たかがアイアムソーリー、されど、アイアムソーリー
英語を話すたびに気になることがあります。「Sorry」という単語についてです。
Sorryというと、いわゆる「アイアムソーリー、中曽根ソーリ、ヒゲソーリ」という感じで(!?)、「Hello」や「Thank you」と並んで、誰でも知っている英単語のひとつでしょう。
I'm sorry
と言われれば、意味は「ごめんなさい」「すみません」。そんなことは、うちの匠ちゃんでも知っています(知ってたら怖い)。
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でも、Sorryは、同時にもうひとつの意味を持っている。もうひとつの意味というか、ニュアンス。「気の毒」「可哀想だ」という意味もあるのですね。
I'm sorry for him
というと、「彼は可哀想だ」「彼は気の毒だ」という意味になります。
で、ここからが僕の疑問になる。一言でいうと、「ごめんなさい
」というニュアンスと、「可哀想・気の毒」というニュアンスが、一語で括られているのが納得いかない。専門ではないので、本当のところはよく知りませんけど、なんか腑に落ちない。
だって、一方では「ごめんなちゃい、わたしが悪うございました」と謝る言葉なのに、一方で「あいつ、可哀想だよねー」という意味をもっている。可哀想ってのは、なんか他人行儀な気がしませんか。
「謝る」ってのは、「相手が可哀想だ」「相手が気の毒」だからすることじゃなくて、無条件に「自分が悪いと認める態度」ではないのか、と、つい細かいことに目くじらをたててしまいたくなるのです。
だから、先ほど述べましたように、同じ言葉で相反する二つの意味が担われているように僕には感じるのですね。だから、英語で「I'm sorry」と言われても、「ホンマ、オマエはあやまっとんのかい?、それとも可哀想に思っているだけなんかい?」とツッコミたくなるのです。
クドイようですが、僕は英文学専門でも、英語教育専門でもありませんので、ここでホザイていることは、全くの誤解かもしれません。でも、そう思うんだよなぁ。
でも、人に「I'm sorry」と言われるたびに、「この人は謝っているのか、僕を可哀想だと思っているだけなのか」が気になってならないのです。
そんな細かいこと気にしているのは、僕だけですか? 相変わらず、ケ○の穴が小さいね、我ながら。
投稿者 jun : 2007年5月31日 07:27
若者のメディア感覚、ケータイ小説のこと
昨日の会議で、同僚の西森先生がこんなことを言っていたことが、とても気になった。
高校生とか大学生のメディアに対する感覚は、もう、それを支援しようとする我々のそれとはズレている。PCや携帯電話に関する彼らの感覚やとらえ方とは、どんなものかを、もう一度考えなおさなくてはならない。その感覚のズレを何とか埋めないと、彼らが使う情報環境のあり方を議論できない。
なるほど、さすが西森先生は深い、全くの同感である。
僕も大学で彼らのことを垣間見ているけれど、学部のレベルでは彼らのリアリティはPCよりもケータイにある。一方、僕にとって携帯電話は、あくまでもPCのオマケのようなものである。ノートPCの電源が一日15時間から16時間ONの状態にあるのに比較すると、携帯電話の利用は圧倒的に少ない。
携帯電話が常に傍らにあり、それが日常を構成する大きなリソースとなっている彼らのリアリティが、僕には正直見えなくなることがある。
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そういえば、先日、ある大学の先生から「ケータイ小説」のことを教えてもらった。
僕自身は読んだことはないけれど、ケータイの中で執筆された小説が支持を受けているのだという。
ケータイ小説は、改行が多用され、文章のほとんどが台詞から構成されているので、従来の小説のジャンルとは、少し違うようだ。聞くところによると、100万タイトルをこえ、そのうち数十冊が本になり、累計で600万部を打っているのだから驚きである。
魔法の図書館
http://ip.tosp.co.jp/Portal/c.asp?i=BOK00MIL99
自分も「まだまだ若いから大丈夫」と思っていたけれど、そろそろ危なくなってきているようだ。若い人たちがどういうメディア感覚をもっているか、少し考え直す契機をつくらなくてはと思った。
ちなみに、今年のTREEシンポジウムは7月27日(金)。「大学生とメディアの"今"をさぐる」というタイトルで開催することになりそうである。
投稿者 jun : 2007年5月30日 08:53
ワークプレイスラーニング研究
「ワークプレイスでの学習の実体解明」をめざした共同研究プロジェクトが(荒木さん、北村君、坂本君との共同研究)、いよいよ本格的な活動に入っている。
これまで約1年をかけて先行研究、海外文献、既存調査の結果の読み込み、質問紙作成を行ってきたが、ようやくそれが完成。6月から本格的な調査が開始される。
この調査では、
1)職場には、どのような人的ネットワーク、共同体が存在しているのか
2)組織メンバーが、どのような成長実感をもっているのか
3)組織メンバーは、どのようなキャリア観や仕事観をもっているのか?
の3点から、仕事経験と職場環境のあり方を考察する。1500~2000件程度の質問紙回収をめざしている。
それと同時に推進しているのが、企業への聞き取り調査。こちらでは定性的に、組織人材育成担当者に、ワークプレイスでの学習の現状をうかがっている。ふだんは着ないスーツをきて、都内を歩く日々が続く。
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調査はダイヤモンド社をはじめとして、様々な方々のご協力のもと、滞りなく進んでいる。本当にありがたいことだ、と思う。貴重な時間を分けてくださった方々には、感謝している。
今、自分たちがやっていることは「Field-based research」の典型である。「手を動かしたり」「足で情報をかせぐ」。フィールドから生の一次情報を収集することをめざす。それは、大変なことではあるけれど、やはり自分は、そういう志向性をもった研究が好きなんだ、と思う。
慣れないスーツを着て帰宅すると、もう疲労困憊している。
でも、そんなときに見る「子どもの笑顔」はたまらなくいい。
投稿者 jun : 2007年5月29日 08:03
ドラマ「バンビーノ」を学習の話として楽しく見る
テレビドラマ「バンビーノ」を毎週楽しみに見ています。「プロポーズ大作戦」も長澤まさみ目当てで密かに見ているけど・・・。ここで公言してしまうと、全く「ひそか」じゃないな(笑)。
バンビーノ
http://www.ntv.co.jp/bambi/
バンビーノは、いわゆる「仕事成長モノ」のドラマ。
九州のイタリアンレストランでそこそこの腕をふるっていた伴省吾という料理人が、東京六本木の超有名レストラン「バッカナーレ」で働くことになり、そこで自己を見つめつつ成長していく物語。数々の挫折にも負けず、奮闘する様子が好感が持てます。
オモシロイのは、正式にバッカナーレに入社した伴君は、なかなかクチーナ(厨房)に入れてもらえないことです。
最初は、ホールで客との接待を体験する。もともと料理人になることしか考えない熱い男なので、彼は慣れない客とのやりとりに悪戦苦闘する。
しばらく修行をしても、なお、クチーナには入れてもらえない(コミックの方では)。今度は、ドルチェの部門で、無口変人のパティシエのアシスタントとして、またゼロから学ぶことを命ぜられるのですが・・・。
どうやら、それぞれの部門では、「最終的に料理人になるため」の素質、経験が埋め込まれているようです。
たとえば、ホールでは「客とは何か」を知る。ドルチェでは「測温・分量を守ることの重要さ」を肝に銘じる。
どこかに教科書があるわけではないし、誰かから明示的におしえてもらう機会も、そう多いわけではない。自分で経験を通して学ぶしかないのです。
こうしてこのドラマを見ると、「学習の話」として、とてもオモシロク見ることができるのですね。こうした、いわゆる徒弟制(正統的周辺参加とはちょっと違うような気がする)は、どの職種でもあると思うのです。たとえば、マーケティングを担当する前には、店舗で数年修行する、とか、クリエィティブに異動する前は営業をやらなくてはならない、とか。そういうの、ないですか?
このドラマでは、そういう徒弟制的学習が、戯画化されて描かれています。
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ちなみにこのドラマ、Webとの連動という意味でも、非常に珍しいことを行っています。
テレビのオンエアと同期して、Webでは無料のスピンオフドラマを公開しています。こちらの方、僕は、まだ見たことはないのですけれど。
ともかく、水曜日が楽しみです。そのまえに、今日の「プロポーズ大作戦」だけど。
投稿者 jun : 2007年5月28日 07:57
自分の力で動くこと、そして食べること
タクは、明日月曜日で生後6ヶ月です。はぁ、もう半年か、本当に早いなぁ・・・この半年は「ブレーキのないF1カーに乗っている」ような感覚で過ぎました。
嬉しいことが2つ。
まずひとつめ。
タクは、ようやく「寝返り」ができるようになりました。まだ、20回やって1回程度しか成功しないので、僕は1度しか目撃したことがないですけれども。
きっと、これから、この5%の成功率が増していくのでしょう。少しずつ、少しずつ、彼は「自分の力で動くこと」に目覚めていくのでしょう。
2つめ。
ようやく離乳食がはじまりました。離乳食といっても、おかゆを10倍の薄さにしたような、ほとんど「米汁」といったようなものです。
食べさせると、「苦虫をかみつぶしたような顔」をして、不思議な顔をして食べます。「なんじゃ、こりゃ?」という顔をしてさ。
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「自分の力で動くこと」「食べること」・・・いずれも人間にとってはもっとも基本的なことがらです。タクは長い長い旅程のファーストステップを踏み出しました。
ほうら君の手は この地球の宝物だ
まだ誰も届かない明日へ
ほうら目の前は 透明の広い海だ
その腕とその足で 戦え
ほうら 目の前は紺碧の青い空だ
翼などないけれど 進め
(息子 奥田民生)
投稿者 jun : 2007年5月27日 09:04
誰でもできる著作権契約
昨日、ある大学の先生に教えてもらった、「誰でもできる著作権契約」というサイトは、なかなかお役立ちだと思った。文化庁の制作による。
このページでは、講演依頼や原稿依頼をするときに利用できる著作権契約書類を、必要な事項を入力するだけでプリントアウトできる。
誰でもできる著作権契約
http://www.bunka.go.jp/chosakuken/keiyaku_intro/index.html
まぁ、要するに「依頼のときに合意した内容以上のことはできませんよ。Webサーバにアップロードしたりすることは、最初から依頼に含めておかないと、覆水盆に返らずなんだよ」ということにつきる。が、意外にこうしたことは忘れられがちである。
仕事柄、講演依頼や原稿依頼などをしたり、受けたりすることが多いが、このページで指摘されているポイントに留意していたら、「必要事項を何度も問い合わせたり」、「あとになって担当者と何度もメールをかわして合意を形成する必要はないのにな」と思う。
昨今は、大学も権利に非常に敏感である。つい先日も、権利に関する書類が全学に配布されていた。特に、本来、大学や社会が手にするべき「知財」を独占されること、これを犯されることは、大学として許すわけにはいかない。
しかし、一般にどこかで、「権利には鈍感でこそ大学、大学人」と思われているフシがある。ゆえに、結構、コンフリクトがおこる。
---
こういうことを「ナァナァ」ですましてはいけない。権利を主張するべきところは主張する、そういう毅然とした態度が必要だ、と個人的には思う。
権利は、黙ってユビを加えていても、どこかの「いいひと」が与えてくれるものではない。権利とは、主張したところにしか付与されない。
そうした権利意識、毅然たる態度が、長い目でみれば結果として、大学や学問の社会的価値向上につながると、ぼくは信じている。
そして、さらに長期的な視野にたてば、同研究分野の活性化につながり、駆け出しの大学院生や若手研究者たちが「手にすることのできる権利」をさらに増やすことにつながるだと思う。
「ナァナァ」は一番いかん。
それはすべての可能性をスポイルする。
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追伸.
