べる:道玄坂・蛇の健寿司でいただくシンコとシロエビ

「東京で最も安くておいしい寿司屋」のひとつだと僕が思っている、渋谷・蛇の健寿司より、夏の風物詩。新子のネタがはいったとのお知らせ。

蛇の健寿司
東京都渋谷区道玄坂1-20-4
TEL:03-3461-4288
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E5%8C%BA%E9%81%93%E7%8E%84%E5%9D%821-20-4

 まずは新子。
 既にやや大きくなっていて、3枚付け。
 しっかりとしめっており、うまい。脂がのっています。

shinko_2007.jpg

 お次は、佐賀・関のイサキ。コリコリとした感触がよいですね。

seki_isaki.jpg

 ねっとりと甘いぼたんエビ。
 そして、磯の香りが漂う石垣貝。

botan_ebi.jpg

ishigaki_gai.jpg

 お次は好物、富山のシロエビ。甘くねっとりとしている。

toyama_shiroebi.jpg

 この日は、このほかに8カン+おつまみ+生ビール×2+日本酒1をいただく。プラッと酔って、さっと帰るつもりが、いつものように、健さんとオカミさんとの話がおもしろく、2時間も居座ってしまった。しめて7000円。いやー、安いですね。

 お世話になりました。
 また来ます。

投稿者 jun : 2007年6月25日 08:51


Teacher proof : どんな教師でも使えちゃう性

 耐教師性(Teacher proof)という言葉がある。一言でいえば、「どんな教師でも使えちゃう性」。

 一般に、カリキュラムや教材などを論じるときに使われる言葉で、「あの教材、耐教師性が高いよねー、だよねー」というと、「どんなに経験の足りない教師でもすぐに利用できるように設計されている教材だよねー」という意味になる。

 例にもれず僕の「うろおぼえ」で恐縮だけど、確か、耐教師性は、1950年代から1960年代のアメリカ、いわゆる「モダン教育学」で頻繁に用いられた言葉であると記憶している。

 モダン教育学は、耐教師性の高い教材や学習原則を、大学の研究者が開発し、実践者が実践現場でそれを利用する、という図式で研究が進んでいた。

 しかし、それが1980年代にはいって批判され、いわゆる「ポストモダン教育学」が生まれる。ここにおいて「耐教師性」という言葉は、いわば「時代遅れの」「いにしえの」概念として、忘れ去られた。

 その後、教育学では、アクションリサーチなどの方法論が主張されるようになる。アクションリサーチは臨床的に「その場の、その問題」を実践者と研究者が協働で解決することがめざされるプロセスコンサルテーションである。そこには、かつてのダイコトミーである「研究者と実践者」の役割分業は - 少なくとも理念的には - 薄まっている。

 ---

 しかし、僕は思う。

 80年代の批判を通して、「研究者と実践者の非対称な権力関係」は再構築をせまられてもよいことだったのかもしれないが、「耐教師性」は本当に「忘れ去られてよかったことだったのか」と。

 教育とはいつの時代も、個別具体的な現象である。故に、「その場で生まれた、その問題」を解決することは、正しいと思う。

 しかし、そのようにして生まれた革新的な教育環境は、おうおうにして、研究者の手を離れた時点で、うまくいかなくなる。あるいは、当該研究者の属するコミュニティを離れて実践されることが、そもそも試みられない。こうした事態は、自戒を込めていうが、研究の現場では頻繁に起こる。

 この問題を指摘されると、僕なんかは「痛いなぁ」とアタマを抱えてしまい、「モゴモゴ」と口ごもってしまう方なんだけど、対応は人によって異なる。
 普及や一般化といったモダンの概念に関しては、「興味がないと裁断すること」、あるいは、「その場で生まれた、その問題にこだわること」が、研究者としてコレクトな態度とされる傾向もないわけではないように思える。

 もちろん、先に述べたように、「耐教師性」を志向しようにも、それが実現できる保証はない。しかし、だからといって、それは「あきらめてよいもの」であったかと問われれば、僕は、どうしてもそう思えない。

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 今から10年前。まだ僕が学生だった頃、耐教師性は「60年代の遺物」として教えられ、当時の僕は、何の疑いも持たず、それをアタマにたたき込んだ。

 それから10年・・・かつて折り合いをつけたはずの概念に対して、今なお、逡巡してしまう自分がいる。

投稿者 jun : 2007年6月25日 08:15


「意味づけ」が未来を左右する!?

 最近の若者は、就職しても3年間で36%が辞める。このところ、リテンションの問題は非常に注目されている。

 ちょっと前のことになるけれど、雑誌AERA(2007年6月4日 p75)に、「新人が最初の1年で遭遇する共通場面」の記事がのっていた。その共通場面に対して「プラスの意味づけ」「マイナスの意味づけ」をするかで、その後のリテンションが変わるのだという。

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●配属が思い通りにならない

 ■プラスの意味づけ
 ・学べることはたくさんある
 ・ここでできることをやって力をつけよう

 ■マイナスの意味づけ
 ・こんなことをやりたいわけじゃなかった
 ・つまらない仕事だ

●基本的な小さな仕事、ルーティン

 ■プラスの意味づけ
 ・これは大切な仕事なんだ
 ・これからの仕事の土台がここにある

 ■マイナスの意味づけ
 ・何のためにやっているのかわからない
 ・つまらない仕事だ、いつまで続くんだ

●小さな向上、小さな成果
 ■プラスの意味づけ
 ・少しは進んでいる
 ・このようにやっていけばなんとかなる

 ■マイナスの意味づけ
 ・これくらいじゃだめだ
 ・次のことが気になる

●ほうれん草
 ■プラスの意味づけ
 ・疑問や違和感を率直にいっていいんだ
 ・上司は報告・連絡・相談を待っている

 ■マイナスの意味づけ
 ・どうせ聞いてくれない
 ・こんなことを報告しても意味がない

●山積みの仕事
 ■プラスの意味づけ
 ・ひとつひとつできることからやっていこう
 ・どこまで進んでいるかをきちんと報告しておこう

 ■マイナスの意味づけ
 ・やってもやっても終わらない、ずっとこうなのか?
 ・こういう仕事の配分はおかしい

●ミス
 ■プラスの意味づけ
 ・二度と同じことを繰り返さないようにしよう
 ・仲間はありがたい

 ■マイナスの意味づけ
 ・自分はダメだ
 ・自分だけの責任じゃない

●なかなか成果があがらない
 ■プラスの意味づけ
 ・少しでも前に進んでいると感じる
 ・ここまではできた、あとは先輩に相談しよう

 ■マイナスの意味づけ
 ・このままではダメだ、結果をださねば
 ・自分には能力がないのでは

●結果
 ■プラスの意味づけ
 ・成果をこころから喜ぶ
 ・結果を真っ正面から見る
 ・次にいかす

 ■マイナスの意味づけ
 ・終わってほっとする
 ・落胆する、仕方ないと思う
 ・評価を怖がり、真っ正面から見ようとしない

 ---

 印象的だったのは、プラスの意味づけに「学べることはたくさんある」とか「少しでも前に進んでいると感じる」や「このようにやっていけばなんとかなる」なんかが入っていたことである。

 要するに「先が見える」とよい、ということだろうか。正統的周辺参加論的に考えると、「周辺的位置にいる人間が、中心的活動へ移行する際に、そのプロセスが見通しよく見えること」ということになるかもしれない。

 この「見通しの良さ」がポジティブに認識されればOK,ネガティブなら逃避を考えてしまう。「見通しの悪いトラジェクトリー」につきあうほど、「夢見る若者」じゃいられない。
 つくづく、若者の行動を左右しているのは「今やっていることの意味づけ」である、と思う。

 ---

 それにしても、「上司」のところは大変だなぁ、と思う。

「部下が疑問や違和感を率直にぶつけてくることをよしとする上司」「報告・連絡・相談を待つ上司」

 という「役割演技」は骨が折れるな、と思う。

 若者は「上司とつきあうことはストレスである」と感じるかもしれないが、想像するに「上司であることも、ストレスである」と想像する。大学は「シャバ」の世界とは違うので、ちょっとこのあたりは想像でしかないのだろうけれど。

投稿者 jun : 2007年6月24日 07:09


THE NPO : アカデミズムと現場をつなぐ

 先日、留学中に知り合ったイベッタさんが、来日するとのことで、ランチを一緒にすることになった。

 彼女は、1年のうち半分をボストンのEDC(Educational Development Center)というNPOで勤務し、半分を故郷のマニラで過ごしている。

Education Development Center
http://main.edc.org/

 このたびの来日は、2年前から彼女が従事している「小学校の先生用の異文化理解プログラムの開発」の仕事の一貫であった。

 岩手大学の先生と協働で2年間かけて、カリキュラムをつくり、ワークシートをつくり、実際に岩手の小学校の先生を20名ほど集めてワークショップを行った。今回のワークショップでは、満足できる結果が残せたという。

 ---

 前にこのブログでも話したことがあるけれど、米国の教育現場とアカデミズムを「つなぐ」役割として非常に大きな役割を担っているもののひとつに、NPOがある。

 NPOというと、なんか「小さな事務所」で「ボランティアな人々」が働いているイメージがあるけれど、それは違う。

 たとえば、先に紹介したEDCは、世界35カ国で320のプロジェクトを遂行するNPOで、そこには1000名以上の専任スタッフがいる。その様子は、ほとんど「会社」。「教育系の民間専門シンクタンク」といってもよい。その業務も、カリキュラム開発、システム開発、評価と多岐にわたる。

 こうしたNPOには、大学院で教育学を学んだ学生が、インターンとして働いている。ボストンが所在地なので、ハーバードの学生も多い。仕事をしているうちに、スキルや経験を積んで、コンサルタントとして独立するものも多い。博士号を取得している人も数多いので、大学の教壇に戻る人もいる。

 ---

 「現場」と「アカデミズム」の連携が唱えられて久しい。多くの識者がそれを指摘する。

 しかし、そこで話題になっていることの多くは、「研究者は現場に尽くすべきだ」的な「精神論」か「現場に貢献するための方法にはこんな手法がある」的な「研究方法論」の話である場合が多い。

 そうした議論も必要だ。しかし、「現場とアカデミズムの連携を本気で考えたい」のであれば、二つをつなぐ組織間スキームを構築し、そこにうまくリソースが配分される「しくみ」を考えなければならない、と思う。

 米国NPOのいくつかが、大学と社会、大学と行政、大学と教育現場をつなぐ役割を果たしているのと同じような「しくみ」を用意しなければ、それはいつまでたっても、「研究者の資質」や「方法論」に還元されてしまう。

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 僕も、研究開発型のNPOを経営するひとりである。立ち上げからはや4年。ようやく事業は一定の軌道にのったように思えるし、Learning barなどの公開研究会も知られてきた。

 しかし、その活動は米国のそれと比べると、非常に限定的であり、心許ない。仕組みとしては、同じようなところをめざしているけれど、専従スタッフを抱えることのない我々の活動には限界がある。

 僕は将来何をするべきなのか・・・そして、何をしたいのか? そして、そのためには、アカデミズムと社会とのあいだに、どのようなスキームを構築するべきなのか?