5時起床、7時前学校到着・・・。今日はこれから11件のミーティングをこなさなければならない。このところやや体調不良である。最後まで持ちこたえられるか不安なので、リポビタンDを買ってきた。効くかな、栄養ドリンクで・・・。
---
追伸2.
今週のAERAで出口汪さんという予備校の先生が、「論理エンジン」という手法を開発していることを知った。どんなものか、大変興味があるのだけれど、どなたかご存じの方はいらっしゃらないだろうか・・・。
なんで興味があるかっていうと、MEET(東京大学 大学総合教育研究センター マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門)での共同研究、「文章読み書き支援機能つきノート」の共同研究、「文章作成支援機能付きblog」の共同研究に参加しているから(前者は望月君がリーダー、後者は舘野君がリーダー)。論理エンジンか、ムムム。
投稿者 jun : 2007年5月25日 07:48
なりたかった自分になるのに、遅すぎることはない:放送大学への期待
元・一橋大学学長、元・政府税制調査会会長の石弘光氏が、放送大学学長に就任したそうだ。
放送大学は、現在、大学・大学院あわせて在学生が9万2千人程度。本日の朝日新聞2面によれば、在学生は2003年に10万人を突破して以降伸び悩んでいるのだという。ここに年間80億の国費が投入されている。
おおざっぱな統計ではなく、一年間にどういう人々が何人放送大学に入学してくるのか、どういうプロセスで卒業に到っているのか、がわかるとよい。
放送大学・在学生
http://www.u-air.ac.jp/hp/guide/guide06.html
---
朝日新聞によると、石弘光氏は「古い組織にしがみついていては前に進めない」と職員の前で挨拶し、学内には緊張が走ったそうだ。
「団塊世代の取り込み」「破綻した大学の学生の受け皿になれないか」「ネット配信を増やせないか」など、改革を考えていらっしゃるようだ。
特に、「ネット配信」に関しては、ぜひ、実現して欲しいと思う。自分の身内にも、放送大学を利用した人がいたが、それができると格段に利用度があがると思う。
放送大学では、現在も、周辺的かつ部分的にインターネット配信が行われているが、「インターネット配信を準備しています」という建前程度に実現されている感覚が否めない。ネット配信については、僕が幕張に勤務しはじめた頃から(2001年あたり)、「検討課題であった」が、今なお、まだ実現には到っていない。
かつてはテレビ放送網を維持するのに莫大な費用がかかったため、他大学はコンペティターになりえなかった。しかし、いまやブロードバンド化がすすみ、比較的安い費用で、講義の配信が行える。
放送大学以外の大学が本格的にネット配信をはじめ学位をだすようになってしまえば、放送大学の社会的意義は薄れてしまう。その前に、「動く」必要があるのではないか、と思っているのは僕だけだろうか。
---
もちろん、一連の改革が非常に困難なことは想像にかたくない。
朝日新聞で石氏も指摘しているように、放送大学には「官僚的思考がはびっこって」おり、幹部・職員は文部、総務、財務からの出身者・出向者である。出向者の場合、基本的には数年でローテーションしてしまい、古巣に戻ってしまう。
さらに、放送大学においては学長の石氏が最高ポストではなく、その上に放送大学学園長という文部事務次官の天下りポストがあるはずだ。ともに協力し、大学改革のリーダーシップを切ることができるか、今後が問われる。
---
放送大学のことになると、つい熱くなってしまった(笑・・・僕はつい2年前まで放送大学の横にある研究センターに勤務していたのです)が、僕はものすごく期待している。
石氏は学長挨拶の中で、イギリスの小説家ジョージ=エリオットの言葉を引用している。
It is never too late to become what you might have been.
(なりたかった自分になるのに、遅すぎることはない)
「なりたかった自分になるのに遅すぎることはない」と、誰もが胸をはって言える社会を築くために、放送大学には、まだまだできることがあると思う。
放送大学の今後を注意深くウォッチしたい。
投稿者 jun : 2007年5月24日 07:53
Nice to meet you : 上田信樹君のイベント
6月6日(水曜日)、友人のミュージシャン上田信樹君が、下北沢で、はじめての東京ソロライブを開催するそうです。
上田信樹君のページ(音楽聞けます)
http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=1000440943
信樹君のライブは、ミュージシャンに限らない個性豊かな面々が、ゲストとして参加することに特徴があります。これまで関西で開催していたのですが、今回は東京初上陸。
今回、僕は残念ながら海外出張中なので、参加できないのですが、興味を持った方がいらっしゃったら、ぜひ、おこしください。
投稿者 jun : 2007年5月24日 06:00
モバイル、ユビキタスに関する国際会議:WMUTE2008@北京
モバイルラーニング、ユビキタスラーニングに関する国際会議(査読あり)が、開催されます。2008年は北京!、ぜひふるって論文投稿をご検討下さい。
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5th International Conference on Wireless,
Mobile and Ubiquitous Technologies
in Education (WMUTE 2008)
March 23-26 2008
Beijing, China
http://www.wmute2008.org/
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Important Dates:
October 5, 2007 Submissions due
November 23, 2007 Notification of acceptance
December 23, 2007 Camera ready papers due
■General Co-Chairs:
Tak-Wai Chan
National Central University, Taiwan
Demetrios G. Sampson,
University of Piraeus, Greece
■Local Chair:
Ronghuai Huang,
Beijing Normal University, China
■Program Co-Chairs:
Claire O'Malley
University of Nottingham, UK
Masanori Sugimoto
University of Tokyo, Japan
■Program Committee:
Mohamed Ally
Athabasca University, Canada
Gerardo Ayala
Universidad de las Americas, Puebla, Mexico
Chih-Yung Chang
Tamkang University, Taiwan
Maiga Chang
Office of e-Learning National Project, Taiwan
Yam-San Chee
National Institute of Education, Singapore
Irene Y.L. Chen
Ching Yun University, Taiwan
Weiqin Chen
University of Bergen, Norway
Panayiotis Demestichas
University of Piraeus, Greece
Guangzuo Cui
Peking University, P.R. China
Ulrich Hoppe
University Duisburg-Essen, Germany
Sherry Hsi
Exploratorium, USA
Gwo-Jen Hwang
National University of Tainan, Taiwan
Tomoo Inoue
University of Tsukuba, Japan
Qun Jin
Waseda University, Japan
Kinshuk
Athabasca University, Canada
Siu Cheung Kong
Hong Kong Institute of Education, Hong Kong
Lam-for Kwok
City University of Hong Kong, Hong Kong
Chen-Chung Liu
National Central University, Taiwan
Chee-Kit Looi
Nanyang Technological University, Singapore
Rose Luckin
Institute of Education, UK
Rory McGreal
Athabasca University, Canada
Marcelo Milrad
Vaxjo University, Sweden
Jun Nakahara
University of Tokyo, Japan
Hiroaki Ogata
Tokushima University, Japan
Roy Pea
Stanford University, USA
Jeremy Roschelle
SRI International, USA
Danae Stanton Fraser
Bath University, UK
Mike Sharples
University of Nottingham, UK
Timothy K. Shih
Tamkang University, Taiwan
Elliot Soloway
University of Michigan, USA
Marcus Specht
Open University of the Netherlands, The Netherlands
Yao-Tin SungNational Taiwan Normal University, Taiwan
Makiko Takenaka
Oita University, Japan
Deborah Tatar
Virginia Tech, USA
Qiong Wang
Peking University, P.R.China
Earl Woodruff
University of Toronto, Canada
Stephen J. H. Yang
National Central University, Taiwan
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投稿者 jun : 2007年5月23日 17:19
正規の授業でニンテンドーDS
ニンテンドーDSの英単語学習ソフトを中学3年の授業の冒頭で10分間自学自習させたところ、5カ月でボキャブラリーのポイントが平均4割アップしたそうだ。
英単語学習:ゲーム機で語彙力4割アップ
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070522k0000m040124000c.html
このため教育委員会では、ゲーム機600台を購入、今年度、全中学2年生の授業への導入を行っているとのこと。
反復学習による基礎学力の向上の試みは、今後も続きそうだ。
投稿者 jun : 2007年5月23日 07:20
しばらく赤ちゃんでもいいよ
18の頃、それまで何一つ苦労せずに育てられ、比較的曇りのない学校生活を過ごしたにもかかわらず、僕は、一刻も早く北海道を出たくて出たくて仕方がありませんでした。
「陰鬱な長い冬」
「無表情な空」
旅行会社のパンフレットならば、「パウダースノーの大地」「どこまでも続く青い空」と形容されるものが、当時の僕には、そのような暗い陰影をもつようなものとして「見え」ていました。。
北海道は「克服するべきもの」であり、「立ち去るべき」ものでした。僕はここで、一生を終えたくない、そう思っていました。
---
北海道を出ても、自分が動かなければ、取り立てて何も変わらない。
そう気づいたのは、東京にでて2度目の暑い夏が過ぎた頃でしょうか。クーラーのない古いアパートの一室で、僕は気づきました。結局、「パラダイスはない」のです。
「陰鬱な冬」を「パウダースノー」に変えるのも「僕」、「無表情な空」を「どこまでも続く青い空」にかえるのも「僕」なのです。それを決めているのは、結局、「僕のまなざし」なのですから。
---
その頃からでしょうか、吹っ切れたように、自分が「動き始めた」のは。将来は「大学にのこって研究」をしたいと思うようになりました。
それまでの僕は、授業を教室の一番後ろで聞く学生でした。成績は「人並み以下」、それにもかかわらず、教員には厳しい批評をよせる、もっとも「イケてない学生」とは、「当時の僕」であったことを、正直に吐露しないわけにはいきません。
しかし、その頃からか、僕の受講姿勢は変わりました。授業は、一番前で話を聞くか、さもなくば受講登録しないか、に変わりました。
教室の「真ん中」や「後ろ」で話を聞くくらいなら、さっさと図書館に行って本を読むようになりました。
オモシロイものです。一度ふっきれると、すべての世の中の「見え」が変わります。
自分がアクティブに動きだすと、そのアクティブさに呼応して、いろいろなものが僕に働きかけてくれる感覚、というのでしょうか。そんな感覚を、僕は味わい始めました。
段々と今ある生活が楽しくなってきました。それまで2年間、どうしても覚えることのできなかった「東京の地下鉄の駅名」も、自然と口からでるようになりました。
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・・・それから15年・・・
実家の窓の外から、「当時と何ひとつ変わらない風景」を見ていますと、結局、「あの頃抱えていた感情は何だったのかなぁ」と思ってしまいます。
「出たくて出たくて仕方がない」
それは「季節もののはやり病」のようであり、「熱病」のようでもあり。
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いつか、タクも、年をとって、そんな「病」にかかるときがくるのでしょう。何一つ苦労せず育てられたとしても、、タクは、「僕とカミサンの家」を出たくて出たくて仕方がなくなるのでしょう。それはやむなきことです。否、そうでなければ困るのです。
「中原君、子どもはあっという間に育つよ。すぐに大人になるよ」
もう子育てを終えた世代の方々から、たまに、そんなことを言われます。
そんなに早く大人にならなくてもいいよ、しばらくのあいだ、赤ちゃんでもいいよ
彼の成長を願いつつも、どこかでそう思ってしまう自分がいます。
投稿者 jun : 2007年5月22日 06:42
北海道にて:1日目
遅れてきたゴールデンウィークです。家族で、僕の北海道の実家に来ています。タクにとっては「初北海道」ですね。心配された飛行機は、グズることもなくOK、超ご機嫌です。
北緯44度、こちら天気は快晴。ただし、朝晩は寒く、ただいまの気温は5度。ストーブを焚いています。
今日から2日間ここに滞在です。
---
北海道の空はどこまでも青く、道路はどこまでも遠くまで続いています。
この風景を見ていると、何だか、「チマチマした心配事」や「コマゴマとしたこと」を抱えているのが、何だかアホらしくなります。「ま、いっか、そんなつまんねーこと、何とかなるべ」と思えてしまうところが不思議。
僕はここで育ちました。
久しぶりだ、我が故郷。
投稿者 jun : 2007年5月21日 06:11
大学院入試説明会が終わった!
土曜日、入試説明会は無事終了しました。
大学院 学際情報学府では、入試説明会のあとに、「学環・学府めぐり」というのが開催されます。
各研究室ごとにブースをつくり、そこに受験生が訪れる。で、教員や大学院生から情報を知ることができる、という会ですね。
僕らは、中原研究室・山内研究室で合同でALT@UTとしてブースをだしました。ブースの準備は、M1、M2の大学院生さんたちが担当してくれました(ありがとう!)。
---
「学環・学府めぐり」には、一時期、ものすごい人が押し寄せました。もちろん、我々のブースにも。本当にすごかった。
一応、なるべく多くの学生さんたちに説明をしたつもりですが、どうだったでしょうか。
まぁ、すごい数の人がいたので、一人にさける時間はどうしても少なくなります。より深いお話をご希望なら、研究室に気軽に来てくれると嬉しいと思います。
---
ともかく、今年度の入試説明会はこれで終了。そして、説明会の終了は、今年の「入試」がはじまったことを意味します。
入試とは「出会い」です。
今年もよい出会いがありますように。
大学院進学をご希望の方々へ
http://www.nakahara-lab.net/playlink.html
修士課程入学試験概要
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/admission/masters.html
投稿者 jun : 2007年5月20日 06:28
いつか開発してみたい
毎日、タクと英語のDVDを見ています。英語といっても、「ABCの歌」のような歌がたくさん収録されているDVD教材です。
この教材は、映像にでてくるキャラクターが、タンジブルなパペットになっていて、親は、それを手にはめたりして、子どもに話しかけます。
子どもは映像に表示されるキャラクターと、パペットのキャラクターを2つ見つめることになります。
視線が一致しないのでなかなか大変であるようにも思えるのですが、タクは、かなり興奮し、楽しんでいるように見えます。
---
DVDはタクのためというのもあるのですが、僕とカミサンの仕事上の興味関心からも購入しました。
僕もカミサンも「教材設計」「教育プログラム」が専門です。まぁ、マトモに買えば非常に高いのですが、中古ですのでリーゾナブルでした。
使っていて、いくつか改善点が見えてきました。悲しいことですが、仕事柄、そういうものが目について仕方がありません。
「親 - 子ども - 映像 - パペット」という4項のコミュニケーションをいかに円滑にするか、僕はいくつか思うところがあります。
先日、Computer Human Interactionに出かけてきましたが、ここで最先端となっている技術を利用したらいいのではないか、とも思いました。
---
今は手を出せないけれど、もう少しタクが大きくなったら、彼が楽しめる教材をつくってみたい、と思うようになりました。
この研究課題は、親としても、研究者としても、非常に有意義ではないか、と思っています。
投稿者 jun : 2007年5月19日 10:11
ALT@UT
ALT@UT (Alliance for Learning Technology at the University of Tokyo) は、「新しい学びのかたち」を構想し、創造するために集まった、東京大学に籍をおく研究者と学生の実践共同体です。
Alliance for Learning Technology, The University of Tokyo
http://www.altut.org/index.html
ALTという名称には、「従来の学習、教育とは異なったSomething newを提案する」というメンバーの願い、「Alternatives!:オルタナティヴズ」が込められています。
ALT@UTでは、研究プロジェクトをともに推進したり、正規の授業とは別に副教育プログラム(統計や教材設計などの基礎的スキル)を運営したりしています。また、向こう2年間は山内研究室と中原研究室がゼミナールを共同運営しています。
Wanna join us?
学府入試説明会
http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2007/04/2008.html
修士課程入学試験概要
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/admission/masters.html
中原淳・教員紹介
http://www.nakahara-lab.net/cv/gradschool.pdf
---
追伸.
重田さん、山内さん、Webサイトの開発お疲れ様でした。
投稿者 jun : 2007年5月18日 23:19
はしかの予防接種を打ってきた!
「はしか」が、都内の大学で大変流行しているようですね。上智大学に続き、東北学院大学、成蹊大学、駒沢大などでも、休講やキャンパス閉鎖になっているようです。
成蹊大学、はしか拡大防止で18日から27日まで休講
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070517i312.htm
東北学院大学の場合
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070517-200334.html
「病」に関しては人一倍臆病な僕の場合、先日、隙間を見つけて、既に病院で予防注射をうってきました。
これまでワクチンも打ったことはなかったし、はしかにも罹ったことはなかったのですね。
僕の場合、大学に毎日通わなくてはならないので、感染リスクは高いですよね。おまけに、来月には2度も海外が入っているし、うちには赤ちゃんがいるということで、リスクヘッジのためです。
すでに「はしか」の予防注射は注文が殺到していると聞いていたので、敢えて内科ではなく、小児科に行ってきました。赤ちゃんや幼児にまじって、待合室で、僕が並んで座っている。なんか「絵」的には微妙。隣のガ○に、「なんだ、このオッサン」と言われている気がした。
でも、それでも、小児科ですら「はしか」だけの注射はいつ入荷するかわからないと言われました。
っちゅうことで、結局、MR(はしかと風疹の混合ワクチン)を注射したんですね。まぁ、1本より2本の方がきくんだろう、大は小をかねるだろう、ということで。
予防注射は、あっけなく一瞬で終わりました。プチュッと刺して、はい、終わりみたいな。
本当にあっけなくて、ドラマがない。おい、はしか、オモロないで。
まぁ、これで重篤な状況は避けられるでしょうからいいんですけど、やれやれ。
いただけなかったのは、その費用です。嗚呼、注射一本1万円ナリ。何だか損した気分、満点です。1万あったら、もう一回、うまい寿司食えるよ。
うーん、1万円もするなら、もっとドラマティックな注射がよかった、、、打ったとたんに、ハイテンションになっちゃうみたいな(意味不明)。なんで、あんなに、あっけないんだよ。痛いのやだけど。
ともかく、皆さん、はしかに注意してください。
ちなみに、お医者さんによると、はしかはウィルスの感染力が非常に強いことに加えて、最初は「熱でたなー、風邪かなぁ」くらいしか思わないそうなので、ややこしいそうです。
ウィルス感染から症状がでるまで10日ほど。その後は、発熱があって、いったんは下がる。その後、ふたたび高熱になって、皮膚に発疹、咳・鼻汁、下痢、口腔粘膜にただれ、だそうです。
「熱でたなー」という人がまわりにいたら、すぐにその人からは離れた方がいいかもね。
---
追伸.
今日は、今から新幹線にとびのって、大阪出張。できれば夕方には帰ってきたいけど・・・どうなることやら。
投稿者 jun : 2007年5月18日 05:47
大学院入試説明会があります!
あさって土曜日、東京大学大学院 学際情報学府の平成20(2008)年度修士課程入学説明会が開催されます。
学府入試説明会
http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2007/04/2008.html
修士課程入学試験概要
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/admission/masters.html
中原淳・教員紹介
http://www.nakahara-lab.net/cv/gradschool.pdf
中原研究室では、本年度も数名の修士学生を受け入れます。もし少しでも大学院進学にご興味がおありでしたら、是非、お越し下さい。
なお、現在、研究室訪問を行っています。すでに数名の方にお問い合わせをいただきました。
これから受験をお考えの方、気軽にどうぞ。歓迎します。問い合わせは、下記のメールアドレスまでお願いいたします。
jun [at mark] nakahara-lab.net
お待ちしております。
投稿者 jun : 2007年5月17日 18:25
V字開脚
先日のおやすみ、タクでお出かけしました。天気のよい日で、もう半袖の人もずいぶんいました。
赤ちゃんを連れてお出かけすると、いろいろな人が話しかけてきます。タクは「フケ顔」なのか、1歳くらいに間違えられていました。
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最近、タクに起こった変化です。
○寂しいと泣く
→生理的欲求だけが理由で泣く、という次元
からは卒業したようです。
○支えてあげれば足をピンとはって立つ
→寝返りやハイハイはできないのですが、
「立つこと」に関する欲望は強いようです。
支えてあげると足をピンとはって立ちます。
○バカ笑いをするようになった
→何がオモシロイのだかわからないのですが、
突然馬鹿笑いをはじめます。
○何でも舐める
→「よだれ」がスゴイです。もうそろそろ
離乳食の時期です
○おもちゃを自分で振ってならす
→マラカスなどを自分でふって慣らすことを
おぼえはじめました。
○V字開脚する
→下に写真があります。この行動の理由はわかりません。
・・・そして彼の人生は続く
投稿者 jun : 2007年5月17日 18:00
夜な夜なイベントを企画するわたし
今、夜な夜な、「新しいイベント」を企画しています。
日時:9月7日(金曜日)午前10時から午後5時
場所:東京大学本郷キャンパス!
もし実現すれば、「前代未聞のイベント」になると思います。多くの人々の知的好奇心が満たされ、かつ、社会的意義の高い機会になるはずだ、ひとり興奮しているのですが・・・。
また詳しいことが決まりましたら、メルマガの方からご連絡いたします。
NAKAHARA-LABメルマガ
http://www.nakahara-lab.net/mailmagazine.htm
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先日、ある人からこんなことを言われました。
「中原さんは、根っからのお祭り男ですね。なぜ、面倒を背負ってまで、大学でいろいろ会を催そうとするのですあk?」
そうね、確かにどちらかといえば「お祭り男」かもしれません(笑)。最近気に入っている言葉は、「仕事を祭りにする」ですし。
でも、そんな僕でも脳天気にいつも「お祭り」を好んでいるわけではないのです。思考浅薄なこと、この上ないですが、一応、僕なりに考えがあって、いろいろ「祭り」をやっているつもりです。
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僕が、いろいろな研究会・勉強会を大学で開催する最大の理由は、僕自身のメリットです。赤裸々ですけれど、それは否定できません。
何よりもまず、「僕自身が一番知りたい話をしてくれる人」をお呼びして、僕自身の「知的好奇心」を満たしたい。自分の研究をよりよいものにするために、どうしても、この人の話が聞いてみたい。
そういう強い欲望が、「僕」を動かす最大の要因のひとつであることを、正直に告白しないわけにはいきません。
何よりもまず、
僕が知りたい。
僕がわかりたい。
のです。
事実、僕は、自分が開催するイベントで一番得をしていると思います。自分で企画して、自分が一番楽しんでいる参加者である、これは疑いようのないことです。
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でも、それだけではありません。その理由と同じくらい大きいのは、「大学が果たすべき役割」ということです。ちょっと急激に話がでかくなりますけれども。
僕は、大学というのは、(より)ニュートラルな立場から、社会にいる様々な人々を「つなぐ」ことができる機関であると信じています。
ボストンに留学していた2004年・・・僕は、ハーバードやMITといった大学が、地域でそういう役割を果たしていることを目にしました。僕は憧れました。日本の大学も、そういうハブのような役割を果たすべきなのではないか。僕は、いつか、大学に勤めたいと思いました。
今から3年前、そのときの思いをつづった文章
http://www.nakahara-lab.net/researcheressay09.html
大学は、大学自身が研究知見を産出する主体であることに加えて、様々な人々に出会いの場を提供し、さまざまなイノベーションを生み出すきっかけを提供することができるのではないか、と思うのです。
大学で出会った人たちが、そのときどきのニーズにしたがって、いろんな人たちとコラボレーションし、オモシロイことをやっていく。そんな「光景」が僕のめざすところです。
そして、そのためには、大学「内部」にいる僕のような「お祭り男」が、「場」をつくる必要がある。
そういう場で、もし人々が出会い、イノベーションが生まれたら、もしそれが僕の得にはならなくても、僕は嬉しいと思うんだろう、と思います。
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もちろん、社会科学の常識中の常識ですが、大学といっても、政治的な機関です。大学自身もまた自らの政治的立場を完全にニュートラルにすることは不可能です。また、大学も経済原理から自由でいられるわけではありません。研究会や勉強会を維持するためには、それを支えるリソースをいかに確保するか、という問題もあります。
しかし、社会の他の様々な機関よりは、大学は自由である。その自由さを活かして、いえいえ、天真爛漫な無邪気さを装って「場をつくること」が、大学にはできるのだと思うのです。
だからやる。
僕自身が大学人の末席にいて、アイデアが枯渇しない限り、、やりたいと思うのです。
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なんだか身の丈にあまる偉そうな話をしてしまいました。ごめんなさい。すこし酔っぱらっているかもしれません(笑)。
でも、イベントの準備にヒーヒー言っているとき、僕は確かにそんなことを考えています。
9月7日(金曜日)午前10時から午後5時!