 イベッタと話していると、つい、考え込んでしまう。

投稿者 jun : 2007年6月23日 07:00


UT OCW : 緒方貞子先生、佐伯胖先生の講義

 UT Open Course Wareに新しいコンテンツがぞくぞくと追加されています。TREEの重田さん、山本さん、類家さん、他学生さんたちが、日々、コンテンツの充実につとめています。

学術俯瞰講義「社会から見たサスティナビリティ」
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-list/ut-lecture-series/sustainability-2007/movies.html

学術俯瞰講義「学問と人間」
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-list/ut-lecture-series/academics-and-humans-2006/movies.html

 「社会から見たサスティナビリティ」は、緒方貞子先生の特別講義があります。「学問と人間」では、学部時代の指導教官・佐伯先生も「人間を科学する」というタイトルでご出講いただいています。

 佐伯先生の冒頭、

「科学的ってのはね、何となく、わかりにくいですね、これ」

 には笑ってしまいました(笑)。学部以来に聞く、ひさしぶりの佐伯節でした。

 ちなみに、UT OCWでは、RSSの配信を始めました。下記をRSSリーダーにご登録ください。

UT OCWのRSS
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/index.rdf

 ---

■UT Open Course Ware(東大オープンコースウェア)

cnt_logo.gif

投稿者 jun : 2007年6月22日 07:00


感情労働と教育現場:モンスターペアレントのイチャモン

「感情労働」という専門用語があります。アーリー=ホックシールドという社会学者が提唱した言葉で、のちに「感情社会学(Sociology of emotion)」という一大研究領域をつくりだした用語です。フェミニズム関係の話でよく取り上げられる文献ですね。

 僕が社会学学徒ではないので、昔読んだ本のことを思い出しながら書くと(スミマセン、はっきり覚えていません)、ホックシールドさんはこんな風に言ったのではないかな、と思います。

 曰く、サービス産業に従事するということは、「感情や心を切り売りするということ」、いわゆる「感情労働」に従事することである、と。

 「客」を前にして、労働者は自分の「心」を管理し、演技を行い、どんなクレームにも平静を保ち、よい印象を与えることが求められる。要するに、いかなるときであれ、感情を管理し、操作し、「印象操作」を行うことが求められる。これが「感情労働」の本質です。

 産業革命以降、人は「体を切り売りする」、つまりは「肉体労働」に従事していました。「工場でめいっぱい働いて、あー、筋肉が疲れた、さー飲みに行こう!」という感じの労働。

 しかし、感情労働は違いますね。「心が疲れる」。それは、自分を殺し、自分を演技する。

 ホックシールドさんがあげた感情労働の事例としては、スッチーがあります。たしかデルタ航空?だったと思うのですが、そこでの客室乗務員の職務というのは、感情を押し殺し、客の理不尽な要求にも耐えるものであった。

 たとえ、「困ったちゃんの客」がいても、客が悪いとは考えてはいけない。「うわー、この客、マジウゼー」と思ってはいけない。

「そういう客に対して嫌悪の感情をもつこと、そのことが、そもそも客室乗務員としては不適切であり、禁止されている」のです。それでお金をもらっている。だから、常に精神的に追い詰められる可能性があるのですね。

 ちなみに、ホックシールドさんは客室乗務員を感情労働としてあげましたが、客室乗務員は肉体労働でもあるみたいよ。

 先日、客室乗務員の方にお話を聞いたら、あの飲み物とか食べ物を運んでくるカートは、40キロもあるらしい。あれをゴロゴロしているうちに、腰をいためるのだとか。うーん、40キロは重すぎるよな。
 でも、よくトイレに行きたいときなんか、カートの「脇」をとおしてもらいますよね、すみません、とかいって。これって、重いだろうね、だって、40キロを横に動かさなくてはならないだろうから。

 閑話休題

 感情労働については、まー、いいとして、僕が言いたかったことは、教育の現場、その労働も、急速に「感情労働化」しているのではないか、ということです。

 教育が「サービス」として位置づけられ、親や子ども、学生が「お客様」化していく。そうした教育の「市場化」の動きとあいまって、教師の労働の「感情労働化」が進行する。

 最近は、イチャモンをつけてくるクレーマーの親のことを「モンスターペアレント」と言うそうですね。こないだ、ある現場の先生に教えてもらいました。

「教育もサービスなのだから、○○してくれてアタリマエ」

 という感じなのでしょうか。そんな親だけでなく、なんか、自分の立場を勘違いしちゃってる子どもいると思うけど。

 そうしたモンスターのような親や子どもの肥大化する欲望に、いかに自分の感情を殺し、管理し、演技をして対処するか。サービス提供主体に位置づけられた教師は、ハッキリ言ってキツイですね。

 でも、なんか、こうした教育の現場の「感情労働」が行き過ぎると、その先に広がる地平は、いくつかの可能性しかないのかな、と思ったりもするのです。そしてそれは長期的に考えれば、教育の受け手にとって必ずしも得にはならない。

 この可能性を考えるにあたり、前提として「人間の感情労働力は有限である」ということがあります。感情のマネジメントは無限にできることではない。だったら、いくつの「可能性」がありうるか。

 感情労働については専門じゃないので無責任に言い放つけど、下記のようなシナリオが、何となくありえることかなぁ、と。

 ひとつ、そもそも、教育現場からの逃避。もうやってられない、という風になる。

 ふたつめ、教師の役割の限定化。かつてある社会学者は、「教師の職業は無限に続く」と言いましたが、それが崩壊する。9時から5時の終業時間だけしか、対応しない。

 みっつめ、マニュアル化。まともに感情をもって対処するのがしんどい場合には、そもそも感情を介入させなくてもよいシステムを構築する他はない。親と子どもとのインタラクションには、マニュアルに従って、マニュアルにそって対応するようになる。

 よっつめ、教師に対するカウンセリングサービスの導入。彼らの感情をマッサージする職業が広がる。

 いつつめ、専門家の介入。教育現場にカウンセラーが入ったときと同じように、「お客さん」対応を行う専門の職業が学校に導入され、活躍するようになる。

 要するに、どのオプションも、教育の提供側と受け手の回路は薄まることはあっても、強固なものになることはない、ということなんだけど。どうでしょうか・・・僕の「不足する想像力」では、このくらいのオプションしか、思い浮かびません。

 いずれにしても、シンドイよなぁ。

 ---

追伸.
 先日からちょこちょこと見ている、我がサイトの「ヘナチョコWeb解析ツール」によりますと、このblogの1日の読者数が、先日15日、とうとう1万人を突破しました。ページビューは1日3万ページ。ありがたき幸せ、ごっつあんです。小生、さらに励みます。

投稿者 jun : 2007年6月21日 07:00


ハワイでの休暇

 ゴールデンウィークは殆ど仕事をしていましたので、先日、思い切って、どかーんと休みをとりました。

「カミサン、子育てご苦労さま」の意味をこめて、家族3人でハワイに行ってきたのですね。タクにとってははじめてのハワイ、いいえ、はじめての海外旅行です。

hawaii_hikouki.jpg

 ハワイへのフライトは7時間から8時間。タクは、ちょっとグズッたりもしていましたが、結構、バシネットで大人しくしていました。

 上記の写真は、「窓から空を見ているところ」。空が下に見えるのって不思議だろ、なんで飛行機って飛べるんだろうね。

hawaii2_jyoriki.jpg

 ようやくハワイ上陸です。常夏だねー。ワイキキのメインストリート、カラカウア通りで一枚。

 ハワイでは、ショッピングをしたり、海にはいったり、ラナイでマッタリしたり。子どもが一緒なので、無理はできません。でも、そのぶん我が家が陥りがちな「あれもこれもなスケジュール」にならず、「ゆっくり」過ごせたかも。

hawaii5_umi.jpg

 カハラのサンデーブランチを日本から予約しました。これはよかったなぁ。苦労して予約したかいがあった(お代はカミサンのオゴリ・・・しっかりこの場で書くように言われています)。この日は、「父の日」だったので、ものすごく混んでいました。

 ・
 ・
 ・
 ・

 そんな感じで、あっという間の4日間。今回の旅行は、メールも読まない、活字も読まない、「本当の休暇」にしました。

 数年前、カミサンとイタリアにいったのですが、その際はパソコンもっていったんですよね。で、日本と頻繁にメールでやりとりをしていて、カミサンにあきれられた。で、今回は、パソコンを敢えておいていきました。

 これは、よかったです。「活字」からも、「キーボード」からも数日間離れていたので、脳が「ちょっぴりメルトダウン気味」ですけれども。

hawaii_final.jpg

 というわけで、また、近いうち旅行したいね。

投稿者 jun : 2007年6月20日 22:00


今度のLearning barは「組織開発」!

 以前、お知らせしていたように、7月20日、Learning bar@Todaiを開催します。うちの妹の誕生日、故郷旭川のお祭りの日ですね(どうでもいい?)。

 Learning bar@Todai、今回のお題は「組織開発」

 どどーん、パフパフパフ。

 組織のあるべき方向を見定めたり、組織の目標をみんなで再定義したり・・・そんな「組織を元気にする手法」を、体験ワークショップでさぐっていきます。

 下記をお読みになって、ふるってご応募ください。

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Learning bar@Todai 2007

「組織は本当に変われるのか?」ワークショップ

2007年7月20日(金曜日)東京大学
=================================================

 あのLearning barが「本郷」で、また開催されます。

 2007年7月のLearning bar@Todaiは、オーセンティック
アソシエイツ代表の中土井僚(なかどい・りょう)
さんをお招きして、組織開発(Organizational Development)
のワークショップを実施します。

 ・組織開発(組織学習)とは何か?
 ・導入事例紹介
   1.アクションラーニング
   2.AI(アプリシエイシブ・インクアイアリー)
 ・AI体験ワークショップ
 ・組織開発導入の可能性と障壁 

 などについて、体験ワークショップをふまえ、現状を
ご報告いただけると思います。

 ちなみに組織開発とは、「アクションラーニング、
ファシリテーション、コーチング」等の手法を用いて、
組織のケイパビリティを向上させたり、組織の活性化
をめざす試みのこと。

 中土井さんは、国内のいくつかの企業をクライア
ントとして、組織開発、エグゼクティブ・コーチン
グ、研修・ワークショップのデザインやファシリテ
ーションなどを手がけていらっしゃいます。

 つい先日開催されましたASTD2007(全米人材育成協会
大会)では、組織開発の様々な手法に熱い視線が注がれ、
いくつものセッションが組まれていました。

 参加をご希望の方は、下記のフォームに必要事項
をご記入のうえ、6月30日までに
sakamoto [atmark]tree.ep.u-tokyo.ac.jpまでご
連絡下さい。

 なお、今回のワークショップは人数を40名に限定
し、大学関係者10名、企業関係者30名という構成
に致します。

 また、希望が多い場合には大変恐縮ですが、抽選
とさせていただきます。抽選結果は、7月5日まで
にe-mailにてご連絡いたします。あしからずご了承
ください。

    企画担当:中原 淳
         Educe Technologies・副代表理事
         東京大学・准教授

※Learning bar / Cafe (Seriousを含む)は、NPO法人
Educe Technologies主催、東京大学大学院 学際情報
学府 中原研究室が共催する公開研究会の俗称です。

 ---

○主催
 NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
 http://www.educetech.org/
 
 EDUCE TECHNOLOGIESは、教育環境の構築に
 関する調査、研究、コンサルティングを行う
 非営利特定活動法人です。
 
 副代表理事 中原 淳


○共催
 東京大学大学院 学際情報学府 中原淳研究室
http://www.nakahara-lab.net/
 
 
○日時
 2007年7月20日(金曜日)
 午後5時30分より午後9時まで
 
 ※時間が限られておりますので、定刻通り
  に始めます。本郷キャンパスは意外に
  広いです。くれぐれも、迷子になりませんよう。
 
 
○場所
 東京大学 工学部2号館 9F 92B
 大学院情報学環 教室
 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html

 ※地下鉄丸ノ内線からは徒歩で20分はかかります
 本郷キャンパスは広いので、お早めにお越し下さい。 
 
 
○食事
 簡単な食事と飲み物を準備いたします。
 食事の雰囲気はこちらをご参考にしてください。
 http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/03/lego_serious_play_2.html
 
 
○内容(案)

 □開場
 (5時00分)

 □Learning barのご紹介と企画趣旨
 (5時30分-5時40分)
  ・中原 淳(東京大学)

 □ワークショップ開始
  1.組織開発(組織学習)とは何か?

  2.導入事例紹介:
   「システム開発会社A社における
    意識変革プロジェクト
    - Blog型他責社員たちの経営
    参画への道~」

    実際の事例を元にストーリーを
    交えながら、AI、アクションラ
    ーニングなどの手法を紹介

  3.AI体験ワークショップ

  4.組織開発導入の可能性と障壁 
 
 
○参加費
 3000円(一般・学生)
 (講師謝金、食事代、飲み物代等に
  支出いたします)

 
○参加者
 参加をご希望の方は下記のフォームをご利用のうえ、
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpの
 メールアドレスまで、お申し込みをお願いします。
 
 
〆ココカラ=======================================
 参加申し込みフォーム
 sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
 6月30日までにお申し込み下さい
-------------------------------------------------

氏名:
フリガナ:
所属:
メールアドレス:

〆ココマデ=======================================

投稿者 jun : 2007年6月20日 07:00


ヒューレットパッカードのコミュニティ・オブ・プラクティス

 The learning organizationという学術雑誌に掲載されていた、コミュニティ・オブ・プラクティスの事例論文を読みました(荒木さんに頂いた)。

 ヒューレットパッカード・コンサルティング・インテグレーションという日本の会社において、「Learning Community」っていう名前のコミュニティ・オブ・プラクティス(実践共同体)をつくりましたよ、という事例論文なんですけど。

 HPさんでは、「知識共有」に関する試みは、従来からいろいろやられていたそうですね。

 年に一度、その年のサクセスストーリーを共有する「ベストプラクティスフォーラム」を開いたりしていた。
 あと、ベテランコンサルタントが、経験のないコンサルタントを救うためにつくったサクセスメソッド集「サービスデリバリーキット」ってのがあるらしい。

 で、それに加えて、先ほど書いた「Learning community」があるわけですね。

 このLearning communityは、同じビジネスユニット内で働く社員がつくる場合もあったし、部門は違うけれど同じ職種(profession)ごとに集まった場合もあった。Webやメーリングリストの仕組みもあって、virtualとrealをむすびつけたような場でったようです。

 ・・・てなことを、事例として紹介する論文だったのですが、特に興味をもったのは、このLearning communityが、KM部門(Knowledge Management部門)のハンドリングというか、支援によって実施されていた、というところなんですよね。どこか自然発生的におこるのが、CoPsの特徴かな、とも思うんですが、この会社ではそれをprofessionに見る人がいて、管理していた。

 うーん、どうなんだろう、やっぱり、社内のナレッジ環流を専門的に見る人って必要なんだろうか、と考え込んでしまいました。でも、なかなかそれぞれの事業部をまたいで活動するのって難しそうですよね。話している内容だって、それぞれコミュニティにspecificな話題になるだろうし。

 そういう部門にいる人は、どういうスキルをスペシャリティとして持てばいいんだろうね、と思うんですよね。やはり、ジェネラルなファシリテーションスキルとかなんだろうか。

 ちょっと昔の本になりますが、名著に「リクルートのナレッジマネジメント」というのがあります。いわゆる「ナレパラ」の事例ですけれども。ここにも、そういう専門の人がいましたね。

 やっぱりそういう風な外部からのお膳立てがあって、CoPってできるものなんだろうかね?・・・もちろん、ほおっておいても、自然発生的にCoPが生まれちゃう会社、あるいは、そもそもCoP的な活動が、ディリーオペレーションの中に埋め込まれている会社はあるんだろうけど、やっぱり、いろいろタネはまかないとアカンのかなぁ。

 ちょっと疑問です・・・モンモン。

投稿者 jun : 2007年6月19日 07:00


制作者の苦労:デジタル教材設計論

 僕の大学院講義「デジタル教材設計論」も、はやいもので、もう「折り返し地点」まできましたか、うん?、まだ?。先日は「Jasper」についての発表でした。

 Jasperは、何らかのかたちで「教材に関係する人」ならば知らないでいることが許されない教材ですね。泣く子も黙る認知心理学者のジョン=ブランスフォードさんたちが、巨額の費用をかけて制作したビデオ映像教材です。

 ブランスフォードさんたちは、「知識」や「スキル」が発揮されるための条件として「文脈」を考え、当該知識やスキルを教授する際に、文脈に「錨づけて(Anchored)」教授することを考えました。

 リアルな文脈を再現するのが、ビデオ映像というわけです。これを数学とか、科学教育の文脈で実現したのが、Jasperプロジェクトという映像教材になりますね。

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 それにしても、大学院生さんがやってくれる「教材の紹介プレゼンテーション」を、教室の後ろで聞いていて、いつも思うことがあります。つい、「制作者の立場にたって、あー、これは創るの大変だったろうな・・・」と考えてしまうのです。

 嗚呼、Jasperも相当大変だったでしょうね。
 なにせ、「Anchored Instruction」というコアコンセプトを「ひねりだす」のも一苦労なのに、それを実現する「カリキュラム」を構築し、台本書いて、役者を雇って、ロケをして、さらには応用問題のドリルをつくり、ティーチャーズマニュアルをつくって・・・これだけやって、ようやく「パッケージ」にしたはずです。

 何度となく評価も繰り返したでしょう。きっと、つくっては壊し、壊しはつくってじゃないのかなぁ・・・。おそらく、そのあとには、様々な先生方に使ってもらうためのプロモーション活動だってあったはずです。また論文、書籍もたくさんでていますからね・・・。

 今回、講義で扱っている教材は、どれも、その背後には、制作者、あるいは研究者の苦労があります。授業にもう少し時間の余裕があったら、そういうのも話せるといいんだけどね。そこまでは1時間半の授業では、なかなか難しいですね。

 これから、さらに段々と複雑な原理に基づく教材がでてきます。あと「半分」、まだ?、まぁ、いいや、僕自身が一番楽しみにしているかもしれません。

投稿者 jun : 2007年6月18日 07:00


組織の「バリュー」をいかに伝えるか?

「組織のバリュー」をいかに伝えて、「組織構成員の行動」を変容させうるか?

 先日、こんな話を、あるコンサルタントの方としました。

 バリューというのは、わかりにくいね、要するに「組織がかかげる行動規範、価値観、戦略」といったものでしょうか。そういうものをどのように組織メンバーが共有するか、というのが現代的課題なのだそうです。

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 教育や学習の観点からすれば、「バリュー」だろうがなんだろうが、要するに「AとはBである」という「知識」です。

「知識を伝える」という、いわゆる「Knowledge Transmission view」の立場にたてば、問われることは「バリューを効率的に正確に伝達するか」ということになりますね。

 この場合、バリューを様々なメディアで配信したり、朝礼や各種のイベントのときに折に触れて唱和したり、たとえば「手帳」に印刷して常に携行させる、などの方策が試みられるんでしょう。要するにバリューへの接触頻度、オポチュニティを増やすことによって、伝達の効率性を向上させるということです。

 このようにすれば、確かにバリューは「伝達」できるかのように思います。でも、よく考えてみると、「伝えればOK」かというと、
そうじゃない。バリューは、「組織構成員の行動変容」にむすびくことが重要なのです。「伝えられても、行動が変わらなければ何の意味もない」。

 そう考えるならば、話が全く変わってきますね。じゃあ、「組織構成員の行動変容」にむすびつくようなバリュー共有の手法を考えなくてはならない。

 先ほどの味方が「Knowledge Transmission view」だとすれば、こちらは「Behavior Transformation View」と言えるかもしれません。

 それにはきっと様々な有効な手段があるんだろうと思うんです。でも、僕たちが話し合ったときに、「これは有効だよねー」と言っていたひとつの手段が、「バリューを伝える」というアプローチではなく、「バリューをみんなでつくる」という方向への舵の切り方ですね。いわゆる「構成主義」的な、といいましょうか、そういう方向でものを考える。

 つまり、組織の価値観や行動規範、戦略といったものの構築作業に、なるべく多くの人々を「参加」させる。バリューのステイクホルダーたちには、なるべく最初から「関与」を求め、そのことによりコミットメントを引き出す、というアプローチですね。そうすれば、「組織のバリュー」といった「本来伝達の難しいもの」が、共有できるんじゃないか。

「バリュー」が、どこか遠くでつくられた「尊いけれど、自分には全く関係ないご託宣」とうつるのではなく、「他ならぬ自分たちがつくった、自分たちの行動規範」となる可能性があがるのではないか、ということですね。どうでしょうかね?

 具体的な手法は様々に考えられると思うんです。

 大規模なストーリーテリングといってもいいでしょうし、シナリオプランニングといってもよい。要するに、どんな手法でもいいんですけど問われることは「バリュー構築にいかに人を効率的に巻き込み、参加させうるか」ということです。

 これね、今日は会社を念頭において話しましたけど、学校などの非営利組織とかにも、今求められているのかもしれませんね。

 学校の「特色」「戦略」「価値観」に、多くの人々をいかにインボルブさせ、デイリーなオペレーションを変容させうるか。こうしたことも、とてもオモシロイ研究課題であるように思います。

投稿者 jun : 2007年6月17日 07:00


7月27日は東京大学でシンポジウム「大学生とメディアの今をさぐる」

 来る7月27日午前10時 - 午後5時まで東京大学駒場キャンパスで、毎年恒例のイベントとなりましたTREEシンポジウムを、東京大学で開催いたします。今年で通算3回目になります。

TREE : 東京大学 教育環境リデザインプロジェクト
http://tree.ep.u-tokyo.ac.jp/

TREEシンポジウム2006
http://tree.ep.u-tokyo.ac.jp/archives/2005/07/post_5.html

MEET開設記念シンポジウム2007(TREE共催)
http://utmeet.jp/events/index.html

 ---

 今年の目玉は、ズバリ、「ワークショップ」と「シンポジウム」の2部構成になっていることです。

 前半ワークショップは、

1.駒場アクティブラーニングスタジオでの公開ワークショップ
 駒場アクティブラーニングスタジオは、東京大学初のIT支援型スタジオ教室です。ここで、スタジオ教室を使った模擬授業等を体験いただけると思います。学内外から80名の方を募集いたします。

2.著作権処理ワークショップ
 弁護士の先生、著作権処理の実務家をお招きして、「教育の情報化」の際の実務を学ぶワークショップです。こちらは30名限定、ただし学内限定です。

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 後半シンポジウムは、テーマを「大学生とメディアの今をさぐる」と題しまして、

 ・ソーシャルネットワーキングサービス
 ・仮想世界「セカンドライフ」
 ・携帯型プレーヤー

 などをとりあげます。研究者、実務家、民間企業から、その道に最も詳しい方々にご登壇いただきます。これらのイマージング・メディアを使いこなそうとしている大学の最新事例、大学生の情報行動の「今」などをうかがい知ることができると思います。

「教育の情報化」というと、「PC」や「WEB」だけを想定していないでしょうか?