オモシロイことが起こります。
投稿者 jun : 2007年5月17日 07:00
渋谷で寿司を食べるなら:僕のおすすめ、蛇の健寿司
銀座の味を渋谷で
渋谷で「寿司」といえば、僕は絶対にここをおすすめする。街の喧噪から少し離れた、知る人ぞ知る隠れ家のようなお店。
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映像ディレクターの大房さんと、渋谷「蛇の健寿司」にでかけた。ここ数ヶ月忙しい日々が続いていたので、久しぶりの訪問になる。
蛇の健寿司
東京都渋谷区道玄坂1-20-4
TEL:03-3461-4288
地図はこちら
入店と同時に女将さんと大将の健ちゃんが迎えてくれる。今日も「おまかせ」だ。どんな「とっておき」が、今日はでてくるだろうか。
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まずはつきだし、稚鮎。しっかりとした甘露煮風の味付けがなされているので、頭から食べることができる。
おつぎは旬の魚による「お造り」である。今日は、左からヒラマサ、戻りガツオ、水ダコ、あおやぎだった。
どれも甲乙つけがたい旨さ。ヒラマサは脂がのってうまく、あおやぎの磯の香りがたまらない。
おくちなおしに、卵焼き、煮物など。今日の卵焼きには、干しエビが入っている。
次は焼き物。今日の焼き物は、先ほど刺身で食べたヒラマサのカシラである。こちらもじっくりと脂がのっていて、争うようにして食べた。
つまみはここまで。いよいよ握りである。
まずは、「鯵」と「きす」をいただく。
鯵は一本釣りのもの。僕は光り物は苦手なのだが、そんな自分の趣向を忘れてしまうほど、うまい。光り物を食べている認識はゼロ。むしろ、脂がクリーミーにさえ思えてくる。
「きす」も、レモンと塩による芸術的なつくりこみがなされていた。その後、いただいた烏賊、コハダなども同様。
かんぴょう巻きをもらう。かんぴょう巻きというのは、その店の個性がでやすい一品である。味も見た目もシンプルなのに、仕込みに時間がかかる。
僕は蛇の健さんのかんぴょうが好きだ。ここのかんぴょうの特徴は、ちょうどよい甘さの味付けと、ふりかけられた白ごまにある。
おつぎは「泪」。わさび巻きである。これはぜひ試して欲しい一品である。
偽物やまがい物ではなく、本当によいわさびを使っている店でしか、わさび巻きは食べることはできない(店のクオリティを見分けるよい指標になる)。
注文の際には、健ちゃんから辛さを聞かれるので「中の中」とか「上の中」とかいうとよい。ちなみに、「中の中」でも結構ピリリときますよ。
つぎに「江戸前のヅケマグロ」をいただく。
通常、ヅケといえば、しょうゆに数十分つけて出すところも多いのだけれど、ここのヅケはしっかりとした下味を長い時間をかけてつけている。正真正銘の昔ながらの江戸前である。
お次に「大トロ」を使った二つの贅沢な寿司。味の方は、・・・絶句するね、しばらく忘れられないでしょう。これほど大トロというのは美味いのか、と。
ちなみにこちらはメニューにはない特別メニューです。「今日は大トロのスペシャルメニューはありますか」と健ちゃんに聞いてみてください。
ここで今日はおしまい。もうオナカ一杯、お酒もずいぶん飲みました。お勘定をして、挨拶をして夜の渋谷へ。
今日は「おみやげ」もつくってもらいました。なんと、波平スタイルの「お持ち帰り寿司」です(女将さんに、波平でお願いできますか、と言えばつくってくれると思います)。
「おー、かあさん、今帰ったぞ」
これをぶら下げて千鳥足で、家庭にに帰れば、カミサンの方も大満足でしょう。うちのカミサンもかなり喜んでいた。
嗚呼、うまかったなぁ。
また近いうちにいきたいなぁ。
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蛇の健寿司
東京都渋谷区道玄坂1-20-4
TEL:03-3461-4288
地図はこちら
平均予算はきっと6千円から7千円くらい・・・お酒の量にもよるだろうけど。つまみとお寿司をおまかせで。
カウンターとお座敷あり。お座敷は2階なので、子ども連れの方がいらっしゃるそうです。英語メニューもあり。
予約をした方がいいですよ。
ちなみに、「うちはどんなお客さんでもおもてなしいたします」とおっしゃっていました。「一見さんだから気後れする」とか「一見で寿司屋はなかなか入りづらい」というのは、この店に限っては全くありません。
YAHOOグルメ:蛇の健寿司
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000926003/0002911080/ktop/
投稿者 jun : 2007年5月16日 09:16
民間塾による校内研修会
都内某区のA中学校で実施された教員研修会を観察させていただく機会を得た。A中学校のある地域は、都内で、もっとも深刻な学力問題をかかえる場所。
研修会の企画・実施は、都内大手民間塾の早稲田アカデミーによる。
学力向上のための学校の取り組みをいかに支援するか。塾のノウハウをどのように短期間で伝えるか、その試みのひとつを垣間見ることができた。
昨日行われた研修会では、新任教員3名を含む、この春に着任した教員が参加した。僕と東京大学の大学院生の皆さんは、教員の方々にまじって、研修に参加。
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研修はロールプレイ型のケーススタディとして実施される。
まず、早稲田アカデミーの講師陣が、授業冒頭の「導入」を演じる。まずはダメな例、その次はよい例といったかたちで演示分ける。
教員は生徒の立場にたって、その「導入部」を聞き、自分が生徒だったら、どのように感じるかを、ワークシートに記入する。ここまでがワンセッション。研修では、これを2セッション繰り返した。
なお、昨日の研修は、研修全体から見れば導入部である。次回の研修では、新任の先生3名だけが集まり、模擬授業を行う。その様子は、ビデオで撮影する。その後、新任の先生方はそれを見て反省しつつ、授業力向上のためのトレーニングをするのだという。これが数回行われるそうだ。
約1ヶ月後の研修最終日では、すべての先生が集まり、新任の先生の「変化」を全員で見て、ディスカッションをするとのこと。
研修担当者の方は、
「新任の先生でも、これだけ短期間で変わるのだ、とわかってもらえれば、(なかなか変わらない)ベテランの先生も、きっと注目してくれるはずだ」
とおっしゃっていた。
短期間の研修で「できること」は限られている。そうであるならば「研修でできること」をきっかけに、いかに人々の意識改革につなげるか、が重要なのだろう。
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授業終了後、校長と廊下で立ち話をした。
「以前は、塾が校内研を担当することに抵抗があったようです。でも、今はありません。私も、もちろんありません。それよりも、できることはなんだってするし、利用できるものは何でも利用します。学校を変えなければならない。時間はあまりないのです」
この言葉がとても印象的だった。
投稿者 jun : 2007年5月15日 07:04
ブレンディッドラーニングの効果
ある雑誌の特集記事の取材のため、週末、いろいろ調べ物をしていました。調べていたのは、いわゆる「ブレンディッドラーニングの効果」です。
要するに、オンラインとオフラインを組み合わせた学習=ブレンディッドラーニングが、通常のオンライン学習と比べて、どの程度、教育効果があるのか、それを知りたかったのです。
僕が週末手に取ったある英語論文は、下記のような感じでした。
1.ブレンドとオンライン、プレポストでアチーブメントを測定したところ、プレポストの得点には、どちらも統計的有意な差がある。
2.1のような短期的な学習成果では、ブレンドとオンラインには、統計的優位な差がはない。
3.ただし、ブレンドによって学習した群は、オンライン群よりも、学習動機が高く、負担を感じない傾向があった。また、学習サポートを十分受けている、と好意的に評価する傾向があった。
要するに、「ブレンドは学習者の情意的側面に作用する」という結論でしょうか。
しかし、悩ましいのは別の論文には下記のようにありました。
1.学習動機の高さ、学習負担の低さは、e-learnigでの学習にかける学習者の自学自習時間を増加させる
2.e-learningにおける学習者の自学自習時間は、パフォーマンスの向上に統計的有意な差をもたらすことがわかった
うーん・・・微妙。前者の論文とは、ちょっと整合性がつかない。
まぁ、だいたいそんなものです。どれも事実なんだろうけど、論文によっていろんな結論がある。
一口にブレンド、オンライン学習といっても、全然違うのです。そもそも「何を学んでいるか」が異なっているし、「どういう出来の教材か」ということも違う。
また、「何」と「何」が、どのようなかたちで「ブレンド」されているかも違います。
論文によって諸条件が違うので、単純に比較をしたり、結論をつなげたりすることはできません。このあたりが悩ましいですね。いずれにしても、もうちょっと継続的に調べていって、メタの立場から考えなくてはならないようです。
なんかよい実証研究はないものでしょうか。一応、ERICで検索してとってきたものは、ざっと見たのですが。
日本語でもあるのかな?