「大学生の情報行動」は、いまや、我々の想像を絶する早さで、進化しています。その様子をご紹介します。また、シンポジウムでは、東京大学の「教育の情報化」の最新動向についてもお知らせできるものと思います。

 詳細は、またこのWebサイトでお知らせいたします。とにかく、7月27日金曜日のスケジュールをぜひ、押さえていただければ幸いです。

投稿者 jun : 2007年6月16日 07:00


国語の便覧が好きだった!

 こんなことを言うと、「アンタ、変わりもんね」と言われそうですが、高校時代の僕は「国語の便覧」が好きでした。

「国語の便覧を使って勉強すること」が好きだったのではありません・・・残念ながら全くそんなことはありません。

 授業中、暇なとき、退屈なときに、便覧にのっている「作家」の「破天荒な一生」を読み、勝手に、思いをはせたりすることが好きだったのです。

 授業で扱われるテキストにはあまり感情移入はできませんでした。が、なぜか便覧には「ぐぐっ」と入っていけたのです。

 特に好きだったのは、「太宰治」「芥川龍之介」「坂口安吾」などでしょうか。うーん、いかにも、「思春期の青年」によくありがちなリストですね。

 恥の多い生涯を送ってきました

 人間は生き、人間は堕ちる

 人生は地獄よりも地獄的である

 なんていうような彼らの「無頼な文章」に出会うと、ひょえー、という感じで、「そうだそうだ」と、一人、深く人生にうちひしがれる「フリ」をしておりました。

 ---

 先日、電車に乗っていたら、たぶん高校生くらいだと思うのですが、国語便覧を熟読している学生に出会いました。なんか物憂げな顔をしながら、30分以上も、フンフンと読んでいる。

 あー、こいつも好きなんだなぁ・・・。

 15年前の自分を見るようで、何だか、懐かしくなりました。こんな共通点をもつ人なんか、あまりいないと思うので、「握手」くらいしとけばよかったけれど。

投稿者 jun : 2007年6月15日 17:00


企業内大学の「分かれ道」

 「企業内大学」というコンセプトがあります。「企業・組織に設置された教育機関やカリキュラム」の総称です。

 敢えて企業内大学を「コンセプト」と書き、さらに「総称」などという具合に「ゆるゆるの定義」をしたのは、ちゃんと理由があります。この言葉の指し示すところが、企業・組織によってバラバラだからです。いろいろな企業の担当者にヒアリングする中で、そう思うようになりました。

1.後継者養成を行うための場
2.新規事業を立ち上げる人たちに、スペースや場所を提供する場
3.若手養成の場
4.組織のバリューを伝える場
5.マネージャ育成のための場

 まー、いろいろあるのよ。同じ「大学」という言葉を名乗っているけれど。リアルな大学とは違って、「大学設置審議会」や「マルゴウ審査」があるわけではないからね。

 施設をもっている「大学」もあれば、そうでない大学もあります。カリキュラムをもっているところもあれば、そうでないところも。要するに、企業内大学とは「コンセプト」であり「ブランド」なのです。

 こう書くと、

「企業内大学とは本来かくかくしかじかのものである、ゆるゆる定義とはケシカラン!」

 なんて具合に口角泡を飛ばして怒り狂う人もいるかもしれません。でも、申し訳ないのですが、僕は、企業内大学の「本質」や「定義」をさぐることには、あまり興味がありません。僕は「企業内大学で食っている人間」ではないので。

 でも、一方で重要だな、と思うことはあります。定義は「ゆるゆる」でもいいのでしょうけれど、

 大学が何を目的に設置され
 どのような連携のもと
 どんな人材を育てるのか

 については、組織の様々なステークホルダーを全員巻き込みつつ、合意をとっておく必要があるように思います。少なくとも、教育担当者、トップマネジメント層、事業部の長、人事担当者のあいだで、そこだけは時間をかけて合意したほうがいいのではないか、と思いました。

 そうでないと、いつも言っているように、ほおっておけば、「教育はもれなくコエダメ化」します。「失敗する可能性のあるものは失敗する」の「マーフィーの法則」じゃないけれど、「もれなく」です。特に教育がサービスと把握されるようになり始めた昨今では。すぐに「教育にできないこと」までが、「教育の範疇」に含められ、「やれ、教育のせいだ」「やれ、教育が悪い」ということになる。

 いろいろ話を聞いていると、結局、これができている組織と、そうでない組織があるように思いました。なんか、そのあたりに「成功への分かれ道」があるような。なんの科学的データもない、あくまで感想ですけれども。

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追伸.
 中原は15日から20日までe-mailを見ることができません。また、携帯電話も通じません。blogは、自動更新機能を使って、更新します。あしからずご了承下さい。

投稿者 jun : 2007年6月15日 07:00


研究者はどこで学ぶ!?

 今、大学で先生をやっている人に、下記のような問いを投げかけたら、どのような回答がかえってくるのでしょうか。昨日、ある大学の先生とこんな話題について話し合いました。

 あなたが、どのような場で、現在仕事をしていく上で必要な知識や技能を学びましたか?

 僕の場合はこうです。

 確かに「formalな学習機会」・・・つまりは「授業」や「ゼミ」も非常に重要でしたが、圧倒的な割合を占めるのは、研究室で気の合う大学院生同士で「共同研究」をやったり、「勉強会」をやったことです。

 僕は、そこから研究者としての資質の8割を学んだといっても過言ではありません。そして、さらに「現在の仕事」を下支えしている様々なリソースの7割は、その時に培われた人的コネクションから派生したものであるように感じます。

 もちろん、これは人によって違うんでしょう。コースワークや授業が決定的影響をもっていた人もいるんでしょうし、僕と同じような人もいるのだと思います。

 でも、自分が「教える立場」になってみて、はじめて思うのは、フォーマルな「ゼミ」や「授業」の時間の少なさであり、限界です。それらが、キチンと運営され、実施されなければならないことは言うまでもありません。また、そのように努力しています。が、そこには、どうしても限界があります。

 たとえば、僕の研究室の学生さんの場合、一人の大学院生に発表順番がまわってくるのは年間で7回から8回でしょう。

 もし仮に1年間で修士論文に必要な研究計画を書き上げなければならないとすれば、わずか7回か8回でRQをフォーカスし、緻密な実験計画をつくらなければならないのです。一回一回が貴重な機会であることは言うまでもありませんが、やはりそれだけでは不足します。

 少なくとも僕の感覚に関する限り、やはり研究者の能力開発も、その多くが「現場」の変数で説明がつくように思います。つまり、節目節目のFormalな学習機会をいかしつつも、いかにふだんの研究室生活の中で、大学院生同士がお互いに学習機会をつくるか、ということです。

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 昔話になって恐縮ですが、僕が大学院生の頃、本当に多くの共同研究をしました。みんなで「あーでもない、こーでもない」と議論をして、ソフトウェアを設計し、コーディングをして、評価実験計画を書いて、実験をして、結果を論文にまとめました。

 また、金曜日の午後には、informalに、それぞれ自分の研究を発表する機会をつくりました。発表会は、ガストなどのファミリーレストランでやりました。みんなお金がないので数百円のドリンクバーで、4時間から5時間粘っていたのだから、今から考えて、ものすごく迷惑な客だったと思います。

 そのほか、公開研究会をたくさん開きました。海外で大きな学会がひらかれるたびに、そのproceedingsの中からオモシロイ発表を選んでみんなで読んだりしました。研究方法論に関するゼミもやりました。「うーん、この論文のこの方法はつかえるねー」なんて言いながら、方法を身につけていきました。

 それから8年・・・当時、僕が一緒に学んでいた人たちは、一人残らず、研究職につきました。日本全国の大学、あるいは、民間の研究所で働いています。あれから7年、8年たった今でも、たまに逢うことがあれば、スッとあの時と同じ雰囲気に戻ることができます。ガストのドリンクバーで数時間粘っていたあの頃と同じようなノリに。

 これらは「シラバスには掲載されていない学習機会」です。今となっては、本当に「あったこと」なのかどうか、それすら全く証拠はありません。しかし、僕にとって、その機会は本当に大きなものでした。

投稿者 jun : 2007年6月14日 07:00


次回のLearning barは「組織開発」!

 あのLearning barが、また東大で開催されます。

 今度のLearning barのテーマは、組織開発(Organizational Development)。組織開発の現状、および、その可能性について報告していただくとともに、組織開発手法「AI:アプリシエイシブ・インクアイアリー」をワークショップで体験していただきます。

 プログラムの内容は下記のとおり。

 1. 組織開発(組織学習)とは何か?
 2. 導入事例紹介
   1.アクションラーニング
   2.AI(アプリシエイシブ・インクアイアリー)
 3. AI体験ワークショップ
 4. 組織開発導入の可能性と障壁 

 ちなみに組織開発とは、「アクションラーニング、ファシリテーション、コーチング」等の手法を用いて、組織のケイパビリティを向上させたり、組織の活性化をめざす試みのこと。

 つい先日開催されましたASTD2007(全米人材育成協会大会)では、組織開発の様々な手法に熱い視線が注がれ、いくつものセッションが組まれていました。

 今回のLearning barは、人数を40名に限定した密度の濃い会をめざします。大学関係者10名、企業関係者30名という構成になる予定です。希望が多い場合には大変恐縮ですが、抽選とさせていただきます。

 募集はNAKAHARA-LABメルマガから開始いたします。blogに掲載されるのは1週間弱遅れます。もしメルマガだけで人数に達する場合は、募集をそこで締め切る場合もございます。なにとぞ、ご了承下さい。

 メルマガの登録は、下記から行うことができます。このメルマガでは、Learning barなど、中原の関与するイベントについての情報が流れます。よろしければご登録をお願いします。

NAKAHARA-LABメルマガ
http://www.nakahara-lab.net/mailmagazine.htm

投稿者 jun : 2007年6月13日 10:27


学校の外に広がる世界

 中学生何名かとプロの雑誌編集者、地域の専門家、イラストレータなどが「チーム」になって取材を行い雑誌をつくる。そんな授業を外部から支援している方に、昨日お会いした。この試みは、「総合的な学習の時間」に20時間かけて実施されている。事業自体は、ある省庁から支援を受けている。

 雑誌は、どこから見てもプロ並みで非常に見栄えがよい。その内容も、中学生などが疑問に思うこと、将来のことなどを扱っており、なかなか興味深いものであった。そこには子どもがつくるものだから、あるいは、学校でつくるものだから、という妥協は感じられなかった。

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 しかし、何より印象的だったのは、この事業を支援している方の次の言葉である。

 この試みは、もしかすると、学校の先生のためにあるのかもしれません。ふだんはなかなか逢えないプロ、地域の専門家などに逢い、彼らと仕事をしていく中で、いろいろと見えてくる、学べるものがある。先生は、いったん「学校を出て」いろいろと見て欲しい。学校をでている人もいるけれど、マジョリティはそうではない。実際、教育の問題はもはや学校だけで引き受けられるものなんだろうか、と思います。

 おっしゃっていたことは一字一句同じではないが、おおよそニュアンスは、このような感じだった。

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 もちろんこう言ったからといって、すべての学校でこうした試みが可能なわけではないし、そうするべきでもない。特別な予算をかけて、ある場所で成功したモデルを、全体にそのままあてはめる愚弄だけは避けなければならない。

 しかし、彼女が数年間の授業推進の中で見つけたことの本質は、非常に興味深いと思う。それは「教師の発達を学校の中だけで捉えるべきではないのだろうか」ということに尽きる。

 かつてから教師教育の世界では、教師「同士」の協働や内省によって、教師は成長していくものだとされていた。その成長の機会は、学校に限局されていたと思う。

 そもそも、理論体系の中に、教師以外の人的リソースや(ありえるのは親、行政官など、いずれも教育のステークホルダーである)、学校以外の場所が想定されることはあまり多くなかったといってよい。

 彼女の主張は、これとは全く異なる。「先生は、先生同士で集まって学校だけにいてよいのだろうか」。

 ちなみに、教師以外の職種の場合、たとえば通常の社会人の場合、ひとりひとりの成長や発達を「ひとつの会社」の中の水平移動、垂直移動として見る味方は、あまりとられなくなってきているのではないかと思う。

 僕はキャリア論の専門ではないけれど、複数の会社や、その外に広がるコミュニティオブプラクティスを縦横無尽に行きつ戻りつして、キャリアを構築し、発達することが求められるのではないか、と思う。

 もちろん教師とそれ以外の職種を同列に扱うことには理論的飛躍がある。また、教師の専門性発達が、学校外部だけで完結するべきものとは思わない。「日々、授業を構築する力」「日々、学級を経営する力」 - そうしたものはやはり学校内部で培われるものだと思う。ということは、「学校内部と学校外部のback and forth」を前提にした成長モデルを構築しなければならないのかもしれない。

 しかし、なんだか、このあたり、ビビビときた。ここを追究すれば、なんかありそうだ、と思った。

投稿者 jun : 2007年6月12日 08:21


卒園生がやってくる幼稚園

 午前中、成城にある「某幼稚園」を見学させていただく機会に恵まれました。ずいぶん前から企画があったのですが、なかなか時間がとれずに、2ヶ月ほど間があいてしまいました。

 実は、今日訪れた幼稚園は、ある大学院生さんがかつて卒園した幼稚園なのですね。彼女は、今も、たまにそこでお手伝いをしているそうです。また、そのお母様も、そこで働いていらっしゃるということでした。そんな縁で、今回の機会をいただいたわけです。

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 今日は、3歳から5歳のネィティブによる英語クラスを中心に見学させていただきました。幼稚園には何度か出向いたことがあるのですが、恥ずかしながら、「幼稚園児を対象とした英語のクラス」を見るのははじめてでした。とてもEnegeticで、Powerfulで面白かった。

 3歳児のクラスは、

 jump
 Turn around
 walk

 といったような単語とともに体を実際に動かす、いわゆる「英語エクササイズ」が学習活動の中心になっていました。

 あるいは、

 Hear you are
 Thank you

 といったようなダイアログとともに、先生と子どもで「物を受け渡す」といったような活動ですね。どちらにしても「実物を使った動作とともに英語を発話すること」が重視されているように感じました。

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 高学年になってくると、話はやや抽象的になっています。実物が登場する頻度は、少し下がりますね。

 高学年になると、いわゆる「色の名前」「性別」「感情」「大小」といったような抽象的な概念がでてくる。で、先生と子どものインタラクションも、「Initiative - Response - Evaluation」型になっていきます。

 年齢は1歳ずつしか変わらないんですが、やっぱり3歳児のクラスと5歳児では違いますね。雰囲気がガラッと変わります。それに応じた教授法というのがあるのですね。わたしは専門ではないので、詳しくは知りませんけれども。

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 大学院生Mさんも、かつてこの授業を受けたそうです。彼女の言っていたことがとても印象的でした。

(自分が幼稚園児のときは)ターナラウンドは「Turn around」ではなくて「くるっとまわる」という動作のことだと思っていましたでも、中学校で英語をならいはじめたとき、それが「Turn」と「around」だってわかったんです。中学校で英語を習うにつれて、「あっ、これやったことある、これもやったことがある」と、かつて、幼稚園でやったことを思い出しました。

 幼稚園における英語は、いわゆる「Preparation for the future」なのかもしれませんね。

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 今日は午後から会議三昧なので、お昼でおいとますることになりました。帰り際、園長先生にお話をお聞きしました。

 特に印象的だったのは、この幼稚園では「親」だけでなく、「卒業生」が数多く卒園後も訪れてくれることだそうです。実際、今働いている何人かの人も、卒園生関係の人だし、行事ともなると多くの人たちがやってくるそうです。

 こういう雰囲気は、一朝一夕でできるものではありませんね。なかなか難しい。

 この幼稚園では、卒園生には、行事ごとにお誘いの連絡をしているそうです。また、卒園生が来園したときには、必ず子どもたちの前で紹介するのだそうです。子どももきっと、「あー、自分も卒業したら、あんな風に幼稚園にきていいんだな」と思うんでしょうね。かくして、文化が継承されているのではないか、と思いました。

 残念ながら、僕の過ごした幼稚園はそういうカルチュアを持たない幼稚園だったのですけれども、こういう雰囲気はいいですね。
 いろいろな人たち、親、先輩、地域の人たちが、幼稚園や学校をコアにして「つながる」仕組みをつくるヒントが、ここにありそうな気がしました。

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 最後になりますが、園長先生をはじめとして、Mさん親子、諸先生方には、本当にお世話になりました。貴重な機会をいただきました。ありがとうございました。

投稿者 jun : 2007年6月11日 15:07


おいしいハンバーガーのこわい話

 近所の本屋をプラプラしていたら、「おいしいハンバーガーのこわい話」という本を見つけたので、思わず手にとって読んだ。

 本書は、ハンバーガーの「裏」に隠された様々な事実を明らかにする本。いわゆる「食育」といってもいいの?、ティーン向けにかなりやさしく書いてある。

 興味深かったのは、ファーストフードが「子どもをカスタマーとして取り込む」ためにしている、様々なマーケティング。

 本書によると、

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○平均的なアメリカの子どもが一年間に目にするテレビコマーシャルの数は4万件以上。そのうち2万件がジャンクフードのコマーシャル。5分おきにこれらのコマーシャルがはいる。

○某業界最大手M社は、アメリカじゅうの店に「遊び場」を8000カ所もうけた。アメリカの地方公共団体が公園や運動場にかける予算を減らすにつれて、ファーストフードをおとずれる家族連れがますます増えた。

○某業界最大手M社は世界で一番大きいおもちゃ会社ともいえる。なにしろ、店で売るか配るかするおもちゃの数は、年に15億個以上。一年間にアメリカの子どもたちが手にする新しいおもちゃのうち、3個に1個はM社をはじめとするファーストフードチェーンのものである。

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 へー、これはパワフルだよなぁ・・・。子どもには垂涎の場所なわけですね。

 僕は、M社には、数年間に1度くらいしか行かないので知らなかったけれど、「遊び場」つくったり、「おもちゃ」とか配ってるんですね。そういえば、駅の近くにある店って、子ども連れが多いよなぁ・・・。「遊び場」は見たことないけど。

 きっと、タクも好きになるんだろうなぁ・・・おもちゃと遊び場には抗しがたいよな。彼が好きになったら、結局、せがまれて、僕も行くことになるんだろうか・・・。

 どうせだったら「寿司屋」とか好きになってほしいけど。「シンコ」とか「シャコ」とか頼む「粋なガキ」になってほしい。

投稿者 jun : 2007年6月10日 19:52


指数関数のような欲望

 シッコかウンコか腹へった。

 数ヶ月前は、タクの欲望はこの3つのどれかでした。今は、それらに「遊んで欲しい」「取って欲しい」「眠たい」「暑い」の4つが加わりました。

 数ヶ月前は、3つのポイントを順序よくチェックしていけば、彼の欲望は満たせました。

 が、最近はだんだんと難しくなってきました。なにせチェックポイントがおおくなっているので。なぜ泣いているのか、なぜ怒っているのか、なかなか判断に困ることがあります。

 さらに年をとれば、もっと欲望が増えるのでしょう。もう、「決まり切ったいくつかのポイントをチェックする」といった具合にはいかなくなりますね。

 彼の欲望はだんだんと種類を増していく。そのスピードは指数関数かもしれません。そして、親は彼の「望むもの」が、どんどんと「わからなくなっていく」のだと思います。それが「成長」ということなのでしょう。

 週末、彼から求められるままに、おしめを替えたり、だっこをしたり、本を読んだりしたりして、「あー、疲れた」と思いながらも、一方では、「これもいつまで続くのかなぁ」と、ふと考えたりします。

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 最近のタクは

1.寝返りができるようになった
2.やや前傾姿勢ながらも、お座りができるようになった
3.快調に離乳食を完食している
4.足で物をつかめるようになった
5.仰向けにすると、「飛行機」のように体をそるようになった
6.寝返りを繰り返し、90度程度体を回転できるようになった

osuwari.jpg

投稿者 jun : 2007年6月 9日 17:41


溶解するe-learning : ASTD2007の傾向!?

 今年のASTD2007の傾向は?

 何人かの方から、メールをいただきました。

 うーん・・・「傾向」ねぇ・・・。

 「傾向」と言われると、困りましたね。僕は全部のセッションを見ているわけではないし、僕の出たセッションは全体を代表するサンプルになっているわけではないので、何と答えてよいやら。

 でも、敢えて、自分の出席したセッション・ワークショップの情報と、毎夜、様々な方々と情報交換したことを総合すると、いくつかの「傾向」はありそうな気がします。

 全部語るのも面倒なので、ひとつだけ、これは結構確度高いかも、と思えるものを、お話しします。

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■溶解するe-learning

 これは予想したとおりのことでした。「e-learningという発表が減った」ということのみならず、「e-learningというカテゴリーが消えかかっている」というのが実感です。

 かつての大会では、e-learning関連のセッションが、全セッションの9割を占めたこともあるそうですね。毎年ASTDに行っている方からお聞きしました。

 僕も3年前に行きましたが、そのときは、まだまだたくさんの発表がありました。でも、今年は減りました。また、セッションとしてはあっても、あまり人は入っていないように感じました。

 ここには、3つくらいの仮説がたてられそうです。

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1.e-learningと取り立てていわなくても、何らかのかたちで育成にITを活用するのはアタリマエになってきている。

2.「IDを使ってコンテンツを作り込むかたちのe-learning」というよりもむしろ、ITを活用した職場での知識共有、知識コミュニティ形成が、e-learningと考えようという動きがでてきている。そこまで概念拡張してしまうと、それを敢えて「e-learning」とは呼ぶ理屈がなくなってしまっている

3.上記2点から「e-learning」という概念が溶解している。「知識コミュニティの形成」とか「インフォーマルラーニング」といった内容のセッションの中で、自然にそれが触れられている。

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 これは、別に嘆かわしいことではなくて、テクノロジがたどるアタリマエの普及のプロセスだと思います。僕が4年前に編集した本で、同僚の西森さんはこんな風に語っています。

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 eラーニングという言葉はどうも怪しい。

 eラーニング白書(ALIC編著 オーム社2001)によれば、eラーニングとは「何らかの形でネットワークを使う学習形態の総称」だという。ということは、何か調べものがあった時に、ちょっとインターネットで検索すれば、それはもう「eラーニングしている」といっていいのかもしれない。

 家庭へのブロードバンド環境の浸透や、インターネットに接続できる携帯電話の普及が進み、現在、インターネットの利用は日常化している。こうした日常の中では、学習にどこかでネットワークが関わることは不可避的とも言える。学習に限らず、人間の活動のあらゆる側面がそうであろう。

 こう考えると、eラーニングは特定のシステムや作り込まれた教材という範囲を超えて、日常に偏在することになる。eラーニングとは、何のことはない、現在に生きる我々の日常の特徴の一つだという訳である。

(西森 2003)