投稿者 jun : 2007年5月14日 08:26
情報教育コミュニケーション教育研究会@慶應義塾大学
慶應義塾大学で開催された「情報教育コミュニケーション教育研究会」で講演をする機会を得た。
僕の講演タイトルは「学びの風景を変える」。
マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門の共同研究プロジェクト、各国の先行研究をふまえて、「大学教育の課題とこれから」を論じたつもりである。
東京大学 大学総合教育研究センター マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
http://www.utmeet.jp/
僕の講演はともかく、研究会では「情報教育」「教科情報」の様々な実践について知ることができて大変よかった。
下記は、会場でお会いした様々な先生から聞いて、印象的だった話。
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まず印象的だったのは、松戸市立松戸高等学校の福島毅先生のご発表の中にあった「フィンランドの学校の職員室」に関することであった。
福島先生がご視察したフィンランドの学校では、「職員室がサロンのようであったらしい」。
くつろげる空間に、デザインされたファニチャー。私物はロッカーに整理され、空間の見通しはよい。
何より素晴らしいのは、ダイニングが併設されていて、軽食やドリンクが振る舞われている。
多くの先生は、休み時間には、そこで自分のクラスのこと、授業のことを話していたそうだ。そして、そうした空間をつくること、雰囲気をつくることが、管理職の職責として認識されていたそうだ。
日本の普通の学校の職員室が、どのような環境であるのか、僕にはよくわからない。だけれども、ある先生がこんなことを話していた。
「職場の雰囲気をつくること、教員同士のコミュニケーションを円滑にすることが管理職の職責として認識されていないと思うのです。そういう意味でいうと、管理職研修が問題ですよね。
企業では、ファシリテーションする、コーチングするといった基礎的考え方は普及しているかもしれませんが、学校現場には皆無です。そういった発想自体が皆無。
教員研修は硬直化していて、偉い先生を呼んできて、講義をするだけ。本当に学校に必要なものは、あまり提供されているとは言えないのではないでしょうか。
学校は管理職がかわれば、かなりガラッと変わるんです。そういう意味では、管理職研修は絶対にキーですよ。
もちろん、私立とかは、いろいろやっているんですよ。でも、それは企業秘密ですから閉じられている。知りたいですねー、なにがやられているか」
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次に印象深かったのは、お隣の国韓国の現況。
韓国では、2001年から「すべての教員がICTを使いこなせるようになること」が国策(National Policy)となっていて、下記に示すような様々な施策がうたれているとのことであった。
・2001年から3年に1回、すべての教員は定期的な研修を受けなければならない
・2001年からはオンラインで教員研修を受けられるようになった
・すべての教師は、ICTスキル評価テストを受けなければならない
・教員採用にあたっては、教員のITスキルのチェックがあった
富山大学の黒田先生は、「教員のITスキルと生徒のITスキルには、正の相関がある」という調査があると紹介していた。
韓国のただならぬ、いわば執念にも似た「教育の情報化にかける力の入れよう」が推測できる。
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明日は休みだ。
来週も死ぬほど忙しい。出張もあるし、また土曜日がない(泣)。
ゆっくり休もう。
投稿者 jun : 2007年5月13日 07:00
仕事の満足感とワークプレイスラーニング
「自分の仕事に満足感がもてるかどうか」と「職場での学習がうまくいっているかいないか」には相関関係がある
そう聞いたら、あなたは「そんなのアタリマエじゃないか」と思うかもしれません。
でも、「世の中のアタリマエ」をキチンと検証するのが学問の仕事のひとつでもあるのです。昨日、電車の中で読んだRobert W. Rowden(2002)は、そんな論文でした。
この論文では、アメリカの中小規模の会社を調査対象とした質問紙調査の結果が報告されていました。
細かいことはこの場では述べませんが、職務満足が高ければ高いほど、職場での学習もうまくいっている傾向が見られたそうです。
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少し前のことでしたか、「大卒新入社員の36.5%が三年以内に会社を辞める」という話がでましたね。
今年の労働市場は超売り手市場でしたけれども、業界では、はやくも6月の初ボーナスをもらって会社を辞める若者が相当数でるのではないか、と戦々恐々としているそうです。
若者が会社を辞めるのは、まぁ、いろいろな理由があると思うのですが、配属された職場での業務サポートのあり方、仕事の覚え方、学習のあり方、に問題がある場合も、あるのではないか、と思ってしまいます。職務満足と学習の問題には、相関があるそうですので。
まぁ、もちろん、これはデータを持ち合わせていないので、推測の域を出ませんが・・・実際のところどうなのでしょうかね?
投稿者 jun : 2007年5月12日 07:00
医師と教育学者のコラボレーション
昨日の大学院講義「デジタル教材設計論」では、聖ルカ・ライフサイエンス研究所 臨床実践研究推進センターの大出幸子さんに、「医学教育における教育工学の活用と臨床研究」というタイトルでゲスト講義をいただいた。
大出さんによると、2004年に施工された新医師臨床研修制度をきっかけに、今、日本全国の病院では、研修医のカリキュラム設計が進んでいるそうだ。
従来は、徒弟的に医局で場当たり的に行われていた医師の人材育成を、体系的にかつ後から評価可能なかたちで、カリキュラムとして実施できるようにすること、これこそが新医師臨床研修制度の眼目である。
病院の中には、ブルームのタキソノミーの原理を導入し(教育学研究者ならば、わからないで生きることを許されないくらい有名)、カリキュラム設計をするところ多い、とのことだった。医学教育では、今、教育学に熱い視線が注がれているそうだ。
現在急ピッチでつくられているカリキュラムの中には、シムマンとよばれる「患者シミュレータ」や「eラーニング」、あるいは「ナレッジマネジメントシステム」などの「ITを活用した学習」が準備されているところもあるのだという。発表最後の方では、そうしたテクノロジの可能性を紹介してくれた。
シムマン
http://www.laerdal.co.jp/document.asp?subnodeid=17828552
大出さんは、ご講演の中で「教育学を学んだ人がもっと医学の世界に来て欲しい」と何度も繰り返しおっしゃっていた。医師と教育学者のコラボレーションがきっかけになって、すぐれた医療、すぐれた医療従事者が生まれるのだと。彼女の気持ちは痛いほどわかる。
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このblogを日々読んでいただいている方には、「アンタ、いつも同じこと言って、もうクドイよ」と言われそうだけど、また言おう、「学校だけが学びの場」ではない。
アタリ前田のクラッカーであるが、学校以外にも学びはある。否、人は、何人たりとも学ぶことなしでは、一日たりとも生きていけぬ存在である。もちろん、医師とて学ぶ。医学の臨床現場は、まさに彼らにとっての学習環境でもある。
学びの学、教えの学が教育学である。しかし、これまで教育学は、たとえば医学のような「学校外の学びの場」で、いかんなく力を発揮することは、それほど多くはなかったのではないか、と思う。
医学、企業、組織、IT業界・・・外部からは密かに、教育学に対して熱い視線が送られているのに、その視線に対して気づいてきただろうか。気づいていても、答えようとしてきたのだろうか。僕には、そう思わざるをえないことが少なくない。
「誰か、教育がわかって、うちの領域でやってくれる人知りません?」
「教育の人が今すぐに欲しいんです」
そんな声を、これまで何度耳にしただろう。
僕の究極の夢のひとつは、こうした現状、つまりは教育学と周辺領域との「つながり」をつくることにあると思っている。あるいは、もし、その「つながり」が既にあるのなら、「教育学と周辺領域のコリをマッサージする」・・・・。教育学のマッサージ師と呼んでくれ。
教育学を学んだ人がこうした現場 - つまりは従来、なかなか理論的かつ実践的貢献をなかなかできなかった<学びの場> - に出かけ、力を発揮する基盤を整備することに取り組みたい。そういう活動を通して、僕は、「世の中を学びの場ナイズすること」に、力を傾けたい。
もちろん、これは壮大な夢である。というより妄想かもしれない。でも、そういうのって重要だと思うんだよなぁ。
ふだんは、セコセコと本を読んだり、チマチマと論文を直したり、ヒェーと叫びながら論文査読したり、コチョコチョと統計いじったり、小さい問題に小さく小さく答えようとしているけれど(嗚呼・・・)、でも、その小さな所業の果てには、いつかたどり着きたい地平があるんです、実は。
まぁ、いいです。夢はなかなか実現しないけど、この世は、夢しか実現しないんだから。
最後に、この場を借りて大出幸子さんには感謝いたします。お忙しいところ、手弁当で講義をしてくださいました。本当にありがとうございました。
投稿者 jun : 2007年5月11日 07:46
酷使されて
うん?
Let's Noteに嫌な予感。変なタイミングでシステム落ちるぞ、ここ数日。まずいんじゃねーの、これ。なんかソフトのせいじゃないような。HDDな気がするなぁ。イヤーな感じだなぁ。
一年中電源ついてるようなもんだからなぁ、、、毎日持ち歩いているし。いつ壊れても不思議じゃないよなぁ。
それにしても、オレに使われるノートって可哀想だよなぁ。酷使されて。キーボードもベコベコだし。でも、ノート冥利につきるかなぁ。
バックアップ急げ>オレ
投稿者 jun : 2007年5月11日 07:30
Learning bar 「プロフェッショナルの人材育成」が終わった!
昨夜開催されたLearning barでは、小樽商科大学 松尾睦先生に「プロフェッショナルの人材育成」というタイトルでご講演をいただいた。
講演で松尾先生は「仕事場では、人がどのようにして経験から学ぶのか、熟達化していくか」についてお話をされた。話題は、下記のとおりである。
1)近年の認知心理学、認知科学における熟達化研究の概要
2)Kolbの経験学習に関する理論
3)営業担当者、ITコンサルタント、看護士など、プロフェッショナルの熟達化プロセス
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個人的に興味深かったのは、職種や業種が違うことによって「何が経験によって学ばれるか」、また「何が業績向上によい影響を与えるか」が違うことだった。
たとえば、同じ営業でも、自動車営業では「購入の際、顧客がかかえる最後の不安や迷いを解消してあげること」が、ベテランになるまでに学ばれる。そして、このことが業績向上に大きく影響する。
対して不動産営業では、「ファーストコンTAKUで、顧客が抱える問題を把握する能力」、言い換えれば「聞き上手になること」が重要であり、これが10年すると業績に反映するようになる。
もちろん、職種によっても、経験学習のキーポイントは異なる。講演では、プロジェクトマネジャーとコンサルタントの比較がなされていた。
興味深かったのは、看護師の経験学習のプロセス。
松尾先生によると看護師は、最初の5年間は「技術」を学ぶ。最初のうちは、先輩からの指導によって「基礎看護技術」を学び、また難しい症状の患者を担当することによって「専門看護技術」を学ぶ。
その後6年目から10年目は、患者・家族とのポジティブなかかわりによって学ぶことが多くなる。が、10年目以降は、逆に患者・家族からのクレーム処理などのネガティヴなかかわりによって学ぶことが多いのだという。
上記は看護士の事例であるが、おそらく職種によって、この熟達化のプロセスは大きく異なっていることが容易に想像できる。
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さて、このように職種、業種によって熟達化プロセスが異なる、ということは何を意味するか。
それは、もし仮にあなたが人材育成、組織開発の担当者だった場合に、「自分が支援したい職種はどんな経験で学んでいるのか」を十分把握しなければならない、ということである。
すべての職種を十把一絡げにするのではなく、その熟達プロセス、その特徴をキチンと把握する。その上で、それを意識した上で、プログラムの開発に向かわなくてはならない、のだと思う。
このときに重要なのは、現場の把握力、コンサルテーションの技術である。これからの人材育成担当者は、そうしたワザをもつ必要があるのではないか、と考えた。
最後になりますが、お忙しい中、わざわざ小樽からお越し下さり、素敵なお話をしてくださった松尾睦先生に心より感謝いたします。
また、今回のLearning barの運営を行ってくれたEduce坂本君、佐藤さん、坂本君、脇本君、山田君、お疲れ様でした。ありがとうございました。
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追伸.
今回の参加者は結局113名であった。参加者の3割は企業人材育成の現場、6割が企業人材育成の教育事業者、1割が大学教員、大学院生だった。ご参加いただいた皆さんお疲れ様でした。
1割のアカデミズムの参加者の多くは、「教師研究・教師の熟達化」に興味をもっている人であったのが印象的だった。教師の研究にも、新しい芽が出始めているように思った。
投稿者 jun : 2007年5月10日 10:52
記事広告がでます!