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 ちょうどこの本の執筆を行っていたのが2002年。当時は、e-learningは「儲かる話」であり「システムの話」でした。
 e-learningが溶解する日 - 現在に生きる我々の日常の特徴のひとつとなる日を迎えるまでには、それから5年かかったのかもしれません。

 もちろん、既存のe-learning教材のすべてがなくなり、「知識コミュニティ」などの他カテゴリーの中で語られるものに変容をとげるわけではないでしょう。ネットで利用できる教材の重要性や必要性は、今後、増えることはあっても、減ることはないと思います。

 しかし、「e-learning」という「スペシャルなカテゴリー」の中で、それはもはや語られるものではない、ということは、どうも間違いがなさそうです。それはもう日常なのです。

 e-learningは、もはやlearningである

投稿者 jun : 2007年6月 7日 22:32


たなぼたビジネス

 東京に着いた。あー、疲れた。

 でも、なんと、帰りのフライトは素晴らしいことに、「たなぼたビジネス」だった。

 たなぼたビジネスとは、「エコノミーが満席で、ビジネスに移動してください」って言われることです。「貧乏ビジネス」「貧乏ファースト」に並ぶ、ハプニングラッキーイベントですね。

 ちなみに、「貧乏ビジネス」はエコノミーのとき、「隣が空席で、座席を2つ使えて、あたかもビジネスクラスのようにゆったり過ごせること」。

 貧乏ファーストは「3つ並んでエコノミーが空席で、エコノミーにもかかわらず横になって眠れる状態」のことです。

 「ことです」って自信満々で言い切ってるけど、別に辞書にはのってない。つーか、僕が勝手にそう呼んでいるだけ。あたりまえだけどさ、一応さ。

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 前にも何度か「たなぼたビジネス」を経験したことがあるのですが、ここ最近は全くなかったから嬉しかったね。ラッキーだ。おかげで、16時間のフライトにもかかわらず、かなり元気です。

 でもなー、なんか、これで、「3年分くらいの運」を全部使い果たしちまった気がするなぁ。なんだかなぁ。

 まぁ、いいか。
 「宵越しの運」はもたないんだよ。

投稿者 jun : 2007年6月 7日 17:44


実施される評価がよい評価 : ASTD2007最終日

 今、アトランタ時間で朝の5時。あと数時間で東京に帰ります。

 この時間に目が覚めてしまうのは「時差ボケがまだ残っている」のか」、あるいは、時差ボケは既に解消されていて、単純に僕が「早起き」なのかどっちなんでしょうか。もうワケがわかりません。

 が、いずれにしても、間違いのないことは、これからまた「長い旅」がはじまるということです。家につくまで、これから20時間でしょ。嗚呼、先が思いやられる。20時間も何して遊ぼうか(査読をせい、という話もある)。

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 昨日もいくつかのセッションに出ました。一番面白かったのは、ネットワークルータの大手企業シスコシステムズで実施された「リーダーシッププログラムの評価」の話でした。

 シスコシステムズでは、13週間の「Emerging leader program」というリーダーシッププログラムがあるんですよね。リーダー候補の人が一番最初に受講するプログラムです。

 ほんでもって、この評価をすごく組織的に、かつ、プラグマティックにやっていることが印象的でした。「Success Case Evaluation Method:SCEM」というのですけれども。

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 SCEMの手法自体は取り立ててスゴイことはありません。まず5分で終わるアンケートをさせる。このアンケートは量的に処理します。
で、そのアンケート結果から、受講者を「成功群」「失敗群」という2つのコーホートにわけます。

 で、それぞれの群から、ランダムサンプリングをして数名を選び出す。「成功群」の人からは、「何をどのように使ったのか」「どんなビジネスインパクトが後日あったのか」「どのような要因が、知識や技能の転移に影響を与えたのか」を聞き出す。で、「物語」をつくってしまうのですね。

 この物語は、先ほどのアンケートデータとともに、いわゆるSummative Evaluationのデータとして、マネジメントに報告する。要するに「数字」と「物語」の「リャンメン」から、予算のjustification(正当化)をする、ということでしょうか。

 失敗群の方からは、なぜこのプログラムで学んだことを活用できなかったのか、どのような阻害要因があったのかを聞き出す。で、プログラムの改善に役立てる、といった感じです。

 この面接、だいたいどちらも30分程度の面接だそうです。なんで、アンケートは5分、面接も30分程度にしているか、というと、「みんな忙しいから」ですよね。「忙しい人たち」に時間をもらうのだから、そこはミニマムに設定し負担感を下げているのだそうです。

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 SCEMをこう書くと、非常に単純な気がしますね。サラッと終わったな。でも、こういう風に「一定の手続き」を決めて、自社のメソッドとして確立しているところがいいなぁと思いました。このメソッド、しっかり商標もとっています(笑)。

 評価というと、通常はどちらかというと、誰かに求められて「場当たり的」に「ほんじゃ、しゃーねー、やるか」という感じではないでしょうか。そんな時になって「やばい、データが何にもない」ということになりがちです。

 いつも思うのですけれども、「評価の結果、どのような主張をしたらよいかわからない」とおっしゃる方の中には、「どんな手法で何を言うか」ということ以前の問題でつまづいている方が多いように思います。そもそも「データを何も持っていない」ことがままある。

「データを持っていない」のだから、その後、そのデータを使って何を主張するか、なんてことは考える余地もありません。「難しい」以前の問題であることが多いように思います。

 そんな方がいらっしゃる一方で、評価というと、なんかスゴイ難しいことをやらなければならないような感覚に陥ってしまっている方もいらっしゃいます。

 数字をグリグリ言わせて、アンケートをヒーコラ分析する、といった感じの、「大変です、死にかけですけんのー」的なものとして、評価を捉えていらっしゃっている。「そんなに難しいことないんじゃないんですか」と思うのです。どこまで厳密にできるかは、かけられるリソースと、状況による。あまり悩む余地がないことが多いです。

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 結局は、評価をいかに「デイリーでオペレーショナルなジョブ」のひとつとして、日々のルーティンの中に入れておくことが重要なのかな、と思います。

 どんなに素晴らしい評価手法を習っても、やらなければダメ。どんなに単純な評価手法でも、やる方がよい。

 一言でいうと

 「実施される評価がよい評価」

 ・・・の可能性が高い、ということでしょうか。

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 さて、今年の僕のASTDは、かくして終わりました。何だかあっという間だったような気もします。収穫は非常に多かったですが、最大のそれは、自分なりに「概念マップ」をつくることができたことだと思います。

 ASTDの発表の中で近年でてきたいくつもの概念、それを2次元のマップにプロットできたことが、僕にとっては、最大の収穫でした。

seiri.jpg

 といいますか、2日目あたりから、ずっと絵を何枚も何枚も描いていました。発表ごとに、これがどういう理論系の上に属していて、どういう志向性をもっているのか、が気になって気になって仕方がなかったのです。

 帰国後は、このマップを手がかりに、少しまた自分の研究の方向性を考えてみたいと思います。

 これは、なかなか難題だな。

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 嗚呼、もう6時です。そろそろ帰国の準備でもしようかな。
 それではまた。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2007年6月 6日 18:26


タク、はじめての発熱

 タクが、はじめての「発熱」だそうです。

 今日は、はじめての「ベビースイミングの日」だったハズだったのに・・・。スイミングどころではありません。

 うーん。何より心配なのは、この「間」の悪さです。「運動会の前日に熱をだすタイプ」というのでしょうか。

 ちなみに、うちのカミサンは、「高熱で保健室受験」を二度も経験しています。天性の「間」の悪さ、というのでしょうか。そんなとこは、似ないでよろし。

 とにかく、はやく元気になって欲しい。

(下記は発熱する前の写真です。こんなに元気そうだったのにね)

boushi_hat.jpg

投稿者 jun : 2007年6月 5日 20:49


ジェネレーションYと世代間知識伝承:ASTD2007参加記

 世界中どこでも「若者」には人々の注目が集まっているんだなぁ。

 今日の感想は一言でいうと、そんな感じです。

 1980年から2000年に生まれた(現在、27歳以下の人はGenerationYですね)、いわゆる「GenerationY」の人たちを、どのように教えるべきか、というセッションにでてきました。

 個人的に、「おおざっぱな世代論」は与するところではないのです。が、それでも、GenerationYには皆さんホトホト手をやいているようですね。

 Generation Yは、俗に

 Generation ME
 Generation WHY
 Generation M(Multitasking / Multimedia)

 とも言われているようです。

「自分」が大切で、すぐに「なんで?」と意味を問い、かつ、メディアに強く「マルチタスク」でセッカチな人種らしい。すごいじゃん。

 講演内容を一言でいうと、彼らに対して教育研修を提供する際には、彼らのキャラにあわせた内容、形式をとらなければならないよ、ということでした。

 聞くところによると、GenerationYが成長した時代、「アメリカの教育環境」が大きな転換期を迎えたらしいのですね。

 一言でいうと、「一斉授業型の教室」から「オープンスペースでの授業」に大転換した(このあたりはちょっと教育学的な常識とズレるんですよね・・・どっちが本当かわかりません・・・でも、会場の人たちは、あー、そうねという感じで異論無く聞いていましたけど)。

 前の世代のGenerationXの方は、一斉授業型の、いわゆるフツーの教育環境だった。教師にはリスペクトが集まっていて、彼を主導して授業が行われてきた。

 対してGenerationYの方は、オープンスペースが導入され、小さい頃からグループ学習、プロジェクト学習が導入されていた。教師は、教壇の前にたって教える、いわゆる「教師」ではなかった。むしろ、プロジェクトを支援するファシリテータの役目を負うようになっていた。

 概して、「大人になってからの学習スタイル」というのは、「子ども時代に学校でどのように教えられたのか」、に影響を受けると言われています。だから、GenerationYには、これまでの教授技術とは異なった体系が必要ですね、という話でした。

 じゃあ、具体的にどうするべきなのか、というと、下記のとおりです。

 Tell them why it matters
 (なぜ重要なのかを語る)

 show them what it means to them
 (学ぶ意味をちゃんと見せる)

 Engage them
 (彼らに説明させたり、相互に教える機会をもたせる)

 Do it fast
 (10分以上講義をせず、テンポ良く話す)
 (無駄に話しすぎないことが重要)

 Make it interactive
 (とにかくインタラクティブに)

 うーん、このポイントは、Generation Yだけじゃなくて、フツーの人にでも言えることないんじゃないの・・・・というツッコミは横においておきましょう。まぁ、そういうことだそうです。

 ASTDには、トレーナーの方も数多く参加しています。こういうプラクティカルなセッションは、ASTDらしいセッションですね。

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 次にでたのは、「世代間の知識伝承」のセッションでした。少子高齢化は先進国では共通して見られる社会問題です。組織は、どんな組織であっても、この影響を確実にモロに受けますね。

 一言でいうと、どんどん年配の方が抜けていって、知識や技能がロストしていく一方で、先ほどのGeneration Yが、突然大量に入ってくる。

 で、そういうデモグラフィックな劇的な変化に、組織がどの程度備えていますか?というセッションでした。IBMが調査を行ったのですね。

 調査結果の一部は、下記のとおり。

Q1.新人をはやく育てようとしていますか?
 16%の組織がプライオリティをおいている
 24%の組織が、考えているけど、プライオリティはない

Q2.世代間の知識の伝承を組織の重要な課題にあげていますか?
 16%の組織がプライオリティをおいている
 24%の組織が、考えているけど、プライオリティはない

Q3.世代間の知識の伝承のため、どのような機会を設けていますか?
 60%がメンタリング
 46%がドキュメンテーション(文書に残すってヤツですね)
 29%がCOP(Community of Practice)
 29%が研修プログラムに熟達者の経験をおりまぜる
 3%がエキスパートシステム、AIの活用
 2%が退職社員の経験を語ったビデオ

 だそうです。

 オモシロイのは、世代間の知識伝承のために、CoPが活用されているっていう話ですね。そこまでCOPって一般的なんですかね。

 それにしても、講演者がこんなことを言っていましたよ。

「アメリカはまだまし。19%の管理職が5年以内にいなくなるだけで、まだすむんですもの。深刻な国は日本ね。日本は、3300万人、つまり人口の26%がやがて65歳を超えるのよ。そんな急速な高齢化を、どうやって切り抜けるのか・・・」

 日本の組織は、これに対して、策をもっているんでしょうか?