下記の雑誌に、マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門の記事広告がでます。去年1年間の活動をわかりやすくまとめたものです。
文芸春秋 5/10
アエラ 5/14
プレジデント 5/14
ダイアモンド 5/14
エコノミスト 5/14
日経ビジネス 5/18
東洋経済 5/21
東京大学 大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
http://www.utmeet.jp/
投稿者 jun : 2007年5月10日 07:00
研究と実践のあいだで
Human Resource Development Quaterly誌に掲載されていた論文「Closing the gap between research and practice in HRD」を、通勤電車の中で読んだ。
「実践と研究の溝 - デスバレーのような深淵 - をどのように埋めるか」という話は、初等・中等教育研究では、これまでにも、飽きるほど語られているテーマである。
これに関しては、毎年、日本中どこかの学会で、シンポジウムが開催されているくらいだ(毎年語られているくらいだから、解決できていない)。
この傾向は、企業研究でもやはり同じなんだなぁ、と思いつつ読んだ。
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いつの時代でも、どの領域でも、研究者は「問題」の焦点をしぼった議論を行う。実践家が扱うような複雑な問題は分割される。彼らの扱う問題は、いつも限定的で、「キレイな問題」だ。
それに対して実務家は、複雑で矛盾きわまる状況の中で、問題に格闘しなければならない。彼らがエビデンスにもとづいた実践をめざそうなんていう気はない。エビデンスを見つけるため文献を調べるよりは、自分の経験をもとに問題解決を行う。
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一般にこうした問題に関しては、
「研究者と実践家がお互いのことをもっとよく知りあえば、わかりあえるはずだし、ずっと一緒にやっていけるはずだ」
といったような、予定調和的な「べき論」「精神論」的回答が、誰かからすぐによせられる。
あるいは、「やれ、研究者が悪い」「やれ、実践家の怠慢だ」といったような、「悪者探し論」が展開されやすい。
しかし、僕はこうした議論には否定的だ。誤解を避けるために申し添えるが、僕は「研究に基づく実践や実践的なインサイトを含む研究が増えればよい」と心の底から願っている人間の一人である。
しかし、そうした実践や研究が、研究者と実践家の努力や精神論だけで実現できるとは思わない方がいい、と言いたい。
研究や実践は、それぞれ対処しなければならない問題の性質、目的、方法論が全く異なっている。それらを十把一絡げにして、「精神論ですべて解決!」にしてしまうのは、議論の緻密さに欠ける。それには、より「戦略的な対応策」を考えることが必要なのだ。
それならば何が必要か?これには複数の回答がありうるので、それをすべてここであげることはできない。
しかし、たとえばこんなこともありえるだろう。
最新の研究知見や実践の最新事例を交換する場、研究者と実践家のネットワーキングが行われる場、そうした第三者的な「パブリックでプロフェッショナルな場」をつくりだすことが、先ほどの問題のひとつの解決になるかな、と思う。
ただでさえ、複雑な問題に日中追われている実務家に、最新の文献を追え、努力せよといっても、それはどだい無理な話である。また、何をやるにしても「学術研究」としてクオリティを担保しなければならない研究者に、複雑な問題をひっかぶれ、と言われても、彼は面食らう。つまり、一人で二役こなせと言われてもなかなか難しいのが現状だ。
やはり、相互の独立性を認めたうえで、Win-Winの関係を維持することが重要だろう。お互いに「かかわること」で、自分の研究や実践をブラッシュアップできるかたちがよい。そのような人を見つけることのできる「場」をつくることが、このアポリアのひとつの回答になるだろう、と思われる。
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いずれにしても難しい話であることにはかわりはない。しかし、何らかのかたちで、僕は、この問題にそろそろ「第一の答え」を出すべき時にきているように最近思う。僕には何となく、そういう「場」の輪郭が最近見え始めてきている。
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追伸.
先日、タク、カミサン、僕で河原を散歩した。
最近の東京の気温は20度後半。かといって暑すぎず、さわやかな風がふいている。視界の開ける河原は、清々しい。
---
追伸2.
GW前後のスケジュールの入り方がすごい。ここ数日、昼食すらまともにとれない状況である。結局、一週間休む分、スケジュールが「前後にしわ寄せしている」だけのような気もする。
投稿者 jun : 2007年5月 9日 14:30
子どもにテレビを見せるか、見せないか
子どもにテレビを見せてよいのか、悪いのか。
この問いに関しては、これまで多くの研究者が、それぞれの立場から答えをだしてきました(もちろん、僕の専門ではないので現在の最新の知見はわかりません)。
「2時間以内は大丈夫だろう」
「親と一緒に見ればいい」
「つけっぱなしにはするな」
「いいや、2歳児以下のテレビ視聴は禁止すべきだ」
その答えには、科学的な根拠のあるものもあるし、ないものもあります。きっと、何年かの周期で、こうした「新しい知見」が、これからも提出されるのでしょう。
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この問題、我が家はどう対応しているか、というと、下記にまとめられる通りです。
1.テレビをつけっぱなしの前に、ひとりで座らせることはしない
2.テレビを見るときは親と一緒に。子どもに声をかけながら見せる
3.一回15分程度、計1時間を超えない範囲で見せる
要するに、「時間を区切る」「つけっぱなしをやめて親と見る」ということです。「テレビを親の代替物としてとらえず、積極的に親 - 子 - テレビの三項関係を確立するか」というところがポイントかな、と思うのです。
もちろん、この判断自体が、僕がもっているデータに基づいているわけではありません(だからおすすめしません)。
いくつか自分が知っているテレビ研究や親子研究の知見から、こんなところが「落としどころ」かなぁと思っています。「まぁ、いろいろ極端なことを言う人はいるけど、このへん手をうちますか」という感じです。
今のところ、テレビを見せる局面というのは、英語か歌にかぎられています。
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1.童謡や体操などの幼児向けDVDを見る
2.英語の歌教材を購入したので(ディズニーワールドファミリーのSing alongとPlay Along・・・結局、一部だけオークションで買った)、それを一緒に見る
3.僕ら夫婦が英語番組を見るときに一緒に見る。
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こうしたテレビ視聴を彼がどう思っているかはわからないけど、結構、愉しんでいるようですよ。鼻の穴を広げて見ています。
もっとも、今のタクが集中していられるのは、わずか15分。15分くらいたったら、「もぞもぞ」と動きだし、遊び始めます。
そういう意味からも、一回15分くらいというのは、妥当なのかも。それ以上見せていても、動き始めて、しまいには泣きだしますので。
まぁ、しばらくはこのルールでテレビを見せていこうと思っています。
(テレビに飽きて、もぞもぞと動き出したところ)
投稿者 jun : 2007年5月 8日 08:56
シングルモルトで酔う
「うまいアイラのシングルモルトがそこにあるのに、どうしてわざわざブレンディッドなんてものを飲まなくちゃいけない。
それは天使が空から降りてきて美しい音楽を奏でようとしているときに、テレビの再放送番組をつけるようなものだ」
(村上春樹著・もし僕のことばがウィスキーだったとしたら)
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かなり前のことになるが、職場の同僚、重田先生にウィスキーの飲めるバーに連れて行ってもらって以来、シングルモルトにハマッている。
ウィスキーは大の苦手で、半年前には一滴も飲めなかった。それなのに、今では、だんだんとウィスキーの味の違い、香りの違いがわかるようになってきた。
ワインもいいけれど、ウィスキーもいいな、と思う。要するに、僕は「開発されてしまった」わけである。彼は、僕に悪いことばかり教える困った後輩だ(笑)。
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最初のうちは、水とウィスキーを半々で割る、いわゆるTwice Up(トワイスアップ)で飲んでいた。
が、ここ最近はストレート&チェイサーである。僕は、ウィスキーの樽の香りが好きなのだが、こうした方が一番それを感じることができる、とわかった。
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子どもが眠りにつく。ウィスキーダブルをグラスに注ぎ、ゆっくりゆっくり口に含んでいく。鼻に向けて、芳醇な香りが突き抜ける。
こんな夜は暮れなくてもよいのに、と思う。
投稿者 jun : 2007年5月 7日 07:00
趣味は何ですか?
趣味は何ですか?
そう聞かれると困ってしまう。かつては自信をもって、「スキーです」とか「ピアノです」とか答えることができたが、最近は遠ざかって久しい。
スキーは2年行っていないし、ピアノはたまに自宅のキーボードを弾くくらい。とても趣味とはいえない。
かといって、「趣味はブログです」と答えるのも、何だか気が引けるし、「飲み食いです」と答えることにも抵抗がある。
要するに、いつのまにか、僕は無趣味な人間になってしまった。
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やってみたいと思うことはある。
今、一番やってみたいのは、テニスかもしれない。ジムに行くと、隣のコートで何人かの人たちがテニスをやっている風景をよく目にする。楽しそうだな、自分もやってみたいな、動いてみたいなと思う。
でも、次の瞬間には30を超えてテニスを一からはじめるなんて、可能なんだろうか、とつい腰が引ける。「テニスサークル・大学デビュー」みたいで、かっこわるいんじゃないか、と思ってしまう。もし、誰か一緒にやってくれる人がいるんならなぁ、と、急にヘタレになる。ダメ人間そのものである。
熟達化研究の知見によると、人間がある領域に熟達するには5000時間の時間がかかる、と言われている。5000時間というと、なんだかピンとこないので、俗に10年ルールとよばれることもある。その間に必要なのは、delibarate practice(注意深く行われる練習)しかない。
今から「練習」か・・・。そんなわけで、あと1歩が踏み出せない。
何かきっかけがあればなぁ、と、「いつまでたってもやってこないきっかけ」を待っている。
投稿者 jun : 2007年5月 7日 07:00
地獄を見た動物園:島泰三編・小菅正夫、岩野俊郎著「戦う動物園」を読んだ!
「今日、議会で動物園に出す金は、ドブに捨てるのと同じだと言われた、オレは悔しかったが、言い返せなくて帰ってきた」
「来年の春に到津遊園は閉園する。ごくろうさんでした。これからは閉園に向けて頑張ってくれ」
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ともに一度は「地獄」を見た二つの動物園が、どのようにしてそこから復活をとげたか。
旧来の知己でもある、旭山動物園の小菅館長と到津の森公園の岩野園長が、そのプロセスを綴った本「戦う動物園」(中公新書)を読んだ。
旭山動物園は「行動展示」による復活。到津の森公園は、市民参加による、市民に支えられる動物園としての生まれ変わりだった。
ともに歩んだプロセスは異なっているが、その道のりが、いかに生々しく、平坦なものではなかったかがよくわかる。
到津の森公園
http://www.kpfmmf.jp/zoo/
旭山動物園
http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
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個人的に印象的だった一節がある。
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「動物園の入園者数が年々落ち込んでいるのは、「ストーリーの欠如」だということがわかる。なぜ、ここにこういう動物園が必要なのか? その意味がわからない。
(中略)
ストーリーとは動物園をつくる側の存在証明のことである。多くのアミューズメントパークが、どうしてもディズニーランドをこえることができないのは、ディズニーランドには創始者ディズニーのつくった無数のストーリーがあるからだ。
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ジェットコースターなどの大型遊具を、「入場者増のためのカンフル剤」として導入したり、どこでも見られるようなショーに過剰に依存してしまうことは、ストーリーを壊すことはあっても、つむぎあげることはない。ストーリーは壊すのは一瞬だが、つむぎあげることには、大変な時間がかかる。
分野は違うけど、アーティスト村上隆も、こんなことをいっている。
作品の価値を高めるのは、その作品の背後に隠されたストーリーを語る力だ。
人は「ストーリー」に魅了され、突き動かされる。あなたの提供しようとしている「それ」には、どんなストーリーがあるだろうか。
投稿者 jun : 2007年5月 6日 07:00
端午の節句
今日は子どもの日。タク、初節句です。
タクは、32年前僕のジイサンが、僕に買ってくれた五月人形を受け継ぎました。3世代前のご先祖様からのお品です。
初節句ということでカミサンは、この日のために、赤ちゃん用の紋付き袴を購入しました。
今日は、男の子の健やかな成長を祈る日だそうです。
僕の祈りはシンプルです。
とにかく、明るくまっすぐ育て。
それ以外、祈ることなんてないよ。
投稿者 jun : 2007年5月 5日 21:41
パオロ・マッツァリーノ著「つっこみ力」
パオロ・マッツァリーノ著「つっこみ力」を読んだ。あらすじは、だいたいこんな感じ。独断と偏見で加筆しつつ要約。
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世の中をよくしていくためには、論理的で批判的な「正しい議論」をしていかなくてはならない!
モノゴトを論理的に考え、批判的に検討する力、すなわち論理力や批判力が重要である!
これらは、世間一般に言われている<常識>。しかし、これらの<常識>は必ずしも真実ではない。
前者に関して言えば、学問的に「正しい議論」ほど世間の人には伝わらない。
なぜなら、第一にそもそも「正しさ」を伝えようとする側に、つたえようとする気持ちがないからである。グローバリズムの進展する時代において、プロフェッショナルには、「シロウトにいかにわかりやすく伝えるか」という国語能力が求められているのに、未だに「学問の権威」をふりかざし、「わからなさ」をシロウトに押しつけようとする者があとをたたない。
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後者に関していえば、一般には重要だと言われている「論理力」や「批判力」をいくら磨いたところで、実社会でその能力を発揮する場所はほとんどない。
なぜなら、第一に「論理力」や「批判力」はすでに存在する何かについての「正しさ」を判定する能力だから。そして「何が正しいか」、なんて、世の中の人々は、うすうす「既にわかっている」ことだからである。人々は「何が正しくて、正しくないか」は直感的にわかっている。
第二に、「正しさ」を錦の御旗に、既に存在するものをたたき壊したとしても、結果はゼロになるだけだから。社会が本当に求めているのは、既に存在するものをたたき壊すことだけではなく、新たな価値を提供し、創造することである。
それでは、このような状況の中で、わたしたちにはどのような能力が必要なのか。
パオロ・マッツァリーノは、やや茶化して、「つっこみ力」であると即答する。彼によれば「つっこみ力」とは、「正しさ」を「おもしろさ」にかえる力。おもしろく、わかりやすく一般の人に伝える力である。
僕の言葉でいうならば、「正しさの議論」にいったんは「ノリ」つつも、「シラケ」、それを、したたかに巧妙に「笑い(=新しく創造的な側面で魅せること)」に変える力、ということになる。
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本書は、軽快な文体で、オモシロオカシク学者、学問、世間を茶化している。その主張のすべてに同意できるわけではないけれど(それをいっちゃおしまいだ的な感じがする)、かといってうち捨ててもおけない。侮れない本だと思う。
彼が軽快に語る「笑い」の背後には、現在の「学問と社会の関係」に対する強烈な批判が内在している。そういうシリアスなテーマを笑いに変えて、オモシロオカシク、多くの人々に伝えようとしている。
「人は正しさだけでは興味を持ってくれません。人はその正しさをおもしろいと感じたときにのみ、反応してくれるのです」
「周囲の人を愉しませて巻き込み、あわよくば味方につけるのが、つっこみ力の理想です。論理的に相手を倒せなくても、相手をいじるパフォーマンスを魅せることで、「そう言われりゃあ、なんかヘンだ」という感覚を、多くの人の頭に植え付けることができればいいんです」
(p75より引用)
この本こそが、まさに「つっこみ力」の所産だと思われる。
投稿者 jun : 2007年5月 5日 07:00
サンノゼのホテル、そんなに悪いか?
今回、僕が泊まったホテル、ベストウェスタン・ゲートウェイ・サンノゼ(Best Westurn, Gateway Inn, San jose)というホテルですが、「ネットでの口コミほど、悪いかなぁ・・・」って感じでした。
まぁ、よくもないけど(笑)、そこまで酷評されるほど最悪でもないと思うんだけどなぁ・・・。
確かに悪いところはありますけど。
【悪いところ】
・壁が薄いので、お隣の声が聞こえる
・空港のそばなので、飛行機が上をと
おると少し音が聞こえる
・部屋の灯りが暗い
でもよいところもある。
【よいところ】
・部屋は広い
・朝食がついてる
・近くに中華のレストランがある
・サンノゼで75ドルは安い
(後で話すけど、僕は150ドルも払ってるけど)
僕は、海外出張は、いつも研究室で使っているBose社のQuiet Comfortを持って行き、寝るときもそれをかけています。なので、騒音はゼロ。全く気になりません。
Bose社 Quiet Comfort
http://www.bose-export.com/products/headphones/qc3/index.html
あと部屋が暗いってのもねー。下記のように、確かに暗い。
でも、これは改善できます。どうするか・・・・?
ランプの傘をとっちゃえばいいのです。そうすると明るくなります。で、朝には戻せばいい。いつも僕は暗い部屋に泊まったら、部屋中のランプの傘をとってしまいます。
というわけで、これで75ドルならお得だと思うのですが、いかがでしょうか。
まぁ、サンノゼダウンタウンからは車で15分(20ドル)くらい離れているので、ダウンタウンで120ドルくらいで宿泊できるホテルがあるなら、そっちの方がいいと思いますけど。
ちなみにさっきも述べたように、僕は日本の会社から予約してしまったので、倍払っている・・・。ここで150ドルっていうと、えー、という感じは確かにしますね。
今度から、ホテルは、アメリカのサイトで取った方がよさそうですね。ただなー、アメリカのサイトって、カードの住所(billing address)がアメリカにないとダメなサイトが多いんだよなぁ・・・。
どっかに、いいサイトないかなぁ・・・。
追伸.
ちなみに、僕は、ここに来るまで、サンノゼがシリコンバレーの一部だとは知りませんでした。事前予習ゼロ、飛行機に飛び乗って、たどり着いたら、まぁ、という感じです。こういうトリップはダメだね。
投稿者 jun : 2007年5月 4日 07:00
CHI2007レポートのつづき
その後のCHI2007レポート。下記、個人的にオモシロイなぁと思った研究。
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まず、Microsoft Research(MSR)の研究。
僕たちは、Webで何か情報をゲットするときに、Googleなどのサーチエンジンを日々使っている。この研究のRQ(Research Question)は、「どのように検索結果を表示すれば、ユーザーが利用しやすくなるのか」ということ。これをアイトラッキングシステムを利用して明らかにしたのですね。
(Heatmap of eye tracking system)
結論からいうと、「何を目的に調べているか」ということによって、「サーチエンジンの結果表示の注視される場所・時間が違うこと」があきらかになった。
わたしたちがサーチエンジンを使う利用場面を、今、仮に2つに便宜的にわける。
1.Information task
タイタニック号が沈んだのは何年か?のようなものを調べる課題
2.Navigation Task
映画タイタニックの公式ホームページはどれか、というような課題
で、おつぎにサーチエンジンの結果表示の場所で出される要約文の長さを、「短い要約文」「中くらいな要約文」「長い要約文」という風に3つにわける。
で、どの課題のときに、どこに、どれだけの長さの注視がなされるかをアイトラッキングシステムで計測する。
結果はInformation taskの方が「長い要約文」が注視が集まり、Navigation taskの方は「短い要約文」だった。
なかなか地味な結論ではあるけれど、サーチエンジンの改善には役立つ可能性があるデータではないかと思う。
面白かったのは、Googleの人が「根掘り葉掘り」質問をしていたこと。シャバでは商売敵でも、学会だとオープンに議論できる?
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これに類する研究は他にもいろいろあった。
たとえば、同じMSRがらみのプロジェクトでは、「サーチエンジンの検索結果の表示されるランクが、どのようにユーザーのクリックに影響を与えるか」ということが調査されていた。同じくアイトラッキングを用いて。
結果は、「Information taskの場合は、サーチエンジンの下になればなるほど、注視時間も、クリックする数がへる」ということである。
Information taskの場合は、いかにユーザーがサーチエンジンのランキングを信じてしまうかということを物語っている。
また、別の研究では、「若者 vs 老人」のパフォーマンスをはかるものもあった。
老人の場合は、若者に比べて「ハイパーリンクを用いると迷いやすくなる」。ということは、Webを用いるときは、なるべくライナーなかたちにする必要があるということである。
経験的には「そりゃ、そうだよな」と思うことかもしれないが、empricallyに検証される、となるほどな、と思った。
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新しいインプットデバイスを提案する研究ずいぶん見た。
センサーなどを付属した物理オブジェクトをインプットデバイスとして、コンピュータにワイアレスで接続し、コンピューテーションの結果をフィードバックとしてユーザにかえす研究が多いと思った。
特に加速度センサーなどが多く用いられていたような気がするが、気のせいだろうか。
これらのセッションでは、脇本君(中原研究室・M1)の研究のタネになりそうな研究をいくつか発見。すぐに論文を彼にメールして、GW明けに会議を設定した。
この世界は「時間」が勝負である。チンタラやってらんない。
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あと「テクノロジーでヘルスケアを支援しよう」という研究がいくつかあったのが面白かった。要するに、テクノロジーの力を借りて、生活習慣病の原因になるような習慣行動を抑制したり、変革させようという研究である。
去年、これに関してはBEATで研究会が開催された。それにしても、これもCHIなんだなぁ・・・広いなぁ。
BEAT研究会
http://www.beatiii.jp/seminar/027.html
たとえば、ヒューストン大学のプロジェクトでは、アメリカがかかえる社会問題「肥満」を克服するための対戦型ゲームが開発されていた。
このシステムは、携帯電話とブルートゥース付きの加速度センサーから構成される。
加速度センサーを使って人間の動きを計測し、コンピュータに入力。対戦型ゲームへのインプットデバイスとして利用していた。要するに「動けば勝ち」というゲームである。
NEAT-O-GAMES
http://cpl.uh.edu/html/localuser/NoG/
これに似たシステムは、既にオムロンの万歩計やNIKE+ipodのシステムとして市販化もされている(前者は僕も使っている)。こちらの方は、ゲームではなくてジョギングやウォーキングを愉しむ人々のコミュニティだ。
オムロン・ヘルスカウンター
http://www.healthcare.omron.co.jp/product/hj710it_1.html
ナイキ
http://waga.nikkei.co.jp/play/sports.aspx?ichiran=True&i=20061113d3000d3&page=1
いずれにしても、この領域は今後伸びるだろうと思われる。教育マター直球ではないが、目が離せないな、と思った。
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明日、僕は東京に帰る。
投稿者 jun : 2007年5月 3日 17:00
映画「幸せの力:The Pursuit of Happyness」
映画「幸せの力:The Pursuit of Happyness」を見た。
幸せの力:The Pursuit of Happyness
http://www.sonypictures.jp/movies/thepursuitofhappyness/
この映画は、ホームレスから大企業のCEOへ華麗なる転身を飾った、現代のアメリカン・ドリームの体現者「クリス・ガードナー」氏の半生をつづった映画。
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舞台は1980年初頭、サンフランシスコ。医療機器のセールスマンだったクリス・ガードナーは、骨密度測定器を売り込むべく病院に営業活動を行っていた。
しかし、彼が自腹で大量に仕入れた骨密度測定器は、全く売れず、家賃、税金、駐車違反料金まで払えなくなる始末。おまけに夫婦仲はこじれ、幼い子どもクリストファーをおいて母親が家をでる。
そんなある日、彼は、ある出来事がきっかけで、証券会社のインターンになることを決意する。ただでさえ、金がないのに、インターンは無給。しかも正社員として採用されるかどうかは20分の1の確率。
途中、ついに金が底をつき、何度か地下鉄の便所で親子で寝泊まりをするはめになるが・・・。
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この映画は、いわゆるハリウッドムービーだと思う。彼の自伝から、絵になる部分をうまく抜粋し、コンパクトにまとめている。
クリスガードナーの幼い頃の逸話をカットしてしまったのは、やや残念だが、それを入れると収拾がつかなくなるので(One paper, One conclusionなんだよ)、やむを得ない、と思う。
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それにしても、あまりに素朴な感想だが、子どもと二人、地下鉄の便所で寝ることになったら、あれだけ気丈に僕は振る舞えるだろうか。
この映画、僕は、アメリカンドリームというよりも、むしろ、父親と子どもの話、として見た。
投稿者 jun : 2007年5月 3日 07:00
駒場アクティブラーニングスタジオ現る!