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 さて、こんな風に2日目のワークショップも終えました。現場の生の話は非常にオモシロク感じます。が、同時にどこか隔靴痛痒な感覚を覚え始めたことも正直に告白せざるをえません。

「いろんな試み」に勝手に名前をつけてスゲーだろと主張しあっているのですけど、「試み同士」の関係が整理されていない。あるいは、その試みをメタに語るコンセプトやフレームワークがない。

 また、発表自体も「重要なポイントは3つ、これとこれとこれ」みたいにまとめるのですけど、なんでそう言えるのか、根拠がよくわからない。お客を説得するのに使えるような「分類」や「カテゴリー」が根拠なく主張されている。

 もちろん、ASTDはプラクティカルな場所なのはわかっているのです。現場の生の声は非常にオモシロイです。

 が、「Workplace learning and performanceのプロフェッショナルが集まる会」を称するのなら、もう少しそこで使われている概念を整理して、共通の言語を持つこと、また同時に、主張に根拠を持った方がいいように思います。簡単にいうと、もう少し「人を育てる科学」の知見が入ってもいいように思いました。このあたりはアカデミズムの仕事なのかもしれませんけれど。

 以上、先ほど「隔靴痛痒な感覚」と書きましたが、どちらかというと、批判をしているのではありません。「自分がこれから何をするべきなのか」がわかってきたなぁ、という感じです。

 そして人生は続く

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追伸.
 こちらには日本人の方もたまにお見かけします。この2日間は、リクルートの方々、野村総研の方々とお会いしました。昨日は、ラーンウェルの関根さんにランチを誘っていただきました。皆さん、お世話になりました。
 明日は、JMAMの方とディナーをすることになっています。とても楽しみです。海外にでないと、こうした機会はなかなか持てないですね。

投稿者 jun : 2007年6月 5日 17:15


ストーリーをつむぎだせ!:ASTD2007に行ってきた

 ASTD2007、はじまりました。今年も70カ国から「組織で人を育てること」に従事している人が集まってきています。

 ざっとみたところ、ほとんどは北米からの参加です。そりゃそうだよ、American Societyなんだもん。でも、結構アジアからも来ていますよ。

 目が悪いので、どこの国の人かはわかりませんが、中国、韓国、日本などのアジアからの参加者もちらほら見かけます。ちなみに、アジアで今、一番参加が多いのは、韓国だそうですよ。今年は300名の参加があったそうです。

 「今、韓国ではASTDバブルなんだよね」

 ある人がそんなことを言っていました。

 閑話休題

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■ストーリー、ストーリー、ストーリー

 昨日いくつかセッションに出ましたが、一番気になった言葉は「ストーリー」という言葉でした。これが何度となく繰り返されていた。

 組織のストーリーをつむぎだせ
 組織全員が、ひとつのストーリーを共有する
 リーダーならば、ストーリーを語れ

 なんて感じで使われています。組織を活性化するためのリソース、部下を動かしていくための資質のひとつとして、ストーリーを語ること、ストーリーをつむぐことが注目されているということでしょうか。

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 ストーリーといえば、僕などは、すぐに心理学者ジェロム=ブルーナーの「ナラティヴ」「パラディグマティック」のコンセプトを思い浮かべてしまいます。

 解説をするのは「今さらジロー感」もありますが、一応しておきましょう。

 ブルーナは、人間の認識には、「論理-科学的様式(Paradigmatic Mode:パラディグマティックモード)」と「物語様式(Narrative Mode:ナラティヴモード)」という二つの思考様式があるんちゃうの、と指摘しました。

「論理-科学的様式」とは、普遍的な真理性と論理的一貫性をもとめ、簡潔な分析・理路整然とした仮説を導く思考様式ですね。「キッチリ、カチッと言う」感じがしますね。

一方、「物語様式」とは、「もっともらしさ(迫真性)」をもとめ、人間の意図や行為、人間の体験する苦境やドラマを含む出来事の変転を取り扱う思考形式のことです。こちらの方は、どちらかというと、「緩くノル」みたいな感じでしょうか。

 人間が「わかったり」「腑に落ちる」するときには、これら2つの思考形式が相互補完的に補うことが重要なのです。

 でも、一般に前者の形式が学校教育をはじめ、教育の文脈にのりやすいわりには、後者は軽視されている・・・。ブルーナーは、かつて、そう指摘しました。

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 さて、今のはブルーナーのお話でしたが、これをふまえて考えますと「組織を活性化する」「組織のミッションをわかる」「リーダーがフォロワーを説得する」・・・そんなとき、ストーリーを重視するという考え方が、多くのセッションで語られているように感じます。

 ストーリーをつむぐにはどうしたらよいか
 ストーリーを共有するにはどうしたらよいか
 ストーリーを創るにはどうしたらよいか

 そんな問いかけが人々に膾炙すると同時に、それに親和性の高い概念、たとえば「組織文化」「エンゲージメント(組織への感情的関与)」「価値」「Appreciative Inquiry」といったような言葉を冠したセッションが比較的人気です。

 要するに、

 組織文化を継承するにはどうすればよいか?
 人々の職場へのエンゲージメントを高めるためにはどうすればいいか?
 組織がかかげる価値と、社員の働く価値を同期するためにはどうしたらよいか

 といった具合ですね。

 それに対して「組織階層」「ジョブディスクリプション」「問題解決」「論理力」といったような、いわゆるパラディグマティックな方は、セッションにもなっていないような感じです。

 カンファレンスに併設されたブックストアをのぞいていたら、ジョン・シーリー・ブラウンが、「Storytelling in organization」という本を書いていました。思わず買ってしまいましたけど。

 ジョン・シーリー・ブラウンといえば、泣く子も黙るCognitive Scientistですよね。ジョン、オマエもか、といった感じです。

 まだ全部読んでいませんけれど、「Organizational storytelling」という研究領域があるそうです。懐かしのOrrのコピー機修理屋さんたちの研究とかが引用されていました。

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 よく教育業界にある「振り子」ではないか、と思います。僕も、教育の世界に身をおいて長くなっているので、何となくそんな臭いを感じてしまいます。ブルーナーも指摘しているように、ナラティヴとパラディグマティックは、相互補完的なのですよ。

 でも、オモシロイですね・・・ストーリーね。実は僕のはじめての論文は、このストーリーに関するものでした。ちょうど、教育学の理論に「ナラティブターン(物語的転回)」がくるちょっと前のことですね。

 ある小学校のある先生が、「コンピュータをストーリーメイキングのツールとして使っていたこと」を参与観察して、論文にまとめたのですね。今から考えれば、赤面モノですけど。楽しかったなぁ。

 ストーリーか。まさかアトランタでまた逢うとはね。
 ここであったが100年目・・・じゃなかった、10年目という感じですね。

 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2007年6月 4日 19:19


ASTD2007 1日目:ワークプレイスラーニングが増えた?

 ワシントンまで13時間、さらにアトランタまで3時間かけて、ようやく先ほどホテルに着きました。疲れ果てたぞ、オレは。

 純粋なフライト時間は16時間程度ですが、成田エキスプレスにのっている時間、乗換の時間もありますよね。家を出たのが、一日前の朝6時半だったので、ちょうど一日弱かかったことになりますね。

 思えば遠くに来たもんだ

 はぁ・・・マジで、ほんと遠かったなぁ、、、また帰りに、同じ時間かかんのかよ(泣)。

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 ホテルについてシャワーをあび、ジムで運動してきました。うーん、時差ぼけ解消には、やはり「適度な運動」です。運動したらコバラが透きますね。その後、近くにあるハードロックカフェで、簡単なディナーを・・・。

 と思ったら、ここからが大変でした

 ハードロックカフェって、こんなに激しかったですか?

 運が悪かったのか、僕の座ったバーカウンターは、両隣の客、さらにはバーのおにいちゃん、みんながハードロッカーでした。座った途端、「あっ、ヤベ、ここに座って大丈夫かな」と思ったのですが、もう後の祭り。

「はい、のってるかい、元気? 今日は、なに飲む、なんでもあるぜ、ヒャッホー」

 とか言っています。いきなり「ヒャッホー」かよ。

 隣の一見大人しそうに見えるオヤジは、酒がはいった途端に、エレキギターをかきならすパフォーマンスをやらかすし、隣のにいちゃんはドラマー気分です。二人とも新しい曲がかかるたび、「この曲、知ってるか、この曲はなぁ・・・」と僕に話しかけてくる。

「いや、わかんないんですけど」と何回か答えていたら、「日本にはロックがあんのか?」と聞かれる始末・・・。ごめんね、演歌好きで。サブロー・キタジマとか、ジョージ・ヤマモトなら、あなたたちと同じくらいにノリノリになれるんだけどね。

 店内は非常に騒然としており、そんな中、バーのおにいちゃんは、スラングだらけで、何を言っているのか、全くわかりません。

 サラダを注文したら、

 「●×○△■X▽・・・・サリッド?」

 って聞かれる。いやー、「英語できない子ちゃん」になってしまいました・・・トホホ。コバラがすいたので、単にサラダが食べたかっただけなのに・・・。なんか、サラダ食うだけで疲れたよ、オレは。

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 カンファレンスは明日からはじまります。

 トホホなハードロックディナーから帰ってきて、気を取り直して明日の予習をはじめました。

 「さて、どのセッションに参加しようか」

 赤ペンをにぎって、ASTDのプログラムをパラパラとやっている様子は、府中の競馬場付近で「赤ペンを握って、競馬新聞とにらめっこしているオッサン」とあまり変わらないノリかもしれません(僕もオッサン?)。

 それにしても、改めてプログラムを見て、発表には、前回来たときとは違った傾向が見受けられるな、と思いました。

 最大の違いは、「職場での経験学習」「インフォーマルラーニング」のセッションが前よりもずいぶん増えているな、ということです。

 ASTDでは、研修やeラーニングなどの「フォーマルラーニング」のセッションが多いのは例年通りなのです。が、それらに加えて、いわゆる「インフォーマルラーニング」や「職場での経験学習」「コミュニティオブプラクティス」といったようなセッションが非常に増えていることに気づきました。おそらく、「仕事を通じていかに人を育てるか」といったことが中心的な課題になっているのでしょうか。

 拙著で紹介している「ワークプレイスラーニング:Workplace Learning」の考え方が、少しずつ広まっているのかな、と邪推してしまいます。

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 ワークプレイスラーニングとは、一言でいってしまえば、

 「職場での学び」と「研修」の融合

 です。

 ワークプレイスラーニングは、もともと緩いコンセプトなので、いろいろな定義がありますが、僕自身はこれが自分的には一番しっくりくるのですよね。

「実際の仕事場でなされる業務を通じたインフォーマルな学び」と「仕事場を離れてなされるフォーマルな学び」をいかに融合させ、シナジーを生み出すか、という視点が、ユニークなところだと思います。

「ハイフライヤー」「The lesson of experience」で著名なマッコールなどのセオリーでは、「人間の能力開発は、その70%が職場での学びによって説明がつく」そうです。「研修」などのフォーマルラーニングは、人間の能力開発の残りの30%を支えるということになりますね。

 こう聞くと人によっては、「能力開発の3割」しか機能しないのだったら、研修なんてやめちゃえ、という人もいるかもしれません。でも、僕を含めて「教育畑」の人だったら、絶対にこう思うと思うんですよ。

 うひょー、教育にできることが3割もあるんですか。それは「丸儲け」ですね。じゃあ、その部分で何をしましょうか?