GW明けから、東京大学初の「IT活用型スタジオ教室」がオープンする。名前は、駒場アクティブラーニングスタジオ。教養学部、情報学環、大学総合教育研究センターの共同事業で、主に山内さん、望月君らが設計・実装に尽力した(お疲れ様でした)。
駒場アクティブラーニングスタジオ
http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/news/#a001299
駒場アクティブラーニングスタジオ(Komaba Active Learning Studio : KALS :カルス)では、可動型の各テーブルにTablet PCが設置されており、学習者はこれを自由に利用できる。
KALSで用いられるソフトウェアは、東京大学大学総合教育研究センター マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門で開発をしている。
東京大学大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
http://www.utmeet.jp/
去年は、Video Explorerの公開デモを行ったが、今年は望月君が中心になって、e-journal plusというものを開発している。今、目下開発中であるが、インタフェースはなかなかキュートな動きをしている。
なお、KALSでは、秋学期、中原が「学力論(仮称)」という、これまたベタな授業をする予定。学力論の目的は、「学力論争」というネタを素材に、
問題1) オリジナリティのある課題を、自ら設定せよ
問題2) あらゆる手をつかって自分で答える
といったものになる。
授業では、マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門で開発したソフトウェアを活用する。
今、折に触れてカリキュラムを考えているけれど・・・なかなかこれが難しく、楽しい。秋までじっくり悩もうと思う。秋までじゃ遅いな、秋じゃ。夏くらいかな・・・。
投稿者 jun : 2007年5月 2日 14:36
学校外での転移:日本認知科学会での発表
中京大学の三宅なほみ先生から、日本認知科学会の自主ワークショップで、小生、発表のお誘いを受けた。
僕に振られた話題は、「学校外の転移」。というわけで、「企業・組織の中で、知識転移をめぐる取り組みがどのようになされているか」を論じようと思う。
育成担当者には、まだ「転移」という言葉自体になじみがないため、奇異に聞こえるかもしれない。
が、実は「転移」という切れ味のよい刀をもってすると、いわゆる「経験学習」「アクションラーニング」「ワークアウト」「クロスファンクショナルチーム」など、実務家なら知っている様々な施策が、今までとは全く違った見え方をするはずだ。発表では、ここらあたりを紹介したい、と思っている。
現在の経営学では、「人材育成」は超マイノリティ中のマイノリティである。一般にはOJTとOFF-JTしか、人材育成を語る「言葉」がない。
願わくば、少しこれに対する問題提起をしたいのだが、それは欲張りすぎだろう。うん、そうだ。
今回のネタは新ネタである。パワーポイントもすべてゼロからつくらなくてはならない。久しぶりの認知科学会ということもあり、できるだけよい発表をしたい。
投稿者 jun : 2007年5月 2日 07:00
渋谷のブックファースト閉店を今頃知った!
渋谷のブックファーストが閉店するんですね。
嗚呼、知りませんでした・・・中原家御用達のお店が閉店とは。ここの配列や売り場が好きだったのに・・・。なんということでしょう。
渋谷・ブックファースト閉店
http://www.shibukei.com/headline/4261/index.html
あんまり売れてなかったのかなぁ・・・。
でも渋谷には大型書店ってないでしょう。渋谷で本を買う、といったらねぇ、ここくらいしかないとなかったと思うのですけど。競合はないと思うんだよなぁ。
渋谷には、そもそも本を買う人がこない? いやー、そんなことはないと思うんですけどねぇ。メディア系、IT系の企業も多いし。結構、レジ前は盛況だったんだけどなぁ。
なかなか、サブカル系の本とか、アート系の本も、ここは多かったんですよね。そういう意味でも貴重な本屋だった。
ここは、我が家にとっては、思い出深い本屋です。結婚前から、仕事帰りはここで待ち合わせだったので。
はぁ、残念だ。
投稿者 jun : 2007年5月 1日 23:32
そのマシン、ユーザビリティの検証、本当にやりました?
CHI2007(Computer Human Interaction 2007)に参加している。CHIは、米国計算機学会のSIG(分科会)の中でも最も大きい方であり、この分野では世界で最大の学会である。今年のCHIは、約1500の発表申し込みに対して、約150が採録。
CHIのカバーする領域はとても広い。
コンピュータサイエンス、心理学、社会学、医学、教育学・・・様々な専門家が参加している。まぁ、もっとも、発表のほとんどは、「新しいインタフェース・機能の提案」か、「ユーザインタフェースの評価」に限られるけれども。
今日、印象に残った発表。
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Bill Moggridge(IDEO創業者)のキーノート。
彼は、「直感的にデザインすること(Intuitive Design)がなぜ重要なのか」ということを、様々なビデオを見せながら説明していた。
デジタルアプライアンスをめぐる私たちの世界は、日々、複雑になっている。それは下記のような電話の進化に典型的に見て取れる。
しかし、複雑になったからといって、私たちは、決してそれを避けることはできない。私たちが生きる世界において、もはやテクノロジーは「我々の世界の一部」であるからである。
キーノートは「imodeでコーラが買えるというコカコーラの自動販売機:cmode」のビデオを紹介して、会場を爆笑の渦に巻き込んでいた。
ある女性が、cmode自動販売機でコーラを買う。5分たっても買えず、10分たっても買えず・・・。途中でジャンクフィルターにメールがひっかかったり、入力項目が多かったり。ついには、カスタマーサービスに携帯電話で電話かけるはめに(!?)。でも、いっこうにジュース一本さえ買うことができない。結局、購入できたのは35分後であった。
講演者は言う。
「このマシンは、プロトタイピングもユーザビリティの検証もやっていないことは明白だ」
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今日の彼のキーノートは、下記の本の内容をうまく構成したものである。
デザインをするということは、もはや「物理的なオブジェクトを設計すること」ではない。そうではなく、「インタラクションを設計する」ということである、というメッセージがこめられている。
下記の本にはWebもあって、多くのリソースを見ることができるから、興味のある人は見てみるとよいと思う。
Designing Interactions
http://www.designinginteractions.com/book
ちなみに、質疑応答では下記のような問いがでていた。
直感的なデザインをすることは、なぜ正しいと言えるのか。直感は常に正しいのだろうか。
直感的なデザインを行うためには、どのような経験が必要なのか。それは教えられるものなのか。
これはこれで非常に難しい話である。
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おつぎは、ちょっとマニアックな話なんだけど、「モバイル機器で稼動するアプリケーション評価をどのように行うか」という発表。
オーストリアのテレコミュニケーション研究センターで開発したLILIPUTというシステムの話ですね。
Peter Frohlichさんのページ
http://userver.ftw.at/~froehlich/
モバイル機器で稼動するアプリケーションの評価は、一般にはラボテストで行われることが多いと思うのですが、厳密にいえば、やはり「外」で、実利用環境に近い状況でおこなわれなければならない。
そのためには、測定システムは下記の条件を満たす必要がある。
1.携帯性があること
2.リッチでかつ正確なデータを取得できること
3.作業のフローを取得できること
4.コンテキストのなかでデータを取得できること
5.自然でシームレスなインタラクションが保証できること
6.いろんなモバイルアプリケーションを試すことができること
しかし、従来のものはそれができなかった。
従来は、1)トレッドミル上でユーザーに携帯電話を使わせて、そのプロセスを評価したり(冗談のような方法だ!)、2)ワイアレスモバイルカメラを用いたり、3)通常のビデオで作業場面を取得し、あとは質問紙を用いたりしたりした。
で、今回、ここではLILIPUTというシステムを開発します。
このシステムでは、1)ユーザーの顔に焦点をあてたカメラ、2)ユーザの手元操作カメラ、3)実際のモバイル機器の画面、4)ユーザ全体をとらえたカメラの画面を4画面分割で表示することができるそうです。
彼らの提案は、決して変化球ではない。ものすごくシンプルな提案です。嗚呼、そうか、という感じ。
でも、なぜ印象的だったかというと、「モバイル機器で稼動するアプリケーションの評価」について、僕も少し思うところがあって、半年くらい前に、研究プロポーザルを書いたからです。
僕のアイデアでは、LILIPUTで提案されているようなデータを取得するわけではないのですけどね。いやー、同じようなことを考えてる人がいるんだと思って、心に残りました。
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お次は、JR東日本のSuipo(スイポ)。
スイポとは、スイカカードと携帯電話を連携させたインタラクティヴアドバタイジングの一種。
スイカリーダーのついたポスターがあって、そこにスイカをかざすと、そのポスターに関連する情報が、携帯電話に表示される、というもの。
JR東日本のページ
http://www.jeki.co.jp/news/20060413_01.html
インタラクティブアドバタイジングの典型的手法としては、2次元バーコードを携帯電話で撮影して、Webでadditional情報をゲットさせる(pull)、というオプションがある。
このシステムの利点は「カードの非接触性を行かして、即時フィードバックを携帯メールでPushできる=2次元バーコードに比べて、ユーザのアクションが少なくて済む」というところにあると思ったのだけれど、どうなんだろう。
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MSR(MicroSoft Research)の研究。
これも独創的ですね。いわゆる、ライフスライス(携帯型インターバルカメラ:Capturing Life Experience)は、人間の記憶をサポートするのか、ということです。
L日本では、ライフスライス研究所がやった試み有名ですが、こうしたことをマジメに実証的に研究してしまうところがすごい(empirically investigate)。
19名の大学生を被験者とした実証実験の結果、SenseCam(MSRの開発した携帯型カメラ)によるイメージは、普通のデジタルカメラで撮影されたイメージよりも、人間が思い出すときのトリガーになるのだとか。
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そして人生は続く。
投稿者 jun : 2007年5月 1日 11:21
なぜ医療ミスが繰り返されるのか?:貞友義典「リピーター医師」を読んだ
医療事件を数多く手がける弁護士・貞友義典氏が著下「リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか?」(光文社新書)を読んだ。
リピーター医師とは、「何度も何度も懲りずに医療ミスを繰り返す医師」のこと。
リピータ医師は、産婦人科に多いのであるが、こうした医師のせいで、胎児が重篤な障害をかかえたり、ひどい場合には死亡事件に発展することも少なくない。
貞友氏は、こうした医師が生まれる原因を、人格的な問題などに求めるのではなく、構造的な、制度的欠陥に求めている。
1) 医師の国家試験には、実技がないこと
2) 医師免許取得後の知識・技量を確認する制度がない
3) 医療ミスはその専門性の高さから刑事事件として立件されない傾向があること
4) 民事訴訟をおこされたとしても、保険のおかげで医師には金銭的に痛みがないこと
5) 医療ミスの履歴、診療歴はほぼ公開されてこないため、患者の医師選択が進まないこと
などが主因だろうか。
要するに、比較的合格率の高い国家試験を合格してしまえば、その後、「何一つ学びなおさなくても」医師として食べていける。
そしてたとえ重篤な過ちを犯したとしても、それほどの負荷を感じることはないので、反省する機会がないのである。
こうした構造のせいで、薬の知識がなく、間違った投与を続ける、手術では同じミスを繰り返す医師が、あとをたたない。
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先日、厚生労働省は医師の氏名や処分の履歴をインターネットで検索するサービスをはじめた。
過去の無策を考えると、これだけでも、画期的なことと言わざるをえないが、ここで検索できる処分は「行政処分」に限られている。
医療過誤の多くが刑事、行政処分には発展せず、民事で争われていることを考えると、患者の立場からすれば、これだけではとても十分とは言えないだろう(あくまで欲望が肥大化する患者の立場から考えれば・・・)。
医師が望むと望まないと、今後、さらなる情報公開が求められることになるのではないか、と想像する。
医師の処分、ネットで検索
http://www.asahi.com/health/news/TKY200703290333.html
蓋し、あらゆるプロフェッショナル、セミプロフェッショナルは、いまやネットワークの進化にその地位を脅かされようとしている。プロフェッショナルの王道、医師とて、その例外ではない。
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追伸.
ここ数日書評が多いのは、海外出張恒例の新書祭りです。万が一退屈しないように、大量に持ち込んでいるため。今回は14冊も買ってしまった!、すべて読めるかな?
投稿者 jun : 2007年5月 1日 07:00