 あなたならどう思いますか?
 3割ならやめちゃえ、と思いますか?
 それとも3割をいかそうと思いますか?

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 まぁ、上記の問いは皆さんのご意見を気長に待つとして、もし7割、3割ということを認めるとすると、次に問題になるのは、下記の3つですね

1.「職場での経験学習=7割」にいかに介入するべきか?
2.「研修=3割」の効果をいかに最大化するか?
3.それら2つをいかにシナジーさせるか?

 1は、従来、事業部におまかせの部分になっていて、人材育成担当者がなかなか関与できない部分でした。実際は「OJT」という名の「おまかせジョブトレーニング」が横行していたり、近年は機能不全になっていたりする部分が多かったのではないか、と思います。ここをどうするか、何とか7割の効果に近づけられないか、というのが最大の課題でしょう。

 2は従来からインストラクショナルデザインで取り組まれていることですね。3は1と2の上にでてくる、さらにメタな課題、ということになりますね。

 もし今回の一連の発表で、上記の3つの課題をすべて含むものがあるとオモシロイんですけどね、どうでしょうかね。

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 さて、話が長くなりました。

 ワークプレイスラーニングについては、実は、この特徴だけでなく、様々な特徴があります。が、ここではそれはまたの機会にしましょう。

 このあいだ、産業能率大学の長岡先生と話していたときには、「ワークプレイスラーニングはハイブリットなコンセプトですよね」という話になりました。「実務 vs 研究」「経営 vs 教育」など、人材育成に付随するいくつかのダイコトミーを超えようとする概念なのですが、これはちょっと複雑なのでまたお時間があるときにでも。

 いよいよ明日からです。
 どうか、今夜、時差ぼけに苦しみませんように。

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追伸.
 タクがベビースイミングに行き始めるようです。カミサンが水着を買ってきたのですが・・・。つーか、派手すぎないか(笑)? マリンといって流行らしい。みんな狙ってて、最後の一枚だった、と言っていました・・・ホンマかいな。みんなって誰よ? 

 プールサイドでひときわ目立て、0歳児。

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投稿者 jun : 2007年6月 3日 17:49


プロフェッショナルとして「書くこと」

 仕事柄、いろんな人たちの論文を読みます。苦労して苦労して書いて。書いては直し、直しては書き。そのプロセスの辛さは、痛いほどわかります。

 中には「書き終えること」に戸惑っている人に出会うこともあります。「これで本当によいのだろうか」・・・かつて、僕も、それに似た経験がありました。

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 でも、ひとつだけ間違いのないことがあります。

 「書き終えたものがよい論文」

 つまり「書き終えないもの」は、どんなに構想がよくても「ダメ」だということです。それは「論文」ではなく、未だ「雑文」です。まずは、どんなに言い足りない部分があっても、「書き終えない」と話にならない。

 プロフェッショナルの仕事には〆切があります。そして〆切は絶対です。いろいろ書き足りないことはあるだろうけど、プロならば〆切までベストをつくして「書き終えるべき」です。

 そして、どんなに不本意でも、書き終えたものには「自分の名前」を刻み込まなくてはなりません。

 中には、自分のクレジットを入れたくないクオリティのものもでてくるかもしれない。いろいろな制約の中で、本来の趣旨とは異なるものもできてしまうかもしれない。

 しかし、どんな制約の中であっても、読む人にはそんなことは関係ありません。「書いたのは、あなた」です。自分の生み出したものには責任をもつのがプロフェッショナルです。

「○○の制約のせいで、こうなった」「僕の名前が入るのは不本意だ」と言わないのがプロフェッショナルだと、僕は思います。

 書くこと、論じることは、かくも辛いことなのです。 

投稿者 jun : 2007年6月 3日 07:00


ASTD2007に行ってきます!

 今、成田のSIGNETです。これからワシントンに飛び、さらに国際会議の開催されるジョージア州アトランタに向かいます。

 今回、僕がアトランタを訪れるのは、ASTD2007という国際会議に参加するためです。

 ASTDは、American Society of Training and Developmentのことですね。ASTDは「組織で人材育成に関係している実務家・研究者が集まっている会員組織」。で、そのASTDは、毎年一度、全米各地で国際会議を開いています。それが、ASTD2007ということになりますね。僕は2回目の参加になるね。

ASTD2007
http://astd2007.astd.org/

 ASTD2007は、1万人弱が参加する、とても大きな会議です。ということで、カバーするトピックは、下記のように限りなく広いです。いろんな人が、いろんなことを考えてるんだねー。

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○Career Planning and Talent Management
  キャリアプランニングとタレントマネジメント
○Designing and Delivering Learning
  ラーニングのデザインとデリバリー
○e-Learning
  eラーニング
○Facilitating Organizational Change
  組織変革をファシリテートする
○Leadership and Management Development
  リーダーシップ開発
○Learning as a Business Strategy
  経営戦略としてのラーニング
○Measurement, Evaluation, and ROI
  教育評価、投資対効果
○Performance Improvement
  パフォーマンス改善
○Personal and Professional Effectiveness
  個人および職業の効率性

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 こうしてみると、何でもありだね。ホントに何でもありだ。

 要するに「職場での学び」「OJT」「研修」「eラーニング」「組織開発」「知識創造」なんかの、いろんな話題が集まっているよ、ということでしょうか。「人を育てて、成果をだす」くらいかな、共通項は。

 これから数日間、僕は、この会議に参加するわけですが、もしオモシロイものを見つけたら、なるべく早く、皆さんにお伝えしようと思います(体調悪くならなければ)。

「なんでやんの?」と聞かれたら困るのですが、オモシロイと思ったことは、すぐに人にしゃべりたくてどうしようもなくなる性分ですので。

 それでは、さらば日本!

投稿者 jun : 2007年6月 2日 17:00


中原ピポットターン理論

 研究はピポットターンの連続です

 この喩えは、僕がよく大学院生さんに話すことです。

 ピポットターンとは「バスケットで、片方の足を軸足にて、くるくると回ること」ですね。中学校とかのバスケの時間にやったことあるよね、なんかクスッと笑っちゃう、コミカルな動きの「あれ」です。

 バスケでは、両方の足を動かすと、バイオレーション(違反)になります。だから、いったん動きをとめた選手は、必ず、くるくると回り出す。で、パスするのが一般的ですよね。

 で、「研究はピポットターン」の言葉の真意、要するに言いたいことは「軸足が大切なんだよ」ということですね。

 どんなに新しい領域に自分が着手しようとも、「軸」になる足だけは決して動かさない。逆に、自由になる反対側の足は、縦横矛盾に「くるり」「くるり」と動かす。研究生活では、その「不動の軸足」「自由奔放な足」が大切なのではないか、ということです。

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 たとえば、僕は、自分を「教育屋」だと思っています。そして「教育」、この言葉こそが、僕の軸足でしょう。どこにいっても、どんなことを語っても、僕は「教育の観点」からモノゴトを考えようとします。

 「あなたは教育じゃなくて、教育工学、学習科学じゃないか」

 人によっては、そう考えるかもしれません。ノンノン、チチチ、違うのです、ちょっと待っててね、今、くしゃみするから、ハクショーイ。

「こちらサイド」にいる事情通の<あなた>から見たら、僕は「漢字4字」かも知れません。僕も「こちらサイド」にいるときは、そのように思います。しかし、「動く方の片足」を一歩、教育の外からだしてみてください。「漢字4字」は認知されません。アルファベットや英語なんて論外。

 理由、細かすぎて、事情を知らない人には「わかんない」から。全くの他人の手には、あくまで「○○」の「漢字2字分のラベル」しか、用意されていないものです。
(漢字4字の学問が悪いと言っているわけではないですよ、念のため)

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 研究とはピポットターン・・・。

 簡単にいいますけれど、でも、これはなかなか簡単なようでいて、実は難しいことです。つい、「軸足」を動かしそうになる。自戒をこめて難しいなぁ、と思います。

 といいますのは「軸足を固定していること」の方が、「軸足を動かす」よりも、簡単なことなのです。

 動かしたあとで、幸せになるかどうかは別にして、「うるせー、こんなくるくるとしたこと、チマチマとやってやれるか!」と、「ちゃぶ台」をひっくりがえして歩き始める方が、どんなに楽か。

 でも、両方の足を自由にしてしまうと、かなり深刻な問題が生じます。

 研究を世に問うていくには、説得力があり、自信に満ちた言葉や論理展開ができること・・・そういったものが不可欠だと思うのですが、やはりそれには軸足が必要なのです。それが失われる可能性が高い。
 あと、最大の問題は、あなたが「何者か」かわからなくなってしまう、という問題です。つまりは、アイデンティティ・クライシスに陥る可能性が高い、ということです。
 
 もちろん、器用な人もなかにはいますよね。両足を自由にしても、饒舌な言葉、シンプルで説得力のある論理を展開でき、キャラたちまくりの人もいる。しかし、一般的にいうと、それはなかなか難しいと言わざるを得ない、というのが僕の見てきたところです。

 いくら学際的な領域について研究をすすめようと思っても、「軸足なき探求」は、かなりシンドイものですよ。

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 今日は研究について書きましたが、このあいだ、ある飲み屋でこの話をしたら、全然違う仕事をしている人にも、「そうそう」と言われました。

 やっぱり仕事は「軸足」がなきゃね、新しいことをやるにしても、軸足を築いて、一歩踏み出さないと。
 
 なるほど、にーちゃん良いこというね。誰か知らないけど。つまり、「研究のみならず、仕事はピポットターン」ということでしょうか。真偽は知りませんけど。

 というわけで、ピポットターンの「軸足」ね、これが重要なんじゃないの、いう話でした。「中原ピポットターン理論」、これにて終了。

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追伸.
 かくいう僕も、今日は自分の軸足を再認識しました。ある先生にこう言われてハッとした(ありがとうございました)。

「中原さんは今の立ち位置から、モノを考えたほうがいい、敢えて相手の土俵にのらないのがいい」

 軸足、どっかりと根におろせ>自分

投稿者 jun : 2007年6月 2日 05:41


サバイブすることだけが

 目が回りそうです。ここ数日、朝5時起きで仕事をしているはずなのに、仕事が終わりません。

 おまけに明日から海外出張です。きっと帰ってきたら、さらに忙しさが倍増するでしょう。「サバイブすること」だけが、僕の当面の目標になりそうです。

 昨日、電車に乗ったら、隣の大学生が

「最近、忙しいよ」
「おれも、おれも、週に3日も大学あるし」

 と言っていました。

 「暇じゃねーか、バカヤロウ」

 思わず、「本当の忙しさとはなんたるか」を説教たれようと思いましたが、

 「うぜーんだよ、空気読め」

 と言われそうなので、やめました。

 サバイブせよ>自分
 さようなら日本、明日からアトランタです。

投稿者 jun : 2007年6月 1日 15:15